名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

言葉は違うが、意味は同じ

2014-08-25 | 宗教
仏教は膨大な数の経典が存在します、
小乗仏教、大乗仏教、すべて合わせると、7千巻以上の
仏典が存在すると言われています。

小乗仏典 とは、
原始仏教経典 とも呼ばれています。
これは、釈迦が直接弟子に伝えた教義です。
『阿含経』がその代表格の経典です。

大乗仏典 とは
出家信者のみを対象とせず、在家信者( 一般人の信者 )にも
仏教を広めるために書かれた経典です。
代表的な経典としては、
『維摩経』『般若心経』『華厳経』『法華経』などが挙げられます。

仏教と一口に言っても、
これほどの種類の経典が存在しています。
これらの経典は、それぞれ独特な個性を持っていて、どの仏典が、
釈迦の説いた仏教、釈迦の本意を記した経典なのか特定する事は
不可能に近いとも思われます。
そんな背景のなかで、親鸞は、

「  大無量寿経  」
 ( だいむりょうじゅきょう )」

こそが、釈迦の真意を伝える経典であると断言しました。


『大無量寿経』の閉めくくりには、このように記されています・・・・

「 やがて、法華経 など一切の経典が滅尽する日が来るかもしれないが、
この『大無量寿経』だけは永遠に残り、
必ずや、すべての人々を絶対の幸福に導く事ができるでしょう・・ 」

『大無量寿経』が説くところの教えとは、、
「 阿弥陀仏の本願 」です。
ならば、その「 阿弥陀仏の本願 」とは?

ここが肝心であるはずですが、大無量寿経を読むと分かると思いますが、
その肝心な 「 阿弥陀仏の本願 」を具体的な言葉で、分かりやすく説明している訳ではありません。

「 極楽浄土に生まれたいと願う者は皆、仏になることが約束され、
阿弥陀仏の名号を聞信し喜び、心から念ずれば往生が定まる 」

大無量寿経のこの記述が、 「阿弥陀の本願」 を説いている部分であると思いますが、
サッパリ意味が分かりません。

「 ただ、ひたすら南無阿弥陀仏と唱えなさい 」
と言う言葉にしか取れません。

私は親鸞聖人を尊敬している人間ですが、
親鸞の言動が ‘ 絶対 ‘ だとはおもっていません。

親鸞が7千巻以上の仏典をすべて読破する事は不可能であると思います。
にもかかわらず、
親鸞が「 大無量寿経 こそが最高の経典である 」と断言されています。
この言葉は尊重すべきだとはおもいますが、

理屈で考えてみると、大きな無理があるように感じられます。

原始仏教である、『阿含経』には、
「諸行は無常」「移り変わるものは苦しみである」、「諸々の存在は無我である」
と記さています。

「大乗涅槃経」には、
「一切衆生悉有仏性」(全ての衆生は仏となる可能性がある)というような事が説かれています。

「大無量寿経」には、
『阿弥陀の本願』のみが説かれています。

この膨大な仏典のなかで、『釈迦の本意』 を説いた仏典はどれだ????

私が思うに・・・

この答えは永遠に出す事が出来ないと思います。

なぜなら・・・どの経典も、間違った事は言っていないからです。

「 間違った事 」は言っていないが、「 違った事 」を言っているに過ぎない。

?????? 意味分からん・・・・とお感じのことと思いますが・・・・

夏目漱石がイイ事、教えてくれました・・・

漱石、英語教師時代のエピソード・・・

生徒が "I love you"を 『 我君を愛す 』と訳しました・・・・

このとき・・・漱石は言いました、

「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、と訳しなさい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが、「 間違った事は言っていないが、違った事を言っている 」
という意味です。

「 "I love you"  」 も  「 月が綺麗ですね、」 も
言葉は違うが、意味は同じ、


その言葉を発するひとの感性と、受け取る人の感性次第で、
根本( 本意 )は同じでも、
言語( 経典 ) が全く違ったモノになるだけのことなのです。












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