まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

スマホ手に 落ち葉踏みしめ 杖の音

2014年11月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から14度、湿度は54%から50%、風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。今朝は初めて霜を見た。明日の16日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みとか。

 

 今日も天気がいいものだから久々に遠出の散歩に出た。8時半にわが家を出て、南に進み、次いで西に進むという時計回りに赤線のように歩き出した。で、昔の田面(たづら)村から南川村を北上して、道の駅みろく経由で、旧田面村に戻るコース。およそ、8Kmの2時間コース。

 

 これは、南川地区の特産品の「自然薯(じねんじょ)畑」この葉っぱの根っ子に「自然薯」が育っている。

 

 この地区もおさるさんが多いことで有名。人家のすぐ近くまでやってきて、稲や野菜を食べ散らかす。この時期は「落ち穂拾い」をやっている。山道に白いものが散乱しているので、何かと近寄ってみたら・・・・白菜。

 

 山の中に白菜は自生しないから、どこかの畑から持って来て、こんな場所でパーティーをやったらしい。全く、やりたい放題。

 

 これなんか、カメラ目線でポーズを取ってくれたが、内心はびくびくものだった。飛びかかられたらどうしようもない。

 

 この地区にあった「大川一中」という中学校の校歌に、「うるわしのふるさと しらさぎむれとぶ 青葉のひまを・・・・」というのがあったが、そんなのどかな光景。

 

 このあたりの紅葉といえばこんなものくらい。

 

 これで牛の鳴く声とかにわとりの声とかが聞こえたらいいのだが、さすがに、そんなものはとっくの昔に途絶えてしまった。昔の農家が洋式の住宅に建て代わり、あぜ道も広い舗装道路になってしまって、まるで違う町に来たみたい。牛馬の代わりに大型のトラクターが走り回っていた。

 

 子供がいなくなったからか、柿の実もそのまんまで熟して落ちているばかり。

 

 やっぱり、この時期は大窪寺だろうと、またもややってきたのが、この紅葉の名所の大窪寺。朝のNHKの四国版で、ここのお寺が紹介されていたこともあるのか、ものすごい車の列。まるで、大名行列みたい・・・。駐車場も路上も乗用車でいっぱい。

 

 大イチョウの葉っぱは落ちてしまっていたが、それでも多くの方が落ち葉を集めたり、スマホをかざしたり。

 

 いちょうの葉っぱは水分が多くて燃えないのだそうだ。だから、お掃除の方はたいへんだ。

 

 この人たちは、あのモデルさんを撮っているわけではない。紅葉のもみじをさかんに撮影している。

 

 こんなおねえさんである。きれいに撮れているものもあるが、撮影許可をいただいていないのでここまで。(業務用みたいなもので)

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


もの言わず 今日も暮れたり 緋のもみじ

2014年11月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は6度から12度、湿度は66%から50%、風は西南西の風が吹いたりやんだり・・。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。何の予定もないのだけれど。

  

ということで、私のブログが開設以来3,500日を迎えた。開設したのは2005年の4月10日だから、9年7ヶ月あまりということになる。この間に1日のお休みもない。よく続いたものだと思う。でも、最近は少しばかりお休みしたいというのが本音のところ。

 

 左目は全く見えなくなって、頼りの右目も調子が悪い。本も根気良くは読めないし、パソコンに向かうのも面倒になってきた。オペまではまだ27日もあるし、術前検査まで一週間。ものすごくストレスが溜まる。

 

 「最近、おさるが多くなって、昨日もダイコンを3本も抜かれたのよ」と、奥方はお怒りだが、そんなものにクレームをつけても仕方がない。向こうは人間さまの生活なんぞあずかり知らぬことなんだ。このサルは口に何かをくわえている。手前の黒い紐状のものは単なる枯れた木の枝。おへびさまはもう、冬眠に入って居る。

 

 更に進むと、いるわいるわ・・・。10数匹から20数匹のサルの軍団がぶつがり稽古なのか戦いなのか、ギャァギャァと賑やかなこと、騒がしいこと。縄張り争いなのか・・・。

 

 屋根の上でもいがみ合いやらにらみ合いをやっている。もう、すっかりと「サルの集落」。サルもすばしこくて、カメラを向けたら逃げられる。カメラを下げたら現れる。

 

 このあたり、番犬がいるのだけれど、鎖に繋がれた犬など怖くはないらしい。犬の眼前をゆったりと歩くからたまらない。サルの闘争と犬の吠え立てる声でやかましい・・・。

 

 こうした捕獲用のケージが幾つも幾つも置かれているのだが、警戒心が強いのか、学習済みなのか、イノシシもタヌキもサルも捕まらない。

 

 昨日今日と肌寒い1日になったが、そういう時期になったのか、喪中はがきが届くようになった。「うちは神道ですから・・」というてた人から「兄が天国に旅立ちました」というはがきが。神道でも「天国」に行くのかな?それにしても、みなさん、まじめにそういうはがきを送ってくる。身近な人の死は辛く哀しいものなんだろうけれど。

 

 車でおでかけをしたいのだが、恐ろしいし、かといって、こうして引きこもっていると、おつむがおかしくなってしまいそう。まさか、昼間からは寝てもいられない。テレビも騒がしいばかりでちっともおもしろくないし、ラジオもにぎやかなばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもふり積もる 人の心も庭の落ち葉も」というもの。 塵やほこりといった目に見えない小さなものは、知らない間に溜まっているもの。しかし、落ち葉のように目に見えるものでも知らない間に溜まっている。それを、払い除いても、すぐに塵もほこりも落ち葉も積ってしまう。だからこそ、それを掃き、払うのである。

