before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

月刊「クロスロード」に私の丸顔記事が載ります。

2009-02-21 19:59:27 | トンガ 青年海外協力隊活動記
JICA関係者なら知っているでしょう。
JICA関係者以外の 一般の人は知らないでしょう。

JICAの機関紙。月刊「クロスロード」。

国際援助の現場や 協力隊の活動を紹介している雑誌です。

その雑誌に、任期終了後1年以上経った あたくしの記事が載ることになりました。

というか、今月15日からもう発売されております。3月号だそうです。

もう2年くらい前のことなのに、何故今更?という感じかもしれませんが、編集部の方が綺麗にまとめてくださり、感謝であります!!にゃは

内容は 私が任期中に開催したJAPANESE WEEKの様子です。
写真もいくつか載っとります。

編集部の人は、メールを通して取材をしてくださり、記事にまとめてくださいました。

どんな感じになっとるのかねえ?

インドにいるため まだ見れませーん。

しかし このJAPANESE WEEK。
自分で言ってもなんですが、かなーーーーーーり頑張った!!
大成功でした。

が、 当時はインターネットの接続が悪く、(学校内でしか使えないし、速度がとても遅かった)かつ、あまりに頑張りすぎて燃え尽きてしまいブログにアップすることを避けていました。

なんかさ~ とてつもない感動を得ると、なかなかすぐには文章にできないんですよねー

だからブログには 全然JAPANESE WEEKについてアップしてません。

でも 編集部の人の取材を通して、改めて当時のことを思い出して 懐かしくなったので、ちょこっとずつアップしてこーと思います。
自分の記録の為に。

クロスロードに載ってる私のまんじゅう顔を拝みたいというレアな方。
新宿紀伊国屋なら お求め可能だと思われます。

↓ Japanese week で 学生に 「抹茶」体験させた時の一枚
  私の右にいる緑のパーカーを着ている生徒。テフナ。
  テフナがかっこよく持っている筒状のものは 抹茶の箱です。




協力隊員経験者ならわかるでしょ?「ホットシャワー」論

2009-02-16 00:28:06 | トンガ 青年海外協力隊活動記

たぶん今回の内容は、協力隊経験者なら共感してもらえると思います。

みなさん、落ち着いて聞いてください。

発表します。

なんと、

 「ホットシャワー」という言葉は、普通の日本人は使わないらしいのです。

なんでも、普通の日本人は、「ホットシャワーを浴びます。」ではなく 「シャワーを浴びます。」と言うんだとか。

 インドの日本人の同僚の人が教えてくれた。
「きょうこ先生はいつも、“ホットシャワー”と言いますけど、シャワーというものは、そもそも“ホット”なわけですから、いちいち“ホットシャワー”と言わなくていいんですよ。」 と。

 

それはまさに、目から鱗だった。

そう、この世には、日本のように、シャワーからあったかいお湯がでることが大前提の国があるのだ。
シャワーを 「ホットシャワー」と「水シャワー」という 2タイプに分けて表現しなくてもいい環境がこの世にはあるのだ。

そして 日本ではその環境は「普通」なのです。

トンガで協力隊として暮らした二年間。シャワーから出てくるのは “”でした。
時には、水すら出てこないときもありました。
そういう時は 雨水を汲んできて浴びました。
トンガは南の島ですが、冬はむちゃくちゃ寒い。
日本の秋、時には初冬くらい寒いときがある。
それでも“水”でした。 行水してました。
だから、シャワーにかかる時間は 5分以下でした。 
チャッチャッチャっと水をかけるだけでした。
寒さのあまり、服を脱いだ後、水シャワーを浴びるまでの覚悟ができず、10分くらい考えることがよくありました。
その結果「3日間くらいは 体を洗わなくてもいい。」という結論が導き出されました。
当然のごとく、垢まみれでした。 
足のかかとは 土がこびりつき、年中真っ黒でした。

トンガでの生活が長くなるにつれ、すっかりトンガンライフに馴染み、「日本に帰りたくない病」にかかっていましたが、

ただひとつ。
私の心をひきつけるもの。

それは ホットシャワーと 湯船でした。
非常に恋しかったです。

神様に「納豆とホットシャワー。どちらか一つを与えてあげよう。」といわれたら、散々迷った挙句、ホットシャワーを選んだだろうと思います。


2年間の隊員生活を終え、日本に帰り、実家に着いて、 ホットシャワーと湯船との再会を果たした時、 感動に打ちひしがれた。 そして湯上りの私を見て、

母はこういった。
「すごい!! お風呂に入る前より、白くなってるよ!?」

 

・・・。

垢? 垢なの? 垢がたまってたっていいたいの?

とにかくそんなトンガ時代の「水シャワー」経験があるので、
無意識のうちに、 あたたかいお湯がでる高性能なシャワーは 「ホットシャワー」。
水がでる一般的なシャワーは「水シャワー」というように使い分けていた。

そして インド。 会社が提供してくれる住まいは、「水」ではなく「ホット」なシャワーだと聞いていたので、わくわくして赴任。

が、 3人でシェアしているアパートで、

何故か私の部屋だけ 「水シャワー」。

他の2人(男性)の部屋はどちらもホットシャワー。
わたし、おんなのこ なんですけどーーー?
インドも冬は結構寒いぜ。
仕方ない。と諦めて 水シャワーに耐えていた。

んで、昨年末、大学が休校になったので、しばらく会社の日本語クラスを担当していた。当然住まいも 大学近くのアパートから、会社の近くの教員住宅へと移った。会社の近くの教員アパートは 「ホットシャワー」と聞いていた。
懲りずに わくわくしながら 蛇口をひねると でてきたのは馴染み深い「」。
待てども待てども お湯はでてこない。
水を触りすぎて、手が麻痺して、なんとなく「あったかい?」と思い始めたけど、やっぱり水だった。

そう、何故か私の滞在中だけ ホットシャワー故障。

会社のスタッフに エンジニアがいるので、治してもらっても、翌日には故障。
もういちど治してもらって、今度こそもう大丈夫だと思ったのに、とある女性(私じゃないよ)の不注意により、また故障。

神よ。なんで 私の人生はこんなにホットシャワーに恵まれないのか。

会社のインド人スタッフにも 「Wherever you go , you never get a hot shower.」と笑われた。

で、この世に「ホットシャワー」なんてものは存在しないんだと暗示をかけ始めていた頃、
なんと、
ついに、
私のアパート(大学近くのアパート)の 私の部屋にっ

ほぉっとしゃわーーーーー 
が ついたのです!!!

