before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

きょーこセンセーの 嬉しかったこと 3

2008-10-31 12:33:20 | インドで日本語教師
休日、または放課後、町で生徒に必ず会います。

町中で、「センセー!」と声を掛けられるのは すごく嬉しいです。

でも ほとんどが男子学生の集団です。

女子学生の集団を町で見かけることは ほぼ皆無ですね。
男女の学生の集団をみかけることは 皆無です。
お国柄ですねえ~

18~20歳くらいの男子学生が 5,6人の集団で 仲良く町でお買い物をしたり 小さなテーブルに無理やり5人座ってご飯を食べているの様子は、なんか むっちゃくちゃかわいい。

↓ 座りすぎ。 なぜ2グループに分かれて 別の席を使わぬのか・・・「みんな一緒がいい!」


で、休みの日、バスでどこかにでかけると、たいていバス停かバスの車内でも学生に会います。

でさ、でさ、でさ、

もー これまた むちゃくちゃ かわいいことに、

学生達は私を見つけると 「センセー!キョコセンセ! Come Come!!」と言って、自分が座っていた席を 私に譲るのですよー

もー インド人 最高!!

日本の若者は、先生に席を譲りますか? 老人にも譲らないぜ?

席を譲った生徒は、汗だくだくになりながら 満員の車内でずっと立ってるんですよ。 まあ もちろん 私にいろいろ話しかけながらですけど(笑)


先日、DIWALIの日に、住んでいる町からバスで10分くらいのところにあるムルガンという神様のお寺に行こうと思い(一人で)、バス停でバスを待ってたんです。

すると いつものように学生に会い、
「センセイ Where are you goin?」
と聞くので、 ムルガンのお寺に行くんだけど、どこでバス降りたらいいのかわからないのよね。 知ってる? と言うと
「知ってる 知ってる。僕達もそっちの方面に行くから 任せて!」
といい

バスの乗車から、切符購入、バスを下車するまで ぜーーーーんぶ 彼らが手配してくれました。

私が行きたかったお寺付近には バスの停留所がなかったので、学生が車掌さんに「ここでとめてくれ」と言い、下ろしてもらいました。

バスはこれまた満員だったんだけど、学生が、目をキョロキョロさせ、空席を一つ見つけ 大声で「センセ! Come Come」と私を呼ぶのです。

あああああああ いい子達だよおおおおおおお

でも満員だったので、その学生のいるところまで行くのに時間がかかっちゃって
(あー きっと もう席とられちゃっただろうなあ)と思いつつも 学生の方に行くと、なんと彼は自分の荷物を空席に置いて、一生懸命その席を確保していてくれたのです。

ああああああああああああああああああああああっ!!!!!!

なんて いい子達なのでしょう!!

学生全員が、ヘレンケラーに見えます!!

センセーは 君達のその優しさに むちゃくちゃ感動させられています。

「席を譲る」なんて、小さなことかもしれないけど でも人を幸せにすることに 大小関係ないの。

だから 私は そういう生徒の素敵な行動に出会ったときは、次の授業で クラス全体の前でその生徒を 褒めるようにしています。

彼らにとっては「先生に席を譲る」なんて普通のことかもしれないけど、でも それは本当にすばらしいこと、人を幸せな気持ちにすることなんだって 伝えたいのです。 そういう優しさをずっと持ち続けてほしいねー

きょーこセンセーの嬉しかったこと その2

2008-10-31 12:10:45 | インドで日本語教師
EEE-Bクラスの インドの「安達由美の旦那」サウラジ君の話に引き続き、

嬉しかったことシリーズ。

今度は ECE-Cというクラス。

このクラスは 水曜日に授業があるのだが、初回の授業の時、教室に入ったら、
なんと黒板に


と書いてあった!!

「こんにちは」が「こんにちわ」になってるが、いいの いいの。

ひらがな むちゃくちゃ上手に書けてるじゃん!

外国人が苦手な 「はね」もちゃんとできてるし!

黒板を見て、「おおおおお!」と驚いている私を見て、ECE-Cのクラス全員立ち上がって拍手をし始めた。

なんだー このクラスー!!むちゃくちゃ やる気じゃん!!

「誰が書いたの?」と聞くと、一番前に座っている男子生徒2名が手を挙げた。

月曜日と火曜日のクラスの生徒に授業で何をやったか聞いて、それを黒板に書いたらしい。

「でも月曜日、火曜日のクラスも まだ平仮名の書き方教えてないのに よく書けたね!」と言うと、

私が月曜日、火曜日のクラスで生徒に渡した、平仮名表を既にコピーしてノートに貼っているのを見せてくれた。

おおおおお お前達・・・・

ええ子やなあ・・・・

センセーは、むちゃくちゃ 嬉しいぞ

ちなみに 黒板の右横に書いてあるのは、ヒンディー語と ベンガル語らしい。
訳を書いたのだそうだ。

翌週の授業では、これと同じものがまた書いてあり、訳にタミル語が追加されていた。

その翌週の授業では、今度はカタカナで書いてあった(笑)

わかったっ わかったよっ!(笑)


きょーこセンセイの 嬉しかったこと その1

2008-10-31 05:03:05 | インドで日本語教師

今 私は 60人から80人のクラスを 9クラス担当しています。

どのクラスにも Class representative という学級委員が1名います。

いいねえ いいねえ こういう制度。トンガにはなかったぜ。だから無法地帯だったぜ。

どのクラスの学級委員も 賢く 礼儀正しく 頼りになる。
たいてい 教室の前の方に座っているのだ。

で、EEE-Bというクラスの学級委員は 安達由美の旦那に激似だ。

ひそかに 私は彼を 「安達由美の旦那」と呼んでいる。
クラスの進度チェックノートにも 日本語でこっそり 「安達由美の旦那が 学級委員のクラス」と書いている。

EEE-Bクラスは 日本語のクラスを非常に楽しんでおり、皆 学習意欲がある。

もちろん そのクラスの学級委員である「安達由美の旦那」も 非常に楽しんでいる。いつも ニコニコ ニコニコして授業を聞き、質問の答えがわかったら すぐ手を挙げて答えたがる。

廊下や町で会うと、「Madam! Madam! Oh, センセー センセー Do you remember me?」と駆け寄ってくる。

rememberしてる してる。 rememberどころか 私は密かに、君に「安達由美の旦那」というあだ名まで付けているぞ。ふふふ。

さて そんな 安達由美の旦那インド人が、授業が終わった後、私のところに来て、こういいました。

「日本語の授業が 大学の授業の中で一番楽しい!!」 と・・・。

きょーこセンセーは その言葉 むちゃくちゃ むちゃくちゃ 嬉しいぞ!!

そして 後日、また授業の後に私のところに来て、こういいました。

「You are good teacher! You are my best teacher!!!」 と・・・。


お前・・・ いい子だなあ・・・。 センセー 幸せじゃー


しかし、理工の大学生が、「大学の授業の中で、日本語の授業が一番楽しい」なんて言っていいのか?!

・・・・ 知りません。 まあ 私の授業が理工学部の難しい授業の息抜きになってくれれば 私は本望です。

安達由美の旦那 学級委員君。

本名 サウラジ バルドワジ君。

ありがとう。ありがとう。 君の一言で センセーは またまたやる気をもらいました。

しかし サウラジ君。 私が他の生徒のノートチェックに忙しくて 君と君の友人のノートチェックをなかなかしに来ないからって、

「センセー・・・・ センセー・・・ Are you with us? 」と 本気で すねないでくれ・・・

小学生かっ!!
 


ネット開通!! 

2008-10-30 04:32:50 | インド 生活

自宅にネット開通!!!

