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before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

PEACE DAY3

2007-12-09 11:54:24 | トンガ 青年海外協力隊活動記
何が びっくりしたかって、
同僚レルのやる気だった。準備段階は「やっぱ トンガ人だよー」と思わされるやる気のなさっぷりだった。
しかし 当日 生徒を10人ずつ連れてきて 展示内容を一つ一つ細かく説明しだした。私も原爆について知識はあるけど、それを英語で説明するのは大変だったから、歴史教師のレルが生徒にわかりやすく説明してくれて本当に助かった。
かくして 原爆展ツアーは とぎれもなく続いたのだった。

開催前、トンガの暴動のことに触れるのは 外国人がすべきことではないから
PEACE DAYでは扱わないけど、でもやっぱり暴動のことも思い出してほしいし
そのためには PEACE DAYにトンガ人を巻き込むことだ。と思っていたけど
この2年の活動を通し、トンガ人を巻き込むことの大変さは十分わかっていたし

また 彼らは村社会の人間なので こういった変わったことをすると
ひやかしたり、バカにしたりすることが 多いのです。

なので、一緒にやろうね!と言い 確かに準備も多少手伝ってもらったけど
正直 あんま期待してなかった。

だが、任期の最後の最後に トンガ人教師が 本当に一緒になって PEACE DAYを開催してくれた。

写真は 原爆展ツアーを開催中のレルと生徒

PEACE DAY 2

2007-12-09 11:41:13 | トンガ 青年海外協力隊活動記
まず 朝礼で「PEACE DAY」の趣旨を全校生徒に伝えた。
「歴史をとっている生徒は手を上げてー」といったら なんと
約10名以下!!
そう、トンガでは 歴史は選択授業の一つで、マイナー科目の一つなのです!
だから残りの490人は歴史を学ぶことなく 学校を卒業するのです。。。

簡単に 第二次世界大戦のこと、原爆のことを説明し
「トンガでは このような戦争がおきたことはない。でも平和を考える時、過去の悲劇を考えず 平和を捉えることはできません。だから知ることは平和への道です。興味のある生徒は是非見に来てください。」
と言った。

その直後、同僚のレルがやってきて「キオコ、これはすごくいい内容だから、まず歴史の生徒全員を強制的に連れてこさせよう。5人1グループにして。」
というので、
トンガ人の意外なやる気にびっくりさせられた。

で、蓋を開けてみると・・・・・

大 大 大 盛況!!

写真は展示に群がる生徒


PEACE DAY 1

2007-12-03 12:54:50 | トンガ 青年海外協力隊活動記
ちょうど一年前のブログで「PEACE DAY」を開催するのだ!と意気込んでいたのをおぼえていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

有言実行、やりたいと思ったことは四の五の言わず行動に移すが モットーなわたくし。はい、この帰国準備でくそ忙しい中 2日間 エウア高校でPEACE DAYを開催しました!!

いやあああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これがねえー
大 大 大 成功だったのだ!!
正直忙しすぎて、Peace dayの準備が全然できてなくて、資料は広島の原爆資料館に依頼済みで、すでに受け取っていたんだけど どう展示するかとか、配布資料等々の準備は全然できてなかった。

でもねー まあねー これはねー 自画自賛?になっちゃうなー なっちゃうんだけど、でも言っちゃう。
この2年、エウア高校で去年と今年開催したJapanese weekで500人の生徒と20人の教師をたった一人で一週間動かした経験がね!活きましたよ!
もー あのJapanese weekに比べたら!!パパパっと準備できちゃいましたよ!
しかも かなりすばらしいものが!

写真見て!もうこれ ミュージアム並みでしょー 
まあ 原爆資料館が送ってくれた資料の内容がかなり素晴らしいものだったので、
貼るだけで ミュージアムになるんだけどね(笑)

内容は
1 原爆資料を展示
2 DVDを上映
3 千羽鶴作成
4 平和な世界を作るためのアイデアを生徒に書かせて それを大きな模造紙に
  貼って PEACE OF TREEを作る

というもの。

本当は 日本の原爆のことだけじゃなく、第二次世界大戦の背景や カンボジアの地雷のことや、今起きている戦争についても 紹介したかったんだけど
なにせ 時間がなかったー(T3T)
それと 協力者の同僚レル(歴史科の先生)が
「キオコ これで十分だよ!欲張りすぎないことも大事だよ!」というので
今回は 原爆の脅威を通して 平和を考えてもらうということと
こういうことが 世界のどこかで 現実に起こっているのだということ
それから 日本は戦争を経験した国だということを

生徒に知ってもらうことを目標に 開催した。

24時間の涙

2007-12-01 18:18:29 | トンガ 青年海外協力隊活動記
結局 文集が仕上がったのは夜中の3時。
その後 学生達を 自宅まで送って、校長先生と同僚のレルと私の3人でコーヒーを飲みながら オフィスで深夜のくだらないハイテンショントークをしていたところ
ここ1週間あまりに忙しくて すっかり忘れていたことを思い出した。

なんと 同じ教員住宅にすんでいて いっつもジョークばっか言い合っていたシオネという新卒教師が
Diplomaを受け取りにトンガタプに今日行ってしまうということを!!!

この1週間 忙しすぎて朝から翌朝まで 学校に入り浸っていて 自宅に帰るのはシャワーを浴びる時だけ(2日一回)だったので シオネとゆっくり話す時間がなくて すっかり忘れていた!

