goo blog サービス終了のお知らせ 

名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

老人になった今、改めて思う・・・

2024-09-01 | 思う事


 親鸞の和讃の一節 
 
善悪の字しりがおは 
 おおそらごとのかたちなり 



よしあしの文字をもしらぬひとはみな 
まことのこころなりけるを
善悪の字しりがおは 
おおそらごとのかたちなり

親鸞・・和讃511頁

・・・訳・・・・・・

良い、悪い、の文字を知らない人はみんな、
真実の心を持った人です。

善悪の文字を知ったかぶりして使うのは、
かえって大嘘の姿をしているのです。

・・・・・・・・・・・・


親鸞聖人は、私の知る限り、
「立派な人間になりなさい」とか、
「徳を積みなさい」・・
などという言葉は一言も発していない。

親鸞聖人は、こような「当然の事」の裏側に潜む
落とし穴を知り尽くしているが故に、

このような「当たり前なこと」
をあえて述べなかったのだろうと思う。

   

私も、
私も、ついに60歳となった。

私の自己基準では、
60歳から老人であると思っている。

老害を垂れ流さないように
気を引き締めなければならない。



老人になった今、改めて思う・・・

初心に帰って生きて行きたい。

立派な人間になろうとは思わない・・

徳を積もうなどど思わない・・

立派な屁理屈垂れる以前の問題として・・

人様に迷惑をかけず。

笑って誤魔化さず。

美談で誤魔化さず。

過去の功績に依存せず。

与えた恩を忘れて、
受けた恩を心に刻み。

謙虚に生きて行きたい・・・・

    

 今此処天国極楽浄土 

大判小判はココにあり、

♪ 大判小判がザックザク・ザック・ザックザク ♪

ココ掘れワン!ワン!!

お金は世のため自分の為、
ガメツク儲けて綺麗に使う。

一日一偽善!!!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余白ではありません!!!

2024-08-31 | 思う事


スポーツの国際競技などで目にする光景です。

国旗にマジックで寄せ書き・・・・

悲しく、痛々しい光景です。



こんなこと平気で行う国は、
日本だけだと思います。

国旗に対する敬意が感じられません。

日の丸の 白い部分は、余白ではありません

白い白紙の部分に、
目には映らない
 理念 
が秘められているのです。

この恥ずべき風習は、
大東亜戦争(俗称・太平洋戦争)
の時代からあったようです。

ひょつとしてら・・・
このことが
日本が敗戦した
要因の一つであるかも知れません。

これを規制しない
 お上 にも責任があるような気がします。

これは、
「 国旗に対する愛着の表れである、」 

と説明する人もいるかも知れません。

敬意を伴わない愛着は、
「 幼稚な精神構造 」
ではないでしょうか。

もちろん、よその国でも、
これと同じ事をする人もいますが、

オリンピックの映像を注意深く見てみると、

ごくわずかしか目に入りません。

落書きされた国旗を得意げに振り回す行為は。

全世界に日本の恥を晒す行為であると思います。

「モラルの問題として」
国が規制すべきであると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強い霊感体質

2024-08-27 | 思う事


以前、壇蜜さん・・
というタレントが
頻繁にメディアに登場していた。

私の印象としては、
不思議な魅惑・・
この、不思議な魅惑の背後には、
「強い霊感体質」
があるように感てじていた。

彼女が全盛期の頃、私は
余計なお世話だが、

大丈夫???と心配していた。

彼女の奇怪な能力は母親からの
遺伝のように感じられた。

スイッチのON・OFFを身につけないと、
このままでは、
心身が壊れてしまうかも知れないと感じていた。



いつしか、あまりメディアに登場しなくなっていた。



最近知ったことですが、
どうやら現在は療養中のようであった。

現在の写真を拝見して驚いた・・、
以前の面影はなくなり、
かなり痩せてお見えの御様子。

彼女の現状が伝わて来て、
悲しくなりました。

やはり、彼女は怪力を自分の意志で
OFFにすることが出来ない
体質であったようです。

常にONの状態を続けたら、
心身が壊れてしまう・・・

以前の華麗な姿を
取り戻す日が来ることを願っています。



私の場合・・・

ときどき、必要に迫られて
奇怪な能力のスイッチを
ONにすることがあります。

幸いなことに、
自分の力で
OFFにすることもできる。

余程の事がない限りONにはしません。

三次元世界には制約が多い。
それは人間に与えられた課題であり、
三次元の「現象世界」の制約のなかで、
正気を保ち
強く明るく生きて行くことが、
「この世」に生命を授かった人間に課せられた
課題であと思います。



仮に特殊な能力があったとしても、
スイッチのON・OFFを、
自分の意志で出来るか?否か?
が肝心な事だと思います。



常にONの状態を続けたならば、
最終的には壊れてしまうと思う。



ときどき
YouTubeプロレスを見る。

プロレスとは・・・

あくまで「エンターテインメント」
であるが、
極限まで鍛えているが故に
出来る「芸」でもある。

 プロレスラーは本当に強いのか???

