before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

親孝行旅行 to カンボジア 3

2008-03-06 20:08:32 | 海外旅行・短期海外滞在
お、やばいやばい。 また 長く書き続けるところだった。

2日は 東洋史学科専攻の私めによる アンコールワットツアー
    夜は 影絵ディナーショー
3日は トンレサップ湖周遊 午後買い物 夜シェムリアップ発
4日 成田着

という日程でした。

アンコールワットは やっぱり 美しかったです。
何度見てもすばらしい。今までいろいろな遺跡を見てきましたが やっぱりアンコール遺跡群は ずばぬけていますね。
(ちなみに アンコールに匹敵するほど感動した遺跡は、 インドのエローラにあるカイラーサナータ寺院、インドネシアのプランバナン、ミャンマーのパガン、エジプトのカルナック神殿 かな?って 結構あるやん!)

ま アンコールに話を戻して、アンコール遺跡群は
アンコールワットだけじゃなく、バイヨン、タプローム 像のテラス、ライ王のテラス、、、、全てが 鳥肌が立つほどの壮大さ!
また、遺跡の周りに描かれた彫刻がさ~ もー たまらん!
ヒンドゥー寺院の定番 ラーマヤナ物語の彫刻は勿論、乳海攪拌や スールヤバルマンの行進やら とにかくおもしろい!そして 美しい。表情が豊か。

ただ、ここでも5年という歳月の長さを感じさせられました。
なんと、アンコールワットの中央塔、そうあのヒマラヤ山脈を模したとされる中央塔に登れなくなっていたのです! 一応 修復の為らしいが もしかしたらもう二度と登れないのかも。。。 前回来た時は 頂上まで登れたのになあ。
頂上から眺める アンコールワット参道、壮観だったなあ。そこから眺める夕焼けも。
両親にも 見せてあげたかったなあ・・・・ なんて思っていると
「修復中につき 登れません」と書いてある看板の横で ピースして写真を撮ってる二人。何の記念写真やねん!

それと 大樹が遺跡を呑み込んでいることで有名な タプローム遺跡。
これも 遺跡がどんどん崩れてきているようで 5年前は入れた場所も 立ち入り禁止になっていた。

遺跡って 後世に残したいとか思って全面修復してしまうと 結構味気ないものになったりする。インドネシアのボルブドゥールを見てそう思った。

大好きなアンコール遺跡が どんどん崩れていくのは 寂しい気もするが だからといって観光用に綺麗に修復されてしまうのも 悲しい。
まあ 私は アンコールワット中央塔にももう登ったし タプロームも堪能してるからさー そんな余裕発言できるんだろうねー
皆さんも はやく行ったほうがいいですよー

私の両親も 大 大 大感動 してましたから!
あまりに アンコールワットで時間を使いすぎて プノンバケンから夕日を見ようと思っていたのに アンコールワットから下りてきたら 日が沈んでしまった・・・ がーーーーん!そこで 母一言。
「お母さん 気球に乗って夕日見たかったのになーーー」
お母さん! 私達が行こうとしていたのは プノンバケンという丘で 気球に乗る予定なんて 最初からないからっ!

あー やばい。結局カンボジア旅行記 まだ終わらないや。
どーも 短く書くのが苦手。

明日からツバルだから ツバルから帰ってきてから 書こーっと。

写真は 一応 定番ショット! 中央塔3つのうち2つに緑のシートがかかっていた。修復中らしい。

親孝行旅行 to カンボジア 2

2008-03-06 19:37:51 | 海外旅行・短期海外滞在
まだまだ 続くよ・・・ ふふふ。

で 行ってきました。2泊4日というとんでもない 強行スケジュール!
しかし、「いつか行こう。 いつか長い休みがとれたらいこう。」なんて思っているうちに 数年経ってしまうのです! 思い立ったら行ってしまいましょう!

航空会社は ベトナム航空。 はい、みなさんご存知ですよね。
ベトナム航空のスッチーは 美女で しかも アオザイが制服です!!
サイコー(>▽<)!

で ホーチンミン経由で シェムリアップin.
アンコールワットがあるのは カンボジアの首都 プノンペンではなく
シェムリアップという町です。

しかし 驚いた! いつの間に シェムリアップに国際空港できたの!?
今までは プノンペンから国内線か、タイのバンコクから長距離超ミニバスですし詰め状態で陸路越えして シェムリアップに入っていたので 全然知らなかった・・・ しかも この空港!かなり 美しい! クメール建築調なのです。すげーなー カンボジア。5年経つとこんなに 変わるんかー

空港を出ると なんと ホテルのお迎え車が!
いやー こんな旅の仕方も 世の中にはあるのですねー
これまでは 空港を出る=タクシーとの駆け引き合戦の開始 というイメージでしたが、なんとも 優雅な 旅の滑り出し。。。

