before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

授業のこと: すき きょこせんせ です

2009-01-30 21:24:31 | インドで日本語教師

今週の水曜日、午後のクラス(ECE-Cクラス)の教室に行ったら、、、、

↓ こんなんが 書いてあった、、、




「わたしたち すき きょこせんせ です」 と!!

うれP! うれP! せんせー うれP!!
うれしくって 授業の後に、写真とってしまいました。

あんたたちーーーーー むちゃくちゃ かわいーーーーやんっ!!

きょこせんせも あんたたちのこと だいすきやでーーーー!!


でも こんなん書かれると、
いやだー あと3ヶ月くらいで 君達とバイバイするの やだー
 って思っちゃうね。

ほんっと 日本語教師って いい職業だなあ。と思う。
大人数クラスは 本当に体力勝負だけど、学生からたくさん幸せをもらえる。
これからも できれば こうやって ずっと教壇に立っていたいなあ。


ちなみに、このクラスは 前々から、私を喜ばせるために授業の前に黒板にセンテンスを書いてくれているクラス。
例えば こんなんとか   こんなん



このクラスは 他のクラスと比較しても レベルは高い。
ひらがなを ほとんどマスターしている学生が数名いるし、なんと、予習をしている学生までいる!!!

ちなみにこのクラスは まだ名詞文( N1 は N2 です)しか勉強してない。
だから 語彙も 「わたし」「あなた」「わたしたち」「インド人」「日本人」「先生」「学生」くらいしか勉強していない。
でも 私の生徒はいつも、ひらがな練習の時に 練習問題で書いたいろいろな単語(あい、うち、いぬ、ねこ 等)を使って文章を作りたがる。

「わたしたち すき きょこせんせ です」

文法は 名詞文そのままを引用したのがバレバレですが(笑) 

いいんですよ。 間違いが なんだっていうんだい?

大事なのは 「何か言いたい」と思うその心、その意欲なのですから。
しかも 私の生徒は 日本語能力試験を受けるわけでも 今すぐ日本に行くわけでもない。
だーーーーーったらさ、やーーーーっぱりさ、
多少間違いがあっても、「発言した」「文章が作れた」ということ自体を評価したいのですよ、きょこ先生は。

最近 私は どのクラスでもこういっています。
「Maiking mistake is far much better than saying nothing!
 Don't be afraid of making mistake. 
 The most important thing is try to speak Japanese as much as possible!」

そのおかげか、 最近は学生の発話回数がどんどん増えております。

間違いや 失敗なんて どーってことない!
間違いや 失敗を恐れて 何も言わないことの方が、よっぽど問題だ!

こういう方針についてきてくれる積極的なインド人学生。

いいねー いいねー  先生は うれしいよ。

ただ 時々 積極的すぎて うるさいのが 玉に瑕だよ おまえたち、、、。

↓ 名詞文の疑問文を使って 質問をさせているところ。 


今、うちの大学で日本語教師が1名不足していて、その不足分を補うために、本来休日だった金曜日も大学に行って 一時的に金曜の授業も担当してるんだけど、
近々、新しい日本語教師が赴任することになった。
今日(金曜日)のクラスで 「New teacher will come next month and he will take charge of this class.」というと、学生達が
「イイエ、 イイエ!!! センセ、イイエー!」
の、大合唱になった。 

中には 「校長先生に手紙を書いて、キョコ先生がずっとこのクラスを担当できるように嘆願する!」と 言う学生まで、、、。

あーーーーー 君達ねーーーーー ほんと かわいすぎるよ。

あたしもさ、 例え 一時的に受け持った学生であっても、一度受け持てば 「私の学生」になるのだよ。だから これからも金曜クラス、担当したいなあ。
でも そしたらあたしの休みが一日無くなる、、、、。いや、それはいいけど、新しい先生の仕事を奪っちゃうことになるよなあ。 ムズカシーーッ!


授業のこと : ワックワク妄想電話

2009-01-28 03:01:06 | インドで日本語教師

日本語教育初級クラスでは、教科書に入る前に、教室用語、ひらがな、挨拶、数字を勉強するのがスタンダードなやり方です。

↓ キラキラ星の歌にあわせて ベーシックな挨拶を覚えさせているところ。


うちの思春期ボーイズ、吉永さゆりちゃんS も今ちょうど教室用語、挨拶、数字、ひらがなをマスターして、教科書に入ったところ。

だいたい大人数クラスでは ひらがな習得に10時間くらい使う。
うちの学生は 一クラス40人~70人。私が受け持っているのは現在12クラス。
どのクラスも一週間に一回(100分)しか授業がない。(土曜日が授業になると週2になったりもするが)

んで、日本語は必修授業だけど 「自宅で勉強する必要はゼロです!日本語よりもっと大事なエンジニアの勉強に力を入れてください」と うちのアホ社長が全校生徒の前でアナウンスしていたので、

彼らが日本語を勉強するのは 1週間に100分だけ。
つまり授業中のみということになる。

だから 授業内で、復習、新しい内容の導入、定着練習 を行う。
特に 復習、定着練習には力を入れる。

とはいえ、1クラス70人もいれば 相当工夫しておもしろい授業、活動をしないと学級崩壊になります。
だから 毎日 いろいろ工夫して楽しく復習できるようにしています。

そのひとつが 数字を復習するために 「日本で電話番号を聞く」というスキット

まずスキットを紹介する前に、数字を日本語で覚える大切さを理解させるために、軽くイントロダクション。(英語にて)

「君達がもし日本に行って 友達を作ったら まず何をしなきゃいけないかな?」

学生達 「・・・・・・ おじぎ?」

 「いや、そういうことじゃなくてさ、ほら 電話番号を聞かなきゃいけないでしょ?

学生達 「おおおおおおおお!!」

 「でも 日本人は英語を話せないから 日本語で聞かなきゃいけません。 
   電話番号も 日本語で聞き取らなくてはいけないよ。」

学生達 「おおおおおおおお!!(汗)」

私 「そして 電話番号を電話をかけなくちゃいけないよね。日本語で。」

学生達 「きゃーーーーーーーっ!!(電話をかけることを想像して盛り上がる)」

学生A 「センセ!」

 「はい?」

学生A 「電話かけても、たぶん出てもらえないと思う・・・・

暗いッ!! 暗い 暗い!! 若者よ。どうしたんだ そのマイナス志向は!!

 「もし出てもらえなくても、異国の地で自分から何かアクションを起こすということはとても大事です。はい、練習しましょう。」

学生達  「ハイッ ハイッ!!



数字の復習であることに重点を置くため、会話文はローマ字で黒板に板書。
スキットは以下。

A:「すみません、電話番号を教えてください。」
B:「はい、●●●●●●●●(電話番号)」
A:「(番号をメモッた紙を見ながら)●●●●●●●●ですね。   
  ありがとうございます。さようなら。」
B:「さようなら」  

-席に戻って電話をするフリ-

A:「もしもし、~さんですか?」
B:「はい。」
A:「おげんきですか?」
B:「はい、げんきです。おげんきですか?」
A:「はい、げんきです。」


はい、こんな非常にシンプルな内容でも、 彼らは 大興奮しちゃうんですねー

必死になって練習するんですねー
おかげで 数字の定着率が高まる 高まる。 みんな必死に架空の電話番号をメモてるからね。

で、学生の一人が

「センセ? スミマセン センセ デンワバンゴ オシエテクダサイ」

と聞くので

「はい●●●●●●●● です。」と 日本の自宅の電話番号を教えた。

みな 必死になってメモッていた。でも 一回じゃ聞き取れない。

ほとんどの生徒が、「センセ、 モウイチド!」と言う中

女子生徒が 自信満々に手を挙げた!!

この生徒は いつも私と同じバスで学校に通っているので、個人的に親しい生徒。
その名も Preeti ちゃん。
Preetiちゃんは とてもシャイなので、いつも授業中はほとんど手を挙げない。

それが 今日は、どーーーしたことか!?

今日は自ら手を挙げているぞ!
いーねえ いーねえ 先生は嬉しいぞ。
 じゃ、Preetiちゃん、答えを黒板に書いてねー

するとPreetiちゃん すごい勢いで黒板に番号を書き始めた。
 ↓
「093●●●●●●●●」

それ、あたしのインドの携帯番号やんけっ!!!

あたしが言ったのは日本の自宅の電話番号ですけどっ?
あんた あたしの言った番号を 全然聞いてないやんけ!!
この前あたしと携帯の電話番号交換したから、それをチェックして書いただけやんけ!

Preetiちゃんに、「これは私のインドの携帯番号でしょ? 私が言ったのは日本の番号だよ?」と言うと、

「Oh!!!」 と 大笑いしていた。

まあまあ いいよ。 なんでも。 いつもは照れまくって手も挙げないのに、今日は張り切ってるからさ。
いいよ いいよ。 思春期ボーイズたちに 私の携帯番号が知れ渡っても。。。。。


どのクラスでもこの「電話スキット」は 大盛り上がりだった。




はい、そしてもちろん、このブログに度々出場している 安達由美の元旦那似の ソーラヴ君ちなみに彼は、学級委員。
きたきたソーラヴ ネタ。 

 「はい、誰かこのスキットやりたい人~?」

ソーラヴ 「ハイッ ハイッ!!  (もう 椅子から立ち上がっている)」

君ねえ、、、仮にも学級委員ならさ、私が指すまで座っててくれないかな。

ソーラヴ 「センセ、スミマセン?センセ、デンワバンゴ オシエテクダサイ

あー はいはい、私を相手にスキットしたいのね。わかったよ。

 「●●●●●●●●(架空の番号)です。 わかりましたか?」

ソーラヴ 「はぃ~~  (ぽわわわーーーーん:自分がきょうこ先生の電話番号をゲットしたことを妄想中 )」

 「ソーラヴさんっ!You have to write down the number!!!」

ソーラヴ 「!!(我に返る) ハイ!」

気を取り直して 始めから。 今度はちゃんと番号をメモるソーラヴ。
無事 電話をかける行に到達。

ソーラヴ 「モシモシ~  キョコサンデスカァァァァァァァァァ??
       (ぽわわわーーーん再び:私に電話をかけていることを妄想中)」

 「はい。」

ソーラヴ  「・・・・(満面の微笑でぽわわわーーーーん)」

 「ソーラヴさんっ!You have to say おげんきですか」

ソーラヴ 「!!(我に返る) ハイ オゲンキデスカ」

 「はい、げんきです。 おげんきですか?」

ソーラヴ 「オゲンキデスカァァァァァァァァーーー

ただ リピートしてるだけやん!

ソーーーーーーーラヴ!!!

頭で考えてから 話してくれ! 妄想しすぎだぞ!

しっかりしろ!! ソーーーラヴ!!

何度も言うが、お前は 学級委員だろ?! 妄想してる場合かっ?!