 強いと思う・・

必要とあらば、
真剣勝負で武道家や、
格闘家とも互角に戦うことが出来る。

但し、プロレスラーの必須条件は

  スイッチのON・OFFができること。

ここにプロとアマチュアの違いがあると思う。

プロの条件は、
 時と、場所と、立場 
この三要素に応じて、
自分の意志でON・OFFできる者であると思う。

いつもONの状態なら身が持たない。

プロレスラーは、
ON・OFFができるから、

依頼があれば、呆れる位に馬鹿げた
面白い芸が可能となる。



プロレスラーを模範にして、
プロレスラーのような生き方をしたい。



不思議な事に私が今まで、
過去に知り合った
男性で、神通力や霊感みたいな怪力のある人は、
例外なく格闘技ファンであった。
(女性の場合はそれに当てはまらない)

プロレスラーのような生き方をしたい。



 ・・ウサギ講心得・・

ガメツク儲けて綺麗に使う。

お金は世のため、自分の為。

 一日一偽善!!!

 今此処、天国極楽浄土・・

 精進・精進また精進
修練・修練また修練 
やって出来ない事も有る、
やらずに出来る訳がない 
やって・やって・・やり通せ

大判小判がザックザク・・
ココ掘れワン!! ワン!!

勝たねばならぬ・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済なき道徳は寝言である

2024-08-21 | 思う事


 世の中
金だけではありません  



 信用は金では買えません。

 失った信用は金で買い戻すことはできません。

 人望も金では買えません。

 愛情は金では買えません。

 生命は金では買えません。

健康は金では買えません。

 家庭の平穏は金では買えません。

このようなことは、
一部の特殊な人間は例外として、
誰でも分かっていいことであり、
他人から教えられて知る事でもありません。

 

「この世」は
金で解決できないことの方が多いです。

 人間として
生きてゆくうえで、
重要なものほど金では解決できない。

ここから先が肝心です。



 即ち「たかが金」です 

その「たかが金」に頬弄して、振り回されることは、

「たかが金に負けた」
と云う意味でもある。

「たかが金」の怖さを知ることも、

「たかが金」
の奴隷とならないため条件でもある。

 それ故に・・

生きてゆくうえで、
金の扱い方・接し方
が重要な課題となる 

ある程度の金さえがあれば
その、「たかが金」
に振り回されなくて済む。

窮地に追い込まれ、
神経をすり減らさなくて済む・・・

人様を頼りにしたり、
家族を犠牲にしたりすることも避けられる。



若い時は誰しも金がない。
これは当然な事であり致し方ない。

歳を取っても・・
金に追い回されて生きている人も存在する。

特別な事情ある場合は別ですが、
そうでない限り、
此処からは自己責任です。

自己責任ではありますが・・
なんとも「非効率な生き方」
である。

「たかが金」
で解決できることくらい、
「たかが金」
で解決できるだけの金を持つ。

これこそが、文明社会の荒波のなかで



強く、優しく、
生きて為の知恵であり、
誠実さでもあると思う。



 知恵と、誠意は、
「余裕」を生む。

余裕こそが、
「目に見えない価値の有るもの」
「目には見えない大切なもの」
を守る為の「後ろ盾」

 念仏唱えても金は湧いてこない。

 神頼みしても金は集まっては来ない。

なぜなら・・
「たかが金」だからである。

 神様は「たかが金」なんぞに関与しない。

それは、
この世に生きる者に課せられた試練であり、
課題であるからだ。

 神様は民事不介入 

 神様は、善人にも、悪人にも、
すべての人に公平にチャンスを与えている。

 チャンスは万人に対して
ランダムに与えられる。

与えられたチャンスを
活かすか??
殺すか???

その選択の自由こそが、人間に与えられた特権である。

  人間には運命選択の自由が与えられている。

笑って誤魔化さず・・
呪文と化した言葉で誤魔化さず・・
前向きな意味での危機感を持つ・・

危機管理を怠る
無責任な精神論者の言葉に
惑わされはいけない。

プラス思考の仮面を被った
右脳教の言葉を真に受けてはいけない。

「試験勉強はほとんどしていないけど、
自分は善行を重ね、徳を積ん出来たので、
合格ずるはずだ。」

このような発想が通用するのだろうか??

「この世」
で生きて行くうえで、
金銭・健康・家族問題・仕事運・対人関係・
あらゆ個別の要素に対して、
「全てを包括して」、
「全てを相殺する因果法則」
など存在しない。

個別の事案に対して、
地道な努力を積み重ねた者には
それ相応の結果が必ず現れる。

これこそが、本当の
「因果報応」である。



現状を分析・・
自問自答・・
責任感・・・
先見性・・・・
持続力・・

このような
「地道な積み重ね」が
芽を出す日が必ず来るはずだ。



「たかが金」の奴隷となるか?

