before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

けっきょく

2011-06-26 23:17:15 | 日本での暮らし・考える事・思う事

今週末も 休めんかった、、、

昨日は休日出勤で 21:00まで働いてしまった。
平日は23:00過ぎに仕事を終えるのが常だが、
休日出勤は18:00までには帰宅するのが 自分の中のルールだったのに、、、、

もちろん 昨日もハッピーターンを一袋とコンビニのコロッケのお決まりの夕食。

ハッピーターンは ただいま ハッピーパウダー増量中
だから 私もハッピーになれるはず。

ただ 「何これ、前より塩っ辛くない?」と、私の同僚は増量されているハッピーを邪険に扱う。

家に帰って たまった洗濯物を片づけ、
先週の出張後、そのまま開けたまま放置して 部屋のど真ん中に堂々と横たわっていたスーツケースを片づけ、
ゴミなども回収。

いつもだったら 汚くても 疲れが勝り 片づけなんかできないが、
昨日はどうしても掃除しなくちゃいけなかった。

だって、翌日にお茶のお稽古があるから、着物広げる時に床が汚いのはNGだから。

で、結局 片づけだして、明日のお稽古の準備をして、洗濯物干して、アイロンかけて、ってやてたら 夜が明けていた、、、、

1時間半寝て 起きる。
急いで 着物を着て お茶のお稽古へ。
今日は入門・習事という御許しを受けたので(細かい説明は省きます。お茶の資格のようなもの?かな。) その講習会も兼ねていたので
休めない。

けど、着物着て、湿度のある空の下 まる一日お稽古は途中で気を失いそうでした。
頭が かなりの大工事だったよ。ガンガンガンガン。。。。

んで、17:00頃 帰って着物を脱いで
明日から続く外勤、出張、打ち合わせに備えて 夏のスーツを買いに行く。

夏のスーツはもちろん持ってるけど 今年は訪問先でも(とくに ●●省、、、)クーラーきいてないし
裏地付きのスーツじゃ 無理!!

スーツ買って、出張用の先方への手土産買って、、、

って気が付いたら 22:00帰宅。

もう。

いや、、、


ちきしょー

明日からまた こんな日々が続く。

来月が終わるまでつづく。

でも 負けない!
気力で乗り切る!

もう 

やけくそだーーーーーー!!!

んで 来月は習い事は ちと控えます。まじで倒れるよ。。。


また この季節がやってきた

2011-06-25 03:03:18 | 日本での暮らし・考える事・思う事

 

ふ~ろ~にはいって~ ねるだけ~

ねむることさえ で~きない~

おもいだすことが できない~

ねむることしか できない~

 

・・・・・・


今年もまた この季節がやってきた。。。

↓ ↓ ↓

いちねんまえのわたし

今年は 3月の地震後に 私たちの実施しているプログラムは全部キャンセル OR 延期になった。
先の読めない日本国内の不安定な状況は 年内には解消されるわけではないので、
今年は きっと一番の繁忙期である6月、7月もプログラムはほとんどないんだろうなー なんて同僚と話していたんだけど

大間違いでした。

3月、4月に延期になったプログラムが今のタイミングで
どどどーっと再会決定となった。

しかも実施日まで ほとんど仕込みの期間なし。

去年と同じ忙しさじゃん。。。。

まいにち まいにち 働きすぎです。

外勤も多い。

出張もある。

休日出勤もつづく。

夕飯を家で食べたのはいつだろう。

部屋をそうじしたのはいつだろう。

洗濯が山積みだよ。

頭いたいー

なんか 時々 手足がしびれるー

これ マジにやばいんじゃん?って思ったら

同僚の何人かが同じ症状。

よかった。あたしだけじゃないのね。、、、、、 って 安心していいのか?!

今週は 風邪ひいて 微熱がずーっと続いてたけど 休めんかった。

明日、本当はとある研究会に参加する予定だったけど 休日出勤決定。
明後日は お茶の夏期講習だけど、行けるかな、、、怪しい。

乙女として 夏を楽しみたい。

最近の楽しみは、深夜残業時に食べるハッピーターン。これ食べるとハッピーになる。
疲れてるわ。
私。

今日、
先週に私が担当したプログラムの事後作業に入っている通訳さんが 「この文章読んでください!感動しますよ!」ととあるホストファミリーさんの感想文を持ってきた。

「私のうちに滞在した◯◯くんは すばらしい子でした。一緒に過ごして 彼から教わることがたくさんありました。
 私の息子が ◯◯くんに “言霊”という言葉を教えました。すると ◯◯くんは “僕ハ マタ日本ニ来ル。絶対来ル。僕ハ このおうちに マタ来ル。”といったので家族全員で涙を流しながらその言葉を繰り返しました。」