↓ これ。スイッチをつけて、10分くらい放置すると、この白い容器に入った水が
   暖められ、熱湯になるという画期的な発明!!(インドではこの装置をギーと呼ぶ)



夢ならさめないで。
お湯なら冷めないで。

それからというもの、毎日 ホットシャワーを浴びている。 ふっふーん。

ホットシャワーは ほんっとうにすごい。
こんなに気持ちいいものが この世には存在するのだ。

ホットシャワーを発明した人は、ノーベル平和賞を受賞するべきだと思う。

 インドで ホットシャワーを手に入れた今。
そろそろ、「ホットシャワー」という言葉を使うことを卒業する時がきたのかもしれない。
そう、それは旅立ち。巣立ちの時。

ただ、 問題が一つ浮上した。

おそらく、この家を建てたときに配電なんかを適当にやったんだと思う。
その結果、
時々、スイッチを消そうと思っても消せない。。。。
スイッチは日本と同じ、パチっと切り替えるタイプのやつなんだが、
どんだけ押しても、「on」に自動的に切り替わるのだ。

つまり、どうやら、すごい量の電流がこのホットシャワーに流れてしまっているらしいのです。

しかし、このギーは電気をつけっぱなしにしていると、壊れてしまうのだ。

だから 一人であたふたしてしまう。

だって、ようやく手に入れたホットシャワーを 失うわけにはいかんっ!!
どげんかせんといかん!!!

しかし トンガ時代 無線用のバッテリーを大爆発させたり、コンセントから火がでたりと、何度も電気関係のトラブルを経験した私は、

この世で 今、 電気が一番こわい。 この前部屋にいたネズミの死骸よりも怖い。

で、前回 スイッチが切れなくなったときは、散々迷ったあげく、ブレーカーを落としてみた。そして おそるおそる スイッチに触れ (触れる手には布を巻いた。後で 同僚の人に 「それ、意味ないですよ。」と言われたが。)
OFFの方に 押してみた。

すると バチッっと火花が散りつつも、スイッチを切ることに成功!!!

すげー 脇汗かいた。

もーやだ もーやだ ほんと やだ。

こわい こわい こわいよ 電気。

それからしばらくはスイッチは正常であった。
しかし 昨日。また スイッチが切れなくなった。

もうブレーカーを落とすのも怖いので、 「どうせ明日 昼ごろ停電になるだろうから、それまで待ってみよう」と 放置したものの、
翌日、なぜかそういうときにかぎって 一回も停電にならない!!!

たいてい一日に最低1回は停電になるのに!!!

だから 今も まだスイッチが ONのまま。 

こわい。

もー やだ。 ホットシャワー こわい。


インド 衝撃の「バレンタインデー」騒動

2009-02-15 03:35:06 | インド 生活

2月14日が、日本ではチョコレートを異性にあげる日だということをすっかり忘れていた。

そう インドの新聞で「バレンタインデー」という文字を見るまでは。

インドのバレンタインデーは 大変なことになっている

「バレンタインデーは インドの文化を破壊する欧米文化の象徴であり、インドのモラルを破壊するものだ!」と主張するいくつかのヒンドゥー過激派団体が、ここ数年バレンタインデーに 抗議活動をしており、その様相は年々激しさを増している。

なかでも Sri Ram Seneという団体は過激で、バレンタインデーが近づくにつれ、バーでお酒を飲んでいるインド人女性達を 「正しい道に導く必要性がある。」と、ボッコボコにした。
それだけでなく、お店で売られているバレンタインデーカードに火をつけたりしていた。

6日の新聞にこんな記事が載っていた。

「Sri Ram Senの代表、Muthalik氏は、“我々は14日にいくつかの大学周辺による抗議活動を行うだけでなく、公衆でデートをしているカップルをその場で強制的に結婚させる”と 発表した。」

まじですか。

新聞の風刺マンガには、お金のない父親が娘とその彼氏に、「私はお金がないから、14日公園でデートをしなさい。そうすればSri Ram Senの団体が結婚式をあげてくれる。」と書いてあった。(インドでは 花嫁の家族が莫大な結婚式費用を負担する。マハラジャでも娘が3人いれば破産すると 形容されるほど。)

しかし、この“強制結婚記事”。私は「まっさかぁ~!」と笑って読んでいた。

そして14日。

その ま さ か が起きた。

なんと、インドのプネでShiv Sena というヒンドゥー団体のメンバーにより、公園でデートをしていた2組のカップルが強制的に結婚させられたというのだ。

まじですか。

さらに すごいことに、Shiv Senaのメンバーは 路上で行った結婚式の最中に、
「愛とはロバのように愚かなものだ」と思ったようで、

そのカップルの男性を

ロバと結婚させたらしい。

どういうこっちゃ。 もう なんでもありですな。

以前、「魔除けのために犬と結婚したインド人の少女」という記事を読んだけど、そこには“動物との結婚は法的な拘束力を持たないので、結婚した動物と離婚せずに、人間と婚姻関係を結ぶことができる”。と書いてあった。