 同じように、私たちの心にも、知らない間に塵が溜まっている。この歌を読むと、お釈迦様の弟子の一人、周利槃特(しゅりはんどく)の逸話が思い起こされる。このお弟子は、自分の名前も覚えることもできず、その愚かさに呆れられ、実の兄からも、周りの人からも見捨てられ、孤独でみじめな生活送っていたのだが、その弟の姿を見かねて、すでに帰依していた兄が仏教教団の入団を勧め、自分の受けた教えを四行の偈文にして、覚えるように言いつけたが、周利槃特は努力の甲斐なくその偈文も覚えることができなかった。とうとうその愚かさに兄も激怒し、周利槃特を学び舎から追い出してしまったのである。途方に暮れ、学び舎を出ていく周利槃特の姿をご覧になったお釈迦様は、その姿をお見せになり、周利槃特に一本のほうきを手渡し、「掃除をしながら『塵を払わん、垢を除かん』と唱えよ」と教えられたのである。何年もその教えを守り、繰り返し続けた周利槃特に、ある時「塵とは何か、垢とは何か、払い除くとはどういうことなのか」という疑問が湧いてきて、やがて自分の心の塵、垢を自覚し、それを離れ、捨てきるまでになり、ついにさとりを開いたという話である。常に、自分の心の塵、垢に気付き、そしてそれを払い、心をひるがえして教えを聞きなおしてゆく姿勢を現代に生きる私たちに先立って教えて下さっているのではないかと思うことである。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


さざんかに 明日の望みを 聞いてみる

2014年11月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は朝から夕方までずっと11度台。夕方からは8度から6度あたりまで下がるらしい。湿度は62%から54%、風は4mから6mの西北西の風が強かった。まだ、木枯らし1号には早いのかもしれないが、木枯らしを思わせるような風が電線をうならせていた。明日の14日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 奥方が若い頃に勤めていた東かがわ市にある歯医者さんのお父さんが塩飽本島(ほんじま)の小坂の出身だということで、別荘を建てるときに小坂あたりも歩いたことがあった。当時は「よそ者には土地は売らない」ということで諦めた経緯があった。で、お隣の「しわく広島」で土地を見つけて別荘を建てた。

 

 あれから40年・・・(苦笑)、小坂にも何度か行ったことがあるが、その先生のことは忘れてしまっていた。ところが、その先生からこんな冊子が送られてきた。

 

 この本を書いた、福崎孫三郎さんという方が、その歯医者さんのおじいさんになるらしい。で、この本は国立国会図書館にあったものを、小坂の中西さんという人がコピーしてきたものの複製らしい。小坂の中西さんて、あの、中西さんらしい。ここには「小坂騒動」の顛末が詳しく書かれている。おそらく当事者が書いた唯一の記録らしい。

 https://www.shikoku-np.co.jp/feature/shimabito/1/12/

 

 明治維新にからむ人名(にんみょう)制度の崩壊とその争いの悲しい事件であった。人名たちはなくなった人名制度を守ろうとし、小坂の人たちはなくなった人名制度をよこせ・・・と争ったのであった。

 

 それはさておき、先日に依頼のあった「さぬきの偉人 十二人の先人を巡る」が完成したのでお届けに行ったのだが、相変わらずの不在。郵便受けには大きすぎて入らない。仕方がないので持ち帰りになった。お忙しいお先達さんである。

 

 朝方はこんないい天気だからと久々にお布団を干したら、やがて雲が出てきてどんよりとして冷たい一日になったので、慌ててお布団を取り込んだ・・・。

 

 こんな日はいい絵は撮れないんだろうなぁと思いつつも向かった先は大窪寺。風が冷たくて冷たくて・・・。それでも多くのカメラマンや介護施設の人たちがいる。デイ・サービスなどの一環で紅葉見物らしい。だからうどん屋さんにも長蛇の列が・・・。

  

 おへんろさんもスマホをかざして紅葉を撮影するのに夢中の人が多い。

 

 雲間から日差しがこぼれた瞬間にシャッターを切る。まさに、一刻一刻と景色が変わる。

 

 そんなこんなで、今日は「へとちまとち」な一日になった。「へとち、まとち」ってわかります?思うようにならないというか、やろうとするんだけどタイミング悪く意図しない結果になるみたいなことをいう、香川の一部の地区の方言らしい。今日はまさに「へとち、まとち」。目がみえにくいということで、気分的にすぐれないので、余計に「へとちまとち」。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは、死ぬいのちをかかえているということ」という、東井義雄先生の言葉から。生まれてきたからには必ず死が訪れる、ということは誰にでもわかること。だから、この言葉は一見すると当たり前のことのように思えるけれど、普段の生活の中で、「死ぬいのち」をかかえながら生きているという思いは中々出てこないのではないだろうか。「いつか」死が訪れるけれど、その「いつか」がいつなのかはわからない。もしかしたら突然訪れるかもしれないけれど、まさか「今」ではないだろう、と思って日々過ごしているのが私の有り様である。以前の掲示板の言葉に、「生を奪う死は また 生きる意味を与える」という言葉があった。その随想の中で、「生死一如(生と死は一つである)」という仏教の言葉を紹介したが、今回の掲示板の言葉はまさにこのことを言い当てていると思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


緋の紅葉 明日の希望が 見えて来ぬ

2014年11月12日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっていた。気温は12度から20度、湿度は80%から57%、風は1mから5mの西の風が一時、強く吹いた。明日の13日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨日、けいこばぁがお友達から渋柿を頂いてきた。それをそのままにして寝てしまった。私もどうでも良かったのだが、テレビがつまらなかったもので、次の番組までの間の暇つぶしにと柿を剥いてみた。すると体が覚えているのか指が覚えているものか、スラスラと剥けた。

 

 この柿は枝がないために干し柿にはならないということでくれた物だが、けいこばぁはこんなものに入れて干すことにした。ま、工夫をすれば糸でもかけて干せるのだが、それではおさるに食べられてしまう。

  

 こうしておけばおさるさんも手が出ない。たくさん、剥いたと思ったけれど、こうしてみればこんなに少ないのか。これで乾燥すればもっと小さくなってしまう・・・。

 

 さて、我が家の菜園では猿害で野菜は作れないからと、木田郡三木町の弟の畑を借りることになったらしい。そこまでして野菜を作らなくてもいいと思うのだが、奥方には奥方の事情があるらしい。で、私に「ここを耕しておいて」と言い残して、奥方はピアノのレッスンに向かった。

 

