before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

birthday

2005-08-30 03:19:33 | Weblog
25回目の誕生日。
思い出に残る誕生日。
プレゼントをもらった誕生日。
がんばって作ってくれた料理がほんとうにおいしかった誕生日。
ケーキをたくさん食べた誕生日。
まだまだ日本にいたくなるような誕生日。
母が覚えていた誕生日。
去年は家族の誰一人覚えていなかった誕生日。
母が高いネックレスを買ってきてくれた誕生日。
その領収書を勝手に父に送りつける誕生日。
友達がメールでお祝いしてくれた誕生日。
国際電話でお祝いしてもらった誕生日。

誕生日を祝ってくれる人がいる。世界一幸せ者
ありがとう。みんな大好き。
明日から わたしはまた走り出すぞ!よーいどん!


着物着たい症候群

2005-08-28 21:43:16 | Weblog
(the diary of Aug 28)
どうしても 上野の エジプト展に行きたくなった。
着物を着ていこうと思って 箪笥から出すと 先月買ったレースの半襟があったことを思い出した。
せっかくだからその半襟を使おうと思って 長襦袢から今ついている半襟をとって レースの半襟を縫いつけて・・・などとしていたら3時前になってしまった。
東京美術館は5:00まで。今から行ってもろくに見れないと思い 諦める。
でも せっかく着物着たから 吉祥寺に用事があるという兄ちゃんについていくことにする。日頃さえない服しか着ない兄の為に 洋服を見立てる。靴も買う。全部で1万5千円ほどになった。 ちゃんとした格好すればかっこいーのにーい!
その後 兄と別れ 友達と韓国料理を食べて帰った。
やっぱ 着物はいーですねー
ちなみに今日の着物は全部古着。 長着 4000円 帯3000円 半襟3000円。
安いでしょ?私 紫好きなんです
写真は無表情ですが 怒っているわけではありません。エジプト展にいけなくてがっくりしてるんでやんすー

See you at CAVERN CLUB

2005-08-27 21:22:40 | Weblog
(the diary of Aug 27)
今日は 今月3度目の CAVERN CLUB(笑)。もう おたくですよ。Aガールだよ。
今日は 私にCAVERN CLUBを紹介してくれた人 Rolling stone にも連れて行ってくれた人 桃と一緒に行った。桃は大学時代同じクラスで 一緒にカンボジアにも行った。
東北やら宇都宮 沖縄も一緒に行ったねー
今日は ラストCAVERN CLUB つまり次にここに来るのは二年後なので 最初のライブから最後まで居てやろう 丸山弁護士だって24時間走ってるんだ!起きてやろうじゃないか!ということで 気合入れて向かう。
何度もくどいけど SILVER BEATS。最高です。
しかも 今日は私のバースデーもやってもらった名前を呼ばれてステージに上がると 憧れの面々が間近に見れて ドキドキ
マブジョンさんが 気を利かせて青年海外協力隊の話もしてくれて もう感激っ緊張してワインを持つ手が震えたっ(>∀<)最高のバースデーだった(本当は3日後だけど)

私はBEATLESの曲の中で in my life という曲が好きだ。他にも好きな曲はたくさんあるけど 歌詞が好きだ。本当は誰か特定の女性に対して「愛しているよ 誰よりも」という意味なのかもしれないが 私は勝手に誤訳していて 「僕が出会った人全てを僕は愛しているけれど でも一人一人を比べることはできない。一人一人がとても大事で その人一人を考えたとき 僕は誰よりもその人を愛していると感じるんだ」そういう歌詞だって思っていた。誤訳だと気づいても 今でも勝手にそう解釈している(笑)
初めてCAVERNに来た時 海外に行く前に絶対また桃と来て この曲を聴きたいと思った。
私は 桃という友人が大好きだ。人の意見を素直に聞き入れることができるというのは才能だと思う。そして一緒にいる人を優しい気持ちにできる人だと思う。私にないものを持っていると思う。
大学時代から 馬鹿なことをいっしょにやってきた。でも 同じくらい真面目なこともやってきた。お互いいつも一生懸命だった。
何より、私のターニングポイントになったカンボジアの旅に桃が一緒にいたことは大きい。基本的に私は一人旅が好きだが 自分の人生において大きなきっかけとなった瞬間を知っている その瞬間を一緒に過ごしている人がいるというのは とてもすばらしいなあ と最近しみじみ思う。そして それが桃だったことが とてもうれしい。

