任期を終えて日本に帰ってきてしばらくは思い出すだけで涙がでてきたので 書けなかった任期終了時のことについてのアップ。
「サプライズSchool magazine」 「卒業式」 につづいて 今回は 第三段「エウアを去った日のこと」をアップします。
「しつこい」「飽きた」という声も聞こえますが、当時日記すらかけていなかったので、忘れないためにブログにアップさせていただきまんもす!
2007年12月5日、エウア高校での卒業式を終え、
6日は 学校の先生たちが開いてくれた私の送別会
7日 出発準備 掃除
8日の早朝5時の船でエウア出発
8日の朝8時に本島につくと ダンボール7箱ほどをJICAドミに運び、パッキングしなおし、全てエアパシフィックオフィスに持っていって アナカンで送る手続きをし その後 放心。
9日も 放心。→ 頭痛 発熱 半日休養
10日 いくぶん気持ちも落ち着き トンガを出国いたしました。
というスケジュールでした。
エウアを出る1ヶ月前くらいから 信じられないほどの忙しさのなか暮らしていたのと エウアを去ったというショックと24時間泣き続けた疲れで本島に上がった時は もやしのような状態でした。エアパシフィックで アナカンの手続きをしている時など、話を聞いているうちに気がついたら数十分(?)寝ていたらしい。 隣にいた同期に助けられアナカン手続きは無事終了したが。
感動の卒業式の翌日6日の朝のエウアの風景。 エウア高校から町へと続く坂道。
見慣れた景色も 違って見える。
「お別ーれのとーきが きーたのをー みなにー おしえー たのさー」しんみり。。。
6日は 朝から島の人達に挨拶周りをしたり 学校のストアルームの片付けをし 夕方からは 学校のホールで先生達が私のお別れ会を開催してくれた。
↓男の先生達に 「泣け」と言われ 泣きまねしてみた。
お別れ会の会場に行くと、mea`ofa(プレゼント)が机の上にどっさりのっていた。トンガの文化では、去る人にmea`ofaをあげるのが慣わしです。
トンガンマットやら タパ(和紙のようなもの) キエキエ(女性用の腰に巻く装飾品)とか とにかくたくさん!!
しかも どれも「I Kyoko」とか書いてある・・・
↓校長先生から受け取ったのは・・・
「クメテ」です!これは カバ(大洋州でアルコールの代わりに飲まれているもの)パーティーをするとき カバをこのボールに入れて飲むのです。
クメテは 絶対持って帰りたかったので すっごくうれしかった!
しかも 名前入り!
でも この後、同僚や友人から 更にクメテを2つもらった・・・多すぎ。。。
結局 持ちきれないほどもらいました。みんな いつこんなの作ってたのか・・・
感謝です。
で、プレゼント贈呈の後は、お食事ターーーイム!!バーベキューです。
ガツガツ食べた後は、男性陣はカバパーティーを始めます。
女性陣はおしゃべり。すると 校長先生が いきなり タオルンガを踊りだしたんですねえ・・・ タオルンガとはトンガの伝統的なダンスです。
トンガ人の女性なら誰でも踊れます。
でも 校長先生がタオルンガ踊るなんて キャラ的には なかなかないことで、
「Kyokoのために 躍らせて!」と 踊ってくれました。
taolunga
普段はこんなことしない校長が 「一肌脱ぐか!」と踊ってくれて
なんだかねぇ~・・・・・
じーんと したんです・・・
で、その後、隣の家にすんでいた悪仲間のレルと二人で作ったエウア高校の歌(英語)を披露!!
でも 二人とも歌詞を忘れて大笑い。
で、その後、レルが 「涙そうそうを 歌おう!」といい 歌いました。
2年目の7月に開催したJapanese weekのとき、生徒と「涙そうそう」を歌おうと決めました。
でも 日本語履修生だけでなくエウア高校の全生徒にこの歌を歌ってほしいし 同時に歌の意味を知ってもらいたくて 悪友のレルといっしょに「涙そうそう」のトンガ語バージョンを作ったのでした。
レルの家で まず私が「涙そうそう」を英語に訳し、それを二人でトンガ語に訳し、更に音楽に合わせて歌詞を調整しました。
二人で あーでもないこーでもないと言いながら 歌いながら作った思い出。
それを 愛する生徒達と ギターに合わせて歌った時の思い出。
放課後 みんなで練習した思い出。
↓Japanese weekで 全校生徒の前で発表するために 放課後練習。
Nadasoosoo with Tongan sutudents
下校時に 生徒が涙そうそうを 歌ってるのを聞いたときの思い出。
Japanese weekのとき、全校生徒の前で 日本語履修生と このホールで歌った時の思い出。
日本語の生徒じゃない子達が トンガ語バージョンを歌っているのを見たときの思い出。
ぶわああああああああああああああああああーーーーーーーっと
押し寄せてきて
歌ってる途中 胸がグーーッとなって 苦しくて 歌えなくなってしまった。
ガン泣きです。。。
トンガ語バージョンを作った時、最後の「会いたくて 会いたくて 君への思い涙そうそう」という歌詞を
レルと二人で アレンジをして
「Nofo a Nofo a Si'i ’Eua high ko hoku ‘Ofa anga」
(さようなら 私の愛する愛しいエウア高校よ)にしました。
涙でぐちゃぐちゃ 胸がズキズキしながら
「Si'i ’Eua high ko hoku ‘Ofa anga」と 2年間の思い出に向けて歌いました。
そんなこんなで しんみりしつつも まあトンガらしくハッピーな感じで送別会も終わり、後は片付けに没頭するのみ!