 11時過ぎにピアノのレッスンが終わって一仕事してから、近くのおうどん屋さんでお昼を食べる事にした。もちろん、奥方の運転であることは言うまでもない。

 

 で、木田郡三木町下高岡にある「手織りうどん・滝音」というプチセルフのお店に入った。時間が12時少し前だったもので長蛇の列が。それでもこうしたうどん屋さんの回転は速い。のろのろのろ・・・と移動してそんなに待つこともなくおうどんが食べられた。

 

 今日もなぜだか、「わかめうどん小の熱いん」で330円。別に髪を黒くしたり、ふさふさにしたい訳ではない。12時を過ぎるとそれこその長蛇の列ができていた。

 

 お昼からはレタスの植え付けやえんどうの植え付けなど。

 

 こうした、ミニ・耕耘機を使うのだが、こんなものじゃダメだと、弟んちのトラクターを借りようとしたら、狭い納屋にピチピチに入っている・・・。これを右目だけの私が運転・操縦したら、納屋全体を壊してしまって、お庭から石垣からを壊してしまいそう・・・。すごすごと引き下がったのは言うまでもない。

 

 あとは奥方にお任せをして今日の作業を終えた。15時過ぎだった。あとは迷犬ごんの散歩やお風呂の準備ほかで日が暮れた。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人よがりの生き方は広い世間を狭くする」というもの。昨日のことだが、「県立病院で処方された薬がようやくに入荷したのでお届けします」と、町内の薬局から電話があった。「もう、一週間も経っているので要りません」と言うと、「それでは困ります。処方されたものをお届けするのがお仕事ですから」とかなんとか。インクが切れただの用紙がなくなっただのと取り込み中に何度も電話が掛かる。「電話番号をどうやって調べたのですか!」と要らぬ事で言い争いになって・・・。結局、取引をやめる羽目に・・・。「広い世間を狭くしたなぁ・・・」と思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


行く宛ても ない明日がある 秋の暮れ

2014年11月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたのだが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。気温は10度から17度、湿度は80%から60%、風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

 天気がいいのだけれど、やりかけた仕事は片づけておきたいし・・・ということで、昨日に続いて冊子造り。昨日は5部を作ったのだけれど、10部という注文だったし・・ということで、とりあえず3部をやっつけておこうと思ったのが失敗だった。

 

 この原本はパワーポイントの描画機能を使っての冊子になっているのだが、とにかく、インクジェットのインクを多量に使う。機械が壊れたのではいのかと思うほどにインクを呑む。

 

 こういうカラフルなものだから、今日も「シアンが無くなった」「マゼンダが無くなった」のメッセージばかり。在庫を使ってしまったものだから、仕方なく、今日も量販店へ走って行ってインクを買ってきた。

 

 それでも、「黄色が無くなった」というので、ギブアップ。もう、今日は電気屋さんには行きたくない。インクばかりを買ってもいられない。

 

 パワーポイントは途中でデザインを変えられない。だから、「青のページ」「オレンジのページ」「グリーンのページ」などと,今回の場合、四色のデザインになっている。それを交互にというか適当に組み合わせて、それを貼り付けてページを作っている。両面印刷なんて高尚な技は使えない・・・。

 

 だから印刷されていない白色のページを貼り合わせて色ページが見えるように貼り合わせて製本して・・・ようやく8部ができあがったが、なにせ、右目だけでの作業だからうまくはいかない。うっかりと、へこさか(逆)に綴じてしまって納品できないものも出て来る。ま、今回は最低の製本になって、こんなものではお代はいただけない。今回の単価は1,625円にもなった。もう、この冊子の増刷はお断り。

 

 気分を入れ替えようと、恒例の集落内一周の散歩に出た。ふと、見ると、道路の真ん中に見慣れぬものが・・・。

 

 「これは何かと近寄れば・・・」柑橘類だが、見たことのない物。きっと、このご近所さんのお庭に植えてあるものなんだろう。それをおさるがかじって、酸っぱいから捨てたんだろ。

 

 角を曲がればいるいるいる・・・。我が物顔で、人間様を恐れない。むしろにらみ返すのだからたまらない。向こうさんは鋭い爪や大きな牙を持っている。こちらには武器になるような物はないもない。そろりそろりとすりぬけるしかない。

 

 このもみじは紅葉して赤くなった訳ではない。こういう種類らしく、春先からこんな色をしている。でも、最近の赤さは深みが加わったみたい。

 

 これはつつじなんだが、日当たりのいい場所ではよく見かけるもの。毎年毎年、この時期になると咲いている。車に乗れないとなると、歩くことが一番。自転車でも危ないだろうし。そうなると、こうしたものがよく見える。オペはまだ一ヶ月も先だ。

 

 おとなりさんちの「皇帝ダリア」。我が家の物は枯れてしまった。青空には映える花なんだけれど、あんまり高くてよく見えない。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは呼吸することではない。行動することだ。」というジャン=ジャック・ルソーの言葉から。ただただ日々を無駄に過ごしていることは、意味がない。意味が無いということはその一日を生きた意味が無いとも言える。そんな日々を、明日も明後日も、まだまだ積み重ねるのかどうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ザクロの実 憂き世の欲を 考える

2014年11月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、朝方は小雨が降っており、気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は15度から17度、湿度は86%から55%、風は3mから2mの北北西の風が少し。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 雨の月曜日というのは気分的に落ち込みがちになる。このままでは出かけることもできないし、取り立てて行きたい場所もないし・・・ということで、今日はデスクワークに打ち込むことにした。かと言って、難しいことはやりたくない。

 

 ということで、久々に名刺を作ることにした。ところが、アプリケーションが入っていない。仕方がないので、本箱をガサゴソとやって、アプリ用のCDを探し出してインストール。完了したので再立ち上げが始まると・・・またも、あの、CDをセットせよというメッセージが・・・。

 

 で、またも本棚をガサゴソと探して「修復CD」というものを見つけ出して、システムの修復作業・・・。その後、ようやくに作業にかかったら・・・名刺用紙が古くて印刷がずれてしまう。覚悟を決めて、山道をおそるおそる走って・・・。

 

