(2007年1月)
1月にエウアに帰ってきて新しい年度が始まってから暫くは、私は極度のホームシックになりました。
日本に対してのホームシックなのではなく
トンガ、というよりエウア(私の島)に対してのホームシックです。
はい。
エウアでの生活も残り10ヶ月。10ヶ月しかない。
学校での授業や、行事、すべてがもう最後です。
私の後任者も決まったし。。。
そう思うと
なんだか
本当に
センチメンタルでたまらなかったのです。
帰国することを考えたり、この1年2ヶ月の思い出を振り返ると 涙がでてきました。
私は、海外で暮らすのはトンガ生活が初めてだけれど、大学時代からバックパッカーとして12カ国放浪しました。なので 帰国後に得る逆カルチャーショックや、「あの国に今すぐ戻りたい」という気持ちは味わったことがあります。
でも 今度日本に帰って得る逆カルチャーショックや、自分がいた国に対する思慕の念は、これまで経験したものを遥かに超えるものだろうと思います。
だって 2年間も暮らしたんだもの。
だって 本当に苦労してトンガ人の中 ポツンと日本人一人で頑張ったんだもの。
だって トンガ人と一緒に たくさん 笑ったんだもの。
赴任当初は 2年間でトンガを好きになれるとは 決して思えない。と考えていました。
それほど 小さな、何も無い島での生活は大変でした。予想以上でした。
生活面でも 仕事上でも 本当に 本当に いろんな苦労がありました。
登校拒否をする子どもの気持ちがよくわかった。本気で日本に帰ろうと思ったこともあった。
トンガ語がわからないということで 本当に口惜しい思いや 寂しい思いをたくさんしました。
本当に口惜しかったから、アメリカンピースコー(米ボランティア)からもらったトンガ語CDとトンガ文法書を使って 授業がない週末に一人でトンガ語猛特訓をしたりしました。
面と向かって「このブス!(日本語)」と言い放ってしまった程 トンガ人に怒ったこともあった。
大粒の涙をこぼして 怒りを伝えたこともあった。
何より離島だから、日本人も周りにいないし、バーとかナイトクラブもないし、娯楽もないし、ストレスを発散する方法が極端に少なかった。外国人は私ともう一人の韓国系アメリカンのボランティアの2人だけだったし・・・。
でも そういう苦しい状況、辛い経験、腹の立つ出来事をたくさんたくさん通り抜けて
ようやく「自分の居場所」を作り上げたわけです。
そういう苦しかった経験が、今のこの幸せで楽しくて笑いに満ちた生活を作り上げてくれた。
こんだけ苦労して手に入れた「自分の居場所」。 愛おしくないわけがない!
本当に ギュッと抱きしめたいほど 自分の居場所、エウアが 愛おしい。
最初は憎かったこの小さな島、狭い関係(島民みんな互いのことを知っている)だったが、この小さい島のおかげで、みんなに私を知ってもらえた。
自分の日本語履修生徒、日本語履修生徒以外のエウア高校の生徒、親しい同僚、友だち、ファレコロア(売店)のおばちゃんs、いつもナンパしてくる輩、近所のガキンチョ、郵便局のネエちゃんとおっちゃん、エウア高校、港、エウアの景色、自分の家、自分の教室、教室から見える海、早朝「フアカーウ(牛乳!)」と叫ぶミルク売りの声、「キヨッコ エー」と私を呼ぶ声。
全てが 本当に愛おしい。あと10ヶ月経つと これらのものから 旅立たなくてはいけない。
こんだけ愛おしいんなら、帰国した後 またトンガに遊びにくればいいじゃん?って思うでしょうが、
違うんですよ!一度帰国しちゃったら もう「違う」んだなあ。だって 次来る時は 私はエウア人じゃなくて 観光客、お客さんなんだもん。自分の家にはもう違う人が住んでいる。。。。
「帰国するのはまだ先じゃーん。センチメンタルになるには早いよ!」と思う人もいるでしょう。
でも、帰国直前、もしくは帰国後に 「ああ!こんなにエウアが恋しいなんて 気がつかなかった!」って思うより、今から帰国することを考えて 暮らして生きたいのです。
そう考えると、エウアでの全ての人との関わり、一瞬一瞬を 本当に大切にしようと思えるからね。
だから
私は
今 未来に体験するであろう エウアへのホームシックを 思いっきり感じて
今の生活を 大切にしようと思ったのでした。