やったね。
すごいね。
やばいね。


来週からオンライン授業なるものを担当することになり、
自宅にインターネットを接続しなくちゃいけないので、
会社がインターネット手配をしてくれました。

ITオンチな私には なぜこのUSBフラッシュメモリのような器具を接続するだけで
インターネットに接続できるのか まったくわからん!
線がない。
無線?いや、どうやら違うらいしい。
会社のインド人スタッフが 元エンジニアなので、彼がすべてやってくれた。

さすがIT大国インド!
今住んでいる場所は 都会ではないが、こうやって電波受信型のネットが
利用できるとは・・・・
21世紀。すげーよ
そのうち 月に住み始めるね。人類は。



私が所属している日本語学校は、正式には「●●学校」ではなく
「●●会社」です。だからかもしれないが、非常に待遇がいい。

給料が安いのは確かだが、飲料水代は出るし、
オフィスに行くと 食事代が出たりするし、
自宅アパートも、家電(炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、テレビ、アイロン)は支給されたし、必要な家具はそろってるし、
個人的に足りないものは購入してくれたし。

そしてそして なんと

えあーこんでぃしょなー
略して
エアコン
も設置された!!

真夏の日本でもエアコン使ってなかったっつーのに
今後エアコンを使うかどうか不明。
今のとこファンで十分なんだよね。
トンガで身についたサバイバル精神が抜けない私・・・

そしてなんと、
そのうち
ほっとしゃわー 
も付くらしい。

ほっとしゃわー?

しゃわー

わー

わわわわー

ざわわー






まさか まさか ホットシャワーを浴びることができるとは。。。

トンガの真冬、極寒の中 行水していた私 さようなら。

水シャワーの為 足の裏のよごれが落ちず 真っ黒な私の足 さようなら。

え?

水シャワー?

何それ?

ださくない?

今や時代は ホットシャワーだよ!

なんて台詞も言えちゃうね。

JICAの時は とりあえず「耐えろ」という指示でしたが
民間企業は 生活面に関しては「耐えなくてもいい」ようだ。

トンガ2年間のサバイバル精神がぬけない私。

こんなに 家電に囲まれてしまうと

ドキマギしちゃうよ?

トンガで 無線を大爆発させた私。

こんなに家電に囲まれてしまうと

またきっと何かショートさせて爆発させてしまうよ?

でも 私は 家電に立ち向かいます!!

今風の 女性になります!!

家電 使いこなしちゃいます!

家電しか使えない か弱い か細い女性になります。

もう 鍋で ご飯は炊きません。

スイッチひとつで 炊けちゃうよ~


Happy Diwali !! 恐怖の打ち上げ花火。

2008-10-28 17:03:16 | インド 生活
インドには 1年の中でお祭がたくさんあります。
お祭の日の前後は休日になります。

私がインドに来て、まず サラスバティー(日本では弁財天と呼ばれる)のプジャがありました。
学校ではお祭用のお菓子を頂だき、今住んでいるアパートでは オーナー一家とオーナーの経営している旅行会社のスタッフ全員と一緒にプジャに参加させてもらいました。

プジャの様子 ↓



↓もらったお菓子とか果物 激甘。




インド文化マニアな私的には とてもとても貴重な体験です。

そして 10月27日(地域によっては28日)、待ってました ディワーリー!!
ディワーリー当日を含め、4日間が休日になりました。

ディワーリーは 本によっては「豊穣祭」「燈火祭」などと訳されています。
このお祭は、私はずっと「女神ラクシュミーのお祭」という認識を持っていたのですが、
実際生徒や先生に聞くと、どうやら 「古代叙事詩ラーマーヤナの主人公ラーマが悪魔ラーヴァナを倒した日」を祝う日としている人が多いようです。(実際はいろいろな説がある。)

北インドでは 小さな容器にオイルを入れ灯を燈し、それを川に流したり(灯篭流しみたい) 家の祭壇に飾ったりするようですが、南では主に電飾をつけてお祝いします。
しかし 私の住んでいるところは微妙な田舎なので、そこまで盛大にライトアップされている場所はありませんでした。 それよりなにより、とにかく 花火 花火 花火!!!


↑自宅アパートの屋上より 近所で打ち上げられる花火を撮影。

ディワーリーでは とにかく花火を打ち上げることがメインのようです。
ディワーリー期間は あちこちで花火が打ち上げられます。
早朝から深夜まで 爆竹音、打ち上げ花火音、むちゃくちゃ うるさいです!!!
インド人は 民家の庭で打ち上げ花火を普通に打ち上げるので、正直 恐怖です。
メインストリートを歩いていると、民家から発射されたロケット花火や打ち上げ花火に ぶつかりそうになったりします。 悪夢。。。
音だけ聞いてると、内戦下にいるようです。。。 


「センセ!ディワーリーの日は、是非私の実家に一緒に来てください!」と生徒数名から誘いを受けたのですが・・・・・ 日本語学校の会議やら AC(私の部屋にはエアコンがついた!)の取り付けやらで、結局生徒の家に一緒に遊びに行く(ほとんどの生徒は寮生なので 実家が近い生徒はこの期間家に帰省する)ことは 叶わず・・・ うえーーーん・・・ JICAでトンガに赴任していた時は 離島に住んでいたからとにかく四六時中トンガ人に囲まれていたし、JICAにはとにかく現地に溶け込め!と指示されていたけど、民間の日本語学校勤務になると、やっぱり日本人同士で行動しなくてはいけない時間が多くなるから、なかなか現地の人と深く接する時間が少ない。
また、インドはトンガと違って、「女性」が 一人でインド人の家に行ったりするのは 危険だったりするので、更に機会が少なくなる。仕方がないんだけど、でもJICA時代の「地元人に囲まれる生活」が恋しかったりもする。。。

でも どんな状況にも いい点、悪い点がある。今の環境だからこそ学ぶことも多い筈。とにかく 日本語教師としてのレベルアップという軸さえぶれなければ いいんですからね!現地の人とも 自分の努力次第で どんどん距離を縮めていけるはずさ!がんばろー 前向き女!

さて、ディワーリーらしいことをしたといえば、花火を打ち上げ!!
お寺にも行ったけど、閉まってた。くすん。。。

ディワーリー当日の夜、同居人の日本人2名と、アパートのセキュリティのおじちゃんと アパート屋上で花火をしました! 
セキュリティのおじちゃんは「アパートの隣はガソリンスタンドなので、気をつけろ!」と言っていたが、周囲のインド人はガソリンスタンド付近でも バンバンやっておりました。うーむ。。。

実は 私、 花火、ちょっと苦手、、、。 見る分にはいいが、ねずみ花火とかロケット花火とかやる人の気が知れん!!一歩間違えれば 大やけどじゃん! 手持ち花火も 火花が勢いいい奴は へっぴり腰になる。

だから パチパチ系の手持ち花火専門。
セキュリティのおじちゃんと 仲良くパチパチ(^^)




が!! セキュリティおじちゃん、何を思ったか、私の持っている花火の火花を触り始めた!


私 「Nooooooooooo!!!!」
おじちゃん 「ハハハー No problem , No problem!! It’s a sparkle」
私 「Nooooo! It's a big problem!!」

驚く私を見て、おじちゃん更に火花に手をかざす。 No problem・・・。いいや、Problemだ 絶対 Problemだ! しかしここはインド。猛毒を持ったコブラを操る人達。No problemなんだろう。。。

あー でも 手持ち花火は楽しちいねえー ^^ 

しかし、、、恐怖はここから始まった。
日本人の同居人のうち1名が、なんと、
ロケット花火を買っていた。

ロケット花火はまあいいよ。

しかし、バズーカ砲みたいな打ち上げ花火も買っていた。。。

「打ち上げ花火」

これを聞いて 皆さんは何を想像しますか?

日本の夏、お祭で打ち上げられる、あの大きな大きな花火を思い浮かべますよね。

それを 売店で簡単に購入できるインド。
あなたは 信じられますか?


↓ こんなんとかは まあ日本でも ある ある。


しかし 彼が買ってきた花火は こんなんじゃない。
「打ち上げ花火」以外の何物でもなかった。

君はこの衝撃に耐えられるか・・・

↓我々が打ち上げてしまった花火・・・



私は この花火が天下され、美しい夜空にドッカーーーンと花開くまで、
この規模を想像していませんでした。

あまりのショックで、涙がでそうになりました。

いいのかぃ いいのかぃ?

