before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

日本人になることの難しさ

2008-12-20 19:01:32 | インド 生活
今 私は チェンナイの会社内で オンライン授業を担当している。

先日 夜7時からのオンライン授業の資料を パワーポイントで作っていたときのこと。

会社のインド人スタッフ クマさんが

「キョコさん、 Could you do me a favor?」と言ってきた。

このように謙虚にお願いされるときは たいてい突拍子もないお願いをされると考えてよい。

私 「なに?」

クマ「あー Do you have any western clothes to wear now?」

私 「え? 無いよ。サリーとチュリダールしか こっちに持ってきてないよ。」

クマ「Oh..

クマさんの要求はこうだ。
今日 私のオンライン授業をビデオに撮って参考資料にしたい。
ただ きょうこさんは今日チュディダールを着ているので、ビデオを見たひとは インド人の先生だと思ってしまうから、日本人ぽい格好に着替えてくれ。ということだった。

私 「うーん あ、ユニクロの白Tシャツならある!じゃ 持って来るよ」

と教員アパートに戻ってユニクロ白Tシャツをとって また会社にもどって
トイレで着替えた。

私 「あー 疲れた。Tシャツ暑いな。クマさーん、May I turn on the AC?」

とクマさんの顔を見ると、、、、



クマさん 片手で口を押さえながら 必死で笑いを堪えているではないか。。。

私 「は?! 何? 何? 変?!」

クマ 「キョコさん、、、 May I say something?」

私 「Yes, go ahead」

クマ 「Do you have any other shirts which is better than that ?!」
といって 爆笑し始めた!

ちょっとちょっとちょっとーーーーーーーー!
ユニクロ なめんなよーーーー

私 「無いよ! 無い 無い!」

クマ 「うーん チョットマッテクダサイ」

といって クマ氏。自分のTシャツを持ってきた。

そして それは ガンダムの乗組員のような エバンゲリオン2号機のようなデザインのTシャツだった。

私 「やだ!やだやだーーーー!My Tshirts is better than yours!」

クマ 「Oh,Is it?!」

と 納得がいかないクマ氏。 じゃあ 別のを持ってくるといって 持って来たのが これまた 
真っ赤なポロシャツ!

はじけるパッション!

しかも よくみたら learn Japanese!! って書いてある。

、、、、会社の宣伝活動用ポロシャツかよ。

この会社に対する愛情が0パーセントなので このポロシャツを着たくない度120パーセントだったが

選択肢がないので それを着る。

しかし!

クマ氏 それに満足せず。

クマ 「キョコさん、髪、髪!」

と 私が必死に短い髪を編みこんでいるヘアスタイルを ほどけという。

理由 → その髪型が 日本人っぽくないから。

余計なお世話だっ!

しかし 私は聞き分けのある健全な大人なので 髪の毛をほどく。

私 「もー 髪の毛が very messyだよー!」というと、

クマ 「You can use tha comb!」 髪の毛を梳かせという。

んで 「Finally キョコサン became キュート

どこがあああああ?!

今の私 すげー ダサいんですけど!?

マッチ棒ヘアがのびて 大木凡人ヘアになってしまったのを 必死に隠していた編み込みをほどかれ

今時 石原軍団でも着ないパッション赤ポロシャツを着、

ズボンはチュディダール用の派手なズボン(ヤンキーのボンタンみたいなの)。

あー

日本人とは こういう感じなのね。

いや。

違うだろ。

まあ 日本人ぽい外見になるのは 難しいよ。

と お茶を飲んでいると オンライン授業開始10分前、クマ氏 再登場。

「キョコさーーーん Good news! Today No students will be on line!」

ふーーーん

って 今日授業ないってことじゃん

私 「Why didn't you confirm before you made me changed dress!!」

今日6時間かけてやった授業準備が無駄になったことより

てんやわんやの衣装替えが無駄になったことのほうを 突っ込むあたり

私もずいぶん海外生活に慣れたもんだと 感心した。

トンガでは 予定変更、キャンセルが日常茶飯事だったから、インドのそれなんてかわいいもんだよ。

ただ

クマさんの ガンダム乗組員Tシャツを着なくて本当によかった。
もし あれをせっかく着たのに オンライン授業キャンセルといわれたら
ガンダムの乗組員として 引っ込みがつかないところだった。

その後 クマさんに ビデオ撮影のために学生なしで擬似授業をしてくれ、と言われたが、さすがにパッション赤ポロシャツを着て 一人芝居をするだけの 情熱はないので、断った。

