before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

酒池肉林、いや 生クリーム池肉林な週末

2009-10-26 21:35:58 | 日本での暮らし・考える事・思う事
先週末は、肉三昧な週末だった。
エンゲル係数かなり高い!
今、私はお酒が飲めないのですが、これでお酒ものんでたら一気にデブ街道まっしぐらですね。

肉週末その1(土曜日)  いつもの地元仲間と韓国料理屋へ



いつもの地元仲間と、その彼氏さん&旦那さんたちと渋谷の韓国料理屋へ!

私は渋谷なんてほとんどいかないので、待ち合わせ場所に辿り着けず、迷子になる ハチ公付近で地元仲間の彼氏さんに救助される、、、

このお店は、以前地元仲間とイギリス人ダンくんとも来た事あるのだ。
ダンくんは、本ちゃんを見て「アナタハ シンジラレナイクライ キレイデショウ」と言っていた。(笑)

ここの韓国料理屋さんは 豚も牛もめっちゃ旨いししボリューム満点!
いつも食べきれない、、、。
この日も、熱く語り合う男性陣をよそに、女性人は果敢に挑んだが食べきれず、、、


肉週末その2(日曜日)  トンガ仲間と叙々苑へ

韓国料理屋で胃袋を拡張させた翌日、
今度はトンガ協力隊仲間と新宿叙々苑でランチ!

 

↓あきたこまち あ、ちがった あきた美人 カネゴン。


さすが叙々苑! なんだかディナーショーでも開催されそうな豪華な店内でお上品なお肉を平らげましたー

で、しょっぱいものを食べたらさ、次は甘いもんじゃん?

高野フルーツパーラーへ!

↓栗のなんとか。


↓高野フルーツパーラーではしゃぐ かねごんと プロゴルファー猿。


栗のなんとかを食べた後、さらに栗のパフェをオーダーしてしまいました、、、


食  べ  す ぎ 

そうね。 秋、、、、

秋。それは胃拡張の季節。

秋。それは厳しい冬に向け 肉布団を纏い始める季節。(冬眠か?)


その後、山へゴルフ練習へ向かうプロゴルファー猿のDごさんと別れ

かねごんと二人、ウィンドーショッピング!

無印良品へ行き、売り物のソファーに二人で座って20分くらい雑談。

↓雑談中 かねごん


で、

「今日はさ、さすがに夕飯食べられないね!キャピキャピ

なんて話をしながら カネゴンと別れ帰宅し、

家で

牛丼を食べ、 父が買ってきてくれたケーキを2キレ食べて
眠りに着いたのでした。


もう冬だね。

今年は ホルモン焼肉、お好み焼き、魚、温泉 をテーマに冬を乗り切ろう!!

転職先が決まりました。

2009-10-24 14:43:33 | 日本での暮らし・考える事・思う事
この度、転職先が決まりました。

いろいろ悩み、現在の状況や今後のこと、事故のことをよくよく考えて、転職を決めてから2ヶ月くらい経ちましたが、

「転職する!」と言っておきながら、

自分にとって天職だと思っていた大好きな日本語教師という仕事を辞めてまで挑戦する意義のある仕事、日本語教師と同じくらい情熱を傾けられる仕事じゃなくちゃ転職する意味がない!

なーんて この不景気に贅沢なことをいい、
能力もないくせに、

2ヶ月の間 「これだ!」と思える職がひとつしかなく、そこにしか応募できませんでした。

私のような人間は、本当に世渡り下手ですね。
そういえば、大学受験のときも
「自分の行きたい大学(本命)以外に、どうして滑り止めとして他の大学を受験するんだろう?行きたくない大学をどうして保険として受けるんだろう?」
なんて悩んで、結局 本命しか受けず 見事 不合格だったなあ(笑)


そして、今回も自分が「これだ!」と思えるところ1つにしか応募しなかったのですが、
これまた倍率の高いお仕事だったので、無理かなあと思っていたら

奇跡が起きました。

採用されました。

面接官の方たちは、事務経験のない私の根性と情熱だけをかってくれたのだと思います。本当に感謝です。
その思いに応えるべく、精一杯努力し向上していかなくてはと思います。

そして何より、
このミラクル人事は、事故後、たくさん心配をかけ、迷惑をかけてしまった大好きな仲間や家族達のお陰だと思います。
本当にたくさんの気苦労をかけてしまいました。本当にごめんなさい。
みなさんの優しさに支えられ、今回 奇跡的に採用され 事故からようやく1つの区切りをつけることができました。

本当にみなさんのお陰です。

本当に 本当に ありがとうございます。

与えられたチャンスを しっかり掴んで、日々精進していくことが、
みなさんへの恩返しだと思い、頑張っていこうと思っています。

繰り返しになってしまいますが、
みなさんのお陰です。本当に ありがとう。

そして、やっぱり「教え子」達の存在。
事故の後も、彼らの笑顔や成長を見て、本当に励まされたし、
そしてこれから新しい仕事を始めるときも
「教え子がみんな新しいことに挑戦してるんだから、先生もがんばらなくっちゃ!」と思えます。彼らの存在は自分にとって強くて無敵な「お守り」のようです。ありがとう。学生のみんな。

仕事の内容については、おいおいに。12月から勤務開始とのことです。

にんにくラーメン

2009-10-20 21:11:09 | 日本での暮らし・考える事・思う事

早く ようちゃんの結婚パーティーの様子をアップしたいのだが、写真をゲットしてからなので トンガ協力隊関係者の皆様、しばしお待ちを!

