今回も台北駅から長距離バスで嘉義市に向かった。ノンストップで約3時間かかる。
新幹線を利用すれば1時間ちょっとで着くのだが、前回帰りに利用したので、もう十分だった。日本の新幹線と何ら変わりはない。旅行気分を全く味わえなくて、少しがっかりしたからだった。
二度目の嘉義市訪問の目的は、何といっても映画「KANO」の地元を体感したかったからだ。
いわゆる「スポーツ根性もの」は、あまり興味がなかったのだが、この映画は80年以上前に実際にあった話を題材にしているため、荒唐無稽さがまったくない。
当時の選手たち
当時の嘉義農林学校は、現在嘉義大学になって今でもちゃんと存在している。校舎も何箇所かにあるようだが、今回そこへは行く時間はなかった。
台北に帰るのもバスを利用する計画だったので、午後4時頃にはバスに乗りたかったからだ。しかし、ひのきビレッジのKANO故事館や、市内の噴水公園で十分KANOを味わってきた。
映画の中で、近藤監督が自宅の書斎で、毛筆で「甲子園」と書くシーン
そして、ひのきビレッジのKANO故事館の和室に飾られた「甲子園」の書
映画の冒頭、近藤兵太郎が風呂桶を持って登場し、嘉農の野球部選手と対面するシーン。このときの風呂桶が、KANO故事館の玄関にさりげなく置かれていたのが印象的で、心憎い演出だった。(同じ風呂桶かどうかは知らないが・・)
嘉農のエースで四番、チームの主将だった「怪腕」呉明捷投手
呉投手の銅像が、嘉義市内の噴水ロータリー中央にある。このロータリーは映画の中では建設中で、そのシーンが何度か登場する。
「甲子園!甲子園!」という掛け声で市内をランニングする野球部員
台湾の地区大会で優勝して甲子園行きが決った!
そして、この噴水ロータリーは現在こうなった。
呉明捷投手の銅像
ロータリーの近くには若者対象のショップや食べ物やが多い。
嘉義公園から嘉義駅に向かう道路の途中にあるロータリーなので、迷うことはないのだが、今回は嘉義公園の前でタクシーを拾って、「噴水公園」と書いた紙を運転手に見せたら、一発で分かってくれた。
高齢の運転手さんは、右手でカメラを持つ格好をして、「写真を撮るのか?」と言っていた、、ようだった。私は、「そうです。」と返事をした。
そして、5分ほど走ってロータリーに着いた。降り際に運転手さんは、「ニホンジン?」と聞いてきた。「そうです。」と返事をすると、運転手さんは嬉しそうにニコニコして盛んに頷いていた。
広大な嘉南平野を穀倉地帯に変えた、八田與一という台湾の教科書にも載っている偉大な日本人土木技術者のおかげで、日本人の印象は嘉義ではとてもいいようだ。
新幹線を利用すれば1時間ちょっとで着くのだが、前回帰りに利用したので、もう十分だった。日本の新幹線と何ら変わりはない。旅行気分を全く味わえなくて、少しがっかりしたからだった。
二度目の嘉義市訪問の目的は、何といっても映画「KANO」の地元を体感したかったからだ。
いわゆる「スポーツ根性もの」は、あまり興味がなかったのだが、この映画は80年以上前に実際にあった話を題材にしているため、荒唐無稽さがまったくない。
当時の選手たち
当時の嘉義農林学校は、現在嘉義大学になって今でもちゃんと存在している。校舎も何箇所かにあるようだが、今回そこへは行く時間はなかった。
台北に帰るのもバスを利用する計画だったので、午後4時頃にはバスに乗りたかったからだ。しかし、ひのきビレッジのKANO故事館や、市内の噴水公園で十分KANOを味わってきた。
映画の中で、近藤監督が自宅の書斎で、毛筆で「甲子園」と書くシーン
そして、ひのきビレッジのKANO故事館の和室に飾られた「甲子園」の書
映画の冒頭、近藤兵太郎が風呂桶を持って登場し、嘉農の野球部選手と対面するシーン。このときの風呂桶が、KANO故事館の玄関にさりげなく置かれていたのが印象的で、心憎い演出だった。(同じ風呂桶かどうかは知らないが・・)
嘉農のエースで四番、チームの主将だった「怪腕」呉明捷投手
呉投手の銅像が、嘉義市内の噴水ロータリー中央にある。このロータリーは映画の中では建設中で、そのシーンが何度か登場する。
「甲子園!甲子園!」という掛け声で市内をランニングする野球部員
台湾の地区大会で優勝して甲子園行きが決った!
そして、この噴水ロータリーは現在こうなった。
呉明捷投手の銅像
ロータリーの近くには若者対象のショップや食べ物やが多い。
嘉義公園から嘉義駅に向かう道路の途中にあるロータリーなので、迷うことはないのだが、今回は嘉義公園の前でタクシーを拾って、「噴水公園」と書いた紙を運転手に見せたら、一発で分かってくれた。
高齢の運転手さんは、右手でカメラを持つ格好をして、「写真を撮るのか?」と言っていた、、ようだった。私は、「そうです。」と返事をした。
そして、5分ほど走ってロータリーに着いた。降り際に運転手さんは、「ニホンジン?」と聞いてきた。「そうです。」と返事をすると、運転手さんは嬉しそうにニコニコして盛んに頷いていた。
広大な嘉南平野を穀倉地帯に変えた、八田與一という台湾の教科書にも載っている偉大な日本人土木技術者のおかげで、日本人の印象は嘉義ではとてもいいようだ。