名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

勝て奢らず・・ 負けて委縮せず・・

2024-08-09 | 思う事


私がサラリーマン時代のことです。

同じ会社にM君という同僚がいました。

このM君、年は私と同じだが、
会社のなかでは私の後輩でした。

彼は私の当時働いていた
会社に中途採用で入ってきました。

右も左も分からない彼に対して
早く職場になじむ事が出来るよう色々気配りをして
出来る範囲内であるが面倒を見てあげていました。

彼は気さくで愛嬌のある男でした。

彼と出会って約4年後の事です。

私は兄弟会社に出向となりました。

私が出向した会社では 竹〇 様
という実力者が私を可愛がって下さいました。

幸運にも、竹〇様のおかげで、
治外法権の状態のなか、
 至れり尽くせり の待遇となりました。


それから約6年の歳月が流れました。


私は再び元の会社に戻ることになりました。

元の会社の戻り、M君と再会、
6年前、まだ平社員であったM君は
私と同格の職位に着いていました。

彼もこの6年間、
相当努力したのだろう・・・・

彼のスピード出世を嬉しく思いました。

しかしながら・・・・

このとき会社の情勢は極めて不穏な状況でした

会社は長い不況のあおりで 
リストラ戦略 を開始していたのです。

会社の立場もよく判ります。

リーマンショック以降、
今までの経営体制を維持することは
不可能です。

厳しい自由競争のなか会社か生き延びてゆく為には
綺麗ごとだけでは済まされない。

残念ながらこれが社会の実態です。

会社はとにかく人件費を削減したい。
  人員を減らしたい。

企業は数字で動いている。

会社の方針として
人件費を30%減らせと言う事になれば、

法律に触れない限りどんな
事をしてもそれを達成しなければなない。

そこに 「人情」 だとか 「昔の恩」 「過去の実績」
 などという甘い理屈は通用しない。

子会社の責務とは、は親会社(某・財閥系メーカー)
から下された「数値目標」のみ。

そういった
厳しさのなかで経済は動いていると思う。

会社は、給料の高い役職者に対して、
 揚げ足を取りを始めました。

何か理由を見つけて降格させようと、
目を光らせていました。

連日の激務・・
嫌ならいつでも辞めてください・・・
という高圧的な態度で
社員を追い込んでいました。

私が会社に戻ったときには
既に3人の役職者が槍玉に上げられ
降格されていました。

私が元の会社に復帰したことは、
結果として、職場の生態系 
を乱す事になってしまいました。

私が復帰した事により
会社はあと1人生贄
を見つけなければならない。

役職をもつ人間のあいだには
不穏な雰囲気が常に漂っていました。

役職でない社員のなかには
劣悪な待遇に耐え切れず
最終的に 自主退職 に追い込まれた
人間も多くいました。

誰しも生活がかかっている。
降格の犠牲者になりたくない。
仕事を失いたくない。

でも、誰かあと最低1人は
降格の犠牲者となる。

私も、M君もその例外ではありません。

そんな状況下で、
M君は信じられない態度に出ました。

M君、私の足を引っ張るような
行為を始めたのです。

初めは、些細な嫌がらせでしたが、
それはだんだんエスカレートして行きました。

いつしか彼は
露骨に大人気ない
嫌がらせをするようになっていました。

昔の恩を忘れて、
今になって手のひらを返したように
私に牙を向けてくる。

彼は私の評価が落ちるような状況を
意図的に作り出し、私を追い込んできました。

何とも哀しい現実でした・・・

とにかく生き残ろうとする
意欲はある意味立派にも思える。

同じ同僚のなかには追い詰められて 
遂に最後は人間として
 ‘ 最悪の選択 ‘をした人間もいる。



最悪の選択をする者より、
M君のほうがまだマシなような気がする。

彼の気持ちもよくわかる。

彼の行為を軽蔑する気持ちもない。

そういう人間になってしまった彼
自身も犠牲者のひとりであると感じた。

M君は6年間必死になって働き、
 今の立場を勝ち取った。

私はその間、
他の会社で涼しい顔をしていた。

そんな私に自分の立場を
脅かされたくないのだろう・・・

彼の執拗な攻撃に対して
哀しい思いが込みあげてきました。

本来なら、彼の行為に対して
怒るべきであると思った。

曲がった行いに対して抗議しないと、
彼は更に暴走する事になるだろう。
本来なら、不当な攻撃を受けたなら、
怒るべきである。

それが、ある意味相手に対する「親切」である。

しかしながら・・・
彼に対して「 やられたら反撃する 」 
などという気が起きてこなかった。

それは、決して私が寛容であるからではない、
戦わない理由は単純である・・
「メンドクサイから」
「怒ると疲れるから」

即ち・・
私の意志の弱と、