と 思いきや、その夜から、来客が来るわ来るわ・・・
みな mea`ofaを届けにきてくれるのです。。。
↑ レルの家に一緒に住んでいた学生達。毎朝 奴らに「キオコー フライパン貸してー!」と起され、夕方は家にいりびたられてました(笑)
夜中に私がギターを弾いて みんなで歌を歌ったりしたな。
二人で同じ柄をタパに描いて持ってきてくれました。
ちなみに トンガではタパは非常に価値のあるものです。
プレゼントを持ってきてくれたら やっぱり思い出話に花が咲き 別れを惜しんでいると軽く一時間経ってしまう。
ぜんっぜん片付けがはかどらん!!
明け方4時くらいまでねばるも 片付けて 諦めて寝る。
すると翌日 早朝 ドアの外から 「キオコーーーー!!」と怒鳴られる。
8時。
あけると 生徒達が!
mea`ofaを持ってきてくれた。 そして あまりに散らかっている私の部屋を見て
「手伝う!!」と言い出した。私と生徒で 格闘。 でも昼過ぎても終わらず。
生徒がかわいそうなので、とりあえず「後は もう大丈夫よ!」と強がって 生徒を帰す。
↓ 生徒と mea`ofaたち。
家の片付けが 少し落ち着いたので、今度は PEACE DAYで生徒達と作った「平和の木」を図書館に貼りに行く。ここでも 生徒に手伝ってもらう(笑)
じゃあーーーーーーーん!! いいでしょ いいでしょ?!
Peace dayで 原爆に関する資料を展示し、それを生徒が見た後、千羽鶴を折ってもらい、更に「平和な世の中になるためには何が必要か」「平和とは 何か」を考えてもらい
緑の葉型に切った小さな紙に「平和を作るためのアイデア」を書いてもらい
それを大きな紙に貼って、一つの大きな木を作ったのです。
懐かしいなあ。Peace day開催も すごく大変だったけど 予想以上の反響で、大成功だった。
トンガで2006年暴動が起きたことで このPeace day開催を思いついたんだけど
生徒達が すこしでも「平和」について考えてくれたことが 嬉しかった。
そして 私がいなくなっても この図書室の「平和の木」を見て Peace dayで学んだ戦争の恐ろしさ、平和の尊さを思い出してくれたらいいなと思った
そうして どんどん日が暮れていきます。
エウアで見る最後の夕焼けです。 胸に染み入る橙色ですねえ。
エウアで見る夕日と夕焼けが 大好きでした。
次に この太陽を見るとき 私はエウアにはいないんだなあ。 最後の夕日。
日が暮れても まだ!まだ!まだ!片付けが終わらん!
しかも 来客数は増す一方!!
↓ ちなみに右の女性教師、このとき妊娠6ヶ月。本人も妊娠していることにこのとき気がついていませんでした。 どんだけ日頃 太ってんねん! でもトンガではよくある話。。。
↓こちらは single committee(独身委員会)のメンバーの先生。
↓そして アヒ! 泣きましたよ。ええ、ドバドバ泣きましたよ!!
結局 エウア高校を出る10分前 つまり朝3時40分に片付けが終わりました(笑)
家の扉を閉めた時
もうこのドアを開けることがないんだな。と思いました。
後ろにいた校長が
「明日の朝になって この家を見たら 外観はきっといつもと変わらないのに
きょうこはいない。きょうこの 明るい笑い声が聞こえない。
私の家からは きょうこが干している洗濯物がいつも見えてたんだけど
もう その洗濯物は 明日からは干されることがなくて
洗濯物のかかっていないロープを眺める時のことを思うと、、、、」
といって 号泣し始めた。
「本当に 切ないのよ。きょうこのいない 空っぽのこの家の前を通るたびに
きっと あなたを思い出すんだよ。 とても辛いけど でもこれが人生なんだ よね。」
といって ポロポロ涙が落ちていた。いくらトンガ人が涙もろいとはいえ、本当に 私との別れを惜しんでここまで泣いてくれるなんて びっくりした。
うれしくって せつなくって くるしくって かなしくって 泣ける。
数日間 泣き通しなので 涙も枯れはてる頃なのに 全然枯れない。
むしろ 枯れてくれと思った。
先生の車で港まで行った。出発ギリギリまで船の外で同僚や生徒、友人と別れを惜しみ hugとuma(kiss)の嵐だった。
出発間近になって 船にのりこんだ。
席から必死に身を乗り出し、窓の外のみんなを見た。
アヒがボロボロ泣いていた。アヒを見て 私もボロボロ泣いた。
いつまでも いつまでも 泣いた。肩を震わせて泣いた。
船が出発して、窓の向こうに見えるみんなが小さくなっていってしまうのが
たまらなかった。
次会うのはいつだろうか。 また会えるのだろうか。
またエウアに来ようと思えば いつでも来れる。
でも次来る時は 私はもうここの住人じゃない。エウア高校の現役教師でもない。
旅行でおとずれるだけ。
小さいことかもしれないけど 大きな終わり。
やり残したことは ひとつもないし 本当に満足のいく活動ができた。
全力投球の2年間で 全部出し切って やろうと思ったこと やれることは全部挑んできたからもう思い残すこともない。
ただねー・・・ エウア人となってしまったために エウアが故郷となっただけに 別れは それはそれは辛いものだったんです。
燃え尽きました。涙もついに枯れ果てたけど 結局船では一睡もできず
本島に到着。
↓港に着いた船。
その2日後 トンガを旅立ちました。
私にとっては トンガで過ごした2年間というより エウアで過ごした2年間という感じだったので、本島から飛行機で旅立つ時は 正直全然さみしくなかった。
なんもない島だけど エウアでよかったっす・・・
愛の島 エウアです。