before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

夏の思いで③ミャンマーを旅する

2011-09-24 01:31:30 | 海外旅行・短期海外滞在

ミャンマーに行ってきますた。
8年ぶり 2度目のミャンマーです。

夏休みと振休みと土日をくっつけて10日間の旅なのです。
久しぶりのLong tripなのです。
もちろんスーツケースやキャリーバックではなく、バックパックを背負った旅なのです。

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何故 ミャンマーかというと、実は直近で担当した仕事が ミャンマーの案件だったからです。

この仕事、今までの中で一番準備期間が短く、テーマも難しかったので、
朝の4時まで働いたり、2時間しか寝ないで事前打ち合わせの出張に行ったりして本当に大変だったけど
結果 「大成功」だったし この仕事やっててよかったって思えた案件でした。

そしてそのプロジェクトを通して、たくさんのミャンマーの方々と知り合い、
一定期間一緒に過ごし、いろんなことを学びました。
優しさ、笑顔、礼儀正しさ、複雑な国の状況、思いやり、、、、などなど

そして すっかりミャンマーのファンになりました!
8年前、学生の時に訪れた時も ミャンマーの人々の優しさに触れ 大好きになったけど
今はそれ以上です。

ということで、同僚1名とバックパック背負いミャンマーに行くことにしたのです。

現地では 一緒にその案件を担当した同僚のミャンマー人の友人に あれこれ手厚くお世話をしていただき 
本当に最高の旅でした!その友人には心から感謝しています。

ただただ、もう 楽しかった! 

私が旅に求めるもの、「楽しい」と思うのに必要な要素は
1.現地の人と たくさん関わって たくさんの笑顔に出会う
2.文化、歴史、宗教を学ぶ
この二点が旅には必要不可欠。

今回はミャンマー人の同僚のおかげで もうこの二つが旅にたくさん盛り込まれて
最高でした!

今の仕事をしていなければ 出会わなかった同僚。
出会わなかったミャンマーの方々。
そして 増えることのなかった知識。

感謝感謝です。


ミャンマー、お勧めだけど、秘密にしたい(人気が出すぎると困る 笑)国です!

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◆行った場所

①ヤンゴン

②バガン

③ミャウンミャ (友人の実家がある)

①ヤンゴン

(シュエダゴンパゴダ @ ヤンゴン)

②バガン

(世界遺産バガンのパゴダからの眺め @バガン)

③ミャウンミャ

(ミャウンミャののどかな風景@ミャウンミャ)

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◆絵になる風景◆


(雨上がりの街 @ ヤンゴン)



(緑の中の微かなピンク @ ミャウンミャ)


(ポップでキッチュなディスプレイ @ヤンゴン)


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◆私好みなキッチュな神様たち◆


(迫力満点 @ スーレーパゴダ ヤンゴン)


(木曜の仏陀onガルーダ @ シュエダゴンパゴダ ヤンゴン)


(たくさんの仙人 @ シュエダゴンパゴダ参道 ヤンゴン)


(「お捨てなさい。。。」 @シュエダゴンパゴダ参道 ヤンゴン)


(Yes we can! @シュエダゴンパゴダ ヤンゴン)

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◆粋な車と電車◆


(みどりのくるま @ バガン)


(ミャンマー語のナンバープレート@ ヤンゴン)


(自然とくるま @ ミャウンミャ)


(ながくつづく線路 @ヤンゴン)


韓国旅行で思ったこと

2010-10-22 23:40:09 | 海外旅行・短期海外滞在
はあ。なかなか忙しくってブログをアップできないなあ~。毎日 ドタバタ、くまが消えない。

*********さてさて、韓国旅行のつづき。********************

海雲台で、海を見ながら のーんびり過ごした私とあさちゃん。
その夜、ホテルで日本から持ってきたお土産を あさちゃんにサプライズプレゼントしたら、
そのお土産達を全部抱えて ギューッと抱きしめて「きょんちゃーーーん ありがとおーーーーと あさちゃんはウルウル。。。

トンガの二年間、楽しいことと同じくらい、辛いことだって悲しいことだって当然あった。
一緒に泣いたり 励まし合ったり、別々の島に住んでいた私たちは長時間携帯で相談しあったり、
私が落ち込んでいたりSOSを出しているときは、あさちゃんも仕事で忙しいのに本島から私の島「エウア」まで
船に乗ってやってきてくれた。(船で二時間だけど、古い船、ひどい揺れなので船旅はそう気軽なもんじゃないのです、、、)

そうやって 同期はもちろん隊員仲間でいろんなことをシェアして乗り越えてきた。
二年前の話です。あれから二年経った今、みんな別々の場所で別々の道に進んでいる。
別々の場所で それぞれが一生懸命がんばっている。

不思議です。

エウアでの生活に耐えられたのは、本島や別の島でがんばっている同期の存在があったから。
ひとりじゃないんだって思えたから。

今、ひとりで韓国でがんばっているあさちゃん。
トンガのときみたいに 同じ悩みや辛さを同じタイミングでシェアすることはできないけど、
でも やっぱり自分にとって大切な仲間はいつでも自分の心のなかにいるから
いつも いつも心から応援しています。

韓国旅行、とっても楽しかったけど、
でも大好きなあさちゃんと空港でバイバイするのは、、、やっぱり 寂しいですね、、、
トンガの仲間は 本当に家族のようで、自分の人生にとって必要な人達なので、、、

韓国でがんばっているあさちゃんを見て、
私も、がんばらなくっちゃ!!と 励まされました。

そして また韓国行くぞーーーー!!!

と、日本に帰国しました。

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さてさて、韓国旅行で感じたこと、思ったことをまとめてみようと思います。

私が韓国旅行の日程を決めたときには気がつかなかったんだけど、出発前になって気が付きました。
そう、2010年の8月22日は韓国併合からちょうど100年目にあたる日だったのです。

現代の日本では、韓流ドラマや韓国のPOPアイドル人気が高まっているけれど、
そして、韓国の10代20代の若者の間でも日本のサブカルチャー、ポップカルチャー人気は高まっているけれど、

両国の間、特に韓国側では忘れられない歴史がある。

いわゆる「反日感情」から生まれる行動、また、平和な日本が知らない歴史的事実(事の真相は別として)などはあさちゃんから聞いていたので、
ちょっと覚悟はしていきました。

加えて、これは韓国には限らず「旅行する国の基本情報、歴史などは事前にしっかり学んでおく」というのが 私の旅のポリシーなので、いろいろ歴史などを本などで勉強し直した。

そうして 行った韓国旅行。

あんまりキャピキャピ騒いだり、電車の中で大声で日本語を話したりしないで気をつけようと思っていたのですが、、、

プサンについて びっくり。

日本語が飛び交う 飛び交う!!

異国の地で、こんなに現地の人が日本語を解する国は 初めてでした。

驚くとともに ちょっと複雑でした。

海外旅行や異国に住むときの私のポリシーは、
なるべく現地の人の暮らしを手本にして、日本語はもってのほか、英語ではなく 現地の言葉を話すよう心かげる。
それが、旅行客もしくはその国に住まわしてもらっている異国の人々が示すべき礼儀だ。
と思っている。

でも、ここ韓国では、韓国の人が流暢に日本語を話す。
本当は、韓国にやってきた日本人が韓国語を話すべきなのに、、、と 申し訳ない気持ちになった。
きっと 韓国語はもちろん英語が話せない日本人観光客がツアーか何かで大量にやってくるからなんだろうな、、、

もし、私が韓国人だったら、、、、私は、韓国にやって来る日本人の為に日本語を話すのは嫌だ。
そう、日本にいる欧米人が「どうして日本人は英語を話さないの?困るんだよねー」と言っているのを聞いて、「お前は何様だ?!」って思うのと同じ感情。

でも、韓国の人は 日本語を話す。かなりの割合で 話せる。
日韓併合など 近現代史では複雑な関係がある。
申し訳ないことに、日本人が知っておくべき日韓にまつわる歴史的事実を 今の日本人のほとんどが知らなかったりする。 
それなのに、いくらビジネスの為だからと日本語を話す気持ちはどんなものなんだろう、、、
そういう複雑な状況を韓国は抱えているのに、日本人はキャピキャピとエステツアーや美食ツアー、韓流ドラマツアーと 
おちゃらけた気持ちで韓国を訪問している人が多い。

お隣りの国でも、こんなにギャップがある。

今更ながら、キムヨナが まおちゃんに勝った時の韓国人の気持ちがなんかわかったような気がしました。

あさちゃんとの再会でテンションは上がってるし、韓流ドラマにはまっているので その雰囲気を味わえるだけでも嬉しかったけど、
そういった状況を考慮して、結構静かにのんびり旅行をした私たち。

