before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

喜怒哀楽の 怒

2007-10-22 12:53:10 | トンガ 青年海外協力隊活動記
帰国迫る今日この頃。
毎日毎日「あー まじ幸せだー ちょー楽しすぎるー トンガ人さいこー エウアさいこー」と 恐ろしいまでに幸せを感じまくっていた。

しかし「このまま終わるわけがない・・・?」なんてうすうす思っていたら
やあーーーっぱりねー

起きましたよ!揉め事が!喧嘩が!しかも立て続けに。
ここ1ヶ月くらい毎日笑いにあふれた生活だったのだが、

1 トンガ人親友と喧嘩
2 同僚に大激怒

あーあー 

確かにへこんだけど、同時に「うわー!やっぱ こうでなきゃ人生 リアルじゃないよなあー」なんて思って ちょっと嬉しかったりした。

つまり、いつもニコニコ笑っているだけの関係って リアルじゃないと思うのだ。
どんな親友だって、どんなに愛称のいいカップルだって
喧嘩をする。
親しくなればなるほど、お互いの腹のそこを見せ合って 言い合う。

それはきっと 「もっと自分の考えを理解してもらいたい」と思うから
熱くなって 怒鳴ったり 言い合ったりするのだ。
それって 結構労力のいることだから、どーでもいい相手には そこまでしないで「てきとーに あわせとこー」と 社交辞令モードになる。

誰かと喧嘩したり、誰かに腹を立てたりすることは
自分の気持ちを落ち込ませたりするし、辛いことだったりするけど

でもそういう過程ぬきに 深い人間関係は築けないのだ。

自分の2年間の活動を振り返って 本当にそう思う。

最初は 島の人に嫌われたくなくて、嫌なこともはっきり嫌といえず 口に出さず 一人でストレスを抱えたりしてたけど、
相手とぶつかることを恐れてたら 本当にうわべだけの付き合いしかできない。

親しくなればなるほど、相手の嫌な部分もたくさん見えてくる。

エウアで暮らして どっぷりトンガライフにつかってきたが
トンガライフに浸かれば浸かるほど 楽しさも増したが もちろん 嫌な部分を垣間見る機会だってたくさんあった。
でも
それでも
諦めずに 時に火山大爆発を起したりしながら 笑いと怒り、涙とセンチメンタルにあふれた リアルな毎日を送ってきて 本当に良かったと思う。
そのおかげで 今がある。

まあ 久々にトンガ人ともめて、へこんだけど
人生 こうでなくっちゃー!
あたしってマゾだから 辛いこととかあった方が 人生面白いよねーって思う。
まあ とにもかくにも
喧嘩できる相手がいるって いいことだねー!

School & Teacher's Day その4

2007-10-18 13:30:00 | トンガ 青年海外協力隊活動記
とにもかくにも
こうして ビッグイベントは 終わった・・・・

いやいや まだ終わらない。
なんつったって この日は創立記念日とTeacher's dayの二本立て!
式展が終われば 一気にTeacher’s day モードですよ!

プレゼントをたくさん持ってきてくれる子、「プレゼントはないけど」といってウマ(キス)をしてくれる子、逆に「きょこ!プレゼントくれ!」と言って来る子 さまざまだったけど
でも 教師冥利に尽きるとは このことです。

プレゼントをくれた子は皆 手紙も添えてくれていた。
うれしかったのは、自分の日本語の生徒だけじゃなく
副担任をしているFORM CALSSの生徒がプレゼントを持ってきてくれたこと。
しかも それが一番豪華だった・・・
Form classの生徒は 出席を採ったり 大掃除の時一緒に掃除をしたり、マフティデイである水曜日にお金を徴収したりしているだけなのに・・・・。
ありがとうねー
ちびっこたちー(私のForm classは Form2。日本の中二。)