で ホテルについて これまた びっくり!自分で予約したけど びっくり!
めっちゃ 豪華やんけ! しかしシーズンオフプライスで 3人で99US$!本来は $156らしいけど・・・ 直接電話して交渉するのがコツだよ!皆さん!
しかも朝食のバイキング付き!いやー すごいねー  バックパッカー向けの宿もお勧めはいくつかありますが(日本人宿じゃないとこ) ご家族でプチリッチ旅行を予定されている方、お勧めっす。ウェルカムドリンクまででてきましたから。
http://www.apsaraangkor.com/home.html

ほんで 着いたのが夕方だったので 早速 予約しておいた KoulenⅡ(クレーンⅡ)のアプサラダンスディナーショーへ!

いやー カンボジアにきて アプサラダンスを見ないなんて邪道でしょう。

美しい踊り子が 東南アジアの音色にあわせて 天女のように優雅に舞う。
すばらしいですよー 

2年間 大洋州に住んで トンガや サモア ハワイ 等の踊りを見てきた。
大洋州の踊りは 激しく 元気なものが多いが 
東南アジアの踊りは 全く違う。

特に アプサラは かつての宮廷舞踊だっただけあって 単に踊りというよりは 芸術という表現のほうが相応しい。 完成度が高い。 踊り子たちは 毎日厳しい練習をして 天女の動きを身につけるという。

しかし このアプサラダンスも 今から30年ほど前に始まった内戦期に、宮廷舞踊は王政にまつわるものとされ 踊り子、演奏者の9割が 虐殺されたという悲しい過去がある。

その当時のカンボジアは アプサラダンスに関係している人達だけではなく 芸能に携わっている人や知識人は 虐殺の対象となった。

カンボジアの文化は 壊滅状態にまで陥った。

しかし 内戦後 生き残った踊り子、演奏者が 自分たちの身体にしみついた芸能をもとに アプサラの舞を復活させたのである。

もちろん 彼らカンボジア人は アプサラダンスだけではなく、それ以外にも失われてしまった文化をとりもどそうと 頑張った。

すごいなあ。人って 人の力ってすごいなあ。 

文化ってなんだろう。 こんなにまで 必死に守ろうとする文化。

私たち日本人が もし 自分たちの文化が強制的に消滅させられるという状況に陥ったら どうするだろうか。

失って その大切さに初めて気付く。とよく言うけれど

文化もそうなのかもしれない。 自分の国の文化は 自分にとって当たり前のことだから 改めて「文化」の大切さなんて 考えないからねー。

とまあ アプサラダンスを堪能した夜でした!
両親も 大感激!
踊り子は みんな 美女だしさあ! まさにアンコール遺跡の壁画に彫られた天女のようだよ。
しかも ディナーバイキング めっちゃ うまい!
5年前は こんなに うまくなかったぞー!? 接客も すごいいいぞ!

なんだなんだー 私の知ってるカンボジアって こんなんだっけ?

親孝行旅行 to カンボジア 1

2008-03-05 22:18:56 | 海外旅行・短期海外滞在
1月半ばに 両親とカンボジアに行ってきた。

両親にとっては カンボジアは初めて。
ちなみに 私の父は 母と一緒に 私の任期中にトンガに来たが それが人生初の海外であった。そして二ヶ国目はカンボジア。たぶん そんな人はなかなかいないと思う。

私にとっては カンボジアは5年ぶり、4回目の訪問。
初めて行ったのは6年前。それこそ 初めてのバックパッカーの旅!
大学の同じ学科(東洋史学科)の仲良し4人で ハプニング連続の旅でした。
でも その旅が 私にとって 「始まりの場所」となったわけです。

6年前のカンボジアは 当時の私にとっては 全てがカルチャーショックだった。
初めて物乞いに出会ったり、地雷で手足のない人達を見た。
まだまだ内戦の傷跡が強く感じられた。
それまでの人生で 頭ではわかっていたけど 初めて現実として「貧しさ」を見た。物乞いに 私達が持っていたパンをねだられて なんて反応していいのかわからず ボーっとしてしまった。
けれど その「貧しさ」の中で 本当に幸せそうに笑って 友達と遊んでいる子ども。小さなランプの下で 家族で楽しそうに食事をしている様子。
そういうのを見ると 「え?幸せってなんだ?貧しさってなんだ?」と感じずにはいられなかった。 日本は経済的に発展していて すべてが揃っていて とっても幸せなはずなのに 今の日本で ここにいるカンボジアの人達のようなすばらしい笑顔をしている人は いるだろうか? なんて考えてしまった。