こんな花火を普通に売っていいのかぃ?

素人が打ち上げていいのかぃ?

私には わからない。
おしーえてー おじいーさんーーーー
教えてー アーループースーの 森よー 
ヨーロラリエリエー ヨロラリエリエー ヨーロラーリオーロラー

そりゃ 毎年 死者がでるよ。
つまり 自宅集辺で バンバン ドカドカ打ち上げられている花火は、専門の職人が上げているのではなく、皆素人が各々の自宅で上げていることが判明した。

ときおり、打ち上げ失敗して 家のどっかに当たった音が聞こえたのもそのせいだった。

我がアパートからは、打ち上げ花火を計 三本打ち上げ、隣のガソリンスタンドに引火することなく無事終了。

花火とか苦手ちゃんの きょんちゃんには ちょっと恐怖体験だったが、
終わってみれば、非常に楽しかったのでした!!!







センセ、ミテクダサイ

2008-10-22 23:56:57 | インドで日本語教師

日本語初級クラスを始める時、先生によって教え方は様々だけど、私は「教室用語」を教えます。

始めましょう、起立、礼、着席、書いてください、言ってください、聞いてください、見てください etc

で、勘のいい生徒は、平仮名練習中に、自分のノートをチェックしてもらいたい時、「センセ、ミテクダサイ!」と自主的に言い始める。 
それにつられて、他の生徒も言い始める。
勘のいい生徒がいない場合は、生徒に促して「センセ、ミテクダサイ」と言わせてからノートをチェックして丸をつける。

トンガの時も、学生は自分のノートをチェックしてもらいたいから、「私のノートを見て」主張は すさまじかったが、インドも同じ。

 平仮名の あ を教えて 書かせる。 五回以上書けと言う。

数分後、誰かが「センセ(「先生」と言おうとしている)! ミテクダサイ!」と言う。

どんどん 増えていく。

教室中が、「センセ!ミテクダサイ!」コール。 

う、うるさい。

しまいにゃ、あたしがなかなかチェックしに来ないもんだから 
センセ ミテクダサイ 連発。

「センセ、ミテクダサイ、センセ? センセ?センセ?
ミテクダサイ、センセ、ミテクダサイ、センサイ センサイ!!!」

センサイッ!?
混ざっちゃった!? 
センセとミテクダサイ 言い過ぎて 混ざっちゃった!?

落ち着け!落ちつくのだ。思春期ボーイズ!! 

ノートチェックしてもらえなくても 明日はくるぞ。

あと、私は とても上手に平仮名を書いた生徒には「花丸」をつけてあげるんだけど、その時に

学生「センセ、 What’s the meaning of this mark?」
私 「This mark means very very very very very good!」というと
学生 「オオオオオオオオオオオオオオ!!」と 拍手。 

何に対して? 花丸をもらった自分に感動したのか?

その後、花丸ブームが到来し、

ちょっと マセて、斜に構えてる感じの今風の学生が、私がノートチェックしてるときに、「センセ、Please write that flower」と ぼそっと花丸を要求するほどまで 花丸は大人気だ。

別の生徒は、花丸に感動したことがきっかけで、この「花丸」のような日本の文化をもっと教えてくれとまで言ってきた。

花丸も そこまで崇められて 本望でしょうよ。

あと、練習問題を解かせて、答えがほとんど間違っている生徒が、それでも「花丸を書いてくれ」と必死になっている姿は 胸きゅんだ。


思春期ボーイズと吉永さゆりちゃん達との授業のこと

2008-10-20 22:34:24 | インドで日本語教師

 私は今 インドの理系大学で教壇に立っています。

エンジニアを育てる大学です。

「エンジニアを育てる大学」なんて言うと すっごいハイテクな校舎をイメージするかもしれませんが、校舎の周りは 美しい田園風景。 美しい牛。 美しい牛の糞。 しかありません。

ナイス 自然!!

日本語履修生は 大学の全1年生、総勢約1300人を 3人の日本人教師で受け持っています。

1クラス 60~70人で 私は9クラス担当しています。

つまり 約600人の生徒を受け持っている。うーーーん・・・ 名前覚えられないかも・・・ でも 教え子の名前は全部覚えたいんだよなあー

授業は 100分。

月曜日は 100分 × 3クラス
火曜から木曜は 100分 ×2クラス
金曜は きょんちゃんはお休み。
土曜日は 100分×3 or 2  その後チェンナイ市内に行って日本語教室で授業。
日曜も 夕方から会社で日本語教室の授業です。

でも、トンガの時と比べて、授業は かなり楽!
だって、9クラス、同じ授業をすればいいのだから 授業準備が非常に楽。

トンガの時は 一週間 50分授業が25コマくらいあって 全部違う内容を教えていたので 毎日授業準備で寝る時間がなかったもの。 
それに比べりゃ 非常に楽! 
100分授業も、実はトンガ時代に経験していたので、問題なしー。 今振り返ると、やっぱトンガ時代ってかなり忙しかったわ。がんばってたな。偉い!


さてさて 大学の話に戻りますと、この大学は、今年から日本語授業をカリキュラムに取り入れることを決めたのですが、何を思ったか、1年生は日本語「必修」にしてしまったのです・・・

理系の学生ってさ ふつー 語学とか興味ないっしょ?
全員が エンジニアとして日本企業で働くわけじゃないっしょ?
選択授業にしておいたほうが 絶対いいのに・・・

だってね、だってね、1クラス、60~70人いるんですよ。

絶対 興味ない奴らは授業妨害し始めるに決まってる・・・・ そう思っていたのですが ところがどっこい!! 学生 みんな 日本語に興味もちまくりっ!!!質問もバンバンしてくる!!理解も非常に早い!

おおおおおおおおおお!!!さすが インド人! 
語学習得のセンスが抜群とは聞いていたが、ここまでとは!!
インドで話されている言語は、600以上あるといわれているけど、どの文字も結構 曲線が多い。だから平仮名も綺麗に書くことができるみたい。

トンガの生徒の平仮名はひどかった(笑)

インドの学生は 曲線も はねも 一回言えば理解する。 すごい!


クラスの雰囲気は担当している9クラスそれぞれ違った雰囲気がある。

1クラス 60~70人と 大人数だけど、

理系の大学っぽく公式で表すと

トンガの野猿軍団30人 > インド思春期ボーイズ60人

ってとこだね。 

インド思春期ボーイズは 確かに日本の大学生より幼いし、油断すると騒ぎだすけどでも やはり礼儀正しいし、注意するとすぐ理解する。頭がよい。あと これはアジアならではかな と思うけど、「先生」とは 立派で尊敬すべき対象という意識が強いので、教師に対する態度も非常に宜しい!!
トンガは 教師=棒で叩く人達 (笑) ってイメージだったからなあ。

60人の思春期ボーイズといっても うち5名くらいは女学生がいる。
彼女達は非常に聡明だ。
そして照れ屋さんで むっちゃ カワユス。

授業中、自己紹介をさせるために生徒を一人ずつ黒板の前に出させていたらある女学生が「マダム・・・」と小さな声で私を呼ぶので、「どうしたの?」と近づくと

「マダム お願いがあります。私達を 黒板の前に出させないで・・・」と言うのです。

私   「なんで?」
女学生 「だって 私達が黒板の前にたって 間違えたこと言ったりしたら きっと男の子達 からかうもの」

あああああああ
 きゅん きゅん きゅーーーーーーん 胸きゅん!

君達は 吉永さゆり ですか??? 由美かおる ですか??? 