で、一日が終わる前に、校長先生のところに行って 改めて今回この機会を与えてくれたこと、本当に感謝していると言いに言った。
校長は 「こちらこそ、ありがとう。本当によかった。とてもとてもきれいなsaame(psalm)だったよ」といってくれた。

実はこの日、式が始まる前に、私は校長先生に
「オケティ!(校長の名前)私今日全力で頑張ります!あなたに恥を欠かせないためにも、あなたの恩恵に答えるためにも 全力で頑張るよ!」
っていったら
彼女は「きょうこは いつも全力で頑張ってるじゃない?だから心配してないよ。ありがとう」って言ってくれて 涙ぐんでいた。

私には カウンターパートがいないので、テスト作成、採点、授業、クラスの問題、全てを抱えているので、時にすごくストレスだったりするし、日本語に関するイベントは全責任を負っているので 正直しんどいことが多かったけど
そういう時、助けてくれたのが校長を始めとした同僚達だったなあ。

その同僚にムカついたこともたくさんあったけど(笑)
でも 
時に泣きながら クラスの悩みを相談したこともあったし(かなり頻繁に 笑)
エウア高校でJapanese weekをした時も 同僚に手伝ってもらったし。

そういう関係のひとつひとつが 今とてもいとおしいのだ。

teacher’s day というのは 生徒が先生に感謝する日だが、
私にとっては 一教師である自分が、同僚の先生に感謝する日でもあり、
自分を教師たらしめてくれている生徒に 感謝する日でもあった。 



School & Teacher's Day その3

2007-10-18 13:14:51 | トンガ 青年海外協力隊活動記
はい。これ 私が読んでるとこー

もう めっちゃ緊張した。
たぶん トンガに来て一番緊張した瞬間だった。

しかも蒸し暑いし タオバラの隙間から感じられる私の熱気で またのぼせて
鼻血がでそうだったよ。

でも 無事読めたんだよー!スムーズに読めたんだよーーー(><)
まあ あんだけ練習してスムーズに読めなかった そうとうグズだねってくらい練習してもんなあ。
しかし 緊張した。

しかも 式が終わった後 生徒(生徒にはこのこと内緒にしておいた)とか 生徒の親とか もちろん同僚に
「すっごくよかった!」
って いわれて うれしかったんだよー

学校の事務員のおばちゃんたちは そのひ来客のお世話で忙しくてホールに来られなかったのに、「きょうこの番が来たときだけ 走ってホールにいったんだよ!」って言われて 

うえーーーーーーーーーーーーー
ありがとーーーーーーーーーーーーーーー

で、人というものは ゲンキンな生き物で、自分に課された大役が終わると、
さっきまでの緊張はどこへやらー
「はー おなかすいたなー 緊張して朝ごはん食べてないしなー」なんて考えていると、私の前に座っている校長先生が 振り返り「きょうこ、とてもよかったよ」と言ってくれた。

おなかすいたなー なんて考えてて 恥ずかしかったが
彼女の一言で、一気に またセンチメンタルモードになり、
生徒達の賛美歌、牧師の言葉等々 全てのイベントで 涙してしまった。

(ああ 私 もうすぐこの空間からいなくなるんだ)
と思うと つらかった。
でも 同時に これだけ 別れが辛いほど愛しい空間にいられることを幸せだなとも思った。
ふと前に座っている校長を見ると 彼女も泣いていた。
彼女にとっては 校長としては初めての年、初めての創立記念日なので思い入れがあるのだろうな。。。。
と もらい泣きしていたら 彼女が振り返り 静かに
「きょうこ 隣に座ってくれる?」
というので
(ああ、誰かとこの感動を分かち合いたいのだわ)と思い ハンカチを渡しながら「もちろん!」
といって 席を移動すると
「きょうこ!あの人の写真とって!あの人教育省の超有名人だから!」

・・・・・・

そーいうことかい!