さて

「にんにくラーメン」


 

「にんにくラーメン」を知らなければ、我が地元民として失格と言っても過言ではありません。

このラーメン屋がオープンした当時(15年くらい前?)、都会のオアシスはたまたちろりん村と呼ばれる我が地元には なぁーーーーんにもなかった。

夕方から深夜までの営業という都会的な匂い、いや にんにくの匂いか。
それに引き寄せられ 素朴な地元民は連夜行列を作ったものです。

地元の人達にとって、「にんにくラーメン」の登場
はそれはそれは衝撃的な出来事だったのです!!


行列に並ぶと、必ず同級生に会ったりしたっけ。

小学生、中学生で思春期だった私は、翌日学校で 「昨日 あいつ “にんにくラーメン”食ってたぜ~と男子に言われるのが恥ずかしくてコソコソ並んだりしたっけ。
(嘘 堂々と並んでた


当時にしては斬新な、「食べる直前にお客さん自身で生にんにくを搾る」というのがこれまた人気に火をつける要因であった、、、、



私はすっかり忘れていたが、地元仲間 けつおが覚えていたところによると、

中学の数学の時間、Aくんが前日にんにくラーメンに生にんにくを入れすぎて 顔が青緑色になり病院に連れて行かれたということがあった。

                                              

                             悲劇。

                              それは衝撃的な出来事だった。

絶対 生にんにくを入れすぎてはいけない!と心に誓った思春期の私。

それまで 最低二つは入れていた生にんにく。
この事件以降、私は1つしかにんにくを入れなくなりました。

しかも 数学の先生 こ●ざ●先生は、授業中 Aくんの体調不良の原因は生にんにくの入れすぎたと冷静に解説していたらしい。(私は覚えていない。)


さて そんな にんにくラーメン。

超久しぶりに 地元仲間の本ちゃんと本ちゃんのママの3人で食べに行きました!

 
↑のりらーめん(800円)  携帯画像だから画質悪いねえ、、、


いやあーーーーーー旨かった!!

しかも 本ちゃんのおばちゃんが「チャーシュー皿盛り」も頼んでくださり、
一日で分厚いチャーシュー4枚も食べた29歳の秋。

旨いし 懐かしいし
地元仲間 地元仲間のおばちゃんと一緒に食べにいけるし

幸せだったのだ

やっぱ 地元 最高やね

明日 顔 青緑にならないといいなあ。


祭りの後・・・

2009-10-19 02:05:37 | 日本での暮らし・考える事・思う事

いやあ~ さっき帰ってきました!金沢からっ
いやあ~「祭りの後」ですよ。ほんとーに。

ついに一昨日、大好きな人の結婚パーティーがありました!!!
トンガ協力隊同期 ようちゃんの結婚パーティー!
お相手はこれまたトンガ協力隊の先輩隊員!

めでたい!めでたすぎる!

そして、計画しはじめて彼是3ヶ月???
この日のための「出し物」!!!
練習や打ち合わせを何度も繰り返し、がんばりましたあ~!!
たたたた、 楽しかったあ~
んで、2年ぶりの同期メンバー全員終結!!
これ、サイッコーに嬉しかった

金沢の魚、旨すぎたあ~

詳細はまた後日!

この度、夫婦になられたお二方、
おめでとおーございますっ!!


そして、私たちの「出し物」計画に協力してくださった協力隊関係の皆々様、

 Malo `aupito!!!!
大成功でした!!
取り急ぎ、御礼まで。


はぁー 楽しかった夢のお時間はおわり。明日からまたがんばろお!

つかれたー 今日はおやすみ。


和の習い事 (茶道 編)

2009-10-13 21:31:59 | 着物 ・ 茶道 ・ 三線 について

私の人生の目標の一つに、「日本人を極める」というのがあります。

国際交流をしたことがある人は、きっと
「自分は日本人なのに日本の伝統文化についてほとんど知らないし、異国の人の前で伝統文化を披露することもできない。」
ということに気がついた経験があると思います。

日本に限らず先進国の国々では、伝統文化は「非日常」のもの。

しかし開発途上国の国々では、まだまだ伝統文化が「日常」であり、大切にされている国が多い。そして国民も、自分の国の文化について詳しく知っている。


文化というものは常に変化していくものだから、日本において伝統文化がどんどん非日常化してしまうのはやむを得ないし、自然の流れなのかもしれない。

現代は国際化社会。
世界中の国が、互いの文化に影響されあって、一様化するのも仕方ない。

けれど、
実際に海外に出た人は
「自分の国のアイデンティティーをしっかり持っていないと 真の国際人にはなれない」
ということを感じる人は多いと思う。

自分の国の伝統文化もしらずに 他国の話や国際的な話をしても、意味がない。


私はトンガにいた時、高校で教師をしていたのですが、
その時「これは日本も見習うべきだなあ」と思ったことがあります。
それは トンガの高校では「トンガンスタディ」という科目があること。

それは日本の「国語」授業と違い、言葉や文学だけでなく、トンガの伝統文化も学ぶのです。しかも実際に工芸品を作ったり、伝統料理を作ったりします
トンガの伝統文化は、非日常ではなく、日常です。
それでも こういう授業を行って 伝統文化をしっかり学ぶ。

日本も、小学校に英語教育を導入する前に、こういうことに力を入れたほうがいいのに。と思いました。
英語が話せても、外国人から「禅って何?」「仏教とは何をするの?」「着物はどうやって着るの?」「Tea ceremonyって何?」という質問をぶつけられたときに、
答えられなくちゃ意味ないよね。

なーーーんて偉そうなことを言う前に、

私自身はどうなのだ?!