 量販店で印刷用紙ほかを購入して戻ってみれば、昨日のさぬき市の文化祭の片付けが早く終わったからと奥方がいる・・・。せっかく「ラ王」袋麺を買ってきたのに食べられない・・・。今日は奥方の作ったカレーうどんになってしまった。

 

 奥方は午後のお仕事に出かけて行った。夕方までは戻らない。

 

 幾つかのパターンで名刺を作ってみたが、どれもこれもしっくりと来ない。少し前に作ったパターンが見つからないのだ。

 

 これは裏側で、オモテはこちら。

 

 今月末にはバスツアーがあるので、その時用・・・。

 

 わが家近くの防災工事現場。岩盤が硬いようで、ガツンガツンという大きな音が響いてくる。岩盤を砕きながら作業をしているみたい。その音も少しはストレスになってくる。

 

 さて、昨日の講演会の席で、一緒にバスツアーをしている大先達さんが、私の作ったこの本が欲しいとおっしゃる。なんでも、今度は教育委員会へ持ち込むのだそうだ。

 

 ところが、これを五部ずつ印刷すると、インクが切れただのインクを交換しろだの、用紙切れだの用紙が詰まっただのとうるさいことだ。一部、千円でもいいと向こうさんはおっしゃるが、本当に千円をいただきたいものだ。結局、インクを六色とも交換したので六千円に用紙代が千円ほどの出費。

 

 午後からは空が明るくなって晴れ間が広がってきた。今からでは恒例の散歩に行く時間はない。干した傘の片付け、洗濯物の取り込み、お風呂の掃除に、迷犬ごんの散歩・・・。夕方は忙しいのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「名刺の肩書きはほんとうの自分ではない ほとけさまやかんのんさまは人間のような名刺は持っていない」という「相田みつを」さんの言葉から。今日、名刺を作ったばかりの私には耳の痛いことばなのだが、所詮、この娑婆では名刺がないと面倒でいけない。阿弥陀さんやお釈迦さんのように唯一のものならば名刺もいらないだろうが、メルアドとかURLとか、この世ではこれがないとつながっていけないのだ。お浄土にまでは名刺を持って行こうとは思わないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


しぐれては 片づけ終えて 日が暮れる

2014年11月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、九州の南にある前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、雨が降っている。気温は13度から16度、湿度は84%から94%、風は2mから1mの北の風が少しばかり。明日の10日は、寒気の影響で雲が広がりやすいが午後からは晴れそうとういう見込み。

 

 今日はさぬき市寒川町にある「寒川農村環境改善センター」での講演会があって、そのお手伝いの日。

 

 制服に着替えて、会場準備のために午前8時に現場トーチャコ。

 

 テーブルを並べ、イスを運んで並べていく。みなさん、手慣れたものだ。

 

 こうして100人分の席が用意できた。

 

 今日は「弘法大師信仰と四国遍路」講座の第二回目で、「四国遍路とそれを支えた文化」ということで、徳島・鳴門教育大学副学長、大石雅章先生の講義。

 

 第一回講義は9月中旬にあった。

 

 空海と名乗る前、教海とか無空とかと名乗った時代に四国で修行したことが記録には残る。阿波の大滝岳とか室戸岬などであった。その後、西行や一遍などが四国で修行し、その後も多くの山伏や修行僧が海辺をたどる「四国辺地(へじ:へち)」「辺路(へじ)」が流行した。その時代に宿も茶店もないのだから、彼らはどうして生きて行けたのか。

 

 そこには「行乞(ぎょうこつ)」とか「乞食(こつじき)」と呼ばれる「修行」があった。門付けして幾ばくかの喜捨をいただく行為であった。それがやがての「おせったい」になったのではないかと先生は言う。

 

 四国の遍路がどうして始まったのかという話は前回でも聞いたが、今回新しく紹介されたのが、「後藤家文書」で、行き倒れ辺路の処理や病気辺路への対応などを記した庄屋さんの記録である。

 

 そこにはライ病辺路でも往来手形を持っていると、普通の人と同じような扱いを受けられたとか、往来手形を盗まれた辺路にも辺路としての対応がされたが、往来手形のない者は「乞食体」としてうち捨てられた・・・というものであった。こういう文書は迫力があった。

 

 最初と最後は最近のお接待のお話になったが、「お接待」というのは、物やおかねを施すことではなくて、自分の身代わりとしてのおへんろさんにお願いする行為、お大師さまへの供物であり、与えて見返りを求めない行為、与えっぱなしでいて、こころが豊かになる行為・・・などと言われて、二百年以上も続く文化なのである。

 

 お接待を通して、人間と人間のこころの交流があるのだと、大石先生は結んだ。

 

 9時半から11時半までの2時間の講義にみなさんはうなずかれたりメモを取ったりとしていた。

 

 講義が終われば、会場の片づけ。こういうのが私たちのお役目。講義を聞くのは役得みたいなものか。10分ほどですっかりと片付いてしまって解散。12時前には自宅に戻ってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山ほど裾野が広い」というもの。子どもの頃、砂場で山をつくったとき、高い山をつくるには、裾野を広くする必要があることをだれでもが経験したのではないだろうか。脳科学者の池谷裕二さんは、『ゆらぐ脳』の中で、「研究を積み上げるには裾野を広げることが大切。どれだけ、同部門のサイエンティストと異なる分野の刺激を受けているかが、研究成果の分岐点になる」と書いている。一般的には「視野が広い」とか「引き出しが多い」とか「ポケットが多い」とかと言われることもある。今日の大石先生の講義を受けてきて、「高い山ほどすそ野が広いなぁ」と感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


もみじ散る 狛犬談義の 寺の朝

2014年11月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は10度から16度、湿度は80%から50%、風は1mから2mの北北西の風が少し。明日の9日は、前線を伴った低気圧が四国の南海上を通過するため、雨が降るらしい。

 

 「引き籠もっていては病にとりつかれる」というような話を聞いたので、それもそうだな・・ということで、山道経由で紅葉の名所となっている「大窪寺」に行ってきた。先週の今週だから・・と期待をしたのだけれど、なかなかに今年の紅葉はしぶといぞ。

 