1月にエウアに帰ってきて新しい年度が始まってから暫くは、私は極度のホームシックになりました。
日本に対してのホームシックなのではなく
トンガ、というよりエウア(私の島)に対してのホームシックです。
はい。
エウアでの生活も残り10ヶ月。10ヶ月しかない。
学校での授業や、行事、すべてがもう最後です。
私の後任者も決まったし。。。
そう思うと
なんだか
本当に
センチメンタルでたまらなかったのです。
帰国することを考えたり、この1年2ヶ月の思い出を振り返ると 涙がでてきました。
私は、海外で暮らすのはトンガ生活が初めてだけれど、大学時代からバックパッカーとして12カ国放浪しました。なので 帰国後に得る逆カルチャーショックや、「あの国に今すぐ戻りたい」という気持ちは味わったことがあります。
でも 今度日本に帰って得る逆カルチャーショックや、自分がいた国に対する思慕の念は、これまで経験したものを遥かに超えるものだろうと思います。
だって 2年間も暮らしたんだもの。
だって 本当に苦労してトンガ人の中 ポツンと日本人一人で頑張ったんだもの。
だって トンガ人と一緒に たくさん 笑ったんだもの。
赴任当初は 2年間でトンガを好きになれるとは 決して思えない。と考えていました。
それほど 小さな、何も無い島での生活は大変でした。予想以上でした。
生活面でも 仕事上でも 本当に 本当に いろんな苦労がありました。
登校拒否をする子どもの気持ちがよくわかった。本気で日本に帰ろうと思ったこともあった。
トンガ語がわからないということで 本当に口惜しい思いや 寂しい思いをたくさんしました。
本当に口惜しかったから、アメリカンピースコー(米ボランティア)からもらったトンガ語CDとトンガ文法書を使って 授業がない週末に一人でトンガ語猛特訓をしたりしました。
面と向かって「このブス!(日本語)」と言い放ってしまった程 トンガ人に怒ったこともあった。
大粒の涙をこぼして 怒りを伝えたこともあった。
何より離島だから、日本人も周りにいないし、バーとかナイトクラブもないし、娯楽もないし、ストレスを発散する方法が極端に少なかった。外国人は私ともう一人の韓国系アメリカンのボランティアの2人だけだったし・・・。
でも そういう苦しい状況、辛い経験、腹の立つ出来事をたくさんたくさん通り抜けて
ようやく「自分の居場所」を作り上げたわけです。
そういう苦しかった経験が、今のこの幸せで楽しくて笑いに満ちた生活を作り上げてくれた。
こんだけ苦労して手に入れた「自分の居場所」。 愛おしくないわけがない!
本当に ギュッと抱きしめたいほど 自分の居場所、エウアが 愛おしい。
最初は憎かったこの小さな島、狭い関係(島民みんな互いのことを知っている)だったが、この小さい島のおかげで、みんなに私を知ってもらえた。
自分の日本語履修生徒、日本語履修生徒以外のエウア高校の生徒、親しい同僚、友だち、ファレコロア(売店)のおばちゃんs、いつもナンパしてくる輩、近所のガキンチョ、郵便局のネエちゃんとおっちゃん、エウア高校、港、エウアの景色、自分の家、自分の教室、教室から見える海、早朝「フアカーウ(牛乳!)」と叫ぶミルク売りの声、「キヨッコ エー」と私を呼ぶ声。
全てが 本当に愛おしい。あと10ヶ月経つと これらのものから 旅立たなくてはいけない。
こんだけ愛おしいんなら、帰国した後 またトンガに遊びにくればいいじゃん?って思うでしょうが、
違うんですよ!一度帰国しちゃったら もう「違う」んだなあ。だって 次来る時は 私はエウア人じゃなくて 観光客、お客さんなんだもん。自分の家にはもう違う人が住んでいる。。。。
「帰国するのはまだ先じゃーん。センチメンタルになるには早いよ!」と思う人もいるでしょう。
でも、帰国直前、もしくは帰国後に 「ああ!こんなにエウアが恋しいなんて 気がつかなかった!」って思うより、今から帰国することを考えて 暮らして生きたいのです。
そう考えると、エウアでの全ての人との関わり、一瞬一瞬を 本当に大切にしようと思えるからね。
だから
私は
今 未来に体験するであろう エウアへのホームシックを 思いっきり感じて
今の生活を 大切にしようと思ったのでした。