海外に出るようになって、早10年の私。
トンガに行く前に着物についてはなんとか習得しましたが、
それ以外は本で学ぶ程度。

それにしても自分の国の文化を、本で学ぶとはね、、、、

ということで、私の目標は「日本人力を高める」「日本人を極める」なのです。

実際トンガでも、「Japanese week」という日本文化紹介を1週間行うイベントをしました
着物、七夕、よさこいソーラン、日本料理、歌、書道、仏教、お茶などなど。

先生としては、なんとか可愛い学生に異文化を体験してほしくってがんばりました!

けど、、、お茶なんて、トンガに来る前に母にザザーっと習った程度。
まさに「付け焼刃」とはこのこと。











今見ると、お茶のお点前が間違いだらけ!(笑) でも、学生達 楽しんでくれたっけなあー


はいっ 今回も 前置きが長くなりました。

常々 「日本に長い期間いることになったら、絶対 和のお稽古をしよう!」と決めていた私。

インドで事故に遭って、暫く海外には出れなくなったので、

お稽古に通うなら 

思い立ったら 即 行動。 

地元仲間のけつおのお母さんが、お茶を習っているので、そのお稽古に参加させてもらうことに。

それが かれこれ2ヶ月前のこと。

2ヶ月前は、まだまだ事故の傷跡が体にも心にも残っていて、外出するのも嫌な時期だった。
そんな中始めたお茶のお稽古は、まさに「体と心のリハビリ」になった。本当に。

何かしたくても体がついていかない事故後のもどかしさと、
精神的に不安定だったり、焦ったりする気持ちをお茶のお稽古がどれほどやわらげてくれたことか、、、

そして何より嬉しいことは、地元仲間の けつおのお母さんと妹ちゃんと一緒にお稽古に通えること!

けつおのお母さんは、小学校のサッカー時代からお世話になっているし、
サッカー関係のお母さん達みんなに今回の事故で本当に心配をかけてしまった。

そんな けつおのお母さんと一緒にお茶を習い、自分が事故から回復していく姿を見てもらうことができ、本当にありがたい気持ちだった。

し  か 

私が初めていただいたお茶(お薄)は、
なんと けつおのお母さんが点ててくれたものでした

これ すっごい嬉しかった。

おばちゃんも、「きょうちゃんの初めてのお茶を私が点てたのよ~」とこの前のイレブン祭のときに話してくれて、更にうれしかったー

お茶の先生は、御歳80?90?の方。
もちろん毎回お着物を着ていらっしゃるし、お稽古の最中(4時間くらい)ずっと正座!すごい、、、

↓先生から頂いた茶道具。
  左上から時計回りにお懐紙、数奇屋袋、楊枝、扇子、帛紗
 

私と一緒の日に、お茶のお稽古をしている方たちは、5~7名。
皆さんお茶の達人で、私のような初心者がご一緒して申し訳ないくらいなのですが、みなさん本当によくしてくださって、お茶のこと、お茶以外のいろんなことを教えてくださります。

こういう出会い、素敵だなあと思います。

お点前は勿論、着物をビシっと素敵に着こなす姿も憧れちゃう。あたいもこういう大人になりたいの

私も、毎回がんばって着物で行ってます!

↓夏着物 【ポリエステルの薄物(安物 笑) に 単衣の名古屋帯】
 

↓晩秋、冬用 【正絹の小紋 に 袷の名古屋帯】




夏物の着物と帯は、5年前くらいに自分で買ったからすっごい安物(笑)
晩秋、冬用の正絹のやつは、なんと頂き物!!

着物を着ていると 「あら、きょうこちゃん 着物着るの?じゃあ 私のあげるよ。もう着ないから!」と おばさま達からよく頂くのです(^^) 嬉しい
正絹なんて、めっちゃ高いのに、、、、 感謝感謝です!大事に着ます!


お茶を習い始めて2ヶ月。

前回のお稽古で、なんと、ついに

お薄を点てさせて頂きました!!

めっちゃ 緊張した! 釜の蒸気と 緊張で 汗めっちゃかいた!

でも なんとか無事、お手前ができた。 すっごい 嬉しかった。

しかも、私が初めて点てたお茶を飲んでくれたお客様は、

けつおのお母さんだった  うるうる。

これまた 嬉しかったのだ。


療養中、自分がなんにもできない人のような気がして、いつまで立っても治らないような気がして、不安だった。

そんな中、お茶を習って、少しずつお点前がわかるようになってくるのがすっごく楽しくて「私、少しずつ前進してる!」なんて思えて本当に嬉しかった。


お茶は一生続けたいなと思う。

しかし

歳のせいでしょうか、、、

長時間の正座は 膝にきます、、、

そして、

休職中?求職中?の私にとってお茶のお稽古代は高い、、、
着付け教室通ってる時も、お稽古代高くて大変だったけど。

でも がんばります これも自己投資なのだ

お茶菓子 おいしい。


振袖の袖を切るタイミング、、、

2009-10-12 18:20:42 | 着物 ・ 茶道 ・ 三線 について

トンガ時代は毎日ツペヌ(巻スカート)とキエキエ(腰巻みたいなの)を巻いていたし
インド時代は毎日サリーかチュディダールを着ていた私



しかし、私は着物も大好きです!!