 ま、今日は曇っているので紅葉の赤が輝いていない。

 

 この人は完全武装・・・。左脇の白い筒のようなものは「望遠用の交換レンズ」で足元からがっちりと固めている。

 

 紅葉を見つめる目も真剣そのもの。

 

 ときおり、雲間から漏れる光線で輝くもみじたち。一斉にシャッター音が連続する。

 

 今日は土曜日のせいかおへんろさんも多い。関東からのおへんろさんの声も聞こえた。とある家族連れのおへんろさんの会話・・・。

 「狛犬はどうして、口を開けたのと閉じたのがいるんだろうか・・」
 (・・・・・・・)家族達は無言。
 「どうして質問に答えないんだ・・」
 (お父さんの声にはイライラするの・・・)
 「そうだったのか・・・」お父さんは寂しくとぼとぼと家族から離れて歩く。

 

 「おじさんね、『あうんの呼吸』って知ってるでしょ。「阿」はものごとの最初で、「吽」はものごとの最後という意味で、宇宙の始まりと宇宙の終わりとか、真実と智慧とかを表すんですよ。そういうことから「対」ということで、狛犬や仁王像なんかでは「阿形」と「吽形」と、ペアで安置したり設置しとるんですよ・・・」と余計なお世話。さすが「おへんろ観光アテンダント」。

 

 おとうさん、車の中で自慢そうに、この話をするんだろうな。すると・・「おとうさんの声、イライラするの」と叱られるのかも。おとうさんはかわいそうだ。

 

 今日は土曜日ということで一般の方のお参りも多い。お、今日から十二日まではご本尊の「秘仏開帳」だな。もう、四回も拝観させてもらったから、さすがに五回目は遠慮しておく。

 

 境内のイチョウの木は、そろそろ終盤に入ってきた様子。はらりはらりと落ち葉が舞い落ちて、それを子ども達や娘さんたちがにぎやかに拾っている。

 

 このお二人は外国人の娘さんだった。「おはようございます」と声を掛けたら、「おはようございます」ときれいな日本語が帰って来た。目はブルーだった。

 

 人が多くなりだしたので、早々に退散することにした。

 

 茶店の裏で、ジャパン・ポストの職員が年賀状を販売している。人出が予想される場所には、こうした人たちが寄ってくる。私たちも「テレホン・カード」の販売にかり出されたことがある。今でもテレホン・カードってあるんだろうか。とんと売り場を見かけないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「一年前の悩み事、言える人、いますか?」というもの。正確には、「このなかで、一年前の悩み事、いえる人いますか?いたら手を挙げてみて。いないでしょ。二年前の悩み事いえる人いますか?いないでしょ。」というもの。銀座まるかん創業者の斎藤一人さんの言葉から。なぜ、いえないのか。悩みを解決した訳でも、悩みを乗り越えたわけでもないのに、なぜ、言えないのか。その悩みは勝手に消えてしまったからなのだ。悩みは解決しなくてもいいのだそうだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


立冬に お役目済んで 日が暮れる

2014年11月07日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は寒気の影響で雲の広がっている所もあったようだが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から18度、湿度は71%から50%。風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝から雲が広がる見込みらしい。

 

 さて、恒例の朝の散歩。毎日ながめていると風景はさほど代わり映えがしないと思うが、静かに静かに自然は移ろいを見せている。これは自然薯の葉っぱと、その実のむかご。若い頃には、この根っ子を探して掘って、自然薯を彫り上げたものだが、今はそんな元気はとっくにない。

 

 1時間ほどの散歩を済ませると、今日の講演会の最終チェック。パワーポイントを使っての、香川県内にある「二十四輩さん」の紹介とか由来とか特徴とかのお話。讃岐には、実に44カ所もの巡拝地がある。一か所を1分でお話しても44分間もかかってしまう。

 

 会場はここ。高松市御坊町にある「高松興正寺別院」。さすがにすらすらと出るようになった。なぜだか、「興正寺高松別院」と書いてしまって、いろんな人から叱られた。高松別院・高松別院と呼んでいるから、興正寺高松別院だな・・と思って居たのだが。ま、そんなに頭から湯気をたてて怒るようなことでもないと思うのだが・・・。

 

 ところが、ご案内の通り、ここ最近、左目の白内障が急激に進化してきて。左目は全く見えなくなった。右目は健全に見えて居るが、左目をかばうためか、こちらも視力が落ちてきた。奥方はお仕事で朝早くから出かけて行った。どうすべぇえか。

 

 そこで、私のブログのファンである「にゃんさん」に運転代行をお願いすることになった。ところが、この人、「オートマチック車の運転はしたことがない」とか、「高松は遠いので、高速を走らせて欲しい・・」とかいう。初めてのオートマチック車で高速を走って大丈夫なんかい・・・。

 

 それはそれは、生きた心地がしなかった30分間。なんとか、興正寺別院にたどりついた。冷や汗まみれになっていた。それからは会場設営をやったりして、13時までには準備完了。研修会は13時半から・・・。

 

 この方が、坊守会の会長さん。浄土真宗では、江戸時代から妻帯が認められていたので、住職の奥さんのことを「坊守」と呼ぶ。浄土真宗においては、「坊守」は寺の機能の重要な役割を果たしており、門徒の女性たちの指導者の役割を果たしたり、門徒の悩み事などを聞く役割を担っている。ちなみに真言宗では「だいこくさん」というのだと聞いたことがある。

 (参考画像)

 坊守会の研修の一環として、今回の「讃岐における二十四輩さん」ということで講演を依頼されたもの。

 

 というような学術的なことから、

 

 というような実例をあげての現地紹介などを約1時間。

 

 無事に、講演は終わり、パソコンなどの資材を片付けて、15時前には別院を出た。その後、にゃんさんの運転で高松自動車道・高松中央インターに乗った。帰りは慣れたものか冷や汗は出なかった。わが家に帰り着いたのは15時半だった。

 

 これで、お役目を一つ終えた。お次は今月末の京都本山での「報恩講の代表出勤」。これは高速バスで行くので問題はない筈。帰ってすぐに、所属寺院の報恩講。続いて、愛媛県へのバスツアー。これが終わればお仕事もお遊びの予定はない。

