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坂の上のピアノ教室

おうちの方にレッスン室の様子、日頃思っている事をお知らせするためのblogです。

よく聴こうね、よく見ようね、よく考えようね

2015-04-22 | 伝えたいこと
体験レッスンに来てくれるこどもたちに、最初にお話しすることがあります。


ピアノのレッスンで大事なことは何かな、ということ


♪ピアノは(もちろん)指で弾くんだけど、指だけじゃない身体全部を使います。

だから、指の体操も 肩ほぐしの体操も  ペダルを踏む準備に足の体操もします。
ピアノを弾いてて、緊張して 心も身体も硬まってしまったら、

ピアノの部屋の階段を ちょっと歩いてきてもらったり・・・もします。


♪楽譜は目で見るね。だから、左から 右へ 音符を目で追うこという事を
します。目の体操も?!必要かしらん?

ふつうの人は 本や新聞を読むときは「読む」という動作しかしていない、と
思うので、読みながら 歌う、読みながら弾く ってすごく高級な動作です。

小学校の高学年くらいの生徒たちをみていると、

「音符や文字を目で追いながら ほかの作業=ピアノを弾く=をする」という難しい事がしっかり定着して
感激してしまう場面にいくつも出会います。



♪ピアノは お歌の教室ではないけれど、たくさんドレミで読んだり歌ったり
します。

「カツゼツ」(滑舌)っていうけれど、カツゼツよく 音符を読めると指も一緒に
良く動きます。

これは、お口の体操かな?


そして

♪音楽は耳で聴きますね。だから、耳の体操もとっても大事。


ちょっと悲しいのだけど、最近 音や、お話を 聞くことが苦手な子供たちが
多いように思います。

あまりにも目まぐるしく変化するテレビやゲームの画面のせい?

音も、 お話も 最後まで聞いてから 行動に移してほしいなあ。


そして、そして

♪自分でよーく考えよう。感じよう。思おう。


せっかくレッスンで注意して 修正したり、  よくなった箇所

おうちに帰ると また 元の木阿弥・・・ 

強弱も  表情も 何もなくなっちゃてますよー


ピアノの前に座ったら  「すぐ弾きたい!」


この気持ちもとても素敵。

でもただただ弾くのじゃあなく


時々、1ページずつ 楽譜を見て、読んで、
「どうやって弾こうかな~」
「先生に 何を注意されちゃったかな~」

思い出して 弾いてくださいね。

ピアノの前じゃなく 机の上に 楽譜をひろげて
文字通り 楽譜を読んでみてくださいね。





更新する

2015-03-07 | 伝えたいこと

なかなか更新しないblogに 「更新する」なんてタイトルを
付けました


育児でも、音楽でも、 健康問題でも

昔は  「あたりまえ」で「常識」だった事が
今では、「あたりまえ」でない場合がたくさんあります。


今、我が家に滞在中の 新生児君は、 
夕方や 夜近くに沐浴しています。

病院の 沐浴指導で

「夕方に 沐浴させて、疲れて、寝かした方が 一日のリズムがつきやすいンですよ」と
言われたそうです。

数年前に 同じ病院でお産した別のお嫁さんは そんな事言ってなくて、
普通に 午前中に 沐浴させてましたから、
この数年で 指導が変わったのか、たまたま担当の保健婦さん?助産師さん?の
考えがそうだったのかは わかりませんけど。

けっこう理にかなっているな、とも思います。
というわけで、我が家では、赤ちゃんが沐浴後 大人しく寝たり遊んだりしている間に
大人がかわりばんこに 落ち着いて 夜ご飯を食べてます