大学時代、バックパッカーでいろんな国を1人で渡り歩きました。

いろんな国を旅する過程で、
ベトナムで アオザイを着ている学生を見たり (ベトナムでは白いアオザイが制服)
インドで サリーを着ている女性を見たり
ミャンマーで ロンジーを巻いている人々を見たりして、

「その土地の人を一番美しく見せる衣服は、その土地に伝わる伝統衣装だ。」
ということを学びました。

例えば
アオザイという美しいベトナムの伝統衣装を、日本人や欧米人が旅行のお土産に買ったりしていますが(私も買いましたが、、、
やっぱり 非ベトナム人が着るとなんか似合わないんです。

アオザイはベトナム人女性にしか似合わない素晴しい衣装であり、
普段はシャツとズボンで生活しているベトナム人が 何かの機会にアオザイを着たりすると思わず「わぁ~、、、」と声をあげてしまうほど その美しさに目を奪われますよね。
しかし、世界はどんどん欧米文化にのまれていっています。

「伝統衣装なんかより シャツ スカート ジーパンがいいわ」なんていう価値観が世界に広まっている。

それぞれの国が、伝統衣装をあまり着なくなった状況を

「もったいないなあ、、、」なんて思うと同時に、

じゃあ日本はどうなんだ?!

というか、私はどうなんだ?!
着物、1人で着ることもできないじゃないか?!

日本人を最も美しく見せる衣装は、「着物」なのに!
世界に誇れる美しい伝統衣装があるのに、現代日本では着物はほとんど着ない。
もったいないじゃないか!!

ということで

大学卒業後くらいから、着付け学校に通い始めました。(もう卒業したけど)
「長沼静 きもの学院」に通って、3級、2級きもの講師資格も取得しました。


日本語教師なんて仕事をしていると、日本文化を紹介する機会が非常に多い。
私の協力隊のトンガ隊員同期は4人とも日本語教師でうち3名が女性でしたが、
皆着物を自分で着ることができました。

しかし、トンガ任期中は「着物」を着付けるといっても、「浴衣」only。
インドのときも然り。

が!

今は日本にいる私!

着物  着まくってます!


いつものように前置きが長くなりましたが、

先日、季節の変わり目ということで着物の桐箪笥を整理していました。

母と二人でやったのですが、「成人式の時の振袖が無い!!どこいった?!
二人で探しました。

結果、見つかったのですが、鞄に入れたままになっていたのでちょっと皺がついていました。皺を伸ばすために 振袖を着物ハンガーにかけて、母が一言。

「・・・・。そろそろ、振袖の袖、切らないとねぇ~」
                        (注:振袖は結婚を機に、袖を切って訪問着に仕立て直したりします。)

えぇーーーーーーっ!!!

だってさ、振袖は「未婚若い」女性だったら着ていいんだよ?
私、未婚だけど?!


はっ

もしかして 私は 「未婚だけど もう若くない ってこと?!

そう言われてみると、なんだか来年30歳になる気がするねぇ、、、

嗚呼、、、もう振袖の年齢でもなくなってしまったのかぁ、、、

振袖の袖を切るなんて、「私まだ若いから、当分先だな」なんて漠然と思ってたのですが、、、 若いのは精神年齢だけで(若いというか幼い 泣) 実際の年齢は若くないじゃん、、、そういえば最近膝が痛い、、、

独女の皆様、一体いつ袖を切りますか、、、、?



↓ 振袖を着た10年前の成人式 
 
成人式のちゃんとした写真なのに、アホ面な私、、、
箸が転げてもおかしい年頃だったらしい。


私は30歳になったら、30歳到達記念に振袖の袖を切ることにします。


インドカレー合宿?トンガ人化強化合宿?

2009-10-08 20:21:45 | 日本での暮らし・考える事・思う事
昨日、台風の中、協力隊トンガ隊員同期(ほぼ)のKネゴンちに泊り込んで、 インドカレーを作って食べた
まだまだ修行が足りないが、まあ おいしくできただよ
メニューは 先日 けつおから送られてきたスパイスを使いまくって
サンバル、エッグカレー、ポリヤル、チャパティ、チャイ でしたあ

全てを平らげた後、もちろんお菓子タイムに突入し、ゴロゴロタイムへ突入。
ぬはっい、いかん 

今回の合宿は、同じく同期隊員Yうちゃんの結婚式パーティーの出し物の練習がメインなのだ
食べて寝ているだけだったら、いつもと変わらないではないか
で、Kねごんと おいらは その後がんばって何度も練習したのでした

夜中に、「信じられないことが起きた。 お腹すいてきた!!」というKねごんの定番台詞を聞きながら 深夜2時までがんばりました 
あ、最後の方はほとんどトンガの写真を見て思い出に浸っていただけだがてへっ
結婚パーティーまで あとちょっと!!

がんばるぞー おーっ

今度は トンガ料理合宿もしなくては
プチグローバルフェスタだね。

インドからの贈り物

2009-10-07 00:31:15 | インド 生活

インドに住んでいる地元仲間 けつお(女性)から、誕生日プレゼントが届いた!!

ちなみに、けつおは小学校の時私が所属していたサッカーチームのキャプテン。
幼き頃、私はこっそり彼女の教科書などに、彼女の似顔絵やら う●この絵などを描きまくったりしていたらしいが、残念ながら思い出せない。

とにかく、超大事な仲間!いや 地元仲間は家族のような存在!
インドにいる時も 言葉では表せないくらいお世話になった。
今思い出すだけでも 涙でる。

そんな 熱い女 けつおから 誕生日プレゼントが届いた(^^)
しかも でっかいダンボールが!!


インドらしく、ダンボールが布で包まれていた。懐かしい。

で、ドキドキしながらダンボールを開けると、

ジャーーーーン!!
 