しかし 日本人ぽくすることは 難しいと 改めて感じた。

インド ぶらぶらツアー (インド人宅 編 その2 )

2008-12-15 22:29:42 | インド 一人旅
スリさんちに行った話しの続き。

スリさんちをあとにし、娘さん二人とも別れ、バスに乗って岐路に着いた。


バスに乗ったら きれいな夕焼けがあたり一体を包み込んでいた。
バスの中も あたたかいオレンジの夕陽の光で いっぱいになった。

あー この景色。この雰囲気。
前にインドに来た時にも あった。 大学の友人の絢と二人でバックパッカーとしてインドを旅していたとき。
遺跡を見た後の帰り道、乗ったバスで同じような夕陽に包まれて、二人でいろんなことを考え、話したなあ。
あれは、デカン高原の壮大さと 北ではなかなか味わえなかった人の優しさを 中部インドで味わった時だった。「人っていいなあ」とその時思った。

あれから5年後。私は今 またインドにいる。でも今はもうバックパッカーじゃない。

あの時から憧れていた、「旅人としてではなく現地で暮らす人間としていろんな国を感じる。」ことを
今まさに体験している。

場所は違うけど 5年前と同じような気持ちで 同じようなバスに乗り 同じような夕陽に包まれてる。
なんだか 不思議だ。



この日は 本当に楽しい一日だった。
インド人の素敵な家族と 楽しい時間を過ごし、いろんな話をして あっという間に時間が過ぎた。

インド人、やっぱり素敵だなあ。と思った。
いや、インド人に限らず、人っていいなあと思った。

バスの外を見ると、中学生くらいの女の子達が お互いの髪の毛を結んでいるリボンを 結びなおしていた。
トンガと同じだなあと思った。
トンガの学生も 髪の毛をみつ編みにして リボンをつけていた。
その様子を見ていると、女の子と目が合い、その子がニコっと微笑んだ。
微笑む顔は トンガ人にも見えるし インド人にも見える。

トンガ、インド、日本という区別さえなければ 結局人間は みんな同じだなあと思う。

同じように笑い、同じように家族を愛している。

宗教、人種、言葉は違うけど でも本質はみんな一緒。 一緒なのに、なんで争うのかなあ。みんな同じなのに。

今日 スリさんと インド、トンガ、その他の国々の話をしている時、スリさんが、
「キョコさん、本を書いた方がいい!君がこれまで経験したこと、いろいろな国で見たこと、感じたこと、そういったことを いろんな人に紹介したほうがいい。殆どの人間は世界を知らない。だから君の話を聞いて 感動する人は多い。君がそういう話をしている時、君からは“自信と知識”を感じる。いい経験をしてきたんだね」と言われた。

めったに人を誉めないスリさんが そんなことを言ったので 驚いた。

お世辞だろうけど なんか ジワーっと嬉しかった。私は文才がないので本など書けないが、
スリさんの言葉で、最近30歳を目前としていろいろ悩んでいた気持ちが晴れた。ふっきれた。

「30歳で一回人生が終わると思って、それまでにやりたいことをやりつくす」と決めて、今まで自分のやりたいことを追求し、ひたすら挑んできた。でも その代わり、世間的な地位や、貯金といった安定したものとは無縁となってしまった。
これまでの人生 後悔はひとつもないけど この先のことを考えるとやはり不安になる。
日本語教師は薄給だから 給料というバロメーターで 自分の仕事や能力を測ることもできないし。

でも スリさんの言葉は
あー あたしには お金や 地位っていう 財産やじゃなくって
人との出会いっていう財産があるんだなあ。
と思わせてくれた。
出会いといっても 瞬間的に終わるものではなく、誰かと出会い、そしてある程度の時間や何かをその人達と共有し学びあってきたこと。
誰かに「ありがとう」と言われること、誰かの笑顔を見ること、それが私の目標で 自分の財産だ。

インドのデカン高原でバスに乗ってから あっという間に5年経った。

5年の間に いろんな国で ほんとうに ほんとうに たくさんの人に出会った。

そして5年間の間に 私はもう旅人じゃなくなって 現地に暮らす人として トンガやインドで 仕事をし、その国の人と出会い 深い関係を築いてきた。そのことを通して 本当にたくさんのことを学んだ。
仕事面のことだけではなく 生きることについて学んだ。愛について学んだ。
「日本人だけど 地球人でいること」の大切さ、おもしろさを学んだ。
それが 自分の財産なんだなあ。と思った。