今は、暖房設備も整っているから、 部屋を暖めるのも容易です。
午前中が暖かいとも限りませんし、、


ほかにも、沐浴後 は「必ず湯冷まし」というのも 最近は母乳育児には
必要ないそうで。

おばばには、新しい学習がいっぱいあります。


音楽の世界も 同じで

今さら 言うまでもありませんけど。

ピアノを弾く時の 直角にあげて、コンコンと音がするくらい打ち下ろす打鍵とかも
化石奏法?でしょうか。

それでも、中には いまだに

「前の教室では 指先にカツカツっと音がするような弾き方」をするように
指導されていた子もいました。


発声なんかの お腹の動きも 昔と今では 逆の事を言われます。



料理の世界も然り

今は、米を「とぐ」とは言いません。
米を「洗う」だけです。

ごぼうの皮もむかない方が良いし
アクも やたらに抜かない方が栄養価も高い



中には 必要悪みたいな事柄もあるかなーと思いますが。


どんなことも常に 更新Update していかなくっちゃね。
勿論、旧き良きものは大切にしながらね。













逆上がり

2014-10-09 | 伝えたいこと

我が家でとっている地方新聞に こんな記事が載っていました。



「子供の運動 常識非常識」 という連載コラムです。
 昔、NHKの体操のお兄さんをしていた方が書いていました。

【鉄棒、といえば「逆上がり」と言うイメージを持つ人は多いが、
その逆上がりができなくて、学校の体育が嫌いになった、と言う人も
少なくない。

鉄棒の本来のおもしろさは、「逆さ感覚」を味わうことだ。
いやいや逆上がりの練習をするよりは、膝かけをして逆さの風景を
楽しむ方が、体力づくりにも、バランス感覚にも意味がある。

(そして、多くの逆上がりの出来ない子は、練習方法が間違っている。とも)】



なるほどーと、思いました。

逆上がりは、一つの到達目標であり、それを設ける事には、
意味もあるとは思いますが。

このように 昔からの 常識としてとらわれていることに
ちょっとした盲点がある、というのは 体育に限らず
ピアノの指導や練習方法にも、あるな、と思いました。


音楽や ピアノとは直接関係ない 雑学や
ちょっとした世間話 生徒との 無駄話(でも、決して無駄ではない)

そんな事から、レッスンの進め方のヒントをもらう事が多いです。

楽譜棚にある本には書いてないし、

だれかが、教えてくれる事ではない、

自分で見つける事です。










それはないぜ。

2014-09-15 | 伝えたいこと
三連休の最終日は、静かな自分日だったので、久しぶりに楽譜屋さんに行きました。

楽譜もネットで買ってしまうことが増えましたが、時々楽譜屋さんに浸りに行きたくなります。

必要なものを買い…
たまには、流行りの遊び楽譜も買いましょう、、と楽しい楽譜漁り。

最近は、流行りの曲は、生徒に「これ、弾きたいー」と、言われてから、ぷりんと楽譜でダウンロードすることが多いのですが。

レッスン室に置いておいた楽しそうな曲集を、手に取ってはじめて

「この曲、弾いてみたいなあ」と、言う子もいますから、今日は曲集で買おう、と流行りのアニメがいっぱい載っていそうな楽譜を探しました。

今どきの曲が、易しいアレンジで満載!!の曲集があったのですがー

ドレミのふりがなが、パーフェクトに書いてありましたー

私も…
お楽しみの曲には、多少は、

「間違えていたり、あまりに書きすぎな時は、消せるようにエンピツか、消えるペンで」

と、条件付きで、ふりがなふっても許してあげてしまう甘い先生ですが、、

「自力で書こう」よねー

しかも、どう考えてもピアノをお稽古しているキッズがお楽しみで弾く楽譜なんだと思いますから、パーフェクトふりがなは、それはないぜ。

でした。

当然、隣の普通の曲集を購入しました。





良いずぼらと悪いずぼら

2014-07-29 | 伝えたいこと
「ずぼら」とは?

態度や素行ですべきことをせずだらしないさま、 無責任できちんとしていないさま、無精なさま、またはそういった態度・行動をする人

だそうです。
だらしない行動に 「良い」事なんてあるでしょうか?

でも、私は、ピアノのレッスンを続けるこつの一つは 見守るおうちの人が
「良い意味で ずぼら」でいること、と思っています。


一週間、一ヶ月の短い単位で、 子供の進度を気にしたり
練習する、練習していない、を気にしすぎること

家での練習の ちょっとした弾きまちがい を気にしすぎる

そういう事が お子さんを 練習嫌い ピアノ嫌いに
させてしまう要因の一つになったりします。



今、教室には 10数人の中高生が通ってきています。

皆、趣味でコツコツと 細く長くピアノを続けている子たち
地味な練習が 好きとは 思えない子も多々・・・
たくさん練習しているとは思えない子も多々・・・

でも、レッスンを始めて10年たった今では

自分の弾きたい曲を気持ちよさそうに弾いています。

(完成したら、、、の話ですが)
(そこまでが  また長いけど・・・その事も彼女たちは十分理解して
途中で投げ出さずに います)


途中で投げ出さずに ずっとずっとめげずに頑張っている彼女たちも偉いし

それを 遠くから見守ってくれたおうちの人(特にお母さん)にも
感謝したいです。

長い年月の日々には 
あまりに練習しない我が子
ちっともちっとも 「まる」にならない曲を いつまでも弾いている事に

「もうピアノやめたら~~?!!」と 言いたくなった事も多々あったのでは
ないでしょうか?