しかもシオネの乗るボートは あと2時間後の5時に出航する!
運よく この日は カラプ
(お金を集めるために行われるかなり規模の大きいカバパーティー ※カバ・・・南太平洋ではとてもポピュラーなアルコールに代わる嗜好品。トンガは男性だけが飲むことを許され、毎週末、または何かイベントがあるたびにカバパーティーが開かれる。飲むと感覚が麻痺する)
がエウア高校のホールで開催されており カラプはたいてい夜明けまで続くので シオネもまだホールにいる筈!と急いで電話をする。
(オフィスからホールまでは徒歩20秒だが カバを飲んでいる人たちはちょっとおかしくなっているので 女性一人で行くのは危険のため。)

私 「シオネ!なんで行ってくれなかったの!?今日 トンガタプ(本当)にいっちゃうんでしょ?!
   そしたらもうエウアにもどってこないんでしょ?」
シオネ「あー うー キオコー??(注:酔っている)今どこにいる?」
私 「オフィスにいるから 来て! 港まで学校の車で送るから!」

と言って電話を切った後 ここ5日間の睡眠不足がたたり ふかーーい眠りに落ちた私・・・。ひどい・・・。
で、結局30分後に シオネがオフィスにやってきた。
私 「ひどい ひどい!なんで 教えてくれなかったのーー! もう会えないじゃんかあー!」
シオネ「だって キオコ めっちゃ忙しそうだったんだもん。 心の中で伝えたんだけど 届かなかった?」
私 「カセレ(便所野郎!)そんなん伝わるかよ! つーかまだお別れのプレゼントももらってないよ!」
シオネ「だからエウアにもどってこないで 本島に残って キオコを見送りに 空港にいくんだよ」

だあーーーーーーーー
そうだったの?!知らなかったー 知らなかったよー
でも そういやあ 最近やけに シオネが優しいなあとは思ってたんだよ。
眠いし びっくりしたし 船の時間も近づいてるし とりあえず そこらへんになっているバナナを一個もぎ取って 「ありがとう」といってシオネに渡し、 同僚のレルと私でシオネを港まで送った。

港まで車で3分。車の中で、いつものように 3人(3人とも教員住宅にすんでいてかなり仲良し)で下ネタとかswearを言い合った。

でも 港に着くと 急に涙がとめどなく でてきた。
何度も見てきた 早朝の船。
それに1週間後に乗る私。
シオネともうエウアの教員住宅で 笑い合うことはもうない事実。
毎日 毎日 シオネを初めとする同僚みんなで ふざけあった時間。
シオネがこの船に乗ったら 
何かが一個終わる。
そして 次にわたしがこの早朝の港に来る時は
全部が終わる。

シオネ「キオコ だいじょぶだよ また本島で会えるじゃん」
レル 「カセレ(便所野郎!) キオコは いっつもすぐ泣くんだからー!」

全て わかっていたことだけど こうやって ひとつ ひとつ と 終わりがくる。
今まで 頭ではわかっていても 現実味がなく いまいち実感がわかなかったけど
この夜 すべてが現実となった。

ああ 私は あと一週間後の 同じ時間に この島を 去るんだ。
それが どんなに辛いことか ようやく現実を帯びて 一気におそってきた。

アホのシオネも なんか涙ぐんでるし、いつもはジョークを機関銃のようにいい続けるレルも無言。
で ボート出航の時間が近づいて とりあえず シオネとは またトンガタプで会えるから といって別れ
車を出した。
でも レルが「なんか 今 学校にもどりたくないね。」というので、レルが煙草一本吸い終わるまで もうすこし港にいることにした。 車の中から 二人でシオネの乗ったボートを 眺めながら 
私とレルが作った エウア高校の歌を歌ったりした。
でも 私は 涙が 本当に とまらなくて困った。
「シオネと一緒に今年の卒業式を迎えたかったね」とレルがボソッと言って また涙が溢れてきた。
が、その瞬間 シオネの乗ったボートに むっちゃでかい馬が乗り込んで行く様が見えた。
定員50人くらいのボートに ばかでかい馬といっしょに乗って 2時間の船旅をしなければいけないシオネを思うと 笑いがとまらなかった。 ぜったい 臭いだろー  

「そろそろ行こうか」と レルが車を出したら 船の屋根の上に乗っかって 何かを叫びながら大きく手を振っているトンガ人が見えた。
「どうして深夜って ああいうアホな人がいるんだろうね・・・・・! え!? あれ シオネだよ!」
そう それは まさしく シオネだった!
「馬鹿だねー あいつ ずっと船の屋根に乗って なんか言ってたんだよ。気がつかなかったねー」
と 二人で笑いながら 泣いた。二人で 大声で「‘Ofa lahi atu!(Love you!)」とシオネに叫んだ。

泣いた。泣いた。大いに泣いた。 
で 学校に帰ったら 私の泣きっぷりが ひどかったので 校長先生が「きょうこ、今日はもう寝た方がいいよ」というので うちに帰った。 うちに帰って シオネに「あんた 馬鹿だねえ」と言いたくて 電話をしたら 言葉を発する前に 泣けてきた。
んで シオネが 「キオコには たくさん たくさん 助けられたよ。 本当にありがとう」というので
いっつもは くだんないジョークしか言わないくせに!と また 泣けてきた。
電話を切った後も あと1週間しかここにいられないということを考えると 嗚咽がでるほど涙が出てきて
わんわん泣いて 泣きつかれて いつの間にか寝ていた。
翌朝10時くらいに 目が覚めて
自分の部屋のカーテンの色が 青くて 「ああっ。よかった。あたし まだエウアにいるんだ。」と思った。
日本の私の部屋のカーテンの色は 白だから。