 

 そして、12月11日の白内障のオペを待つばかり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。運転をお願いした「にゃんさん」と話した言葉。「生きたくても死なねばならぬ 死にたくても生きねばならぬ」という重ぉぉぉい言葉。あんまり多くを語りますまい。じっくりと味わってみたい言葉である。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


足早に 晩秋が来る 風も来る

2014年11月06日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から19度、湿度は88%から67%。風は2mから3mの北西の風が少し。明日の7日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 目覚めると雨だった。雨だろうと雪だろうと晴れだろうと、私の生活に問題はないのだが、雨の朝はなんとなく憂鬱な気分にはなる。「あ!雨だ、うれしいなぁ・・」などとも喜べない。

  

 昨夜はミラクル・ムーンだとか言われたけれど、山の中の一軒家からは雲が多くて、きれいな月は見えなかった。

 

 明日が講演会だというので、今日は最終チェックの日。でも、気分的には乗らない朝・・・。

 

 プロジェクターを接続して壁面に映像を映してみたり、

 

 配布用資料を印刷したりとやっていたら、「用紙切れアラーム」とか「トナー切れアラーム」とか・・・。こんな日に、そんなエラーは欲しくない。

 

 仕方がないから、隣町まで山道経由で行って来た。山道は道路の真ん中を堂々と走ればいい。対向車がもしも来たならば少しばかり緊張するけれど。

 

 トナーを交換して、用紙を補給して、ようやくに資料の印刷ができあがった。あんまり早くに用意しても緊張感が薄れるし・・・。

 

 できることから、コツコツと・・・。

 

 親戚のおばさんが差し入れしてくれた「烏骨鶏のたまご」で、今日のお昼は「たまごかけごはん」。少しばかり元気が出たかな。

 

 食後は恒例の集落内一周の1時間コースの散歩。昨日、病院で体重を量ったら66Kgもあったけれど、わが家の体重計では64.2Kgしかない。あの体重計はいつも多めに出るように思えてならない。

 

 いよいよ、明日は暦の上では「立冬」にあたる。まだまだ、カレンダー上では秋なんだけれど。とりあえず、明日の講演会と、11月末の本山報恩講、所属寺院の報恩講が構えている。それが終わればやれやれの師走に入る。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分自身すら自分の思うようにはならない。まして他人を自分の思うようにしようなんて無理な注文である」というもの。誰の言葉かはわからないが、この私、自分自身すら思うようにならないのだから、全くの他人さまをどうこうしようなんて、はなから無理な注文である。でも、そうしたがるのが、この私ではあるまいか。後頭部を殴られたような衝撃的な言葉ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一日が あっという間だ ススキの穂

2014年11月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたのだが、太平洋側を中心に湿った空気の影響で雲の広がっている所があった。気温は10度から18度、湿度は82%から60%、風は1mから2mの北の風が少し。明日の6日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は県立病院の「予約診察日」。月に一度の定期診察日で、薬の処方をしてもらう日でもある。先日の内視鏡の検査結果を見てもらう日でもある。

 

 朝は気持ちの良い、少しばかり肌寒いような朝でもあったが、車の通らない山道を選んでここまでやってきたので30分ばかりもかかって、ジャスト9時に病院に入った。

 

 今日は検体検査、つまり採血検査の人が多かったみたいで、10時前になって、ようやく採血が終わった。その後、この内科の受付をすませて、担当のドクターの診察を受けたのは10時15分。予定通りといえば予定通りだが、血液検査にはおよそ1時間を要するので、今日の採決の結果は来月の参考になる。来月にも採血があるが、それは再来月の参考か。それで意味があるんだろうか。

 

 食道にカビが生えているが異常はないとのこと。血液をさらさらにする「プラザキサ」という薬のカプセルの破片が食道に残っているので、薬の変更になった。ま、異常はないというのだが、食道や胃に何かが引っかかっているような違和感は残ったまんま。

 

 もう、左目は完全に見えなくなったので、経験と勘とで運転するしかないので、山道を選んでゆっくりと走る。途中のお寺の紅葉をながめたり、お寺の掲示板を撮影したりしながら。

 

 午後からは雲が広がってきて薄暗くなってきた。今夜の十三夜の月は見られそうにもない。今年は9月が2回あって、10月の23日が旧暦9月30日で、24日が閏9月の1日になったんだそうだ。こんな話、今までに聞いたことがなかった。それに、11月の21日が9月の29日で翌日の22日は10月の1日になるらしい。9月30日はどこに消えたんじゃろうか。

 

 んで、お薬がどっさり。4週間分の28日分で9,779円。病院代が3,800円。医療費はばかにならない。奇数月は年金が入らないから・・・。

 

 今日は質素にあっさりと暖かいおそうめん。大きな声では言えないけれど、缶ビール付き・・・。

 

 わが家近くの県道の防災工事。だいぶ、工事が進んだが、今年中には終わりそうにない。食後は集落内一周の1時間コースの散歩に出た。連休中も連休後もしっかりと歩いたのに、今日の体重が66Kg・・・。4Kgも増えているのはなんでやろ・・・。そんなに食べた訳でも飲み過ぎた訳でもないのだが。

 

 曇ってくると日差しがなくなって気温がぐんと冷え込んだような気がする。

 

 散歩途中で見つけたつわぶきの花。こんなところにもあったのか。

 

 これまで、カメラのファインダーは左目で見てカメラを操作していたのだが、左目が見えなくなってくると、カメラのオート・フォーカスにお任せして、シャッターだけ押していたのだが、それでは皆目、何を写そうとしたのかわからない。これは困ったぞと思ったが、見える右目でファインダーをのぞいたら、こちらははっきり、くっきりと目標物が見える。こんな小さな発見でもありがたいなぁと思ったりする。

 

 いつもの「正行寺さん」の掲示板。「私の口から出たグチや悪口を一番近くで聴いているのは私の耳である」というもの。グチや悪口を言うのはやめようよ。あなたの愚痴を一番近くで聴いているのは自分の耳だから。同じ口にするのなら「おかげさま」「ありがとう」の言葉にしよう。なによりいちばん近くで聴いている自分が幸せになれるんだから。 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