シルビが 「きょうこちゃんに・・・」と言って演奏してくれた here there and everywhere は 聴いている瞬間 感激のあまりずっと胸がドキドキしていた。
涙がでそうで 必死に堪えました
こんなに音楽が心に響くのは モンゴルで馬頭琴の演奏を聞いた以来だ(笑)
いやー 馬頭琴コンサート 是非聴いてもらいたい!これすごいよ!
幾重にも重なる深い調べが胸の奥深くに共鳴して 体全体が包み込まれるんですよー
話がそれました(^^;)
とにかく絶対今夜のことは忘れられないと思った。本当に感動した。

twist and shout / two of us / blackbird / she loves you/ across the univers どれもどれも かっこよかった
最後のステージまでいたのは初めてだったが 最後の演奏はAbby roadのラストの三部作
で これまたシビれた。かっこよすぎるよっ(><)!

マブジョンさんは 本当にいい人だったー かっこいいのに優しいなんて天はニ物を与えるんだねー同じ歳には思えないほど キラキラしてる。私も同じ25歳としてキラキラ輝くためにがんばりたいと思う。

閉店後は 桃と東京タワーに向かって外国人を押し分けながら散歩し HARD ROCK CAFE で oasisやクラプトンを一緒に歌いながら深夜にオニオンリングを食べてもたれて後悔し カラオケに行った。カラオケでは桃が HIP HOPを歌いだしたので 私も負けずにm-floで対抗したら動悸息切れ 急心救心その後 BEATLESとウルフルズを叫ぶ詩人並に熱唱し ラストナンバーは ウルフルズの「笑えれば」でしめた。ああ この歌ほんとーにすばらしーです

今日は 大好きなbeatlesを 大好きなシルビサウンドで聴いて 隣にはin my lifeで泣いちゃう親友がいて 最高の一夜でした。
忘れません。 そして こんだけ幸せな思いを味わえたから これを栄養素に私はトンガで一人でもがんばれるし 2年後CAVERNで桃の誕生日を祝うまでは 私は何があってもくだばれないと思った。

桃、2年後CAVERNで お互い大きく成長した姿を見せ合うことを励みにがんばろうね!
桃 大好きって言いまくってるけど うちらレズじゃないですからー 残念(>□<)

何よりも大切な時間

2005-08-23 19:47:25 | Weblog
(the diary of 23)
大切なのは お金より時間だと思って 私は生きている。
「いつか行けるからいいや」「いつか会えるからいいや」
インドのバナラシに行ってからそういう風に思うのはやめた。
お金が無くても 今やりたいことは 多少の困難があってもやるべきだ。
いつ死ぬかわからないし 一緒に何かやりたいと思っている相手がいつもそこにいるとは限らないし この世からいなくなってしまうこともある
「ありがとう」と いつでも思った時に言おう 伝えよう そう思って生きている。

今日は このブログでもお馴染みの 地元メンツと遊ぶことになった。
インドにいる啓子に 誕生プレゼントをみんなで贈ったところ なんと小包2個が彼女から送られてきたのだ!私ももうすぐ合宿ということで 急遽集まることにした。
場所は 吉祥寺で一人暮らしをしている れいこ宅。