旅行中、50代、60代の韓国の方に ちょっと「ドキッ」とさせられる言葉や行動をとられたこともありました。
そういうときは、「そうだよね、、、私が韓国人だったら、、、」と思いました。

そういう深い話を 、夜 ホテルでとことんあさちゃんと話し合うこと、意見交換をした。
こういうの 協力隊メンバーだからこそできること。 
価値観が合うというか なんというか。 本当に大切な仲間です。

韓国と日本。
二つの国の間にあるギャップ、複雑な関係を感じることができたのは
かなり大きな収穫でした。

これまで私は、日本贔屓の国か、もしくは日本に対する印象がほとんどない国を旅してきました。
だから自分の国に対して「負」のイメージを強く持っている国を旅行することはありませんでした。
もちろん 365日 日本にマイナスイメージを持っているわけではないだろうけど。
でも、こういう国こそ 私たち日本人はもっともっと学んでいかなくちゃいけないんだと感じました。

これまで30年間、日本とは距離も文化も かけ離れた国にばかり興味をもっていたけれど、
韓国、中国といった国に対しても興味を向けようと思うきっかけとなった旅でした。

いろいろ複雑なことを考えたのですが、

ただ、一番大切なことは

韓国人が 優しかったこと!!!

見るからに「日本人」ってわかる私たちに、みんな優しかったの。笑顔だったんです。

例えばね

パン屋さんでキムヨナパンを買ったとき。



韓国の主菓子みたいなものがちょうど売っていたので、茶道の先生へのお土産にいいなと思い、
賞味期限を確認しようとそのお菓子の箱を持ち上げて見ていたら、どこにも書いていない。
「あれ?どこに書いてあるんだろう?」と 箱をくまなく見ていたら
韓国の若い男の子の店員さんが もじもじしながら寄ってきた。
けど、英語が話せないみたいで、「expiry day」という言葉が通じない。

私、あさちゃん、若い男の子店員で ジェスチャーであたふたしていると、日本語の話せる女の子の店員さんが寄ってきて解決。
結局 賞味期限は今日(その日)だったので 「ああ じゃあ買えないねえ」と みんなで笑った。

キムヨナパンだけ持ってレジに行くと、さっきの若い男の子店員さんが ニコニコしながらお会計をしてくれた。

そして、「カムサハムニダー」といってパンを持って出ようとすると、
「ちょっと待って!」みたいなジェスチャーで止められ、「これこれ おまけ」みたいな事を行ってきたので袋を見てみると
大きなクッキーが2つ入っていた。



たかが クッキー。 
けど クッキー2枚で、こんなにも幸せな気持ちになれる。こんなにも みんなが笑顔になれる。
いいなあ。って思いました。
韓国では 化粧品とかを買うと大量におまけをくれるので、これもそういう文化の一つなのかもしれないけど、
なんかこのクッキーをくれた店員さんの表情は 本当に思いやりがあって 気持ちがあって 私もあさちゃんも本当に幸せな気持ちになりました。
クッキー 2枚で 世界を変えることも できるのかもね。
幸せな味がしました。


あとね、韓国のコスメショップでの話。
私は 韓国に行くまで、日本人女子が韓国コスメに目がないということを知りませんでした。
日本で韓国のコスメは人気らしい。
しかし 日本のコスメにすら疎い私が そんなこと知るはずもない、、、

↓キムヨナと私@コスメショップ




でもせっかくだから、お土産にコスメを買っていこうと思い、あれこれ選んでいると、日本語堪能なめちゃくちゃキュートな韓国人の売り子さんが
いろいろと商品を教えてくれた。
まあ、ここまでは普通なんだけど、 いくら商品の使い方を聞いても理解しない私(コスメに疎いので使い方のイメージがわかない)の為に、
購入後、使い方をマジックでパッケージに書いてくれたんです。



マサジ=マッサージ ですよ。
いやあ、日本で言うコギャル?みたいな子だったんだけど、優しい子でした。


あとね、伝統喫茶に向かう途中 道がわからなくなって あさちゃんが韓国語で道を聞くと、
みんな一生懸命 一緒に探してくれたのよ。
路地にいた おばちゃん おじちゃんたちは 私たちが行こうとしていた伝統喫茶の場所を知らなかったんだけど
地図を見て 別のおばちゃんに聞いたり、あっちこっち行ってみたり、とにかく親身になってくれた。

あと、海雲台の路上で水着を買った時も、そのお店の 見るからに優しそおーなおじさんがすっごい丁寧に対応してくれて
いろんなサイズのを持ってきてくれたり、おまけしてくれたり、値段安くしてくれたり、
すごい暑い日だったから 私たちの接客をするだけで汗がふきだしていたんだけど、最後までニコニコと優しかった

なんかね、

みんな いい人 だったのよ、、、、 とにかく。。。



私は 結構過激派だから、例えば 戦後GHQのアメリカ兵士からチョコレートやガムとか渡されても きっと手を噛んだり 蹴飛ばしたりしちゃう子供だったと思う。

私が韓国人だったら、、、 日本をどう見ているのかな、、、

韓国の人が 日本に対して持っている複雑な気持ちを知ることはできないけれど、
でも いろいろなことを乗り越えて
こうやって 韓国の人たちの優しさに触れることができるのは、
戦後65年間のたくさーーーーーーーーーーーーーーんの日韓両国の人たちの努力の上に成り立っていると思うと
感謝の気持ちでいっぱいです。

こうして韓国旅行をできるのは たくさんの人達のおかげなんだなと。
ただ、その恩恵を授かるだけでなく もっともっと勉強をしていかなくちゃなと思いました。

こういうきっかけをくれたあさちゃんに感謝です!カムサハムニダー また行きます!


韓国旅行(3日目:び~ちりぞ~と)

2010-10-05 00:58:16 | 海外旅行・短期海外滞在

あっという間に 韓国滞在も3日目

この日は、釜山の中心地からタクシーで40分ほどいったところにあるビ~チリゾォオオ~ト
海雲台(ヘウンデ)に行きました!

ここは韓国有数のビーチリゾート!!

ビーチという言葉を聞くだけで、テンションが上がるのは、南の島で2年間綺麗な海に囲まれて過ごしたからなのか、、、

↓海を見りゃ、サウスパシフィックの地が騒ぐ!
うぉおおぉおりゃぁあーーーーーーーっ


海雲台のビーチは白浜で、海の透明度も高くて綺麗でしたー!
足まで浸かってみたけど、きもちよかったあー

しばらく浜辺で のんびり過ごした後、ランチタイム!ということで
あさちゃんお勧めのお店へ!!

↓お店の名前、忘れちゃったけど オモニのなんとか、、、??だったかな?
  お店の入口に大きな鍋があるのだ。
  この写真 今回の一眼レフで一番よく撮れたかもー


↓で、食べたのが、これ!食べ物の名前を忘れてしまったが、
  とりあえず、うまかった!ヤクルトも一緒についてくるエヨ。


腹ごしらえをしたあとは、3Dジェットコースターに乗って大はしゃぎをしたり、
釜山アクアリウムにいったりしました☆

↓釜山アクアリウムのマスコット? ハンマーシャークなんだとか。


釜山アクアリウムは しながわ水族館よりももうちょっとグレードアップした感じで、
綺麗でしたあー


↓よくわかんないkど こんなのもあった。クジラの口かなあ。



それからぁー 猟奇的な彼女のロケで使われた素敵なカフェに行った、、、
http://www.pusannavi.com/food/1191/
んだけど、、、ここの売りはテラス席からの眺め。
しかーし この日は酷暑日!!とてもじゃないけどテラス席には座れず、、、
冬にまた来たいなぁ~


ブラブラしているうちにホテルのチェックインの時間になったので、
予約していたホテル SEACLOUDS HOTELに行ってみると、、、、

Oh!!

な、なんですか、この予想以上のリゾートホテルっぷりは!!

↓この部屋に泊ったョ。1泊 1人9300円なり!ひー!リーズナブル!
http://www.seacloudhotel.com/rooms/pop_photo.asp?rtype=spr


↓これは部屋の片側。反対側に同じくらいのスペースがあって、キッチンやテレビ、バスルームなどがあるの!


↓ シャワールームもかわいいしぃーーー


一気にテンションMAX!!ベッドの上で跳ねて転げて大騒ぎー

し か も

ホテル内に プールまで!!ジャグジーも併設!