「たかが金」を支配することができるか?

この二つの違いが明暗を分ける。



一度の人生、金に振り回され、
金に翻弄することに
美徳などあり得ない。

世の中には、清く・・貧しく・・
誇らしげに自慢する御方も存在する。

それは運命選択の自由である。

・・二宮金次郎は言った・・・

  道徳なき経済は犯罪であり
 経済なき道徳は寝言である 

たかが金の奴隷とならないように
知恵を使うべし。



 ・・ウサギ講心得・・

ガメツク儲けて綺麗に使う。

お金は世のため、自分の為。

 一日一偽善!!!

 今此処、天国極楽浄土・・

 精進・精進また精進
修練・修練また修練 
やって出来ない事も有る、
やらずに出来る訳がない 
やって・やって・・やり通せ


 
大判小判がザックザク・・
ココ掘れワン!! ワン!!

勝たねばならぬ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「忙しい」と言う言葉は「 恥 」である。

2024-08-19 | 思う事


メンドクサイ事は先にやる。

私の知る限り、優秀な人間ほど
メンドクサイ事や厄介な事 があると
それを先にやってしまう。

そういう人に共通して言える事は

 忙しい 

と言う言葉をめったに使わない。

逆に、
いつも「忙しい」
が口癖になっている人もいる。

その人だけに偏って
仕事が多いわけではないのに
どうして
 「 忙しい 」

を連発するのだろう・・・・

「 忙しい 」をよく発する人間ほど
仕事の効率が悪く
成績も悪いように感じられる。

これは私の主観によるものなのか
それとも的を得たことなのか?

多くの人を観察した。

 やはり、有能な人間ほ
 「 忙しい 」 という言葉を発しない。

 能力が低い人ほど 
「 忙しい 」 を頻繁にいう。

なぜそうなるか?

さらに、深く観察してみると、

 有能な人間ほど、何事も前倒しにやる。
( 先に出来る事を探して行動する )

有能な人間ほど、
厄介なこと、メンドクサイ事 
を先にやってしまう

その逆に

 有能でない人間ほど、
何事も 後回しする
( 常に、後で出来ること を探している )

有能でない人間 ほど、
厄介なこと、メンドクサイ事 
は後回しにする。

即ち・・・

「 前倒し 」と 後回し を比較すると、

前倒しのほうが仕事の効率が良いということになる。

何事も 前倒し しないと損をする。

効率が良い ということは 
無駄な時間を使っていないという意味である。

無駄な時間を使わなければ、
自分がやるべき仕事が早く片付く。

 早く片付けば 焦る必要もない 

焦っていない人の口から 
「 忙しい 」 という言葉は出ない。

メンドクサイ事を先にやることは、

 時間を稼ぐ (時間を得する) 事になる。

 即ち、生命を捨てない 事になる

生命を捨てなければ 60歳で死んでも
60歳以上の年まで生きた事になる。

私は30代の頃、
そのことに気づいて
生活習慣を変えるよう努力した。

平凡 な自分が 非凡 になるには、
優秀な人の 行動を観察して、
それを 「マネル」 しか方法はない。



・・風呂に入るのがメンドクサイ・・
だから、家に帰るとすぐに風呂に入る。

・・歯を磨くのがメンドクサイ・・
だから、ある工夫をして、
人の二倍の速さで歯を磨いている。

(歯ブラシを両手に持ち、
二本の歯ブラシを使って歯を磨く)

・・後片付けがメンドクサイ ・・
後から片付けない。
何かをやっているとき
片付けながら、進行する。

・・家を出かける のがメンドクサイ・・
だから、一瞬にして家を出ることができるよう
万全の体制を常に整える。
(思い立った瞬間、
瞬時に外出できるように財布や鍵などを必ず一つの
鞄に入れて、決められた場所に置いている。)

・・自分がやらなければいけない事で・・
それが自分にとって、物凄く苦痛な事であれば
何をさておいても、まずそれを最優先にやってしまう。

(他人に対して、苦言や指摘・・
言う方も不愉快になる、出来れば避けて通りたい。
だからといって、
後回しにすればするほど、言い辛くなる)