そんで 起きて パパイヤを食べたんだけど パパイヤを切りながら泣いた。食べながら泣いた。
ゴミを燃やしながら泣いた。洗濯をしながら泣いた。買い物に行く道で泣いた。誰かに「キオコ エー」と呼ばれるだけで泣いた。いつも見ている海を見て泣いた。1日中泣いた。たいてい土曜日は トンガ人とわいわい騒いで過ごしてきたけど 今日は一人でいたかった。

数日前、このブログで これは終わりじゃなくてスタートなんだ って書いた。
それは正しい。 今まで27年生きてきて いろんな終わりを経験して、その度にまた新しいスタートを切ってきたから、どんな別れでも 「新しい何かが始まる!」と思えた。
でも
今回は どんなに頑張っても そう思えない。
次のスタートに繋がるには、「終わり」が重過ぎる。
だから 「新しいスタートだ」なんて考えずに この苦しい終わりをありのままに受け止めて
泣くだけ泣くしかないのだろう。 それだけ 私はこの島を愛していて、島の人たちからたくさんの愛をもらったのだから。 苦しい終わりを迎えるのは その証拠だ。





完成!!

2007-11-30 22:29:58 | トンガ 青年海外協力隊活動記
終わったー!
ここ4日間 寝ずに作業を続けたかいあったぜー!
この達成感! ああこの4日間 本当に いそがしかったけど
本当に 本当に たのしかったのだー

自分の日本語クラスの生徒じゃない生徒たちと 一緒に深夜まで作業をいsて
夜食を食べ 若い子達の恋愛話をひやかしたりして
本当に 楽しかったよー
さすがに深夜2時にもなると 学生をこのまま学校に残すわけにはいかず
うちに帰らせ(ちゃんとうちから迎えが来るよう手配しましたよー)
その後は レルとネシ(臨月に入った妊婦)の同僚二人と黙々と深夜4時まで作業作業の日々。
てか 妊婦 大丈夫なのか!?さすがトンガ。

最終日の今日なんて ほとんどの生徒は各自の担当は終わっているから コンピュータールームに来る必要ないのに みんなまだいるし。(現在 深夜2時)

同僚の一人は 枕もってきてたし(笑) まだ徹夜するきか?!

文集って 学生達の貴重な青春の一ページを形に残せるから すごく大事だと思う。もちろん 学生達と一緒に時間をわかちあった教師にとっても。

そしてこの二年間 私に幸せと喜びをくれた学生と教師に 少しでも恩返しがしたくて 思いついたことはいろいろやってきたけど
この文集作成もその一つ。
自分の持ちうる全てのパソコン技能を学生に伝えて、一緒に少しでも鮮やかな思い出が載っている文集を作りたかったのだよ。

これまで 彼らにもらったものに比べたら ここ4日間寝なかったのなんて
蟻の糞ほどの ちいーっぽっけなもんです。

ありがとう。 んで また楽しかったし!この4日間!

結局 また喜びを もらった4日間だったよ!
いい文集が出来てよかったよかった!
みんな おつかれー!

ああ青春

2007-11-28 22:02:25 | トンガ 青年海外協力隊活動記
ここ3日 毎日放課後 コンピュータールームに残って 深夜12:00まで
エウア高校の卒業文集を作成しています。
文集委員は 教師2人と 生徒6人。
おー 8人もいるんだったら 簡単に作れるだろう!と思うでしょ?
しかーし!
ちゃんと動くコンピューターが3台しかないっ!しかも すごく遅い!
ということで 毎晩毎晩 睡眠時間を削って みんなで文集作りに励んでいるわけです。
まあ 去年は締め切りまであと2日になってから 作成開始したので2日丸まる徹夜だったから 今年はまだよい。

でも 今年はさらに質の良いものを作ろうと 同僚の教師で親友のレルと 無駄に時間をかけて頑張っているのです!!


で、やっぱトンガだわーと思うのが、深夜になって生徒の親達が差し入れに来てくれるんだけど その差し入れが 

重い!!

深夜に フライドフィッシュ、芋、ブレッドフルーツ、ヌードル は 重いだろ!
どう考えても!