毎度のことだけど 集まるとうるさい。まとまりがない。笑いすぎてつかれる。
夕食は 啓子が送ってくれたカレーレトルトやらラーメンやらと れいこの買ってきた手羽先唐揚げ。酒を片手に ほぼ作りながら 騒ぎながら食べるといった状態だ。
暖め終わったレトルトカレーを珍しくうんぼがすばやい動きで取り出そうとしていた。
「カレールー熱いから 気をつけて袋から出してよ!」と周りから散々注意されたうんぼ。やっぱり カナミの手に熱湯カレーをひっかけて怒られる。
何故いつも そうなのか。
途中啓子から国際電話がかかってきたりと大盛り上がりだった。
何よりうれしかたのは 私の誕生日ケーキをこっそり用意していてくれたこと
毎年各々の誕生日は祝っているから わかりそうなもんだが 私は素で忘れていた。
だから うんぼが電気を消したときも「それトイレの電気じゃないよー」と素でつっこんでいた。
ろうそくのついたケーキが運ばれてきたときは 驚いてしまった
自分の誕生日が近いということをすっかりわすていたから すごくうれしかったありがとう みんな
こうして 大好きな中間達と 過ごす時間。 これこそ かけがえの無いものだね。
まさに プライスレス。
今まで一緒に生きてきた。受験に失敗したり 失恋したり 悩んだり 笑ったり 誰かに何かあったらみんなで支えた。みんなでアホなことをやって 笑い飛ばした。

これからも そうやって年をとって行きたい。 たくさんの時間を共有したいね

Love Beatles!

2005-08-22 19:28:14 | Weblog
(The diary of Aug 22)
えー 今月2回目のCAVERN CLUBです(笑)。行き過ぎ?
画像はなかったので 私の部屋の壁に貼ってあるCAVERN CLUBのコースター。
Apple Record風。かわいいよねー

 前々から いろんな人と行く約束をしていたのですが予定が合わず結局もう日にちがないということで 無理やり予定を合わせている状態です。
今日は 母と。
母は まさにビートルズ世代で 以前にも何回か一緒に来た事がある。母の誕生日をお祝いしたり 母の日につれてきたりしたなあ。
この日は 研修で埼玉県にある国際交流基金で 日本語教師研修プログラムで日本に来日している海外の日本語教師(外国人)の方達との親睦会があった。
ここ数日 いろいろ悩んだり 課題が終わらなくて平均睡眠3時間だったりと 身も心もまさにボロボロだった。
「あたしで いいのかな。 あたし 本当にやってけんのかな。 JICAの名を汚すことにならないかな。」悶々としていた。
しかーし CAVERNに入った瞬間、元気が出てきた!
いつ聴いても シルビが演奏するBEATLESサウンドは いい!

ライブの合間にいろいろ 母に愚痴やら 悩みやらを 話した。
さすが私より20年以上長く生きているだけある。すっかり自信喪失していた私だが「やるしかないんだ!」そう思わせてくれた。
そして 何よりも シルビが私の好きな曲を演奏してくれるたび 大げさに聞こえるかもしれないけど 本当に 悩みがどこかに飛んでいくような気分だった。
最後に リクエストした Twist and shout が演奏されたときなんか もう感激しすぎて 悩んでいた私なんか どっかいっちゃてました(笑)

今まで 私はちょっとウルフルズが好きなだけで それほど音楽に影響されたことは無かった。でもsilver beatsの演奏を聞いてから その音楽に対する概念が変わった。
音楽は 音楽療法等があるように 心に何かを伝えることができるんだなと思う。
馬渕さんとも話すことができたし 帰り道リーダーに偶然会って話せたし かなり忙しかったけどCAVERNに行ってよかった
翌日から 嘘みたいに自分らしく元気に研修に挑めた。いい意味で吹っ切れた(笑)
トンガに行ったら 気分転換できる材料(お笑いDVD や 気心知れた仲間との馬鹿話 シルビの演奏)はほとんどないから心配だが そのために BEATLESのアルバムは全部もっていくのだっ もちウルフルズも