School & Teacher's Day その2

2007-10-18 12:55:33 | トンガ 青年海外協力隊活動記
ということで 当日がやってきた。
当日の朝、準備をしていると、生徒が数名我が家にやってきた。
こんな 朝も早から・・・・(でもここ最近毎朝 学校前に生徒が我が家にやってくるのだが・・・何故だ?彼らは何をするわけでもなく 私の顔を見に来て じゃ!後でね!とか行って去って行く。)

で この日もまたそんな感じかなーとおもって ドアを開けると カホア(レイ)をもった 生徒が!!!
「どしたの?!」っていうと「これ キョコに!私が作ったの!」

だああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー
もうもう
やめてっつのーーーーー

童ども   「姫姉さまー これチコの実!みんなで集めたのー!」

ナウシカ  「チコの実。こんなにたくさん。大変だったろうに・・・・」
(映画ナウシカより抜粋)

みたいな。

10歳も違う少年少女のハートフルな行為に あたしは胸がいっぱいになりました。
で 「ありがとう ありがとう!」と数十回言って
「じゃ きょこ!後でね!」と生徒が帰ったので
今度は タオバラ(トンガの正装 でっかいマットみたいなの)を巻きに アヒのうちに行く。
学校で授業をしているとき、男性は小さめのタオバラ、女性はキエキエというものを腰に巻かなくてはいけないのですが、
この日の私のように、公的な場所で何か発言したりする時は 写真の私が巻いているようなBIG タオバラを巻かなくてはいけないのです。

ちなみにキエキエというのは 写真で私以外の同僚が皆がつけているもの。

で この日はもちろんアヒが「タオバラをつけなきゃかっこ悪い!」といい
前日から このタオバラを親戚の家から借りてきてくれていたのだった。

一人では巻けないので、アヒのうちに行き巻いてもらう。
「アヒー おっはよーん」といって アヒのうちに行くと
私が首に巻いている生徒からのカホア(レイ)を見て
「なんじゃそりゃ!?」と一言。
「生徒がねー くれたんだよおー」と ニコニコして答えると
「はあ?!ダメダメそんなの!あたしが作ったカホアのほうがきれいジャン!」
と 大人気なく焼きもちを焼き 私から生徒のカホアを奪いとってしまった。。。

私は アヒの作ってくれたカホアと 生徒の作ってくれたカホアの両方つけるつもりだったので、ちょっと悲しかったが、
アヒが 「やだやだ!絶対あたしのカホアだけ付けなさい!どうしても生徒のカホアを付けたいんだったら 式が終わってからだったらいいわよ!」
と言って聞かないので、 従うことに・・・。

トンガ人って ほんと焼きもちやきだなあー
生徒がせっかく作ってくれたのに 残念だったなあ。

School & Teacher's Day その1

2007-10-18 12:30:24 | トンガ 青年海外協力隊活動記
School day 前日。
その日は とても蒸し暑かったので 放課後7時ごろ 港に泳ぎに行く。
泳ぐといっても 洋服を着たまま 港に飛び込んで ラグビーボールを投げあったり もぐったりする(しかも 日が暮れた後)。
これが 気持ちいいんだよねー
星空をみながら海に浮かんで20代後半の同僚達と 笑いあう。
んで トンガもようやく暖かくなってきたので、泳いだ後 学校に帰るまでの上り坂10分も ぜんぜん寒くないし。むしろ すずしい。

んで その後 シャワー浴びて 翌日読む賛美歌(PSALM)を読んで練習していたら電話がなる。
相手「Kofe koe?!(あんた 今どこ?)」
仲良しの同僚からだ。
私「‘I Api pe. toki ha`u mei tahi (うちだよ。海から戻ってきたばっか)」相手「Haue- Amusia koe- Oh kioko,Ha`u ki eku api ! vave!
 (わーお うらやましい。お、きょうこ、あたしのうちに来い!今すぐ)」 