何かに追われていても「 忙しい 」 
という言葉を発しない・・

 忙しい と言う言葉は 

  恥  であると心得る。



長年、そう言った事を 意識して自分に課してきた。

後ろから追っかけ回されているような
ストレスを感じることもある。

 「 修行 」 だと思っている。

 精進・精進また精進
修練・修練また修練 
やって出来ない事も有る、
やらずに出来る訳がない 
やって・やって・・やり通せ 

勝たねばならぬ・・・

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金運を呼び込む秘訣

2024-08-18 | 思う事


誰かに質問された・・・

「金運を呼び込む秘訣を教えてほしい。」

私は問うた・・・・・・


「あなたは、宝くじを買っていますか????」


「はい、毎年、年末ジャンボ宝くじを買っています」

私は申し上げた・・・

「宝くじを買っている人に金運がある人は皆無です。
本当に金が欲しいなら、
宝くじに夢を託すような発想は捨てるべきです、
それが第一歩です。」



宝くじとは、
理論的な裏付けのない勝負です。

宝くじに「当たる」・「外れる」
この二つを決定付ける要因とは、
「確率論」のみです。

即ち・・・博打です。

高額な宝くじに当選した人の多くは
不幸になっています。

宝くじ当選者は神様が決めている訳ではありません。

もし、神様が当選者を決めているとしたら、
「当選したから不幸になった」
などという
不可解な現象が起きるはずがありません。

「当選は天罰である」・・
という説明も成立します。



博打の勝敗を決める要因とは
「運」ではなく、
「無作為」です、

「無作為」と「金運」は相反する性質を持ちます。

無作為を当てにすると、
「運」は消え去ります。

 賭博は絶対にやらない・・・

これこそが金運を呼び寄せる秘訣です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョット待ってチョーよ

2024-08-01 | 思う事


私は
名古屋弁を第一言語としてます。

時と場所は 
わきまえているつもりです。

現代社会において
それができないものは
名古屋弁を使う資格はないと
自分に言い聞かせています。

よその地域の人間に対して、
地方の方言を乱発することは
ある意味、よそ者を受け入れない 
威嚇射撃に思える。

親近感のつもりで
方言を使っているのだろうが、
よその地域から入ってきた
人間にしてみれば 恐怖 である。

マクドナルドの店員が
 客に向かって
「 チョット待ってチョーよ 」
とは絶対にいわない。

「 少々お待ちください 」 
と言う

マニュアルに従って 
共通語を使うから
誰にも受け入れられる雰囲気が作られる。



関西で、 関西のマクドナルドの店員が

「 おおきに 」 
というだろうか?


関西弁では関西弁が
共通語であるかの如き雰囲気がある。

その、関西弁が公用語である雰囲気の
なかで、
マニュアルを守った使い分けをしている。

もし、仮にマクドナルドの店員が
「おおきに」と挨拶していたなら、
マクドナルドは外食産業の王者には
成れなかったと思う。

適切な使い分け・・・このような
「露骨でない、たしなみ」こそが、
文明人の美徳であると思う。



〇〇名古屋市長に申し上げたい

おみゃーあさん
 わざとらしい名古屋弁は 
エエー加減 
やめてチョーゥセンかー

(あなた・・
わざとらしい名古屋弁は
いい加減に
止めていただけませんか?)



市長が頼りなくても、大丈夫
行政は役人が動かしている。
 
良くも悪くもこれが日本の実情であると思う。



日本の役人は世界一優秀であると思う。

確かに腐敗している部分は多くある。
腐った役人も多く存在する。

多くの問題や矛盾も存在することも確かである。

しかしながら・・
外国の役人と日本の比較をしたなら、
日本の役人は飛びぬけて優れていると思う。

都国との比較に於いては、
日本の役人は世界一優秀であると思う。

これは聖徳太子の説いた
理念が絶える事無く受け継がれている
からだと思う。

とはいえ、ごく一部の、
腐った役人は成敗すべきだと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よく疑ってから判断してください

2024-07-18 | 思う事


詐欺師は必ず言います

  私を信用してください 

この言葉はあくまでも、
相手が発する一方的な主張です。

「その言葉」で信用すると痛い目に遭います。



清廉潔白で善良な人間も・・

 私を信用して下さい

・・・と言います。

もし仮に、本当に
純粋で清廉潔白なひとであったとしても、

「信用」とは別問題です・・・

右脳のみで物事を判断する
右脳癖であったり・・

社会経験に乏しい世間知らずであったり・・

何でも笑って誤魔化すだけの、
ただ単に「単純なひと」・・
である可能性もあります。



私には経営センスがあります!!!
(ならば、今現在は富裕層??)

私は以前、
事業で大成功した実績があります!!
(いま現在はどうなの???)

私は以前、一流企業の社員でした!!
(ならば、どうして・・
そんな立派な会社を辞めたの???)



自分の能力を・・
自画自賛するひとも存在します。

これも同様です。

自画自賛とは・・
多くの場合、
「自己満足」の押し売りです。

自画自賛を「プラス思考」と思っている輩も存在します。

「自己満足・思い込み」
これは、
「客観的な実績」とは別物です。

概して、実力や実績がある人ほど、
自画自賛をしません。

中身の濃い人間は、
黙っていても、周囲は一目置くものです。



どちらにせよ・・・

「信用する」「信用しない」の判断を決定するものは、

「自己申請」でははありません。 

信用を裏付ける要素とは・・
受け取る側の感覚と判断のみです。



ならば・・・どういう姿勢が適切か???