「きょんちゃん、、、、 泳がない?!」 と あさちゃんは言った。

「え?!泳ぎたいけど 水着ないよー」と 私は言った。

そして あさちゃん said  「水着、、、、 っちゃえばいいんじゃない?!

えええええええええーーーーーーー!!!

まさか あさちゃんから そんな突拍子もない提案がなされるとは!!
私は あさちゃんがこんなに海で泳ぐことにノリノリなのは、アタタ島以来だよ!と感激し、「よし!買おう!」と 道端で売っている水着を安価で購入し、

ホテルのプールへ!!!

と、そこで重大なことに気がつく、、、

韓国の女性のスタイルの良さ ハンパねぇ。
韓国に来てから 旅行胃袋になり食べ過ぎていた私のスタイル、、、
見るに耐えねぇ。

あまりにも韓国の女性がみんな女優さんみたいなスタイルなので、
私が同じ場所で水着でいることが その景観を害しているのでは、、、とさえ思ってしまう。

やべぇなー こりゃ帰国したら本気でダイエットだ!
とその時 真剣に思ったが、帰国して2カ月、ダイエットのダの字も始まっていない。
秋だものねぇ、、、

さて、ホテルのプールで のんびりリゾートを味わった後は、

いよいよ!!



気持ちよかったあああああーーーーー

ちょうど夕暮れ時で、涼しい風と さわやかな水が心地よかった。

海から浜をみると、高校1年生くらいのカップルが、手をつなぐんだが つながないんだか、海に入るんだか、入らないんだか、わからない、とにかく微妙な距離間で立っていた。TシャツとGパンのラフだけど爽やかな格好。
初デートなのか、お互い緊張しつつも ボソボソと会話が交わされ 微かに笑顔だ。

いいなぁ。

私たちにもっ
こういう時代がっ
あったのかしらっ?!

なんて あさちゃんと盛り上がっているうちに、気が付いたら 二人はお互いを海に落とそうと じゃれあってた。

き、君たちは ポカリのCMか?!

超 さわやかー   ええなあ ええなあ 韓国よ。


そして 気が付いたら夕日も沈み、一気に海水が冷たくなってきたのでホテルにもどる。

今日の夕飯は プルコギーーーーー



激うま!!

ガイドブックに載っていないローカルなお店だったので、あさちゃんが韓国語で全部オーダーしてくれた。
すごいなあ。あさちゃん。英語、トンガ語、そして韓国語!

異国の地で いろんなことを体験し、悩みながらも、前に進んでいる大好きな友達の姿に 「自分も がんばらなくっちゃ」と思いました。

ラスト韓国料理は も ち ろ ん 〆の冷麺!!


韓国旅行(2日目)

2010-10-03 22:43:07 | 海外旅行・短期海外滞在

韓国滞在2日目!
について書く前に、今 私がハマっている韓流ドラマをご紹介します。ちなみに、私はこれまで韓流ドラマにハマっている人たちの気持ちが理解できませんでした。冬のソナタとかチャングムとか、、、何がおもしろいのか?と。

が、

母がビデオをつけっぱなしで寝ているのを 深夜の帰宅後に見つけてから
私の人生は変わった。

その時 母が観ていたビデオは

宮~Love in Palace~



このドラマと出会ってから、私の睡眠時間は3、4時間になった。

-------さて、話を韓国旅行に戻します。---------------

滞在2日目!
前夜、遅くまでおしゃべりをしてしまったせいで、予定より遅く起きてしまった、、、
なんとか、ホテルの朝食時間に間に合い、朝食を食べた後、いざ本日の観光へ!

まずは、海に面した鮮魚市場チャガルチ市場へ。

お料理の好きなあさちゃんは、前からこの市場に興味があったとか。
私は私で、職場の上司から「釜山に行くならチャガルチ市場でイイダコの踊り食いをしてこい!」と言われており、そんなこんなで同市場へ向かいました。

↓新鮮なお魚達。



上の写真は場外の様子。場内では、新鮮な魚達を購入し、2階に併設されているレストランで購入したばかりの魚をお刺身で食べることができるのです。

↓そして 早速 上司に言われた通り「イイダコ」の刺身を食べました!
  (写真中央のお皿が イイダコのお刺身)


感想は、、、 「かなり気をつけて食べないと、喉に吸盤が張り付きそうでこわかった!」かな(笑)
味付けとして、ごま油がたっぷりかけてあったので、最初のほうはいいんだけど だんだん重く感じるようになる、、、(汗)
いや、新鮮でかなりおいしいんだけど、なにせ朝食を食べてから1時間と経たない間に市場に来たから 、、、でも全部食べたよ

↓市場には国民の妹が飾ってあったので パチリ。



市場の後は、南浦洞の国際市場でお土産を購入。

↓こんな でっかいズボンとか売ってた。雰囲気は 上野のアメ横みたい。



さて、この市場で、私が何よりも力を入れて探した物!
それは、既に説明した「宮~Love in Palace」の登場人物のグッズ!!
かなり時間をかけて、メインキャラクター達のクリアファイルや、シールやキーホルダーをゲット!
わーーーい わーーーーい!!
超 満足!!

しかも、この後 CD屋さんに行って同ドラマのサウンドトラックもゲット!!
今までさ、中国や韓国の学生が日本のサブカルチャーにハマったことがきっかけとなって日本語を勉強し始めたっていう気持ちがわからなかったけど、
今なら、、、すっごいよくわかる!私も韓国語話したいもん。

んで、ドラマで主人公チェギョンが ひそかに彼女に思いを寄せる皇族のユル君に庶民の食べ物としえて「トッポギ」を食べさせてあげるシーンがあるので、

私も屋台でトッポギを食す。↓



超 満足!!

↓屋台にはたくさんの韓国料理が。これはキムパプ。日本ののり巻きだね



↓あと、これは私が絶対食べたかったもの。
  おばちゃんが 作ってます


↓ それは ホットック



小麦粉を練って作った生地をカラっと揚げて、中にナッツをたくさん入れてシナモンと砂糖をふりかける簡単なお菓子。

これ、激うままた食べたいなあー


お土産をどっさり買って、さて一休み。
昨日行った伝統喫茶とは別の喫茶へ

「素花房」
ここも素敵な雰囲気でしたー
それにしても、今回の旅行で韓国の伝統茶の茶器を買って帰ろうと思ってたんだけど、どの店も高ーい うーーーー すごい迷ったけど断念。
もっと大人なレディになって蓄えもできたら 買います、、、





↓丸の内OLっぽいポーズのあさちゃん



ここでは、私は菊花茶をオーダー。蜂蜜に漬けた菊の花をお湯で注いで作るお茶。薬効性が高いんだそうです。
あさちゃんは 棗茶。こちらはビタミンCと鉄分が豊富なんだって。

↓お菓子も一緒に付いてきます。



↓お湯を注ぐと 菊の花が開きます。
  自然の中で、大地の上で開花した後、摘まれて、乾燥させられ、
  こんどはお湯の中で開花する。
  二度、開花の美しさを感じることができるって素敵です。



買い物、屋台、食い倒れ、お茶、を満喫し、あとやってないことといえば、、、

韓国エステ!!


青山宝石岩盤浴

に行ってきました~
エステの写真は撮れなかったけど、岩盤浴、ヨモギ蒸とマッサージを体験!いやあー 気持ちよかったー
かなり スッキリ、サッパリしたよー
働いているオモニたちも、優しくって愛嬌があって楽しかったし、
ヨモギ蒸、すっごい健康によさそうなエステでした。

エステで カロリーを消費した(気分)になったので、
そろそろ夕食タイム!

屋台の誘惑に耐えつつ、、、、 ↓ 旨そう~



あさちゃん お勧めの「韓国定食」のお店へ。

↓ わお!!こんなにたくさん




↓食べる 食べる 食べる


お魚美味しかったー チャプチェ(炒め春雨みたいなの:トンガでいうチャパスイだね)もうまかったしー 
とにかく何でもお野菜に巻いて食べるという食べ方がヘルシーだなあと思った。
しかも、サンチェ以外にも、茹でた白菜、大葉、茹で昆布などでも 料理を包んで食べるのヨ。マシッソヨ!