という内容で 目頭が熱くなり

「遠い◯◯という国から はるばる日本まで(そしてこのタイミングで)来てくれたことに 本当に感謝します」と書いてあって

就業中に 泣けてしまった。

地震の後、海外から日本に招くプログラムは全てキャンセルになり、若干日本の状況が落ち着いても 相手国から「実施不可」という回答をもらい続けていた中
実施にこぎつけるまでには それはそれは長い道のりだったわけで
かつ
自分の中でもいろんな葛藤や迷いがある中 ただただ 目の前の仕事を片付けて 片付けて 片付けて、、、、。

そしてなんとかそのプログラムを無事に一つ終え、 ホッとするまもなく次のプログラムの仕込みにとりかかっていたんだけど

なんか 一瞬気が緩んだ。

その後 何度か その感想文を呼んで ウルウルした。

いろんな 思いがあるのです。

癒されたい。


いい男ー

2011-06-21 00:46:28 | 映画とか 音楽とか 本とか 絵とか

13:20 過ぎからの 松本くんの ハーモニカ演奏を聞いたら 惚れちゃうよ。





こーいう人を 「いい男」っていうんだよねー

でも 民生も好きだわ~

もーすぐ会えるー 兵庫まで会いに行きますー

それまで 倒れずにがんばろー

今週は月曜から 限界超えてます。。。
頭が割れそうに痛いー 

来月半ばまで忙しさはつづくが それが終われば松本くんに会えるからがんばる


石巻で思ったこと

2011-06-12 01:50:04 | 日本での暮らし・考える事・思う事

5月2日から7日まで 石巻に行ってくるよーという記事をアップしてから、はや1ヶ月。

あっという間に 時間が過ぎてしまいました。

石巻から帰ってきてから、

心が不安定で ちょっとブログを書く気になれなかったことと

さすがに仕事が山積みで、毎日深夜残業の日々。

週末は、寝貯めするか 3つの習い事のお稽古やらで ずーーーーーーーーーーーーっと休むまもなく今日に至ってしまった。

明日は、1ヶ月ぶりの 一日全く予定なしの日。選択しなきゃ。掃除しなきゃ。

さすがに 心も落ち着いたので 石巻で思ったことを書いてみようと思う。

深夜バスで石巻に着いた日には、石巻に住む、大学時代の友人と再会することができた。
「おめー ここ危ねえんだぞ!よく来たな!?」と怒られながらも
久しぶりに友人の顔を見て安心した。
友人のお母さんが作ってくださった ナッパ。野菜ジュースもいただいた。
まだ、何も貢献出来ていないのに、いろいろご馳走になってしまって申し訳なかったけど、
友人ご家族のあたたかさ、やさしさが ナッパと野菜ジュースと友人の顔から伝わってきて えらく感動した。

以降、私は6日間、石巻に滞在し、ボランティア活動をしたわけですが、
前回の宮城県亘理町での3泊4日のボランティアの時とは、感じたことや 心に迫ってきたものは違いました。

これは別に、被害の大きさの違いを比較して言っているわけでは決してありません。
実際 石巻も亘理もどちらも相当の被害を受けていたし
また もし、たとえば、被害が小さいものであったとしても、少しでも誰かを苦しめているのだから、被害は「大小」というスケールでは測れませんし。

では何故、亘理町のときと感じたものが違ったのかというと、

・滞在日数が倍だったこと
・滞在先が地元の方々のおうちの近くだったこと
・友人の故郷だったこと

に起因するのだと思います。

6日間の活動中、石巻のあちこちに行きました。

数日間かけて活動したおうちの人たちと いろんな会話をしました。

ご近所の方たちとも 交流がありました。

毎日 30人ほどのボランティアと一緒に寝泊りをして いろんなことを話して 活動しました。

いろんなことを見て、知って、感じた結果、

これが自分の友人の故郷で起きていることなんだと思うと、どんなに頑張っても涙がこらえられませんでした。

涙の理由を考えたんだけど、

それは 「かわいそう」とか そういう類のものじゃなくって、

自分の友人や その家族、 その友人、お手伝いをしたおうちの人、その家族、その友人、この町の人、みんなの身にこれが現実として起きていて

そして、自分ができることなんて この大量の泥やその他のものの、ごく一部を片付けることだけで、

被害の大きさからしたら 役に立っているのか 立っていないのかわからないくらいのことしかできないってことが苦しくて、

それ以上に、

ここにいる方達が抱えている苦しみや悲しみ、ストレス、怒り、無気力感などを、 どんなに頑張っても分かってあげることができない ということが
本当に 苦しくて 情けなくて 泣けてきた。

自分は家を失ったことも、家族や友人を災害で失ったことも、愛する町を失ったこともない。
だから、ここの方達の苦しみを想像することはできても、本当の意味でわかることはできない。