「本来は 生きていることだけで 楽しくて 幸せな はずなんだ」
と カンボジアの人達の生き方を通して学んだし、 そこから 「もっともっと彼らや、また 別の国の人達から学んで行きたい」と思うようになって 大学時代はバックパッカーで旅をしまくったなあ。
そして もちろん 「貧しさってなに?発展国が定義したものにすぎないのでは?」という疑問から 「そもそも国際援助って必要なのか? 発展することで 今の日本のように大切なものを失ってしまうのではないか?」と思うようになり 頭で考えても仕方ない!実際 国際協力に携わってみようと 青年海外協力隊になることに決めたのでした。

あー 前説 ながいよー また読んでいる人飽きちゃうよー

まあ とにかく 私にとってはカンボジアは まさにスタートラインなのです。

で、親孝行は お金のあるうちに。親が元気なうちに。
ということで 私の大好きなカンボジア、 私のスタートラインのカンボジアに
両親を連れて行くことにしました。

そう、 航空賃から ホテル代まで なんとっ 全額 私も持ち!!!
だーーーーーーーー
ありえん。 ありえんけど そーーいうことになった。
ゲルマン諭吉の大移動だった。
さよーならー

事の成り行きは

私が ちょっと両親を喜ばせようと思って「よし!カンボジア行くよ!チケット代は払うから!」と 言ったところ 母は淡々と「は?宿泊費も払ってくれないの?」と答えたことで 事態は急変。
ホテル代も払ってくれないの?きょうこさん。払うんでしょ? 払うのよね?的な 遠まわしの脅迫に負けたのでした。

カンボジア4度目といえど これまで一日5ドルの安宿に泊まってきたので 両親が泊まるのに相応しい宿(ホットシャワーが出るとか エアコンがあるとか)を私は一個も知らなかった。ネットで調べると5年前よりも はるかにホテル数が増えていることがわかった。
こんなとこでケチケチしても 仕方ねえ!と 結構いいとこに予約した。

出発前は もう楽しみで楽しみで仕方なかった!
4度目のアンコールワット!ちなみに大学は東洋史専攻だったので この分野、強いです!しかも 既に3回もアンコール遺跡群を見て周っているので 壁画まで説明できますから! ガイドなんて いりませんから!

両親が アンコールワットを見て驚く顔が楽しみだ~ ^^

トンガで2年間暮らして 両親のありがたみを 改めて感じ、 特に両親が英語もろくに話せないのに、2人だけで私に会いにトンガまで来てくれたとき
本当に ジーンとした。 2人で ドギマギしながら オーストラリアで乗り換えて トンガまでやってきたことを考えたら 涙がちょちょぎれた。
だから これはそのお礼なのだ。

母のスパルタ教育にもむなしく 大和撫子になりそびれた私ができる親孝行といえば 海外を案内することぐらいだろう。

まあ そんなこんなで カンボジアに行ってきたのでした。

写真は ホテルの部屋。 すごーーーーーい(><)綺麗!豪華!と興奮しながら写真とったら ブレてた。。。。

同窓会@同期の結婚式

2008-03-03 16:54:09 | 日本での暮らし・考える事・思う事
今週金曜日から ツバルに11日間 行ってきます。ので それまでに たまった分をアップします!!! 別に しなくてもいいと思うけど します!!

まずは トンガから帰って フィジーに来るまでに 日本にいたときにあった出来事 その一。

大学のサークル同期の結婚式に出席。の巻。

大学時代 私は 何故か 水泳&水球サークル ドルフィンクラブに所属していた。何故、私が 水泳 水球サークルを選んだかっ!?

正直、

覚えてない!!

なんでだっけー 誰か教えて。 まあいいや。
で その サークルの規模はでかく 所属している学生は100人くらいいた(含 幽霊部員)。で サークルのくせに 部活並みの練習量で すごいときには 1回の練習(たぶん45分くらい)で1キロ痩せたこともあった。
同じ級の人が誕生日を迎えると その人の年の数だけ50mを泳がされる(例 22才の誕生日なら 50m 22本)という素敵なメニューに付き合わされることも よくあった。
1年生のときは スキー合宿で(何故 水泳サークルのくせにスキーしてる?!)慣れないスノボで身動きのとれない私の携帯を先輩が奪い 雪上で携帯のカーリングをされたこともあった。。。
幹部学年になれば 浪人しているというだけで後輩に「おばちゃん」と呼ばれる始末。悔しくて 浪人経験のある人だけで「灰色コンパ」というのを開催したことがあったが 予備校時代の暗い話を皆が語り始め 結局浪人経験者が集まったところで 現役生のキャピキャピ感は得られないことがわかったこともあった。
先輩後輩同期総勢15名が我が家で飲み会をし 一夜にして花瓶の花が枯れたこともあった。By たばこの煙。
しかも 目を離したすきに 井上家かくれんぼ を勝手に開始し 先輩後輩が我が家の押入れや 山積みになった洗濯物の中に勝手に入って隠れていたりしたこともあった。
何回も家に来て 気がつけば 我が家の夕食時の一家団欒にまじって ハヤシライスをつついている先輩と同期もいた。