もしや

Shiv Senaのメンバーも、過激な行動に出てみたものの、「やっぱ、やりすぎだよなあ、、、。」と儀式の途中で焦りだし、
急遽 そこらへんにいるロバを捕まえて ロバと結婚させることにしたのではなかろうか。

14日当日に、過激派が起こした事件はこれだけではない。

なんと、別の場所では
Bajrang Dalという団体のメンバーが、バイクに二人乗りしていた兄と妹をカップルと間違えて、ボコボコにしたそうだ。

しかしこれだけで驚いてはいけません。もっとすごいことが起きました。

なんと、過激派の活動を防止するために配置されていた警官が、デートをしているカップルをとっ捕まえてボッコボコにしたそうな。

もう なんでもありですな。
インドの警官は、警官ではない。ニュースでもよく、警官が一般市民に暴力をふるっていると報道されている。
君達の今日の任務は、カップルを過激派から守ることだったのに、任務と全く逆なことしてまっせ。

いやー 衝撃ですなあ。 

テレビのニュース番組では、このバレンタインデー騒動を題材に
ディベート番組も放送されました。


熱いね。

過激派の行動はおいといて、 「バレンタインデーを祝うことは、欧米文化にインド文化が汚染されている象徴だ。」と捉える人達が結構いることが やっぱりインドってすげーよ。と思ってしまう。

植民地としての経験があるから、欧米文化に染まることに嫌悪感がある。インドの文化を誇りに思っている。

日本でも、バレンタインデーが紹介された時、こんなような反発はあったのかな。
ないだろうね。

個人的な意見としては、若者が欧米文化に染まっていくのを、「それはよくない!」と大人が諭しても さらに反発して、ますます欧米文化に傾倒していくわけだから、
時代の流れとして受け止めるほうがいいと思うなあ。

しかし、
「私が誰を愛そうと、どんな付き合いをしようと、手をつなごうと、バレンタインデーに何をしようと、第三者からとやかくいわれる筋合いはない!私のライフスタイルは 私が決める。」と若者がディベート番組で言っていた。
数十年前のインドでは 考えられなかった発言なんじゃないかな。

すさまじい勢いで発展しているインド。同時に 若者がどんどん欧米文化を吸収していっている。
バレンタインデーを祝うことは別にいいと思う。
そんなことより、「欧米文化の侵略」は確かに問題視されてもいいと思う。
インドの都会の若者は サリーやパンジャービを脱ぎ捨て、すっかり欧米人風の服装にハマッている。女性がお酒や煙草を公衆の前で楽しむようになっている。

「若者、とくに女性が“選択する自由と権利”を手に入れた」とも言えるけど、でも 外国人の私としては 身勝手な意見ですがちょっと残念。
インドは 欧米文化の侵略にも勝てると思ってたんだけどな。
でも、時代ですよ。時代の流れ。誰にも止められない。仕方ないのだ。
インド人女性にとっては、「自分の生き方を自分で決められる権利」を獲得したことを意味するのだろうし、それを押さえつけようとすると、人権侵害になるものね。

しかし、こうやって 世界がどんどん欧米の価値観に染まっていって、日本が着物を捨てたように、いつかインド人もサリーを脱ぎ捨て、トンガ人もタオバラを外し、世界中の人が シャツ、スカート、パンツという欧米の服に身を包むことになるのかもと思うと、、、、、

寂しい限りだ。 インドには、世界の人にサリーを着せるぐらいのパワーがあるんじゃないかと淡い期待を抱いていたけど。 欧米文化は脅威ですな。

世界って、違いがあるから面白いとおもうんだけどな。みんな欧米文化かぶれになったら つまんない世界になるよなあ。つーか、そんなに西欧の文化って魅力的なの?
特にアメリカの文化なんて、歴史の浅い文化、ジャンク文化ばっかだよ?

インドの若者が 年配の人の言い分を聞かず、どんどん欧米文化にのまれていくのを否定することはできないし、親が決めたお見合い結婚ではなく 恋愛結婚を選ぶ権利もあっていいとおもう。

でもさ、でもさ、文化を守るために いろいろな制限のもと、暮らしているインドの人の 本当の大変さを知らないから 偉そうなことはいえないけど、
ただ、一度失われてしまった文化、壊れてしまった文化を取り戻すのは、不可能に近い。
そのリスクをよく知った上で、自分のライフスタイルを選んで欲しいなと思う。
たくさんの文化が失われてしまった日本の国民からの意見ですね。

みんな、もっと 着物 着ましょうよ。


バレンタインデーに話を戻すと、

バレンタインデー当日のうちの生徒の様子。(注:大学生)

その1
 男子生徒A 私を見つける。 ビッグスマイルで駆け寄ってくる。
 「センセ、センセ、センセーーーーーーー! ハッピー バレンタインズデーー!
 と叫び、
 「サヨナラーーーーー!」と去って行く。


その2
 教室に入ると、 「センセ~ ハッピーバレンタインズデ~!の合唱。


その3
 日本語教師用の部屋に、私の学生2名やってくる。
 学生A 「センセ、valentine’s Day、 オメデトーゴザイマス!」
 私    「あららあ! ありがとう!」

 学生B 「アーーー、センセ? When will the Japanese test be conducted?」
 私    「? I already told you. It will be next week.」
 学生B 「ハイ、、、、、、、。」
 その後、一緒に来た学生Cと コソコソ小さい声で話している。
 学生C 「( ワ、 ワタシ、、、? We, We,!)」
 学生B  「 (No, No, It's ワタシタチ!)」
 

 お二人さん、聞こえてますけど?
何がいいたいんだい?

 学生B 「(OK?)」
 学生C 「(OK!)」

 なんだか知らんが、準備に余念がない。

 学生B&C 「 ワタシタチ、 キョコセンセ スキデス!

         (「言っちゃった!言っちゃった!」みたいなノリ。)

 

 ・ ・ ・ 。

学生かっ!?