んで 一番わかったことは ちょっとくさいけど 国や言葉、人種や宗教が違っても 人間の本質は同じで、みんな誰かを愛し、愛する人や自分の信じるものを守りたいと思っているんだということ。

5年かけて学んだことは ひじょーーーーーーーーーーに シンプルなことだった。
世の中は 本当は シンプルなのになあ。

オレンジ色のバスに乗りながら、 「やっぱり 人っていいな。」と思った。
そして、たぶん 本当に 今 私は自分の人生に満足していると思った。つまり、インドが自分の前半の人生の 最終目的地なのかなと思った。

インド ぶらぶらツアー (インド人宅 編  その1 )

2008-12-15 22:18:36 | インド 一人旅
はい、ひさびさのぶらぶらツアーは インド編です。

おととい 会社のインド人スタッフ、スリニバサン(通称スリさん)のおうちに遊びに行った。

スリさんは見た目、非常に怖い。。。というか なんだかよくわからぬオーラがある、、、。

話し方も 非常に威圧的であり(悪い意味じゃないよ) とにかく気軽に話せる感じではない。

が、 その実は
 
非常に優しい人なのだ。

とくに 愛娘2人の話になると、強面が一気に ふにゃふにゃになる。ニッコニコして、「My daughter is very good!!」と 娘自慢をしてくる(笑)
スリさんの娘 左ディヴィヤちゃん 右 ラヴィヤちゃん

大学の授業が休校になったので、しばらくJLPT(日本語能力試験)4級の試験対策講座を受け持っていたことはすでに述べたが、その時 生徒の中に スリさんの愛娘 ディヴィヤちゃんもいました。

ディヴィヤちゃんは非常に賢い子で、試験まで1週間しかないという超短期コースの内容を、誰よりも早く理解し、習得し、模擬テストの点数を100点くらい上げたのでした。また ディヴィヤちゃんはお喋りが好きな子なので、スピーキング能力も1週間でぐんと伸びました。教師の私も、こう教えがいがあると非常に楽しかった。

んで、ディヴィヤちゃんを受け持つことになった日 スリさんが 「キョコサン、Please. Please help my daughter」と言ってきた。
で、次の日は 「キョコサン、 your teaching is very good!」と言ってきた。
で、次の日は 「キョコサン、I like your song!」と言ってきた。(私は授業で暗記しなくてはいけない語彙や文法を歌にして覚えさせる)
で、次の日は 「キョコサン、Oh、you need rice 」と ランチブレイク中にパン4枚食べている私に 自身のお弁当であるココナッツライスを全部差し出してくれた。
いや、無理やり食べさせられた。私は 「ココナッツライスが食べたい」とは一言も言っていないのに、また、すでに食パン4枚を食べている最中だというのに、「You need rice」とは どういうことか・・・・。炭水化物ばかりじゃないか。。。

つまり 父親は 娘のことが関係すると まあ いてもたってもいられないらしい。

そんなこんなで スリさんには以前よりまして気に入られ、また娘のディヴィヤちゃんとも仲良くなり、

「センセ、ワタシノウチニ キテクダサイ」(お誘いby ディヴィヤちゃん)
「You come to my house」(反強制 by スリさん)

というお言葉に甘えて、お邪魔してきた。

スリさんちまで バスで約2時間。
インドでは バス停の標識などないので、ちゃんと目的地で降りられるか心配だったが、気がついたら爆睡していた。

んで、乗り合わせた心優しいインド人のおばちゃんに起こされ、なんとか目的地でバスを降りることに成功。

スリさんの長女ラヴィヤちゃんが バスを降りた場所までスクーターで迎えに来てくれたので、スクーターに二人乗りしてスリさんちへ。

まず驚いたのが スリさんの奥さん スジャータさが若くて美人だったということだ。いやー お見合い結婚でもさ、こんなに気立てのいい美人さんをもらえて スリさんは幸せ者だわ。 とても優しくて明るい人で、大好きになりました。年齢も私の母親と同じくらいで、すっごく親しみがわきました。

↓ スジャータさん


ランチにスジャータさんの手料理を頂いたのですが、こりゃまた 旨い!!!私がマサラドーサが好きだということを聞くと、その場でちゃちゃちゃとマサラドーサを作ってくれた。

↓ ホームメイド マサラドーサ! 旨し!