インド ケーララ爆走一人旅  その2 (コーチン編) 

2009-01-26 07:51:41 | インド 一人旅

せっかくアップしたのに、何故か記事の内容が消えていた。ちきしょーっ
もう一度同じ内容を書くのがめんどくさいので かいつまんで書きます。

クイロンからアレッピーまでのバックウォーターツアー(7時間)を楽しんだ後、その夜はアレッピーの宿に宿泊。一泊300ルピー。安宿でもこれくらいかかっちゃう。北インドはこの半額くらいだったんだけどなあ。でも なかなかいい宿だった。

翌朝また早起きをし、アレッピーからバスで2時間の、コーチンへと向かう。

コーチンのバススタンドは、エルナクラムという地区にあります。
エルナクラムにも宿はたくさんあるんだけど、せっかくコーチンに泊まるなら、是非フォートコーチン地区に泊まりましょう。
フォートコーチン地区までは、エルナクラムから船で10分。

↓こんな船に乗って フォートコーチン地区へ!


コーチンは、16,17世紀、ポルトガル、オランダの占領下にありました。その当時の建物等が多く残っているのがフォートコーチン地区。観光の見所も集中してるし、何より、町並みがヨーロッパとオリエンタルの融合という雰囲気で素敵。

↓ 宿も こんなかんじで ギザ カワユス。




↓ エントランス内部。こじんまりしてるけど、安宿でこの清潔感。このレベル。
   ギザ 合格ユス。


↓こんなような建物が 町中あちらこちらに。 
 ヨーロピアンな建物とアジアンなブーゲンビリアが ベストマッチ!
 おいら ブーゲンビリアって大好きなんだよねー


↓普段住んでいるところ(ケランバッカム)では決して見かけない観光客向けのお土産の品々。カラフル。ナイスカラフル!このタペストリーは たぶん北西インドの品だと思うんだよね。古いサリー生地でパッチワークをつくるのよ。全体的にお土産も北の製品が多かった。店員も北の人が多かった。改めてここは観光地なのだと実感。


↓ いつも見慣れてる神様の像すら おしゃれにギザ見えユス。



↓ はい、こちらはコーチン名物チャイニーズフィッシングネット

このチャイニーズフィッシングネットを使う漁法は、ケーララ特有なのだとか。
「ケーララの魚は旨い!」とインド人が皆口をそろえて言うその魚はこうやって採られます。

↓ こちらは聖フランシス教会。ポルトガルが経てた教会です。 
   ケーララ州にはやたらと教会が多い。ヒンドゥー寺院より目立ってる。
   植民地時代の影響ですね。


↓ この教会。なんと、内部にかの有名なヴァスコダガマ氏の墓があるのだ!

現在は 遺体はポルトガルに安置されているらしいです。
ヴァスコダガマ氏は、ポルトガルインド領の総督として3度目の渡印を果たした後、ここコーチンでマラリアに感染してこの世を去ったのです。
前々から、いつかここに来てみたかったので、叶ってよかった。ゴアには確かザビエルさんのお墓があるんだよね。そちらも行ってみたいが、今 ゴアはテロの次のターゲット候補として挙げられているので、無理だな。

↓ はい、ところかわって、こちらはJew Town(ユダヤ人町)です
   写真は ユダヤの星が描かれているの骨董品屋さん。


ユダヤ人は紀元1世紀に、古代ローマ帝国に国を滅ぼされた後、世界中に散らばったわけですが、ここインドのコーチンにもユダヤ人は移住してきました。
現在は、ほとんどがイスラエルに帰国してしまい、数家族しかここに残っていないといいます。
確かに 町並みも「ユダヤ教」らしさと言ったら、壁にユダヤの星が描かれていることぐらいで、歩いている人もインド人だし、雰囲気もインドのほかの町とたいして変わらない。

それでも一時期は、ここコーチンにユダヤ人町を作り、香辛料貿易を一手に引き受けるほど賑わっていたらしい。

↓ スパイス屋さん。


↓ 何故か ユダヤ人町には 骨董品屋が多かった。


↓ ナイスお面たち


↓ 壁の色と 置物の配置が 素敵。


↓ 味のある骨董品屋さん。


夕方になるまで 一人で 徒歩でうろうろしていたら、あやうく日射病になるところだった。すっかり水分を採る事を忘れていたのだ。
そんなときは、ミリンダ!! ミリンダと言って、わかってくれる日本人はどのくらいいるんだろう。。。。

さて、夕方からは 念願のカタカリダンスショーです!(ケーララの伝統舞踊)

ショー会場に行って、またうろちょろしていると、「ニホンジンのカタデスカ?」と声をかけられる。

昨日に引き続き また? でも今回はSPEED 歌ってない。

振り返ると 白人の男性が立っていた。

「はい 日本人です。」と答えると、

「アア ヤッパリ! Y チャーーーン! コチラ ニホンノカタ!」と奥さん(Yちゃん と呼んでいた)を呼んでくれた。
そうこの白人男性は、日本人の奥様(Yちゃん)を持つ、アメリカ人でEさんという方でした。Eさんは、なんと皮膚科医さんで、バンガロールの学会でスピーチをした後、ちょっと南インドを旅行しているのだそうです。

すてきな ご夫婦でしたー

このダンスショーは ダンサーのメイクアップから観ることができるので、メイクアップを観に、Eさんご夫婦と会場に向かう。

会場では メイクアップをしているダンサーを囲んで観光客が写真を取りまくっていた。私とEさんもそれに加わる。

すると Eさん 結構大きな声でこういった。

「ヒダリニ ミエマスノハァ~ デントーテキナァー ケイタイデンワ デース!」

なに? なに? なんて? ↓ 左に見えますのは 伝統的な?

確かに!  ↑ 携帯電話!! 

そうよねー ちょっと隠して欲しいわよねー 形態とかさ。
一応伝統的なダンスを踊る人なんだからさっ

しかし Eさん。日本語だけでなく 笑いのツボも抑えている。。。 ジェラシィー

1時間ほどメイクアップを観た後、ようやくダンスショースタート。

↓まずは若い踊り子達のダンス。ちみたち、若いのに 上手だねえ。


↓ 特に真ん中の小太りの坊や。小太りのくせに 上手だねえ。

インドの人がお化粧をすると、ヒンドゥーの神様の顔と同じになるよね。美男美女が多いよ、インドは。みんな顔が濃いよ。私も幼い頃から「顔が濃い」といわれてきたが、ここインドでは 薄いよ。日本じゃ私はソース顔だけど インドじゃしょーーゆ顔。

↓ はい、念願のカタカリダンス!!!


カタカリは、ダンスというより、動きや表情で、喜怒哀楽、嫉妬、恨み、恋慕などの感情を表す感じでした。
演目は 古代叙事詩のラーマヤナとか マハーバラタとかがよく使われるらしい。
ヒーローは 緑色の顔をしているダンサーで 悪役は黄色い顔をしているダンサーなんだとか。

え?

感想?

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

I MA I CHI でした。すんません。

同じショーを観たEさんご夫婦は大絶賛してたけど、
私はこれまで、いろんな国で、いろんな伝統的なダンスを見てきたから
ついついその完成度を比べちゃうんだよね。

あんまり完成度が高くなかった。

何より、メインダンサー(緑の顔)つまりヒーロー役の演者が、へたくそだった。
演目中に、何度も自分の顔を鏡でチェックしてるし、、、。興ざめ~
しかも カタカリダンスってさ、ヒーロー役はさ、白目に赤インク入れて赤目にするのが有名なのね。でもこのダンサーは それ やってなかたし。

でも女形(黄色顔)つまり適役を演じた人(写真右)の演技力はすばらしかった。


でも メインのダンサーが下手くそだったから 全体の質が下がっている感じ。

あー 残念だなあ。違う場所でショーを観ればよかったかなー なんて思ってたら 気がついたら演目が変わっていた。

正体不明の こんなの が 客席を縦横無尽に走り回っていた!


なに?! あんた 誰?!

しかも この正体不明の蝶々顔は、敢えて 禿げ頭、もしくは 禿げ頭予備軍の男性を狙って、頭を ペシペシしまくっていた!!
どーいうことやねん?! 何がしたいんだ?!

やめとけ やめとけ。 
男って デリケートだから 今は笑ってても、宿に戻った後 凹むぜ。きっと。

この蝶々顔、懲りずに ひたすら 禿げ頭を ぺシペシして おどりながら去っていった。

一体なんだったんだのだろう。 あの踊りは。。

あんだけ 禿げ頭を ペシペシったのに、ショーは無事に終了。

↑ 全員並ぶと 美しいですね。あでやかー

↓関係ないけど、ショーの帰りに見つけた ガネーシャ(象頭の神様)のチェス。かわいい。


この夜は、Eさんご夫婦にディナーに誘っていただいた。
しかも場所は Eさんご夫婦が泊まっている 高級ホテーーーール
あー 旅行中だからちょっと多めにお金持っててよかったわあー と内心ヒヤヒヤしていた私ですが、結果 なんと全てEさんのおごりでした!!

おおおおおおお! 
ついている!
2009年、私はついている!
なんなんだ、この2008年末との違いは!

しあわせー

Eさんご夫婦は 私の両親とほぼ同じ年齢。
海外にいるとさー なんでも自分でやんなきゃいけないし、誰かに気軽に頼っちゃいけないからさー こういう自分の両親と同じくらいの年のご夫婦に会ってさ、いろいろ心配されたするとさー  なんか 素直に嬉しいよねー
心が 癒される。

Eさんご夫婦とは いろんな話をして盛り上がった。
年上の方のお話は本当に ためになる。
「人生」「結婚」「夫婦」それぞれに 哲学があるんだなあ と思った。

旅とは不思議なもので、カメラマンさんと出会ったときもそうだったけど、Eさんご夫婦と出会って、何気ない会話の中から、ちょっとしたきっかけで、自分が今求めている人生のヒントがもらえたりする。

まさに たまねぎですよ。こういう出会いは。

とても楽しいディナーでした。

こうしてコーチンの夜はふけ、翌日の朝5時に起きてバスのチケットをゲットし、(また「満席」だったのに ねばったら 席確保に成功。) また22時間近くかけてチェンナイにもどりました。

いやあー いい旅でした。 ケーララを5日間(移動時間を抜いたら実質3日間)で観光するのは、かなり無謀で、もう少しゆっくり一つ一つの町を楽しみたかったけど、
でも 十分 ケーララを満喫できた!!

