孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

同窓生に物故者が・・・

2017年02月26日 | 社会観察
昨夜、学生時代の同級生Tから電話があった。

東京の高校で教鞭をとっているそうで、60過ぎても教壇に立っているそうだ。数年前から年賀状が来なくなったと、嫌味を言われたが、確かその頃は私の父が他界して、葬儀の打ち合わせを終えたその翌日私が肋膜炎で緊急入院することになり、結局葬儀には出ずじまい。

数週間後に、今度はくも膜下出血で早朝緊急入院、即手術ということになり、私にとってはとんでもない時期であった。日頃の親不孝の祟りだろうと、周りからは存分に嫌味を言われたものだが、お陰で後遺症もなく社会復帰することができた。

同級生は、4月にクラス会をやるという手紙が届いたが、「お前の住所と連絡先欄が空白になっている」ので、連絡してみた。「まだ、生きてるようだな・・・」と呟くのだった。

相変わらず、口が悪いな、と思いながらも、「もう体中、悪い所だらけで先は長くないだろうがな・・」と言うと、実は「俺も先月心臓の手術をしたばかりだよ」と返してきた。

不整脈の持病があったらしい。学生時代から、私と違ってバスケットボールで鍛えた体も歳の所為でガタがきているそうだ。

「そういえば、名簿を見ると二人物故者があるぞ。」というので、名前を聞くと両人ともよく知っている奴で、一人は同郷、一人は同じサークルの男だった。

  気温が下がり、近所でも葬式が多くなった

同郷のT君は、ある時街の書店で偶然出くわし、懐かしさのあまり居酒屋に行って、それでも話足らず、彼の自宅まで誘われて行き夜中まで語り明かして、翌日お母さんの作ってくれた朝食をご馳走になって帰宅した事があった。

同じサークルだったI君は、学生寮に住んでいた。私も4年生の後半は学生寮に移ったので、よくおしゃべりしたり、試験前になると講義のノートを借りたりしたものだった。確かゼネコン大手に就職したはずだった。

亡くなった理由は定かではなかったが、一クラス40人しかいない同窓生のうち、すでに2名が他界していたという事実を知ると、ちょっとショックだった。

点滴のチューブを手に刺したオヤジの最期を見届けた頃は、長生きするということにあまり執着がなかったが、今世界が大きく変わろうとしてきたのを見ると、あと10年くらいは元気でいたいという気に変わってきた。

初孫なっちゃんの成長も楽しみだ。

確か娘さんが二人いたTに、「お前は孫がいるか?」と聞くと、「もう両方30過ぎたのにまだ独身で、同居してるよ。」とぼやいた。

東京のまだ大根畑が広がるような田舎街に住むTが、「東京五輪のときは、こっちに出て来ないか?」と誘ってくれた。

競技観戦ではなく、Tとの再開を楽しみに、その時を待ちたい。