んで、「外国の人むきに、今日はフライドライスを作った!」と嬉しそうに話してくれた。

しかし、何故かフライドライスを炊飯器で作っていたが、そのことには敢えて触れなかった、、、。
フライドライス。フライしてあるから フライドライス。 
でも 世界は広い。フライしてなくてもフライドライスなのだ。そうだ。そうさ。なんでも 固定概念を捨てることは大事だぜ。

インドではいつもそうなのだが、食事中 わんこそば的に どんどん料理がもられていく。 トンガ時代を思い出した。
胃袋の限界がきても、出されたものは全部食べたいという気持ちから 無理して食べてしまう。
そのうち 胃袋が混乱して 「まだ食べられる」という錯覚に陥り、胃袋がはちきれる寸前まで食べてしまう。

そう、私はトンガでこうやって太ったのだった。

でも いーの いーの。たくさん食べることで、料理を作ってくれた人が嬉しそうな顔をするのを見ることが 私は好きなのだ。

食後は スリさん一家とのトークで盛り上がる 盛り上がる!たくさん笑った!スリさんが こんなにもジョークを言う人だとは知らんかった。(ブラックジョークだが。)
娘さんたちと、インドの歌や、日本の歌を歌ったりもした。 

 そして 話ている間も 何かしら口に入れるものを与えられていた。気がついたら バナナ、インドスイーツ数種、甘いドリンクを平らげていた。

いろんな話をした。日本のこと、インドのこと、トンガのこと、これまで旅した国のこと、仕事のこと、生徒のこと、結婚のこと。

スリさんは どうやら私が18歳だと勝手に思い込んでいたらしい。「私は 28歳だよ」というと、いきなり「ええ?! 28?! 何故 海外に一人で来ているんだ! 何故 早く結婚しないのだ!」と 勝手に焦りだした。 「会社との契約は来年の5月までだから 結婚はこの仕事が終わってから考えるよ。」と言ったら「いや、大学の授業は3月くらいで終わるはずだ!終わったら すぐ帰って結婚したほうがいい!」と スリさん、自分が会社のスタッフだということを忘れ、ひたすら私の結婚の世話を焼き始めた。

スリさんが3月に帰っていいって言ったのを社長が聞いたら、社長、怒るで~(笑)

しかも その後、「キョコさんは、日本語の先生としても非常に能力があるが、通訳として働くことを私は勧める!そのほうが給料もいいし、いい仕事にめぐり合える!もったいない!」と転職まで勧めてきた。

まさか 会社の人に転職をすすめられるとは。。。
おそるべし スリさん。

で、スジャータさんが手相を見るのが得意だから見てもらえというので、見てもらった。スジャータさんの 手相診断結果は

「今後も海外で暮らすことになる。非常に理解のある旦那さんと結婚し、子供が二人生まれる。(この時点で スリさん非常に安心する。)生涯 仕事で必ず成功し お金には困らない。ただ35歳までは いろんな仕事を試し、落ち着かない。40歳くらいで一つの仕事に絞る。」

とのこと。 おおー なかなかいい診断じゃないですかっ!!

しかし 「仕事面では いつもいいお給料に恵まれるわ。今の仕事も前の仕事より お給料いいでしょ?」と言われ、 「・・・ いや・・・ 前の仕事のほうが、多少(かなり) よかったです・・・」と言うと、「OK!次の仕事は 大丈夫!」と言われた。

そうか。そうなのか?ちょっと手相診断内容と違わないか?いやいや、何事も 考えすぎちゃいけない。

その後は インドの結婚の話でもちきりになった。インドの結婚について 知識はあったが、スリさんちは 今長女のお婿さん探しをしている最中で、話がリアルでおもしろかった。

インドの結婚は ほとんどが arranged marriage だ。

つまり 親が 同じカーストの よりよい相手を見つけてくる。「恋愛結婚や、異カースト間結婚は よくないのよ。」とスジャータさんが言っていた。んで、インドの結婚はとにかくお金がかかる。
結婚式は3日にわたって行われ、親戚数百人が集まる規模の大きい結婚式だ。 で、その費用は 全て新婦側の家族が持つ。 

「新郎側は、お嫁さんがもらえるだけでなく、結婚資金も気にしなくていい。それに比べ、新婦側は、自分の愛娘を手放し、莫大な結婚資金を用意しなくちゃいけない!!」と嘆いていた。