まあ 食べちゃうけど。

でもねー

この文集作成が 楽しいの。
去年も楽しかったけど 今年はもっと楽しいの。
みんなで 一緒に 必死になって 何かを作り上げる。
こういう状況って なかなかトンガでないのだ。
締め切りなんて言葉 トンガ人の辞書にないんじゃないかと思うくらい
みんな イージーゴーイングだからねえ。
あたしが 学校に提出するレポートの締め切りが間に合わないーと焦っていても
「きょうこがレポートを書き終わったときが 締め切りだよー」と言ってもらえる国ですもの。
だから 1年に一度 トンガ人と一緒に締め切りに追われて ひーひー言いながら徹夜するのは 楽しい。

んで みんなで 笑いながら 寝ぼけながら 一緒の空間で 過ごしている。
今は 当たり前のこの事実が あと一週間もしたら 無くなってしまう。

当たり前の日常が もう手の届かないところにいってしまう。

文集作成の 締め切りは 明日(あ もう今日だ)。
明後日の早朝のボートで 本島に原稿を送って印刷してもらうのだ。

何もかもが 最後。それでも その事実を 信じることができない。
そんな 深夜2時。

ねむーい(><)

だってね 実は ここ2日 「PEACE DAY」なるものを エウア高校で開催していたので、その準備にもおわれていて
朝から晩まで 本当に食事を取る暇もないくらい。
いやー でも昨日でPEACE DAYも終わった!これが 大 大 大 盛況だったのよ!
記憶がいい人は 一年前 このブログで私が「peace day を開催する!」と誓っていることを覚えているかもしれませんね。
そうです!
有言実行!がモットー な きょんちゃん!やりました!やりきりました!
すべて やりたいと思ったことやりつくしました!
泣きました!笑いました!
まあ PEACE DAY については また次回ね!

いやあー あたし 青春してるよー 

帰郷

2007-11-27 18:53:41 | トンガ 青年海外協力隊活動記
トンガに派遣されている日本語教師で構成される日本語部会開催、JICA関係者による送別会、帰国報告会、帰国準備等々のため
1週間ほど本島にあがっていました。

日頃授業以外で日本語を話す環境にいないため、数ヶ月ぶりのJICA仲間との再会はやはり楽しいです。
たいてい、数日間は ちゃんとした日本語を話すのに苦労しますが(トンガ語を日本語に訳して話したりするので 変な日本語がでたりしてしまう)
3日もすれば流暢に日本語がでてきます。

さて、今回の本島滞在は私自身の送別会も開催され、トンガに派遣されているJICAボランティアのほとんどが集まりました。
私の任期中、こんなにたくさんの日本人を一度に見たのは自分の歓迎会と送別会だけだったと思います。はい。

どんなに太っても どんなに黒くなっても 私はやはり日本人なので 日本語で交わされる他愛のない会話は そりゃあ 楽しいですし
JICA仲間と お酒を飲んだり(エウアじゃめったに飲む機会はない)するのだって楽しい。
でも、そんな日も 5日も続けば ホームシックにかかってしまうのです。

やっぱ エウアが恋しくなるのです。そして「はやく帰らねば」という焦燥感。
私の帰国日も差し迫っているため
エウア島のみんなも 私がいない間 きょうこシックにかかったようで
島のトンガ人たちから「さびしい」とか「いつ帰ってくるの?」という電話もあった(笑)

で、一週間後 島に帰ったら 「あああああああーーーーーやっぱ ここだあー
あたしの居場所はここだあああーー」 と 強烈に感じました。

本島で日本人と過ごした一週間もそりゃ楽しかったけど 2年の任期中の大半を離島エウアで過ごした私にとっては やはりエウアにいる時が 一番楽しい。

帰ったら さっそく島のみんなが「おそいよー!」「さびしかったよー!」と叫んでくる。

みんなで 夜までくだらない話をして 大笑いして。

今までの人生で こんなにも自分の居場所だと感じられる場所はなかったかもしれない。

今回 一週間本島に上がったのは 主に帰国準備のためだったのだけれど
同時に エウアのみんなも 私の帰国に対する心の準備をする機会になったようで
「きょうこがいない間 ほんっとにさみしかった」とか 「きょうこが本当に日本に帰ることを考えると かなしすぎる」と 同僚や友人、みんな どまじめに 話してくる。いっつもジョークしか行ってこない男の同僚も そんなこと言ってくる。

一週間ぶりに 学校に行って 教え子と目が合った瞬間、教え子の表情がパッと変わって すっごく嬉しそうに笑って駆け寄ってくる。
「どこ行ってたの!?」「もう日本に帰えちゃったのかと思った!」
・・・・本島に行くだけだっていったでしょーが・・・・

まあ とにかく こんなにも 誰かに必要とされ 愛情をもらえる場所は
今までの人生でなかった。

なので こんなに 辛い 別れも 今までなかった。

がんばれー 自分。
これは ゴールじゃなくて スタートなのだ。 そうなのだ。

写真は今年のエウア高校ALL STAFF

喜怒哀楽の 怒

2007-10-22 12:53:10 | トンガ 青年海外協力隊活動記
帰国迫る今日この頃。
毎日毎日「あー まじ幸せだー ちょー楽しすぎるー トンガ人さいこー エウアさいこー」と 恐ろしいまでに幸せを感じまくっていた。

しかし「このまま終わるわけがない・・・?」なんてうすうす思っていたら
やあーーーっぱりねー

起きましたよ!揉め事が!喧嘩が!しかも立て続けに。
ここ1ヶ月くらい毎日笑いにあふれた生活だったのだが、

1 トンガ人親友と喧嘩
2 同僚に大激怒

あーあー 

確かにへこんだけど、同時に「うわー!やっぱ こうでなきゃ人生 リアルじゃないよなあー」なんて思って ちょっと嬉しかったりした。

つまり、いつもニコニコ笑っているだけの関係って リアルじゃないと思うのだ。
どんな親友だって、どんなに愛称のいいカップルだって
喧嘩をする。
親しくなればなるほど、お互いの腹のそこを見せ合って 言い合う。

