日本人の西洋崇拝は、これからも永遠に続くのだろうか。
何事も欧米と比較してまったく遜色ない自分が生まれ育った国を、何でもかんでも重箱の隅を突付くが如く悪く言ったり、ありもしないことをでっち上げて、先祖を平気で貶める新聞社やテレビ局が存在していることは、いくら考えても理解に苦しむ。
しかも、それを外国勢力と一緒になって精を出している団体があることも、紛れもない事実であり理解し難い。
英語で「naive 」と書いて、ナイーブと読む。カタカナ言葉としてよく使われるが、使う人は、その意味を「純粋な」とか、「壊れやすそうな弱弱しさ」と理解しているようだ。
『彼のナイーブなところにたまらなく引かれた。』などという使い方をするものだ。
しかし、本来の「naive 」は、「だまされやすい」「うぶな人」「馬鹿正直な」「批判的な見方ができない」という意味で用いられ、どちらかと言えば、言われて嬉しくない言葉である。
映画ファンならずとも、今週のアカデミー賞発表は待ち遠しいが、あれとてまるでノーベル平和賞のように、恣意的に政治的に利用されてきたことは紛れもない事実であろう。
1957年に映画化された「戦場にかける橋」もその類であった。映画化される5年前にフランス人の原作小説が発表され、映画は日米合作であった。
その内容は、大東亜戦争中にタイとビルマの国境近くに建設された「泰緬(たいめん)鉄道のクワイ川鉄橋」を題材にしたもので、内容は日本軍や日本兵を貶める目的で、これでもかというほど事実に反する酷いフィクションの塊であった。
クワイ川マーチで馴染みの鉄橋
それもそのはず、原作者のフランス人、ピエール・ブールは、マレー半島のゴム園で監督者として働いていたところ、1943年に日本軍の捕虜となった。
翌年収容所を脱獄して終戦をむかえ、その後何年かして当時収容所などで耳にした状況を大きく脚色して「戦場にかける橋」という小説にしたのだった。
さらに、これに味をしめた彼は、10年後になんと日本人を猿に仕立て白人を奴隷扱いするという小説「猿の惑星」を書きあげ、これもハリウッドは映画化したのだった。
以前この話は、このブログでもネタにしたので詳細は省くが、戦時中日本軍の捕虜になったことがよほど悔しかったのだろうと察する。
私も中学生の時この映画を映画館で観たのだが、館内は超満員で通路に立って観た記憶がある。しかし、当時は猿が日本人の化身で、惑星が日本人に征服された話であったとは想像だにしなかった。
しかも、映画のラストシーンは衝撃的で、その惑星とは実は地球の未来の姿であったのだ。
テイラーとノヴァ(人間)
チャールトン・ヘストン扮する宇宙飛行士テイラーは、人間の女性にノヴァという名を付けて、海岸沿いを逃げたのだった。
そこから人間の歴史が再開されたように、この映画も次々に続編が作られ、これまでに映画が8本、テレビドラマが1作、テレビアニメが1作、いずれも20世紀フォックスを中心にして作られているそうだ。(ウィキペディアより)
ちゃんと服を着ている猿たちに比べて、裸同然のテイラーと言葉を奪われたノヴァはまるで、エデンの園を追われた旧約聖書のアダムとエヴァを彷彿させた。
今なら、ポリティカル・コレクトネスに反すると言われそうな「女」の扱い方だが、名前もエヴァとノヴァと、よく似ている。因みに Nova とは 「新星」という意味だ。
言うまでもないだろうが、欧米人を貫くアイデンティティ(同一性)は、キリスト教である。旧約聖書では、創造主は自分の姿に似せて、土からアダムを造り、彼の妻として、アダムの肋骨から「女」を造った。
二人は、あらゆる種類の実のなる木が植えられた、地上の楽園・エデンの園に置かれた。その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。
それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならない、「食べると死ぬであろう」と禁止した。
地上の楽園「エデンの園」
ある時、蛇があらわれ善悪の知識の実(禁断の果実)を食べるように女をそそのかした。女はその実を食べて、アダムにも勧め二人はその実を食べたのだった。
主なる神はアダムに、「何をしたのだ?」と問い質した。
アダムはその問いに対して、「神が私の肋骨から造った女が勧めたので食べました。」と答えた。
女は同じ問いに対して、「蛇に騙されました。」と言い訳をした。
この結果、蛇は地を這う生物となり、アダムと女は楽園を追放され、以後は額に汗して働かないと食糧を得ることは出来ないという「罰」を与えられた。
楽園を追放されるアダムたち
さらに神は、女は妊娠と出産の際、これまでにない苦痛を味わうことになると「罰」を言い渡したのだった。
英語で労働のことを「labor または labour」(レイバー)という。労働組合は、labor union 、英国労働党は Labour Party となる。この『労働』という日本語は、明治の頃西洋から入ってきた「labor 」という英語に対して作られた和製漢語である。