次に母とくるのは二年後だ。ちょっぴりセンチメンタル
今月は あと一回シルビに会いにいくぞー(>∀<)

JICA日本語教師補完研修3

2005-08-21 20:43:33 | Weblog
いやー 日本語で打つと短時間でたくさん打てるから どうも長い文章になりますねー(^^;)

で なんやかんや悩んでいたけど 吹っ切れてからは 新たな意欲でいっぱいで
キラキラしてるよ。自分の世界が。

アジア圏では日本語習得が就職に役に立ったりして 日本語教育が直接「援助」に繋がる。
でも トンガはそうじゃない。 トンガにおける日本語教育の役割はもっと抽象的だ。トンガ側も 日本のODAで立ててもらった学校だから日本語学習を義理で採り入れないと・・・・というのが本音かもしれない。

でも だから私のような者が選ばれたんではないだろうか。運命なんじゃないだろうか(この辺 恐ろしい程 プラス思考 笑) つまり 遠藤周作 著「深い河」でいう 「たまねぎ」 ですよ。
確かに
私には 実力 経験 伴に無いけど おもしろく楽しく生きていく力には長けている(気がする)
だから 私は 歴代隊員とは 異質な教師になるかもしれないが とにかくおもしろい教師を目指そうと思う。もちろん授業はしっかりメリハリをつけて行うつもりだが、授業以外でも なるべくトンガの文化を学ぶよう地域の活動に顔を出そうと思う。そして 日本でもそうなように 大きな声で笑ったり おもしろいことを言ってみたりしよう。こんな日本人だっているんだって伝えたい。
生徒達が 卒業後 日本語の文法を何一つ覚えて無くてもいい。
「日本って国があって おもしろくて一生懸命な日本人の先生がいたなあ」って思い出してくれればいい。思春期の多感な時期(私の赴任先は中学校と高校)にいる彼らの心に 何か小さな小さな感動や 刺激を与えられたらいい。
そう思う。
一生懸命活動した結果、やっぱり日本語教育は問題がある。ボランティアなんて奇麗事だ と思えばそれはそれでいい。自分自身が体験してリアルに感じたものだから。唯一無二のものを得たなら その内容が何であれ2年間は無駄ではない。

自分らしく 楽しく 一生懸命 日本語を 日本文化を 伝えよう。
肌の色が違っても 通い合う心があることを伝えたい。
同じ時間に 別の場所で 生きている人達がいることを伝えたい。
地球儀を リアルに感じてもらえるように 。
がんばりまっしょい!
だって 私には応援してくれる人が たあーーーくさんいるんだから!

JICA 日本語教師技術研修2

2005-08-20 20:26:13 | Weblog
とはいえ やっぱり世の中そううまくはいきません(^^;)
わかっていたことだけれど 私以外はほとんど経験豊富な実力のある日本語教師の方達。そんな中で 劣等感 焦り 不安 怒涛のように私を襲ってくるわけです。

根性ややる気だけで活動するなんて 理想論。 やっぱり実力がものを言う。それが現実。しかし 私にはそれが伴っていないのに 赴任することはもう決まっているのだ。
普通の新社会人や 新米教師だったら わからないことがあれば 先輩に聞けばよい。しかし 私の場合 わからないことがあっても聞く人がいない!ネットでメールして 教授や先輩教師に質問することすらできない。すべて自力で解決するしかないのだ。

そして もとより 考え始めたら どこまでも深く深く掘り下げていろんな方向から考えつくす私の性格より、 結局 国のお金を使って日本語を教えに行く意義は何なのか?!という これまたどでかいテーマに一人落ちてしまった。
抜け出せない・・・・(^^;)
私の行くトンガは小さな島で 日本の企業進出もありえないし 日本に留学することもない。一体日本語を勉強してなんになるのか。
その答えを 言うことはできる。「気軽に島の外にでることができないからこそ 異国の言葉を学習することで 自分達とは全く違う文化 考え方 生き方をする人間が存在するということを知り 彼らの人生に 違う世界を「想像する」力を与えたい 」
でも こんなの奇麗事じゃないか!と とことん考えていくうちに 気分はすっかりめいっていった。
あたしが やっていけるのか。 あたしが行っていいのか。。。。。
自問自答の日々。
私が赴任して 拙い教授法で生徒の成績が下がったらどうしよう わたしのせいで日本語教師派遣は不必要だと判断されたらどうしよう
どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう 