 
 あー もー 君達、やっぱりおもしろいねえ。

 笑っちゃったよ。かわいーねー!

 私 「ありがとうございます!!!! とても うれしいです!!」

 学生B 「アリガトゴザイマス! You special センセ!」

 私 「ありがとう! テスト、がんばってください!」

 学生B&C 「ハイッ、 ガンバリマスッ (キャピ キャピ
         (拳を上に上げる動作付き : 私が仕込みました。)」



・・・・・ バレンタインデーは 今のところ 彼らの純情っぷりには なんの悪影響も及ぼしておりません。


マイ ブーム。

2009-02-13 03:46:33 | インド 生活

最近の マイブーム

ティーヴィー を 見ること。

テレビ。

それは 魔法の箱。

スイッチを押すだけで 映像が流れる摩訶不思議なしくみ。

大学から帰宅して、ご飯作って、食べて、ホットシャワー浴びたら 1時間くらいテレビタイム。その後授業準備して 就寝。

BBCとCNNが写るようになったおかげで、なんと 英語のニュースチャンネルが 3つ見られるようになった。 きゃぴきゃぴぃ!!

テレビっつーーーのはさぁ  すげーよ。

ラジオとかネットだけでニュースをゲットするのとは 全然違うね。

映像の力はすごい。

んで やっぱりイギリス英語は 聞き取りやすい。

インド人の英語は、、、、 やっぱり、、、、き、、、、聞き取りにくいっす。。。
すんません(笑)。

今日のCNN(インド版)では、「パキスタン政府が ムンバイテロにパキスタン国民が関わっていることを認めた」という話でもちきりだった。

これまで南アジアではテロは絶えず起こってきたけれど、
パキスタン政府がインド政府に歩み寄り、協力して事件の真相解明を試みるということは史上初とか。

まあ、これで 多少はインド、パキスタンの関係がよくなるかな。

でも つい2,3週間前までは パキスタンは「このテロに パキスタン国民は一切関係ない!!」と言い切ってたのに、、、、。

やっぱり アメリカの圧力かね?

果たして インドとパキスタンが手を取り合って犯人の逮捕、事件解明、再発防止がうまくいくか。

やっぱり ティーヴィー で チェックしなくちゃ。きゃぴきゃぴ


ジンバブエーーーー!!

2009-02-12 00:34:35 | 海外ニュース

私が今住んでいるアパートには、
なんと

テレビがある。

テレビだよ?

テ ・  レ ・  ビ!! 
すげーーーだろーーーー?!

しかも、何故だか知らないが、1週間前くらいから突然BBCとCNNが見られるようになった。
一体 何故。

サンキュー  インディア。The country of wonder。

それからというもの、一日1時間はBBCを見るようにしている。
さっきBBCを見ていて、驚いた。

アフリカ大陸今世紀最大の暴君と言われている独裁者ムガベ大統領が支配するジンバブエで 野党の議長ツヴァンギライが総理大臣となって、連立政権が樹立されたらしい。

フィジーにいた時、インド人の先生からマンツーマンで英語を習っていたのですが、その時 授業の題材はBBCのニュースでした。当時、BBCではムガベによる、野党と野党支持者(一般人)への暴行、虐殺などの被害が毎日のように放送されていました。

ニュースで伝えられるムガベの暴君っぷりは、本当に恐ろしく、非人道的なものでした。

なんつったって、警察を使ってムガベ政権反対者を抹殺していくのですから。

選挙で、野党に票を入れた市民を探し出し、暴行もしくは虐殺するのですから。

それでもムガベ政権に反対する人々は、自分達の家を出て、草むらの中で寝て夜をあかしたりしながら身を隠して、密かに政治運動をするなどして立ち向かっていた。

そして今日。ついに野党の議長ツヴァンギライが総理大臣に就いた。

が、 ムガベは引き続き大統領職に就いている、、、、。
これじゃ、意味ないんじゃない?
多くのジンバブエ国民も、そう思っている。
でも、暴君ムガベが野党との連立政権を受け入れたことは、驚きだ。

ツヴァンギライ氏が 今後どのように動くか。 気になるところだ。

しかし テレビってすごい。


インド初の「24時間テレビ」

2009-02-11 01:21:29 | インド 生活

インド初!!
24時間生テレビが 2月7日の夜7時から 翌8日の夜8時まで放映されました。

THE  REENATHON というこの番組は、なんと、環境問題がテーマの番組。

番組の内容は、環境問題をインド国民に問いかけるもの。

ボリウッド、コリウッドスターがスタジオにやってきて、(一応自主的にということになっていたが真偽のほどは定かではない。)環境問題について語ったり、

歌ったり踊ったりしながら、募金を呼びかける。

中継では、ヤムナ川、ムンバイコーストラインをボランティアが清掃している姿が放送され、

別の中継では子供たちが環境について考えている様子が映し出される。

そしてなんと、環境問題を呼びかけるために、俳優が、24時間マラソンに挑戦するのだ!!

おおおおおおおおおおおぃ!! これ 日本の某テレビ局の24時間テレビと全く同じやんけ!!

それもそのはず。

この番組を放送したのは、NDTV(たぶんNew Delhi TV の略)ですが、スポンサーはなんと、TOYOTA なのですから。

まあ、某テレビ局の24時間テレビを真似していようがいまいが、そんなことはどうでもいい。

インドという国が、環境問題を扱う番組を放送したということが大事なのですから。

私は、正直 びっくりしました。

だってさ、洞爺湖サミットの時さ、「2050年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を半減させる」という長期目標設定に、インドは大反対してたじゃん?