↓帰り道、パン屋によって パンを買ってみた。
  なんとキムヨナパンが売っていたので購入。
  さすが、国民の妹


韓国旅行(1日目)

2010-10-03 21:49:09 | 海外旅行・短期海外滞在

もう10月になってしまいましたが、8月の20代最後のバケーションについてのアップをサボっていたのでボチボチやろうと思います。

まず、8月19日~22日 3泊4日で韓国旅行に行ってきました。
そう、今 韓国の大学で教壇に立っている友人 あさちゃんに会いに行ったのです。

あさちゃんは、トンガでの協力隊時代の大切な大切な同期の一人で、
私の人生において必要不可欠な大事な人で、大好きな大好きな人で、
そして尊敬するひとです。

韓国に行くのは初めてだしぃー
韓流スターと同じ空気を吸えるしぃー
何より あさちゃんに会えるのが楽しみで

テンション上がりまくっていました!

あさちゃんは、釜山からちょっと離れた所に住んでおり、私に会うためにバスに2時間強乗って釜山まで迎えに来てくれました。

あさちゃんとは、宿泊先ホテルで待ち合わせだったのですが、
空港に着いて ハングルが飛び交う雰囲気にちょっとドキドキ。

インドで暮らしていた時、街中に掲げられるお店やビルの看板や表示はヒンディー語やタミル語など読めないアルファベットだったけど、なんとなく理解できたり、また英語が添え書きしてあることが多かった。

でも 韓国は ハングルしかかかれていないことが多く、「おぉー ぜんぜんわからない!」と ちょっと焦りました。

ただ!

びっくりしたことに、今の時代、ソフトバンク同士なら海外でもメールができるらしい!
釜山に着いてから、私の携帯にあさちゃんからメールが入って、
びっくり!便利な世の中、、、、
あさちゃんのナビのお陰で無事宿泊先ホテルで再会!

1年ぶり?くらいなのに、全然その年月の隔たりを感じさせません。
やはり、トンガの同期は私にとって本当に大事な仲間だから、
いっつも心の中にいるからなんだろうなあー

でも、やはり久しぶりの再会なので、まー おしゃべりが止まらない
しばらくホテルでおしゃべりしてから 観光へ。

まずは 龍頭山公園の釜山タワーへ!

↓龍頭山公園にある 変な看板で。タイムボカンに出てきそうな顔。


↓せっかく気合入れてフィルムの一眼レフを持っていったのに、
  入れていたフィルムが白黒だってこと 忘れてた!
  「龍頭山公園の 龍」 本当は色が綺麗なんだよー


↓釜山タワーの下にある輪投げコーナーで遊ぶ。


釜山タワーで釜山の街並みを望む。
思ったよりも高層ビルが多く、古い建物はあまりないようだった。
海に近い街というのは、気持ちも落ち着くし、のんびりとした雰囲気を感じる。


さて、釜山の全様を把握し、いざ今回の観光の目玉その1。
伝統喫茶 へ!

-------☆伝統茶とは☆-----------
韓国には「伝統茶」という庶民に親しまれているお茶があります。
お茶の文化は、6~7世紀に中国から伝わったそうですが、李朝時代の政策で茶葉に高額の課税をしたことで茶葉は贅沢品となり、そこで茶葉に替わって 果物や穀物を使ったお茶が庶民の間で広まり、これが「伝統茶」と呼ばれているお茶になりました。このお茶は、それぞれに効果や効能があり、季節や体調、気分によって飲み分けるのだそうです。

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茶道をやっている私は、是非この伝統茶を体験してみたいと思い、いろいろリサーチ。龍頭山公園のすぐ近くに、伝統喫茶が一件あるという情報をゲット!

「龍亭茶園」
いやー、予想通り、素敵なカフェでしたー!
雰囲気も素敵だし、お茶もおいしかった☆
店内(2階)は、畳がしかれ 大きな窓から外の景色を観ることができ
、のーーんびり癒される空間。

私は ゆず茶をオーダー



ゆず茶は、ゆずの皮を蜂蜜や砂糖に漬け込み、それを熱湯で割ったお茶。甘酸っぱくておいしぃー!ビタミンCがたっぷりだよ。

↓入っているフィルムが白黒だということをすっかり忘れて撮影。


↓一眼で撮った ゆず茶。


↓龍亭喫茶の向かいにあるお寺。提灯の色が鮮やかだったので
  撮影するも、、、、白黒だったとは、、、、



↓なんか、お盆が近かった?とのことで、色とりどりの提灯が飾られていた。綺麗でしたー




そして南浦洞で、立ち並ぶブランド店(といってもグッチとかプラダじゃなくって化粧品とかアウトドアのお店ばかり)を見て周り、お土産市場も見学。

気が付いたら 夕飯のお時間!

あさちゃん お勧めの焼き肉屋さんへ

↓チョンマル マシッソヨー


↓韓国の人は 焼き肉を食べる時、ご飯を食べずに、
  〆に冷麺を食べるんだって これもまた絶品



こうして 一日目が終わりました、、、、

といっても、ホテルで遅くまでおしゃべりをしちゃったけど(笑)

寝る前に スカイプで、トンガの同期 ようちゃんに電話したりして大騒ぎして、
幸せな夜でした。


ぼたもち overseas

2008-06-05 15:14:28 | 海外旅行・短期海外滞在
ぼたもちを 作った。時期的に おはぎ?ぼたもち? 微妙なところです。
あんこと きなこと 黒ゴマちゃん。

つーか フィジーはすげー。Chinese food shop で もち米、小豆、白玉粉などが 手に入る。 トンガでも 中国人がレストランや雑貨屋を営んでいるので 乾燥しいたけとかは 手に入ったが、もち米、小豆が手に入るとは、、、。

SUVAの隊員は なんでも手に入るなあ。Tongaとは大違いだわ。なんと ここSUVAでは 細かくカットされた魚や鶏肉、豚肉、牛肉なども 手に入る!!
トンガじゃ 豚肉はfeastの時に丸焼きで出るか、牛肉は お葬式でもない限りお目にかかれなかったよ。しかも 後のやつ。。。

トンガのエウアの日常生活で 手に入る動物性たんぱく質は 採れたて魚と 輸入もんのカッチカチの鶏腿肉とラムのみでした。ラムといったら聞こえはいいが、オージーやニュージーランド人が捨てる脂身の部分が トンガに送られてくるので ラムというより脂身という感じでした。
鶏腿肉も 関節をボキッと折って 骨からうまく身を切り落とすという作業が必要でした。
あー フィジー。 何故にそんなに便利なのよ。

ところでみなさん もち米、小豆、白玉粉って英語でなんていうかご存知?
もち米 … Glutinous rice
白玉粉 … Glutinous rice flour / Sweet rice flour
そして 小豆!
小豆 … Azuki beans そのままやんけ! 辞書には Small beansって書いてあるけど それでも 直訳やんけ!

しかし 白玉粉って もち米からできてるって 知ってました?
海外で 日本食の材料を探すのって 結構苦労するね。小豆は見た目でわかるけどさ もち米、白玉粉は 探すのに時間かかったぜ。

で やっと見つかったので ぼたもちを 作った。

自分ひとりで 小豆からあんこを作るのも、もち米を鍋で炊くのも 初めてだったけど、小さい時から母が毎年おはぎを作っていたので その様子を思い出しながら作ってみた。

作りながら、「あー 母ちゃんは あんこに照りがつくよう 水飴入れてたなあ。」とか いろいろ思い出した。

小豆は 沸騰したら ゆで汁を捨てて また茹でなおすという作業を2,3回繰り返します。圧力鍋じゃなくても ちゃんとしたあんこができました。

もち米は 少し白米を混ぜると ベタベタしすぎないらしい。 で 炊き上がったら ちょっとつぶして もっちり感を出すのだ。この作業を「半殺し」と呼ぶのです。時に昔の人は 怖い名称をつけます。何故。

で もち米やあんこを 手で丸めながら
「あー そういやあ小さい時、毎年母さんと正月にこうやておはぎ作ってたなあ。自分のつまみ食い用に小さめの作ったり、あまったきな粉をこっそりなめたりしてたわー」と いろいろ思い出した。

あんこを手で触る感触が 懐かしかった。

日本にいると 簡単においしい料理が購入できるだけじゃなく、食材も簡単に手に入る。

海外にいると 自分の食べたい料理が食べられる場所がなかったり 食材自体が手に入らないことが多い。

でも そういう状況にあるときのほうが 食べたいものを作ろうという気になる。

工夫して なんとか作ってみれば 意外とできちゃうもんです。
でも これも ぼたもちを手作りしてくれていた 母の背中を見ていたからこそだよなー 
(ちなみに 私は小さい時から基本的につまみ食いができるセクションしか 手伝わなかったので 母にきちんと料理を習ったことは無い・・・)

ほんと 母ちゃんに 感謝だよ。

黒ゴマを ぼたもちにくっつけてるとき 蟻んこが まな板の上に乗ってきたので 指でつぶしたら どれが 蟻か 黒ゴマか わからなくなった。悲劇。

とりあえず どっちも くっつけといた。 

中途半端に あんこが あまった。

とりあえず 全部 食ってしまいました。

和菓子 さいこー!