ケーララの あったかくって ピュアで おちゃめで 素朴な インド人に 癒された旅だった。

確かに 観光地では 観光地ずれしているインド人も多い。でもそんな時、現地の言葉(マリヤラム語)で挨拶してみましょう。
客引きのおじちゃんも、自分がすっかり客引きだってことを忘れて、
「Oh!  You speak マリヤラム!」と 大喜びし 「Friend! Friend!」と 仲良しになります。そんなところが 南インドのいいところです。

↓ 帰りのバスから見た風景


帰りのバスの窓から、広大な田園風景を見て、

インド、、、、、、 いいなあ、、、、、、、、

と じわーーーっと思った。

この美しい田園風景に 溶け込んでいる人々の生活の様子が、本当に美しかった。

稲を刈る村の人達、子供の手を引くお母さん、隣近所で井戸端会議をしているおばちゃんたち、すっぽんぽんで池に飛び込む子供たち。

インドの空はきれいじゃないけど、夕焼けはきれいだ。
その橙の夕焼けの田園風景に、インドのあったかい家族の様子が溶け込んで

ジーーーーーーン

とした。

日本は 「家族」という単位を軽視する社会になってしまった。特に若者は、「家族」を大事にすることを ダサいと思ったりしている。

でも トンガやインドといった、家族の結びつきの深い国で暮らしていると、
「家族」という単位が「大切」以上のものに思えてくる。
「大切」じゃなくて 生きる「基本」。
現代社会は、家族を大事にすることで伴う煩わしさを否定しがちだけど、
そういう煩わしさから逃げてしまえば 生きることで本当に大事な何かを失うことになる。

もっと 日本は こういった国々に学ぶべき。
私も いろーーーーーーーんなことを 学んできた。
学ぶというか、こういう風景を見て、昔の日本を思いだすべき。

こういうときは ハナレグミの 「家族の風景」が聞きたいな。


インド ケーララ爆走一人旅  その1(トリヴァンドラム、バックウォーター編) 

2009-01-22 21:42:19 | インド 一人旅

私の住んでいるタミルナードゥー州では、1月にポンガル(収穫祭)という行事があり、その期間(だいたい3,4日間)は休みになります。

昨年末に大学に「1月のポンガル休みはいつからいつまでですか。」という問い合わせをしました。

大学からの返答→「年が明けて、2009年のカレンダーが出来てから出ないとわからない。」

アーマ アーマ。(はい、はい)
ここはインドです。数週間先の予定を知ろうとしたあたしが間違ってました。

で、年が明けて、2009年のカレンダーが巷に出回り始めました。
しかしカレンダーによって休みの期間が違う。。。
むむむ、手ごわいな。インドよ。
休みの予定が、全く立てられん。

で、ポンガル休みがいつから始まるのか、大学が正式にアナウンスしたのは、休みが始まる2日前。

1月14日から18日までの5日間が休みになりました。

この期間、南に住むインド人は皆、故郷に帰ったりするので、バス、電車、飛行機すべての移動手段は 2週間前くらいからfull booked!!

それでも めげずに念願のケーララ旅行慣行!!
13日の夜、バスのチケット予約してないのに、とりあえずバスターミナルへ乗り込む。
人はこんな私を暴走族と呼ぶ。

んで、粘りに粘って、3時間後くらいに奇跡的にバスのチケットゲット!!

でも 「チケットは全て満席」のはずなのに、どうしてチケットがとれたのか 未だに謎。さすが、the country of wonder インドよ。

んで、13日の夜、夜行バスに乗って いざ ケーララ州 トリヴァンドラムへ向かう!!


今回の旅行日程はこちら。

13日 チェンナイ発(バス 21時発)

14日 トリヴァンドラム着(19時)  トリヴァンドラム泊

15日 トリヴァンドラム発 ― クイロン着(バス 2時間)。
    クイロンから バックウォーターツアー(クイロン発10時 ― アレッピー着17時)に参加
     
アレッピー泊

16日 アレッピー発 ― コーチン着(バス 2時間)。
    コーチン観光 カタカリダンスショーを見る。  コーチン泊

17日 コーチン発 (バス)

18日 チェンナイ着 (バス)


いやあ、さすがの私も、今回ばかりは18日までに無事にチェンナイに戻ってこられるか不安でした。なんせ、時期がインド人大移動のポンガルの真っ只中。
バス、電車、飛行機等の予約いっさいなしでしたから。

でも 最悪、バスの通路に座って帰ってこようと思ってたので焦りはなかったが、結果 むちゃくちゃスムーズに旅が出来た。


↑ 中距離バスちゃん

ただ、チェンナイからトリヴァンドラムまでは、通常17時間ほどなのに、なんと今回の所要時間、まさかの22時間。

ポンガル期間は、どうやらいつもよりバスの本数を増やしているらしく、チェンナイのバスターミナルでは、そこらじゅうに長距離バスが停車していた。
が、きっとあまり考えずに本数を増やしたのだろう。
バスターミナル内で大渋滞を起こし、バスがバスターミナルの出口から出られないというミラクル発生。 ひゃっほう!
21時発のバスに乗って、バスが道路を走り始めたのが22時半。


今までバックパッカーとして長距離バス、船、電車に乗ってきた。
でも 22時間もバスに乗り続けたのは初めてだった。
また一つ、経験値アップしたな。
22時間って、ほとんど1日じゃん。
また一つ、普通の女の子枠からはずれたな。

でも 私は長距離バス、船、電車の類が好きだ。隣に座った現地の人と仲良くなったり、窓の外の景色を見たりするのが好きだ。
だから実は22時間乗り続けても 苦じゃない。


で、トリヴァンドラムに着いたのが翌日の19時。
前回の旅(年末のカニヤークマリ旅行)で、宿に泊まれないという悲劇を味わったので、今回は前もって宿を予約した。 270ルピー(500円くらい)とちょっと高めだが仕方ない。

宿について 服を手洗いして すぐ寝る。

翌朝6時に起床。 トリヴァンドラムからバスに乗ってクイロンへ。

朝10時 クイロン発のバックウォーターツアーに参加する。

ケーララ州の海岸線(クイロン、アレッピー周辺)は無数の川と入り江がデルタ地形を形成している。バックウォーターとは、そういう地域のことを指す。
ここに住む人達は、木で作った手漕ぎボートを交通手段として使っている。
椰子の木、マンゴーの木、ハイビスカスの花があふれる風景の中を、ゆっくりと川が流れている。

↓ こんな感じ。 南インドはココナッツの木がたくさんあって、南国ムードを高めている。 トンガを思い出させる景色。


こういうのんびりとした場所で暮らしているインドの人達は、おだやかで ピュアで おちゃめで あたたかいのだ。


そういった地域を ボートに乗って川を下りながら見て行くというのがこのバックウォーターツアー。
↓ こんな船にのっていきます。


クイロンから船に乗り込んだ私は、この旅が非常に順調に進んでいたので、上機嫌だった。

上機嫌だったので、周りにいるのが白人観光客しかいなかったのをいいことに、
結構な音量で、SPEEDの「White Love」を歌っていた。

私の名誉のためにいっておくが、私は決してSPEEDファンではない。

が、You-tubeで2008年の紅白に出場したSPEEDの動画を見てから、何故かSPEEDを口ずさんでしまう私がいたのだ。

「は~て~しぃ~なぁ~いぃぃぃぃぃ~ あのくっも~の~ かなあ~た~へ~」
島袋寛子になりきり ビブラートを聞かせて歌い、仁絵ちゃん並みに足でリズムをとっていた。

で、歌が架橋に差し掛かり、
島袋寛子の聞かせどころ
「てんっし~があああ くれたでああいいわああああーーーーー きっせーーーきーーーなんーーかーーーじゃ な ・ い ・ よおーーーーー」を成りきって歌っている時に

「すみません、日本の方ですか?」




と声を掛けられる。

・・・・・日本の方に決まってるじゃん。 
SPEED歌っちゃうくらいなんだから 日本人に決まってるジャン。

どこのどなたか知りませんが、あなたも日本人ならば、せめて私が歌い終わって数十秒経ってから声をかけてくれませんか。

なんで SPEEDなんて歌っちゃったんだ。

なんで WHITE LOVEをチョイスしちゃったんだ。

ばかばか、あたしの ばか。

大後悔時代到来。

でも 動揺しているのを悟られないように 何事も無かったかのように
「はい、日本人です。」と答えた。

日本人ですけど 何か?
完全にSPEEDに成りきって歌ってたましたけど 何か?的なオーラをだしながら。


声を掛けてきたのは、なんと、日本人のプロカメラマンだった!!

私が30年前のふるーーーーい一眼レフのカメラを持っていたものだから、きっと話しかけてきてくれたのだろう。
決して、SPEEDを歌っていたからではない筈。

で、その方はすごく親切な人で、一眼レフの露出、シャッタースピードうんぬんを全く知らない私に一から教えてくれた。

ちなみに私の一眼レフは、露出計が壊れているので、自分で考えて設定しなくてはいけない。でも 今まで適当にやっていた。

が、彼の話を聞いて、自分で露出とシャッタースピードを考えて撮ることは、とんでもなく難しいことだということが判明した。

むーーーーー・・・・

でも プロのカメラマンの人にいろいろ話が聞けて非常にラッキーだった!
SPEEDを歌ったかいがあった。

そうこうしているうちに、船はどんどん進む。

川で魚を釣っている人達や



無駄に救命着を来て 水遊びをする若者達や


ハイビスカスの似合う照れやさんな女の子や



手漕ぎボートで何かを運ぶ 燻し銀のおっちゃんや



うっとりしている男子2名とか


バックウォーターに住む人々の のんびりとして あたたかく お茶目な暮らしを垣間見ることができた。

ここに住んでいる人達は、ほんとにピュアだった。

ちなみに、インドでは男性同士が手をつないで歩くのは普通です。
なので、上の写真で男2名がうっとりしていても ぜーーーんぜん 違和感がないのであります。

↓ なんとなく癒される風景


ちなみに このバックウォーターツアーは、ただ船に乗っているだけなのだが、一応ツアーなので、ガイドがいる。

このガイド氏。

非常にマイペース。 ガイドですが、ほとんど説明はしない。

ただ、カシューナッツの木とやらが見えるたびに、「This is カシューナッツ tree!」と何度も 何度も言っていた。

他に説明したことといえば、、、、

「This is マンゴー tree」

その他には、

「This is マンゴー tree」

その他には、

「This is マンゴー トゥ・・・しつこいっ!!一回言えばわかる!!

とにかく 彼は カシューナッツtreeと マンゴーtreeの説明がブームらしい。
いや、カシューナッツと マンゴーしか知らないのかもしれない。

カシューナッツを見つけるたびに、椅子から立ち上がり 、「This is カシューナッツ tree!」と叫んで 終了。

ガイドさんではなく カシューさんと呼ぼう。ナッツさんでもいいね。

で、そのナッツさん。 ランチタイムの後、すっごい静かになった。

この美しい風景を見て、さすがのナッツさんも 物思いにふけっているのかしら、、、、

と ナッツさんのほうをみたら、、、、

!!



寝てるっ!?


寝てるよね?!