英和辞典で検索すると、「labor 」には、「陣痛」という意味が出ている。
「労働」とは西欧人にとっては、神が人間に与えた罰なのであるということは、我々日本人の感性では到底理解しがたいことであろう。
そして、こういう背景を知ると、なぜ西欧人は長い休暇を取りたがるのか、なぜ日本人を「働きバチ」だとか「働き中毒」などと呼んで嘲笑するのか、漠然とだが分かってくる。
我々日本人は、陛下が毎年皇居にある水田で、田植えをして、稲刈りをして、その米を神殿に捧げるなどということは別段不思議に思わないのだが、こういうことは欧米人たちには多分まったく理解されないのではないか。
ところで、labor という英語は、フランス語では travail と書き、「とらばーゆ」と発音するのだそうだ。どこかで聞いたようだが、「とらばーゆ」という雑誌は、30年以上前にリクルート社が創刊した、女性のための転職情報誌だ。
フランス語でも英語と同じように、「陣痛」という意味もあるそうだ。もともとこの言葉の語源はラテン語の trepalium という単語で、その意味は3つの杭で出来た拷問器具だそうである。つまり、労働とは苦役、拷問という意味があるようだ。
外交評論家の加瀬英明さんが、どこかで飄々と語っていたが、以前フランスから若い女性が来日した時、「日本の若い女性たちが小脇に Travail と印刷された雑誌を抱えているのをよく見たが、あれはどうしてなの?」と聞かれたことがあったそうだ。
彼女の目には、「苦痛」「陣痛」という雑誌をなぜ日本の若い女性は抱えているのか、さぞ不思議に映ったのであろう。
ここまで書いて、どうも腑に落ちないのは、キリシタンの神様は初めからアダムが禁断の実を食べたのを知っていながら、なぜ「アダムよ、何をしたのだ?」などと問い質したのだろうか?
その答えは、神様は知っていたのだが、「アダムに罪の自覚を促して自ら悔い改めるチャンスを与えた」のだそうだ。
何から何までお見通しなら、アダムと女はまんまと神が作ったハニートラップに引っ掛かったのではないか。なんでまたキリシタンの神さんは、そんな七面倒臭いことをするのか・・・
宣教師ザビエルの話を聞いた時の戦国時代の町民たちも、きっと私と同じように小首を傾げたのではなかろうか。
何事も欧米と比較してまったく遜色ない自分が生まれ育った国を、何でもかんでも重箱の隅を突付くが如く悪く言ったり、ありもしないことをでっち上げて、先祖を平気で貶める新聞社やテレビ局が存在していることは、いくら考えても理解に苦しむ。
しかも、それを外国勢力と一緒になって精を出している団体があることも、紛れもない事実であり理解し難い。
英語で「naive 」と書いて、ナイーブと読む。カタカナ言葉としてよく使われるが、使う人は、その意味を「純粋な」とか、「壊れやすそうな弱弱しさ」と理解しているようだ。
『彼のナイーブなところにたまらなく引かれた。』などという使い方をするものだ。
しかし、本来の「naive 」は、「だまされやすい」「うぶな人」「馬鹿正直な」「批判的な見方ができない」という意味で用いられ、どちらかと言えば、言われて嬉しくない言葉である。
映画ファンならずとも、今週のアカデミー賞発表は待ち遠しいが、あれとてまるでノーベル平和賞のように、恣意的に政治的に利用されてきたことは紛れもない事実であろう。
1957年に映画化された「戦場にかける橋」もその類であった。映画化される5年前にフランス人の原作小説が発表され、映画は日米合作であった。
その内容は、大東亜戦争中にタイとビルマの国境近くに建設された「泰緬(たいめん)鉄道のクワイ川鉄橋」を題材にしたもので、内容は日本軍や日本兵を貶める目的で、これでもかというほど事実に反する酷いフィクションの塊であった。
クワイ川マーチで馴染みの鉄橋
それもそのはず、原作者のフランス人、ピエール・ブールは、マレー半島のゴム園で監督者として働いていたところ、1943年に日本軍の捕虜となった。
翌年収容所を脱獄して終戦をむかえ、その後何年かして当時収容所などで耳にした状況を大きく脚色して「戦場にかける橋」という小説にしたのだった。
さらに、これに味をしめた彼は、10年後になんと日本人を猿に仕立て白人を奴隷扱いするという小説「猿の惑星」を書きあげ、これもハリウッドは映画化したのだった。
以前この話は、このブログでもネタにしたので詳細は省くが、戦時中日本軍の捕虜になったことがよほど悔しかったのだろうと察する。
私も中学生の時この映画を映画館で観たのだが、館内は超満員で通路に立って観た記憶がある。しかし、当時は猿が日本人の化身で、惑星が日本人に征服された話であったとは想像だにしなかった。
しかも、映画のラストシーンは衝撃的で、その惑星とは実は地球の未来の姿であったのだ。