おせんから 母の手間隙まで

2008-06-03 09:22:13 | 海外旅行・短期海外滞在
母から 荷物が届いた。
この前 電話で 「最近 お母さんがはまってる おせんちゃんのDVD入れといたよ!とにかく おせんちゃんの着物がかわいいから見て!」とか言っていた。

「おせん」とは どうやら 今 日本で放送されているドラマらしい。

3話まで入っていた。

蒼井優ちゃん  めっっっっちゃ くぁわいいーーーーーーーーー
んで 彼女が演じる せんちゃん。 かわいーねー
んで せんちゃんが着ている 着物がこれまた かわいい!!

トンガに行く前 結構着物にはまっていて 着付け教室に通って資格をとったり
アンティーク着物を集めていたりしたので、無性に着物が着たくなったねー

日本人は やっぱり 着物 黒髪が 一番 似合うよ。
ブロンズ、キャミソール、ミニスカが かわいいのは 西欧人だからです。
とはいえ 私も大学時代 髪の毛染めまくってたけどさ、アジアを旅して アジア人の黒髪の美しさに心奪われ それ以来 真っ黒です。
日本の文化ってさ 世界的にかなりレベルが高いんだけど 当の我々日本人はそれに気がつかず どんどん近代化という名の西欧化に押し流されてるんだよね。

日本の文化っていっても エンジニアとかアニメとかそういうのじゃなくて、はたまた歌舞伎とか能とかそういう特別な文化でもなくて ちょっと2,30年前だったら当たり前だったこと。ちょっとそこの街角にあふれていた職人の技とか職人魂とか。私が小さい頃は 豆腐屋さんとか畳屋さんとか あったのになあ。

あと もっと日常の 母の料理にかける手間暇とか。

今の時代は 共働きも多いし 母親が料理に時間を割くことができないのかもしれないし、レンジでチンするだけで豪華な料理が食べられる。
手間も暇も省ける。でも それって 料理を食べる人への愛情も省いてるのかもしれないなあ。

ドラマ おせんを見てそんなことを思った。

私が小さい時 母はほとんどお菓子は手作りで出してくれたし 出汁も鰹節を削ってとっていた。おせちは 未だに全部手作りだ。静岡生まれだから 新茶の季節には蛍光緑のような美しい色と香りの新茶を飲ませてくれた。

でも 今の時代、どれくらいのお母さんが 出汁を鰹節を削ってとっているだろうか。おせちだって コンビニで買えちゃうよ。お茶なんてペットボトルに入ってます。

かくいう私も ヘビー「魔法の粉(だしの素)」ユーザーである。
トンガで トンガ人や外国人に 日本料理を教えるとき「この Japanese soup stockさえあれば 日本の味が作れます!」なんて 説明してたけどさ。
でもさ、鰹節を soup stockなんて一言で説明してはいけなかった気がする。
だしの素は → 鰹節を削った粉であって → 鰹節はカツオの身をゆで焙って乾かし かび付けして干したものである。

むっちゃ 手間隙かかっとるやん!?鶏の骨を煮るだけの 鶏がらスープと違いまっせ!

いつか 私が母親になって 料理に「だしの素」しか使わなかったら 私の子どもは「鰹節を削る」ってことを知らない子どもになるんだろうな。「だしの素って 味の素の仲間でしょ?」なんて 思うのかも。

この前 五目豆を作ったとき フィジーじゃ油揚げが手に入らないから どーしよーと考えた挙句、作ってみればいいんじゃん?と思い、豆腐を買って 切って 素揚げしてみた。そしたら めっちゃ うまかった。
いつもより ちょっと手間と暇をかけるだけで すごくおいしいものができる。

今 まだ 私達の年代って 「鰹節を削る」ことを知ってる年代だから 次世代に日本の文化を まだ伝えられるギリギリのラインにいるんじゃないかなあ。
最近 友人達が 結婚したり出産したりしていて 自分も他人事ではない年頃だ。

レンジでチンして時間を節約する大切さを教えることより、手間隙かけることの大切さを教えられる親が 増えていけば もっと日本は 昔のようにあったかい国になれるんじゃないかなあ。 どうかしら。

まあ とにかく 私は 日本に帰ったら 鰹節を削ります
一生かけて 「日本人」を極めたいなあと思う。

新聞に載った 

2008-06-02 15:09:50 | 海外旅行・短期海外滞在
私は 日本の新聞に自分の名前や顔写真が載ったことはありません。
青年海外協力隊の中には、地方新聞に載った人も結構いました。が、私は 東京砂漠生まれ。地方新聞なんて ホットなものはないし 市報でも 協力隊のことは扱ってくれません。

しかし これまでの人生の中で 二度 海外の新聞に名前が載ったことがあります。

まあ 前回のブログに書いたので みなさん察しがつくかと思われますが、
そうです。私の Air Pacificに対する苦情文が Fiji Times に載りました。
同じ内容がネットにも 載りました。Fiji Times 6月2日(たぶん 今日中でこのページ消えると思う)
はっはっはー ざまあみろー だって 絶対バック開けたのAir Pacificか空港の従業員だもん!!

ということで フィジーの新聞に名前が載ったのが 1回。

んで もう一回は トンガ。
しかも これまた 「人々からの苦情コーナー」に載った。
これじゃあ どんだけ プリプリした人間だと思われそうですが、この記事は 私が書いたのではない!

遡ること 1年前ほど。 事件は 私の住んでいたエウア島の空港で起きた。
(空港っても 野原に 小さい小屋があるだけ。飛行機の発着時間1時間前からしか営業してない)

私は 日本からはるばる私に会いに来てくれる両親を 本島に迎えに行くため 夕方5時の飛行機に乗るはずでした。

ところが、ちょうど6時間目の授業をしているとき、学校の事務のおばちゃんが 慌ててクラスまでやってきて 「キョウコ!夕方の便が 今から出るって!急げ!」というので クラスもあと5分で終わりだったので 生徒にも「急げ!急げ!」といわれ 慌てて空港まで 学校の車で向かったのでした。

空港につくと まだ飛行機はきてない。 乗客がパラパラいる程度。
ほー 間に合った。
30分経過。
まだ かな。
1時間経過。
なんだよー 焦る必要なかったなー
2時間経過。
なぜ?
2時間半経過。 
怪しい!絶対 あやしい! 

私は これから英語の話せない親を 本島の国際空港に向かえに行かなくてはいけないし その後 また翌日の早朝飛行機に両親と一緒に乗ってエウアに戻って授業をしなくてはいけなかったので 一人 オロオロしだした。

空港の人に聞いても 「あと ちょっとで来る」との一点張り。
まじで 半泣きになってきた。

エウア-本島間の 飛行機は 勝手にキャンセルになることが多いからだ。

飛行機の発着時間になると、たいてい近所の暇なトンガ人達が 空港に 飛行機を見に集まってくる。

で 私を見つけて 「お?キョウコ 本島に行くの?」

「うん。両親が日本から来るから迎えに行くんだけど、飛行機が来ないんだよー。 どうしよー 両親英語 話せないのにー」
と 半泣き で 話すと さすが トンガ人。 暇なトンガ人。

即効 私の話は お涙物語となって そこら辺にいるトンガ人全員に広まった。

ちょうどその時、空港の人が

「あー なんか 今日のフライトキャンセルだって。」と 言うではないか。

もう 大変ですよ。

私以上に まわりのトンガ人が。 まさに 「飛行機一揆 2007」ですよ。

「ひどい!キョウコがかわいそう!」「キョウコの両親は 英語が話せないんだよ!」 「勝手にキャンセルなんて 許せない!」と ギャーギャー抗議してくれた。

しかも キャンセルの理由が 「パイロットが疲れたから」 

もう これで この問題は エウア全土の問題になったのでした。

「本島から フライト時間たったの6分だよ?! 往復12分も 飛べないなんて エウアを軽視してる!」
と もう 収集がつかなくなった。

「私達は 飛行機がエウアに来るまで ここを離れないよ!」
「今までだって 何度も勝手にフライトキャンセルになってきたんだ!これは もう新聞に投稿するしかない!新聞に投稿するって 航空会社のヘッドに言え!」

と 凹む私をよそに トンガ人が一致団結し 「飛行機を飛ばせようの陣 2007」が 幕を切った。

トンガ人達の 相談の結果、新聞に投稿するには 写真があったほうがいいとのことで、どっからかデジカメをもってきて
「キョウコ!そこに座って、悲しそうな顔して!」と 乗客の荷物の上に座らせられたり 「ちょっと このみかん食べて お腹すいてる顔して!」と みかんを渡されたりした。

トンガ人的に、3時間も何も食べずに待たされた。ということは かなり大きいことらしい。 「3時間もお腹すかせて かわいそう!」というところが 読者の同情をかうらしい。

そして それから1時間半後。抗議デモの結果、

なんと、

飛行機が 来たのでした!!!