この後、ナッツさんは、船が岸について 客に起こされるまで寝続けた。


バックウォーターツアーには 特にこれといって見所はない。

でも人々のあったかくってお茶目な姿を見て、とっても幸せな気持ちになった。

↓ 今回一番のショット。 川で洗濯をする女の人。 美しいねえ。



夕暮れ近くなると、学校帰りの小学生達がちらほら。
↓ 牧歌的な風景の中を 歩く兄弟。



↓ 「おにいちゃーーーーん 待ってよーーー!」みたいなことを言ってた。



↓ お出かけしてた家族も家路に着く。


ここに住む人達の生活の様子を、ちょびっと見せてもらうツアー。
でも 観光客向けに何かをアレンジしてるわけではない。
シンプルだけど あったかい生活。家族の結びつきが強い生活。
そんな生活を垣間見て、「いいなあ」とうらやましく思ってしまう。

どんなに国が発展しても、金銭的にいい暮らしをしても、結局人間が欲してるのは あったかい暮らし。だからあったかい人と人との繋がりがなきゃ、幸せを感じられないんだよなあ。

けど 発展してしまうと、そのあったかい暮らしを捨てなければいけない社会になってしまうんだよね。

インドは 新興国だけど、まだまだそのあったかい暮らしが残っているから大好きだ。



船で出会ったカメラマンさんが、私が元青年海外協力隊だったことを知り、こういった。

「僕も 今までいろんな国を旅してきた。でも僕は行く先々で、現地の人に優しさをもらってばかり、助けてもらってばかりなんだ。だから いつか協力隊のようなボランティアに参加して、今まで助けてくれた国に恩返しがしたいんだ。何かしたいんだよね。」

その言葉を聞いて、

ああ、私が協力隊に参加した動機って これだったんだよな。と思い出した。

バックパッカーで旅をして、いろんな国で いろんな人の優しさ、笑顔をもらった。
いつももらうばかりで、何一つ返せない。
こんな自分に何かできることはないだろうか。
発展してしまうと、人々からこのピュアで美しい笑顔がなくなってしまうことをしっているから、彼らの笑顔を守ることはできないだろうか。
自分に何かできることはないだろうか。

そう思ったのがきっかけだった。

カメラマンさんの一言で 自分の原点にもどった気がした。

一人旅というのは 実に面白いもので、その時の自分を反映する。
自分が内心欲しているものを ポロっと与えてくれる(言葉だったり 態度だったり)人と 偶然出会ったりする。

大学4年時に 進路でいろいろ悩んでいたときにも、インドのバナラシで、たまたま知り合いになったインド人に「もしかして君は今悩んでいるのかな。でも君の目には力がある。大丈夫、日本に帰ったらやりたいことは必ずできる。僕にはわかる。ここはシヴァ(神さまの名前)の町だから」みたいなことを言われたことがあった。


今までそういう偶然を 何度も味わってきた。

運命というと 宗教っぽく感じてしまうかもしれない。
だったら そういうものを「たまねぎ」と呼んでみましょう。
「たまねぎ」が そういう出会いを生む。 

そんなようなことが 遠藤周作の「深い河」に書いてあったけなあ。

ここはバナラシじゃないし、この川もガンガーじゃないけど

数年前の出来事をぼんやり考えていた。

そうして 日は暮れ、アレッピーに到着。

なかなか ナイスな バックウォーターツアーであった。


おちゃめカントリー南インドに恋しています

2009-01-19 03:16:39 | インド 生活

インドは とても とても すばらしい国です!!


そんなの前から知ってたけどでも南インドに来てから、更にそのことを痛感しています。
ガイドブックにはよく、「インドは旅行客にとって非常にハードな国だ。」とか「危険」「痴漢が多い」「旅人は必ず騙される」「インドの洗礼を受ける」とかいうことも書いてある。
バックパッカーとしてこの国を旅していたときは、確かにその通りだと思っていた。

でも 南インドに来て、ここに住むようになってから、そういう表現は違うなあと思うようになった。



バックパッカーを始めとするインド挑戦者は、ほとんどが北インドを目指します。
だからほとんどの外国人が持っているインドの印象というのは「北インド」の印象です。

そんな「北インド」の、それも「観光地」のインドのイメージが 海外の「インドイメージ」のスタンダードとなっている。

南インドに来て、私は思う。

インドは 損をしている!!

 

南インドは むっちゃくっちゃあったかくって 騙されることなんてほとんどないし(私が海外慣れ、インド慣れしてるってのもあるけど)、もし騙されたとしてもなんか笑えてしまう。そう、南インドはおちゃめなのだ。

タミル語や マリヤラム語を話せば、みんな ニーーーーコニッコになるし、出会うインド人は皆優しくてあったかい人達ばかりだ。

インドには あったかくって ハートフルな一面がある。

殊に南インドでは それがあちこちに溢れてる。

 

インドにまだ来たことがなくて興味のある人! または、北インドで痛い目にあった人!

 

南インドへ 飛びましょう!!

 

あなたのインドに対するイメージが180度変わります!!

南インドのタミルナードゥ州で働き始めてから、私自身「インド」と「インド人」に対するイメージは大きく変わりました。

もちろん北インドだって とってもいい場所です。
北にだって あったかさと優しさが溢れてます。でも北インドでは、それが旅人にはわかりづらいんですよ。かなり観光地ズレしているんでねえ。

インドに興味のある人は、北も南も、東も西も、全部を体験してもらいたいけど、今インドに対してマイナスイメージを持ってる人は、
是非 南インドを訪れてもらいたい。

ただ やはりある程度 心構えは必要ですけどね。



1月15日から タミルナードゥ州はポンガルが開催され、私の大学も5日間の休みになりました。(日本の皆様、休み多くてすんません!!)

んで、思い切って、タミルナードゥ州からケーララ州へと旅に出ました。


↑ ケーララの カタカリ ダンス


5日間のケーララ州旅行。
たった5日間だけど、

私は この旅を通して改めて思いました。

あたしは

南インドが

ほんっとに

ほんっとに

大好きです。



ここに住む人達の あったかさ、おちゃめさが

ほんっとに

ほんっとに

愛おしいです。



トンガの2年間があまりにすばらしく充実していたから
これから先、海外に住んでも、もうトンガで得たような充実した気持ち、愛おしむ気持ちを持つことはないだろうなあと思ってたけど

そんなことねーーーー

だって 今 インドが むちゃくちゃ 愛おしい!!

トンガが終わってから、これから先の人生でこれ以上の経験ができるのか不安だったが、見事、ここインドでそれを克服した。

胸を張って言えます。 今、インドというすばらしい国にいる自分が好きだ。
トンガ時代と負けないくらい、好きだ。



やばいなあー
あと5ヶ月じゃ、インド去れないかも。。。もっとこの地にいたい。この地のあったかさをもっともっと受け止めて 自分も愛情を返したい。
トンガに引き続き、今度はインドという国に恋に落ちてしまった。


世界は 愛で溢れてるよ。
トンガもインドも日本も どんな国でも一緒です。
愛と笑顔が溢れてるんですよ。愛と笑顔で人は生きているんですよ。

そんな クサい言葉すら口に出したくなちゃうよ。ここおちゃめカントリー南インドでは。

そのうち ケーラーラ旅行紀アップしまーす。


サ ミ シ イ デ ス

2009-01-10 03:28:06 | インドで日本語教師

大学の授業が再開されてから 1週間が過ぎ、担当している12クラス(650人ほど)の生徒全員と久々の再会を終えました。

もう。

生徒 きゃわゆい。 きゃわゆすぎっ。


純でうぶな かわゆい生徒たちに慕われる毎日がもどってきて

毎日 とっても とっても 幸せです。

だってさあ

教室に入ったらさ、



こんなこと 書いてあるのよ。

「あけまして おめでとうございます。 おひさしぶりです。」

センセーは こんなことされると むちゃくちゃ うれしいぞ!!

授業を再開して気がついたことは、予想以上に皆、日本語を覚えていること。

約40日間の休校という名のホリデイ。
確実に 彼ら思春期ガールズ、あんど ボーイズは遊びまくって すっかり ひらがなや 表現を忘れているだろうなあ。全部一からやり直しだろうなあ。
と 思っていたらっ!!!

みんな 覚えてるやん!!

しかも 休みの間に勉強してたやつも 結構いる!!

まだ習ってない文型などを予習したらしく、それらを一生懸命使って話しかけてくる生徒も多数!!

「ワタシワ ニホンゴガクセー デス。」 ← これなんて かなりすごいぜ!!
N1 は N2 です。という文型を 名詞文といいますが、まだ生徒には名詞文教えてないのに、自分で予習して、文章作って私に話しかけてくるのよ!!
トンガじゃ ありえなかったっす!!

他にもさー

「センセ センセーー! アナタノ タンジョビワ when?」 
「センセ センセーー! アナタ ワ キレー デス」
「センセ センセーー!  アナタノ Email IDワ What?」

うんうん、すごいねえ。よく文章つくれたねえ。

って 文章の内容、全部 ナンパ用じゃん。

まあ 話したいと思ったことを 話してくれればいいのよ。この際。
この子達は 私にこういうことを聞いて、「こんな文章作って 女の子のことばっか考えてるんじゃないの!!」と注意されたいのです。

注意すると  「うきゃきゃああああああ!!!」って そりゃあもう 大うけ。

かわいいねえ。 ちみたち。


今日の授業では、時間があまったので、Conversational Japanese として
~ が すきです。 という文型を入れてみた。

私 「はい、Please make your own sentence using ~が すきです」

学生A 「ハイ センセ?センセ? ハイ ハイ ハイ!!!」

私 「はい、どうぞ。」

学生A 「アー ア ナ タ ガスキデス。

私 「はい、ありがとうございます。」

学生B 「センセ!」

私 「はい、言ってください。」

学生B 「アー アナタコエ ガ スキデス!

私 「はい、ありがとうございます。But あなたのこえ が すきです。is correct」

学生C 「センセ! アナタノメ ガ スキデス!

学生D 「センセ! アナタノカオ ガ スキデス!

イナーーーッフ!!Enough!!

ほんっと、この子達は こういうネタになると 頭をフル回転させ すばらしい吸収力で 文章を作る。

アホかわゆい。


今日なんてさ、授業中に 「センセ、When will you go back to Japan?」と聞かれたからさ、「I think I will go back when we finish this accademic year.」と応えたら

                  


むちゃくちゃ ショック受けてた。
「We will miss you !!!」 「Don't go back to Japan!」などと ぴーちくぱーちく。

あたいだって あんたたちと もっともっと一緒にいたいのよ。。。。
嗚呼、本当に会社が憎い。 このまま 大学と直接契約したいくらいだわ。


このように、大学再開してからというもの、毎日 男女問わず学生達からラブコールをもらい 非常に 非常に 教師冥利に尽きる毎日であります。

彼らの アホかわいくて おちゃめな様子を見て、ほくほくした気持ちになっております。

最近 一番かわいかった出来事は

このブログにはすでに数回登場している 安達由美の旦那似の生徒。
これまで サルドバジ君と呼んでいたが、実はサウラブ君という名前だった!
間違えて覚えていた。インド人の名前、むずかしい。

さて そのサウラブ君。授業前半は、久々の日本語授業ということでノリノリ!!

が 私が なかなかサウラブ君の座っている列のほうまでノートチェックしに来ないと、お得意の「すね」がはじまり、不貞寝。

「Wake up!!」と私が言うと、 満面の笑みを見せる。

サウラブよ。 君は本当に18歳なのかい?
君は 本当に 学級委員なのかい?

ちなみに、 君に似ている安達由美の旦那は 離婚したぜ。

そして サウラブ君、 授業が終わると 人目を憚るように こそこそ私の方にやってきた。

サウラブ 「センセ?」

私 「はい?」

サウラブ 「During the holiday,,, サ ミ シ イ デ ス」 

と言ってきた。(過去形習ってないため 寂しいです が 限界)

かああああああああああ いいいいいいいいいいいい ねええええええええええええ!