といって 電話代をけちる同僚は 即電話を切る。
たいていの場合、「来い」と言われたら 行く以外に私に選択肢は用意されていない。
彼女もおなじ教員宿舎にすんでいるので 20秒程度で彼女の家に着く。 

で、彼女の家に行くと、
なんとなんとー
あたしのために カホア(レイ)を作っていてくれたのですー
まじ 感動ちゃったぜー
やばいねー

だって 今 教師は皆一番忙しい時期で 学校が終わって 家に帰って またすぐテストの採点や テスト作成に終われる日々なのに、、、。
(まあ この日のようにたまに 海に行って泳いだりするけどね 息抜き大事よ。)

「なにこれ?!」とびっくりする私に 「学校が終わってすぐ カロ(同僚の親戚の子)と 花つみに行ったんだ。明日 きょうこと あたしは おそろいのカホアつけんの。いいでしょ?!」
という同僚 アヒ。
アヒは 日頃 Kapekape(swear:shitとかdamn it とか。かなり悪い言葉のトンガ版)ばっか言ってるし 二人でいると 人の悪口を愛情こめて言ったり(トンガじゃ 悪口言うのも会話の一つですから 笑) わたしが 何かでへこんでいても「そんなの悩んでるのは時間の無駄無駄!」と サラっと一括するタイプなんですが、時々すっごーーーーーーく 愛情を感じることをしてくれるんだよねー

しかも ぜんっぜん 恩着せがましくなく 今回も
「あんた これあしたつけんのよ?!わかった!?つけなかったらコロス!」みたいな勢いで
あたしが「ああああーーー まじ感動したあああー」って叫んでても
「あんた ばっかじゃなーい?!大げさー!」って サラーッと言うんだけど
でも
そういう時 アヒの顔って むっちゃニコニコしてるから すっごい好きだ。

その後 アヒと深夜12時に トーパイ(小麦粉を水でねって ココナッツと水でゆでた甘くてヘビーなお菓子)を平らげ 明日の練習をして 床に就いた。 

本当に いい同僚達に めぐまれているなあ。。。と感動したBIG DAY 前夜であった。

大 抜 擢!!!

2007-10-11 12:13:37 | トンガ 青年海外協力隊活動記
明日は わが配属先エウア高校の創立記念日である。
それに加え、今年は teachers dayなるものが教育省の一存で開催が決定され(つい2週間前に決定した) 今年は 創立記念日とteacher's dayが合体したイベントが催される。
Teacher's dayには 生徒が自分の好きな先生にプレゼントをあげるのだ もう今週の月曜から 生徒達が「きょーこに プレゼントあげるからねっ」と言い寄ってきて かあーいいーーー

Teacher's dayに関しては まあ2週間目に開催決定したほどなので、上記したように 生徒が教師にプレゼントをあげるだけなのだが・・・・

創立記念日。これは 熱い。。。。 
日本だと 創立記念日は あまり盛り上がらないが、トンガは違う。
何が違うって 規模も違うし、第一卒業生の気合の入れ方が違う。
エウア高校卒業第一期生から現在 在学中の学生までが集まるのだ。

そんな中、、、、、なんと、、、、
大抜擢されてしまったのですわたくし!!
この創立記念日、キリスト教国家トンガらしく お祈り、賛美歌、牧師さんからのお説教等々、かなりオフィシャル的なプログラムにのっとって行われるのだが、
校長先生から
「恭子に 賛美歌を読んで欲しい」と頼まれたのです!