どのような言動が適切か??



 「信じる、信じないは貴方の自由です・・
まずは、よく疑ってから判断してください」

こういう人間に私はなりたい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇怪な古文書

2024-07-11 | 思う事


 竹内文書 

古事記より古いとされる
日本最古の文書?? ・・・
と称する奇怪な古文書
(その原本は一度も公開されたことはない)

この古文書の話を
を持ち出してくる団体や、集団には要注意。



信じる信じないは個人の自由であり、
信じたからと言って別に
害はないかもしれませんが・・・・

 怪しい宗教団体や、カルト団体が、
信者を勧誘するとき、
興味を引くネタとして、
このような奇怪な説を利用することが多い。



竹内文書は好奇心を奮い立たせる
SFチックな内容である。

実は、私も二十歳前の、若い頃は少し信じていた。
・・と云うよりも、
『信じたかった』が正解かも知れない。



「 ひひいろがね 」と云う、
超合金が太古の日本に
存在していた・・・云々・・

太古の日本には「天の浮舟」と
呼ばれる飛行機が存在していて、
古代天皇はそれに乗って
世界を巡った・・・云々・・

残念ながら・・未だかつて、
そのような金属や飛行機が発掘された記録はない。



かつて世を騒がせた、オーMもこのような
竹内文書に記された
荒唐無稽な記述を紹介して、
布教活動や、信者獲得の為に使っていた。



最近も
ある新興団体の職員をしている、
ある人物が、
竹内文書を題材にした最もらしい動画作り、
ユーチュ等で、発信しています。

このYouTubeチャンネルは
某団体の某職員の個人名(y▲)で
開設されていますが、
編集技法は素人レベルを超えています。
たぶん、この団体の広報局などのバックアップで
制作されているようです。

某団体・・
「誰々は、誰々の生まれ変わり・・・」
などどいうカルトチックな話を除けば、
ある意味、
理論的で、知的な団体だと思っていましたが、
こういう手法に対しては、
疑問を感じてしまいます。

たぶん、このような動画を制作している
関係者、スタッフ、y▲氏御本人も、
竹内文書の内容など
を信じていないと思うのですが・・・

科学的根拠のない
荒唐無稽な話をして、人々の関心を引く
幼稚なな手法はいつの
時代に存在すると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何事にも波がある。

2024-06-09 | 思う事


成功の秘訣・・

 事業や仕事が好調な時こそ
危機感を持つ 



何事にも波がある。

事業が好調なとき、
何をやっても上手く行く。

事業が不調なとき、
何をやっても裏目に出る。

事業や仕事の
好調・不調の波は無作為にやって来る。

「波」の背景に精神性は関与しない。



成功の秘訣とは、

 無作為に襲来する
「波」に左右されない体制を築くこと 

その為に必要な心構えとは、

「好調の波に乗ったとき、上手く行ったとき、
油断しない。」

 好調な状態がいつまでも続くハズがない

冷静に状況分析して、
起こり得る危険性を想定して、それに備える。



よくありそうな話・・

 Ⅹ君・・思い付きで、
ベンチャー企業を始める。

 幸運にも、大当たりする。
売り上げ好調、夢が膨らむ。

 事業を拡大して、支店を作る。
売り上げ好調、更に夢が膨らむ。

 このまま拡大し続ける・・
と云う妄想に取り憑かれる。

 自分は経営センスがある!!!と思い込む 

こうなると、誰の意見や助言も耳に入らなくなる。

 勢いに乗って、3個目の支店を作る。

 事業は急速に拡大しているような雰囲気になる。
(その根拠はない)

 売り上げや利益率、労働分配率、
などの正確な把握や分析を怠る。

 経営判断は、
思い付きと独断で行い、
損益計算を怠る。
(ドンぶり勘定・大風呂敷)

 気分は有能な青年実業家・・ 

  儲かっているような「雰囲気」で
2~3年経過



 少しづつ売り上げが減少し始める・・・

 このとき、
はじめて事業の損益計算を行い、
経理内容を分析する。

この時点で、もう手遅れに近い状況に追い込まれている。

 3か所の支店のなかで、
確実な利益を出している支店は
1か所のみであることが判明する。

あとの1か所は赤字、
もう一か所は赤字ギリギリのラインであることが判明する・・



このまま事業を継続すると全ての
部門が赤字になってしまう。



Ⅹ君・・全てを清算して、廃業、
看板を下ろす。



収支は最善でも ±0 ・・・
最後は何も残らない・・・

最悪で・・マイナス決算となる。

 