そんな日々をすごしながら 迎えた月曜日。母と六本木のCAVERN CLUBに行く約束をしていたので 研修後向かう。
わたしは 何か悩んでいても それを誰かに伝えたり言葉にしたりすると ますますその悩みや辛さが明確になり深刻化するので ぎりぎりまで一人で考える。

でも ビートルズサウンドを聞いているうちに なんとなく悩んでいることを母に相談してみた。
「成績が下がったら・・・とか 日本語教師が打ち切りになったら・・・とか考え て活動するなんて 最低の教師でしょ?自分のために活動するつもりなの?」
目が覚めた。
そうだ 全部保身から生まれた悩みだ。 違う違う。わたしが青年海外協力隊を志したきっかけは そんなんじゃない!
もう やるしかないんだ!

そして silver beats が私のリクエストした Twist and shout を演奏してくれただけで もう 私の悩みは ふっとんだ(笑)

実力も経験もないけど 根性でやるしかないんだから やってやろうじゃないか!

JICA 日本語教師技術研修1

2005-08-19 19:57:20 | Weblog
8月19日~25日 にかけて 広尾にある青年海外協力隊訓練所で平成17年2次隊日本語教師の技術補完研修があった。
平成17年2次隊で派遣される日本語教師は全部で30人。
派遣予定国は 中国 トンガ パラオ モンゴル エジプト スリランカ エルサルバトル ホンジュラス タイ カンボジア 等 様々。
私の赴任予定国は トンガです。 同期で日本語教師としてトンガに行く人は私の他に3人います。
しかしトンガは諸島なので 首都のある本当に2名 離島に一名づつで 私はその離島に赴任します。 島の名前はエウア(Eua)島。
空港のある本島から さらに船で3時間。 インターネットは本島にしかなく Eua島内での主な交通手段は ヒッチハイクという なんとものどかな島です。

今回の研修は 日本のODAの一環として日本語教師の活動意義のようなものを話し合ったり 諸先生方の話を聞いたり 国際交流基金のオフィスに行ったり 自分の派遣国の報告書にすべて目を通したりするのが 主な内容でした。

私は ボランティアで週一回ミャンマー人に教えていただけなので 日本語教師としての経験はほぼ無いと等しい。大学卒業して バイトしながら必死に専門学校のローンを返し ようやく自由になるお金ができたので海外の日本語学校に就職しようと思っていた矢先の JICA合格だった。3年間ずっと落ち続けても諦めず受けてきたくらい 青年海外協力隊は私の夢だったので 確かにうれしかったが 同時に不安もあった。経験のない私が果たして任国でやっていけるのか・・・

JICAから 合格通知とともに 現地で使う教科書が送付され これを基に期日までにシラバスと教案を作るようにとの課題があった。とりあえず この課題をできる限り細かくやっていくしかない。と思い 死に物狂い(笑)で取り組んだ結果 シラバスと教案を合わせたら 大学の卒論並みの枚数になった。