スリさんちは 子供二人とも女の子なので、お金を準備するのも大変だし、二人の娘が嫁いだ後の寂しさを考えるとやりきれないらしい。
それでも 「インド人は 全員 必ず 結婚する」ので、とにかく 今は長女のよりよい相手を見つけるのに忙しいらしい。

インドでは 一番年上の子供から結婚しなくちゃいけないルールがあるらしく、長女が結婚しないことには、次女も結婚できないそうだ。 うーーーん。。。そりゃ 大変だ。

話が 結婚式のサリーにおよぶと、スリさんとスジャータさんの結婚式の写真を見せてくれた。 当たり前だけど、写真のスリさんは非常に若く、かっこよくて びっくりした!写真のスリさんを指して「おおおおおお! Who is this?」と言うと、娘達 大爆笑。

スリさんは 恥ずかしそうにしていた。

写真の中の スリさんとスジャータさんは お見合い結婚のせいか、盛大な結婚式のせいか、終始緊張した面持ちで写っていた。

でも、それがまた初々しくて なんだか素敵だった。

インドでは 結婚してから 恋愛が始まると聞いたが、なんだかそれも 素敵だなと 最近思う。

スリさんは 非常にぶっきらぼうなのだが、お見合い結婚だからこそ生まれる夫婦間の初々しさがまだ残っていて、「スリさんとスジャータさんの 2ショット撮りまーす!」と私が言うと、無言で すくっと立ち上がり、おもむろに 眼鏡をとり、夫婦で肩を並べ、幾分緊張した面持ちで、それでもかっこいい顔をしてシャッターが切られるのを待っているスリさんを見て、

いいなあ。

と思った。



こういう夫婦、いいなあ。と。



 スリさん口には絶対出さないけど、奥さんのこと大好きなんだなあと思った。

でも スリさんの「かっこいい顔」は やはり非常に 威圧感というか オーラがあった・・・。というか 怖かった。。。

夕方になり、そろそろお別れの時間。

するとおもむろにスジャータさん、私の目の前に袋を出してきた。中を開けると チュリダール(パンジャビー)の生地が入っていた!!

「この生地さっき買ってきたの。今日 あなたがサリーを着て来てくれたのがうれしかったから。これで 新しいチュリダールを作って、着てね。」とのこと。

うううううううううう。 むちゃくちゃ 嬉しいっす!!!

その 心。 優しさ。 思いやり。 インド人、素敵だよお。

スリさんちをあとにし、娘さん二人と 近くの立派なヒンドゥー寺院に参拝した後、バスに乗って岐路に着いた。


この日は本当に楽しい一日だった。
インド、家族、愛。 なんか あったかい気持ちになった。

ミッキーマウスの恐怖

2008-12-11 17:35:42 | インド 生活

ねずみを かわいい主人公にしてアニメを作るという発想は

絶対 先進国の人間の発想だと思う。

ウォールト ディズニーは 先進国の人間だ。

21世紀、ほとんどの人は ミッキーが ねずみだということを 忘れている。

ちなみに ミニーも ねずみ じゃないか。

先進国には ちょろちょろ駆け回るネズミと寝起きをともにしなくてはいけないという状況がない。

だから ネズミを かわいいキャラクターにするという メルヘンな発想が生まれる。

しかし、野良ネズミと寝起きをともにしなくてはならない国に住む人間にとっては ネズミを キャラクターにして しかもかわいいキャラをつけるなんて発想は 決して出てこない。

ネズミとの生活。 それは 苛立ちと恐怖の生活なのだ。


昨日、チェンナイにある会社の授業がひと段落したので、チェンナイの教員アパートを出て、ケランバッカムの自宅アパートに戻ってきた。

ケランバッカムのアパートを あけていたのは10日間。

トンガにいた時、学校の学期休み(2週間)の間 本島に滞在した後で 離島の我が家にもどると ゴキブリ 10匹くらい ときどきヤモリ数匹が 安らかに息を引き取っていらっしゃったので、

まあ ゴキブリ数匹は死んでいるだろうなあー と思いながら 部屋のドアをあける。

・・・・

ゴキブリ なしっ!!

おおおお

インド!

やるじゃないかーーーー! インド 綺麗じゃん!

と思ったら トイレの横で 1ゴキちゃん発見。

まあまあ ゴキブリ一匹くらい への河童ですよ。

「ああーーー インドすばらしい!」 と思い ベランダのドアを開ける。

ん?