でも サウラブ君。 君、君、手のひらに何か書いてるね? どれどれ。

 SA MI SHI I DE SU

・・・それくらい 手に書かずに覚えてくれたまえ。。。。


寂しがり屋な牛達の集会 於:インド(2009年丑年)

2009-01-08 18:41:32 | インド 生活
牛だって さみしいんだよ。



どうやら 日本は今年丑年らしいことが判明した。

牛だったら 今住んでいる場所にむちゃくちゃおるがな。

油断してたら でっかくてほやほやの牛の糞に片足突っ込んじゃうがな。

今年の干支の 運をふむなんて

むちゃくちゃ 幸運ですがな。

こ、これは、絶対 今年 いいことある。 間違いない。

そういえば 今年の目標をたててなかった!!!

よく考えれば、丸々一年20代でいられるのは 今年が最後の年じゃないか!?
いつのまに、、、。

30代まであと1年と8ヶ月。

ガンガン飛ばしますよ!20代は突っ走ると決めたのですから。


今年は、

1 TOEIC 900点
2 タミル語会話力をもっと伸ばす
3 インド大満喫する
4 もし日本に帰って しばらく日本に滞在することになったら 吉祥寺でタヒチアンダンスを習う。
5 「きょんちゃんって胃下垂?」って言われるような体作り
6 胃袋を小さくする
7 今年こそ 猫背を直す
8 今まで以上に、生徒への愛を惜しまない

ふんふん、綺麗にまとまった。

がんばる。

インド ぶぅ~らぁ~りぃ旅 4 (最南端 カニヤークマリ、王宮、寺院観光 & ウルルルルン滞在 編)

2009-01-06 21:31:31 | インド 一人旅

クマさんの実家にお世話になることになった翌日から、
観光三昧でした。 しかも クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんが一緒に観光に付き合ってくれて、あれこれ案内してくれました。

クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんは、大食いの私をとても気に入ってくれたようで、
親子三人で観光しているような 非常にあたたかく楽しい時間を過ごした。

観光した場所は
1 カニヤークマリ (最南端、クマリアンマン寺院、ガンジー博物館)
2 パドマナーバプラム (王宮)
3 Sugindramthanumaalaian 寺院 


カニヤークマリは インド最南端ということもあって観光名所のため、ガイドブックにも乗っていますが、パドマナーバプラムとSugindramthanumaalaian 寺院はガイドブック(地球の歩き方には載ってない。ロンプラには載ってるかも)に載っていない場所でした。
が、私的には カニヤークマリよりも そのガイドブックに載っていない王宮と寺院のほうが、よかった!!! むちゃくちゃ 感動しました。

1 カニヤークマリ
インド最南端の地です。写真中央が、海へと続く沐浴場。
ベンガル湾、インド洋、アラビア海が合流する地点であります。
ヒンドゥー教徒の聖地でもあります。



ちなみに 地名、カニヤークマリという名前は 女神「クマーリー」が由来だそうです。
女神クマーリといえば、以前ネパールを旅したときに 生き女神「クマリ」を見ました。

クマリ女神はネパールの守護神で、特定のカースト内から選ばれる4歳から思春期までの少女です。クマリに選ばれると、少女は家族と共にカトマンズのダルバール広場のクマリ館に移り住み、外へ出るのは、6回の年中行事の儀式で姿を現す時だけです。なので、私が見たのはクマリ館の窓から顔をのぞかせたクマリ神でした。

ネパールのクマリ神と、南インドのクマーリーが同一のものなのかわかんないけど、たぶん同じなんだろうなあ。

↓ こっちは ベンガル湾側 (かな?)

女神クマリを祀るヒンドゥー寺院 クマリ・アンマン寺院を参拝した後、沐浴場のほうに行って、お父ちゃん、お母ちゃんに倣って、サンダルを脱ぎ、海に足だけ浸かり海水を体に少しつけて 体を清めました。

本当は ここカニヤークマリの宿に泊まって 日の出の時間にここで沐浴し、2008年年末の大災害を全て洗い流し、12月31日 2008年の最後のサンセットをここで見て、チェンナイに帰る予定でした。

が、女性一人では宿に泊めてもらえなかったため、カニヤークマリからバスで1時間のナガルコイルにある クマさんの実家に泊まることになったため、カニヤークマリでの沐浴、2008年最後の夕陽の鑑賞はできなかったが、
ここで クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんと一緒に体を海水で清めたから、

2008年の年末の大災害は ここで全部 海に流れた気がした。
こんどこそ さらばじゃ!!! 大殺界2008!!!

↓ 家族旅行の模様。



2 パドマナーバプラム(王宮)
ここは ガイドブックには載ってない場所です!でも私がインドに持ってきていた「インド建築案内」 (神谷武夫 著) には載っています。

パドマナーバプラムとは 「ビシュヌ神の臍から伸びた蓮の花から生まれた都」 という意味。lこの “ビシュヌ神の臍から伸びた蓮”の絵は よく本で見ていた。
蓮の上にはブラフマー神がのっかっている。

この町はかつてのトラヴァンコール藩王国の首都であり、18世紀、マールタンダ・ヴァルマ王によってこの木造宮殿が作られたのだそうです。
チーク材をふんだんに使ってはいるものの、白壁と茶色の瓦というシンプルな色合い。しかし、そのシンプルさが この青空に映える!!
そして柱や窓枠などに施された精巧な彫刻が、建物全体の重厚感を出している。


いや~ ここは すごい!!!予想以上に、すばらしい建築美でした。
クマさんのお父ちゃんとお母ちゃんと一緒に行ったため、ゆっくりアングルを考えて一眼レフをとる時間をとるのが憚られ、一眼レフでは一枚も撮らなかった。
是非 是非 またおとずれて、一眼レフで撮りまくりたい!
たぶん1日費やせるね。ここで。

↓ ここは 謁見室&会議室らしい。



↓ 柱の彫刻。ああああああああああああああ すばらしい!!


↓ 窓から見える風景。 画になるねえ。



↓ 見てよ この 窓!! なんなんだ この美意識の高さは!!



↓ 窓枠。 う 美しすぎる。。。 完全に この王宮に心奪われる。



↓ どうやら、この窓枠には色ガラスがはめてあったようです。赤い色ガラスが残っています。こういうデザイン。むちゃくちゃ 私好み。



↓ こんなに手の込んだ木造建築 見たことないよ。



↓ これはベッドです。



↓病を治すといわれている様々な木をふんだんに使っているそうです。
  王が寝るだけで 病がなおるようにという願いが込められているわけです。



↓王宮内部からみた景色。


こういう景色。 どこかと似てませんか?!

そう、 ネパーーーール!!!
建物形式だけじゃなく、王宮から山が見えたり、透き通る青空を眺めることが出来たりするところも 似ている。
実は、研究者の中にもこの地方の建築と ネパールの木造建築の間に何らかの影響があることを予想した人がいます。
が、直接的な影響関係は見出せなかったとのこと。
現在は 似たような風土が 同じような建築様式を生んだと解釈されているらしいけど それにしても よく似ている。

ネパールの生き神の名がクマリ。 インド最南端の地の名前は カニヤークマリ。
この点からも、絶対 何か直接的な影響があるような気がするんだけどなあ。

ちなみに このような木造建築の伝統はインドの中で、ケーララ州と北インドヒマラヤ地方のみで見られます。(両者の紀行、風土が似ているため。)
この王宮は現在はタミルナードゥ州内にあるけど、かつてはケーララ州に属していました。
その他の大部分の地域では 石造建築です。

いや~ 大満足でした!!!

↓ はい、またまた 家族旅行の記念写真でやんす。王宮入り口前にてパチリ。


↓ おまけ  王宮内の美術館にあった ラクシュミーちゃん。
  両手に蓮の花を持ってるから たぶんラクシュミー。神様の像さえも、他の地域と    違った雰囲気。



王宮を見学した後、お母ちゃんのおばさん宅を訪問。
おばさんは もう90歳近いらしい。とっても 優しい人でした。
お母ちゃんは おばさんの手をずーっとさすって ニコニコしていた。

自分の母さんを見てるようだった。日本も、インドも、同じだなあ。と思った。

おばさんちに1時間くらいいたので、(もちろん その1時間で大量のお菓子を食べさせられる) あたりはすっかり暗くなっていた。

お父ちゃん お母ちゃん と 夜道をあるいた。 お母ちゃんとは 手をつないで歩いた。 木の実を拾って食べた。 すっぱくって 食べられたもんじゃなかったが、「なんで食べないの?オーラ」に負けて また全部食べた。

帰りのバスをまってる間 お母ちゃんが 「ここの王宮の名前はパドマナーバプラムだよ。言ってごらん?」と言うので

「ぱどぱらっぱらーむ」と 間違えて発音したら

お母ちゃん 大爆笑。お母ちゃんが 大爆笑するのが なんか 可愛くて 嬉しくて

「ぱっどぱらっぱらーむ」 とか 「ぱどぱどまーぱぷぱむ」とか いろいろ言ってみた。

その都度 お母ちゃん 大笑い。

調子に乗って 「ぱらぱまーーーぱらっぷ・・・」とか 大声で言ったら 

気合入り過ぎたのか ぶっと おならしてしまった。

が、しかし、大声で 叫んでいたので おなら バレず。 きゃは。

あー よかった。

あやうく 日印友好に 傷がつくところだったよ。


2 Sugindramthanumaalaian 寺院
ここも ガイドブックに載っていないスポット。ヒンドゥー寺院。
非常に大きなハヌマーン神の像(ビシュヌ神の家来、お猿の神様)と、ブラフマー神、シヴァ神、ビシュヌ神の ヒンドゥー三大神が一つになった像が安置されていることで有名なお寺。

↓ 見よ!この南インド独特の豪華なゴープラム!!!きゃーっ すてき!



↓ 山車。 もう言葉にならない。心奪われる。


↓ 寺院内部へと続く道 (寺院内はカメラ不可なので ここまでしか撮れなかった)
   ちなみにヒンドゥーのお寺では参拝者は 男性は上半身裸で ルンギー(腰巻のようなもの)を着用する。  


たぶん、この寺院もヒンドゥー教徒以外は入れないんじゃないかな?
私は お父ちゃん お母ちゃんと一緒だったから 中まで入れました。

いやーーーーーーーーー 感動しましたねーーーー!!!