でも、こうやって国内のテレビ局が、環境問題を扱った番組を放映するってことは、
決して 環境問題、温暖化に無関心ではないということなんでしょうね。

まあ スポンサーが日本の企業、TOYOTAだから、自発的なものではないのかもしれないけど。

ただ、やっぱり「インドらしい」のが、
募金を募って、電気のない貧しい村にソーラーパネルを導入して、電気を供給しようというプロジェクト。

番組終了時には、募金の総額は、2000万ルピー (3600万円くらい)以上に上った。

ちなみにこのプログラムが 番組のメインプログラムだった。

ただ温暖化、環境問題を考えるだけでなく、そういった問題をうまく扱いながら、いかに国内を発展させていくか。

「地球温暖化を引き起こしたのは、先進国が今までCO2を排出してきたからではないか!それなのに途上国や、新興国にもCO2削減目標を掲げさせるのはアンフェアだ!」と主張したインドらしいプログラムだなあと思った。

この番組が、インド人による自発的な企画によるものか、はたまたTOYOTAの企画なのかわかりませんが、

自分の手を汚して掃除することなんて考えられない!(公共の場の掃除は 特定のカーストの人がやるものだという考えがあるから。)というインドの比較的裕福な人々が、ヤムナ川や ムンバイコーストラインの 大量のゴミやヘドロに立ち向かったことは、かなりすごいことなんじゃないかな?と思った。

あと、もう一つ、びっくりしたことが、番組のメインキャストの女性が、
「私は今回、貧しい村の現状を映像で見て、ショックを受けました。インドは今すさまじい勢いで経済が発展しています。その影で、まだまだ貧しい人達は山ほどいて、彼らの生活は、私の想像以上につらいものだとわかったからです。 私は大学も出て、いい仕事にも就くことができた。貧しい彼らの現状と比べて、私がどれだけ恵まれた環境で育ってきたかがわかりました。」
と言っていたこと。

きっと彼女は いいカーストに生まれたのでしょう。
いくら、いいカーストに生まれたからとはいえ、貧しいカーストの人達と接触する機会がないとはいえ、同じ国の中で暮らしている人達なのに、テレビの映像を通してしかその現状を共有する機会がないんだ、、、 と、感じました。


番組の流れは、正直 グダグダだった(笑)ところもあったけど、(例えば、24時間走り続けた俳優がゴールしても、演出が下手で、たいして盛り上がってなかった。)でも、これからもこういう番組をもっとやって欲しいなあと思った。

ちなみに、3ヶ月くらい前の新聞に、
「政府主導のもと、ソーラーリキシャ導入!」という記事が載っていた。

世界のみなさん。インド人もインド人なりに エコを考えてマス!!


「インドの衝撃」と それに追い越されるだろう日本

2009-02-07 22:30:44 | インド 生活

今、会社の同僚の人から借りた本「インドの衝撃」(文藝春秋/編著 NHKスペシャル取材班)という本を読んでいる。

この本を読んで思ったこと。
それは「インドはやっぱりすごい国だ。」ということ。
“すごい”という漠然とした言葉を使ってしまうのは、この国をいろんな角度から見れば見るほど 私達に何か強い衝撃、何か強い感情をを与えるからだ。

そして私達が感じるその衝撃、感情の内容も、本当に様々なものなのだ。
だから、それらを総称して表現するとなると「すごい」という言葉しか見つからない。

まあ とにかくこの本を読んでもらいたいんですが、第一部の「湧き上がる頭脳パワー」を読んで、私は感動した。

同時に、自分の国、日本を振り返って、「これは まずいぞ!」と思った。

この本の第一部では、インド人がその頭脳を武器に世界中で活躍し、世界のITを支えているということが書かれている。

そして、そういったインド人達の「本当の目標」も書かれている。

それは 自分ががんばって勉強して、いい企業に入って、技術を取得し、そして自分の力で貧しい自分の村を、自分の力で豊かにしたい。 という思いだ。

インドで大学に行ける人達は やはり比較的裕福な家庭出身者だ。
でも国立大学なんかには、貧しい村の出身者も多くいる。州政府から特別に低金利で借金をして通っている生徒もいる。

そういう学生達は、自分の家族の貧しい生活を変えるために必死になっている。

自分の家族が 自分の村に発展し、自分の村が自分の州に発展し、自分の州が 自分の国 インドに繋がる。

「愛国心」という概念を捉えにくい日本人にとっては、「愛国心」というと、なんだか右よりなイメージを持ってしまうけど、 でも インドでは「愛国心」は単に「家族愛」が発展しただけのものなのだ。

でも、だからこそ、強い。

「日本に生まれたから、やっぱ日本料理が一番だし、日本の文化が一番だよ」と漠然と感じているのとは、お話にならないくらい違う。

彼らの言う「愛国心」は 私達がイメージするそれよりも、もっとピュアで もっと身近なものなのだ。

「自分の国をもっと発展させたい」という言葉は 「自分の家族の苦しい暮らしを変えたい」ということとイコールなのだ。

この本の中に、インドで一番貧しい州 ビハール州でインドのトップ校 IIT 合格を目指す男の子の話がある。
彼の家、彼の村はとても貧しい。
だから彼の家族は病気のお爺さんも畑に出てまでして 受験費用を工面しようとしている。

彼は取材者にこういったそうです。

“この村の子供たちの殆どが小学校にすら通っていません。だから自分がIITに合格して、将来はこの村に大きな学校を作りたい。 自分と弟達で先生を育て、村の誰もがここにいながらにして勉強ができるようにしたいのです。そうすれば村の状況は大きく改善すると 思います。”

この本にも書いてあったけど、こういった若者達が、先進国日本に行って、同年代の若者が何の目標もなく、親の金で大学に行き、勉強もせず、チャラチャラあそんでる姿を見たら、どう思うだろうか。