こんなように とにかく 泳ぎに泳ぎ 飲みまくり 熱く語り 騒ぎまくり 暴走しまくった。サークルという表現は不適切ですよ。ドルフィンクラブは。。。。
まず サークルにしては 練習きちーーーーっ まあ それだけじゃなく とにかく熱い。熱かったー

で そのサークルの同期が 結婚することになった。
新郎 新婦とも サークル同期。 彼らは大学1年のときから付き合っていたので
皆が 「結婚式は同窓会になるねー」といっていた程 当時から誰もが二人の結婚を疑わなかった。

で 運よく トンガから帰国してフィジーに行くまでの期間に結婚式があるというので 私も出席することができた。

当日は なんと大雪。 でも いと趣深し。 雪のおかげでとても雰囲気のいい式でした。花嫁さんは とても綺麗だったし 花婿は相変わらず モサモサ感を出してたし、二人らしい アットホームな 素敵な式でした。しかも、その昔 私はそのサークルで副幹事とやらをやらせていただいていたというご縁で 初結婚式参加 かつ 初スピーチまでやらせていただきました。光栄ですね。緊張したけど 一緒にスピーチをしたもう一人の副幹事(○もゆき君)のほうが緊張していたので それを見て緊張がとけた。センキュー 

挙式と披露宴は サークルの同期がよばれていた。 
で2次会では 先輩 後輩が もう どわっとやって来た。
先輩の名前って忘れないもんだけど どーーーーしてこーーーーーして
後輩の名前って思い出せないのだろうか。覚えている。私は 君のことを覚えているのだよ。しかし 名を何と申す。
でも 他の同期にヒントをもらうと 意外と簡単に思い出せた。やった!

しかし 後輩に「おばちゃーん 変わりませんねー」って言われたけど
お前らが 学生時代と同じ言葉をかけてくるから 同じ反応をしとるんじゃ!ボケ! 勝手に 人の二の腕もんで「たくましいですねー」ってさ、ちみたち。ま 懐かしかったから いーよ いーよ なんでもいーよ

まー 写真を見ていただくと分かると思いますが(2次会で撮った写真)
こんだけ 集まりました。 ドルファーOB OG が・・・
ほんと 同窓会@結婚式 でした。

特に私は 2年間日本にいなくて 同期のみんなに会うこともなく 先輩後輩なんて もっと会う機会もなかったわけで んで 今は フィジーにいるし 本当にいい機会でした。

なんか 懐かしかった。 本当に 懐かしかった。
確かに後輩の名前 パッと思い出せなかったけど でも やっぱ全員のこと覚えてるし 一人ひとりとの思い出がある。
それぞれ卒業して 学生だった当時とは違うのだけれど 根本的なところは 変わってなくて 安心した。

日本に帰ってから 2年ぶりに誰かと会うたびに どんな会社で働いてるとか 肩書きがなんだとか 結婚したとか しないとか 中年太りしてきたとか 老けたとか そーいうことよりも とにかく みんなが 元気に 暮らしているという事実に ジーンとさせられた。

ずーっと一緒にいられる関係なんてないのかもしれないし
いつかは どんなに仲のいい仲間たちも離れ離れになる。

海外にいて 親しい人と離れて暮らす経験をしていくうちに
簡単に会うことができない関係だからこそ 相手の幸せを強く願うようになった。

もー とにかく とにかく みんなが 元気でいてくれたら こんな すばらしいことはない。どんな仕事をしていても どんな人生を歩んでいても とにかく 元気に生きていてくれたら それだけで いい。
と思うのであった。

あー まじめに書いちゃったよ。

とはいえ やっぱり私のカリスマOB だいごさんは すばらしかった。
あんなにたくさんいる列席者の中で ダントツ 輝いて目立っていた。
どんな風に目立っていたか。 そう、
挙式に遅刻して目立っていた。
その後 遅刻したためにチャペルで座る席が無くて うろちょろして 立ったり座ったりして目立っていた。 ノーネクタイで目立っていた。
ご祝儀を入り口で渡し忘れて目立っていた。
新郎の父が挨拶している最中 みなが静まり返って さあクライマックスというときにコーヒーカップを落として目立っていた。

やっぱり わたしは だいごさんを 尊敬しています!
No だいご No ライフ。 だいご forever。
及川山脈に きこり一揆。 

同期二人の結婚式を サークルのみんなと一緒にお祝いできて 本当によかった!
おめでと~!!