それを言わずにいる事って 大変だったと思います。

続けることを 見守ってくださりありがとうございます。
「良い」ずぼらなお母さんでいてくださってありがとうございます。














イメージを助けるもの 妨げるもの

2014-07-07 | 伝えたいこと

ちょっと前のこと

中学生の女子生徒が、 1冊の曲集をとても気に入って、
かたっぱしから弾いていました。

その子だけでなく、少し大きくなると、その曲集に はまる生徒が
必ずいるのですが。

でも、その生徒 その楽譜だけに カバーをつけていました。

別にお母さんや姉妹のお古の楽譜だったわけではありません。
その子のために新しく買った楽譜です。


私は 「この楽譜だけ カバーかけてるなあ」くらいに思って、
特に気にとめていませんでしたが、ある時 お母さんと
話していたら

「あの子、ピエロが嫌いなので、あの本の表紙の大きなピエロが
見えないようにカバーしてるんです」

と、言ってました。

そうか、なっとく!

ピエロって、好き嫌いの多いキャラクターだと思います。
どちらかというと 子供にはコワイ存在?
表情のわからないメイク
目の周りは、 歌舞伎の隈取りみたいだし。


その曲集には、なんの関連もないピエロがなぜ表紙の絵になっているのか
わかりませんが・・・・

とっても有名な曲集だから・・・何か理由があるのかも??




話はちょっと飛びますが

最近の子供たちの楽譜って、とにかくカラフル
可愛いイラスト満載

私もついつい その可愛さで、 小さい生徒達の教材を選んで
しまいがち。

小さい子にとって、曲をイメージしやすいイラストには、とても助かることもあります。

素敵な小品を ガツガツと 弾いている子に

「ねえ、この横に書いてあるみたいな こんなふんわーりした羽根のように
弾いた方が この曲に合ってると思うよ」

って、言ってみたり

「この 薄紫の妖精の絵 、すてきね~
こんな薄紫の 色 みたいに 弾きたいね~」

そう声をかけただけで、 音がかわりますから。



でも、時々

可愛けりゃいいってもんじゃないよ。。というような場面にも
出会います。

ブルグミュラーの 「バラード」

だれもが必ず弾く曲ですが。。。
短調のmisterioso  なぞめいたドキドキする和音で始まる曲なのに、
なんだか 脳天気な可愛いイラストが書いてる楽譜があります。

そういう時は、思いっきり生徒と一緒にツッコミを入れて、
ミステリーな感じに 落書き?を書き足しちゃいますが。。。


別の楽譜集でも、せっかく良い内容で子供にも大人にも使いたいのに
あまりにも可愛い表紙だったりすると、

「なんだかなあ・・・」と思うのは、私だけなのかしらん?

大人の生徒さんというのは、あんがいこだわりを持っていらっしゃる方が多いですから、
よそさまに見せる楽譜ではないかもしれませんが、毎日開く楽譜、毎日見る楽譜ですから、
刺激の少なめな装丁、もしくは何も無し!が良いのになあ。



ギロックの曲集は、 どの楽譜も 何もイラストがありません。
うんと小さい子が使える曲集も みな そっけないくらい何もありません。

それは、イラストを書くことで、弾く人のイメージを固定させないため
自分でイメージをふくらませる事をしてほしいから

あえて、「何もない」のだと、聞きました(違っていたらすみません!)

はじめは、それが とっても「そっけない。味気のない楽譜だな。装丁だなあ」と
思ったりもしましたが。

今は、とても 理にかなっているなあ、と思っています。















たくさん書いてあると親切?

2014-07-06 | 伝えたいこと

ずっと 昔 音楽関係で 教わった 先生(どなただったのか?あいまいで良く覚えていないのです)

が、おっしゃっていた事を ふと思いだしました。


楽譜の、表情記号や強弱記号があまり書いていない場所を
レッスンしている時など

「少し クレッシェンドするような 気持ちで 演奏すると良いのだけど、
楽譜には書かないでおきましょう。

書いてしまうと、それにとらわれすぎて 大げさになってしまうから」

というような事を 時々おっしゃっていました。


ニュアンスとしての、「クレッシェンドや、フォルテ、 ピアノ」 を
文字として、楽譜に書いてしまうと、ストレートな音になってしまい、
それが先生の求めている「 表現(音)」ではなくなってしまう、のをおそれたのでは
ないかな、と思います。

子供だった私にもその事は理解できました。


ところが、最近の私ときたら、年齢を重ねて、経験豊かなおばあちゃんなので・・・

生徒に伝えたいことや 
1つのメロディに対する比喩が 「うますぎちゃって」(自分でいうのも変ですけれどね。)