菊花展 我慢がまんの 日が過ぎる

2014年11月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今季最低の7度から17度、湿度は70%から54%、風は2mから3mの北北東の風が少し。秋らしいというか初冬らしい気候になった。明日の5日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 左目の白内障の進化が早い。まるきり左目の視力はない。だから右目も疲れてきているみたい。このままでは自動車には乗れそうにない。

 

 ということで、歩いて2Kmほどの所にある「みろく自然公園」までウォーキングしてみた。パソコン画面も見づらくなったし、読書はさっぱり読む気がしない。テレビもおもしろくない、ラジオもマンネリ気味。歩いてみようか・・・と歩き出したけれど。

 

 昨日の大窪寺のガイドはコースを4周、事前に紅葉見物ほかでも歩いていたので、やや足の筋肉がお疲れ気味。ここまで来るのに40分もかかってしまった。のろのろペース。

 

 こちらがわは「厚物」がずらりと。やっぱり菊というと、これかな。

 

 菊花展というのは、たいてい、11月の15日あたりまで。ここの菊もややお疲れ気味。

 

 ここも「管物」が多い。最近はこういうのが好まれるんだろうか。

 

 小菊の「梵天」も味わいがある。菊の手入れも大変らしい。

 

 近くにある「手打ちうどん・まるたけ」さんで昼前うどん。朝からでもお客さんが多い。

 

 恒例の「わかめうどん小」で280円だったか。別にわかめを食べて髪を黒くふさふさにしたい訳ではないが、なんとなく、ついつい、わかめうどんを注文してしまう。

 

 地図が悪いが、このみろく池を一周してきた。すると、大勢の人がこの公園をウォーキングしたり、ランニングしたり、散歩をしてはる。みなさん、元気なことだ。

 

 ここでも紅葉はまだまだ。先っぽのあたりが色づいている程度。多くは緑色の葉っぱばっかし。

 

 さすがに昨日の今日はパワーがでない。休み休みのウォーキングだから少しも身体には影響しない。

 

 この時期になると、これだけ歩いても汗が流れるようなことにはならない。少しずつ、少しずつ、冬は近づいて来ている予感がする今日このごろ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中の大事なことって たいてい面倒くさい」という宮崎駿さんの言葉から。

 「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』ってことになる。世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないとこで生きていると面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」 

 クリエイティブ、イノベーションなど、社会に新しい価値観を示すものは、「面倒くさいこと」の積み重ねの末に生まれ出るものではないだろうか。今の日本の社会のように「面倒くさいこと」を排除、遠ざけてばかりしている限りは、きっと、社会は良い方向に向かうことはできない。そして、「大事なこと」をも失ってしまいそうな気がする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ようやくに もみじしみじみ 山の寺

2014年11月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から17度、湿度は51%から48%、風は5mから4mの北西の風が強かった。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 ということで、今日も三日連続で四国霊場88番札所の大窪寺に出勤(!)。今日はよく晴れていて気持ちのいい秋晴れ。私がここに着いたとき、この御成門が閉じられた時だった。というのも、ここでは秋祭りなのか獅子舞の賑やかな音が響いていたのだ。

 

 ま、おまつりがメインではないので深入りはしない。

 

  今日は「さぬき市へんろ88ウォーク」の日で、深まる秋の中、さぬき市の特色である四国霊場八十八ケ所の86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺までを遍路道や史跡・文化財を巡りながらウォーキングを楽しもうというイベントの日。

 

 ①おへんろ健脚コース(約26km、約6時間)
  さぬき市役所⇒86番志度寺⇒87番長尾寺⇒前山おへんろ交流サロン⇒細川家住宅(国指定重要文化財)⇒88番大窪寺
②おへんろのんびりコース(約11km、約3時間)
 前山おへんろ交流サロン⇒細川家住宅(国指定重要文化財)⇒88番大窪寺
③おへんろらくらくコース(約5km、約1時間30分)
  旧多和小学校⇒88番大窪寺

 の三コースで行われた。

 

 現地には9時集合となっていたが、誰もいないので境内を散策して紅葉見物。紅葉は来週か再来週が見頃だろうか。この頃には誰もカメラを構える人はいなくて、私が紅葉を独り占め。

 

 阿弥陀堂前のイチョウの木は今が見頃だろうか。

 

 スタッフ達は10時頃に勢揃い。準備も万端に整った。一番近いらくらくコースの先頭がゴールしたのは11時過ぎ。それからが私たちの出番。ゴールした人の中で希望者を募って、「知られざる大窪寺」ということで、大窪寺のボランティアガイドである。

 

 ここのお寺の本堂と多宝塔を結ぶ線が、若干、参道とはずれている。つまり、参道と、本堂と、後ろにある奥殿の多宝塔が少しずれて 斜めになっている。その訳を説明したり、

 

 紅葉して落ちたイチョウの葉っぱで遊んだり、楽しみ方を教えたり。もちろん、ガイドをする会員さんのセンスと方法と知識でそれぞれ。マニュアルはあるが、そんなものはどうでもいい。

 

 最後の健脚コースは午前8時に志度を出発して、26Kmを6時間で歩いて、午後2時過ぎにゴール。そのメンバーの中に最後のお客さんがいた。

 

 中国からお勉強に来ている四人の娘さん。案内するのは渡邊会長。この人、中国語が話せるのだ。

 

 中国も広くて、樹木のない砂漠地帯から来たというので、渡邊会長はお遍路やお寺の説明はほとんせずに、こういう庭園や樹木ばかりを見せて案内した。四人は、とくにこの庭園がお気に入りで何枚も何枚も写真を撮り続ける。

 

 最後には、引率役のさぬき市職員を含めて、会長ともどもに記念写真の撮影しておしまい。

 