暗闇の中から 飛行機が見えた時 あたしゃ 泣いたね。
トンガ人達も もう拍手喝采ですよ。
おそらく こんなに飛行機が脚光を浴びたのは、初めて飛行機がエウアに来た以来ですよ。

んで 「ありがとう!ありがとう!」と 協力してくれたトンガ人全員に ウマ(kiss)をして 飛行機に乗って 無事 両親を迎えに行くことが出来たのでした。

もぅっ トンガっていうか エウア、サイコーーーーーー!ってな感じで 一揆の結末は ハートフルなエンディングだったわけですよ。

で その数ヵ月後。 

本島にあるJICAドミトリーに泊まっていた時、トンガ人のセキュリティに
「キョウコ!キョウコ!お前 新聞に名前が載ってるぞ!」
と 言われ
えーーーーっ?!何?!何よ?!なんで?! と思って新聞をみると

エウア人 航空会社に猛抗議! みたいな 内容が 新聞の苦情欄に載っていた。
そして もちろん 私の名も被害者として フルネームで 載っていた。
(JOCV JAPAN)とまで 括弧つきで載っていた。

「新聞に投稿する!」なんて 航空会社に対する脅しかと思ってたけど
本当に 載ってしまった。

あわわわー JOCVって載っちゃったよー JICAに怒られるかなー
と ひやひやしていたが
悲しそうにみかんを たべる少女の写真は 紙面の都合上カットされていたので
救われた。

home sweet home

2008-05-28 18:43:01 | 海外旅行・短期海外滞在
帰ってきましたー バヌアツからー。
いやー 仮の住まいとはいえ やっぱ 家は 落ち着くわー
home sweet home だよ

でも やっぱ フィジーは 都会だわ。 ここは 大洋州にして 大洋州にあらず。犯罪も多いしさ。

だってね バヌアツから帰ってきて ナンディで 自分の荷物がベルトコンベアーで流れてくるの待ってたらさ、なっかなか出てこなくて、やっと来たと思ったら
わたしの バックパック、、、 オーーープーーーーーン。
なぜか バックパックのポケットに入れといた パブロン錠剤が 転げ落ちて ポツンと ベルトコンベアーに 乗っかってやってきた。

よく見ると、鍵をつけておいたバックパックのポケット部分が オーーープーーーン。ダイヤル式の鍵だったから まあ 開けようと思えば開けられちゃうんだけどさ。 でも ムカつく! しかも 中に入ってたポーチとかのジッパーが これまた全てオープーーーン。 しかも 日本で買ったワイヤーつきの鍵2個が ロスト。 ざけんなよ フィジー。

そんな話を 英語の先生にしたら FIJI TIMESに 苦情文を投稿して 載せてもらえといわれました。
明日 FIJI TIMESの 編集者に送ることになりました。

ああ フレンドリー ピースフル アースリーパラダイス トンガが 恋しい。
トンガなんてさ 財布落としても 誰かが届けてくれるんだぜー
私の家なんて 赴任して半年間 入り口のドアにバスケットボール大の穴が 開いてたんだぜー チェーンキーしてても 生徒が外側から手を入れてチェーンをはずし 勝手に入って 勝手に私のフライパンをもってって 隣の先生の家で目玉焼き作ってんだぜ (エウア島で フライパン持っている人は 貴重)

平和が 一番だよ。

田舎が 一番だよ。



カスピアン王子に恋をして

2008-05-18 16:33:13 | 海外旅行・短期海外滞在
昨日 ナルニア国物語 第二章を見に行った!

フィジーには 映画館があって ナルニア国物語の公開は 日本よりも早い5月16日でした。

トンガにも かつて首都に映画館がありました。
しかし2006年年末の暴動で 中心街にあった映画館も全焼してしまい 今はもうないけど。
で ナルニア国物語第一章が 私がトンガの映画館で見た最初で最後の映画だったのでした。そう、確か トンガ人のホストファミリーと見に行ったっけ。

当時は 「こんなファンタジー映画つまんなそー。ロードオブザリングのパクリやん?」なんて思って 正直興味なかったけど
まあ まあ おもしろかった。

んで、フィジーの映画館で その第二段がやるというので 見に行った。

いやあああーーーーー

行ってよかった!よかった!よかった!

もう、何がよかったって、今回の主役のカスピアン王子!

かっこよすぎ!!!!!

内容よりも カスピアンが いい!

私は あんま俳優とかに キャーキャー言うタイプじゃないが
カスピアン王子は かっこいい!

TOKIOの長瀬君に似てる。

もう 寝てもさめても カスピアン王子だよ。

もう カスピ海ヨーグルトもカスピアンヨーグルトって改名しよう。

あ、でも俳優の名前は ベン・バーンズというらしい。

ああ 私もナルニア国に 行きたいよ。
カスピアン王子に会うためだけに。

今 一番行きたい国は ナルニア国です。

ナルニア国物語って 日本でも はやってんのかね?

むしろ 流行らないでほしいね。

私だけの カスピアンであってほしいものだよ。


ミャンマーサイクロン被害について

2008-05-08 10:01:36 | 海外旅行・短期海外滞在
最近 がんばって BBCを聞くようにしている。
そこで ミャンマーサイクロンのニュースを知り、即ネットで調べたけれど 軍事政権化にあるため 報道陣やUN等の活動が制限されているようで 被害状況が数字でしかわからない。

5年前 東南アジアをバックパッカーで旅したとき もちろんミャンマーにも行った。
東南アジア三大仏跡の一つ パガン遺跡群に行くためだった。
パガン遺跡は 私の想像と期待を遙に超えた すばらしい壮大な遺跡群だった。
しかし それよりも感動したのは ミャンマー人の 優しさ 純粋さ 温かさだった。

それ以来 ミャンマーは私の好きな国の一つで(政治は別として) 今回も インドでの就職を考えつつも ミャンマーの仕事も探していた。

ミャンマーでの 大災害で 優しくて 温かい ミャンマー人が 被害にあったのかと思うと 何か自分にできないものかと考えさせられる。

と 同時に、「もし 自分がミャンマーで働いていたら・・・」と考えざるを得ない。 

ルワンダの涙 という映画と Hotel Rwanda という映画を見た人は多いと思うけど どう思いましたか?
あの映画は ジェノサイドの悲劇だけではなく、私達 外国人の無力さ、弱さ、無関心さ、もあらわしていると思う。
ジャーナリストやNGOだけでなく UNすら 殺されゆくツチ族、穏健派フツ族を見捨て、その場から逃げてしまった。
でも じゃあ 自分が その場にいたら どうする?
ルワンダ人を見捨てられないからと ジェノサイドの混乱の中に一人残るのか。
それとも 外国人だから避難できる手段があるのだから 急いでその避難トラックに乗るか。

ミャンマーの大災害を考えつつも、つい自分がその場にいなくてよかったなんて思ってしまうこの現実。

これが現実? 

じゃー 私達って 何ができるんだろーね

何もできないのか。

途上国にいたって 先進国にいたって 生きていくことが 大変なことには変わりはないし 命が惜しいということも同じだ。

やっぱり 人間 自分が一番かわいいのかも。 
自分の安全が確保されていなければ 相手のことを心配できない。

そんなこと 考えてる時間があったら 無力なりに 何かできることを どんなに些細なことでも 探せー だね

でも 私は今フィジー。 何ができるのかな。

人生最大に痛い注射@フィジー

2008-04-29 10:59:22 | 海外旅行・短期海外滞在
告白します。
更新を サボっていました。
ブログって一度離れると 面倒くさくなっちゃうんだよねー

そして カンボジア編もまだ終わってないのに 最近ショッキングな出来事があったので 報告します。

トンガでの2年間、なんもない離島で 野生児のごとく生きていたのに 一回も病院のお世話にならなかった。皿を割っても 裸足で片付けててもなんもなかった。

しかし トンガより数十倍栄えているフィジーの首都スバで暮らし始めてから 2回病院のお世話になっている。 

1 胃炎になった
2 ボイルになった
3 ガラスで足を切った

胃炎になったことについては 前書いたと思うけど
その後も 口の横の ニキビをつぶしたら 傷口にばい菌が入り どんどん膨らみboilになった。 ボイル。そう それは 南の島に赴任した青年海外協力隊には馴染み深いもの。傷口にハエ等が集った結果 ばい菌が入り 痛みを伴う腫瘍ができ 膿が出るまで治らない。しかも 膿が出ても ボイルの後が肌に残るというもので、islanderの子どもの手足には この跡がたくさんあるんだけどさ、
トンガの2年間 ボイルになったことなかったのに、フィジーで初めてボイルになって それがしかも 顔!