研修一日目 研修を担当してくださる 技術顧問の佐久間先生に自分が不安に思っていること 教案でわからなかったことを質問しにいくと
「あれ?君が井上さん?あの課題を提出した人だよね?いやー あれ すごいね!
 今まであんな量を作った人いないよ!よくあそこまで細かくやったね!それで相 談なんだけど 君の作ったシラバスと教案を 今後の資料としてJICA3支部に保 管したいんだけどいいかな?本のような形にしたいんだ」 
もう びっくり。 しかも
「君の書いた 筆記試験の論文 僕覚えているよ。あれは満点をあげるよ。あんな に長い文章書く位だから ずっと考えていたんだね。一度日本語教師を辞めよう とも思ったんだよね。」
と言って下さった瞬間 私は溢れてくる涙を 必死に堪えていた。手をグーにして必死にこらえた。
「はい。そうなんです。でも それでも 何か意義があると思ったんです。言葉を 教える以上に何か伝えられるものがあるんじゃないかと。そして まだやっても いないことを 机上の空論で判断することだけは嫌だったんです。 私間違って いませんか?」
「間違っていないよ」
その言葉だけで 私の3年間は 決して無駄じゃなかった。そう感じた。
ずっと落ち続けて 途中心臓も悪くなって もう合格できないんじゃないか。
こんだけやる気あるのに JICAは経験不足なだけで評価してくれない!とふてくされたこともあった。
筆記試験の論文なんて たいして考慮されないだろうと思っていた。でも思いのたけをぶつけずにはいられなかった。
だけど そんな私を 実力もなくただやみくもに諦めずに挑み続けた私を 文面を通して受け入れてくれている人がいた。

才能も実力も無い私が できること 評価されることがあるんだ。

帰り道 広尾駅まで遠回りして すごく久しぶりの「うれし泣き」をした。
世の中 がんばったら それを見ていてくれる人っているんだな。

先生に言われて 思い出した。 
ずっと不合格をもらい続けていたとき
本当につらかった。
インドでボランティアの汚い面を見たとき
本当にくやしかった。やめようと思った。
でも
今まで やってきた。 実は結構大変だった。 ひくつになった。 頭がおかしくなった。でもやってきた。
やってきて 本当に本当によかった。。。。 そう思った夏の夕暮れ。

ようやく

2005-08-19 13:34:58 | Weblog
8/26
技術研修が終わった。
17年2次隊で 派遣される青年海外協力隊 日本語教師は 全部で30人。
みんな ほとんどが 経験豊富な日本語教師。
その中で 私は劣等感や 悩みや 不安など いろんな-の要素を積み上げていってしまい 正直 しんどかった。 でも いろいろ考えて なにかか悟ったようだ(笑)
そのうち研修内容などもアップします

さて 合宿まで5日間!準備急がなくては!

Disny land!!

2005-08-17 01:27:35 | Weblog
(The diary of Aug 17th)

I went to the dream land. Disny land.

About 3years had passed since I went there last time!
So I was really looking forward to go there!

It was so hot today.
I was almost Heat Disorder.
But I was really enjoying there!

I have never been to ゛Disny sea".
So someday I wanna go there too!

Oh! Someone, please take me there.

60回目の終戦記念日

2005-08-15 14:11:01 | Weblog
(the diary of Aug 15th)

「天国への道を知る最良の方法は 地獄への道を探究することである」
マキャベリの言葉。

今年 日本は戦後60年目の夏を迎える。
焼け野原から たったの60年で 日本は経済大国として世界に名を馳せるようになるまで発展した。
60年で ここまで発展したことがいいことなのか。悪いことなのか。
急速な発展の段階で 得たものはたくさんあるが同時に 忘れたものも 無くしたものも 消してしまったことも たくさんあるような気がする。
わたしは60年間のうち最新の20年しか生きていない。だから真実はわからないけれど
忘れてはいけないもの 目をそむけてはいけないものを 日本人は放ておいてきてしまったような気がする。