それはきっと 「もっと自分の考えを理解してもらいたい」と思うから
熱くなって 怒鳴ったり 言い合ったりするのだ。
それって 結構労力のいることだから、どーでもいい相手には そこまでしないで「てきとーに あわせとこー」と 社交辞令モードになる。

誰かと喧嘩したり、誰かに腹を立てたりすることは
自分の気持ちを落ち込ませたりするし、辛いことだったりするけど

でもそういう過程ぬきに 深い人間関係は築けないのだ。

自分の2年間の活動を振り返って 本当にそう思う。

最初は 島の人に嫌われたくなくて、嫌なこともはっきり嫌といえず 口に出さず 一人でストレスを抱えたりしてたけど、
相手とぶつかることを恐れてたら 本当にうわべだけの付き合いしかできない。

親しくなればなるほど、相手の嫌な部分もたくさん見えてくる。

エウアで暮らして どっぷりトンガライフにつかってきたが
トンガライフに浸かれば浸かるほど 楽しさも増したが もちろん 嫌な部分を垣間見る機会だってたくさんあった。
でも
それでも
諦めずに 時に火山大爆発を起したりしながら 笑いと怒り、涙とセンチメンタルにあふれた リアルな毎日を送ってきて 本当に良かったと思う。
そのおかげで 今がある。

まあ 久々にトンガ人ともめて、へこんだけど
人生 こうでなくっちゃー!
あたしってマゾだから 辛いこととかあった方が 人生面白いよねーって思う。
まあ とにもかくにも
喧嘩できる相手がいるって いいことだねー!

School & Teacher's Day その4

2007-10-18 13:30:00 | トンガ 青年海外協力隊活動記
とにもかくにも
こうして ビッグイベントは 終わった・・・・

いやいや まだ終わらない。
なんつったって この日は創立記念日とTeacher's dayの二本立て!
式展が終われば 一気にTeacher’s day モードですよ!

プレゼントをたくさん持ってきてくれる子、「プレゼントはないけど」といってウマ(キス)をしてくれる子、逆に「きょこ!プレゼントくれ!」と言って来る子 さまざまだったけど
でも 教師冥利に尽きるとは このことです。

プレゼントをくれた子は皆 手紙も添えてくれていた。
うれしかったのは、自分の日本語の生徒だけじゃなく
副担任をしているFORM CALSSの生徒がプレゼントを持ってきてくれたこと。
しかも それが一番豪華だった・・・
Form classの生徒は 出席を採ったり 大掃除の時一緒に掃除をしたり、マフティデイである水曜日にお金を徴収したりしているだけなのに・・・・。
ありがとうねー
ちびっこたちー(私のForm classは Form2。日本の中二。)

で、一日が終わる前に、校長先生のところに行って 改めて今回この機会を与えてくれたこと、本当に感謝していると言いに言った。
校長は 「こちらこそ、ありがとう。本当によかった。とてもとてもきれいなsaame(psalm)だったよ」といってくれた。

実はこの日、式が始まる前に、私は校長先生に
「オケティ!(校長の名前)私今日全力で頑張ります!あなたに恥を欠かせないためにも、あなたの恩恵に答えるためにも 全力で頑張るよ!」
っていったら
彼女は「きょうこは いつも全力で頑張ってるじゃない?だから心配してないよ。ありがとう」って言ってくれて 涙ぐんでいた。

私には カウンターパートがいないので、テスト作成、採点、授業、クラスの問題、全てを抱えているので、時にすごくストレスだったりするし、日本語に関するイベントは全責任を負っているので 正直しんどいことが多かったけど
そういう時、助けてくれたのが校長を始めとした同僚達だったなあ。

その同僚にムカついたこともたくさんあったけど(笑)
でも 
時に泣きながら クラスの悩みを相談したこともあったし(かなり頻繁に 笑)
エウア高校でJapanese weekをした時も 同僚に手伝ってもらったし。

そういう関係のひとつひとつが 今とてもいとおしいのだ。

teacher’s day というのは 生徒が先生に感謝する日だが、
私にとっては 一教師である自分が、同僚の先生に感謝する日でもあり、
自分を教師たらしめてくれている生徒に 感謝する日でもあった。 



School & Teacher's Day その3

2007-10-18 13:14:51 | トンガ 青年海外協力隊活動記
はい。これ 私が読んでるとこー

もう めっちゃ緊張した。
たぶん トンガに来て一番緊張した瞬間だった。

しかも蒸し暑いし タオバラの隙間から感じられる私の熱気で またのぼせて
鼻血がでそうだったよ。

でも 無事読めたんだよー!スムーズに読めたんだよーーー(><)
まあ あんだけ練習してスムーズに読めなかった そうとうグズだねってくらい練習してもんなあ。
しかし 緊張した。

しかも 式が終わった後 生徒(生徒にはこのこと内緒にしておいた)とか 生徒の親とか もちろん同僚に
「すっごくよかった!」
って いわれて うれしかったんだよー

学校の事務員のおばちゃんたちは そのひ来客のお世話で忙しくてホールに来られなかったのに、「きょうこの番が来たときだけ 走ってホールにいったんだよ!」って言われて 

うえーーーーーーーーーーーーー
ありがとーーーーーーーーーーーーーーー

で、人というものは ゲンキンな生き物で、自分に課された大役が終わると、
さっきまでの緊張はどこへやらー
「はー おなかすいたなー 緊張して朝ごはん食べてないしなー」なんて考えていると、私の前に座っている校長先生が 振り返り「きょうこ、とてもよかったよ」と言ってくれた。