夜中に 耐え難い苦痛とともに目を覚まし 鏡を見ると 福笑のおたふく以上に顔が腫れている。。。。
ブサイク! めっちゃ ブサイク! しかもブサイクなだけじゃなく すんげー 痛い! ご飯を食べるのに口を開けられないほど 痛い。
で 結局2日くらい 腫れ続け 膨らみ続け 痛み続けた結果 ある日突然 腫瘍から膿がはじけ飛び出し 30分くらい 膿が出続け ようやく腫れが引いたのだった。 しかし ボイルの跡が 口の横に残っている。
最悪だ。。。 
でも最近 肛門付近にボイルが出来た人がいることを知ったのだ。
それに比べたら 私は幸せだ。 椅子に座ることが出来るのだから。

で ボイル事件の後、 今度は 裸足でガラスの破片を踏んだ。
踏んだ後 ガラスの破片が足に刺さってるかどうか見たけど 見つからなかったので 放置していたら 1週間後、 悲劇が起こった。
一週間経っても 傷口が痛いので 「もしかしたら ガラス入ってるのかも?」と 傷口付近をいじってたら その夜 足の裏から 太ももの付け根まで ジンジンと信じられない痛みを発し 眠れない。 しかも 歩けない!
足の裏を見たら、傷口が腫れてる! 周りの血管も腫れてる!

「死ぬー!あたし 死ぬー! もう歩けなくなるー! 足 切断になるよー!」
と 散々わめき散らし
翌朝 自力で 病院へ。

やっぱさー 医療大国日本じゃないからさー もー 病院に行ったって不安なわけですよ。

で レントゲン撮らされ、

医者曰く、「あー たぶん ガラスらしきものがある。」

もー 「たぶん」とか 「らしきもの」とかさー レントゲン撮った意味は何?!

医者:「じゃ 傷口開きましょう。痛いと思うから コールドスプレーで足を麻痺させるよ。」
と コールドスプレーを患部にかけられ、足の傷口切断。

ギャーーー!!? 
いーーーーーーーーーーーだーーーーーーーーーーーいーーーーーーーーー!
センセ、センセ、その コールドスプレー ぜんっぜん効いてないのんとちゃいます?

医者は 私のうめき声をよそに 医療用はさみやらカッターで 傷口を開いていき さらに 傷口の中で ピンセットで ガラスの破片探しを始めた。

痛い!痛い!ってか 「いたい」以上!「ちたい」とか「びたい」。

いたい - いたいer - いたいest の いたいest 級。

それでも 必死に苦痛に耐えていると

医者:「なんかあるんだけど 取れないなー。でも あんまピンセットでいじると痛いよね。じゃ 麻酔打つか。」

そんなら 最初から打ってくれよ

で 「はい!打ってください!」 っていうと 医者が「でも この手の注射が 一番痛いから 頑張ってね。」 と言われ どういう意味かな?と思っていたら それはすぐ明らかになった。

そう 傷口の周りに注射するのではなく、開いた傷口の中に 注射するのであった。




もう その痛みがどんなものか ここに記すことも出来ません。

傷口の中に 注射の針が差し込まれた時の痛み、不快感。
音にすると

ギーーーーーー! ギョーーーーーン! ギャーーーーーーッ!!
ズバーーーーーーーーーーーーン!ガガガガガガガガーン!!

私が悟空だったら これがきっかけとなって スーパーサイヤ人になっていた筈。
それくらい すごかった。

生涯忘れることがないでしょう。

しかも 3箇所刺された。

その時点で 瀕死状態だったのに、 5分後 「そろそろ麻酔効いたでしょう」と 再び医者が傷口をいじり始めたら

いたい いたい いたい!!!
効いてない! 麻酔 ずぇんっずぇん 効いてないーーーーーー!!

何のため!? さっきの注射 なんのため!?

痛かったよ? 注射 痛かったよ?

で 結局 もう1回 同じプロセスを踏み 注射の苦痛に耐え ようやく麻酔が効いたのであった。

医者「はい、終わり!」
私 「はー よかったー ガラスの破片は大きかったですか?」
医者「うん。見つかんなかった。」



見つけてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


親孝行旅行 to カンボジア 3

2008-03-06 20:08:32 | 海外旅行・短期海外滞在
お、やばいやばい。 また 長く書き続けるところだった。

2日は 東洋史学科専攻の私めによる アンコールワットツアー
    夜は 影絵ディナーショー
3日は トンレサップ湖周遊 午後買い物 夜シェムリアップ発
4日 成田着

という日程でした。

アンコールワットは やっぱり 美しかったです。
何度見てもすばらしい。今までいろいろな遺跡を見てきましたが やっぱりアンコール遺跡群は ずばぬけていますね。
(ちなみに アンコールに匹敵するほど感動した遺跡は、 インドのエローラにあるカイラーサナータ寺院、インドネシアのプランバナン、ミャンマーのパガン、エジプトのカルナック神殿 かな?って 結構あるやん!)

ま アンコールに話を戻して、アンコール遺跡群は
アンコールワットだけじゃなく、バイヨン、タプローム 像のテラス、ライ王のテラス、、、、全てが 鳥肌が立つほどの壮大さ!
また、遺跡の周りに描かれた彫刻がさ~ もー たまらん!
ヒンドゥー寺院の定番 ラーマヤナ物語の彫刻は勿論、乳海攪拌や スールヤバルマンの行進やら とにかくおもしろい!そして 美しい。表情が豊か。

ただ、ここでも5年という歳月の長さを感じさせられました。
なんと、アンコールワットの中央塔、そうあのヒマラヤ山脈を模したとされる中央塔に登れなくなっていたのです! 一応 修復の為らしいが もしかしたらもう二度と登れないのかも。。。 前回来た時は 頂上まで登れたのになあ。
頂上から眺める アンコールワット参道、壮観だったなあ。そこから眺める夕焼けも。
両親にも 見せてあげたかったなあ・・・・ なんて思っていると
「修復中につき 登れません」と書いてある看板の横で ピースして写真を撮ってる二人。何の記念写真やねん!

それと 大樹が遺跡を呑み込んでいることで有名な タプローム遺跡。
これも 遺跡がどんどん崩れてきているようで 5年前は入れた場所も 立ち入り禁止になっていた。

遺跡って 後世に残したいとか思って全面修復してしまうと 結構味気ないものになったりする。インドネシアのボルブドゥールを見てそう思った。

大好きなアンコール遺跡が どんどん崩れていくのは 寂しい気もするが だからといって観光用に綺麗に修復されてしまうのも 悲しい。
まあ 私は アンコールワット中央塔にももう登ったし タプロームも堪能してるからさー そんな余裕発言できるんだろうねー
皆さんも はやく行ったほうがいいですよー

私の両親も 大 大 大感動 してましたから!
あまりに アンコールワットで時間を使いすぎて プノンバケンから夕日を見ようと思っていたのに アンコールワットから下りてきたら 日が沈んでしまった・・・ がーーーーん!そこで 母一言。
「お母さん 気球に乗って夕日見たかったのになーーー」
お母さん! 私達が行こうとしていたのは プノンバケンという丘で 気球に乗る予定なんて 最初からないからっ!

あー やばい。結局カンボジア旅行記 まだ終わらないや。
どーも 短く書くのが苦手。

明日からツバルだから ツバルから帰ってきてから 書こーっと。

写真は 一応 定番ショット! 中央塔3つのうち2つに緑のシートがかかっていた。修復中らしい。

親孝行旅行 to カンボジア 2

2008-03-06 19:37:51 | 海外旅行・短期海外滞在
まだまだ 続くよ・・・ ふふふ。

で 行ってきました。2泊4日というとんでもない 強行スケジュール!
しかし、「いつか行こう。 いつか長い休みがとれたらいこう。」なんて思っているうちに 数年経ってしまうのです! 思い立ったら行ってしまいましょう!