義務教育の歴史授業で 太平洋戦争を学習するとき 日本がしていたことは「侵略戦争」だったと教わったことはなかった。
毎年 終戦記念日が来るたびに 「日本は世界唯一の被爆国」という被害者意識しかなく
「アメリカは原爆を使ってまで勝ちたかったのか?!」などと憤りを見せていたものだ。
でも そうじゃない。
日本は 被害者ではない。 加害者だった。正しくは 「加害者でもある」と言えばいいのかな。
確かに 沖縄上陸線や 原爆で 民間人が被害者となった事実を訴えることは大事だ。
けれど 日本は 同じ事をアジアでしてきたではないか。
どうして 毎年夏になると 「被害者日本」の側面しかテレビの特集や ドラマなどで放映しないのだろうか。 もし私が日本の侵略を受けたアジアの国の国民だったら 加害者の日本が 100%被害者面をして 世界平和を訴える姿を見たら 憤りを越えて笑ってしまう。
正しい歴史認識は 偏った方向からの説明や報道からでは成されない。
被爆国として 世界に平和を訴えていくのであれば 日本が戦時中 他の国に対し行った非情極まりない行為も 同時に学ぶべきだし
戦争を知らない私たちの世代にこそ そういう事実を知る義務がある。
教科書改訂なんて もってのほかだ。
中国 韓国の反日感情をやみくもに攻める前に まず日本もやらなければいけないこともある。

戦争にまつわる憎しみは 当時生きていた人達だけに関係するのではなく 後々の子孫にも因縁となって関係してくる。

私は今でも タイのカンチャナブリで受けた衝撃を忘れられない。
カンチャナブリで日本軍がしていたことを 日本人の私は知らなかったのだ。
その地に生きている人は忘れられないというのに 当の日本人は忘れている。消そうとしている。「許そう しかし 忘れまい」カンチャナブリの戦争博物館に書いてあった言葉。胸に突き刺さって その空間が自分に重く重くのしかかって 事実を知らなかった自分をただ詫びるだけしかできなかった。

知らないことは罪だ。
戦争は 誰が悪いと言い切ることは出来ない。誰が被害者で 誰が加害者だ なんて議論で明確な区分が生まれる筈も無い。
だからこそ 各々の国が 被害者として 同時に 加害者として 戦争の事実を認識し学び 後代に伝えていくことが 平和への道なんじゃないかな。

戦争は嫌だ。 でも 戦争をしたことを忘れることも嫌だ。

平和という定義は 平和じゃない時代があるからこそ生まれてくる。
平和じゃない時代を生き抜いてきた人たちがいるから 私たちの今がある。
目をそむけてはいけないと 思う。

CAVERN CLUB

2005-08-14 00:52:10 | Weblog
(the diary of Aug 14th)

Today,I went to the CAVERN CLUB in Roppongi with my friends , Reiko and Kanami.
In Nasu , we really became being fond with the bakery that is managed by the man who loves the beatles.
Especially unbo , she was really fond with the bakery and asked me to take her to the CAVERN CLUB.
But she couldn't come with us because of a cold .

It is one year ago to hear the sound of THE SILVER BEATS for the first time. The sound of them made me come to like The beatles all the more.
I make a request for many songs whenever I go there .
But not all the songs which I requested are played.
But today , all of them were played .
Plus the songs were played one after another
I was sooooooo happy.
And I was so glad to talk to the member of THE SILVER BEATS , too

If you like the beatles , you should go to the CAVERN CLUB in Roppongi.
And you should check in their homepage when they play there .

浅間大社祭3

2005-08-07 23:28:52 | Weblog
ファイヤー!!(;◇;)!
熱い! 人の熱気 火の温度!
例えば 人が単に大声を出す時は 聞く側はただ音量だけを捉えるが
その声に 魂がこもっていると 聞く側の心にもその気迫が迫ってくる。
聞く側を 一気にその声の主と同じ気持ちにしてしまうから 不思議だ。

日本人でよかった。かっこよすぎる。。。。

浅間大社祭2

2005-08-07 23:24:45 | Weblog
女たち。 火の神様は 女だから 神輿に乗るのは 女なのかなー?
写真右の 桜柄の「鯉の口」を着ている女性。 私こういうセンス好きです。
紫好きとしては。

でも 写真左の 姉ちゃんの方が 威勢よくて かっこよかったよー!

ああっ 神輿担ぎたい!!!