before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

英語ブログ更新しました モンゴル編

2008-06-06 18:40:12 | 英語ブログ、その他英語関係
久々 英語ブログ更新しました。
5年くらい前の モンゴルについて書いたんだが あまりに昔のこと過ぎて あんまりいい文章が出てこなかったわ。

暇な方、読んでみて。バーチャルモンゴルツアー。
The quietest spot in the world

今日は 余った小豆ともち米で お赤飯をつくった。うまっ。

関係ないけど オバマがんばれ。

America definetely needs change!

ぼたもち overseas

2008-06-05 15:14:28 | 海外旅行・短期海外滞在
ぼたもちを 作った。時期的に おはぎ?ぼたもち? 微妙なところです。
あんこと きなこと 黒ゴマちゃん。

つーか フィジーはすげー。Chinese food shop で もち米、小豆、白玉粉などが 手に入る。 トンガでも 中国人がレストランや雑貨屋を営んでいるので 乾燥しいたけとかは 手に入ったが、もち米、小豆が手に入るとは、、、。

SUVAの隊員は なんでも手に入るなあ。Tongaとは大違いだわ。なんと ここSUVAでは 細かくカットされた魚や鶏肉、豚肉、牛肉なども 手に入る!!
トンガじゃ 豚肉はfeastの時に丸焼きで出るか、牛肉は お葬式でもない限りお目にかかれなかったよ。しかも 後のやつ。。。

トンガのエウアの日常生活で 手に入る動物性たんぱく質は 採れたて魚と 輸入もんのカッチカチの鶏腿肉とラムのみでした。ラムといったら聞こえはいいが、オージーやニュージーランド人が捨てる脂身の部分が トンガに送られてくるので ラムというより脂身という感じでした。
鶏腿肉も 関節をボキッと折って 骨からうまく身を切り落とすという作業が必要でした。
あー フィジー。 何故にそんなに便利なのよ。

ところでみなさん もち米、小豆、白玉粉って英語でなんていうかご存知?
もち米 … Glutinous rice
白玉粉 … Glutinous rice flour / Sweet rice flour
そして 小豆!
小豆 … Azuki beans そのままやんけ! 辞書には Small beansって書いてあるけど それでも 直訳やんけ!

しかし 白玉粉って もち米からできてるって 知ってました?
海外で 日本食の材料を探すのって 結構苦労するね。小豆は見た目でわかるけどさ もち米、白玉粉は 探すのに時間かかったぜ。

で やっと見つかったので ぼたもちを 作った。

自分ひとりで 小豆からあんこを作るのも、もち米を鍋で炊くのも 初めてだったけど、小さい時から母が毎年おはぎを作っていたので その様子を思い出しながら作ってみた。

作りながら、「あー 母ちゃんは あんこに照りがつくよう 水飴入れてたなあ。」とか いろいろ思い出した。

小豆は 沸騰したら ゆで汁を捨てて また茹でなおすという作業を2,3回繰り返します。圧力鍋じゃなくても ちゃんとしたあんこができました。

もち米は 少し白米を混ぜると ベタベタしすぎないらしい。 で 炊き上がったら ちょっとつぶして もっちり感を出すのだ。この作業を「半殺し」と呼ぶのです。時に昔の人は 怖い名称をつけます。何故。

で もち米やあんこを 手で丸めながら
「あー そういやあ小さい時、毎年母さんと正月にこうやておはぎ作ってたなあ。自分のつまみ食い用に小さめの作ったり、あまったきな粉をこっそりなめたりしてたわー」と いろいろ思い出した。

あんこを手で触る感触が 懐かしかった。

日本にいると 簡単においしい料理が購入できるだけじゃなく、食材も簡単に手に入る。

海外にいると 自分の食べたい料理が食べられる場所がなかったり 食材自体が手に入らないことが多い。

でも そういう状況にあるときのほうが 食べたいものを作ろうという気になる。

工夫して なんとか作ってみれば 意外とできちゃうもんです。
でも これも ぼたもちを手作りしてくれていた 母の背中を見ていたからこそだよなー 
(ちなみに 私は小さい時から基本的につまみ食いができるセクションしか 手伝わなかったので 母にきちんと料理を習ったことは無い・・・)

ほんと 母ちゃんに 感謝だよ。

黒ゴマを ぼたもちにくっつけてるとき 蟻んこが まな板の上に乗ってきたので 指でつぶしたら どれが 蟻か 黒ゴマか わからなくなった。悲劇。

とりあえず どっちも くっつけといた。 

中途半端に あんこが あまった。

とりあえず 全部 食ってしまいました。

和菓子 さいこー!

おせんから 母の手間隙まで

2008-06-03 09:22:13 | 海外旅行・短期海外滞在
母から 荷物が届いた。
この前 電話で 「最近 お母さんがはまってる おせんちゃんのDVD入れといたよ!とにかく おせんちゃんの着物がかわいいから見て!」とか言っていた。

「おせん」とは どうやら 今 日本で放送されているドラマらしい。

3話まで入っていた。

蒼井優ちゃん  めっっっっちゃ くぁわいいーーーーーーーーー
んで 彼女が演じる せんちゃん。 かわいーねー
んで せんちゃんが着ている 着物がこれまた かわいい!!