そんなことわかっていたことだけど、

なんだか 石巻に滞在して、心の底からそう思った。

石巻の方とお話ししているときに、「他人にとっては”瓦礫”でも、私にとっては それは家であり、生活であり、思い出であり、、、”瓦礫”じゃないんだよね。」と仰っていて
本当だなと思った。自分だったら、絶対に「瓦礫」なんて呼んでほしくないなと。

5月5日は こどもの日だったけど、 いろいろな意味で 軽率にお祝いできないなとも思った。


私は 今までテレビやネットのニュースで、胸を痛め 涙を散々流してきたけれど、現実は その 数千倍、数万倍以上の涙を以てしてでも足りないんだってわかりました。

東京にいると、

3月の地震後のピリピリしたムードが もう ほぼ無くなってきていて 普通の生活が動いている。

ニュースも 3月、4月よりは 東北について扱う時間が少なくなってきている。

だから、「もう 東北は落ち着いたんじゃん?」なんて思ってしまう人もいるとおもう。

でも、

東北では まだまだ まだまだ まだまだ 力が必要だし、 落ち着いたのは 東北以外の人たちだけだと思う。

まだまだ まだまだ まだまだ 人の力も、時間も、お金も 全然足りていないと思う。

だから なんというか、 とにかく 機会があって 気持ちのある人は 東北にいってボランティアをして欲しいと思う。
本当に そうしてほしいと思う。

日本人として、同じ日本人が向きあって、戦っていることを 実際に見てほしいし、知ってほしい。


私は 東京に戻ってきてから、
キラキラ輝く新宿のビル群を見ると なんだか泣けてきてしまいました。
東北の状況とは まったく別世界で もう日常が完全にもどってきている東京に
なんだかついていけなくって 整理ができませんでした。
相変わらず 「東北の方達の苦しみを 少しでも私たちが背負えたらいいのに、、、、」と思いながらも、実際はやはり同じ境遇じゃない私たちが気持ちを察することなんてできないわけで、
なんだか 苦しいし 悲しいし 申し訳ないし、、、というのもあった。

でも 石巻で知り合ったボランティア仲間の人にその話をしたら
「自分もそういう思いを抱えていたけど、でも石巻で活動して思ったけど、東北の人は苦しみや悲しみを背負ってほしいなんて思っていないんじゃないかな。
ただ、一緒に手をつないで前に進んでほしいって思っているんじゃないかな。」

と言っていて、その人は私よりも長い期間石巻にいて、石巻の人たちともたくさん仲良くなっていたので、この言葉には とても納得しました。
この人の意見も この人、私、またその他のボランティアが 希望する答え に過ぎないのかもしれないけど、
でも 「なるほど」と思いました。


私は また東北にボランティアに行きます。 今は仕事の繁忙期なので 夏あたりに。

泥だしボランティアでも  炊き出しボランティアでも 仮設住宅サポートのボランティアでも、観光促進に寄与するための観光であっても
とにかく 完全に復活するまで 行き続けたいと思います。

亘理町でもそうでしたが、

石巻でも、住民の方たちが 本当にあたたかくて、話しかけてくれて、ボランティアの私たちのためにお茶やジュースをふるまってくれたり
「おれんとこ来たからには 絶対昼飯はくってけよ!くってかないと とっつかまえるからな!」と 顔をくしゃくしゃにしていうお父さんがいたり
「活動中 トイレに行きたくなったら、いつでも うちのトイレ使いなさい!うちのトイレは大丈夫だから!」と 女の子達に声をかけてくれるお母さんがいたり
活動後 歩いて帰っていると かならずすれ違う人たちが 「ご苦労様!」「ありがとうね!」と言ってくれたり

本当に 素敵な場所です。

美しい場所です。

笑顔もあります。 少しずつかもしれませんが 生活が動き始めています。

そういう元気な面も 東北以外の人たちには知ってほしいと思いました。

あと、やはり世界各国から 一般ボランティアが来ていました!
カナダ、スイス、フランスなどなど。
なかには 「この震災を知って 会社に3ヶ月休みをもらって やってきた。」というヨーロッパ人がいて、毎日真摯に活動をしていて 尊敬をしました。

あと、今回は NPO団体の活動に参加したわけですが、このスタイル、結構効率的だと思います。
GW中は 各自治体のボランティアセンターはパンク寸前だったらしいので そういう大型連休時には 個人がボランティアセンターから仕事を割り振ってもらうよりは、
ボランティアセンターが いくつかの団体に大まかに仕事を割り振り、その各団体が ボランティアを募集して 委託された仕事を割り振るという作業をすれば
元締めのボランティアセンターの負担はかなり軽減されると思います。

ちなみに私の参加した団体は、今も活動中です。


私たちができることは、日々の生活の中で 東北の現状を忘れずに 各人が無理のない程度で できることをする。

規模の大きいことをすることも大切かもしれないけど、同時に 長期にわたり 少しずつでも続けることも大事だと思いました。