ミーナークシ寺院の時も思ったけど、宗教ってすごい!
わたしは今まで 遺跡を中心に見てきたので、このお寺のように 現在祈りの場所として使われている寺院を見ることは あまりなかった。

今までは ヒンドゥー教の表面しか見ていなかった。
でも 実際に祈りの場所に入ると、神聖な雰囲気、ひんやりとして薄暗い寺院の中で揺れる炎、風で揺れた炎の光に照らされて ゆらゆら輝く神々の像、その神々の像に人々が真剣に祈る姿、心を神に捧げる姿、に自分もすっかり取り囲まれ、
ヒンドゥー教徒ではないのに、なんだか神の存在を信じてしまう。

言葉では表しにくい経験だ。
こういう雰囲気に一度でも包まれると 無宗教の日本人でも、宗教というものを全く違う観点から捉えるようになると思う。

今まで大学などで勉強したインドの文化、インドの神々の多くがこのお寺で崇拝されていて、大興奮だった。

↓はい、お寺の前で お決まりの家族写真。


いやはや ほんっとーーーーーーーに 充実した南インド観光でした。

お父ちゃん、お母ちゃん ありがとおおお
道中 お父ちゃん お母ちゃんと いろんな話をして たくさん笑って
ほんとうに あたたか時間をすごすことができた。

カニヤークマリも 王宮も 寺院も どれもすばらしいものだったけど
お父ちゃんとお母ちゃんと一緒だったということが 一番すばらしいことだった。

観光した後は、

ふつーーーに おうちで まったりして

お母ちゃんと 一緒に チャパティ作ったり



お父ちゃんに カレーの作り方教わったり

 

私のために サラダを作ってくれるお父ちゃんの姿に ウルウルしたり

仕事について語ったり

結婚について語ったりした。

そして インドのお父ちゃん お母ちゃんは

「キョコの結婚式には絶対出席する」と 今からはりきっております。

いつになるかわからぬ私の結婚に対して 「All the best for your marrage」と何度も言っていた。。。。 

3日間滞在して、気がついたら 12月31日。チェンナイに帰る日が来ました。
お母ちゃんは 朝から「さみしい。さみしい。 キョコが来てから 毎日 すっごく楽しかった。4月に また絶対来てね。」と何度も言っていた。

あたいはもうアラサーなので すっかり涙腺がよわくなっております故、そのようなあたたかい言葉をかけられると じわーーっときてしまいやす。

バスの時間は夕方の5時だったんだけど、昼過ぎごろから お父ちゃん お母ちゃんがなにやら台所でごそごそやり始めた。

なんと、、、、 夜行バスにのる私のために、夜ご飯用にお弁当を作っていてくれたのでした。

で 手渡されたお弁当は 大きいビニール袋2つ分!!

驚く私に お母ちゃんは 「ひとつは お弁当。 ひとつは ケランバッカムに帰ってから食べるおかし」と 教えてくれた。

体にいいお茶を入れた大きなペットボトルも 入ってた。

突然現れた外国の娘に、ここまで優しく 愛を与えてくれる人達がいる。

あったかすぎて たまらない。その優しさが 心に じーーーーーん と伝わる。

泣けちゃうね。

お父ちゃん お母ちゃん  ほんとうに ほんとうにナンニ(ありがとう :マリヤラム語)

↓ 出発前の家族写真。 右は 帰省したクマ氏。(私が帰る前日に帰省した)




おうちを出る前に、お母ちゃんが 「キョコーーーー」とトコトコ歩いてきて

私を ぎゅうーーーーーっと抱きしめてくれた。

ここで 泣かない人がいるなら会ってみたいもんだよ。

あたしゃ ホントに 幸せもんだ。

こんなにあったかい人達と出会うことができた。

こうして わたしは インド最南端を後にした。

2008年の年末。 信じられない大災害に見舞われたが、

優しくて あたたかい 南インドの人達のおかげで

2008年の最後の3日間、優しい時間 あたたかい時間 を過ごすことができた。

終わりよければ すべてよし?

そうでしょ。 そうだよ。

2008年を 振り返れば 本当にいろんな国に行った一年だった。

カンボジア、フィジー、ツバル、バヌアツ、トンガ、インド、日本。

今年一年 いろんな国で出会った人達、 優しさと 愛と 笑顔を ありがとう。

それが 今の私の財産です。

↓ 夜行バスの中から見た2008年最後の夕陽。 ばいばーい 2008年。ありがとー


インド ぶぅ~らぁ~りぃ旅 3 (最南端で 3kg増のウルルン滞在 編)

2009-01-06 02:54:17 | インド 一人旅

マドゥライの ミーナークシ寺院を後にし、
いざ インド最南端、アラビア海、インド洋、ベンガル湾が一つに交わり、
インドで唯一海から日がのぼり、日が沈む場所 
カニヤークマリへ GO!

カニヤークマリ直行のバスはなかったので、まずマドゥライから8時間かけてバスでナガルコイルという場所に行き、そこでバスを乗り換えれば1時間くらいでカニヤークマリへ向かう。

途中で バスが「ゴリゴリゴリッ!!」という音と共に故障し 30分ほど炎天下の路上で後続のバスを待つという素敵な出来事を経験しつつ

なんとか ナガルコイル到着!! ぱんぱかぱーん。

すでに 日が翳り始めていたので、この日はカニヤークマリまで行かず、ナガルコイルに泊まることにし、さあ 宿探し。

はい、ここでまた 大殺界2008。

どの宿でも 部屋をもらえない。。。 満室というわけではない。
女の一人旅 という理由で 拒否されたのであった。

これまでインドはもちろん数々の国を一人で旅してきたけど こういうことはなかった。

部屋をもらえない理由はこうだ。
まずこのナガルコイルという地が観光地ではなく 宿に外国人が泊まるということが稀なこと。
プラス、最近 この辺の宿に泊まった女一人旅の人が自殺を図ったらしく、それ以降女の一人旅は拒否することに決まったらしい。

じゃあ どーーーしろっつーーーのーー!?

8時間バスに乗り続け、さらに町を歩き回って4件の宿をあたり、疲れきってしまっていた私。 そして このトラブル続きの年末。 なぜに こんなに うまくいかぬ。

半泣きになりながら、 「私は自殺なんかしません!!むしろ このままだと野宿するはめになって そのほうが危ないよ!どうしろっていうんですかーーーー

宿側の言い分もわかる。

けど、けど! 私はマドゥライでバスに乗る前、ナガルコイルの宿に電話して空き室状況を聞いたら 「とりあえずこっちに来てくれないと受け付けられない。電話予約は信頼できない」って言われたからさ、 来たんですけどっ

インドでは 本当に冷たくあしらわれたり、騙されたりするときがある。
こういう時、ほんっと イラッとしちゃうし、 なんか どーしよもなくて 途方にくれて泣きそうになる。

が、それで終わらないのが インドのすごいところ。

途方にくれて 大騒ぎしたり しょげたりしている人を見ると、 インド人は放っておけないのです!! 

とてつもない負のオーラを出しながら途方にくれている私を見て
「どーした!?どうしたのだ!?」と たちまち4、5人のインド人がやってきて私を囲む。 

事情を話すと 四方八方手を尽くし宿を探そうとしてくれた。が、全て断られた。
そして最終的に 「君の会社のインド人スタッフに電話して、君が自殺などしない人だと証明してもらうしかない。」と言われ、仕方なく チェンナイの会社にいるクマさんに電話する。

クマさん 「あー キョコさん What happened?」

私が事情を話すと

クマさん「キョコさん、Don't worry. You can stay at my house.My house is very close from where you are now」

およよ?

クマさんの実家がカニヤークマリにあることは知っていたが、実は正確には、実家のある場所はカニヤークマリではなくナガルコイルだったのだ。

しかも 私がその時 途方にくれていた宿から目と鼻の先だった。

なんたるち~~や。 なんたる救い。


んで、あれよあれよと言う間に クマさんの実家にお世話になることになった。

嗚呼っ すばらしきかな インド人!!

なんか すごいよ。この国は。
無下にあしらわれたかと思いきや、みんなよってたかって赤の他人の心配をし、あげくのはてに 突然電話しても全く驚かず 対応し 受け入れるこの寛容さ。

すげーよ。 リスペクト インド人。

愛は地球を救う。
インド人は 地球を救う。

で、よってたかって心配してくれた全くの他人のインド人達にエスコートされ、
クマさんの 実家へ。

クマさんは チェンナイ市にるので、 クマさんのご両親とは初対面で、いきなり自宅にお世話になること、迷惑をかけてしまうことが本当に申し訳なく、凹んでいたが、

クマさんのお父さん お母さんは それは それは それは それは それは
素晴らしい人達で

初対面で落ち込みまくってる私を わが子同然のように あたたかく受け入れてくれたのでした。

私は その優しさに、思わず泣いてしまいました。

大殺界 2008。 ついに去るときが来たか。
この年末のゴタゴタも、このあたたかい優しさと出会うための試練だったのか。。。

しかし いくらなんでもそんなに迷惑をかけられないから、1泊だけお世話になって翌日はチェンナイに帰ろうと思っていたら、

「え?なんで一泊だけで帰るの?!キョコは私達の娘だよ!帰るなんていわないで。」と とても悲しい顔をするので、
そのなんとも ハートフルな ウルルンなお言葉で 胸キュン度1000%!

すっかりその優しさに甘え 気がついたら 結局 3日間もウルルン滞在していた。

さらに驚くべきことに

その三日間で 気がついたら体重が3キロ増えていた


なぜかって?

おそらく一日3000カロリーほど 摂取していたから。

朝食
下の写真に写っているもの + イドゥリー3枚 + チャパティ一枚


ちなみに上の写真の白い物体は ココナッツを削ったものと小麦粉と砂糖を
下の写真の筒状の器具に詰め込み、蒸してつくったもの。
筒状の器具の下の花瓶のようなものは、普段 水を入れて そのまま火にかけて やかんがわりにしています。 

水をいれ、筒状の器具を差し込んで 火にかければ蒸し器に変身。マルチパーパスッ!

食後のデザート
ザクロ。もちろん全部食べさせられる。でも むちゃくちゃ旨い。

 

 

 昼食
ビリヤニ(下の写真 : 炊き込みご飯みたいなの) + チキン一羽(!? 初めて丸々一羽を一人で食べた)
 

 おやつ
インディアンスナック。皿が空になるたびに すぐ追加される。かりんとうみたい。



夕食
まず手始めに カレーチャとパティ




チャパティが終われば  カレーと ご飯。 

それが 終われば

ラッサムと ご飯。

そう それは エンドレス。
だって お母ちゃんが 常に横で待機して 私のお皿に盛り続けるのだ。

優しいおかあちゃん。


箸があったので 「箸を使ってみてくれ」と言われ 使ってみる。 インドのカレーを箸で食べるのは 非常にむずかしい。

デザート
モンキーバナナと レッドバナナ。
レッドバナナはここでしか手に入らない。カスタードのような味がして絶品だが、4本全部食べないと お父ちゃんがむちゃくちゃ悲しい顔をするので、必死に食べる。

 
うーーーーーーーーーむ。

胃袋の限界を遥かに超えても なお 食べさせられるこの状況。 

どこかと 似ている。

トンガ!!

 トンガと同じじゃん!?