トンガに行く前 結構着物にはまっていて 着付け教室に通って資格をとったり
アンティーク着物を集めていたりしたので、無性に着物が着たくなったねー

日本人は やっぱり 着物 黒髪が 一番 似合うよ。
ブロンズ、キャミソール、ミニスカが かわいいのは 西欧人だからです。
とはいえ 私も大学時代 髪の毛染めまくってたけどさ、アジアを旅して アジア人の黒髪の美しさに心奪われ それ以来 真っ黒です。
日本の文化ってさ 世界的にかなりレベルが高いんだけど 当の我々日本人はそれに気がつかず どんどん近代化という名の西欧化に押し流されてるんだよね。

日本の文化っていっても エンジニアとかアニメとかそういうのじゃなくて、はたまた歌舞伎とか能とかそういう特別な文化でもなくて ちょっと2,30年前だったら当たり前だったこと。ちょっとそこの街角にあふれていた職人の技とか職人魂とか。私が小さい頃は 豆腐屋さんとか畳屋さんとか あったのになあ。

あと もっと日常の 母の料理にかける手間暇とか。

今の時代は 共働きも多いし 母親が料理に時間を割くことができないのかもしれないし、レンジでチンするだけで豪華な料理が食べられる。
手間も暇も省ける。でも それって 料理を食べる人への愛情も省いてるのかもしれないなあ。

ドラマ おせんを見てそんなことを思った。

私が小さい時 母はほとんどお菓子は手作りで出してくれたし 出汁も鰹節を削ってとっていた。おせちは 未だに全部手作りだ。静岡生まれだから 新茶の季節には蛍光緑のような美しい色と香りの新茶を飲ませてくれた。

でも 今の時代、どれくらいのお母さんが 出汁を鰹節を削ってとっているだろうか。おせちだって コンビニで買えちゃうよ。お茶なんてペットボトルに入ってます。

かくいう私も ヘビー「魔法の粉(だしの素)」ユーザーである。
トンガで トンガ人や外国人に 日本料理を教えるとき「この Japanese soup stockさえあれば 日本の味が作れます!」なんて 説明してたけどさ。
でもさ、鰹節を soup stockなんて一言で説明してはいけなかった気がする。
だしの素は → 鰹節を削った粉であって → 鰹節はカツオの身をゆで焙って乾かし かび付けして干したものである。

むっちゃ 手間隙かかっとるやん!?鶏の骨を煮るだけの 鶏がらスープと違いまっせ!

いつか 私が母親になって 料理に「だしの素」しか使わなかったら 私の子どもは「鰹節を削る」ってことを知らない子どもになるんだろうな。「だしの素って 味の素の仲間でしょ?」なんて 思うのかも。

この前 五目豆を作ったとき フィジーじゃ油揚げが手に入らないから どーしよーと考えた挙句、作ってみればいいんじゃん?と思い、豆腐を買って 切って 素揚げしてみた。そしたら めっちゃ うまかった。
いつもより ちょっと手間と暇をかけるだけで すごくおいしいものができる。

今 まだ 私達の年代って 「鰹節を削る」ことを知ってる年代だから 次世代に日本の文化を まだ伝えられるギリギリのラインにいるんじゃないかなあ。
最近 友人達が 結婚したり出産したりしていて 自分も他人事ではない年頃だ。

レンジでチンして時間を節約する大切さを教えることより、手間隙かけることの大切さを教えられる親が 増えていけば もっと日本は 昔のようにあったかい国になれるんじゃないかなあ。 どうかしら。

まあ とにかく 私は 日本に帰ったら 鰹節を削ります
一生かけて 「日本人」を極めたいなあと思う。

新聞に載った 

2008-06-02 15:09:50 | 海外旅行・短期海外滞在
私は 日本の新聞に自分の名前や顔写真が載ったことはありません。
青年海外協力隊の中には、地方新聞に載った人も結構いました。が、私は 東京砂漠生まれ。地方新聞なんて ホットなものはないし 市報でも 協力隊のことは扱ってくれません。

しかし これまでの人生の中で 二度 海外の新聞に名前が載ったことがあります。

まあ 前回のブログに書いたので みなさん察しがつくかと思われますが、
そうです。私の Air Pacificに対する苦情文が Fiji Times に載りました。
同じ内容がネットにも 載りました。Fiji Times 6月2日(たぶん 今日中でこのページ消えると思う)
はっはっはー ざまあみろー だって 絶対バック開けたのAir Pacificか空港の従業員だもん!!

ということで フィジーの新聞に名前が載ったのが 1回。

んで もう一回は トンガ。
しかも これまた 「人々からの苦情コーナー」に載った。
これじゃあ どんだけ プリプリした人間だと思われそうですが、この記事は 私が書いたのではない!