わぉ!!! 私好みのものが盛りだくさん!!
(既にスナックはいくつか食べてしまったので写っていないが、、、)

いや、それ以上に、「こんなにたくさん、、、、大変だったろうに、、、
(ナウシカの台詞より)

新型インフルエンザの影響で外出がままならないのに、こんなにたくさんのものを買い集めてくれて、、、私の好きそうなもの選んでくれて、、、、
送るだけでも大変だったろうに、、、、




けつお 「プレゼント 何がいい?」 

    「チャイマサラ!」 (注:チャイに入れるスパイスがミックスされたもの)

と答えたら、、、、

届いたのは チャイマサラだけじゃなかった、、、、


そのうち いくつかをごらんあれ!

まずは コレ!! コレなんでしょう??


 
これは スパイスボックスなんです! 私は最初 カレー食べる器かと思った(笑)

しかも これ、ただのスパイスボックスじゃない!

なんと、、、、




私の名前入り!!!
しかも 「きょうこ」 の 「よ」が ヒンディー語(マラティ語?)調という、ナイスデザイン!!
どうやら「よ」は難しかったらしい。


 
ボックスの側面にも名前が彫ってある!こちらの「よ」も注目!

すっげー 嬉しい!これ、まじで嬉しい!
けつおは たくさんのスパイスを送ってくれたので、是非このボックスに入れて大事に使おう。

あとねえ、これ! ↓

シャルクカーンのCD!! シャルクカーン知ってる日本人ってどれくらいいるのかな?
インドじゃ超有名なんだおーーーーっ 
アメリカのTIME誌に 「最も熱い男」のうちの1人に選ばれたんだってよ?

他にも スラムドッグミリオネアの音楽を作った人のCDとか、
懐かしいインドのスナック、ヌードル、それから私の大好きなインド料理“ウップマ”とか

あと ↓これ!!インドのステッカー!


これ↑ かなり凄いよ。インドの各地方の民族衣装だよ。
これ今度 母校の大学に行った時 教授に見せよう(私は大学時 東洋史専攻だった)


こんなのもある。ヨガ。 かわいーーーーーっ

↓これは SHIVAJIって書いてあるから シバ神の生い立ちなのかなあ?



よく見ると、、、


子供向けであろうステッカーなのに リアルだなあ。

 
!!
ちと リアルすぎやしないかい?

あとね、気に入ったのこれ↓ 題名 「Our helpers」

 




お医者さんの顔、ゴルゴ13に出てくる人みたい


  
すっげー がんばって洗濯してる。



ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ 気に入った!!

何よりも、こうやって一つ一つ私のために買ってくれて、
大変な思いをして送ってくれたということが

すごく嬉しいし、すごく感動した。

友よ、、、、本当に 本当に ありがとう!!!



チャイカップと コースター 

すっごい カワユス

チャイマサラと紅茶の葉っぱも届いたのだ~

誰かうちに遊びに来てーーーーっ このグラスにチャイいれてお出しします!

しばらくインド三昧な日々を楽しみたいと思いまーす


グローバルフェスタに行ってきた

2009-10-03 23:49:16 | 日本での暮らし・考える事・思う事
今日は三線のお稽古の後に、日比谷公園で行われているグローバルフェスタに行ってきた。

昨日、サモア沖地震義援金を行っているパシフィックインターナショナル株式会社様に電話をしたときに、
「明日のグローバルフェスタにサモアOV会のブースが出て、そこにサモア人が駆けつけて募金活動をする予定らしいですよ。」と聞いたので、きっとインドネシアのスマトラ島沖地震の募金もやってるだろうなと思い、行ってきた。

小雨が降っていたけれど、たくさんの人が来場していた。

ブースがたくさんありすぎて、探すのが大変だったが、
まずは インドネシアのNGOが募金をやっているのを発見。募金する。

その後、協力隊サモアOV会のブースを探す。

うぅーーーー 背負ってるマイ三線が重いよーっ
ウロチョロしていたら、

お!?

懐かしいSouth Pacific の雰囲気が! 

ポリネシアの雰囲気が!


協力隊サモアOV会のブースの前で、サモア人4人が、一生懸命声を上げて募金活動をしているのを発見しました。

 私はトンガの協力隊OVで、以前サモアにも行ったことがある旨説明すると、
「OH!!Really!! You should come to my country again!!」 と元気に答えてくれた。

You should come to my country again.

その前向きで 元気な言葉に、こちらが励まされる。

津波のニュースを聞いてびっくりしたこと、ショックだったことなどを話す。

そして募金をすると、 「ファアフェターイ!!(ありがとう)」 懐かしいサモア語。 

サモア語とトンガ語は とっても似ているのです。
そして 何度も何度も 「Thank you very much!」「ファアフェタイ!」と言ってくれました。

そして また一生懸命声を出して募金を呼びかけていました。


ポリネシアの人達ってね、非常にのんびりとした雰囲気の中で暮らしているから、非常に疲れやすいんです。

この前日本に来た私の教え子ピネなんかは
「国際交流基金のプログラムでどこかを観光すると、一つの観光地で歩く量がハンパ無い。たぶん、築地内を歩いただけで、エウアの島の端から端まで歩いたのと同じくらいだよーーーーすっごい 疲れたと言っていたくらい。

そんなポリネシアの人々ですが 今日 小雨の降る中、サモア人はがんばっていました。

彼らの熱い思いが、サモアの地に届けられることを心から願いました。


背負ってる三線が肩に食い込み、人ごみでフラフラしてきたので
JICAのキャリア相談を受けて すぐ帰路につきました。

キャリア相談で 「せっかく4年間も日本語教師やってきたのに転職するの?!もったいない!」と言われた。
だってーーーーっ 土日の休みも授業準備に使うくらいすっごい仕事大変なのに、薄給すぎるんですよっ 日本語教師っ 
次に事故遭ったり大病を患ったりしたら破産しちゃうよ、、、
あたしだってー 辞めたくないよー 