私の怠慢である。

彼に対して注意したり、抗議したり、
議論する行為は、
多くのエネルギーを消費する。

冷酷な私としては・・・
結果的に彼が自分の墓穴を掘っていても、
毎日の仕事を乗り切る事に精一杯な状況で
無駄なエネルギーは使いたくない。

それ故に、争いは避けたい・・



彼にも家庭がある。

降格させれたら困るだろう・・・・
でも、そんな事を思っていたら、
自分はドンドン追い込まれるだろう・・・・



サラリーマンとして生き残るには
反撃する闘志が必要、
でも、そんな土俵で戦いたくはない。

勝ったとしても、
虚しいだけだ・・・

約1年間、彼の攻撃に対して 
ひたすら無抵抗を貫いた。

これはある意味私の弱さだった。

「 武士の礼 」 
を持って相手に一撃を加える。

これが最も適切な方法だったかも知れない。

もっとも、
すべての人がM君のような状態に
変貌したわけではない。

なかには
 あくまで紳士的に公正な態度を貫いたひとも多くいる。

そういう人に共通することは、
「圧倒的に仕事の能力が優れている」
という事であった。

誰しも生き延びなければならない。
こういう状態では
未来の事など考えておられない。

全員が、
一日を後切る事だけで精一杯、

毎日仕事が終わると、 
「 今日も何とか乗り切った・・・・ 」
と思うだけ。

それ以上のことを考え出したら気が狂ってしまう。

 毎日が生き残れるかどうかの瀬戸際の状態・・
まさに戦国時代でした・・

あれこれ思い悩む日々が続きました。



そんな時、ある日、突然
棚からボタモチ が落ちてきました。

ある事業をする為の
利権が舞い込んできたのです。

それは想いも寄らないところからでした。

その仕事をするにあたり、
ある程度の初期投資が必要でしたが、
その辺の備えは十分ありました。



もうサラリーマンは御免だ!!

何の未練もなく、
あっさり会社をやめました。

そのあと・・ 
某・電力会社から専属の認可をうけて、
自営業・個人事業主 なった。

45歳~58歳までの
13年間この仕事を続けることができた。

初め10年間は売上絶好調・・
サラリーマン時代より収入は増えた。

10年目以降は減少となり、
13年で廃業しましたが、

そのあとも
奇跡的に良い仕事が舞い込んできた。



幸運・不運はランダムに降り注ぐ。

チャンスとは・・
決して「心掛けが良い人間」の
特権ではありません。

私は人格高貴ではありません。

決して心優しいく
親切な人間でもありません。

それでもチャンスはいくらでも湧いてくる。

 「チャンス」「好機」とは、
心掛けとか、努力とかは無関係。

チャンスは、
心優しく慈悲深い人にも、
利己主義の強欲者にも、
私のような変人にも、
平等に降り注ぐ。



勝敗を決めるのは、

 偶然に降り注いだチャンスを逃がさず
「掴み取る俊敏性」

 偶然に降り注いだチャンスを
「見極める眼」

 
偶然に降り注いだチャンスを活かすたの準備
(備蓄)(資金力)

 
最悪を想定してそれに備える
「危機管理意識」



 ウサギ講・・・心得 

勝て奢らず・・
負けて委縮せず・・
お金は世の為、自分の為・・・



勝たねばならぬ・・・



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職業や肩書ではなく、

2024-08-09 | 自己紹介


あるお笑い芸人が自身の
ブログの中で述べた言葉・・・

 『芸人』というのは
『肩書き・職業』ではなく、
『生き方・姿勢』を指す言葉です。 



この芸人さんは、絵本を書いたりといった
文化的な活動をしているらしいです。

なるほど・・・と思いました・・・



私は、自称・「宗教家」
ですが、

宗教臭い人間や、
自分で自分を「先生」と呼ぶような輩・・
自画自賛する御方・・
極力、近付きたくないです。

私にとって、
「 自称・宗教家 」
とは、職業や肩書ではなく、

 生き方 ・ 姿勢  

世の為・・・人の為・・・とは

自分自身の「 生き方 ・ 姿勢 」が
どうであるか???

それのみが
「 世の為、人の為 」になる要因であると
感じます。



世の為人の為・・・

平和・・・・

愛!! 愛!!! 愛!!!
とファッション感覚で連呼する。

徳を積みましょう!!!  
徳を積めばそれは
必ず自分に戻って来ます・・・
その為に善行をしましよう・・

このようなお言葉を、
得意満面になって執拗に連呼されると。
捻くれ者の私は、
んん・・・・・
と思ってしまう。



人の発する「 言葉 」や 「 思想 」は
人格との相関関係はない・・
と思っているからです。

どんな立派な思想( 言葉 )を
お持ちでああろうと、
それが何????
と思っています。



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