おなかすいたなー なんて考えてて 恥ずかしかったが
彼女の一言で、一気に またセンチメンタルモードになり、
生徒達の賛美歌、牧師の言葉等々 全てのイベントで 涙してしまった。

(ああ 私 もうすぐこの空間からいなくなるんだ)
と思うと つらかった。
でも 同時に これだけ 別れが辛いほど愛しい空間にいられることを幸せだなとも思った。
ふと前に座っている校長を見ると 彼女も泣いていた。
彼女にとっては 校長としては初めての年、初めての創立記念日なので思い入れがあるのだろうな。。。。
と もらい泣きしていたら 彼女が振り返り 静かに
「きょうこ 隣に座ってくれる?」
というので
(ああ、誰かとこの感動を分かち合いたいのだわ)と思い ハンカチを渡しながら「もちろん!」
といって 席を移動すると
「きょうこ!あの人の写真とって!あの人教育省の超有名人だから!」

・・・・・・

そーいうことかい!


School & Teacher's Day その2

2007-10-18 12:55:33 | トンガ 青年海外協力隊活動記
ということで 当日がやってきた。
当日の朝、準備をしていると、生徒が数名我が家にやってきた。
こんな 朝も早から・・・・(でもここ最近毎朝 学校前に生徒が我が家にやってくるのだが・・・何故だ?彼らは何をするわけでもなく 私の顔を見に来て じゃ!後でね!とか行って去って行く。)

で この日もまたそんな感じかなーとおもって ドアを開けると カホア(レイ)をもった 生徒が!!!
「どしたの?!」っていうと「これ キョコに!私が作ったの!」

だああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー
もうもう
やめてっつのーーーーー

童ども   「姫姉さまー これチコの実!みんなで集めたのー!」

ナウシカ  「チコの実。こんなにたくさん。大変だったろうに・・・・」
(映画ナウシカより抜粋)

みたいな。

10歳も違う少年少女のハートフルな行為に あたしは胸がいっぱいになりました。
で 「ありがとう ありがとう!」と数十回言って
「じゃ きょこ!後でね!」と生徒が帰ったので
今度は タオバラ(トンガの正装 でっかいマットみたいなの)を巻きに アヒのうちに行く。
学校で授業をしているとき、男性は小さめのタオバラ、女性はキエキエというものを腰に巻かなくてはいけないのですが、
この日の私のように、公的な場所で何か発言したりする時は 写真の私が巻いているようなBIG タオバラを巻かなくてはいけないのです。

ちなみにキエキエというのは 写真で私以外の同僚が皆がつけているもの。

で この日はもちろんアヒが「タオバラをつけなきゃかっこ悪い!」といい
前日から このタオバラを親戚の家から借りてきてくれていたのだった。

一人では巻けないので、アヒのうちに行き巻いてもらう。
「アヒー おっはよーん」といって アヒのうちに行くと
私が首に巻いている生徒からのカホア(レイ)を見て
「なんじゃそりゃ!?」と一言。
「生徒がねー くれたんだよおー」と ニコニコして答えると
「はあ?!ダメダメそんなの!あたしが作ったカホアのほうがきれいジャン!」
と 大人気なく焼きもちを焼き 私から生徒のカホアを奪いとってしまった。。。

私は アヒの作ってくれたカホアと 生徒の作ってくれたカホアの両方つけるつもりだったので、ちょっと悲しかったが、
アヒが 「やだやだ!絶対あたしのカホアだけ付けなさい!どうしても生徒のカホアを付けたいんだったら 式が終わってからだったらいいわよ!」
と言って聞かないので、 従うことに・・・。

トンガ人って ほんと焼きもちやきだなあー
生徒がせっかく作ってくれたのに 残念だったなあ。

School & Teacher's Day その1

2007-10-18 12:30:24 | トンガ 青年海外協力隊活動記
School day 前日。
その日は とても蒸し暑かったので 放課後7時ごろ 港に泳ぎに行く。
泳ぐといっても 洋服を着たまま 港に飛び込んで ラグビーボールを投げあったり もぐったりする(しかも 日が暮れた後)。
これが 気持ちいいんだよねー
星空をみながら海に浮かんで20代後半の同僚達と 笑いあう。
んで トンガもようやく暖かくなってきたので、泳いだ後 学校に帰るまでの上り坂10分も ぜんぜん寒くないし。むしろ すずしい。

んで その後 シャワー浴びて 翌日読む賛美歌(PSALM)を読んで練習していたら電話がなる。
相手「Kofe koe?!(あんた 今どこ?)」
仲良しの同僚からだ。
私「‘I Api pe. toki ha`u mei tahi (うちだよ。海から戻ってきたばっか)」相手「Haue- Amusia koe- Oh kioko,Ha`u ki eku api ! vave!
 (わーお うらやましい。お、きょうこ、あたしのうちに来い!今すぐ)」 

といって 電話代をけちる同僚は 即電話を切る。
たいていの場合、「来い」と言われたら 行く以外に私に選択肢は用意されていない。
彼女もおなじ教員宿舎にすんでいるので 20秒程度で彼女の家に着く。 