テイラーとノヴァ(人間)
チャールトン・ヘストン扮する宇宙飛行士テイラーは、人間の女性にノヴァという名を付けて、海岸沿いを逃げたのだった。
そこから人間の歴史が再開されたように、この映画も次々に続編が作られ、これまでに映画が8本、テレビドラマが1作、テレビアニメが1作、いずれも20世紀フォックスを中心にして作られているそうだ。(ウィキペディアより)
ちゃんと服を着ている猿たちに比べて、裸同然のテイラーと言葉を奪われたノヴァはまるで、エデンの園を追われた旧約聖書のアダムとエヴァを彷彿させた。
今なら、ポリティカル・コレクトネスに反すると言われそうな「女」の扱い方だが、名前もエヴァとノヴァと、よく似ている。因みに Nova とは 「新星」という意味だ。
言うまでもないだろうが、欧米人を貫くアイデンティティ(同一性)は、キリスト教である。旧約聖書では、創造主は自分の姿に似せて、土からアダムを造り、彼の妻として、アダムの肋骨から「女」を造った。
二人は、あらゆる種類の実のなる木が植えられた、地上の楽園・エデンの園に置かれた。その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。
それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならない、「食べると死ぬであろう」と禁止した。
地上の楽園「エデンの園」
ある時、蛇があらわれ善悪の知識の実(禁断の果実)を食べるように女をそそのかした。女はその実を食べて、アダムにも勧め二人はその実を食べたのだった。
主なる神はアダムに、「何をしたのだ?」と問い質した。
アダムはその問いに対して、「神が私の肋骨から造った女が勧めたので食べました。」と答えた。
女は同じ問いに対して、「蛇に騙されました。」と言い訳をした。
この結果、蛇は地を這う生物となり、アダムと女は楽園を追放され、以後は額に汗して働かないと食糧を得ることは出来ないという「罰」を与えられた。
楽園を追放されるアダムたち
さらに神は、女は妊娠と出産の際、これまでにない苦痛を味わうことになると「罰」を言い渡したのだった。
英語で労働のことを「labor または labour」(レイバー)という。労働組合は、labor union 、英国労働党は Labour Party となる。この『労働』という日本語は、明治の頃西洋から入ってきた「labor 」という英語に対して作られた和製漢語である。
英和辞典で検索すると、「labor 」には、「陣痛」という意味が出ている。
「労働」とは西欧人にとっては、神が人間に与えた罰なのであるということは、我々日本人の感性では到底理解しがたいことであろう。
そして、こういう背景を知ると、なぜ西欧人は長い休暇を取りたがるのか、なぜ日本人を「働きバチ」だとか「働き中毒」などと呼んで嘲笑するのか、漠然とだが分かってくる。
我々日本人は、陛下が毎年皇居にある水田で、田植えをして、稲刈りをして、その米を神殿に捧げるなどということは別段不思議に思わないのだが、こういうことは欧米人たちには多分まったく理解されないのではないか。
ところで、labor という英語は、フランス語では travail と書き、「とらばーゆ」と発音するのだそうだ。どこかで聞いたようだが、「とらばーゆ」という雑誌は、30年以上前にリクルート社が創刊した、女性のための転職情報誌だ。
フランス語でも英語と同じように、「陣痛」という意味もあるそうだ。もともとこの言葉の語源はラテン語の trepalium という単語で、その意味は3つの杭で出来た拷問器具だそうである。つまり、労働とは苦役、拷問という意味があるようだ。
外交評論家の加瀬英明さんが、どこかで飄々と語っていたが、以前フランスから若い女性が来日した時、「日本の若い女性たちが小脇に Travail と印刷された雑誌を抱えているのをよく見たが、あれはどうしてなの?」と聞かれたことがあったそうだ。
彼女の目には、「苦痛」「陣痛」という雑誌をなぜ日本の若い女性は抱えているのか、さぞ不思議に映ったのであろう。
ここまで書いて、どうも腑に落ちないのは、キリシタンの神様は初めからアダムが禁断の実を食べたのを知っていながら、なぜ「アダムよ、何をしたのだ?」などと問い質したのだろうか?
その答えは、神様は知っていたのだが、「アダムに罪の自覚を促して自ら悔い改めるチャンスを与えた」のだそうだ。
何から何までお見通しなら、アダムと女はまんまと神が作ったハニートラップに引っ掛かったのではないか。なんでまたキリシタンの神さんは、そんな七面倒臭いことをするのか・・・
宣教師ザビエルの話を聞いた時の戦国時代の町民たちも、きっと私と同じように小首を傾げたのではなかろうか。
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