いやあー 感動しました・・・。
トンガは 敬虔なクリスチャン国家なので、特に私の住んでいる小さい島などは 外国人でキリスト教徒ではないものが教会のことに口出しするのは ありえないことなのです。
なので 最初は「私が適任じゃないと思う。私のトンガ語の発音が悪くて、大事な賛美歌の内容を間違えてしまったら申し訳ないから」と断ろうとしたが、
「この賛美歌の内容は 是非恭子に読んで欲しい。生徒にも きっと何か伝わるものがあるだろうし、きっと帰国しても恭子の心にずっとこの賛美歌が残ると思うから。」
と校長先生に言われた。
もーーーーーーーーー
やめてっやめてっ
泣けるじゃねえーーーかああーーーーー

前述したように、創立記念日にはエウア高校の学生、教師以外にも 学生の家族、卒業生、教会関係者、教育省からのゲスト、エウアの全小学校教員等々が集まるのです。そんな中で、私に賛美歌を読むという大役を任せてくれた 校長先生の思いに答えたくて、猛練習中。
実際 職員会議で 校長先生が「賛美歌は恭子に読ませる」と言ったら 数名の教師から「教会のことを 外国人にやらせるのはいかがなものか」と意見がでた。
それは当然のことだし、私も(やっぱりあたしはクリスチャンでもなければトンガ人でもないし・・・私が読まないほうがいい・・・)と思わされたが、校長先生と他数名の同僚が「恭子が読むのでいいじゃない? 賛美歌は 唯一 キリスト教の宗派を超えて共通しているものなのだから」と言ってくれ 結局私が読むことになった。

そうやって この機会を与えてくれた人たちに応えたい。
なので 同僚教師に頼んで、彼女の賛美歌を録音して、寝る前に毎日聞いて繰り返し発音の練習をしてきた。
賛美歌の意味も、全部訳した。
そして、
校長先生が「恭子に読んで欲しい」と言ってくれたことの意味がわかった気がする。
その賛美歌は 農夫の話だ。
要約すると
「彼ら農夫は、種をまき 土を耕す時 その困難さ故 大いに涙した。
 しかし、その種が大きく成長をし 実をなす時 喜びの歌を歌い
 大きな幸せを味わったのだ
 最初はとてもつらく たくさん涙をながした
 しかし 辛ければ辛いほど 実った時の喜びに勝るものはない」
というものだった。
つまり、
No pain No gain。 あたしが 一番学生に伝えたいことだったからだ。

同僚の先生たちも 一緒に練習に付き合ってくれて、
明日着る洋服まで選んでくれるほどだ(笑)

明日 賛美歌に自分の思いをのせて、 学生達、同僚達、エウアの人々に 届けられるよう 頑張ろうと思う。

幕末をトンガで考える。

2007-10-03 09:56:45 | トンガ 青年海外協力隊活動記
吉田松陰は 29歳の若さでこの世を去ったということを 最近 本で知った。
私は これまで松蔭は30代後半で死んだのだと思っていたので、ちょっと衝撃だった。
29歳という若さで、松下村塾を開き 門弟に慕われ 彼らに大きな影響を与え、そして自分は死に向かって突っ走っていった。
彼の死後も 、門弟の中から 尊攘運動や明治維新で大活躍した者がたくさん排出された。

今から130年以上前の話。
私は今27歳。あと1年で 松蔭が松下村塾を開いた年齢と同じ歳になる。
まあ、吉田松陰とか 幕末、明治維新等々偉業を成し遂げた偉人達と自分を同等に考えて比較するのは浅はかですが、ただ彼らの年齢と今の自分の年齢とだけを考えて比較してみると やっぱり私はまだまだ青二才だー と思わされる。
ちなみに年齢ネタで、「幕末史の奇跡的存在」(かっこいい表現ですねー)坂本竜馬は33歳でこの世を去る。
さらに、ちなみに、パッカーのバイブル(?)「深夜特急」の著者 沢木耕太郎がユーラシア大陸横断の旅に出たのが27歳(だったよね?)。ゴーダマシッダールダは35歳で悟りを開き仏陀になる。

まあ そんなことは別として 幕末って面白い。
あたしがもし男で、幕末に生きていたら、間違いなく死に急いでいたタイプに属していただろうなー。
基本的に 私は猪突猛進タイプなので、「自分は生き抜いて革命後の日本を支えるのだ」などという 思慮深い考え方はできなかっただろう。
おそらく、京都なんかにむらがっていた脱藩志士たちと 熱く攘夷論、倒幕論などを語り明かし、明日をも知れぬ命という状況の中で それでも歴史を変えるのだなんてかっこつけていただろうなー
だって あたしって ナルシストやん?