サモアOV会のブースで食べたパンケケおいしかった。
トンガのケケも食べたいなぁ、、、

サモア沖地震義援金 

2009-10-02 14:38:16 | トンガ 青年海外協力隊活動記

9月30日サモア沖地震が起きました。

日本でも報道されているので、みなさんご存知だと思いますが
サモア、米領サモア、トンガで、津波が起き犠牲者が出ています。

サモアは、トンガでの活動が終わり日本に帰る途中に1週間ほど滞在しました。
短い滞在でしたが、トンガと同じポリネシアの文化であり、フレンドリーな国民性を持つサモアの人々に親しみを感じ、是非また訪れたいなと思うような素敵な国でした。
滞在中は、協力隊サモア隊員の方々や、そのお友達のサモア人の人達にお世話になりました。





あのフレンドリーで のんびりとした おだやかな国が、
場所によっては7mもの高さの波に襲われたのかと思うと、、、非常にショックでした。言葉がありません、、、

自分にできることはないか、、、とサモアやトンガの知人に問い合わせまくっていたところ、現役トンガ隊員SAEさんから、情報が入りました。


協和海運株式会社、パシフィックインターナショナル株式会社、青年海外協力隊OV会の三団体が発起人となり、サモア地震義援金を行っています。

以下 パシフィックインターナショナル株式会社 様のWeb site から転用。


     当社および日頃サモアにお世話になっている有志が発起人となり、
     サモア独立国とご縁がある企業、及び個人の方々よりの義援金の
     受け付けを始めました。
     美しいサモアの村が一日も早く復興できるよう、皆様の御協力を
     お願い申し上げます。

      ■義援金振込先: 三菱東京UFJ 銀行 新富町支店
      普通 0019685 サモア地震義援金口座


同社に問い合わせたところ、トンガへの義援金の予定は今はまだないとのこと。
(サモアの被害規模が大きすぎるので。)
あと、明日のグローバルフェスタにサモアのブースが出店し、サモア人(おそらく大使館関係?)の方がいらっしゃるとのことでした。

それにしても、この対応の素早さ。すごいな、、、と思いました。






そして トンガでの被害。

このブログには書きませんでしたが、実はトンガでは今年8月初めにも非常に悲しい事故が起きています。
島嶼国であるトンガにて、本島と離島を繋ぐプリンセスアシカ号という船の転覆事故でした。149名の犠牲者の中には、知人も含まれており、衝撃でした。
しかし日本で自分は何もすることができず、先日、高野山にいって冥福を祈ること、船が引き上げられることを祈るしかありませんでした。

そして 今回の津波被害。
トンガでは、ニウアトプタプというサモアに近い島で津波があり、6名が亡くなり、4名が行方不明です。

Matangi Tonga (トンガの新聞のWeb site)より
トンガ政政府のオフィシャルサイトより


私はニウアトプタプにも行ったことがあります。
1週間ほどの滞在でしたが、エウアを小さくしたような島で、人と人との繋がりが深く、
すぐ私も村の仲間になれるようなあたたかい島でした。
毎日のように、島の子供と海や池で泳いだり、山に登ったり、夜はカバでトウアをしたり、トンガの楽しさを凝縮したような島でした。

ニウアトプタプ記        




あの優しくて、あたたかくて、のんびりとして、おだやかな島に、大きな波が押し寄せたかと思うと胸がつまります。
どれほど恐かったことか、、、、
今 いろいろなところに問い合わせていますが ニウアトプタプへの義援金に関しての詳細はまだわかりません。
協力隊トンガOV会は ないので、、、、 やっぱりあったほうがいいよなぁ、、、

まだ被害状況の詳細もわかっていませんから これからいろんな対応が決まってくることと思います。(現在は ようやく軍の船が到着した段階)


トンガの船の転覆事故、 今回の津波被害。

今年は自分と深い関わりのある国での悲しい事故が相次ぐ、、、

本当に 恐い。本当に 悲しい。

津波被害の救助、救援活動が スムーズに行われることを祈っています。
今回もまた、義援金以外は祈ることしかできないけれど、、、

サモア沖地震と同じ日に、スマトラ島沖地震も起こり、なんだか動揺することばかりですね、、、

被害に遭われた方、負傷された方、悲しみの中にいる方、
すべての方たちに まずは落ち着ける場所が確保されますことを願っています。


トンガの学生との感動の再会 (涙の最終日)

2009-10-01 03:16:34 | トンガ 青年海外協力隊活動記

再会二日目その1 その2、彼女たちを交流基金まで送り届け、帰路に着いた私。一時間電車に乗って最寄り駅で降り、99円ショップとコンビニに立ち寄りお菓子を大人買い!!で、歩いて自宅に帰り 急いで始めました。

そう、荷造りを。

教え子ピネと再会して、本当に嬉しかった。
自分が教えた子の笑顔を日本で見られるなんて、、、。こんな幸せ、他にない。

でもね、

私はピネの笑顔の後ろに、今回は日本に来られなかったエウア高校のピネ以外の学生達の顔も浮かぶんです

私の教え子はピネだけじゃないの。 かわいくって仕方ないのはピネだけじゃないの。

自分の教え子 みぃーーーーーーんな どうしようもなく 可愛いんだよ。

だからね、少しでも日本の風を届けたくて、煎餅や飴を大人買いして ピネに持っていってもらおうと思ったんです。

もちろんピネには「他の学生達へのお土産を明日渡すから、ちゃんと持って行ってね。」と了解済み。
ピネ自身の荷物もあるので、そんなにたくさんの量は渡せなかったけど、重量オーバーにならない程度ギリギリ詰める。