ちなみにうちの大学の学生も 週5日一日6時間授業を受け、寮でも数時間勉強する。
彼らが、「日本の大学生の実態」を知ったらどう思うだろうか。

そんな日本の状況を見せたくない。と思ってしまう。「戦後すさまじい勢いで先進国にまで上り詰めた日本は さぞかし優秀な若者で溢れているのだろう」という思いを抱く彼らを失望させたくないくないという思いと同時に、
“恥ずかしい”という思いがある。

自分の国を恥ずかしいと思うなんて 悲しいことだ。

でも、海外に出ると、自分の国の良さを改めて感じるとともに、自分の国の悪い面も発見する。
もちろん 自分のことを棚にあげているわけではない。
私は 自分自身も恥ずかしくなった。
自分の祖父母と父母の世代が、必死の思い出立て直して手に入れた平和と発展。その上にあぐらをかいているだけの自分が 恥ずかしい。

大学時代、途上国を旅して生まれて始めて物乞いにあったり、貧しい暮らしをしている人達を見て、いかに自分が恵まれて育ったかを知り、
それからは
「言い訳をして逃げたりせずに、やろうと思ったことは全部やろう。やりたいことができる環境にいられるのは 世界で本当に一握りなんだから。やりたいことがやれる状況に生まれたのに、恐れをなして挑戦しないことは、罪だ。たくさん努力して 一生懸命生きよう。」 と思って、自分なりに頑張ってきたと思ってたけど、

甘い。
甘い。
まだまだ 甘い。

この本とインド人のパワーを目の当たりにして、自分自身を見直すチャンスを得ることが出来た。

まだまだ、できるのにやらないこと、やろうと思ってズルズル先延ばしにしていることがたくさんある。
それに、生涯学習。
もっともっと いろいろ勉強しよう。
自分も、頑張っているインド人に負けずに、自分ができることに精一杯取り組もう。
まずはせっかく海外にいるんだから、もっともっと英語をのばさねば。
英語の小説を一ヶ月に一冊は絶対読もう。
英字新聞は毎日読もう。

恵まれた環境で育ったんだから、苦しい環境で育った人よりも もっともっと頑張る義務がある。

そんなことを考えながら バスに乗っていたら、「Hi!」と声をかけられた。同じ大学で教壇に立っている生物化学の先生だった。

バスの中でいろいろ話していると、その先生が

「実は、僕は大学で講義をしながら、ビジネスもしているんだ。」と言い出した。

「大学の授業は週5日あるのに、よく時間がありますねえ。とても忙しいのではないですか?」と聞くと

「でも大学の授業は4時に終わる。だから夜は時間があるじゃないか。」という。 

すごいなあ。そして彼はこう続けた。

「今 インド経済は アメリカ経済の破綻の影響をもろに受けている。でも僕はこういうのは嫌なんだ。 自分の国の経済が、他国の経済の動向に左右されるなんて。 だから、僕は自分のビジネスを絶対成功させてこの国の経済を安定させたいんだ。」
この「インドの衝撃」という本を読んだ後だっただけに、びっくりした。
びっくり。
つまり、本の中から得た知識ではなく、身をもって「インド人は本当にこういう志を持っているのだ」ということを知ったから。

そして彼はこういいました。

「自分のビジネスが成功したら、僕は自分の村に学校を建てるんだ。」と。

やっぱり インドは「すごい」。

インドを旅した人は、あと数十年で、インドの経済は日本を追い越すといわれていることに対し、「そんなわけがない。」と思うでしょう。
実際私もそうでした。
インドを旅して、貧富の差、インフラの不整備、さまざまな面で体験する「インドタイム」を目の当たりにすると、本当にこの国が今急成長を遂げている「新興国」なのだろうか。と疑問を持つ。

でも、実際にここに住んでみて、インド人と深い会話を交わしたりしてインドを内面から見ると、
「うん。インドはあと数十年で確実に日本を追い越すだろう。」と思う。

観光客にはわかりにくい、パッと見ではわからない、熱い、強いパワーが、ここインドにはある。地下に潜んでいる。

今日も理不尽なことを言うインド人とバトルをして、「本当にこの国は“新興国”なのか?!」とブチ切れちゃったけどね(笑)

いやいや、本当に、日本は こういった国をもっと見つめた方がいい。
先進国からばかり学んできた。
でも、その先進国達が今 崩れてきている。

「先進国」というプライドがあるが故に、メディアでは いわゆる途上国は 「劣っている国」として表現されがち。

でも 途上国を旅したり、途上国で暮らしたり、働いたりした人の中にはこう思う人もいるとおもう。

劣っているのは 生きるうえで大事な何かを忘れてしまった 私達先進国の人間なのでは。と。

あとどれくらいインドにいるかわからないけど、ここにいる限りはたくさんのことをインドから学ぼうと思います。


熱いインド人。本当の民主主義。(スリランカ紛争に関して)

2009-02-06 17:57:16 | インド 生活

まじめな話です。

月曜日から大学がまた休校になりました。

しかし 今回は我が校だけでなく、
タミルナードゥ州の政府の命令で、州内の全大学、それに伴う寮の全てが閉鎖されてしまいました。

原因は、州内のエリート校 アンナ大学、マドラス大学その他数校の学生達が起こしたストライキ。
タミル州政府は、このストライキがさらに拡大することを恐れ、州内の全大学を急遽閉鎖してしまいました。

しかも 「無期限」に。
しかし今日の新聞で「来週月曜日から、エンジニアの大学は再開」と書いてあったので、うちの大学は来週から再開するそうです。

学生達がストライキを起こすほど、タミル州政府に訴えたかったことは、

「インド中央政府に、スリランカ紛争の休戦の調停を依頼すること」である。
そう、停戦協議を求めている国際社会と意見は同じなんですよ!
ここインドはタミル州の民衆も。
つまり、自分達と同じ民族タミル人の無実な民間人が大量に犠牲になっているこの紛争を 止めさせろ!!ということである。