松蔭は「体は私なり 心は公なり」という言葉を残しているそうだ。
この言葉を知った時、インドの哲学“梵我一如”と通じている!?と 大興奮したが、
ようするに
「私(体)を こきつかって 公に殉ずる者を大人(立派な男)といい、公をこきつかって私に殉ずるものを小人(つまらぬ男)と言う。小人が死ねば その肉体が朽ちるだけだが、大人は死すとも天地の理の中で生きている」ということだそうだ。うーん まさに 幕末を生きた人という感じだ。

私は 男でもなければ 侍でもなく 幕末というある意味特殊な時代を生きているわけでもないが、
いつだったが、大学生のころ バックパッカーで放浪しまくっていた時、インド-ネパール国境越えの長距離ゲロバス(悪路ゆえ、乗客のインド人ネパール人が頻繁に吐く:詳細はわたくしのHPに載ってます。)の車内で乗り合わせた旅人と話していた時、自分の人生観を話していたら「それは Samurai spiritだね」と言われたことがあった。
当時、たしか「わたしは 死ぬ瞬間の為に生きている。」という とんでもないハードボイルドな ルー大柴だってびっくりな ナルシスト発言をしたと思う。「いかに死ぬか」たしかにそれは 武士道と通じるところがあるのかもしれないなあ。

どんなにお金があっても どんなに美しく着飾っても あの世にまでそれらを持って行くことはできない。
どんなにすばらしい地位や誉をもらったって 死んでしまったら それで終わり。
じゃあ どうして 生きているのだろう。おそらく、死ぬ瞬間に自分の人生に満足するためではないだろうか。(あれをしておけばよかった。)(あの人にこれを伝えておけばよかった。)と後悔しても遅い。でも きっと人間は欲深いから 死ぬ瞬間に1つも後悔のないことなんてありえない。けれど 死ぬ瞬間にその後悔が一つでも少ないように 今自分のやりたいことを 自分のできることを 今 やっていきたい。
今できることは今やる。だって明日はないかもしれない。

幕末の志士たちと比べたら 時間はあるのかもしれないが、命がいつ終わるのか 誰も知らない。
それは 130年前も 今も 同じだ。

後悔のない人生はない。でも やる前に後悔するより やった後に後悔した方がいい。そりゃそーだ。
失敗の多い人生のほうがおもしろい。だって 一回しか生きられないじゃん。いっぱい 失敗しとこー 
No 失敗 No ライフ。 
ちなみに、今回のテーマ幕末に絡めてしめるとすると、100年以上も前、京都をはじめとしてたくさんの血が流れる中、幕府の一存で日米修好通商条約が締結され、結果日本が開国したことにより 今あたしはトンガにいることができるのだ。むむーん ちょっとむりやり こじつけたかね?

写真は エウアの侍。あ 私の同僚。

師走!

2007-10-01 11:32:03 | トンガ 青年海外協力隊活動記
先週まで 毎日 毎日 4時まで起きてるか 5時に起きるか という日々を送っておりました。

いーそーがあーーーしいーーーーのよおーーーー
先生ってやつは!特に学期末!
特に私はエウア高校唯一の日本語教師なので 3年生から6年生までの4学年を ひとりで面倒みているわけです。
しかーも 今年はひとつクラスが増えたので 毎日5時間授業。
休み時間も テストの採点、TSC PSSCという高学年が受験するテスト(卒業認定試験のようなもの)の対策やら なんやらで 一日たった1コマしかない空き時間も 走る走る。。。。
コピーをしたり 教材を取りにいったり 授業準備に追われたり 生徒の質問に答え、 ノートをチェックする。
まさに 師走!
今 一番やっかいなのは テスト作成!
他の教科の先生は みんなで手分けして作成するから一人1学年か2学年だけ担当すればいいのだが、私の場合 4学年! 
しかも
どうせ 作るなら ベストのものを作りたい!
そうやって 眠れぬ日々をまた過ごす。。。。