で、彼女の家に行くと、
なんとなんとー
あたしのために カホア(レイ)を作っていてくれたのですー
まじ 感動ちゃったぜー
やばいねー

だって 今 教師は皆一番忙しい時期で 学校が終わって 家に帰って またすぐテストの採点や テスト作成に終われる日々なのに、、、。
(まあ この日のようにたまに 海に行って泳いだりするけどね 息抜き大事よ。)

「なにこれ?!」とびっくりする私に 「学校が終わってすぐ カロ(同僚の親戚の子)と 花つみに行ったんだ。明日 きょうこと あたしは おそろいのカホアつけんの。いいでしょ?!」
という同僚 アヒ。
アヒは 日頃 Kapekape(swear:shitとかdamn it とか。かなり悪い言葉のトンガ版)ばっか言ってるし 二人でいると 人の悪口を愛情こめて言ったり(トンガじゃ 悪口言うのも会話の一つですから 笑) わたしが 何かでへこんでいても「そんなの悩んでるのは時間の無駄無駄!」と サラっと一括するタイプなんですが、時々すっごーーーーーーく 愛情を感じることをしてくれるんだよねー

しかも ぜんっぜん 恩着せがましくなく 今回も
「あんた これあしたつけんのよ?!わかった!?つけなかったらコロス!」みたいな勢いで
あたしが「ああああーーー まじ感動したあああー」って叫んでても
「あんた ばっかじゃなーい?!大げさー!」って サラーッと言うんだけど
でも
そういう時 アヒの顔って むっちゃニコニコしてるから すっごい好きだ。

その後 アヒと深夜12時に トーパイ(小麦粉を水でねって ココナッツと水でゆでた甘くてヘビーなお菓子)を平らげ 明日の練習をして 床に就いた。 

本当に いい同僚達に めぐまれているなあ。。。と感動したBIG DAY 前夜であった。

大 抜 擢!!!

2007-10-11 12:13:37 | トンガ 青年海外協力隊活動記
明日は わが配属先エウア高校の創立記念日である。
それに加え、今年は teachers dayなるものが教育省の一存で開催が決定され(つい2週間前に決定した) 今年は 創立記念日とteacher's dayが合体したイベントが催される。
Teacher's dayには 生徒が自分の好きな先生にプレゼントをあげるのだ もう今週の月曜から 生徒達が「きょーこに プレゼントあげるからねっ」と言い寄ってきて かあーいいーーー

Teacher's dayに関しては まあ2週間目に開催決定したほどなので、上記したように 生徒が教師にプレゼントをあげるだけなのだが・・・・

創立記念日。これは 熱い。。。。 
日本だと 創立記念日は あまり盛り上がらないが、トンガは違う。
何が違うって 規模も違うし、第一卒業生の気合の入れ方が違う。
エウア高校卒業第一期生から現在 在学中の学生までが集まるのだ。

そんな中、、、、、なんと、、、、
大抜擢されてしまったのですわたくし!!
この創立記念日、キリスト教国家トンガらしく お祈り、賛美歌、牧師さんからのお説教等々、かなりオフィシャル的なプログラムにのっとって行われるのだが、
校長先生から
「恭子に 賛美歌を読んで欲しい」と頼まれたのです!

いやあー 感動しました・・・。
トンガは 敬虔なクリスチャン国家なので、特に私の住んでいる小さい島などは 外国人でキリスト教徒ではないものが教会のことに口出しするのは ありえないことなのです。
なので 最初は「私が適任じゃないと思う。私のトンガ語の発音が悪くて、大事な賛美歌の内容を間違えてしまったら申し訳ないから」と断ろうとしたが、
「この賛美歌の内容は 是非恭子に読んで欲しい。生徒にも きっと何か伝わるものがあるだろうし、きっと帰国しても恭子の心にずっとこの賛美歌が残ると思うから。」
と校長先生に言われた。
もーーーーーーーーー
やめてっやめてっ
泣けるじゃねえーーーかああーーーーー

前述したように、創立記念日にはエウア高校の学生、教師以外にも 学生の家族、卒業生、教会関係者、教育省からのゲスト、エウアの全小学校教員等々が集まるのです。そんな中で、私に賛美歌を読むという大役を任せてくれた 校長先生の思いに答えたくて、猛練習中。
実際 職員会議で 校長先生が「賛美歌は恭子に読ませる」と言ったら 数名の教師から「教会のことを 外国人にやらせるのはいかがなものか」と意見がでた。
それは当然のことだし、私も(やっぱりあたしはクリスチャンでもなければトンガ人でもないし・・・私が読まないほうがいい・・・)と思わされたが、校長先生と他数名の同僚が「恭子が読むのでいいじゃない? 賛美歌は 唯一 キリスト教の宗派を超えて共通しているものなのだから」と言ってくれ 結局私が読むことになった。

そうやって この機会を与えてくれた人たちに応えたい。
なので 同僚教師に頼んで、彼女の賛美歌を録音して、寝る前に毎日聞いて繰り返し発音の練習をしてきた。
賛美歌の意味も、全部訳した。
そして、
校長先生が「恭子に読んで欲しい」と言ってくれたことの意味がわかった気がする。
その賛美歌は 農夫の話だ。
要約すると
「彼ら農夫は、種をまき 土を耕す時 その困難さ故 大いに涙した。
 しかし、その種が大きく成長をし 実をなす時 喜びの歌を歌い
 大きな幸せを味わったのだ
 最初はとてもつらく たくさん涙をながした
 しかし 辛ければ辛いほど 実った時の喜びに勝るものはない」
というものだった。
つまり、
No pain No gain。 あたしが 一番学生に伝えたいことだったからだ。