スリランカの国民の7割はシンハラ人。残りの3割を インドのタミル地方から移住したタミル人が構成している。
スリランカ政府(つまりシンハラ人勢力)とLTTE(タミル人の過激派)の紛争は今に始まったことではない。
ことの始まりはスリランカ政府がタミル勢力を抑圧したからなんだけど、それから何十年と戦いが続いている。
しかし恐らく日本のメディアでも報じられていると思うが、ここにきて、スリランカ政府が LTTE掃討作戦に出た。

対するLTTEは、無理やり民間のタミル人を人質にとり、彼らを人間の楯にし始めた。
その結果、現在までに多くの民間人が犠牲となっている。

そんな状況を見て、インド、タミルナードゥ州のタミル人達は、胸を痛め、タミル州政府がインド中央政府に意見を述べ、中央政府がスリランカ政府に停戦協議を提案することを強く要求してきた。

しかし 現在タミル州の州知事及び与党DMKは及び腰。

何故なら、インド中央政府に「紛争の調停」を依頼しても断られることを知っているからだ。

中央政府の意見は、「他国の紛争に介入することはできない。」というもの。

しかし、政府が動かない理由はそれだけではない。
以前 インドの首相(ラジーブガンディー)が、LTTEによって暗殺されたことが大きく関係している。
実はその昔、インド中央政府は、スリランカ政府のLTTEの制圧に加担し(軍隊を派遣した)たため、恨みをかって 暗殺されてしまったのだ。

だから 中央政府は絶対このスリランカ紛争に介入したくないのだ。
中央政府の意見は、そのまま州政府にも反映される。

その政府の無関心さに タミルの一般人達は キレた。

州政府野党は、スリランカ紛争の休戦を訴える州内一斉ストライキを計画。

これをもまた、州政府は「違法」と発表。さらに民間人の反感をかうことに。

結局、州政府が「違法」と位置づけた 州内一斉ストライキは水曜日に決行された。

危ないので外に出るなという会社からの命令があったので、私は家の中でおとなしくしていました。
が この田舎町ケランバッカムで何かが起こるわけがなく、どうしても新聞が買いたかったので外に出てみた。

すると90パーセントの店が閉まっていた。

州内一斉ストライキ計画者達は、事前に新聞などで、
「このストライキへの参加はは強制ではありません。このストライキの意義に賛同したい人、犠牲となっているタミル人への何らかの思いがある人が、自主的に参加してくれればいいのです。」と言っていた。

結果、ほとんどの店主が 自分の意思で店を閉め、ストライキに参加していた。

私は このインド人パワーに 感動した。

同じ民族が犠牲になっているとはいえ、他国の話。
それでもみんな、必死になって戦争を止めようとしている。
文字通り 必死になって。 自分の命すらかけて。

大学生が学内でストライキをするということは、首謀者は間違いなく退学になります。実際うちの大学でもそうでした。けれどそのリスクを恐れず 自分の意見を主張する。
中には、州政府がなんらかのアクションをとるまで「断食を続ける」といって本当に実行し 4人の学生が倒れました。

そして、同じ民族が味わっている苦しみを世間に伝えるためといい、塔から飛び降りて命を絶った若者、焼身自殺をする若者が相次いでいます。

そして開催された州内一斉ストライキ。州政府が「違法」としているのだから、何か行動に出ると間違いなく捕まります。
それを知っていて、民間人は バスを襲撃したり、道を封鎖したりしました。

なんなんだろう。

なんなんだろう。

この熱いパワーは。

もしこれが日本だったら?

「あー かわいそうだねー。なんとかして助けてあげなくちゃ。ストライキ?うーん 時間がないから参加しない。だって私には直接関係ないもの。」

そういう意見になるだろう。

自分の命をかけて 「今苦しんでいる人を助けよう」と思う人はいない。

日本人にとっては、こういうインド人の行動を「馬鹿げた行動」ととる人がいるかもしれない。

そんな、ストライキなんかしたって 政府は動かないよ。 とか、
ストライキより仕事の方が大事でしょ。 とか、
ストライキのせいで 日常生活に影響出る方が問題だよ。 とか。

でも、

そうだろうか?

本当に そうだろうか?

無実な一般人が紛争に巻き込まれて 大量に死んでいく様を見て、「かわいそーだねー」と言って それで終わってしまう方が
馬鹿げているんではないだろうか?
おかしいんじゃないんだろうか?
人間の大事な感情が失われているんじゃないだろうか?

そういう社会が、人の命の重さがわからない子供たちを育ててしまっているんじゃないんだろうか。
そういう社会が、若者の政治離れを生んでいるんじゃないんだろうか。

日本もかつて、大学生が中心となってストライキを起こすような時代があった。
ストライキを起こすことがいいことか、悪いことかは別にして、そういう時代には、まだ日本にも「人間らしい感情」が社会の中で大きな存在だったんじゃないか。

私達は それをもう失ってしまったんだろうか。

そういう私も、日本政府がイラクへの自衛隊派遣を決めた時、東京で行われた抗議デモに参加したい気持ちはありつつも結局 日常生活を送っていた。

そういう私を含めて、政治に積極的に参加しない日本人を 恥ずかしく思った。

民主主義ってなんだろう。
今の日本は 本当に民主主義国家なのだろうか。 
誰が首相になったって どんな政策をたてようと、どんな外交をしようと、国民一人ひとり意見はあっても、テレビの前でつぶやくだけ。それが 民主主義なのだろうか。

インドの政治、特に地方政治は、賄賂がはびこっていて腐敗しているし、貧しい人達は生きるのに精一杯で政治なんかに参加する余裕もないけど、それでも 余裕のある人達は、こうやって一生懸命政府に自分の意見を示す。