おかげで 先々週の日曜日は 普段なら9時に起きて 10時の教会に行っているのだが、ぜんっぜん起きれず。
すると
「キョコ!キョコ!」という声とともに すごい力でドアをたたく音が。
(だれだよ~)と思いつつ こういうことはほぼ毎日あるので 驚きもせずドアを開けると
友人 マアタ氏(女性 20歳 子持ち 旦那なし)が 「ちょっとー!なんで教会来ないのよう!」と大汗をかいているではないか。
(教会から 私のうちまでは およそ5分。しかしトンガ人にとっては5分=致死量)
「え!?今何時!?」と時計を見ると11時。あちゃー
「ごめーん 寝すぎたー」って言ったら 「いいのいいの!教会なんてどーでもいいのよ。それよりさあ、きょうこが ウム食べられないほうが問題でしょ?だから迎えに来た」

教会で お祈りするより ウムりょうり。(マアタ 心の一句)
ねぼうなんて どうでもいいよ ウムりょうり(マアタ さらに一句)
5分間も あるいちゃったよ ちょっと休ませて(マアタ 心の叫び)

(ウム =トンガの伝統料理 タロイモの葉っぱで魚や肉とココナッツミルクを包み それを更にバナナの皮でくるんで 地面に穴を掘って熱した石を入れて焼く。日曜日は みなそれを食べる) 

ということで 小休憩後 そのまま いつものようにマアタのうちにいって マアタの家族といっしょに わいわいおしゃべりしながら ウム料理を食べる。
※ ちなみに我が家からマアタ家に着くまでの間、マアタ氏3回立ち止まって要小休憩。
ちなみに マアタの家族は 私のトンガンファミリーです。
毎週末 ここにお邪魔しています。もー この家 だいっすき!

しかし、3学期が始まってから 師走 師走。おかげで 3キロ痩せたのだ。
けれど 全て愛する生徒のためだと思えばその忙しさも幸せだし
週末は家族に癒され あー こりゃ 楽園だよ。あたしって しあわせだわー

先週末は ついにテストが全て作成終了予定!なので久々に、日曜日教会行って マアタたちとウム食べて そのまま皆で2時間みんなで昼寝して 島に唯一のパン屋にいって かっこいい人探しをし 帰り道で知り合いのうちでバナナとホパをもらって帰る という通常の日曜life(他に選択肢なし)を送った。
ここ数週間「パン屋いこー パン屋いこー」とせがむ マアタをなんとか説得させて ウムを食べた後 すぐ家に帰って仕事をしていたので
「いつになったら テスト終わるのー!」とマアタ達が言うので
「もー あたし行かなくても みんなで行けばいいじぢゃん!」って言うと
「きょーこが一緒じゃないと お父さんが怒る。お父さんは 私よりキョコを信頼してるから キョコなしでは いけない!」と。どないやねん。

パン屋にね 行くイコール 遊び人。 (エウアの生活を表す 一句)

だって 他に 日曜日 やってるお店もないのですから。。。。
しかも みんな日が暮れる寸前まで 人間ウォッチングしてるんだもーん
パンも買わずにー そりゃ お父さんも怒るわなー

写真は マアタの子。イシ。1才だけど もう歩きます。というか走ります。
昨日会ったら もうしゃべり始めてた。大きさ3才児。トンガ人は子供の頃からたくましいわ。 ってか めっちゃかわいいんだよー 毎週末だっこして 癒されてます