航空会社は ベトナム航空。 はい、みなさんご存知ですよね。
ベトナム航空のスッチーは 美女で しかも アオザイが制服です!!
サイコー(>▽<)!

で ホーチンミン経由で シェムリアップin.
アンコールワットがあるのは カンボジアの首都 プノンペンではなく
シェムリアップという町です。

しかし 驚いた! いつの間に シェムリアップに国際空港できたの!?
今までは プノンペンから国内線か、タイのバンコクから長距離超ミニバスですし詰め状態で陸路越えして シェムリアップに入っていたので 全然知らなかった・・・ しかも この空港!かなり 美しい! クメール建築調なのです。すげーなー カンボジア。5年経つとこんなに 変わるんかー

空港を出ると なんと ホテルのお迎え車が!
いやー こんな旅の仕方も 世の中にはあるのですねー
これまでは 空港を出る=タクシーとの駆け引き合戦の開始 というイメージでしたが、なんとも 優雅な 旅の滑り出し。。。

で ホテルについて これまた びっくり!自分で予約したけど びっくり!
めっちゃ 豪華やんけ! しかしシーズンオフプライスで 3人で99US$!本来は $156らしいけど・・・ 直接電話して交渉するのがコツだよ!皆さん!
しかも朝食のバイキング付き!いやー すごいねー  バックパッカー向けの宿もお勧めはいくつかありますが(日本人宿じゃないとこ) ご家族でプチリッチ旅行を予定されている方、お勧めっす。ウェルカムドリンクまででてきましたから。
http://www.apsaraangkor.com/home.html

ほんで 着いたのが夕方だったので 早速 予約しておいた KoulenⅡ(クレーンⅡ)のアプサラダンスディナーショーへ!

いやー カンボジアにきて アプサラダンスを見ないなんて邪道でしょう。

美しい踊り子が 東南アジアの音色にあわせて 天女のように優雅に舞う。
すばらしいですよー 

2年間 大洋州に住んで トンガや サモア ハワイ 等の踊りを見てきた。
大洋州の踊りは 激しく 元気なものが多いが 
東南アジアの踊りは 全く違う。

特に アプサラは かつての宮廷舞踊だっただけあって 単に踊りというよりは 芸術という表現のほうが相応しい。 完成度が高い。 踊り子たちは 毎日厳しい練習をして 天女の動きを身につけるという。

しかし このアプサラダンスも 今から30年ほど前に始まった内戦期に、宮廷舞踊は王政にまつわるものとされ 踊り子、演奏者の9割が 虐殺されたという悲しい過去がある。

その当時のカンボジアは アプサラダンスに関係している人達だけではなく 芸能に携わっている人や知識人は 虐殺の対象となった。

カンボジアの文化は 壊滅状態にまで陥った。

しかし 内戦後 生き残った踊り子、演奏者が 自分たちの身体にしみついた芸能をもとに アプサラの舞を復活させたのである。

もちろん 彼らカンボジア人は アプサラダンスだけではなく、それ以外にも失われてしまった文化をとりもどそうと 頑張った。

すごいなあ。人って 人の力ってすごいなあ。 

文化ってなんだろう。 こんなにまで 必死に守ろうとする文化。

私たち日本人が もし 自分たちの文化が強制的に消滅させられるという状況に陥ったら どうするだろうか。

失って その大切さに初めて気付く。とよく言うけれど

文化もそうなのかもしれない。 自分の国の文化は 自分にとって当たり前のことだから 改めて「文化」の大切さなんて 考えないからねー。

とまあ アプサラダンスを堪能した夜でした!
両親も 大感激!
踊り子は みんな 美女だしさあ! まさにアンコール遺跡の壁画に彫られた天女のようだよ。
しかも ディナーバイキング めっちゃ うまい!
5年前は こんなに うまくなかったぞー!? 接客も すごいいいぞ!

なんだなんだー 私の知ってるカンボジアって こんなんだっけ?

親孝行旅行 to カンボジア 1

2008-03-05 22:18:56 | 海外旅行・短期海外滞在
1月半ばに 両親とカンボジアに行ってきた。

両親にとっては カンボジアは初めて。
ちなみに 私の父は 母と一緒に 私の任期中にトンガに来たが それが人生初の海外であった。そして二ヶ国目はカンボジア。たぶん そんな人はなかなかいないと思う。

私にとっては カンボジアは5年ぶり、4回目の訪問。
初めて行ったのは6年前。それこそ 初めてのバックパッカーの旅!
大学の同じ学科(東洋史学科)の仲良し4人で ハプニング連続の旅でした。
でも その旅が 私にとって 「始まりの場所」となったわけです。

6年前のカンボジアは 当時の私にとっては 全てがカルチャーショックだった。
初めて物乞いに出会ったり、地雷で手足のない人達を見た。
まだまだ内戦の傷跡が強く感じられた。
それまでの人生で 頭ではわかっていたけど 初めて現実として「貧しさ」を見た。物乞いに 私達が持っていたパンをねだられて なんて反応していいのかわからず ボーっとしてしまった。
けれど その「貧しさ」の中で 本当に幸せそうに笑って 友達と遊んでいる子ども。小さなランプの下で 家族で楽しそうに食事をしている様子。
そういうのを見ると 「え?幸せってなんだ?貧しさってなんだ?」と感じずにはいられなかった。 日本は経済的に発展していて すべてが揃っていて とっても幸せなはずなのに 今の日本で ここにいるカンボジアの人達のようなすばらしい笑顔をしている人は いるだろうか? なんて考えてしまった。

「本来は 生きていることだけで 楽しくて 幸せな はずなんだ」
と カンボジアの人達の生き方を通して学んだし、 そこから 「もっともっと彼らや、また 別の国の人達から学んで行きたい」と思うようになって 大学時代はバックパッカーで旅をしまくったなあ。
そして もちろん 「貧しさってなに?発展国が定義したものにすぎないのでは?」という疑問から 「そもそも国際援助って必要なのか? 発展することで 今の日本のように大切なものを失ってしまうのではないか?」と思うようになり 頭で考えても仕方ない!実際 国際協力に携わってみようと 青年海外協力隊になることに決めたのでした。

あー 前説 ながいよー また読んでいる人飽きちゃうよー

まあ とにかく 私にとってはカンボジアは まさにスタートラインなのです。

で、親孝行は お金のあるうちに。親が元気なうちに。
ということで 私の大好きなカンボジア、 私のスタートラインのカンボジアに
両親を連れて行くことにしました。

そう、 航空賃から ホテル代まで なんとっ 全額 私も持ち!!!
だーーーーーーーー
ありえん。 ありえんけど そーーいうことになった。
ゲルマン諭吉の大移動だった。
さよーならー

事の成り行きは

私が ちょっと両親を喜ばせようと思って「よし!カンボジア行くよ!チケット代は払うから!」と 言ったところ 母は淡々と「は?宿泊費も払ってくれないの?」と答えたことで 事態は急変。
ホテル代も払ってくれないの?きょうこさん。払うんでしょ? 払うのよね?的な 遠まわしの脅迫に負けたのでした。

カンボジア4度目といえど これまで一日5ドルの安宿に泊まってきたので 両親が泊まるのに相応しい宿(ホットシャワーが出るとか エアコンがあるとか)を私は一個も知らなかった。ネットで調べると5年前よりも はるかにホテル数が増えていることがわかった。
こんなとこでケチケチしても 仕方ねえ!と 結構いいとこに予約した。

出発前は もう楽しみで楽しみで仕方なかった!
4度目のアンコールワット!ちなみに大学は東洋史専攻だったので この分野、強いです!しかも 既に3回もアンコール遺跡群を見て周っているので 壁画まで説明できますから! ガイドなんて いりませんから!

両親が アンコールワットを見て驚く顔が楽しみだ~ ^^

トンガで2年間暮らして 両親のありがたみを 改めて感じ、 特に両親が英語もろくに話せないのに、2人だけで私に会いにトンガまで来てくれたとき
本当に ジーンとした。 2人で ドギマギしながら オーストラリアで乗り換えて トンガまでやってきたことを考えたら 涙がちょちょぎれた。
だから これはそのお礼なのだ。

母のスパルタ教育にもむなしく 大和撫子になりそびれた私ができる親孝行といえば 海外を案内することぐらいだろう。

まあ そんなこんなで カンボジアに行ってきたのでした。

写真は ホテルの部屋。 すごーーーーーい(><)綺麗!豪華!と興奮しながら写真とったら ブレてた。。。。