 今日の掲示板はこれ。「秋の紅葉は美しいけれど 光があるから目に映える」というもの。真っ暗な闇夜に紅葉を見ても、紅葉は見えない。真っ白な濃霧の中や朝霧に立ちこめるあさぼらけの中でも紅葉は見られない。そこに闇夜を切り裂くような光が差し込んできたとき、ものごとの姿が現れて輝き、秋の紅葉が浮かび上がる。それこそが真実であり、それこそがまことである。私たちの生きるという誠は美しいけれど、さらに、それを照らし出す「光」があるからこそ、輝いて見えるいのちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


朝寒に 犬急がせる 蜘蛛の糸

2014年11月02日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は日本海から南下する寒冷前線や寒気の影響で、雲が広がり雨の降る所があったらしい。気温は16度から20度、湿度は86%から66%、風は2mから3mの西北西の風が少し。明日の3日も寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日も朝から曇ったまんまでどんよりとした一日になった。

 

 今朝もイノシシが道路脇の山を荒らしている。これはクズの根を掘ったもの。これで道路が崩壊したこともあって、大騒ぎしたのも記憶に残る。

 

 これがクズの葉っぱと花。

 

 クズの根は、漢方薬の「生薬」として使われて、「葛根湯(かっこんとう)」などとして有名なもの。古くから、「葛餅」として食用にもなっていたし、飢饉などのときには、これで作った根餅は一種の救荒食として利用されていたと考えられる。 イノシシは、それを実践しているらしい。

 

 さて、今日も大窪寺だ。今日は、さぬき市観光協会の実施する「ルンルンバスツアー・お姫さまコース」。さぬき市役所からバスで大窪寺までやってきて、昨日の研修で使った「お大師堂」の拝観やら紅葉鑑賞。そのガイド役を「おへんろつかさの会」が担当する。

 

 お姫さまたちは、再びバスに乗って87番札所の長尾寺に向かった。そこでは「点心料理」を頂いて境内を散策して、おへんろつかさの会員からガイドを受ける。その後、さぬき市役所に戻って解散。

 

 ま、昨日の今日だから、紅葉にはそんなには変化がない。

 

 でも、日、一日と紅葉は進む。

 

 午後からは、またも、例の「讃岐の二十四輩さん」の資料の点検と読み合わせ。

 

 一ヶ所で、こんなにたくさんの説明はできない。だから、この部分では、こことここの説明だけ・・・みたいなコツが必要。そのポイント探しが必要。かと言って、これらを削ると、なんかアジもコシもなくなってしまう。

 

 で、明日はさぬき市教育委員会主催の「88ウォーク」で、これまた、大窪寺に行く予定。ま、パソコンをカタカタやっているよりかはいいか。

 

 今年もサンシュウユの実が色づいてきた。夕方の散歩では少しばかり肌寒さを感じるようになった。少しずつ冬が近づいてきているみたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなことなんてない、それだけが確かなことなんだ」というもの。映画、「ビューティフル・マインド」は集団における個人の意志決定メカニズムを定式化した“ゲーム理論”を構築し、後の経済学理論に大きな影響を与えノーベル経済学賞を受賞した実在の天才数学者の数奇な人生を「グラディエーター」のラッセル・クロウ主演で映画化した人間ドラマ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


紅葉も 今一歩なり 結願寺

2014年11月01日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は西日本にある前線の影響で雲が広がり、夕方からは雨が降るらしい。気温は17度から20度、湿度は96%から84%、風は1mから2mの東南東の風が少し。明日の2日は、前線は次第に南下するが、寒気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 まるで墨絵のような、水墨画のような朝・・・。我が家から南に進んで東かがわ市五名(ごみょう)経由でさぬき市多和槇川地区にある、四国霊場88番札所大窪寺に向かった。

 

 今日は第八期おへんろつかさ養成講座の五回目で、大窪寺研修のサポートのためである。私は駐車場係。受講生を駐車場に誘導するガードマンみたいなもの。これが制服である。輪袈裟に名札も用意した。

 

 今日の講義は、この大師堂で行われるので、あらかじめ座布団だのお茶だのスクリーンだのを運び込むのだが、この大師堂には入れない。

 

 実は、その地下にある「お砂踏み場」が出入り口になる。普段は、ここは有料でのみ入れるのだが、今日は特別。

 

 お砂踏み場と言っても、こういうそれぞれの札所の本尊とお軸が安置してある。

 

 これが、大師堂の内部。向かって右にお大師さまが居られるので、その正面はあけてある。左手からおへんろさんが拝まれるからである。今回の受講生は36名中34名とのこと。

 

 今日の講師は四国歴史学会の藤井洋一先生と、ここの住職さん。この周辺のおへんろさん事情を講義された。

 

 駐車場係が終わると、せっかくだからと境内を散歩してみた。こういうことも大切なようで、大師堂が分からないと迷っていた受講生二人を案内したり、おへんろさんに簡単なガイドをしたりもした。境内のいちょうも部分だけれど黄色くなっている。

 

 紅葉の方は一割から二割程度だろうか。まだまだ、緑の葉っぱが多く眼に付く。

 

 今日は天気が悪いからか、連休だからか、おへんろさんの数は少なかった。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。大窪寺門前にある「八十八(やそば)庵」というお土産屋さん兼うどん屋さん。

 

 うどんはこの時期には「打ち込みうどん」がおいしい。一人前で850円。先代が女体山から流れ出る清流に注目。この美しい水でうどんを打ち、お遍路さんに食べてもらおうと1960年に創業した。打ち込みうどんはオープン以来の人気メニュー。豚肉やダイコン、サトイモ、ニンジン、ゴボウなど旬の野菜を煮込み、自家製味噌で仕立てた優しく懐かしい味が、長旅を終えたお遍路さんを「お疲れさま」とねぎらう。

 

 午後からは、今年の日記の整理とまとめをブログ記事から抜き出し中。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 くやまず くらべず くにせず くさらず くじけずに」というもの。この語源を調べてみたけれどわからんかった・・・。確かに、これらのことを心がけて生きて行ければいいのだろうけれど、なかなかに難しいことがらばかり・・・。悔やんでも、比べても、苦にしても、くさっても、くじけても、ありのままに、南無阿弥陀仏のお念仏に救われるしかない私たち。風の流れに、雲の流れにまかせきるしかない私たちでありますことか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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