同僚の先生たちも 一緒に練習に付き合ってくれて、
明日着る洋服まで選んでくれるほどだ(笑)

明日 賛美歌に自分の思いをのせて、 学生達、同僚達、エウアの人々に 届けられるよう 頑張ろうと思う。

幕末をトンガで考える。

2007-10-03 09:56:45 | トンガ 青年海外協力隊活動記
吉田松陰は 29歳の若さでこの世を去ったということを 最近 本で知った。
私は これまで松蔭は30代後半で死んだのだと思っていたので、ちょっと衝撃だった。
29歳という若さで、松下村塾を開き 門弟に慕われ 彼らに大きな影響を与え、そして自分は死に向かって突っ走っていった。
彼の死後も 、門弟の中から 尊攘運動や明治維新で大活躍した者がたくさん排出された。

今から130年以上前の話。
私は今27歳。あと1年で 松蔭が松下村塾を開いた年齢と同じ歳になる。
まあ、吉田松陰とか 幕末、明治維新等々偉業を成し遂げた偉人達と自分を同等に考えて比較するのは浅はかですが、ただ彼らの年齢と今の自分の年齢とだけを考えて比較してみると やっぱり私はまだまだ青二才だー と思わされる。
ちなみに年齢ネタで、「幕末史の奇跡的存在」(かっこいい表現ですねー)坂本竜馬は33歳でこの世を去る。
さらに、ちなみに、パッカーのバイブル(?)「深夜特急」の著者 沢木耕太郎がユーラシア大陸横断の旅に出たのが27歳(だったよね?)。ゴーダマシッダールダは35歳で悟りを開き仏陀になる。

まあ そんなことは別として 幕末って面白い。
あたしがもし男で、幕末に生きていたら、間違いなく死に急いでいたタイプに属していただろうなー。
基本的に 私は猪突猛進タイプなので、「自分は生き抜いて革命後の日本を支えるのだ」などという 思慮深い考え方はできなかっただろう。
おそらく、京都なんかにむらがっていた脱藩志士たちと 熱く攘夷論、倒幕論などを語り明かし、明日をも知れぬ命という状況の中で それでも歴史を変えるのだなんてかっこつけていただろうなー
だって あたしって ナルシストやん?

松蔭は「体は私なり 心は公なり」という言葉を残しているそうだ。
この言葉を知った時、インドの哲学“梵我一如”と通じている!?と 大興奮したが、
ようするに
「私(体)を こきつかって 公に殉ずる者を大人(立派な男)といい、公をこきつかって私に殉ずるものを小人(つまらぬ男)と言う。小人が死ねば その肉体が朽ちるだけだが、大人は死すとも天地の理の中で生きている」ということだそうだ。うーん まさに 幕末を生きた人という感じだ。

私は 男でもなければ 侍でもなく 幕末というある意味特殊な時代を生きているわけでもないが、
いつだったが、大学生のころ バックパッカーで放浪しまくっていた時、インド-ネパール国境越えの長距離ゲロバス(悪路ゆえ、乗客のインド人ネパール人が頻繁に吐く:詳細はわたくしのHPに載ってます。)の車内で乗り合わせた旅人と話していた時、自分の人生観を話していたら「それは Samurai spiritだね」と言われたことがあった。
当時、たしか「わたしは 死ぬ瞬間の為に生きている。」という とんでもないハードボイルドな ルー大柴だってびっくりな ナルシスト発言をしたと思う。「いかに死ぬか」たしかにそれは 武士道と通じるところがあるのかもしれないなあ。

どんなにお金があっても どんなに美しく着飾っても あの世にまでそれらを持って行くことはできない。
どんなにすばらしい地位や誉をもらったって 死んでしまったら それで終わり。
じゃあ どうして 生きているのだろう。おそらく、死ぬ瞬間に自分の人生に満足するためではないだろうか。(あれをしておけばよかった。)(あの人にこれを伝えておけばよかった。)と後悔しても遅い。でも きっと人間は欲深いから 死ぬ瞬間に1つも後悔のないことなんてありえない。けれど 死ぬ瞬間にその後悔が一つでも少ないように 今自分のやりたいことを 自分のできることを 今 やっていきたい。
今できることは今やる。だって明日はないかもしれない。

幕末の志士たちと比べたら 時間はあるのかもしれないが、命がいつ終わるのか 誰も知らない。
それは 130年前も 今も 同じだ。

後悔のない人生はない。でも やる前に後悔するより やった後に後悔した方がいい。そりゃそーだ。
失敗の多い人生のほうがおもしろい。だって 一回しか生きられないじゃん。いっぱい 失敗しとこー 
No 失敗 No ライフ。 
ちなみに、今回のテーマ幕末に絡めてしめるとすると、100年以上も前、京都をはじめとしてたくさんの血が流れる中、幕府の一存で日米修好通商条約が締結され、結果日本が開国したことにより 今あたしはトンガにいることができるのだ。むむーん ちょっとむりやり こじつけたかね?

写真は エウアの侍。あ 私の同僚。