遡ること 1年前ほど。 事件は 私の住んでいたエウア島の空港で起きた。
(空港っても 野原に 小さい小屋があるだけ。飛行機の発着時間1時間前からしか営業してない)

私は 日本からはるばる私に会いに来てくれる両親を 本島に迎えに行くため 夕方5時の飛行機に乗るはずでした。

ところが、ちょうど6時間目の授業をしているとき、学校の事務のおばちゃんが 慌ててクラスまでやってきて 「キョウコ!夕方の便が 今から出るって!急げ!」というので クラスもあと5分で終わりだったので 生徒にも「急げ!急げ!」といわれ 慌てて空港まで 学校の車で向かったのでした。

空港につくと まだ飛行機はきてない。 乗客がパラパラいる程度。
ほー 間に合った。
30分経過。
まだ かな。
1時間経過。
なんだよー 焦る必要なかったなー
2時間経過。
なぜ?
2時間半経過。 
怪しい!絶対 あやしい! 

私は これから英語の話せない親を 本島の国際空港に向かえに行かなくてはいけないし その後 また翌日の早朝飛行機に両親と一緒に乗ってエウアに戻って授業をしなくてはいけなかったので 一人 オロオロしだした。

空港の人に聞いても 「あと ちょっとで来る」との一点張り。
まじで 半泣きになってきた。

エウア-本島間の 飛行機は 勝手にキャンセルになることが多いからだ。

飛行機の発着時間になると、たいてい近所の暇なトンガ人達が 空港に 飛行機を見に集まってくる。

で 私を見つけて 「お?キョウコ 本島に行くの?」

「うん。両親が日本から来るから迎えに行くんだけど、飛行機が来ないんだよー。 どうしよー 両親英語 話せないのにー」
と 半泣き で 話すと さすが トンガ人。 暇なトンガ人。

即効 私の話は お涙物語となって そこら辺にいるトンガ人全員に広まった。

ちょうどその時、空港の人が

「あー なんか 今日のフライトキャンセルだって。」と 言うではないか。

もう 大変ですよ。

私以上に まわりのトンガ人が。 まさに 「飛行機一揆 2007」ですよ。

「ひどい!キョウコがかわいそう!」「キョウコの両親は 英語が話せないんだよ!」 「勝手にキャンセルなんて 許せない!」と ギャーギャー抗議してくれた。

しかも キャンセルの理由が 「パイロットが疲れたから」 

もう これで この問題は エウア全土の問題になったのでした。

「本島から フライト時間たったの6分だよ?! 往復12分も 飛べないなんて エウアを軽視してる!」
と もう 収集がつかなくなった。

「私達は 飛行機がエウアに来るまで ここを離れないよ!」
「今までだって 何度も勝手にフライトキャンセルになってきたんだ!これは もう新聞に投稿するしかない!新聞に投稿するって 航空会社のヘッドに言え!」

と 凹む私をよそに トンガ人が一致団結し 「飛行機を飛ばせようの陣 2007」が 幕を切った。

トンガ人達の 相談の結果、新聞に投稿するには 写真があったほうがいいとのことで、どっからかデジカメをもってきて
「キョウコ!そこに座って、悲しそうな顔して!」と 乗客の荷物の上に座らせられたり 「ちょっと このみかん食べて お腹すいてる顔して!」と みかんを渡されたりした。

トンガ人的に、3時間も何も食べずに待たされた。ということは かなり大きいことらしい。 「3時間もお腹すかせて かわいそう!」というところが 読者の同情をかうらしい。

そして それから1時間半後。抗議デモの結果、

なんと、

飛行機が 来たのでした!!!

暗闇の中から 飛行機が見えた時 あたしゃ 泣いたね。
トンガ人達も もう拍手喝采ですよ。
おそらく こんなに飛行機が脚光を浴びたのは、初めて飛行機がエウアに来た以来ですよ。

んで 「ありがとう!ありがとう!」と 協力してくれたトンガ人全員に ウマ(kiss)をして 飛行機に乗って 無事 両親を迎えに行くことが出来たのでした。

もぅっ トンガっていうか エウア、サイコーーーーーー!ってな感じで 一揆の結末は ハートフルなエンディングだったわけですよ。

で その数ヵ月後。 

本島にあるJICAドミトリーに泊まっていた時、トンガ人のセキュリティに
「キョウコ!キョウコ!お前 新聞に名前が載ってるぞ!」
と 言われ
えーーーーっ?!何?!何よ?!なんで?! と思って新聞をみると

エウア人 航空会社に猛抗議! みたいな 内容が 新聞の苦情欄に載っていた。
そして もちろん 私の名も被害者として フルネームで 載っていた。
(JOCV JAPAN)とまで 括弧つきで載っていた。

「新聞に投稿する!」なんて 航空会社に対する脅しかと思ってたけど
本当に 載ってしまった。

あわわわー JOCVって載っちゃったよー JICAに怒られるかなー
と ひやひやしていたが
悲しそうにみかんを たべる少女の写真は 紙面の都合上カットされていたので
救われた。