わんさと楽譜に 
書き込んでみたり、生徒自身に 書き込ませたりしています。


そんな時 上記の 言葉をふと思い出しました。

今は、どこにいっても親切の時代 

「トラ巻」と楽譜が一緒になったような楽譜もいっぱい売られています。

ピアノの先生である私達がそういう「トラ巻楽譜」を購入して、
研究することは必要ではある、と思うけれど。

きっと 著者が違うと 違う事もかいてあるだろう

と、想像しなければいけません。

1つの トラ巻だけで、勉強した気になったら危険です。

結局は、 先生が 何十年もかけて、自分で弾いてきたり
見聞きしたり
読んだことから、 自分で考え出していかないとね。


まあ、そこまで難しい話でなくても、

もういちど、昔の先生がおっしゃっていた

「書いてしまうと、ストレートな音になりすぎてしまう」を 頭においてみよう、と
考えた雨の日でした。





















なんちゃって

2014-05-08 | 伝えたいこと


(1週間ほど前、横須賀しょうぶ園という所に藤の花を見に行ってきました)


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さて、


たまに、ですが、

レッスンの最初か最後にお母様に来ていただき、
生徒のピアノのミニコンサートをします。

そんなとき、私も1、2曲、ピアノを弾きます。

そういう時、必ず弾く曲がいくつかあります。
それは、おけいこの有名曲~ピアノを習っている子供たちが必ず弾く(弾きたい曲)です。

ブルグミュラーのアラベスクや貴婦人の乗馬、ベートーヴェンのエリーゼのために、
モーツァルトのハ長調のソナタ。。。

ある時、私が「エリーゼのために」を弾いていたら、
(お母さん自身もおうちでピアノを弾く方が)

「わたしの持っている楽譜と先生の弾いたのと、ちょっと違うみたいね・・・」と
お子さんと、つぶやいていました。

(きっと、同じ楽譜なのだと思います。)

私は、けっしてすごく上手なピアニストじゃないですけれど、
その曲があるべき姿、本来のベートーヴェンさんが作曲した姿で
弾こうと努力して弾いた結果が

「違う楽譜じゃないかな?」と思われたのだとおもいます。


よく子供たちが、こういう有名曲を弾くと

最初の方の よく知られたメロディは、ちゃんと弾くのだけれど、
ちょっと難しい場所に進むと、急にテンポが 倍の遅さになってしまいます。

そして、どこもかしこも、元気なフォルテの曲になっていたりします。

私が、

「○ちゃんが、弾き始めたテンポで、最初から最後まで弾くよ」と

全部同じテンポで 弾いてあげると

生徒は目を丸くします

「えっ、ココはこんなに速く弾くの!」


「あなたが、弾いていたのは、『なんちゃってエリーゼのために』
でも、少しだけテンポを遅く弾き始めること、そして、中間の難しい所を
うんと練習して、全部同じテンポで弾けるようにしよう。
そうじゃないと合格はしませんよーー」