「だいじょうぶよお! 間違えても 私がフォローするし、あなた達をからかう奴がいたら あたしがぶん殴るから!」と言うと

キャキャキャキャーーーーーーー!!! とみんなして 笑うのだ。
そんな単純なことで うけてもらえると 自分は相当面白いことがいえる人間だと勘違いしてしまいます。
純粋ですねえ。 ちなみにインドでは 教室でもバスの中でもどこでも、女性と男性は別れて座ります。
絶対一緒の席に座ることはありえません。
私が 男子学生に「そのチョーク、あの子(女学生)にあげて」と言うと 皆固唾をのんで見守ります。そして ニヤニヤしてひやかします。当の男子学生は 照れて 何故かぶっきらぼうに チョークを投げて渡します。。。。

ぶ、、、不器用ですから・・・・・・ 高倉健か。お前は。照れすぎだぞ。思春期ボーイズ。

吉永さゆりちゃん達 以外はみんな そんな思春期ボーイズ。

「ちょっと!あんた!ボケーッとした顔してるよ!どうせ 女の子のこと考えてたんでしょ!?」というとクラス 大盛り上がり。
ヒャーーーーー!!! みたいに盛り上がる。 中学生かっ!!(笑)


「センセ、I have a question!!」と神妙な顔をして 手を挙げるので、
「何?」というと 礼儀正しく立ち上がり

 「センセ、how do you say I LOVE YOU in Japanese? 」

 ・・・・・・

 必要かい? それは エンジニアになるために 必要なのかい?

それに 触発され、別の生徒

「センセ how do you say Sweet dream ?」

 ・・・・・・

 いつ 使うのかい? それを いつ使うのかい? 君 彼女もいないでしょ? いたとしてもインド人やんけ。

そういう質問も、礼儀正しく いちいち立ち上がって 質問してくるので こっちは笑えてしかたない。。。

しかも こういう質問、ほぼ全クラスで聞かれます。 どんだけ 恋愛に興味もってんねん!!! まだ 「こんにちは」くらいしか 言えないっつーのに恋愛Japaneseにどんだけ意欲もってんねん!!

日本語教師って 授業中 テンションを上げることが要求される。
特に大人数クラスだと、かなりハイテンションでいかないと、生徒に負ける。
生徒に負けると 授業は ダラダラになる。

だから時々、どーしてもテンションの上がらない朝とか、「うーん 今日 やばいなあ。授業までにテンションあがるかなあ。」と心配しちゃうんだけど でも教壇に立つと パンっと スイッチが入る。 

ここがこの職業のおもしろいところだ。

特に ここでは スイッチが入りやすい。 だって クラスに入った瞬間、学生がニッコニコしてあたしを見てる顔が目に入るからだ。

私が教室に入った瞬間に、皆立ち上がる。 礼儀正しいねえ。インド。すばらしいよ。インド。

どこの国でも 生徒は 可愛い。
人種や宗教、話す言語に違いがあっても 私の生徒は 私の生徒。
私の生徒という共通点。

みんな あたしに付いてきなさい! 
ぜったい おもしろい授業したるでーーーー!!
ぜったい あんたらの思い出に残るクラスにしたるでーーー!
先生を信じて ついてこーーーい!


赴任! でも ココ、、、ドコ?

2008-10-17 19:41:30 | インドで日本語教師
インドに着いた翌日は なんとマハトマ ガンジーの誕生日で祝日。
何もできず。
夜 日本語学校のスタッフ、教師が集まって 夕食会。
豪華な(私的には豪華と思われる)ホテルのレストランのバイキングだった。
さすがインドの4大都市 チェンナイ。


そして翌日。
朝からイミグレに 外国人登録をしにいく。朝っていっても、結局なんだかんだ遅くなって11時にイミグレに着く。

待つ。

待つ。

書類提出。→ もう一枚書類渡される。記入しろと言われる。

記入して 提出するために並んでいる人々の列に加わって待つ。

待つ。

待つ。

待つ。

職員帰りだす。

!?

帰るな 帰るな!!!

まだ ここに書類提出をするために並んでいる人こんなにいるじゃんか!!

「ビコーズ イッツ ランチタイム」

そうかい そうかい 腹が減ったんかい! でもあたし達だって ランチ食べたいよ!!でも 我慢して待ってたのよ!
だって 今 2時だよ! 11時から3時間待ち続けてます。
「早くしてよー!」とねばってみると

OK OK! と私の書類を見て、OK!といい、隣の部屋に連れて行かれ 書類を全部提出させられる。
おいおいおい、だったら最初からそうしてくれー
この3時間は 一体なんだったの?

そして書類を受け取った係員の人は こういいました。

「外国人登録の申請を受け付けました。 受け取りは来週の金曜日です。」

えええええ?! 何? 何? 今日は 申請の為だけに3時間も待ったんかぃ!? 長いよ!

なるほどねー
インドでは 一日一つのことができれば満足と思わなくちゃいけないのよね。
忘れてました。
インディアン タイム。慣れて行きましょう。 焦ったって仕方ないの。



そして その翌日。
朝 8時にチェンナイを出発。引越しです。
私の赴任先の大学は チェンナイ市内ではなく 市内から車、バスで1時間半のところにあり、住まいもそっちになります。

1時間半かけて これから住むアパートに着き、荷物を置いて、すぐにまた車にのり、そのまま大学の始業式に出席しました。

い、忙しいよ。

始業式の前に 校長室で 校長先生、教頭先生、アカデミック コーディネーターの先生に挨拶をしてから
始業式に参加。

始業式に参加している学生を見て、 びびび ときましたね。

「こりゃ いける。」と。

トンガの学生と変わらん(笑) 日本人の先生を見て、ニヤニヤしてるとことか
まあ とにかく幼い感じ。かわいいねえ。 この子達だったら クラスコントロールできるな!と びびび ときました。(笑)

始業式が始まり、校長先生や教頭先生の挨拶などを聞きながら

あたし 本当に 今 インドにいるんだ。

観光客としてではなく、ここで働く人間の一人として。

バックパッカーでいろんな国をまわっていたとき、どんなに現地人に近づこうとしても 自分が「旅人」である限り、やはり限界がある。
よりもっと深くその国を知るためには、やはりその地で 職を持ち、生活しなくてはいけないんだ。

と思ってから、「いつか いつか 絶対インドで 働くんだ」とひそかに野望を抱いていたのですが、

それがついに叶ったんだなあ。

と 一人 感動!!


↑ 始業式で 新任の先生を紹介されたとき。 ちなみにこの大学は私以外に2名日本人教師がいます。


んで 始業式が終わって、ランチ(カレー。もちろん。)を頂き、

午後から授業!!

何故、始業式の日に 無理して授業をする必要があるのか。。。

でも 私的には ワクワク!

しかし 教壇に立つのは半年ぶりなので 緊張・・・

なんせ今度の生徒は 理工学部の大学生で しかも一クラス60人~70人。

ドキドキ ワクワクしながら テンションあげて 教室へ!!


あああああああああああああああああああああ

もうっ

さいこーーーーーーー に 楽しかった!


久々に 教壇に立って

やっぱり この仕事 大好きだーーーーーー!!って思った。

トンガの学生と比べて とても礼儀正しいし、

学生が 「イエス マダム」と いちいち返事をするのが かあいい ^^

まあ 授業のことは また今度アップするとして

こうして 大学初日が終わった・・・・

さあ スクールバスで アパートに帰ろう。



え? あたし スクールバス どこで降りればいいの?

アパートのある場所の名前 聞いてないよ。

てか ココ ドコ?!

確か アパートから大学に来た時は 20分くらい車に乗っていたと思う。。。

ココ、 ドコーーーーーーーーーーーーーーーー!!!



結局 大学の教授だかスタッフだかの人に助けられ なんとかアパートに辿り着く。

そして 私の住んでいる場所の地名は Kelambakkamというところだということが判明した。 

私が長年行きたかった 世界遺産マハーバリプラムのすぐ近く!

よしよし。

楽しめそうだわ。

こうして 仕事も順調にスタートしたのでした!