Ⅹ君・・
安月給でも地道に働いていたら
安定的な生活ができた。

サラリーマンの方が安定的な生活を送り、
資産を確保することができただろう・・



X君・・それでも生涯言い続ける・・

「私は、かつて実業家として成功した」

「私は経営の才能がある」

そして、また同じような失敗をを繰り返す。



・・Ⅹ君・・
好調な時こそ危機感を持ち、
冷静な現状分析をしたいたなら、
ベンチャー企業の勝利者
となっていかも知れない。

X君に欠けていたことは、

 現状分析 

 危機管理 

 自己分析 



成功の秘訣・・

 事業や仕事が好調な時こそ危機感を持つ 

 好調なときこそ意識的に温度を下げて、現状分析する 

 好調な時こそ、反対意見に耳を傾ける  



 弱い時こそ強いのだ 











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経営センスがある????

2024-06-08 | 思う事


経済的成功者に共通する事。

 成功者は出費を把握している。



逆に、何をやっても上手く行かず
貧乏になってゆく人に共通する事。

 収入ばかりに目を向けて、
出費を把握していない。

もし、こういうタイプの人間が
経営者となったら、
先は見えている。

これは経営哲学とか、センスとか・・
理念とか・・

それ以前のお話として、
一番肝心なことが欠けている。



以前、自営業をしていたとき、
知り合いだった人に、
Aさんと言う人がいました。

Aさんは電気工事の自営業をやっていた。

Aさんの仕事、以前は好調で
多くの利益を上げていた。

当時30歳・妻子アリ
Aさんは30年ローンで、
約2千5百万円の家を買った。

そのあと、風向き変り、
一転して赤字経営となった。



Aさんの家計は苦しくなった。



先行の事を考えると何とかしなければいけない。
Aさんの顔つきは日に日に深刻になって行った・・



 私はAさんに質問した・・ 

 毎月の支出を正確に記録してますか??

 Aさん答えて・・・

いえ、今は正確に把握していません。
帳簿も適当に書いています。

事業収益も赤字になるので、
所得税も非課税です。

どうせ赤字経営で非課税なら・・
正確に帳簿を付けるのも
無駄に思えて来ました。

確定申告のときも適当な数値を
入れて申請しています。

税務署の査察が入ったとしても、
ウソ偽りのない、
正真正銘、「赤字」である。

「ない金は・・いくら叩いても・・無い」
「ある意味怖いもの無し」
税務署に追及されても
構わない・・



彼の回答を聞いて、
彼の5年後の未来が見えた・・・

私は思った・・

可哀そうだが・この男・ダメだ・・・



経済的成功とは、
才能とか、人格とか、理念とか・・・
それだけで勝敗は決まらない。

それ以前に絶対的に必要な要素とは、

 帳簿を付ける堅実な習慣 

  地道な分析 



余程、優秀な右腕がいない限り・・
この基本を守っていない者が、

いくらご立派なは理屈並べたとしても、
成功は不可能。

もし、まぐれ当たりに、
一時的に成功したとしても、
「基本」が出来ていない者は、
風向きが変われば一転して貧乏に
転落する危険性を内在する。

    

以前、奇怪な人物に知り合ったことがある。

この人物は、常々、

  私は経営センスがある 

 私の事業に対して金は出しても、口は出すな 

 私は松下幸之助さんの経営哲学を学んでいる 

と・・・いつも豪語していた。

そこまで言うなら・・・

このお方、自分に余程の自信があるのだろうと思い、
ある程度期待していました。。

にも関わらず・・

この御方が企画する事業は何をやっても赤字。

出資者に対して、
「大きく前進しました!!」とか・・
意味不明な説明に終始しする。

そのあとは、
美談を語り話を逸す。

最後は笑って誤魔化す。

収支報告もできない。



この男の言動や、周囲の証言の
断片を繋ぎ合わせると・・

この御方・・

 正確な帳簿を付けていない。

 何事も丼勘定で損益計算をしていない。  

 収入のみ見ていて、正確な支出を把握していない。

  正確な顧客名簿すら作成していない。




私が思うに・・・

A君の場合、
自己資産で運営する個人事業主であるがら、
良くも悪くも自己責任である。

「自称・経営センスがある」
男の場合、
人様から出資を募って事業を
運営している人間である。

1円単位で帳簿を付ける責務がある。

それ故に、
「自分の問題」では済まされない。

このような無責任な楽観主義者は、

 深く関わってはいけない人物 

と思います。


もちろん・・この男とは縁を切りました。

もし、このような人間に深く関わると
痛い目に遭います。

ご用心あれ、















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤いキツネと、緑のタヌキ

2024-05-31 | 思う事


 太陽光発電が大好き 
学歴詐称の

 緑のタヌキ 

 カイロ大学が認めている・・
それ以上の説明は致しません・・

(理屈は通るが、道理が通らない)



太陽光パネル設置の義務化

(太陽光発電とは・・究極の環境破壊・・
土の神が怒っている)


     


 2位じゃダメですか?? 

