孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

親日国への旅

2015年01月12日 | 日記
年初に、その年の誓いを立てるなんてこれまでやったこともなかったのですが、人生下り坂でゴールが間近に迫ってきた所為か、今年は絶対に年内にこれこれを実行すると誓いをたてました。

誓いというのは少々大袈裟かもしれませんが、今年は夏頃を目処に、アジアの親日国に旅行をしようと思います。アジアの親日国というのは、自然と中国と韓国以外の国ということになりますが、迷った挙句、台湾、ミャンマー、パラオのどれかを考えています。台湾は若いときに一度立ち寄ったことがありますが、会社のお客様をマレーシアからの帰りに台北に送り届けるという目的だったので、決められたホテルに送っていき、私も一泊して翌朝日本に帰国しました。従って、記憶に残っているのは、漢字だらけの看板が林立した商店街の景色くらいなものです。

以前から、京劇を観てみたいと思っていたので、調べたところ、台北アイという面白そうな京劇ファン向きの観光スポットがあり、そこに行ってみたくなりました。それと、猫空という場所に行って、おいしいお茶を味わいたいと思っています。いずれも、youtube でその様子を臨場感のある動画として観る事ができます。

ミャンマーは、昔はビルマといいましたが、多くの日本人が惚れ込んでしまうほど、日本とフィーリングが合う国だそうです。シンガポールにいたとき聞きましたが、ビルマに夢中になってしまう日本人のことを「ビルマきちがい」、略して「ビルキチ」と呼ぶんだそうです。大東亜戦争で、日本軍が当時ビルマを支配して、ビルマ人を虐げていたイギリス人たちを蹴散らしたため、ビルマ人は日本に他ならぬ好感を持ち、大の親日国になっているようです。民主化が進み、私がシンガポールにいた3年前には、ビジネスマンがミャンマーに事務所を出したがって、現地の家賃が暴騰しているという話でした。

パラオ共和国は太平洋の小さな島国ですが、ペリリュー島の戦いは先の大戦では激戦地として有名です。日本兵は約1万、アメリカはその5倍で、兵器の質も数も圧倒的な差がありました。米軍の指揮官は、戦いは三日で終わらせる。いや多分二日だ。と豪語しましたが、日本兵の頑強な抵抗に遭い、その島を攻略するのに、二ヵ月半を要することになったのです。ペリリュー島には、米軍のあのニミッツ提督が勇敢な日本兵を称えた一文が刻まれた石碑が建てられているそうです。

もうひとつ、パラオに行ったら是非みてみたいものがあります。それはパラオの島と島をつなぐ鉄橋です。かつて、その鉄橋は韓国のゼネコンが受注して建設しました。完成して間もなく、信じられないことにその橋は崩落したのです。パラオ政府は、韓国政府に建て直しを依頼したのですが、韓国政府の返事は、建設会社がすでに倒産しているので、建て直しはできない、という酷いものでした。それを知った日本政府はODA資金で日本のゼネコンに建て直しをさせ、日本-パラオ友好の橋として完成させ、今日に至っているのです。今年は陛下がパラオ共和国に出向かれるということですので、また脚光を浴びることになるでしょう。

とりあえず、今年は最低でも台北旅行を実現させたいです。実は、トルコにも是非行ってみたいのですが、こちらは少し遠いので来年以降にします。トルコも有数の親日国なんですよね。そうなったエピソードがまた感動的なんですよ。


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