これが 本当の民主主義なんじゃないだろうか。 
「本当の」というより「人間的な」民主主義なんじゃないだろうか。

私は政治専門家でもないから、日本の政治の低音度と、インドの政治の熱さと、どちらがよくて どちらが悪いとは言えないけど
私個人としては インドのその「熱さ」に感動した。衝撃を受けた。


どの国に住んでも、その国からいろんなことを学べる。
殊にここインドでは、本当に様々なこと、そして深い内容を学ばされる。

インドはすごい国だ。 たぶん、日本はこのままだと簡単に追い越される。

インドはきっと かぎりなく人間的な感情を持ったまま発展できる国ではないだろうか。人間らしさを失った日本や、その他の先進国とは違って。


ただ 今回 うれしかったことは、UN,US,EU、ポーランドとならんで、日本も、スリランカに停戦協定を求める共同声明をだしたこと。

正直、「何故 日本政府が動いた?」と不思議だったが、日本政府が動いてくれて嬉しかった。でも このこと、日本人はどのくらい知ってるのかな?


授業のこと: 調子に乗りすぎずに オリジナルの文をつくりましょう。

2009-02-01 19:10:23 | インドで日本語教師

現在の担当クラスは12クラス。
だいたいのクラスがひらがなの読み書き、発音を勉強し終えた。

ちなみに大人数クラスでは ひらがな習得には10時間くらいかける。
でも10時間ずーーっと書き取りの練習をしてもつまらないので、
そこは日本語教師の腕のみせどころ。
いろーーーーんなゲームを使って、生徒を楽しませながらひらがなを
練習させたり、勉強したひらがなで歌を作ったり、生徒が興味のありそうな単語を紹介して書かせたりする。
無難なところだと、「いぬ」「ねこ」とか。まあこの辺は あまりうけない。
が、「あい」「おとこのこ」「おんなのこ」「かれし」なんて言葉を教えたら
「ひゃああああああっ!!!」
と大盛り上がりだ。

そんなこんなでひらがなを勉強して、彼らは今、名詞文を勉強している。
そう、うちの子たちも、ようやく文が作れるようになったのだ。

一クラスの人数が40~70人と多いので、一人ひとりの発言の機会が
少なくなってしまいがちなので、新しい文型を導入したらなるべく
たくさん口頭練習を入れるようにしている。

ミムメム練習はもちろん大事だけど、
私は学生が自分のオリジナルな文を作らせることに重点を置いている。

何故なら、私自身、大学生だったとき中国語を勉強していたが、
覚えているのは 私の名前が中国語読みだと「きょうこ」が「ゴンズー」という
プロレスラーみたいな読み方にになるという乙女的にはショックな事実と、
「我是日本人(私は日本人です)」と
のような教科書に載っている例文のみだからだ。

確かに例文を覚えることは 大事だが、実際にコミュニケーションをとるとき、
きちんと正確な文をいえることと、自分の言いたいことや興味のあることを多少の間違いがあっても言おうと思えることと、
どっちが大事かなと思ったら 後者のような気がするのです。私は。
これは バックパッカーとしていろんな国で いろんな現地の人と出会い、コミュニケーションをとった経験、
トンガ、フィジー、インドで暮らした経験から そう思うのです。

だから、例えば 名詞文の疑問文 N1はN2ですか。を導入、練習した後、

学生を一人前に立たせて、「はい! Please make a question sentence and ask some question to him!!」と言って 
片っ端から学生を指して 文を作らせて 言わせます。

学生B 「アー アナタワタシワ インドジン デスカ?」 

    学生A 「ハイ、インドジンデス」


学生C  「アナタワ ガクセー デスカ?」    

    学生A 「ハイ、ガクセーデス」


学生D 「アナタワ センセー デスカ?」

    学生A 「イイエ センセーデワアリマセン」


学生E 「アナタワ サル デスカ?」

   「はーーーーいッ はいはい!! He said “Are you monkey?”」
     (学生は ひらがな習得時に書いたノートを必死で見て 何か面白い言葉を探していたらしい。)

学生達 ひぃぃぃぃぃぃい!!!」 「ひゃああーーーーー!!」

   「(笑)You made us laugh! はい!But he is human being, not monkey! ね? わかりましたか?
     But it was a good try!! Because you tried to make your own sentence!! いいですね! はい、next!」
     
といって、別の学生を前に立たせて、他の生徒からの質問を受けさせる。


学生F 「アナタワ イヌ デスカ?
学生G 「アナタワ サカナ デスカ?
学生H 「アナタワ ウシ デスカ?

待て待て 待てーーーーーーい!!!
そんなわけねーーーだろ!
ムツゴロウ王国か?ここは!

  「はーいはいはい!It's enough! いいですね these sentences were very funny . Good try. But it's enough.はい、next」

今度は ちょっとぽっちゃり系の男の子が前に立った。

学生I 「ハイッ! ハイッ!」
   「はい、どうぞ。」
学生I 「アナタワ ニク(肉) デスカ?」

イナーーーーーーーーーッフ!!!Enough!!

確かに自分が言いたいことを発言するのはいいことですよ。
トンガの学生と比べて、こうやって応用できるところはインドの学生はすばらしいですよ。
ただね、何度も言っていますが ちみたち 調子に乗りすぎるところが 玉に瑕だぜ、、、。 まあまあ、いいよいいよ、発言しないよりは、こうやって積極的に発言してくれたほうが。

しかし、驚くべきことに、「ニク(肉)」の意味が meat だとわかった ぽっちゃり系男子学生は 
友人に 「Are you meat?」と言われたことに ショックを受けるどころか、

ひぃーーーーーーーーっひっひっひーーーーーー!!」
と 黒板の前で腹を抱えて笑い出した。


すばらしきかな。インド。
肥満さえも笑いにできる その精神力。

また インドが好きになった。

↓ まじめに受け答えしてるシーン。お利口さんだねえー(親バカ)