・・・と・・抜かした

国籍詐称・・二重国籍の元芸人

   赤いキツネ 

(二重が問題ではなく、
説明責任を果たさない不誠実さが問題)


       


都知事選挙の争点は、

 このお二人の、どちらがマシか??? 

それに尽きると思います。



世の中、理想と、正義、美談のみで動いていない。
政治に限らず
経済・経営・・・

それらの判断は
残念ながら、最悪回避を前提とした、
「比較」であると思う。

赤いキツネと緑のタヌキ

どちらも化け物であるが・・・
どちらがマシかと問われたら

 「緑の狸」のほうがマシだと思う 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民度の象徴

2024-05-27 | 思う事


小池都知事・・

 学歴詐称疑惑

 国益を損なうと疑われる政策

 太陽光パネル義務化政策
(究極の環境破壊を伴う某国支援)



学歴詐称問題の追及に対して、

「カイロ大学が卒業を認めている・・・」
と述べるのみで、
ご本人は、明確な説明を避ける。

自称・「カイロ大学を首席で卒業」
との事ですが、

アラビア語に堪能な元東大教授の分析では、
小池氏のアラビア語のレベルは
小学校3年生レベルとの事。

「カイロ大学が卒業を認めている。
それ以上申し上げることはない」

このような答弁は、
理屈は通るが、「道理」が通らないと思う。

このような態度に正義はない。

「ごめんなさい、話を誇張てしまいました。」
と・・素直に謝ってから、
任務を全うするのが「正義」ではなかろうか?



小池氏個人のを非難しても始まらない。

なぜ??
このようなお方が知事を続けておられるのか???

その原因と、前提が大切だと思う。

小池氏のような御方が
都知事になった背景に問題があると思う。



・・・・以下・・・・

2016年6月17日 18時58分配信・
ライブドアニュースより転記・・・



認知科学者の苫米地英人氏が番組で、
舛添要一都知事の辞任について言及した。

国家レベルの圧力で
知事が辞めるのであれば、
「地方自治って口先」と指摘。

「日本民主主義の歴史に残る
汚点だと思いますよ」

と苦言を呈した・・・

「あんだけしぶとく
『オリンピックまで何とかしてください』

なんて(頭を)下げていたのが、
ケロっと『辞めます』なんてのは、
何かあったって都民はみんなわかってますよ」

と熱弁をふるった。

・・・・・以上、ライブドアニュースより転記・・・



舛添氏は確かに問題が多かったと思う。

私も良い印象は持つていなかった。

しかしながら・・・

そのような感情論は別とした、
舛添氏の辞職に至る経緯と方法には、
大きな疑念を感じざるを得ない。

舛添氏を辞職に
追い込むまでの誘導の方法は、
民主主義の根本を否定する、

 民主主義の自殺行為 

であると感じました。



メディアが総力挙げて音頭を取った。

ヒステリックな袋叩き・・・

あの男・・キモイ!!!・・などと言った
幼稚な人格攻撃・・

マスコミよる、
私生活や家族に対する誹謗中傷・・

辞任を強要する国家レベルでの圧力・・・・

これこそ民主主義に対する蹂躙である感じた。



大衆のヒステリックな感情論を後押しする
愚かなマスコミの印象操作・・

舛添氏の追放劇の前提とは、

「気に食わない奴はを追い出すためには、
手段を選ぶ必要はない。
正規の手段を無視してもよい。
感情論で袋叩きにして追い出せ」

このような・・野蛮な理屈であり、
「 民主主義の自殺 」と感じる。

小池都知事の出現は
このような
「日本民主主義の歴史に残る汚点」
の代償であり、

良くも悪くも、
日本人の民度の象徴であると感じます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱い時こそ強いのです・・