わたしは、「なんちゃって・・・」は、やめてよ~と、よく生徒に
言っています。

ちゃちゃっと、有名どころだけを、それっぽく弾いた曲では、
それは間違いです。

そして、こどもたちは(それが子供の特権なのですが)
全部フォルテで、元気いっぱい弾いてしまいがちです。
それも、間違いなわけです。

どんなに時間をかけても、楽譜で示されたことを音楽にできるように
したいな、と思います。


「なんちゃってピアノ」はだめです。
それだったら、おうちで、1人で勝手に遊んで弾いてるだけ、と
同じ。

こういう事は、いつも言っている私がとても大切にしている事です。


でも


ところが


自分で弾きたいから、と選んだベートーヴェンのとても有名なソナタを
練習している中学生がいます。

部活にも、塾にもいっぱい時間をとられています。
家で練習する時間は、とても少ないでしょう。
譜読みも ちょっと苦手ちゃんです。

途中で、「これは、高校生になってからやり直そうか」
と言いかけました。。。。

でも、あるときから、ぐっと進んで仕上がりも見えてきました。

すらすらと良いテンポで弾けるようになりました。

ところが、あまりに「好き」な気持ちが
前面に出て、やたらに ritが、かかります。
気持ちが前倒しになってしまう所もあります。


ピアノと書いてあるところも、ほとんどフォルテです。
(でも、乱暴なフォルテでは、なく、ものすごく感情移入した(しすぎた)フォルテです。

う~~ん、これは、ちょっと違うなあ。
演歌っぽくなっちゃってる。


練習の過程でも、何回か 注意しましたけれど・・・・

でも、仕上がれば仕上がるほど、
「好き」が出てきて、「やっと弾けるようになった喜び」が出てきて、
あふれています


ちょっと考えてしまいましたが・・・

いまの、彼女には、これでいいな~
○をあげよう。

でも、それでは、間違った事(間違った曲)を教えた事になります。

だから、あと1、2回後のレッスンで、楽譜に指示されたように
弾いてあげようと思います。

そのうえで、もう少し大きくなったら、もう一回レッスンしようね、

という事にしようかな、と思っています。






















ずぼら

2014-04-30 | 伝えたいこと
『ずぼら』  とは

なすべきことをしなかったりしてだらしのないこと。きちんとしていないこと。


小さい人が、はじめてピアノを習いに来るとき、
折りにふれて、おうちの方に お話することですが。

「習い事、特にピアノなどの楽器の練習は、長く続けてこそ
意味のあることです。

波のあって当たり前の 子供時代なので、長く続けさせたかったら、
おうちの人が

『良い意味で、ずぼら』になってくださいね。」


私も偉そうなことは言えませんが、

子供が小さい時は、些細な我が子の様子に敏感になってしまっていました。

気にかけてあげる事は、悪いことではないのでしょうが


あまり 我が子に密着して 気にしすぎると、
子供の 伸びる芽を 摘んでしまうこともあるのではないかな、と
思います。


ほんのちょっといつもより元気がない、 とか

習い事に行くのを 2,3回続けて、面倒がった、  とか

お友達と あまり遊ばないで、おうちにいる  とか

とかく、お母さんは、 目の前の ことがら だけが気になってしまいます。


数ヶ月後、 数年後の ことは、なかなかイメージできないですよね。

でも、長い目でみたら、現時点の 心配なんて、案外なんでもない事だったのですよね。


なので

「『良い意味で、ずぼら』になってくださいね。」

だからと言って、
細々 心配すると言うお母さんの専売特許!を
全否定しているわけでは、ありませんから。
細かい事を いちいち気にしてしまうお母さんの心にたくさん共感してあげることも
忘れてはいないつもりです。


今年の うちの教室は 幼稚園、小学生と、 中高生の割合が
ほぼ半分ずつ

中高生の子たちは、自分で進んでどんどん練習する子ばかりっていう訳では
ありません。


曲が難しくなる小学校3,4年生くらいの頃は、
なんだかみんなに ちっとも ○をあげられなかったなあ。

中高生になったら、ますます練習はしてこれなくなったし。。

それでも、弾きたい曲がいっぱいあって、

ときどき、こちらが びっくりするくらい素敵な演奏をし、

自分でも うっとりしながら好きな曲を弾いています。


この子達のお母さんだって、 ちっとも練習しない我が子や、
ちっとも○にならない我が子の宿題の曲に
イライラした事もあるでしょうに。

それでも 『良い意味で、ずぼら』でいてくれて、
そして、蔭で たくさん気にかけて、応援していたのでしょう。







 

















取りこぼしなしよ

2014-04-28 | 伝えたいこと
先日、都合で いつもと違う曜日にレッスンに来た小学生の女の子


レッスン室にやってきたら、仲良しの女の子に会って

「わ~」と手を取り合って 喜んでました。
学校でも いつも会ってるだろうにね。

思わぬ日 思わぬところで 友だちに会うと嬉しいんですね。


ピアノは 個人レッスンだから、1年に数回(1回きりの時もあるけれど)

グループレッスンや クリスマス会、発表会・・・etc
友だちと一緒になると 嬉しいね。

大勢でわいわい やるのが 楽しいね。

でも、そういう場を楽しんではいるのだけど  

そういう場では自分を発揮できない子もいます。

もともと そういう場が苦手な子もいます。



お母さん方 でも そうですね。

発表会が終わったときや 

学校で 懇談会が 終わって  

担任の先生を サ~っと囲んでお話できるタイプのお母さんと
逆のタイプのお母さん←ワタシは、完全にこっち


普段のレッスンは、 個人レッスンなわけ だから

子供たちひとりひとりの 気持ちや 状況を受け止めることは
出来ている、とは 思います。

ごくたまに

レッスン室に 1,2人とごく少数のお母さんを 呼んで 

ミニコンサートを します。
そういう時に、めったに会うことのなくなった高学年のお母さんと
お会いして、おしゃべりすると、すごく嬉しい気持ちになります。


「ピアノは1人1人 それぞれの レッスン」