インドに来てから2週間が経ちました

2008-10-17 00:17:07 | インド 生活
あっという間に2週間が経ちました。
ブログでアップしたいことが 山ほどあるのですが、一日3回の停電と、仕事終わりにネットカフェまで行くエネルギーを使うくらいなら 夕飯を作ることにエネルギーを使おうという思いとで なかなかネットカフェまで行く機会がありませんでした。

とにかく まず いいたいことは

南インドは とてもとてもとても すばらしいです。

南インドの人は とっても優しいです!!

そして 生徒が とてもとても かわいいです。

んで、やっぱり あたしはこの仕事が大好きです。 できれば一生こうやって教壇に立っていたいです。

生徒をひっぱる喜び、生徒が私の授業を楽しんでくれている顔を見る喜び、授業後や街で生徒に会った時
「こんにちは!!きょうこ先生!」と ニッコニコ笑って寄ってきてくれるときの喜び。
この仕事ならではの「幸せ」が いっぱいです。

まあ 全部いっぺんに書こうとすると まとまらないので、今回は日本出発から インド着までを書くのだ。


トンガから日本に帰国したのが 9月29日の夕方。その日は疲れてそのまま就寝。
で 翌日9月30日。会いたい人にも会えず、連絡しなくてはいけない人にも電話すらできず ドタバタドタバタ買い物やら 荷造りやらで 結局完全徹夜。 徹夜のまま、家を出発。
駅まで両親が 車で送ってくれた。

2005年にトンガに旅立ってからというもの トンガ、フィジー と日本を離れて暮らしていたから
別に海外で暮らすことに抵抗はまったくなくなってきているし、 今年に入ってからは カンボジア フィジー ツバル バヌアツ トンガと いろんな国に飛んでいたので 飛行機に乗ること自体、電車にのるのと同じ感覚になってきている。 でも やはり両親、兄と別れる時は ポロリときた。

朝7時、ラッシュの中央線にでっかいスーツケースとバックパックと手提げをぶら下げて乗車。 
むちゃくちゃ 迷惑!!! 女性専用車両に乗るが、すんげー視線が痛い。
すみません すみません すみません・・・・ 許してくだちゃい・・・
で、寝不足でクマができてるし 髪の毛は油分でベトベトだし バックパック背負ってるのに、一応フォーマルっぽい服だし、むちゃくちゃ ダサい!! 

東京駅から 成田エクスプレスに乗り、車内で 別れを言えなかった友人や、トンガ人の友人への手紙を書き続ける。車内でおにぎりを買ってむさぼり食い、成田駅で手紙類を投函して、両替をして ダッシュで 入国審査!!!そして エアインディアへ搭乗。



5年ぶりくらいに エアインディアに乗ると シートが全部 カレー色でびびった。
しかも ガラガラ。 乗客いなさすぎ。
全然 乗客いないのに、こんなに席が空いてるのに、さっそく インド人男性に目を付けられる。そして奴は私の真後ろの席に異動してきて 日本語で(日本で働いているらしい) ずうううううううううっと 話しかけられる。
このまま10時間のフライト中 ずっと このエンドレスな話を続けるのだろうかと思っていたら 気がついたら 気絶していたのかと思うくらい いきなり深い眠りに落ちていたらしい。
大口あけて寝ていたら、スチュワーデスが気を遣って 座席の肘掛をとって「横になって寝たほうがいいですよ」と毛布まで持ってきてくれた。。。 さんきゅー さんきゅー
横になって寝て、うまく機内食の時間だけ目が覚めて、着陸態勢に入る寸前まで爆睡。よだれが シートについてた。ソーリー


ガコガコッと音を鳴らしながら 期待はデリー空港の滑走路に着陸。
5年ぶりのインド! 7年ぶり(かな?)の デリー空港! 
なんか すっごい綺麗になってるんですけど?! さすが新興国!
来ちゃったねー 来ちゃったよー インド インド!!
で、国際線ターミナルから 国内線ターミナルまで シャトルバスで向かう。

シャトルバスに乗って 白人女性の隣に座ると、彼女はすっごいイライラしていたので、どうしたのか聞いてみると、もう2時間もこのバスに乗って発車を待っているという。
さすが インド。
で、バスが発車すると、、、、、 同じ道をぐるぐる ぐるぐる・・・・ 何故?
白人女性 ぶち切れ寸前。 「This is crazy!」と繰り返す彼女。 かわいそうに・・・でも これがインドです。

で ようやく国内線ターミナルに着き チェンナイ行きの飛行機の搭乗手続きをし、飛行機が時間通りに出発するというので、「おおおお!すげー インドで時間通りに飛行機が飛ぶなんて今まで経験したことないよ!ついてるねー!」と 上機嫌で飛行機に乗り込み、シートベルトをする。
乗客全員乗り込みました。

乗り込みました・・・・

乗り込みました・・・

離陸は?

離陸しないの? この飛行機は。

そこでアナウンス。
「こちらキャプテン。ただいま 客室乗務員があと5名足りません。 あと5名が フライトに乗ってもうすぐデリーに着きますので、このまましばしお待ちください。」

 
どーいうことやねんっ!?

だったら 搭乗する前に そう言ってくれよ。
何故 乗客を搭乗させちゃったのよ。

30分待つ。

アナウンス再び。
「ただいま 3名乗務員が到着しました。 あと2名足りませんので しばしお待ちください」

・・・。

結局 チェンナイ行きの飛行機は 乗客を乗せたまま2時間動かなかった。

インドでは 「しばし」は2時間くらいを意味するらしい。

チェンナイ空港に着いたのは 深夜12時。 
もー つかれたよーーーー   あたしゃ 昨日 徹夜だったんすよ?
空港には 日本語学校のスタッフが迎えにきてくれていた。

で そのまま日本語学校が用意してくれていたアパートに泊まり、眠る 眠る 眠る。

こうして インド初日は終わりました。

ワナッカム!! from INDIA

2008-10-10 13:49:31 | インド 生活

私は 無事です!!!

私は 生きています!!!

 トンガから日本に帰って 徹夜で準備をし インドへ旅立ちました!

南インドは サイコーーーです!!!

北インドと 全然違います! 皆 とても優しいです!

南インドは すごいです!

HONDAのパンツが売っています!

 

私の住んでいるところは 外国人がいないので

私も アッサム人と思われています。

授業もさっそく始まり 久々に教壇に立つ幸せと喜びを味わっています!

やっぱり この仕事、大好きです。

ようやく 落ち着いてインターネットができるようになったので

ぼちぼち インド編を アップしていきます!


トンガ再訪 その3

2008-10-10 13:38:35 | トンガ 青年海外協力隊活動記
エウアに住んでいた頃、よく豚の鼾を子守唄に眠りました。

そして 今回、レルと雑魚寝をし、耳元であの懐かしいブーブーちゃんの
鼾に似たレルの鼾を聞きながら 私が住んでいた部屋と同じ作りのこの部屋の
天井を眺めて いろいろなことを思い出し、なんだか 眠れな・・・

ごー ごー ごー

爆睡。

トンガ4日目。

朝6時くらいに ふと目が覚める。
すると 隣に寝てるはずのレルがいない。
でも 布団とレルのまくら(犬のぬいぐるみ)は 置きっ放し。

トイレかな?
と思い わたしは 二度寝。

再び目が覚めると レルが部屋のドアに立っていた。

「よかったよー いつまで寝てるのかと思ったわよ。
 今日 朝6時くらいに目が覚めてさ、自分の家(歩いて10秒)に行って
 聖書を持ってきて読んでたんだ。」

あー だから 朝いなかったんだ。

「でさ 恭子の寝顔を見ながらさ このままずっと一緒にこうやって
 お互いの寝顔を見てさ 前みたいに暮らせたらいいのにって思ったよ。」

恋人同士か?!

でも そうだね。 
去年まで すごく近い距離で 互いの咳が聞こえる距離で 暮らしていたようなもので
去年は 朝起きてから 夜寝るまで 互いの存在が 互いの生活の中にあった。

「じゃ、今からあたしは自分の家いって、服をきて学校に行くよ。
 んで、手紙書いてそこに貼ったから、読んでよ!じゃ、後で 学校でね!」

と 部屋を出て行った。

手紙は 椅子にセロテープで貼ってあった。
ほんと、恋人同士かよ(笑)

手紙には、「昨日の夜に終わりが無ければよかったのにって思うよ。だって私はまたきょうこが
いなくなって 寂しくなるからね。 きょうこがエウアを去ったとき、私はすごく後悔した。
だから 今回は絶対エウアを出発する時は知らせてね。そうじゃなきゃ 大泣きするよ!」
と書いてあった。

そうなんです。 去年私がエウアを去る2日前から エウア高校で 各島の学校で選ばれた学生達が集まって合宿みたいのを
してたんだけど レルはその行事の代表で 毎日徹夜で作業をしてて 私がエウアを出る寸前まで起きてて
「絶対港まで行くからね!」と私の家の外で大声で叫んでいたが、その数秒後 深い深い眠りに落ち 起きることがなかったのです(笑)

でも 疲れているのを知っていたから起さずに エウアを出ました。
日本について 数日後 レルからメールがきていて
「なんで なんで起してくれなかったの!? 私は目が覚めたとき 悔しくて涙がでてきたよ。自分が嫌いになったよ。」と書いてあった。

ちゃんと お別れをしなかったけどさ でもね わかってたんですよ。
「じゃあ またね」 っていう一言が大事なんじゃなくて 一緒に過ごした時間が大事なんだから
その大切な時間さえ心の中にあれば 「じゃあ またね」っていう言葉を直接交わしてお別れしなくても別にいいんです。

でも 今回レルがまだエウアにいるうちに再訪できたから、今度はちゃんとお別れだ。


午前中は エウアの知り合いにあいさつ回りをして



写真:エウアの郵便局にて 局員と。
 (任期1年目はインターネットも使えなかったので、毎日のように郵便局に行っ  ては 私宛の手紙がないか確認していたので、局員とも仲良し。ちなみに左の女性は胸毛がハート型で有名です。)

大好きなエウアの坂道などを 始めたばかりの一眼レフ(フィルム)で撮ったり


↑ これはデジカメで撮ったもの。この坂道 大好きだったんだよね。



午後は学校にもどって 先生、生徒と話をし
あっと言う間に エウアを出発する時間になった。 夕方の飛行機で本島に飛びます。

レルの運転する車で 校長と私の後任と私で空港に向かう。

学校の入り口に止めてある車の前まで、同僚の先生達が送ってくれた。

(右が校長のオケティ。後ろの4人がSingle comitteeのメンバー。ちなみにうち1名は独身ではないが、本人の希望で独身ということになっている・・・)

Single comittee のメンバーとは 最後まで互いに「絶対 あたしの方が先に結婚するからね!」と互いに言い争っていた。
やっぱ この独身の先生たちと 一番楽しく騒いだなあ。

「エウア高校の20周年に、絶対 絶対 来なきゃだめだよ! 必ず連絡するから 絶対来てよ! その時までに きょうこJrを作っておきなさいよ!」

と散々いわれた(笑)

車に乗り込んで 車の窓越しに 仲のいい同僚達と くだらないジョークで 大爆笑していると
笑えば笑うほど みんなの笑ってる顔を見れば見るほど 涙がこみあげてきた。 我慢 我慢。

そしたら 「きょーこーーー!」と呼ぶ声がして、声の方を見ると、生徒達がいました。校舎の2階から 手を振っていました。
「テスト、がんばってくださいね!!!」
って言ったら じわじわ じわじわ こみあげてきた。

やっぱり サヨナラは 悲しい。悲しいです。

実は 今回は 今の先生は後任の方なわけだから 私は生徒とはちょっと距離を置いて接していました。
でも 最後の最後で ぶわーーーーっと 先生モードになってしまいました。

2年間 あたしの生徒でいてくれて 本当にありがとう。

エンジンがかかって 車が出発して 生徒が見えなくなるまで「さようならー さようならー」 と 手を振りました。

去年まで やんちゃだった生徒が 大人びた顔で手を振っている様は 頼もしくもあり、嬉しくもあり、
その分 泣けてしまう。

どうか 素敵な大人になって 今のようにたくさん笑って 幸せに暮らしてくださいね。




んで、空港に着いたら・・・・

誰もいねーーーーーーー

でたよ。さすが エウア。

結局 飛行機は2時間後くらいに 飛んだ。

校長とレルと Hugをして別れた。 でも思ったより 悲しい別れじゃなく、「じゃあ またね!」という感じで別れた。
というか 飛行機を2時間も待ったおかげで 別れのセンチメンタルな感じが消えうせていた(笑) 何事もリズムが肝心。
だから 結構あっさり別れた。

が、、、、、

小さな6人乗りの飛行機に乗った後、飛行機が向きを変えると、みんながまだ空港のとこにいて、
レルと校長のオケティが飛行機にむかってずっと手を振っているのが見えた。

飛行機が滑走路を走り始めても まだ振っていた。レルも校長も。

離陸して みんながどんどん小さくなっていくのに まだまだ飛行機の方に手を振っているのが見えた。

やめてよー・・・・そういうの。。。 泣けちゃうじゃん。。。

周りの乗客に泣いているのがバレないように 頑張りました。
すると 大海原に クジラがジャンプしているのが見えました。
トンガといえば クジラ。

クジラもトンガ人も みんな やってくれるねえー 


飛行時間8分。 本島の空港に着きました。

預け荷物が運ばれるのを待っていると 誰かが私の肩をたたく。

はい? どちらさん?

おおおおおおお!! アカ!マアタ! そう、エウアで仲良くしていた家族が そこにいたのです。
エウア再訪第一日目は 彼らの家に泊まる予定(日本出発前に本人に確認済み)が、
行ったら誰もいなかったという なんともトンガ的なパンチをくらわされた あの家族です!
「教会の用事で本島に上がってきているから、きょうこが本島に戻ってきたときは絶対空港に迎えに行く」
との連絡を昨日もらっていたが、トンガ的パンチをまたくらわされる可能性大なので 信じていなかった

本当に迎えに着ていた。 人生 何事も期待してはいけない。 期待していない人が 約束どおりのことをすると
その人は偉人に思えるものだ・・・・。 そうなのだろうか。

で、この日は彼らの親戚の家(彼らが本島に上がるといつも泊まる家)に泊まることになった。

まあ トンガ的パンチをくらったとはいえ、当時かなりお世話になったこの家族にも会うことができてよかった。
とくに お母さんは去年私がエウアを去るときに、糖尿病で生死の境をさまよっていたので 今回元気な姿を見ることができてよかった。

みんなで 夕食を食べ ガキどもと わいわい遊んでいると


↑ イシレリ(2歳) でかい。。。


 ドアを叩く音が。
ドアを開けると、そこには ホストファミリーのお母さんが!?

ええ?! なぜ?

私 「どうして 私がここに泊まってるってわかったの?」
お母さん 「だって 私の家 隣だもの。」

?!

2年間 離島で暮らしていたため 本島の地理がまったくわかっていなかったが
つまり エウアの家族に連れてこられた家は、本島のホストファミリーの家(私が今回1泊目に泊まった家)の隣だった!

しかも エウアでお世話になっていた家族と  本島でホームステイをした家族は 親戚だった!!!

なななななんということだ。。。
ぜんっぜん 知らなかった。 親戚といっても 遠い親戚だけど。
しかし こんな偶然あるのだろうか。 いや トンガならありえます。


↑この日の夕食。 芋数種類と ソーセージと シピ(油ぎとぎとの羊肉)の油スープ。 一般的なトンガの夕食。そりゃ 太るぜ。 そりゃ 糖尿病になるよ。
「きょうこのために スープにキャベツを入れたよ!」 ありがとう。
でも もしキャベツがなかったら 炭水化物とたんぱく質と油しか摂取していないということに気づいてくれ。だいじょうぶか。



で トンガ最終日。

まずエウア家族と 
朝食 (6枚切りのパンにバターたっぷり×2 コンデンスミルクをお湯で薄めたドリンク)

その後 隣のホストファミリーの家に行ったら 
「朝からきょうこのために作っていたんだよ!」と この日2度目の朝食を出され
(さっきの朝食から10分後)

目玉焼き、チキンナゲット3個、ソーセージ2本 パン4枚 を出されたので
ここは 女の見せ所。全部食べる。

で 再びエウアの家族の方に戻ると、

どーーーーーん!!!


「飛行機乗ってる間に 絶対お腹すくから」と言われ 朝食とランチの間の 軽食を出される。 軽食ではない 重食だよ こりゃ。
彼らは 機内では 機内食が出ることを知らないのかもしれません。。。

とりあえず果敢に挑む。でも 朝から食べ続けているので、本気で 吐きそうになるが、がんばった。

ゲストに 十分な食事を与えること。そういうのが トンガのホスピタリティ。
かなり苦しかったが、嬉しいことです。

↑台所にて 朝食を楽しむエウアンファミリー。


さ、お腹も一杯になったので、いざ空港へ!!



↑ バンの荷台にのって空港へ。 離島者は 本島にてテンション上がってます!
  一張羅を着て、最大限かっこつけてます!!
  この後の悲劇を誰も知る芳はない・・・

空港に着くと、

誰もいない!!!!! 

遠くから 空港関係者らしきおばちゃんが ドスドス ノロノロやってくる。

で 一言。

「キャンセル。」

がああああああああああああああああ!!!

朝、リコンファームしたときは 予定通りだって言ってたのに!

てか 4日後には インドに行くんですけど!!
準備とか 友達と会う約束とか どーすんのよおおおおおお!! ばかーー!
エアパシフィック ばかーーーー!

とりあえず 街中のエアパシフィックオフィスへ行けと言われ
オフィスへ向かうと、期待の故障でこの日のフライトが急にキャンセルになったという。
で、明日の夕方フィジーに飛んで、明後日 1日フィジーに滞在して、しあさってに日本につくと言われた。

ということは インド出発まで たった1日しか日本に滞在できないですやん。

友達と会う約束もキャンセルですやん。
というか 荷造り終わってないです

相当 凹んでいる私を 必死に励ますエウアファミリー・・・・

仕方ないので 家に帰る。 そして 洗濯を手伝って気持ちを紛らわせる。



トンガ流の選択方法  棒でつつく


↑ ナイス気分転換!!


かなりの量の洗濯を終え、飛行機の遅延に関しては 悟りを開く。

で 翌日 ようやくトンガを出発しました。

今回トンガに行くまでは トンガの2年間が重過ぎて 振り返ることすら避けていました。

でも 今回トンガに行って トンガでの日々が 本当の意味で思い出として
消化できるようになったと思う。

だって 会いたければ こうして会えるんだし

そして 私には次の未来が待っている。

エアパシフィックのおかげで、日本に帰ってすぐインドへ出発となったけど
それはそれでよかったと思う。

トンガからインドへ。

I'm ready to 一歩を踏み出す。










 

トンガ再訪「あの人は今!?」 その2

2008-10-01 06:07:36 | トンガ 青年海外協力隊活動記
トンガ3日目

朝からエウア高校へ!!

懐かしい坂道を登って エウア高校が見えたとき 甘酸っぱ~い気持ちになった。

まずは 「校長先生は今?!」
校長先生(オケティ 40歳)を見た瞬間 涙が出た。
嬉しかったんだよね・・・ 一番私の仕事を理解し評価してくれた人。
元気でよかった。前とちっとも変わってない。 よかった。

「レルは今!?」
私の隣人だったレル。でかいのは体だけではなく 声とくに笑い声がむちゃくちゃでかい。当たり前だけど ぜんっぜん変わってない! 彼女とは悪仲間だったし 夜 恋話や 人生観、仕事への情熱を 夜な夜な語ったこともあった。親友だ。


「アヒは今!?」
なんと 風邪をひいて寝込んでいた! 家にお見舞いにいったら アヒの顔を見た瞬間 涙が出た。 だってさー 懐かしいんだもん。
ずっとずっと こうやって みんなと会いたかったんだもの。



「生徒は今!?」
相変わらず 元気で やんちゃで 猿で おしゃまで ませてて 純で 生意気で かわいくてかわいくて 

かわいかった。
でも 子供の成長ってやはり早いなあと感じた。
特に男子生徒は 背が一気に伸びて声変わりしている子もいたし。
でも 中身はそのまんま(笑) 体がでかいのに やってることはガキだから笑える。かわいいねえ。



去年よりもひとつ学年が上がった子たちは 少し大人びた雰囲気を出していて
日本語も前よりも話せるようになっていて すごく嬉しかった。

後任の方が 愛をもって 一生懸命教壇に立って 教えていてくれるからなんだなあと感じた。後任の方はとても優しくて素敵な人で 彼女のような人が後任で本当に嬉しいなあと思った。

エウア高校で すれ違う生徒、同僚みんな私を見て驚いて その都度抱き合って 大騒ぎして 大笑いして。。。。

楽しいなあ。 なんだか 本当に 楽しい。 なんで こんなに笑いに満ち溢れているんでしょうか。ここは。

学校が終わって、 夕方までエウアのあちこちの知り合いをたずね
夜は エウア高校で 仲のよい先生、生徒達が私のためにバーベキューをしてくれました!!

期末テスト前で 先生も生徒も大忙しって時期なのに、、、、
手際が悪いからすげー時間かかってるし(笑)、、、

みんな忙しくて疲れてるのに 楽しくバーベキューを作って 騒いで
そういう優しさ 思いやり 本当に嬉しかった。











バーベキューがひと段落したあと、トンガでは定番のFakamalo(お礼の言葉:演説)を述べました。

忙しいのに本当にありがとう。みんなのことは一生涯わすれません!
ありがとう! ありがとう!

と言った後、

レルが 「I he taimi- kotoa pe eku manatu---」と 涙そうそう のトンガ語バージョンを歌いだした。

するとその場にいたみんなが歌いだした。

そう この歌は Japanese weekで披露した時 エウア高校で大ヒットしたのでした。だから 日本語履修生じゃなくても トンガ語バージョンなら歌えるのだ。

トンガを去って 4ヶ月ほど経ったある日 なんとなく「涙そうそう」を歌っていると 「会いたくて 会いたくて 君への思いなだそうそう」という歌詞のとこで はっとした。

これ あたしの今の気持ちじゃん。
トンガのみんなに 会いたくって 会いたくって 時には夢にまで見て でも 会えなくて 泣けてくる。 
そう 今回トンガに来るまで そういう切ない思いが付きまとってた。

でも 今は こうしてみんなと一緒にいる。

来てみたら トンガは遠い場所じゃなかったし

教え子や 同僚がいるうちは エウア高校に 私の居場所があって
いつまでも 私の「母校」なんだなあ。

そう思ったら ある意味で くぎりがついた。

今回トンガに行ったことで もう一度 教え子や同僚、友人と会ったことで
みんなと大騒ぎして ばか笑いしたことで

あの2年間が 本当の意味で 「思い出」として消化されたように思う。

もし 今回トンガに来なかったら いつまでも心のどこかにひっかかっていたけど

でも もう 大丈夫。

大丈夫だわ!あたしゃ!大丈夫どころか 充電満タン!

次の世界へ踏み込む準備が できました。

トンガでの2年間は私にとって宝物で、いつも思い出すとキラキラしてて とても大切な時間だけど でもその過去を大切にしていくためには 今が過去よりも輝いていないとダメなんだよね。
そうしないと 過去にすがってるだけだし、過去がかわいそうだ。

おっしゃー インドで もまれて 悩んで 泣いて がんばってくっかーーー!

きょーこ 先生は  次の夢にむかって 走り出しまっせー

ありがとう エウア。

大好き 大好き エウア。

君は 最高だ!

でも これからも きっと同じくらい最高の場所に出会えるでしょう。

がんばりさえすれば! ほっほーい



ちなみに この日の夜は レルと一緒に 教員住宅の空き家で 肩を並べて寝ました。
最初は 昔のように恋話、人生観、仕事、夢などについて熱く語り
そのあと、去年が懐かしいねえーという話になり、
横にごろんとなりながら 話していたら
「それでさー」と話しかけたら すでに 「ぐおおおおおおおおお」とレルはいびきをかいていた。さっきまで 話してただろ?!5秒で寝る。それがトンガ。



トンガ再訪「あの人は今!?」 その1

2008-10-01 05:36:04 | トンガ 青年海外協力隊活動記
はい、ということで行ってきました。
9ヶ月ぶりにトンガに。

インドに行ってしまったら いつトンガに行けるかわからないし
教え子や同僚がまだエウア高校にいるうちに どうしても一度トンガに行きたくて
急遽チケットを買いました。

ちなみに トンガまでの航空券代が20万以上だと思っている人が意外と多いので
今回のチケット代を発表しますが、

ジャン!

17万ちょっと也!! チケットが12万ちょい + 燃油サーチャージ

もっと早く予約していれば もう少し安かったでしょう。

さてさて、フィジー経由で トンガへ向かいました。

なんか今年は カンボジア、フィジー、ツバル、バヌアツと よく海外に行ったりしてるから 国際線に乗る感覚が 新幹線に乗る感覚に近くなってきている・・・

しかも行き先はトンガ・・・
ガイドブックも要りません。地図も要りません。
なんだか ふるさとに帰るような感じです。 ドキドキ。



トンガに赴任してから3週間のトンガ語語学研修中にホームステイしていた家族に 事前に連絡して ホストファミリーの長女メリアメが空港まで迎えに来てくれることになった。

メリアメを 空港で発見!

全力で手を振って駆け寄る私。

メリアメが こっちを見た!

見た!

見てる!

まだ 見てる!

私の後ろを見てる!

私 ココ! そっちじゃない!

むちゃくちゃ自己主張しながら近づいて行くと ついに気がついてくれた!

「ええええ?! まさか きょうこがそんな髪型してるなんて夢にも思わなかったらから気がつかなかった!そんな髪型してたら 気がつかないでしょーーー!」と メリアメ大爆笑。

見たか マッチ棒ヘア の威力を。 笑いのツボは万国共通。

メリアメの車に乗って 空港から街へ。

なんだか 本当に夢を見ているような気持ちだった。
目に入る景色が 懐かしいというより 夢なのか現実なのかわからないような感じ。

街について、まずJICA事務所へご挨拶。
その後、隊員さんへのお土産を置きに、JICAドミトリーへ。

ほどなく隊員の方達が ちらほら。

みな 懐かしい顔ぶれ。 元気そうで何より!
中には トンガ人化というよりも 野生化 野猿化 プロゴルファー猿化している隊員もいますが 気にしません。


夕方になって、ホストファミリーのおうちへ。
夕食をがっつり食べ わいわいみんなで騒いで トランプして 就寝。


トンガ2日目!!!

ついに 船でエウアへ向かいます。

朝ごはんも ばっちりです!!


ばっちりすぎです!!

どっしりです!!

さすが トンガ。 こんなに食べたら 船で吐くよ。 でも 食べたけど。
港までホストファミリーが送ってくれた。

港に着くと、「キオコ!?」とエウア人数名に声をかけられる。
まだ 覚えていてくれたのね。あたしの髪の毛が 綿棒の先っぽみたいになっても 認識してくれるのね。 ありがとう。

トンガ人「どうしたの?!」
私   「帰ってきたの」
トンガ人「旅行で?」
私   「ううん。 明日結婚するの」
トンガ人「誰と?!」
私   「○○(エウアの人の名前)と。 もう子供も生まれるの」
トンガ人 → 大爆笑

ああ これこれ。この小学生みたいな話のレベル。懐かしいなあ。楽しいなあ。
そこで気がつく。

あれ?あたし 意外と トンガ語まだ 話せるじゃん?!

やるぅっ! きょんちゃん やるぅ!

テンション上がってきたけど 船が出航する前には精神を落ち着かせ 眠りに落ちないと 絶対酔う。
と 精神滅却して 眠りの世界へ・・・

「キオコーーーー! モヘ ア キオコーー(きょうこ 寝てるぜー)」

うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!
眠れん、ぜんっぜん 眠れん!

すると 遠くにいた欧米人の女の子が 私に話しかけてきた。
女「あなた もしかして キョウコ?」
私「はい。なぜ 私の名を?」
女「私は今 エウア高校で働いてるけど みんな あなたの話をよくするから あったことなかったけど すぐわかった」
私「えー そうなんだー」
女「何度もあなたの話を聞いたわよ。」

と 彼女が聞いた「きょうこ話」を語りだした。
エウア高校でどんな活動をしただけでなく、非常にプライベートなことまで知っていたので まじで びびった 
三輪明弘に プライベートな部分をのぞかれた気分だ。会ったことないけど。

海は大荒れで 海水はザバザバ入ってくるし、改めて 何故この船が沈まないのか不思議に思った。

3時間半かけて ようやくエウアが見えてきた!
船が港に着くと 懐かしい顔がちらほら・・・ 

船を下りると 即効エウア高校の先生につかまる!

お互い ギャーーーッと悲鳴をあげながら 大爆笑しながら 抱き合う。
私 窒息寸前。 お肉とお肉に 埋もれる。
そしたら エウア高校の仲の良かった先生6人くらが港に来ていて

もう 大騒ぎですよ!! ギャーギャー叫んで、 笑って。

こんな風に 本気で 心の底から 再会を喜んでくれる人達がいるって 幸せだなあ。。。

「Finaly the queen of eua has come back! 」と みんな大声で叫んでた。
しかも このマッチ棒ヘアが 非常に好評だった。
「似合う」といわれた。 女心としては複雑だ。

ひとしきり騒いだ後、本日の宿、エウアの友人宅へ向かう。

しかし そこで私はやられた。油断していた。

出発前日に電話で確認したのに、その家にいったら

誰もいなかった・・・・

でた!でたでた! トンガじーーーーーん! 約束守らねーーーー 

やれやれですわ。

途方にくれる私に その家の隣人(親戚)が 
「じゃあ うちに泊まればいいジャン!!」と私を引っ張っていき
この日は そのうちに泊まることになった。

どうやら 私が約束していた家族(エウアで非常に仲良くしていた家族)は 教会の用事で前日トンガタプに行ってしまったということ。もしきょうこが来たら 世話してやってくれといわれていたらしい。

にしても、だったら出発前日に言ってくれれば 今日からエウア高校に泊まったのにぃ! むむーーー

でも その夜は 久々のトンガンフード! ウム料理!
やったーーーーー!!

でも 私に渡された皿に入っているウムは 他の人のそれより1,5倍の大きさ。
しかも さらにもう一個渡される。

私   「こんなに食べられないよ!?」
トンガ人「去年は ペロっと食べてたよ? 日本に帰ると 胃袋が小さくなるのか?」といわれた。

どうやら私の胃袋は 日本人女性の平均の大きさまでにもどったらしい。
というか トンガにいた時 あたし 相当 相当 相当 食べてたわ。。。

夕食が終わり 教会に行って 賛美歌や説教を聴く。
賛美歌を聴くだけで 目頭が熱くなった。


教会から帰って 歯ブラシして さあ寝ようという時に

「できたよ~!!」という声。

何が?

これです。


ファイカカイという 芋をつぶしてもちっぽくしたものに 砂糖とココナッツシュガーを混ぜたお菓子が。

できたそうな。

おーい おーい

今 夜中の10時ですよ?



ま 食べたけどね!!

ちなみに これ翌朝の朝食。


ヘビー級 チャンピオーーーン!!