で、お菓子だけじゃなくて、やっぱり手紙も書きたい。
特にピネといっしょに Form6(6年生)で勉強しているタリア
スポーツ万能だけど、勉強はイマイチなタリア。でもいっつも一生懸命勉強してたタリア。今年のForm6の学生は ピネとタリアだけ。 ピネは日本に来たけど、タリアは来れなかった。でも タリアもタリアなりに頑張ってるの知ってるし、Form6まで進級できたこと自体快挙なので、ちょっとしたプレゼントと手紙を書いて同梱する。

んで、もちろん、このピネ来日の幸せを作ってくれた私の後任、MちゃんへのMea`ofa!!
これは外せない!

それからぁ~ 私が敬愛する校長先生オケティへ、日本でのピネの様子を書き綴った手紙も渡さなくちゃいけないしぃ~
その手紙に私の写真と 私の前任者の写真も入れたいしぃ~
8月にトンガ沖で起きた船転覆事故で家族を失った同僚にも手紙を書きたい。

              そんなことをやっていたら、

                 気がついたらっ
              時刻3時!!!
                   !!

ピネ達はその日、交流基金のロビーに7時15分に集合、8時前に大阪へと出発という予定だったので、私は 朝5時に家を出て国際交流基金へ行かなくてはいけない!
ギャーッ もう眠れない! 
電気つけたまま 1時間 ウトウトして 出発!

交流基金には7時過ぎに着いた。

ピネ 「オハヨゴザイマス!!キョコー!」
私  「おはようございます!眠いですね(笑)」 

ピネとダリーンさんと私で、昨日の楽しかった思い出で盛り上がる。 あれが楽しかった。おいしかった。かっこよかった(笑)などなど。

すると、ダリーンさんが、もぞもぞ何かを取り出した。

ダリーン 「This is for you! 」 

差し出されたのは、↓これ。

髪飾りと 貝のネックレス。

ダリーン 「These are from my country! 
       I really thank you . I enjoyed very much yesterday.」
そういって ネックレスを付けてくれた。髪飾りも。

すると ピネも鞄から何かを取り出す。


 トンガンバックと ネックレスとピアス。

ピネ 「キョコ! Mea`ofa!! Malo `aupito!」 と言って 渡してくれた。

そうか、、、、、

そうだったよね、、、、、、

なんか すっかり頭から抜けてた。 Mea`ofa 文化
そう、トンガでは、去りゆく人にプレゼント(Mea`ofa)を必ず渡す文化。
私がトンガから帰国するときも、相当な量のMea`ofaをもらったっけ。

きっと このMea`ofa文化は トンガだけじゃなくてマーシャルにもあるんだろうね。
大洋州、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアでは 共通の文化なのかも。

すっかりMea`ofa文化を忘れていたので、まさか二人が私にプレゼントを用意してるなんて思ってもいなかった。

油断してただけに、一気に涙腺が、、、、

ピネとダリーンさんは、何度も昨日のお礼を言ってくれた。

「お礼なんていわなくていいのよ。
 私達 日本人がやりたくてやったことなんだよ。
 それに 私たちは “友達”でしょ? 当たり前のことだよ。
 こちらこそ こんなに楽しい時間を二人からもらえて 
 さらに こんなに綺麗なプレゼントをもらって本当に感謝してるよ。」

涙こらえて そういった。


それにしても、、、、
7時15分ロビー集合の割には、ピネさんとダリーンさんしかロビーにいないね、、、

ピネ 「Oh! キョコ!Sorry!!It is not 7:15!!It's 7:45!! We were wrong!」

おぉおおおおおおっぉおおおい!!!
お前らぁぁぁーーーー(笑)!!

South Pacific--------!!! なんだよ、じゃあ、もっと寝れたじゃねえかあー!

三人で大爆笑。 でも おかげで長い時間 話せたからよかったよね。

それにしても 話がつきない。

でも時間は過ぎてゆく。

「では、みなさん バスに移動してください!」 
交流基金のスタッフの人が言う。

私 「ピネさん、これ、Mea`ofa to the students and teacher of EHS ね。」

と 昨晩 夜な夜な作った荷物を手渡すと、 ピネ びっくり!!

ピネ 「Oh!!!! キョコー、、、、、 アリガトゴザイマス、、、、、」
私  「Please send my love to all of them ね。」
ピネ 「はい、、、 キョコ?アリガトゴザイマス。」

 
二日目は カメラが壊れて写真をほとんど撮っていないピネの為に、ピネと日本の風景ばっかり写真にとって 私とピネがいっしょに写ってる写真がほとんどなかったので 最終日2ショットをパチリ!!

バスに荷物を載せて、ここでも もう一枚!
 
この日ダリーンさんは マーシャルのドレスを着ていた。とっても綺麗!
私の右隣はバヌアツの子。この子もピネの友達。 みーんな South pacfic

バスに荷物を載せた後、出発まで時間があったので、
最後はピネと ALLトンガ語で 話しまくった。

別れの時間が近づけば近づくほど ピネは何度も
「Haue-  Fiekai ヤキニク!」
(ああー ヤキニク食べたい!)

「Teu nofo heni fakataha mo koe!! 」
 (私、恭子といっしょにここに残る!)