2024-05-23 | 思う事


人間が根本的にもつ苦しみを

仏教では

四苦八苦と呼ぶ


 生まれて来たこと

 老いる事

 病気になること

死ぬ事



この 生 ・老 ・病 ・死  
を ‘ 四苦 ‘と呼ぶ



さらに4つの 苦 を加える

 愛別離苦(あいべつりく) -
愛する者と別離すること

 怨憎会苦(おんぞうえく) -
怨み憎んでいる者に会うこと

 求不得苦(ぐふとくく) -
求める物が得られないこと

五蘊盛苦(ごうんじょうく) -
人間の肉体と精神が思うがままにならないこと

これをすべてひっくるめて 

 四苦八苦   という

仏教でいう ‘ 苦 ‘ とは

必ずしも「苦しみ」を意味している
訳ではないようだ、

仏教で言う 「 苦 」 とは

「 自分の意思で思うようにならないこと 」

という意味を含むようである。



生老病死 
確かに自分の意思ではどうにもならない



私ももうすぐ60歳になる

若いころは 老 などという
事は考えた事もなかった

言葉の意味すらサッパリ分からなかった

今の自分の肉体や能力は
永遠であるかの如き妄想をもっていた

年を重ねるごとに

体力は低下し

視力は落ち

髪は薄くなり

腰は弱くなり

好奇心や意欲は衰え

記憶力も衰えた

「 自分の意思ではどうにもならない事 」

とはどういうことなのか・・・
だんだん分かってきた



でも、「自分の意思ではどうにもならない事 」
があると言う事を
前向きに受け止める事で

それが 強さ になることもり得ると思う。

「 自分の意思ではどうにもならない事 」
を素直に受け入れる勇気こそが、
強さに繋がる道であると感じる。



私が30代の頃、私と同じ職場で働いていた 
Mさんを思い出す。

Mさんは当時58歳で定年間近だった。

Mさんは強靭な肉体の持ち主だった。

勤続40年間、一度も病気で欠勤したことがない。

恐ろしくタフな肉体の持ち主だった。

こういう人間は、
人の苦しみが分からない。



部下や後輩が病気で止むを得ず欠勤すると

 お前!!! それでも社会人か!!! 

と・・怒鳴りつけた。

Mさんは全く病気をしない人間である。

仮に、風邪を引いて高熱が出ても、
何の支障もなく肉体労働が出来る怪人だった。



化け物のように強靭なMさんにからすれば、
体調を崩して会社を休むなどという行為は全く
理解出来ない行為 であった。

Mさんは他人から尊敬される人間ではなかった。

Ⅿさんの知的能力は極端に劣っていた。

理論立てて話をすることが出来ず、
語彙が少なく、
物事に対する認識が、あまりに 
単純で、ひとりよがりで、
浅はか な人だった。

 〇〇は風邪をひかない・・

と言う言葉があるが、
多くの人から陰で囁かれていた・・

 Ⅿさんの事を指す言葉だ・・・



それでも、Ⅿさんは係長の地位だった。

Ⅿさんは自分より格下の人間に対しては
横暴な態度だった。

Ⅿさんは上役や権力者に対しては
絶対従順の人間だった。

上司から何を言われても 
イエス と答える・・

イエスマンだった。

まさに・・
悪い意味でのサラリーマンの鏡であった。

 Ⅿさんの末路は・・・・・??

下衆な話はしたくないので、
ここからは想像にお任せします。



私が好きな聖書の言葉

 弱い時こそ強いのです 











 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詭弁にて、反論させて頂きます・・

2024-05-18 | 思う事

日ユ同祖論とは、
日本人の祖先がイスラエルの
失われた10支族の一つとする説です。

秦氏の影響で、
日本に大陸の文化が伝わったことは
確かだと思います。

しかしながら・・・

「日本人の祖先がユダヤ人」

飛躍し過ぎたお話だと思っています。

日本人のアイデンティティにも
関わる問題でもあります。



前方後円墳は、古代ユダヤの三種の神器の
「マナの壺」を表している・・・



このような不可解な説を唱える御方が存在します。

「日ユ同祖論」の根拠の一つらしいです。





ホケノ山古墳

三輪山の西山麓、箸墓古墳の東側にある古墳です。

先日、黒狐ウサギ犬を連れて
20年振りに現地を見てきました。



ホケノ山古墳
奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査の結果、
出土遺物から築造年代を3世紀中頃と推定。

古墳時代出現期の前方後円墳
であると云う説が有力です。

前方部が極端に小さい。

ホタテ貝の形に似ているので、
「ホタテ貝式古墳」とも呼ばれています。





この古墳は古墳時代初期の前方後円墳です。

ホタテ貝式古墳は前方後円墳の前身と言えます。

ホタテ貝式古墳の後方部が、
時を重ねるたびに大きくなって行った。

最終的に、壺のような形になったのであり、
初めから壺のような形をしていた訳ではない。

「初期の段階では、ホタテ貝のような形であったが、
後方部か肥大化していった」

これが真相です。



前方後円墳が「マナの壺」を模して造られた・・
などと言う説は成り立たない。



地道に研究する、
真面目な学者は、
このような「トンデモ説」は、
論外と思って反論しないと思う。

即ち・・・このような珍説は、
 文学と宗教の領域の
話であるからです・・

「潜りの怪しい・・考古学者・ウサギ仙人」
が代わりに
詭弁にて、反論させて頂きます・・

前方後円墳は
ホタテ貝を模した形である



(もちろん・・そんな説は通用しません)


ホケノ山古墳の墳頂から眺めた三輪山と、
私の乗る18年落ちの、
トヨタの高級車



三輪山は美しい・ワン!!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする