せっかくアップしたのに、何故か記事の内容が消えていた。ちきしょーっ
もう一度同じ内容を書くのがめんどくさいので かいつまんで書きます。
クイロンからアレッピーまでのバックウォーターツアー(7時間)を楽しんだ後、その夜はアレッピーの宿に宿泊。一泊300ルピー。安宿でもこれくらいかかっちゃう。北インドはこの半額くらいだったんだけどなあ。でも なかなかいい宿だった。
翌朝また早起きをし、アレッピーからバスで2時間の、コーチンへと向かう。
コーチンのバススタンドは、エルナクラムという地区にあります。
エルナクラムにも宿はたくさんあるんだけど、せっかくコーチンに泊まるなら、是非フォートコーチン地区に泊まりましょう。
フォートコーチン地区までは、エルナクラムから船で10分。
↓こんな船に乗って フォートコーチン地区へ!
コーチンは、16,17世紀、ポルトガル、オランダの占領下にありました。その当時の建物等が多く残っているのがフォートコーチン地区。観光の見所も集中してるし、何より、町並みがヨーロッパとオリエンタルの融合という雰囲気で素敵。
↓ 宿も こんなかんじで ギザ カワユス。
↓ エントランス内部。こじんまりしてるけど、安宿でこの清潔感。このレベル。
ギザ 合格ユス。
↓こんなような建物が 町中あちらこちらに。
ヨーロピアンな建物とアジアンなブーゲンビリアが ベストマッチ!
おいら ブーゲンビリアって大好きなんだよねー
↓普段住んでいるところ(ケランバッカム)では決して見かけない観光客向けのお土産の品々。カラフル。ナイスカラフル!このタペストリーは たぶん北西インドの品だと思うんだよね。古いサリー生地でパッチワークをつくるのよ。全体的にお土産も北の製品が多かった。店員も北の人が多かった。改めてここは観光地なのだと実感。
↓ いつも見慣れてる神様の像すら おしゃれにギザ見えユス。
↓ はい、こちらはコーチン名物チャイニーズフィッシングネット!
このチャイニーズフィッシングネットを使う漁法は、ケーララ特有なのだとか。
「ケーララの魚は旨い!」とインド人が皆口をそろえて言うその魚はこうやって採られます。
↓ こちらは聖フランシス教会。ポルトガルが経てた教会です。
ケーララ州にはやたらと教会が多い。ヒンドゥー寺院より目立ってる。
植民地時代の影響ですね。
↓ この教会。なんと、内部にかの有名なヴァスコダガマ氏の墓があるのだ!
現在は 遺体はポルトガルに安置されているらしいです。
ヴァスコダガマ氏は、ポルトガルインド領の総督として3度目の渡印を果たした後、ここコーチンでマラリアに感染してこの世を去ったのです。
前々から、いつかここに来てみたかったので、叶ってよかった。ゴアには確かザビエルさんのお墓があるんだよね。そちらも行ってみたいが、今 ゴアはテロの次のターゲット候補として挙げられているので、無理だな。
↓ はい、ところかわって、こちらはJew Town(ユダヤ人町)です!
写真は ユダヤの星が描かれているの骨董品屋さん。
ユダヤ人は紀元1世紀に、古代ローマ帝国に国を滅ぼされた後、世界中に散らばったわけですが、ここインドのコーチンにもユダヤ人は移住してきました。
現在は、ほとんどがイスラエルに帰国してしまい、数家族しかここに残っていないといいます。
確かに 町並みも「ユダヤ教」らしさと言ったら、壁にユダヤの星が描かれていることぐらいで、歩いている人もインド人だし、雰囲気もインドのほかの町とたいして変わらない。
それでも一時期は、ここコーチンにユダヤ人町を作り、香辛料貿易を一手に引き受けるほど賑わっていたらしい。
↓ スパイス屋さん。
↓ 何故か ユダヤ人町には 骨董品屋が多かった。
↓ ナイスお面たち
↓ 壁の色と 置物の配置が 素敵。
↓ 味のある骨董品屋さん。
夕方になるまで 一人で 徒歩でうろうろしていたら、あやうく日射病になるところだった。すっかり水分を採る事を忘れていたのだ。
そんなときは、ミリンダ!! ミリンダと言って、わかってくれる日本人はどのくらいいるんだろう。。。。
さて、夕方からは 念願のカタカリダンスショーです!(ケーララの伝統舞踊)
ショー会場に行って、またうろちょろしていると、「ニホンジンのカタデスカ?」と声をかけられる。
昨日に引き続き また? でも今回はSPEED 歌ってない。
振り返ると 白人の男性が立っていた。
「はい 日本人です。」と答えると、
「アア ヤッパリ! Y チャーーーン! コチラ ニホンノカタ!」と奥さん(Yちゃん と呼んでいた)を呼んでくれた。
そうこの白人男性は、日本人の奥様(Yちゃん)を持つ、アメリカ人でEさんという方でした。Eさんは、なんと皮膚科医さんで、バンガロールの学会でスピーチをした後、ちょっと南インドを旅行しているのだそうです。
すてきな ご夫婦でしたー
このダンスショーは ダンサーのメイクアップから観ることができるので、メイクアップを観に、Eさんご夫婦と会場に向かう。
会場では メイクアップをしているダンサーを囲んで観光客が写真を取りまくっていた。私とEさんもそれに加わる。
すると Eさん 結構大きな声でこういった。
「ヒダリニ ミエマスノハァ~ デントーテキナァー ケイタイデンワ デース!」
なに? なに? なんて? ↓ 左に見えますのは 伝統的な?
確かに! ↑ 携帯電話!!
そうよねー ちょっと隠して欲しいわよねー 形態とかさ。
一応伝統的なダンスを踊る人なんだからさっ
しかし Eさん。日本語だけでなく 笑いのツボも抑えている。。。 ジェラシィー
1時間ほどメイクアップを観た後、ようやくダンスショースタート。
↓まずは若い踊り子達のダンス。ちみたち、若いのに 上手だねえ。
↓ 特に真ん中の小太りの坊や。小太りのくせに 上手だねえ。
インドの人がお化粧をすると、ヒンドゥーの神様の顔と同じになるよね。美男美女が多いよ、インドは。みんな顔が濃いよ。私も幼い頃から「顔が濃い」といわれてきたが、ここインドでは 薄いよ。日本じゃ私はソース顔だけど インドじゃしょーーゆ顔。
↓ はい、念願のカタカリダンス!!!
カタカリは、ダンスというより、動きや表情で、喜怒哀楽、嫉妬、恨み、恋慕などの感情を表す感じでした。
演目は 古代叙事詩のラーマヤナとか マハーバラタとかがよく使われるらしい。
ヒーローは 緑色の顔をしているダンサーで 悪役は黄色い顔をしているダンサーなんだとか。
え?
感想?
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
I MA I CHI でした。すんません。
同じショーを観たEさんご夫婦は大絶賛してたけど、
私はこれまで、いろんな国で、いろんな伝統的なダンスを見てきたから
ついついその完成度を比べちゃうんだよね。
あんまり完成度が高くなかった。
何より、メインダンサー(緑の顔)つまりヒーロー役の演者が、へたくそだった。
演目中に、何度も自分の顔を鏡でチェックしてるし、、、。興ざめ~
しかも カタカリダンスってさ、ヒーロー役はさ、白目に赤インク入れて赤目にするのが有名なのね。でもこのダンサーは それ やってなかたし。
でも女形(黄色顔)つまり適役を演じた人(写真右)の演技力はすばらしかった。
でも メインのダンサーが下手くそだったから 全体の質が下がっている感じ。
あー 残念だなあ。違う場所でショーを観ればよかったかなー なんて思ってたら 気がついたら演目が変わっていた。
正体不明の こんなの↓ が 客席を縦横無尽に走り回っていた!
なに?! あんた 誰?!
しかも この正体不明の蝶々顔は、敢えて 禿げ頭、もしくは 禿げ頭予備軍の男性を狙って、頭を ペシペシしまくっていた!!
どーいうことやねん?! 何がしたいんだ?!
やめとけ やめとけ。
男って デリケートだから 今は笑ってても、宿に戻った後 凹むぜ。きっと。
この蝶々顔、懲りずに ひたすら 禿げ頭を ぺシペシして おどりながら去っていった。
一体なんだったんだのだろう。 あの踊りは。。
あんだけ 禿げ頭を ペシペシったのに、ショーは無事に終了。
↑ 全員並ぶと 美しいですね。あでやかー
↓関係ないけど、ショーの帰りに見つけた ガネーシャ(象頭の神様)のチェス。かわいい。
この夜は、Eさんご夫婦にディナーに誘っていただいた。
しかも場所は Eさんご夫婦が泊まっている 高級ホテーーーール
あー 旅行中だからちょっと多めにお金持っててよかったわあー と内心ヒヤヒヤしていた私ですが、結果 なんと全てEさんのおごりでした!!
おおおおおおお!
ついている!
2009年、私はついている!
なんなんだ、この2008年末との違いは!
しあわせー
Eさんご夫婦は 私の両親とほぼ同じ年齢。
海外にいるとさー なんでも自分でやんなきゃいけないし、誰かに気軽に頼っちゃいけないからさー こういう自分の両親と同じくらいの年のご夫婦に会ってさ、いろいろ心配されたするとさー なんか 素直に嬉しいよねー
心が 癒される。
Eさんご夫婦とは いろんな話をして盛り上がった。
年上の方のお話は本当に ためになる。
「人生」「結婚」「夫婦」それぞれに 哲学があるんだなあ と思った。
旅とは不思議なもので、カメラマンさんと出会ったときもそうだったけど、Eさんご夫婦と出会って、何気ない会話の中から、ちょっとしたきっかけで、自分が今求めている人生のヒントがもらえたりする。
まさに たまねぎですよ。こういう出会いは。
とても楽しいディナーでした。
こうしてコーチンの夜はふけ、翌日の朝5時に起きてバスのチケットをゲットし、(また「満席」だったのに ねばったら 席確保に成功。) また22時間近くかけてチェンナイにもどりました。
いやあー いい旅でした。 ケーララを5日間(移動時間を抜いたら実質3日間)で観光するのは、かなり無謀で、もう少しゆっくり一つ一つの町を楽しみたかったけど、
でも 十分 ケーララを満喫できた!!
ケーララの あったかくって ピュアで おちゃめで 素朴な インド人に 癒された旅だった。
確かに 観光地では 観光地ずれしているインド人も多い。でもそんな時、現地の言葉(マリヤラム語)で挨拶してみましょう。
客引きのおじちゃんも、自分がすっかり客引きだってことを忘れて、
「Oh! You speak マリヤラム!」と 大喜びし 「Friend! Friend!」と 仲良しになります。そんなところが 南インドのいいところです。
↓ 帰りのバスから見た風景
帰りのバスの窓から、広大な田園風景を見て、
インド、、、、、、 いいなあ、、、、、、、、
と じわーーーっと思った。
この美しい田園風景に 溶け込んでいる人々の生活の様子が、本当に美しかった。
稲を刈る村の人達、子供の手を引くお母さん、隣近所で井戸端会議をしているおばちゃんたち、すっぽんぽんで池に飛び込む子供たち。
インドの空はきれいじゃないけど、夕焼けはきれいだ。
その橙の夕焼けの田園風景に、インドのあったかい家族の様子が溶け込んで
ジーーーーーーン
とした。
日本は 「家族」という単位を軽視する社会になってしまった。特に若者は、「家族」を大事にすることを ダサいと思ったりしている。
でも トンガやインドといった、家族の結びつきの深い国で暮らしていると、
「家族」という単位が「大切」以上のものに思えてくる。
「大切」じゃなくて 生きる「基本」。
現代社会は、家族を大事にすることで伴う煩わしさを否定しがちだけど、
そういう煩わしさから逃げてしまえば 生きることで本当に大事な何かを失うことになる。
もっと 日本は こういった国々に学ぶべき。
私も いろーーーーーーーんなことを 学んできた。
学ぶというか、こういう風景を見て、昔の日本を思いだすべき。
こういうときは ハナレグミの 「家族の風景」が聞きたいな。
私の住んでいるタミルナードゥー州では、1月にポンガル(収穫祭)という行事があり、その期間(だいたい3,4日間)は休みになります。
昨年末に大学に「1月のポンガル休みはいつからいつまでですか。」という問い合わせをしました。
大学からの返答→「年が明けて、2009年のカレンダーが出来てから出ないとわからない。」
アーマ アーマ。(はい、はい)
ここはインドです。数週間先の予定を知ろうとしたあたしが間違ってました。
で、年が明けて、2009年のカレンダーが巷に出回り始めました。
しかしカレンダーによって休みの期間が違う。。。
むむむ、手ごわいな。インドよ。
休みの予定が、全く立てられん。
で、ポンガル休みがいつから始まるのか、大学が正式にアナウンスしたのは、休みが始まる2日前。
1月14日から18日までの5日間が休みになりました。
この期間、南に住むインド人は皆、故郷に帰ったりするので、バス、電車、飛行機すべての移動手段は 2週間前くらいからfull booked!!
それでも めげずに念願のケーララ旅行慣行!!
13日の夜、バスのチケット予約してないのに、とりあえずバスターミナルへ乗り込む。
人はこんな私を暴走族と呼ぶ。
んで、粘りに粘って、3時間後くらいに奇跡的にバスのチケットゲット!!
でも 「チケットは全て満席」のはずなのに、どうしてチケットがとれたのか 未だに謎。さすが、the country of wonder インドよ。
んで、13日の夜、夜行バスに乗って いざ ケーララ州 トリヴァンドラムへ向かう!!
今回の旅行日程はこちら。
13日 チェンナイ発(バス 21時発)
14日 トリヴァンドラム着(19時) トリヴァンドラム泊
15日 トリヴァンドラム発 ― クイロン着(バス 2時間)。
クイロンから バックウォーターツアー(クイロン発10時 ― アレッピー着17時)に参加
アレッピー泊
16日 アレッピー発 ― コーチン着(バス 2時間)。
コーチン観光 カタカリダンスショーを見る。 コーチン泊。
17日 コーチン発 (バス)
18日 チェンナイ着 (バス)
いやあ、さすがの私も、今回ばかりは18日までに無事にチェンナイに戻ってこられるか不安でした。なんせ、時期がインド人大移動のポンガルの真っ只中。
バス、電車、飛行機等の予約いっさいなしでしたから。
でも 最悪、バスの通路に座って帰ってこようと思ってたので焦りはなかったが、結果 むちゃくちゃスムーズに旅が出来た。
↑ 中距離バスちゃん
ただ、チェンナイからトリヴァンドラムまでは、通常17時間ほどなのに、なんと今回の所要時間、まさかの22時間。
ポンガル期間は、どうやらいつもよりバスの本数を増やしているらしく、チェンナイのバスターミナルでは、そこらじゅうに長距離バスが停車していた。
が、きっとあまり考えずに本数を増やしたのだろう。
バスターミナル内で大渋滞を起こし、バスがバスターミナルの出口から出られないというミラクル発生。 ひゃっほう!
21時発のバスに乗って、バスが道路を走り始めたのが22時半。
今までバックパッカーとして長距離バス、船、電車に乗ってきた。
でも 22時間もバスに乗り続けたのは初めてだった。
また一つ、経験値アップしたな。
22時間って、ほとんど1日じゃん。
また一つ、普通の女の子枠からはずれたな。
でも 私は長距離バス、船、電車の類が好きだ。隣に座った現地の人と仲良くなったり、窓の外の景色を見たりするのが好きだ。
だから実は22時間乗り続けても 苦じゃない。
で、トリヴァンドラムに着いたのが翌日の19時。
前回の旅(年末のカニヤークマリ旅行)で、宿に泊まれないという悲劇を味わったので、今回は前もって宿を予約した。 270ルピー(500円くらい)とちょっと高めだが仕方ない。
宿について 服を手洗いして すぐ寝る。
翌朝6時に起床。 トリヴァンドラムからバスに乗ってクイロンへ。
朝10時 クイロン発のバックウォーターツアーに参加する。
ケーララ州の海岸線(クイロン、アレッピー周辺)は無数の川と入り江がデルタ地形を形成している。バックウォーターとは、そういう地域のことを指す。
ここに住む人達は、木で作った手漕ぎボートを交通手段として使っている。
椰子の木、マンゴーの木、ハイビスカスの花があふれる風景の中を、ゆっくりと川が流れている。
↓ こんな感じ。 南インドはココナッツの木がたくさんあって、南国ムードを高めている。 トンガを思い出させる景色。
こういうのんびりとした場所で暮らしているインドの人達は、おだやかで ピュアで おちゃめで あたたかいのだ。
そういった地域を ボートに乗って川を下りながら見て行くというのがこのバックウォーターツアー。
↓ こんな船にのっていきます。
クイロンから船に乗り込んだ私は、この旅が非常に順調に進んでいたので、上機嫌だった。
上機嫌だったので、周りにいるのが白人観光客しかいなかったのをいいことに、
結構な音量で、SPEEDの「White Love」を歌っていた。
私の名誉のためにいっておくが、私は決してSPEEDファンではない。
が、You-tubeで2008年の紅白に出場したSPEEDの動画を見てから、何故かSPEEDを口ずさんでしまう私がいたのだ。
「は~て~しぃ~なぁ~いぃぃぃぃぃ~ あのくっも~の~ かなあ~た~へ~」と
島袋寛子になりきり ビブラートを聞かせて歌い、仁絵ちゃん並みに足でリズムをとっていた。
で、歌が架橋に差し掛かり、
島袋寛子の聞かせどころ
「てんっし~があああ くれたでああいいわああああーーーーー きっせーーーきーーーなんーーかーーーじゃ な ・ い ・ よおーーーーー」を成りきって歌っている時に
「すみません、日本の方ですか?」
と声を掛けられる。
・・・・・日本の方に決まってるじゃん。
SPEED歌っちゃうくらいなんだから 日本人に決まってるジャン。
どこのどなたか知りませんが、あなたも日本人ならば、せめて私が歌い終わって数十秒経ってから声をかけてくれませんか。
なんで SPEEDなんて歌っちゃったんだ。
なんで WHITE LOVEをチョイスしちゃったんだ。
ばかばか、あたしの ばか。
大後悔時代到来。
でも 動揺しているのを悟られないように 何事も無かったかのように
「はい、日本人です。」と答えた。
日本人ですけど 何か?
完全にSPEEDに成りきって歌ってたましたけど 何か?的なオーラをだしながら。
声を掛けてきたのは、なんと、日本人のプロカメラマンだった!!
私が30年前のふるーーーーい一眼レフのカメラを持っていたものだから、きっと話しかけてきてくれたのだろう。
決して、SPEEDを歌っていたからではない筈。
で、その方はすごく親切な人で、一眼レフの露出、シャッタースピードうんぬんを全く知らない私に一から教えてくれた。
ちなみに私の一眼レフは、露出計が壊れているので、自分で考えて設定しなくてはいけない。でも 今まで適当にやっていた。
が、彼の話を聞いて、自分で露出とシャッタースピードを考えて撮ることは、とんでもなく難しいことだということが判明した。
むーーーーー・・・・
でも プロのカメラマンの人にいろいろ話が聞けて非常にラッキーだった!
SPEEDを歌ったかいがあった。
そうこうしているうちに、船はどんどん進む。
川で魚を釣っている人達や
無駄に救命着を来て 水遊びをする若者達や
ハイビスカスの似合う照れやさんな女の子や
手漕ぎボートで何かを運ぶ 燻し銀のおっちゃんや
うっとりしている男子2名とか
バックウォーターに住む人々の のんびりとして あたたかく お茶目な暮らしを垣間見ることができた。
ここに住んでいる人達は、ほんとにピュアだった。
ちなみに、インドでは男性同士が手をつないで歩くのは普通です。
なので、上の写真で男2名がうっとりしていても ぜーーーんぜん 違和感がないのであります。
↓ なんとなく癒される風景
ちなみに このバックウォーターツアーは、ただ船に乗っているだけなのだが、一応ツアーなので、ガイドがいる。
このガイド氏。
非常にマイペース。 ガイドですが、ほとんど説明はしない。
ただ、カシューナッツの木とやらが見えるたびに、「This is カシューナッツ tree!」と何度も 何度も言っていた。
他に説明したことといえば、、、、
「This is マンゴー tree」
その他には、
「This is マンゴー tree」
その他には、
「This is マンゴー トゥ・・・しつこいっ!!一回言えばわかる!!
とにかく 彼は カシューナッツtreeと マンゴーtreeの説明がブームらしい。
いや、カシューナッツと マンゴーしか知らないのかもしれない。
カシューナッツを見つけるたびに、椅子から立ち上がり 、「This is カシューナッツ tree!」と叫んで 終了。
ガイドさんではなく カシューさんと呼ぼう。ナッツさんでもいいね。
で、そのナッツさん。 ランチタイムの後、すっごい静かになった。
この美しい風景を見て、さすがのナッツさんも 物思いにふけっているのかしら、、、、
と ナッツさんのほうをみたら、、、、
!!
寝てるっ!?
寝てるよね?!
この後、ナッツさんは、船が岸について 客に起こされるまで寝続けた。
バックウォーターツアーには 特にこれといって見所はない。
でも人々のあったかくってお茶目な姿を見て、とっても幸せな気持ちになった。
↓ 今回一番のショット。 川で洗濯をする女の人。 美しいねえ。
夕暮れ近くなると、学校帰りの小学生達がちらほら。
↓ 牧歌的な風景の中を 歩く兄弟。
↓ 「おにいちゃーーーーん 待ってよーーー!」みたいなことを言ってた。
↓ お出かけしてた家族も家路に着く。
ここに住む人達の生活の様子を、ちょびっと見せてもらうツアー。
でも 観光客向けに何かをアレンジしてるわけではない。
シンプルだけど あったかい生活。家族の結びつきが強い生活。
そんな生活を垣間見て、「いいなあ」とうらやましく思ってしまう。
どんなに国が発展しても、金銭的にいい暮らしをしても、結局人間が欲してるのは あったかい暮らし。だからあったかい人と人との繋がりがなきゃ、幸せを感じられないんだよなあ。
けど 発展してしまうと、そのあったかい暮らしを捨てなければいけない社会になってしまうんだよね。
インドは 新興国だけど、まだまだそのあったかい暮らしが残っているから大好きだ。
船で出会ったカメラマンさんが、私が元青年海外協力隊だったことを知り、こういった。
「僕も 今までいろんな国を旅してきた。でも僕は行く先々で、現地の人に優しさをもらってばかり、助けてもらってばかりなんだ。だから いつか協力隊のようなボランティアに参加して、今まで助けてくれた国に恩返しがしたいんだ。何かしたいんだよね。」
その言葉を聞いて、
ああ、私が協力隊に参加した動機って これだったんだよな。と思い出した。
バックパッカーで旅をして、いろんな国で いろんな人の優しさ、笑顔をもらった。
いつももらうばかりで、何一つ返せない。
こんな自分に何かできることはないだろうか。
発展してしまうと、人々からこのピュアで美しい笑顔がなくなってしまうことをしっているから、彼らの笑顔を守ることはできないだろうか。
自分に何かできることはないだろうか。
そう思ったのがきっかけだった。
カメラマンさんの一言で 自分の原点にもどった気がした。
一人旅というのは 実に面白いもので、その時の自分を反映する。
自分が内心欲しているものを ポロっと与えてくれる(言葉だったり 態度だったり)人と 偶然出会ったりする。
大学4年時に 進路でいろいろ悩んでいたときにも、インドのバナラシで、たまたま知り合いになったインド人に「もしかして君は今悩んでいるのかな。でも君の目には力がある。大丈夫、日本に帰ったらやりたいことは必ずできる。僕にはわかる。ここはシヴァ(神さまの名前)の町だから」みたいなことを言われたことがあった。
今までそういう偶然を 何度も味わってきた。
運命というと 宗教っぽく感じてしまうかもしれない。
だったら そういうものを「たまねぎ」と呼んでみましょう。
「たまねぎ」が そういう出会いを生む。
そんなようなことが 遠藤周作の「深い河」に書いてあったけなあ。
ここはバナラシじゃないし、この川もガンガーじゃないけど
数年前の出来事をぼんやり考えていた。
そうして 日は暮れ、アレッピーに到着。
なかなか ナイスな バックウォーターツアーであった。
クマさんの実家にお世話になることになった翌日から、
観光三昧でした。 しかも クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんが一緒に観光に付き合ってくれて、あれこれ案内してくれました。
クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんは、大食いの私をとても気に入ってくれたようで、
親子三人で観光しているような 非常にあたたかく楽しい時間を過ごした。
観光した場所は
1 カニヤークマリ (最南端、クマリアンマン寺院、ガンジー博物館)
2 パドマナーバプラム (王宮)
3 Sugindramthanumaalaian 寺院
カニヤークマリは インド最南端ということもあって観光名所のため、ガイドブックにも乗っていますが、パドマナーバプラムとSugindramthanumaalaian 寺院はガイドブック(地球の歩き方には載ってない。ロンプラには載ってるかも)に載っていない場所でした。
が、私的には カニヤークマリよりも そのガイドブックに載っていない王宮と寺院のほうが、よかった!!! むちゃくちゃ 感動しました。
1 カニヤークマリ
インド最南端の地です。写真中央が、海へと続く沐浴場。
ベンガル湾、インド洋、アラビア海が合流する地点であります。
ヒンドゥー教徒の聖地でもあります。
ちなみに 地名、カニヤークマリという名前は 女神「クマーリー」が由来だそうです。
女神クマーリといえば、以前ネパールを旅したときに 生き女神「クマリ」を見ました。
クマリ女神はネパールの守護神で、特定のカースト内から選ばれる4歳から思春期までの少女です。クマリに選ばれると、少女は家族と共にカトマンズのダルバール広場のクマリ館に移り住み、外へ出るのは、6回の年中行事の儀式で姿を現す時だけです。なので、私が見たのはクマリ館の窓から顔をのぞかせたクマリ神でした。
ネパールのクマリ神と、南インドのクマーリーが同一のものなのかわかんないけど、たぶん同じなんだろうなあ。
↓ こっちは ベンガル湾側 (かな?)
女神クマリを祀るヒンドゥー寺院 クマリ・アンマン寺院を参拝した後、沐浴場のほうに行って、お父ちゃん、お母ちゃんに倣って、サンダルを脱ぎ、海に足だけ浸かり海水を体に少しつけて 体を清めました。
本当は ここカニヤークマリの宿に泊まって 日の出の時間にここで沐浴し、2008年年末の大災害を全て洗い流し、12月31日 2008年の最後のサンセットをここで見て、チェンナイに帰る予定でした。
が、女性一人では宿に泊めてもらえなかったため、カニヤークマリからバスで1時間のナガルコイルにある クマさんの実家に泊まることになったため、カニヤークマリでの沐浴、2008年最後の夕陽の鑑賞はできなかったが、
ここで クマさんのお父ちゃん、お母ちゃんと一緒に体を海水で清めたから、
2008年の年末の大災害は ここで全部 海に流れた気がした。
こんどこそ さらばじゃ!!! 大殺界2008!!!
↓ 家族旅行の模様。
2 パドマナーバプラム(王宮)
ここは ガイドブックには載ってない場所です!でも私がインドに持ってきていた「インド建築案内」 (神谷武夫 著) には載っています。
パドマナーバプラムとは 「ビシュヌ神の臍から伸びた蓮の花から生まれた都」 という意味。lこの “ビシュヌ神の臍から伸びた蓮”の絵は よく本で見ていた。
蓮の上にはブラフマー神がのっかっている。
この町はかつてのトラヴァンコール藩王国の首都であり、18世紀、マールタンダ・ヴァルマ王によってこの木造宮殿が作られたのだそうです。
チーク材をふんだんに使ってはいるものの、白壁と茶色の瓦というシンプルな色合い。しかし、そのシンプルさが この青空に映える!!
そして柱や窓枠などに施された精巧な彫刻が、建物全体の重厚感を出している。
いや~ ここは すごい!!!予想以上に、すばらしい建築美でした。
クマさんのお父ちゃんとお母ちゃんと一緒に行ったため、ゆっくりアングルを考えて一眼レフをとる時間をとるのが憚られ、一眼レフでは一枚も撮らなかった。
是非 是非 またおとずれて、一眼レフで撮りまくりたい!
たぶん1日費やせるね。ここで。
↓ ここは 謁見室&会議室らしい。
↓ 柱の彫刻。ああああああああああああああ すばらしい!!
↓ 窓から見える風景。 画になるねえ。
↓ 見てよ この 窓!! なんなんだ この美意識の高さは!!
↓ 窓枠。 う 美しすぎる。。。 完全に この王宮に心奪われる。
↓ どうやら、この窓枠には色ガラスがはめてあったようです。赤い色ガラスが残っています。こういうデザイン。むちゃくちゃ 私好み。
↓ こんなに手の込んだ木造建築 見たことないよ。
↓ これはベッドです。
↓病を治すといわれている様々な木をふんだんに使っているそうです。
王が寝るだけで 病がなおるようにという願いが込められているわけです。
↓王宮内部からみた景色。
こういう景色。 どこかと似てませんか?!
そう、 ネパーーーール!!!
建物形式だけじゃなく、王宮から山が見えたり、透き通る青空を眺めることが出来たりするところも 似ている。
実は、研究者の中にもこの地方の建築と ネパールの木造建築の間に何らかの影響があることを予想した人がいます。
が、直接的な影響関係は見出せなかったとのこと。
現在は 似たような風土が 同じような建築様式を生んだと解釈されているらしいけど それにしても よく似ている。
ネパールの生き神の名がクマリ。 インド最南端の地の名前は カニヤークマリ。
この点からも、絶対 何か直接的な影響があるような気がするんだけどなあ。
ちなみに このような木造建築の伝統はインドの中で、ケーララ州と北インドヒマラヤ地方のみで見られます。(両者の紀行、風土が似ているため。)
この王宮は現在はタミルナードゥ州内にあるけど、かつてはケーララ州に属していました。
その他の大部分の地域では 石造建築です。
いや~ 大満足でした!!!
↓ はい、またまた 家族旅行の記念写真でやんす。王宮入り口前にてパチリ。
↓ おまけ 王宮内の美術館にあった ラクシュミーちゃん。
両手に蓮の花を持ってるから たぶんラクシュミー。神様の像さえも、他の地域と 違った雰囲気。
王宮を見学した後、お母ちゃんのおばさん宅を訪問。
おばさんは もう90歳近いらしい。とっても 優しい人でした。
お母ちゃんは おばさんの手をずーっとさすって ニコニコしていた。
自分の母さんを見てるようだった。日本も、インドも、同じだなあ。と思った。
おばさんちに1時間くらいいたので、(もちろん その1時間で大量のお菓子を食べさせられる) あたりはすっかり暗くなっていた。
お父ちゃん お母ちゃん と 夜道をあるいた。 お母ちゃんとは 手をつないで歩いた。 木の実を拾って食べた。 すっぱくって 食べられたもんじゃなかったが、「なんで食べないの?オーラ」に負けて また全部食べた。
帰りのバスをまってる間 お母ちゃんが 「ここの王宮の名前はパドマナーバプラムだよ。言ってごらん?」と言うので
「ぱどぱらっぱらーむ」と 間違えて発音したら
お母ちゃん 大爆笑。お母ちゃんが 大爆笑するのが なんか 可愛くて 嬉しくて
「ぱっどぱらっぱらーむ」 とか 「ぱどぱどまーぱぷぱむ」とか いろいろ言ってみた。
その都度 お母ちゃん 大笑い。
調子に乗って 「ぱらぱまーーーぱらっぷ・・・」とか 大声で言ったら
気合入り過ぎたのか ぶっと おならしてしまった。
が、しかし、大声で 叫んでいたので おなら バレず。 きゃは。
あー よかった。
あやうく 日印友好に 傷がつくところだったよ。
2 Sugindramthanumaalaian 寺院
ここも ガイドブックに載っていないスポット。ヒンドゥー寺院。
非常に大きなハヌマーン神の像(ビシュヌ神の家来、お猿の神様)と、ブラフマー神、シヴァ神、ビシュヌ神の ヒンドゥー三大神が一つになった像が安置されていることで有名なお寺。
↓ 見よ!この南インド独特の豪華なゴープラム!!!きゃーっ すてき!
↓ 山車。 もう言葉にならない。心奪われる。
↓ 寺院内部へと続く道 (寺院内はカメラ不可なので ここまでしか撮れなかった)
ちなみにヒンドゥーのお寺では参拝者は 男性は上半身裸で ルンギー(腰巻のようなもの)を着用する。
たぶん、この寺院もヒンドゥー教徒以外は入れないんじゃないかな?
私は お父ちゃん お母ちゃんと一緒だったから 中まで入れました。
いやーーーーーーーーー 感動しましたねーーーー!!!
ミーナークシ寺院の時も思ったけど、宗教ってすごい!
わたしは今まで 遺跡を中心に見てきたので、このお寺のように 現在祈りの場所として使われている寺院を見ることは あまりなかった。
今までは ヒンドゥー教の表面しか見ていなかった。
でも 実際に祈りの場所に入ると、神聖な雰囲気、ひんやりとして薄暗い寺院の中で揺れる炎、風で揺れた炎の光に照らされて ゆらゆら輝く神々の像、その神々の像に人々が真剣に祈る姿、心を神に捧げる姿、に自分もすっかり取り囲まれ、
ヒンドゥー教徒ではないのに、なんだか神の存在を信じてしまう。
言葉では表しにくい経験だ。
こういう雰囲気に一度でも包まれると 無宗教の日本人でも、宗教というものを全く違う観点から捉えるようになると思う。
今まで大学などで勉強したインドの文化、インドの神々の多くがこのお寺で崇拝されていて、大興奮だった。
↓はい、お寺の前で お決まりの家族写真。
いやはや ほんっとーーーーーーーに 充実した南インド観光でした。
お父ちゃん、お母ちゃん ありがとおおお
道中 お父ちゃん お母ちゃんと いろんな話をして たくさん笑って
ほんとうに あたたか時間をすごすことができた。
カニヤークマリも 王宮も 寺院も どれもすばらしいものだったけど
お父ちゃんとお母ちゃんと一緒だったということが 一番すばらしいことだった。
観光した後は、
ふつーーーに おうちで まったりして
お母ちゃんと 一緒に チャパティ作ったり
お父ちゃんに カレーの作り方教わったり
私のために サラダを作ってくれるお父ちゃんの姿に ウルウルしたり
仕事について語ったり
結婚について語ったりした。
そして インドのお父ちゃん お母ちゃんは
「キョコの結婚式には絶対出席する」と 今からはりきっております。
いつになるかわからぬ私の結婚に対して 「All the best for your marrage」と何度も言っていた。。。。
3日間滞在して、気がついたら 12月31日。チェンナイに帰る日が来ました。
お母ちゃんは 朝から「さみしい。さみしい。 キョコが来てから 毎日 すっごく楽しかった。4月に また絶対来てね。」と何度も言っていた。
あたいはもうアラサーなので すっかり涙腺がよわくなっております故、そのようなあたたかい言葉をかけられると じわーーっときてしまいやす。
バスの時間は夕方の5時だったんだけど、昼過ぎごろから お父ちゃん お母ちゃんがなにやら台所でごそごそやり始めた。
なんと、、、、 夜行バスにのる私のために、夜ご飯用にお弁当を作っていてくれたのでした。
で 手渡されたお弁当は 大きいビニール袋2つ分!!
驚く私に お母ちゃんは 「ひとつは お弁当。 ひとつは ケランバッカムに帰ってから食べるおかし」と 教えてくれた。
体にいいお茶を入れた大きなペットボトルも 入ってた。
突然現れた外国の娘に、ここまで優しく 愛を与えてくれる人達がいる。
あったかすぎて たまらない。その優しさが 心に じーーーーーん と伝わる。
泣けちゃうね。
お父ちゃん お母ちゃん ほんとうに ほんとうにナンニ(ありがとう :マリヤラム語)
↓ 出発前の家族写真。 右は 帰省したクマ氏。(私が帰る前日に帰省した)
おうちを出る前に、お母ちゃんが 「キョコーーーー」とトコトコ歩いてきて
私を ぎゅうーーーーーっと抱きしめてくれた。
ここで 泣かない人がいるなら会ってみたいもんだよ。
あたしゃ ホントに 幸せもんだ。
こんなにあったかい人達と出会うことができた。
こうして わたしは インド最南端を後にした。
2008年の年末。 信じられない大災害に見舞われたが、
優しくて あたたかい 南インドの人達のおかげで
2008年の最後の3日間、優しい時間 あたたかい時間 を過ごすことができた。
終わりよければ すべてよし?
そうでしょ。 そうだよ。
2008年を 振り返れば 本当にいろんな国に行った一年だった。
カンボジア、フィジー、ツバル、バヌアツ、トンガ、インド、日本。
今年一年 いろんな国で出会った人達、 優しさと 愛と 笑顔を ありがとう。
それが 今の私の財産です。
↓ 夜行バスの中から見た2008年最後の夕陽。 ばいばーい 2008年。ありがとー
マドゥライの ミーナークシ寺院を後にし、
いざ インド最南端、アラビア海、インド洋、ベンガル湾が一つに交わり、
インドで唯一海から日がのぼり、日が沈む場所
カニヤークマリへ GO!
カニヤークマリ直行のバスはなかったので、まずマドゥライから8時間かけてバスでナガルコイルという場所に行き、そこでバスを乗り換えれば1時間くらいでカニヤークマリへ向かう。
途中で バスが「ゴリゴリゴリッ!!」という音と共に故障し 30分ほど炎天下の路上で後続のバスを待つという素敵な出来事を経験しつつ
なんとか ナガルコイル到着!! ぱんぱかぱーん。
すでに 日が翳り始めていたので、この日はカニヤークマリまで行かず、ナガルコイルに泊まることにし、さあ 宿探し。
はい、ここでまた 大殺界2008。
どの宿でも 部屋をもらえない。。。 満室というわけではない。
女の一人旅 という理由で 拒否されたのであった。
これまでインドはもちろん数々の国を一人で旅してきたけど こういうことはなかった。
部屋をもらえない理由はこうだ。
まずこのナガルコイルという地が観光地ではなく 宿に外国人が泊まるということが稀なこと。
プラス、最近 この辺の宿に泊まった女一人旅の人が自殺を図ったらしく、それ以降女の一人旅は拒否することに決まったらしい。
じゃあ どーーーしろっつーーーのーー!?
8時間バスに乗り続け、さらに町を歩き回って4件の宿をあたり、疲れきってしまっていた私。 そして このトラブル続きの年末。 なぜに こんなに うまくいかぬ。
半泣きになりながら、 「私は自殺なんかしません!!むしろ このままだと野宿するはめになって そのほうが危ないよ!どうしろっていうんですかーーーー」
宿側の言い分もわかる。
けど、けど! 私はマドゥライでバスに乗る前、ナガルコイルの宿に電話して空き室状況を聞いたら 「とりあえずこっちに来てくれないと受け付けられない。電話予約は信頼できない」って言われたからさ、 来たんですけどっ
インドでは 本当に冷たくあしらわれたり、騙されたりするときがある。
こういう時、ほんっと イラッとしちゃうし、 なんか どーしよもなくて 途方にくれて泣きそうになる。
が、それで終わらないのが インドのすごいところ。
途方にくれて 大騒ぎしたり しょげたりしている人を見ると、 インド人は放っておけないのです!!
とてつもない負のオーラを出しながら途方にくれている私を見て
「どーした!?どうしたのだ!?」と たちまち4、5人のインド人がやってきて私を囲む。
事情を話すと 四方八方手を尽くし宿を探そうとしてくれた。が、全て断られた。
そして最終的に 「君の会社のインド人スタッフに電話して、君が自殺などしない人だと証明してもらうしかない。」と言われ、仕方なく チェンナイの会社にいるクマさんに電話する。
クマさん 「あー キョコさん What happened?」
私が事情を話すと
クマさん「キョコさん、Don't worry. You can stay at my house.My house is very close from where you are now」
およよ?
クマさんの実家がカニヤークマリにあることは知っていたが、実は正確には、実家のある場所はカニヤークマリではなくナガルコイルだったのだ。
しかも 私がその時 途方にくれていた宿から目と鼻の先だった。
なんたるち~~や。 なんたる救い。
んで、あれよあれよと言う間に クマさんの実家にお世話になることになった。
嗚呼っ すばらしきかな インド人!!
なんか すごいよ。この国は。
無下にあしらわれたかと思いきや、みんなよってたかって赤の他人の心配をし、あげくのはてに 突然電話しても全く驚かず 対応し 受け入れるこの寛容さ。
すげーよ。 リスペクト インド人。
愛は地球を救う。
インド人は 地球を救う。
で、よってたかって心配してくれた全くの他人のインド人達にエスコートされ、
クマさんの 実家へ。
クマさんは チェンナイ市にるので、 クマさんのご両親とは初対面で、いきなり自宅にお世話になること、迷惑をかけてしまうことが本当に申し訳なく、凹んでいたが、
クマさんのお父さん お母さんは それは それは それは それは それは
素晴らしい人達で
初対面で落ち込みまくってる私を わが子同然のように あたたかく受け入れてくれたのでした。
私は その優しさに、思わず泣いてしまいました。
大殺界 2008。 ついに去るときが来たか。
この年末のゴタゴタも、このあたたかい優しさと出会うための試練だったのか。。。
しかし いくらなんでもそんなに迷惑をかけられないから、1泊だけお世話になって翌日はチェンナイに帰ろうと思っていたら、
「え?なんで一泊だけで帰るの?!キョコは私達の娘だよ!帰るなんていわないで。」と とても悲しい顔をするので、
そのなんとも ハートフルな ウルルンなお言葉で 胸キュン度1000%!
すっかりその優しさに甘え 気がついたら 結局 3日間もウルルン滞在していた。
さらに驚くべきことに
その三日間で 気がついたら体重が3キロ増えていた。
なぜかって?
おそらく一日3000カロリーほど 摂取していたから。
朝食
下の写真に写っているもの + イドゥリー3枚 + チャパティ一枚
ちなみに上の写真の白い物体は ココナッツを削ったものと小麦粉と砂糖を
下の写真の筒状の器具に詰め込み、蒸してつくったもの。
筒状の器具の下の花瓶のようなものは、普段 水を入れて そのまま火にかけて やかんがわりにしています。
水をいれ、筒状の器具を差し込んで 火にかければ蒸し器に変身。マルチパーパスッ!
食後のデザート
ザクロ。もちろん全部食べさせられる。でも むちゃくちゃ旨い。
昼食
ビリヤニ(下の写真 : 炊き込みご飯みたいなの) + チキン一羽(!? 初めて丸々一羽を一人で食べた)
おやつ
インディアンスナック。皿が空になるたびに すぐ追加される。かりんとうみたい。
夕食
まず手始めに カレーチャとパティ
チャパティが終われば カレーと ご飯。
それが 終われば
ラッサムと ご飯。
そう それは エンドレス。
だって お母ちゃんが 常に横で待機して 私のお皿に盛り続けるのだ。
優しいおかあちゃん。
箸があったので 「箸を使ってみてくれ」と言われ 使ってみる。 インドのカレーを箸で食べるのは 非常にむずかしい。
デザート
モンキーバナナと レッドバナナ。
レッドバナナはここでしか手に入らない。カスタードのような味がして絶品だが、4本全部食べないと お父ちゃんがむちゃくちゃ悲しい顔をするので、必死に食べる。
うーーーーーーーーーむ。
胃袋の限界を遥かに超えても なお 食べさせられるこの状況。
どこかと 似ている。
トンガ!!
トンガと同じじゃん!?
トンガは フレンドリーアイランドって形容されるほど ホスピタリティがあってフレンドリーな人種で、
ことに食に関しては ゲストに対して これでもかってくらい料理を出してくれる。
で それをゲストがたーーーーーぷり食べてくれることが 彼らにとっての幸せ。
南インドも 同じだなあ。
たあああああくさん ご飯を用意してくれて
私が好きそうなものを わざわざ遠くまでいって買ってくれたりして
私がおいそうに食べると むっちゃくちゃ 嬉しそうに笑ってくれて
私が食べきれないと すっげー残念な顔して、、、(笑)
トンガと 南インド。
すっごい離れてるのに
人の心の温かさは いっしょ。
じーーーん とした。
ついでに 胃袋も じーーーーーーーん とした。
初めて 大食い競争に出場している人が、司会者に 「おおおおっと ●●選手 手が止まったーーー!さすがの ●●選手も限界かーーー?」と煽られても
手が出なくなる気持ちがわかった。
人は胃袋の限界を超えた量を食べ続けると、 食べ物の味がわからなくなり
目の前の食べ物が 敵に見えるのである。
でも
あたいは 食べたよ!
全部 完食したで!!!!
やったで~ !!!
さらば 大殺界2008の年末!
大晦日前になって、ついに ハートフルな あったか~い年末が 過ごせることになりました!
はい、タンジャヴールで ボリウッドスター写真撮影会に応じた後、
またまたバスにのり、いざ マドゥライへ!
タンジャーヴールからバスで4時間、夕方6時くらいにマドゥライ着。
それからが 大変だったーーー・・・
探せど 探せど どの宿も満室!!
気がつけば辺りは真っ暗 もう 7時すぎだよ! 2時間も宿探してるぜー
途中で 油断して お土産売りのおやじの話を途中まで信じてしまった。
「私は大学の英語教師だ。もう20年働いている。今日はミーナークシ寺院でお祭があるんだ。僕がお祭を説明してあげるよ。僕は客引きなんかじゃなくて 教師なんだから、お金とかは絶対請求したりしない。10分だけでもお祭を見たほうがいいよ。その後 宿探しても間に合うよ」
とな。
で お祭という響きに負けて付いて行く途中、行く手に高級土産屋が見えた。
なるほどね と悟り、もちろん土産屋には入らず おやじの声も無視して その場を去ったが、
あー バックパッカー現役バリバリ時代の私だったら 決してこんな典型的な手口にだまされなかったのに。パッカーとして 恥ずべき失態。
トンガで すっかり平和ボケしたからなー
いや、正直 今回南インドに来てからと言うもの、こういう客引きに会ったことがなかった。北インドでは日常茶飯事だったけど、南ではそういうことがなかったので、安心してたんだよねー。
マドゥライは 思ったより都会だわ。客引きいるくらいだからな。観光地ズレしてるな。
そんなことより宿探し。
本気で野宿かと思って 泣きそうになっていたころ、ようやく部屋をゲット。
あー 年末に旅なんてするもんじゃないなあ。とほほでやんす。
その夜、安宿のベッドに寝転がりながら、ふと思いついた。
当初の旅の予定は、マドゥライまで着たら、ゆっくり観光してそのままチェンナイに戻るというものだった。しかし マドゥライは都会だった。都会には興味がない。
田舎に行って のんびり心を癒したいのよ。あたいは。
そこで、私は ひらめいた。
2008年最後の夕陽を アラビア海、インド洋、ベンガル湾がひとつになるインド最南端カニヤークマリで見るというのは どうだろうか?!
今年の年末の おぞましい事件の数々を 海で沐浴して 洗い流すのはどうだろうか!?
我ながら なかなかいい思いつきじゃないか!?と 即 決定。
翌日、午前中マドゥライを観光した後、すぐカニヤークマリ行きのバスに乗ることに決めた。
で、翌日。
朝 起きたら、、、、 こ、声がでないっ!!
蚊除けのために、ファンを付けっぱなしで寝たら、どうやらひどい風邪をひいたらしい。
なんか具合もわるい。何より 喉が むっちゃ 痛い 呼吸するのもしんどいくらい。
なんたるち~~や~・・・
2008の年末。
変な女に振り回されてからというもの、全部が少しずつ いつもどおりに行かない。。。
今まで旅するときに忘れたことなんてなかったパスポートを忘れるわ これまで騙されたことのない客引きの手口を信じちゃうわ いつもはめったにひかない風邪ひくわ。
なんやねーーーーん!! なんか 全部が 少しずつ うまくいかぬ。
歯車がかみ合わんぞ!
この2008年の年末を、どげんかせんといかんっ!!!
どげんかしようと、とりあえず チャイをがばがば飲んでみた。ちょっと痛さがひく。
そんでそのまま朝7時に ミーナークシ寺院 へ向かいました。
この寺院は 南インド最大規模の寺院といわれております。
マドゥライの町は、この寺院を中心に構成され、この町と共に発展してきたのです。
中でも 市内のどこからでも見え東西南北4つの壮大なゴープラムが特徴的。
寺に向かって 歩くと
おー 見えてきた 見えてきた西側のゴープラムが!! おおおお でかいっ!
でかい・・・・
おや?
やややっ?!
違う。
私が 写真で見てきたミーナークシ寺院のゴープラムと違う。
全てのゴープラムの 全ての面に ココナッツリーフで編んだ日除けが かぶさっている。。。
ちょっとおお どおいうことっすか?!
この寺院ってさ、色彩豊ないかにもドラヴィダ形式っぽいゴープラム彫刻がメインなんじゃないんすか?!
見えないーーーーっ 彫刻が ぜんぜん 見えないーーーーー!!
どうやら この一番観光客が多い時期に、全ての塔の再塗装をしているらしい。
塗装中なので、ココナッツリーフを 被せているんだとか。
ここまで来たのに、、、つつつつ、ついてね~・・・。
ありがとう 大殺界2008。君はそろそろ行く年だということを意識してくれ。
ほら、寺院の中に入って 寺院の内側から見ても、見事 ご丁寧に 全ての塔に
ココナッツリーフがかぶさっている。。。。
かなり残念だったが、寺院の内部に入ると、一気にあたり一体が神秘的な雰囲気に包まれ、思わず口をあけて しばしたたずんでしまった。
す、すごい。
ヒンドゥーパワー。
神秘的。
とりあえず 一眼レフで バシバシ写真撮る。 美しいわ。
人が祈りを捧げる姿、神を崇める場所、「美しい」。
後で気がついたけど、フィルムの一眼レフばっか使ってたから デジカメではほとんど撮ってなかったや。
↑ 寺院の中にある スンダレーシシュワラ神殿
ちなみに 神殿の内部には ヒンドゥー教徒以外は入れません。
それでも ひんやりとして うすぐらい石造りの寺院の中で 祈りの声、ゆらぐ炎を見ていると なんだか 現実の世界からちょっと違う場所に来たような気持ちになった。
風邪ひいて頭がボーっとしてるから なおさら 祈りの声が頭をぐるぐる回った。
宗教というと、日本人はあまりいいイメージを持たない(私もだけど)が、
でも、それは偏った情報が作り出すもので、実際 このような真の宗教を目の当たりにすると、宗教を「美しい」という言葉で形容したくなる。 すごい。
いや~ インドは奥深いよ。 すごい すごい 言い過ぎてるけど やっぱ すごい。
ミーナークシ寺院の豆知識。
ミーナークシ寺院の名前、 ミーナークシとは「魚のような美しい目を持つ女神」を意味します。
魚の目が綺麗かどうかは別にして、ミーナークシという名前の女神は、土着の女神(この地域の先住民ドラヴィダ民族が信仰していた神)でしたが、後にヒンドゥーイズムの発展により、ヒンドゥー教の神、シヴァと結婚させられ、シヴァの妃という設定にいつの間にか変えられたらしい。
すごいでしょー インドで仏教が廃れて、ヒンドゥー教が拡大した理由はきっとこういうところにあると言う説があります。
ヒンドゥー教は ヴェーダの宗教に うまく各地の土着の宗教を吸収していった(土着の神々を ヒンドゥーの神 主にシヴァとヴィシュヌの妃もしくは化身という設定にして、 ヒンドゥーの神に仲間入りさせる)から、どこの地域でも受け入れられていったんでしょう。
ちなみにブッダも ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の化身とされています
もっと 詳しく知りたい方は「ヒンドゥー教の本」学習研究所発行 をご覧あれ。
いやー しかし、非常に寛容な宗教だ。
そう、そもそもインド人が非常に寛容な人達ですから。
インドの人は 本当に 心が広いんですよ。
12月26日から 1月1日までインド、タミルナード州を上から下まで駆け抜けました。
全ての移動は 乗り合いバス!!
インドはでかい。ちょっと小旅行のつもりが 気がついたら1500キロくらい移動していた。
日程はこちら。
1日目 チェンナイ → タンジャーヴール (バスで9時間 106ルピー:200円くらい)
2日目 タンジャーヴール観光後 → マドライへ (バスで4時間 51ルピー)
3日目 マドライ観光後 → ナガルコイルへ (バスで8時間 81ルピー)
4日目 カニヤークマリ観光 インド人宅でウルルン滞在
5日目 引き続きウルルン滞在
6日目 まだまだ引き続きウルルン滞在 夜行バスでチェンナイへ戻る (16時間)
久々の長距離乗り合いバスでの旅。
5年くらい前 バックパッカーで世界を放浪していた時期の記憶が蘇る。
でも ここ数年ずーっと海外にいるから、すっかり海外ボケしていたようで 旅行中、アホなミスを連発した。
まず、なんと、 パスポートを チェンナイの教員アパートに忘れてきてしまったことにバスに乗ってから気がついた。。。。
Oh god... いくらなんでも それはやばいだろうと思ったけど 結局 パスポートなしで宿にも泊まれたし 旅行できた。
Oh, India。すばらしきかな その包容力。
むむむー いやいや それは結果論です。海外ボケしてて 自分が外国人だってことを 意識しなくなってきている象徴。こういう時に、人は犯罪や事件に巻き込まれます。 すげー 反省しました。 意識を改め 気をつけよう。
で、チェンナイのバスターミナルから 9時間かけて世界遺産のある町 タンジャヴールにつきました。
着いたのは 夕方の6時だったので 早く宿を見つけなければと いくつか安宿をあたるが、さすがに年末とあってどこも満室。
日がすっかり暮れてから ようやく部屋をゲット。
が、なんと一泊600ルピー(1200円くらい)
ゴーーン。。。 日本円に換算すると安いけど 私の給料 ルピーですから。
でも 道の上で寝るよりはまし。仕方ない。
南インドは 北と比べて旅行者が少ない分、宿代が高いと思う!
あと、ドミのある宿もほとんどない!!
北インドを旅したときは、一泊50ルピーのドミトリーとかに泊まってた。
南では その6倍から10倍払わないといけない。。。
その夜は 同じ宿に泊まっていた フランス人の女性と夕食を共にした。
私は フランス人が話す英語が好きだ。
アンニュイな感じで。
久々に 外国の人と話して とてもいい気分転換になった。
翌日 タンジャーヴール 観光。
うろちょろしてたら 気がついたら公共遊園地みたいなとこに入っていた。
が ほとんど客は入っておらず 噴水とか遊具は全て止まっていた。
↓ その遊園地で出会った シュール キャラクター
① おい よく見たら、君の足、埋まってるじゃないかっ
② チェスで遊んでいる。 でも なんか暗い・・・。
③ こ、恐い。。。そんなに熱くなるなよ。たかがゲームじゃないか。
シュール遊園地を後にし、
その後 本命の 「世界遺産 ブハリディーシュワラ寺院」へ!
おおおお! 見よ この 美しさ! 壮大なゴープラム(塔門/寺門)。
南インドのヒンドゥー建築の特徴はこの巨大なゴープラムです。
写真内右側に てっぺんだけ写っているのがヴィマーナ(本堂)。
おおお。美しい。これが ヴィマーナ(本堂)。ヴィマーナ内には ヒンドゥー教徒しか入れません。
ヴィマーナの頂上付近アップ。
このインド人の美意識。すばらしい。
ブハリディーシュワラ寺院のあるタンジャーヴールは 9世紀から13世紀に南インドを支配したチョーラ朝の都でした。
チョーラ朝最盛期の王ラージャラージャ一世が11世紀に建立したのが、このブハリディーシュワラ寺院です。
この寺院は シヴァ寺院(ヒンドゥー教の三大神の中のひとつ:ちなみにシヴァの他はブラフマーとヴィシュヌ)です。
ということは、当然 寺院には リンガとヨニがあちこちに配置されていました。
んで もちろん こちら、 シヴァ神の乗り物 聖牛 ナンディ!!!
どど~ん ぱーっ!
このナンディ像は インドで二番目に大きいんだとか。
(知ってる人も多いでしょうが、インド人が牛を食べない理由は それがシヴァの聖なる乗り物だから。)
はい、ヴィマーナの前で パチリ。
タンジャーヴールという町は それほど観光地ズレしてなくて、人は皆 素朴で 優しく フレンドリー。
私がサリーを着てうろちょろしていたから、いろんなインド人に話しかけられた。
私の拙いタミル語を一生懸命聞いてくれる。
ぜんぜん話せてないのに、タミル語を外国人が話そうとしているだけで、ここの人達は大喜びしてくれる。
ちょっとぶっきらぼうな対応をされても、タミル語で挨拶すると、オートリキシャのおやじですら ニッコニコになる。
いいね~ いいね~ 南インド。 さいこーだよ!!
これまでも南アジア(インドとネパール)を旅してきたので、
現地の人の「写真を一緒に撮ってくれ」攻撃には 慣れていた。
その攻撃は、とりあえず外国人と写真を撮っておこうという好奇心旺盛な彼らの要望に応えると たちまち現地人数名(時に数十名)に囲まれて さながらスーパルスター気分を味わわされるというものだ。
(参考資料:ネパールで 攻撃を受けた時の様子 ちなみに寺院の入り口にて)
↓
で タンジャーヴールで 久々にその攻撃にあった。
理由は 私がサリーを着ていたからなんだけど
ある人は「日本人が 我々の文化であるサリーを着ているなんて こんな感動する出来事はない!!」と感動し
自身のカメラで 私のピンショットを撮影して去っていった。
その後も いろーーーーーんな人に 「サリー いいね!」と話しかけられ
その都度 写真に応じ 非常ににぎやかな一人旅となった。
名も知らぬ人のカメラの中に 私の映像が残る。なんだか不思議だ。
↓ 土産売りのおにいさんも 勝手に写真に参加。(右端)
こちらは 寺院の前のお花屋さんたち。
ヒンドゥー教徒は 神様にきれいな生花を捧げます。
女性は自分の髪の毛につけたりもしますが。
色がきれい。
おばちゃんの青いサリーも ナイス チョイス。花の色と対照的で とても 映える。
左下の白い花は ジャスミン。
インド人女性はよくこのジャスミンを束ねたものを髪の毛につけている。
私も時々つけるけど とてもいいにおい。
トンガの時は、そこらへんに落ちてる南国の花をよく拾って 髪につけていたなあ。
どこの国でも 女の人は 花が似合う。
日本で 頭に花飾ってたら イタイ人だって思われるだろうけど
生花が似合う女性って 素敵ですよ。
スリさんちをあとにし、娘さん二人とも別れ、バスに乗って岐路に着いた。
バスに乗ったら きれいな夕焼けがあたり一体を包み込んでいた。
バスの中も あたたかいオレンジの夕陽の光で いっぱいになった。
あー この景色。この雰囲気。
前にインドに来た時にも あった。 大学の友人の絢と二人でバックパッカーとしてインドを旅していたとき。
遺跡を見た後の帰り道、乗ったバスで同じような夕陽に包まれて、二人でいろんなことを考え、話したなあ。
あれは、デカン高原の壮大さと 北ではなかなか味わえなかった人の優しさを 中部インドで味わった時だった。「人っていいなあ」とその時思った。
あれから5年後。私は今 またインドにいる。でも今はもうバックパッカーじゃない。
あの時から憧れていた、「旅人としてではなく現地で暮らす人間としていろんな国を感じる。」ことを
今まさに体験している。
場所は違うけど 5年前と同じような気持ちで 同じようなバスに乗り 同じような夕陽に包まれてる。
なんだか 不思議だ。
この日は 本当に楽しい一日だった。
インド人の素敵な家族と 楽しい時間を過ごし、いろんな話をして あっという間に時間が過ぎた。
インド人、やっぱり素敵だなあ。と思った。
いや、インド人に限らず、人っていいなあと思った。
バスの外を見ると、中学生くらいの女の子達が お互いの髪の毛を結んでいるリボンを 結びなおしていた。
トンガと同じだなあと思った。
トンガの学生も 髪の毛をみつ編みにして リボンをつけていた。
その様子を見ていると、女の子と目が合い、その子がニコっと微笑んだ。
微笑む顔は トンガ人にも見えるし インド人にも見える。
トンガ、インド、日本という区別さえなければ 結局人間は みんな同じだなあと思う。
同じように笑い、同じように家族を愛している。
宗教、人種、言葉は違うけど でも本質はみんな一緒。 一緒なのに、なんで争うのかなあ。みんな同じなのに。
今日 スリさんと インド、トンガ、その他の国々の話をしている時、スリさんが、
「キョコさん、本を書いた方がいい!君がこれまで経験したこと、いろいろな国で見たこと、感じたこと、そういったことを いろんな人に紹介したほうがいい。殆どの人間は世界を知らない。だから君の話を聞いて 感動する人は多い。君がそういう話をしている時、君からは“自信と知識”を感じる。いい経験をしてきたんだね」と言われた。
めったに人を誉めないスリさんが そんなことを言ったので 驚いた。
お世辞だろうけど なんか ジワーっと嬉しかった。私は文才がないので本など書けないが、
スリさんの言葉で、最近30歳を目前としていろいろ悩んでいた気持ちが晴れた。ふっきれた。
「30歳で一回人生が終わると思って、それまでにやりたいことをやりつくす」と決めて、今まで自分のやりたいことを追求し、ひたすら挑んできた。でも その代わり、世間的な地位や、貯金といった安定したものとは無縁となってしまった。
これまでの人生 後悔はひとつもないけど この先のことを考えるとやはり不安になる。
日本語教師は薄給だから 給料というバロメーターで 自分の仕事や能力を測ることもできないし。
でも スリさんの言葉は
あー あたしには お金や 地位っていう 財産やじゃなくって
人との出会いっていう財産があるんだなあ。
と思わせてくれた。
出会いといっても 瞬間的に終わるものではなく、誰かと出会い、そしてある程度の時間や何かをその人達と共有し学びあってきたこと。
誰かに「ありがとう」と言われること、誰かの笑顔を見ること、それが私の目標で 自分の財産だ。
インドのデカン高原でバスに乗ってから あっという間に5年経った。
5年の間に いろんな国で ほんとうに ほんとうに たくさんの人に出会った。
そして5年間の間に 私はもう旅人じゃなくなって 現地に暮らす人として トンガやインドで 仕事をし、その国の人と出会い 深い関係を築いてきた。そのことを通して 本当にたくさんのことを学んだ。
仕事面のことだけではなく 生きることについて学んだ。愛について学んだ。
「日本人だけど 地球人でいること」の大切さ、おもしろさを学んだ。
それが 自分の財産なんだなあ。と思った。
んで 一番わかったことは ちょっとくさいけど 国や言葉、人種や宗教が違っても 人間の本質は同じで、みんな誰かを愛し、愛する人や自分の信じるものを守りたいと思っているんだということ。
5年かけて学んだことは ひじょーーーーーーーーーーに シンプルなことだった。
世の中は 本当は シンプルなのになあ。
オレンジ色のバスに乗りながら、 「やっぱり 人っていいな。」と思った。
そして、たぶん 本当に 今 私は自分の人生に満足していると思った。つまり、インドが自分の前半の人生の 最終目的地なのかなと思った。
おととい 会社のインド人スタッフ、スリニバサン(通称スリさん)のおうちに遊びに行った。
スリさんは見た目、非常に怖い。。。というか なんだかよくわからぬオーラがある、、、。
話し方も 非常に威圧的であり(悪い意味じゃないよ) とにかく気軽に話せる感じではない。
が、 その実は
非常に優しい人なのだ。
とくに 愛娘2人の話になると、強面が一気に ふにゃふにゃになる。ニッコニコして、「My daughter is very good!!」と 娘自慢をしてくる(笑)
スリさんの娘 左ディヴィヤちゃん 右 ラヴィヤちゃん
大学の授業が休校になったので、しばらくJLPT(日本語能力試験)4級の試験対策講座を受け持っていたことはすでに述べたが、その時 生徒の中に スリさんの愛娘 ディヴィヤちゃんもいました。
ディヴィヤちゃんは非常に賢い子で、試験まで1週間しかないという超短期コースの内容を、誰よりも早く理解し、習得し、模擬テストの点数を100点くらい上げたのでした。また ディヴィヤちゃんはお喋りが好きな子なので、スピーキング能力も1週間でぐんと伸びました。教師の私も、こう教えがいがあると非常に楽しかった。
んで、ディヴィヤちゃんを受け持つことになった日 スリさんが 「キョコサン、Please. Please help my daughter」と言ってきた。
で、次の日は 「キョコサン、 your teaching is very good!」と言ってきた。
で、次の日は 「キョコサン、I like your song!」と言ってきた。(私は授業で暗記しなくてはいけない語彙や文法を歌にして覚えさせる)
で、次の日は 「キョコサン、Oh、you need rice 」と ランチブレイク中にパン4枚食べている私に 自身のお弁当であるココナッツライスを全部差し出してくれた。
いや、無理やり食べさせられた。私は 「ココナッツライスが食べたい」とは一言も言っていないのに、また、すでに食パン4枚を食べている最中だというのに、「You need rice」とは どういうことか・・・・。炭水化物ばかりじゃないか。。。
つまり 父親は 娘のことが関係すると まあ いてもたってもいられないらしい。
そんなこんなで スリさんには以前よりまして気に入られ、また娘のディヴィヤちゃんとも仲良くなり、
「センセ、ワタシノウチニ キテクダサイ」(お誘いby ディヴィヤちゃん)
「You come to my house」(反強制 by スリさん)
というお言葉に甘えて、お邪魔してきた。
スリさんちまで バスで約2時間。
インドでは バス停の標識などないので、ちゃんと目的地で降りられるか心配だったが、気がついたら爆睡していた。
んで、乗り合わせた心優しいインド人のおばちゃんに起こされ、なんとか目的地でバスを降りることに成功。
スリさんの長女ラヴィヤちゃんが バスを降りた場所までスクーターで迎えに来てくれたので、スクーターに二人乗りしてスリさんちへ。
まず驚いたのが スリさんの奥さん スジャータさが若くて美人だったということだ。いやー お見合い結婚でもさ、こんなに気立てのいい美人さんをもらえて スリさんは幸せ者だわ。 とても優しくて明るい人で、大好きになりました。年齢も私の母親と同じくらいで、すっごく親しみがわきました。
↓ スジャータさん
ランチにスジャータさんの手料理を頂いたのですが、こりゃまた 旨い!!!私がマサラドーサが好きだということを聞くと、その場でちゃちゃちゃとマサラドーサを作ってくれた。
↓ ホームメイド マサラドーサ! 旨し!
んで、「外国の人むきに、今日はフライドライスを作った!」と嬉しそうに話してくれた。
しかし、何故かフライドライスを炊飯器で作っていたが、そのことには敢えて触れなかった、、、。
フライドライス。フライしてあるから フライドライス。
でも 世界は広い。フライしてなくてもフライドライスなのだ。そうだ。そうさ。なんでも 固定概念を捨てることは大事だぜ。
インドではいつもそうなのだが、食事中 わんこそば的に どんどん料理がもられていく。 トンガ時代を思い出した。
胃袋の限界がきても、出されたものは全部食べたいという気持ちから 無理して食べてしまう。
そのうち 胃袋が混乱して 「まだ食べられる」という錯覚に陥り、胃袋がはちきれる寸前まで食べてしまう。
そう、私はトンガでこうやって太ったのだった。
でも いーの いーの。たくさん食べることで、料理を作ってくれた人が嬉しそうな顔をするのを見ることが 私は好きなのだ。
食後は スリさん一家とのトークで盛り上がる 盛り上がる!たくさん笑った!スリさんが こんなにもジョークを言う人だとは知らんかった。(ブラックジョークだが。)
娘さんたちと、インドの歌や、日本の歌を歌ったりもした。
そして 話ている間も 何かしら口に入れるものを与えられていた。気がついたら バナナ、インドスイーツ数種、甘いドリンクを平らげていた。
いろんな話をした。日本のこと、インドのこと、トンガのこと、これまで旅した国のこと、仕事のこと、生徒のこと、結婚のこと。
スリさんは どうやら私が18歳だと勝手に思い込んでいたらしい。「私は 28歳だよ」というと、いきなり「ええ?! 28?! 何故 海外に一人で来ているんだ! 何故 早く結婚しないのだ!」と 勝手に焦りだした。 「会社との契約は来年の5月までだから 結婚はこの仕事が終わってから考えるよ。」と言ったら「いや、大学の授業は3月くらいで終わるはずだ!終わったら すぐ帰って結婚したほうがいい!」と スリさん、自分が会社のスタッフだということを忘れ、ひたすら私の結婚の世話を焼き始めた。
スリさんが3月に帰っていいって言ったのを社長が聞いたら、社長、怒るで~(笑)
しかも その後、「キョコさんは、日本語の先生としても非常に能力があるが、通訳として働くことを私は勧める!そのほうが給料もいいし、いい仕事にめぐり合える!もったいない!」と転職まで勧めてきた。
まさか 会社の人に転職をすすめられるとは。。。
おそるべし スリさん。
で、スジャータさんが手相を見るのが得意だから見てもらえというので、見てもらった。スジャータさんの 手相診断結果は
「今後も海外で暮らすことになる。非常に理解のある旦那さんと結婚し、子供が二人生まれる。(この時点で スリさん非常に安心する。)生涯 仕事で必ず成功し お金には困らない。ただ35歳までは いろんな仕事を試し、落ち着かない。40歳くらいで一つの仕事に絞る。」
とのこと。 おおー なかなかいい診断じゃないですかっ!!
しかし 「仕事面では いつもいいお給料に恵まれるわ。今の仕事も前の仕事より お給料いいでしょ?」と言われ、 「・・・ いや・・・ 前の仕事のほうが、多少(かなり) よかったです・・・」と言うと、「OK!次の仕事は 大丈夫!」と言われた。
そうか。そうなのか?ちょっと手相診断内容と違わないか?いやいや、何事も 考えすぎちゃいけない。
その後は インドの結婚の話でもちきりになった。インドの結婚について 知識はあったが、スリさんちは 今長女のお婿さん探しをしている最中で、話がリアルでおもしろかった。
インドの結婚は ほとんどが arranged marriage だ。
つまり 親が 同じカーストの よりよい相手を見つけてくる。「恋愛結婚や、異カースト間結婚は よくないのよ。」とスジャータさんが言っていた。んで、インドの結婚はとにかくお金がかかる。
結婚式は3日にわたって行われ、親戚数百人が集まる規模の大きい結婚式だ。 で、その費用は 全て新婦側の家族が持つ。
「新郎側は、お嫁さんがもらえるだけでなく、結婚資金も気にしなくていい。それに比べ、新婦側は、自分の愛娘を手放し、莫大な結婚資金を用意しなくちゃいけない!!」と嘆いていた。
スリさんちは 子供二人とも女の子なので、お金を準備するのも大変だし、二人の娘が嫁いだ後の寂しさを考えるとやりきれないらしい。
それでも 「インド人は 全員 必ず 結婚する」ので、とにかく 今は長女のよりよい相手を見つけるのに忙しいらしい。
インドでは 一番年上の子供から結婚しなくちゃいけないルールがあるらしく、長女が結婚しないことには、次女も結婚できないそうだ。 うーーーん。。。そりゃ 大変だ。
話が 結婚式のサリーにおよぶと、スリさんとスジャータさんの結婚式の写真を見せてくれた。 当たり前だけど、写真のスリさんは非常に若く、かっこよくて びっくりした!写真のスリさんを指して「おおおおおお! Who is this?」と言うと、娘達 大爆笑。
スリさんは 恥ずかしそうにしていた。
写真の中の スリさんとスジャータさんは お見合い結婚のせいか、盛大な結婚式のせいか、終始緊張した面持ちで写っていた。
でも、それがまた初々しくて なんだか素敵だった。
インドでは 結婚してから 恋愛が始まると聞いたが、なんだかそれも 素敵だなと 最近思う。
スリさんは 非常にぶっきらぼうなのだが、お見合い結婚だからこそ生まれる夫婦間の初々しさがまだ残っていて、「スリさんとスジャータさんの 2ショット撮りまーす!」と私が言うと、無言で すくっと立ち上がり、おもむろに 眼鏡をとり、夫婦で肩を並べ、幾分緊張した面持ちで、それでもかっこいい顔をしてシャッターが切られるのを待っているスリさんを見て、
いいなあ。
と思った。
こういう夫婦、いいなあ。と。
スリさん口には絶対出さないけど、奥さんのこと大好きなんだなあと思った。
でも スリさんの「かっこいい顔」は やはり非常に 威圧感というか オーラがあった・・・。というか 怖かった。。。
夕方になり、そろそろお別れの時間。
するとおもむろにスジャータさん、私の目の前に袋を出してきた。中を開けると チュリダール(パンジャビー)の生地が入っていた!!
「この生地さっき買ってきたの。今日 あなたがサリーを着て来てくれたのがうれしかったから。これで 新しいチュリダールを作って、着てね。」とのこと。
うううううううううう。 むちゃくちゃ 嬉しいっす!!!
その 心。 優しさ。 思いやり。 インド人、素敵だよお。
スリさんちをあとにし、娘さん二人と 近くの立派なヒンドゥー寺院に参拝した後、バスに乗って岐路に着いた。
この日は本当に楽しい一日だった。
インド、家族、愛。 なんか あったかい気持ちになった。