トンガは フレンドリーアイランドって形容されるほど ホスピタリティがあってフレンドリーな人種で、

ことに食に関しては ゲストに対して これでもかってくらい料理を出してくれる。

で それをゲストがたーーーーーぷり食べてくれることが 彼らにとっての幸せ。

南インドも 同じだなあ。

たあああああくさん ご飯を用意してくれて

私が好きそうなものを わざわざ遠くまでいって買ってくれたりして

私がおいそうに食べると むっちゃくちゃ 嬉しそうに笑ってくれて

私が食べきれないと すっげー残念な顔して、、、(笑)


トンガと 南インド。


すっごい離れてるのに

人の心の温かさは いっしょ。

じーーーん とした。

ついでに 胃袋も じーーーーーーーん とした。

初めて 大食い競争に出場している人が、司会者に 「おおおおっと ●●選手 手が止まったーーー!さすがの ●●選手も限界かーーー?」と煽られても
手が出なくなる気持ちがわかった。

人は胃袋の限界を超えた量を食べ続けると、 食べ物の味がわからなくなり
目の前の食べ物が 敵に見えるのである。

でも

あたいは 食べたよ!

全部 完食したで!!!!

やったで~ !!!

さらば 大殺界2008の年末!

大晦日前になって、ついに ハートフルな あったか~い年末が 過ごせることになりました!


インドぶぅ~らぁ~りぃ旅2 (マドゥライ編)

2009-01-04 00:51:30 | インド 一人旅

はい、タンジャヴールで ボリウッドスター写真撮影会に応じた後、

またまたバスにのり、いざ マドゥライへ!

タンジャーヴールからバスで4時間、夕方6時くらいにマドゥライ着。

それからが 大変だったーーー・・・

探せど 探せど どの宿も満室!! 
気がつけば辺りは真っ暗 もう 7時すぎだよ! 2時間も宿探してるぜー

途中で 油断して お土産売りのおやじの話を途中まで信じてしまった。

「私は大学の英語教師だ。もう20年働いている。今日はミーナークシ寺院でお祭があるんだ。僕がお祭を説明してあげるよ。僕は客引きなんかじゃなくて 教師なんだから、お金とかは絶対請求したりしない。10分だけでもお祭を見たほうがいいよ。その後 宿探しても間に合うよ」

とな。

で お祭という響きに負けて付いて行く途中、行く手に高級土産屋が見えた。
なるほどね と悟り、もちろん土産屋には入らず おやじの声も無視して その場を去ったが、

あー バックパッカー現役バリバリ時代の私だったら 決してこんな典型的な手口にだまされなかったのに。パッカーとして 恥ずべき失態。

トンガで すっかり平和ボケしたからなー
いや、正直 今回南インドに来てからと言うもの、こういう客引きに会ったことがなかった。北インドでは日常茶飯事だったけど、南ではそういうことがなかったので、安心してたんだよねー。

マドゥライは 思ったより都会だわ。客引きいるくらいだからな。観光地ズレしてるな。

そんなことより宿探し。
本気で野宿かと思って 泣きそうになっていたころ、ようやく部屋をゲット。

あー 年末に旅なんてするもんじゃないなあ。とほほでやんす。

その夜、安宿のベッドに寝転がりながら、ふと思いついた。
当初の旅の予定は、マドゥライまで着たら、ゆっくり観光してそのままチェンナイに戻るというものだった。しかし マドゥライは都会だった。都会には興味がない。
田舎に行って のんびり心を癒したいのよ。あたいは。

そこで、私は ひらめいた。

2008年最後の夕陽を アラビア海、インド洋、ベンガル湾がひとつになるインド最南端カニヤークマリで見るというのは どうだろうか?!
今年の年末の おぞましい事件の数々を 海で沐浴して 洗い流すのはどうだろうか!?

我ながら なかなかいい思いつきじゃないか!?と 即 決定。
翌日、午前中マドゥライを観光した後、すぐカニヤークマリ行きのバスに乗ることに決めた。

で、翌日。

朝 起きたら、、、、 こ、声がでないっ!!
蚊除けのために、ファンを付けっぱなしで寝たら、どうやらひどい風邪をひいたらしい。
なんか具合もわるい。何より 喉が むっちゃ 痛い 呼吸するのもしんどいくらい。

なんたるち~~や~・・・
2008の年末。 
変な女に振り回されてからというもの、全部が少しずつ いつもどおりに行かない。。。

今まで旅するときに忘れたことなんてなかったパスポートを忘れるわ これまで騙されたことのない客引きの手口を信じちゃうわ いつもはめったにひかない風邪ひくわ。

なんやねーーーーん!! なんか 全部が 少しずつ うまくいかぬ。
歯車がかみ合わんぞ!
この2008年の年末を、どげんかせんといかんっ!!!


どげんかしようと、とりあえず チャイをがばがば飲んでみた。ちょっと痛さがひく。

そんでそのまま朝7時に ミーナークシ寺院 へ向かいました。

この寺院は 南インド最大規模の寺院といわれております。
マドゥライの町は、この寺院を中心に構成され、この町と共に発展してきたのです。
中でも 市内のどこからでも見え東西南北4つの壮大なゴープラムが特徴的。

寺に向かって 歩くと

おー 見えてきた 見えてきた西側のゴープラムが!! おおおお でかいっ!

でかい・・・・

おや?




やややっ?!



違う。

私が 写真で見てきたミーナークシ寺院のゴープラムと違う。
全てのゴープラムの 全ての面に ココナッツリーフで編んだ日除けが かぶさっている。。。

ちょっとおお どおいうことっすか?!

この寺院ってさ、色彩豊ないかにもドラヴィダ形式っぽいゴープラム彫刻がメインなんじゃないんすか?!

見えないーーーーっ 彫刻が ぜんぜん 見えないーーーーー!!

どうやら この一番観光客が多い時期に、全ての塔の再塗装をしているらしい。
塗装中なので、ココナッツリーフを 被せているんだとか。



ここまで来たのに、、、つつつつ、ついてね~・・・。
ありがとう 大殺界2008。君はそろそろ行く年だということを意識してくれ。

ほら、寺院の中に入って 寺院の内側から見ても、見事 ご丁寧に 全ての塔に
ココナッツリーフがかぶさっている。。。。



かなり残念だったが、寺院の内部に入ると、一気にあたり一体が神秘的な雰囲気に包まれ、思わず口をあけて しばしたたずんでしまった。

す、すごい。

ヒンドゥーパワー。

神秘的。

とりあえず 一眼レフで バシバシ写真撮る。 美しいわ。 
人が祈りを捧げる姿、神を崇める場所、「美しい」。

後で気がついたけど、フィルムの一眼レフばっか使ってたから デジカメではほとんど撮ってなかったや。



↑ 寺院の中にある スンダレーシシュワラ神殿

ちなみに 神殿の内部には ヒンドゥー教徒以外は入れません。

それでも ひんやりとして うすぐらい石造りの寺院の中で 祈りの声、ゆらぐ炎を見ていると なんだか 現実の世界からちょっと違う場所に来たような気持ちになった。
風邪ひいて頭がボーっとしてるから なおさら 祈りの声が頭をぐるぐる回った。

宗教というと、日本人はあまりいいイメージを持たない(私もだけど)が、
でも、それは偏った情報が作り出すもので、実際 このような真の宗教を目の当たりにすると、宗教を「美しい」という言葉で形容したくなる。 すごい。 

いや~ インドは奥深いよ。 すごい すごい 言い過ぎてるけど やっぱ すごい。


ミーナークシ寺院の豆知識。

ミーナークシ寺院の名前、 ミーナークシとは「魚のような美しい目を持つ女神」を意味します。 
魚の目が綺麗かどうかは別にして、ミーナークシという名前の女神は、土着の女神(この地域の先住民ドラヴィダ民族が信仰していた神)でしたが、後にヒンドゥーイズムの発展により、ヒンドゥー教の神、シヴァと結婚させられ、シヴァの妃という設定にいつの間にか変えられたらしい。

すごいでしょー インドで仏教が廃れて、ヒンドゥー教が拡大した理由はきっとこういうところにあると言う説があります。
ヒンドゥー教は ヴェーダの宗教に うまく各地の土着の宗教を吸収していった(土着の神々を ヒンドゥーの神 主にシヴァとヴィシュヌの妃もしくは化身という設定にして、 ヒンドゥーの神に仲間入りさせる)から、どこの地域でも受け入れられていったんでしょう。

ちなみにブッダも ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の化身とされています
もっと 詳しく知りたい方は「ヒンドゥー教の本」学習研究所発行 をご覧あれ。

いやー しかし、非常に寛容な宗教だ。
そう、そもそもインド人が非常に寛容な人達ですから。

インドの人は 本当に 心が広いんですよ。 


インド ぶぅ~らぁ~りぃ旅 1 (タンジャーヴール編)

2009-01-03 20:28:21 | インド 一人旅

12月26日から 1月1日までインド、タミルナード州を上から下まで駆け抜けました。

全ての移動は 乗り合いバス!!

インドはでかい。ちょっと小旅行のつもりが 気がついたら1500キロくらい移動していた。

日程はこちら。

1日目 チェンナイ → タンジャーヴール (バスで9時間 106ルピー:200円くらい)
2日目 タンジャーヴール観光後 → マドライへ (バスで4時間 51ルピー)
3日目 マドライ観光後 → ナガルコイルへ (バスで8時間 81ルピー)
4日目 カニヤークマリ観光 インド人宅でウルルン滞在
5日目 引き続きウルルン滞在
6日目 まだまだ引き続きウルルン滞在  夜行バスでチェンナイへ戻る (16時間)





久々の長距離乗り合いバスでの旅。

5年くらい前 バックパッカーで世界を放浪していた時期の記憶が蘇る。

でも ここ数年ずーっと海外にいるから、すっかり海外ボケしていたようで 旅行中、アホなミスを連発した。

まず、なんと、 パスポートを チェンナイの教員アパートに忘れてきてしまったことにバスに乗ってから気がついた。。。。
Oh god... いくらなんでも それはやばいだろうと思ったけど 結局 パスポートなしで宿にも泊まれたし 旅行できた。
Oh, India。すばらしきかな その包容力。

むむむー いやいや それは結果論です。海外ボケしてて 自分が外国人だってことを 意識しなくなってきている象徴。こういう時に、人は犯罪や事件に巻き込まれます。 すげー 反省しました。 意識を改め 気をつけよう。

で、チェンナイのバスターミナルから 9時間かけて世界遺産のある町 タンジャヴールにつきました。

着いたのは 夕方の6時だったので 早く宿を見つけなければと いくつか安宿をあたるが、さすがに年末とあってどこも満室。

日がすっかり暮れてから ようやく部屋をゲット。
が、なんと一泊600ルピー(1200円くらい)
 
ゴーーン。。。  日本円に換算すると安いけど 私の給料 ルピーですから。

でも 道の上で寝るよりはまし。仕方ない。

南インドは 北と比べて旅行者が少ない分、宿代が高いと思う!
あと、ドミのある宿もほとんどない!!
北インドを旅したときは、一泊50ルピーのドミトリーとかに泊まってた。
南では その6倍から10倍払わないといけない。。。


その夜は 同じ宿に泊まっていた フランス人の女性と夕食を共にした。
 私は フランス人が話す英語が好きだ。
アンニュイな感じで。
久々に 外国の人と話して とてもいい気分転換になった。


翌日 タンジャーヴール 観光

うろちょろしてたら 気がついたら公共遊園地みたいなとこに入っていた。
が ほとんど客は入っておらず 噴水とか遊具は全て止まっていた。


↓ その遊園地で出会った シュール キャラクター


① おい よく見たら、君の足、埋まってるじゃないかっ




② チェスで遊んでいる。 でも なんか暗い・・・。





③ こ、恐い。。。そんなに熱くなるなよ。たかがゲームじゃないか。

 


シュール遊園地を後にし、

その後 本命の 「世界遺産 ブハリディーシュワラ寺院」へ!



おおおお! 見よ この 美しさ! 壮大なゴープラム(塔門/寺門)。
南インドのヒンドゥー建築の特徴はこの巨大なゴープラムです。 
写真内右側に てっぺんだけ写っているのがヴィマーナ(本堂)。





おおお。美しい。これが ヴィマーナ(本堂)。ヴィマーナ内には ヒンドゥー教徒しか入れません。





ヴィマーナの頂上付近アップ。
このインド人の美意識。すばらしい。

ブハリディーシュワラ寺院のあるタンジャーヴールは 9世紀から13世紀に南インドを支配したチョーラ朝の都でした。 
チョーラ朝最盛期の王ラージャラージャ一世が11世紀に建立したのが、このブハリディーシュワラ寺院です。
この寺院は シヴァ寺院(ヒンドゥー教の三大神の中のひとつ:ちなみにシヴァの他はブラフマーとヴィシュヌ)です。

ということは、当然 寺院には リンガとヨニがあちこちに配置されていました。

んで もちろん こちら、 シヴァ神の乗り物 聖牛 ナンディ!!!

 

どど~ん ぱーっ!

このナンディ像は インドで二番目に大きいんだとか。
(知ってる人も多いでしょうが、インド人が牛を食べない理由は それがシヴァの聖なる乗り物だから。)


 

はい、ヴィマーナの前で パチリ。


タンジャーヴールという町は それほど観光地ズレしてなくて、人は皆 素朴で 優しく フレンドリー。

私がサリーを着てうろちょろしていたから、いろんなインド人に話しかけられた。
私の拙いタミル語を一生懸命聞いてくれる。
ぜんぜん話せてないのに、タミル語を外国人が話そうとしているだけで、ここの人達は大喜びしてくれる。

ちょっとぶっきらぼうな対応をされても、タミル語で挨拶すると、オートリキシャのおやじですら ニッコニコになる。

いいね~ いいね~ 南インド。 さいこーだよ!!




これまでも南アジア(インドとネパール)を旅してきたので、
現地の人の「写真を一緒に撮ってくれ」攻撃には 慣れていた。

その攻撃は、とりあえず外国人と写真を撮っておこうという好奇心旺盛な彼らの要望に応えると たちまち現地人数名(時に数十名)に囲まれて さながらスーパルスター気分を味わわされるというものだ。

(参考資料:ネパールで 攻撃を受けた時の様子 ちなみに寺院の入り口にて)




で タンジャーヴールで 久々にその攻撃にあった。
理由は 私がサリーを着ていたからなんだけど

ある人は「日本人が 我々の文化であるサリーを着ているなんて こんな感動する出来事はない!!」と感動し 
自身のカメラで 私のピンショットを撮影して去っていった。

その後も いろーーーーーんな人に 「サリー いいね!」と話しかけられ

その都度 写真に応じ 非常ににぎやかな一人旅となった。
名も知らぬ人のカメラの中に 私の映像が残る。なんだか不思議だ。


↓ 土産売りのおにいさんも 勝手に写真に参加。(右端)




こちらは 寺院の前のお花屋さんたち。
ヒンドゥー教徒は 神様にきれいな生花を捧げます。
女性は自分の髪の毛につけたりもしますが。

 
色がきれい。 
おばちゃんの青いサリーも ナイス チョイス。花の色と対照的で とても 映える。
左下の白い花は ジャスミン。
インド人女性はよくこのジャスミンを束ねたものを髪の毛につけている。

私も時々つけるけど とてもいいにおい。

トンガの時は、そこらへんに落ちてる南国の花をよく拾って 髪につけていたなあ。

どこの国でも 女の人は 花が似合う。

日本で 頭に花飾ってたら イタイ人だって思われるだろうけど

生花が似合う女性って 素敵ですよ。


抱きーしめーたいぃぃぃぃ

2009-01-03 01:54:04 | インドで日本語教師
誰を?

生徒を。

自分の生徒、つまり思春期ボーイズ アンド 吉永さゆりちゃんズ

かわいすぎ。

かわいすぎて みんな ムギューーって 抱きしめたい。


今日1ヶ月ちょいぶりに 大学の授業が再開された。
(なぜ1ヶ月ちょい休校になったかは こちらを ご覧あれ)

まず 授業再開日の前日である昨日から、あたしの かあいい生徒達は
私に電話をかけてきたり メールを送ってきたりしてきた。

ちなみに 電話の内容や メールの内容は

まったく意味のないもので、

例えば

電話 「センセ、Where are you now? What are you doing now?」
メール「Good night!」

私に何を聞きたいのか、何を伝えたいのか全くわからないが、

非常に かあいい。

で 今日 大学に着くと

まあ 

まあ 

まあぁ。



寄ってくるわ 寄ってくるわ。

ピヨ ピヨ ピヨ ピヨ と あたしの かあいい かあいい生徒達が。


「センセー!Happy new year!」

「センセ、センセ! I am very very happy to meet you agein!!」

「センセ、コンニチハ!」

センセ、センセ、センセ、センセ、センセ、



だああああああああああああーーーーーーー!!

わかった わかったよ!!

いっせいに話しかけるな(笑)!

中には 「センセー!」といって 握手してくる生徒もいて

さながらボリウッドスター気分だった。 スーパル スター 気分。むふ。

で 以前このブログに書いた サルドバジ君

そう 私を見ればいつでも ニコニコ近寄ってきて
「センセ、Do you remember me?」と聞いてくる 安達由美の旦那似の学生。
ちなみに学級委員。

なんと 今年、2009年の彼は 私を見つけるなり また小走りで近寄ってきて

「センセーー!!!Do you remember me?!」

Oh god! 進歩なし!! また同じ質問!!

で 「はい。Of course!」と答えると 超 笑顔になって去っていった。

サルドバジ君。 君は それで満足なのか?!


かわいい。

かわいい。

あたしの かわいい生徒ちゃん達。

先生は 君達がいれば がんばれます。

あなたたち かわいすぎ。

生徒達の「センセ!」コールの嵐に囲まれたとき

思わず 「か、かわいい」と呟いてしまいました。

先生は がんばります。

君達を 決して見捨てたりしないぞ!



昨年末は ほんとうに 頭が狂いそうなことに巻き込まれて 
精神的におかしくなりそうだったけど

でも ケランバッカムに戻って セキュリティのおじちゃん達に会った時に
自分の居場所を感じたし

今日も大学で 生徒や学校のスタッフと再会の喜びを分かち合って 大学にも自分の居場所があることを感じ、

本当に幸せな気持ちになった。

昨年末 カサカサ ボロボロ ドロドロになった私の心が

超高級トリートメントを施され

つやつや うるうる になりました。

ケランバッカム 大好き!

大学 大好き!

南インド 大好き!

WISH U A HAPPY NEW YEAR from South India

2009-01-02 01:54:21 | インド 生活
あけまして おめでとうございます。



こちらインドは まだギリギリ元日 1月1日23時34分でございます。

南インドでは 主婦が毎朝 自宅の玄関先の地面にコーラム(Kolam)を描きます。
神様を迎えるためだそうです。
コーラムの模様は様々で、各家の主婦が色のついた砂や米粉を指の間から滑らせてフリーハンドで図形や模様を描きます。

たいていは白一色で描かれるのですが、お祭のときなどにはたくさんの色を使ってカラフルでおおきなデザインのコーラムが描かれます。

↓ こんな感じ。


New year's day のこの日は、どの家のコーラムもカラフルで豪華なデザインでした。そして ほとんどのコーラムに

WISH U A HAPPY NEW YEAR

と書いてありました。


2008年 年末に起きた、会社の一権力者の我儘な行動により
本来は2週間あるはずだった休みが、6日間だけになってしまいましたが、
6日間で バスを乗り継ぎ 往復約1700キロを 旅してきました。

上記の事件により、あまりのストレスで 味覚もなくなり 不眠ぎみになっていましたが、インド人の優しさ、インド建築の壮大さ、ヒンドゥー教の奥深さに 
心は少しずつ癒され、

味覚も復活しました。

が、28日ごろから 風邪をひき、鼻から信じられない量の鼻水がでまくり、おかげでまた味覚がなくなりました(笑)
あーめん。



2008年最後の夕陽を
インド最南端カニヤークマリで見て、
2008年の嫌な出来事を全部洗い流そうと思って
無理やりカニヤークマリまで行ってきましたが、
ハプニング続きで、夕陽は見れず。
でも かわりにウルルン滞在してきました。

んで、31日の夕方、チェンナイ行きの夜行バスにのり、バスで大量の鼻水をかんでいる間に2009年の年明けを迎えてしまいました。

なんとも 形容しがたい 2009年の幕開け。

で 今日のお昼すぎに スイートホーム ケランバッカムに帰って来ました。

1ヶ月ぶり。

セキュリティのおっちゃん達が

「Ohーーーーー!マダム!Where have you been?!」と 私の顔を見るなり 大喜びしてくれて

あー そうだよ。 私 マダムだったんだ。 と 思った。

あ、違う違う、

あー そうだよ。 私は 大学の講師で、 私の住まいはここ、私の居場所はここなんだよ。と思った。

ディワーリーのとき 一緒に花火をやった おじちゃんに至っては
元旦だからなのか新しい白いYシャツに身を包み 「マダム!!マダム!!」一階から駆け上ってきて、何故か 2009年のカレンダーを持ってきてくれた。
おじちゃんは むちゃくちゃテンション高くて 英語とタミル語ミックス会話が楽しくて仕方なかった。

インドにも 自分の帰りを待っていてくれる人達がいたんだ。。。。と

すっごく すっごく 嬉しかった。

2008年年末は ほぼ1ヶ月 会社のあるチェンナイ中心地で イライラと隣り合わせで働き、会社近くの教員アパートで寝起きした。

でも、もう そんな生活とは おさらば!!
何故ならば、そのイライラの素となるお方は、強制帰国させられたからです!!
ありがとう 2009!!
ユニコーンも復活するらしいよ 2009!!

そして
私のいるべき場所は、ここ、ケランバッカム!!

あしたから 大学の授業も始まるし!

インド 好きだし!

あと もう少し がんばります。

ブログでいろいろ愚痴りました。
ごめんなさい。

暖かいアドバイスや励ましをくれたみなさま
たくさん心配してくれた方々、
どうも ありがとーー

May all of you and your family be blessed all through this year.
And...
Hope new year will bring us a fresh air !!