「Haue---------! Kioko, teu tangi au,,,,  teu tangi lahi.」
 (あららー 恭子、私 泣いちゃうよ。すっごい泣いちゃうよ。)

って 言っていた。

その返しは お決まりのトンガンジョークで、

「Haue-- Tangi loi eeeeee???(笑)」(あらら、嘘泣きでしょ?)と返したけど、

ごめんっ!!そう言ってる私が泣いちゃいそう!

私 「Sai pe,,, te ta toe fetaulaki i tonga pe siapani! 
    Te ke toe hau ki Siapani e?」

    (でも大丈夫。また日本かトンガで会うしね!ピネはまた日本に来るでしょ?)

ピネ「Io!!!! ワタシ ニホンセンセイ ナリマス。 teu hau ki Siapani!」
    (うん!!私は日本語の先生になるんだ!そして また日本に来るの!)

そう言って、七夕の短冊に「日本語の先生になりたいです。」って書いたことを教えてくれた。

バスがもうすぐ出発するというので、
固く固く ハグして ウマ(キス)して ピネはバスに乗り込んだ、、、、、、
かと思ったら、
「Haue-----!」とか言って また戻ってきた(笑)
で、また手を繋いで おしゃべりして ハグして ウマして、バスに乗り込、、、まないで また 「Haue----」って言って戻ってきた。(笑)

それを何度か繰り返して ピネはバスに乗った。

バスに乗ってからも、読唇術を使って(トンガ人は読唇術ができる) 会話を楽しむ私たち。 口パク会話で 大笑いの私たち。

最後の最後まで 全身で感情を表すピネ。

そんな私たちを 不思議そうに眺めるバスの運転手さん(笑)

で、バスが出る直前、バスの窓が開くことが判明!ピネが 窓を開けた。

私 「ピネさん、I am really really proud of you!!
    You are doing gread job!Be proud of yourself!
    And , Once my students, forever my students ね!
    忘れないで下さいね!!」

大声で叫んだ。

ピネ 「はいーーーーー!!! キョコーーーーー!!! アリガトオーーー!」

バスが出発。バスは、交流基金の敷地を出るまで徐行運転だったので、私はバスの後をついていった。

ピネは 窓から顔をだして すっごい笑顔で バスが敷地を出て 見えなくなるまで  ずーっと ずーーーっと 手を振っていた。 

小さな窓から身を乗り出して 笑顔で一生懸命手を振っているピネを見て
私は泣いた。もう我慢できません。

                    

「`Ofa atu eeeeeeeeeee!!  KIOKO eeeeeeeeeeeee----!!!」
 (大好きだよーーー!きょうこーーー!!)

「`Ofa atu eeeeeeeeeee!!  Pine eeeeeeeeeeeee----!!!」
  (大好きだよーーー! ピネーーー!!)

バスが見えなくなるまで トンガ流の 「バイバイ」を叫びながら。

こうして ピネは東京を去り、大阪の研修所へ戻り、そこで1週間滞在し、
途中で私の前任者Hさんと トンガ高校の元教師Rちゃんとも再会したりして、
これ以上ないくらいエンジョイして、日本を去っていきました。

ピネとの再会は、
私の人生の中で、こんなに幸せなことが起きるなんて予想もしていなかった。
こんなに嬉しくて こんなに幸せなことを経験できるなんて。
やっぱり トンガの教え子のことは、一生忘れられないなぁ。
なんて思った出来事だった。


一生懸命勉強して、自分で手に入れた日本への切符。
南の島トンガの これまた小さな田舎島エウア島から 初めて海外へ飛び出した。
いろーーーーーんなことを 18歳のピネは経験した。
楽しいことも 面白いことも たあーーーーくさん経験したけど、戸惑うこともきっと たくさんあった。

エウア島とは 全く違った大都会を体験し、驚くこともあった。
街ゆく人々を見て「なんで あの人笑ってないの?」と私に聞いたりもした。
日本に着いた初日なんかは ホームシックで泣いちゃった。
プログラム参加者の日本語レベルが高くて びっくりした。

それでも むちゃくちゃ大笑いして そういう戸惑いなんかも 笑いのネタになんかしたりして 自分なりに飲みこんでいったピネ。
そして 「絶対 また 日本に来たい!」って言ったピネ。
その顔を見れば、その気持ちに嘘がないこと よくわかる。

この滞在で、日本語学習のモチベーションが数十倍高まったのも よくよくよーーーくわかった。極端なくらい モチベーション上がってるなあって思ったよ。

でもね、大切なのは日本語レベルの向上じゃない。
トンガからやってきた学生であるピネにとって 大切なのは 
異文化に触れて 人として大きく成長すること
異国の地で、異国の人と ともに笑い合うこと。

ピネは たくさん笑ったね。 たくさんの日本人と笑ったね。プログラムに参加している世界各国の人と笑ったね。ピネは みんなに笑顔をプレゼントしてたね。笑わせてたね。

彼女は 日本に来ていろんなことを学んだのでしょう。
そして 同時に、私たち日本人も 彼女からいろんなことを学びました。

トンガ人であることに誇りを持ち、トンガの服や習慣を全面に出していたピネ。
日本の子供を 抱きしめてキスしたピネ。
障害者の人に 「私は障害者の人達のこと大切にしたいんだ」と 自己紹介をしにいったピネ。

私はピネから たくさんのことを 学びました。
ピネ、 本当に ありがとう。そして よく がんばったね。  

あなたは 私の誇りです。 
トンガの学生は みんな私の誇りです。
そして 一生 私の学生です。

そして このたびのピネ来日に携わった全ての方々、本当に有難うございました。
何より後任のMちゃんのあたたかい指導が ピネの来日へと繋がったのは言うまでもありません。Malo `aupitp `aupito!!