開きにくい。

無理やり押す。

ドアの向こうに 羽毛が見える。

カラスの 羽かしら?

観察。

いいえ カラスじゃないわ。

ネズミ・・・・・。

ネズミじゃん。 しかも 死んでるじゃん。。。。

ゆっくり ドアを閉め、そのまま 立ち尽くす。

椅子に座り 考える。

そう こういう時、「キャー ねずみよー!」と 一般の女の子らしく叫ぶことほど 無駄なことはない。 長年海外で一人で暮らしてたら たいていのことは 自分で処理しなきゃいけないとわかっているとき、人は叫ばないものです。

こういうときのベストの対処方は、騒がず 椅子に座り たばこを吸う方はたばこでも一本吸ってから 考えましょう。

さて、ネズミの死骸を見てから ちょっと一息ついた後、同僚で同居している日本人の先生に、

「やばいっす・・・ ネズミ 死んでます。」 と連絡。

そう、社会人は 「ほう れん そう」ですから、報告 連絡 相談です。

で、その先生は男性なので、すばらしいことに ちりとりとほうきで 死骸を片付けてくれた!!

Oh! God! 私は 神を見た。

で ネズミの死骸をどけた後、ベランダにネズミの体の跡と 血痕がしっかり残っていたので、 水をかけ 一人で うんしょうんしょと 掃除していたら

一階のオーナーがそれに気がつき、
また 雨水が流れ込んだのと勘違いし、掃除夫を派遣して 掃除し始めた。

私が
「今回は 雨水じゃなくて、ネズミがね・・・」と説明すると、

「おー ここに空のダンボールとかが山積みになってるから ネズミが居つくんだよ。 これを片付けよう」

と ダンボール類を片付け始めたとたん、

だあああああああああああああああああ

また ネズミ先輩 登場。

もう やだ。やだやだやだーーーーーーーーー 

でも 今回は 掃除のインド人おじちゃんがいたから、
一応「ギャー」と叫んでみた。

おじちゃん 「大げさだなー」と笑い飛ばし その場なごむ。

そして 結局 そのおじちゃん ネズミ現場のベランダだけでなく、何故か私の部屋をすみずみまで掃除してくれ、ワックスまでかけてくれ、天井のくもの巣まで 取ってくれた。

人生 山あり谷ありだね。

ネズミのおかげで 部屋が美しく生まれ変わった。
ネズミのおかげで インド人 また好きになった。
ありがとう ネズミ。
でも 頼むからもう私の部屋の近くで死なないでくれ。

 

しかし 思い出してみると、トンガ時代、毎晩ネズミ5,6匹と暮らしていた。

机で仕事していると 奴らは臆することなく堂々とその机の上を駆け回っていた。
 → しかし私は それをほぼ無視していた。

私の足元、頭上、時に 本を本棚からとった時、その隙間から出くわすこともあった。
 → ときどき ほうきで ぶっ叩いていた。

夜中 足を咬まれたこともあった。
 → 痛くて起きて そのまままた寝た。

朝起きると 買ったばかりのクラッカーが半分くらい 奴らに食べられていたこともあった。
 → ネズミが食べずに残った部分は もったいないので 食べた。

あ、あと日本から送ってもらった強力ねずみとりで ねずみを生け捕りしていた。

なのに、今 インドで たかが一匹 二匹で 動揺している。

私も 老いたね。

まあ 今回は 死骸だったから 余計 弱気になったよ。
あと、日本に帰った時、お母さんにトンガのネズミの話をしたら
「あんた、ネズミは すごい危ないんだよ!ヨーロッパでチフス流行らせたのはネズミだよ!もう絶対ネズミが食べ残したものは食べるな!」と言われてから ネズミが怖くなったってのもある。

まあ 言いたいことは

ディズニーランドに行って 「ミッキー きゃーーー! かわいいーーー!」と
叫んでいる女子。

発表します。

ミッキーは 残念ながら ねずみです。

ねずみランドです。
君達も ねずみと一緒の暮らしを体験すれば ミッキーに抱きつくことに躊躇するようになるでしょう。

ねずみの うんこは コロコロです。
ちなみに 今の私の家は、朝起きてドアを開けると ドアの前に コロコロうんこが 無数転がっています。

正直 ねずみが かわいいとは 思えない。
その感情が発展して 最近は ミッキーも かわいいとは思えない。
むしろ
中国の偽ミッキーのほうが ブサイクな顔立ちなので 好きだ。