before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

「芭蕉布」という唄と トンガの小さな島

2010-06-07 01:25:38 | トンガ 青年海外協力隊活動記
仕事が繁忙期に入り、ここ数ヶ月は毎日終電間近の電車に飛び乗ってます。
そして今日も休日出勤。

忙しさに追われながら 日本人っぽく生きている今日この頃。

夕陽のあたたかい光を浴びて 海に沈んで行く夕陽を見ながら「あー 今日も一日が終わるんだなあ」なーんて 考えることもない日本の生活。

日本にいると 特に東京にいると、夕陽が沈む瞬間を見ることなんて 絶対にない。
いつの間に夕陽沈んだの?って感じ。気がついたら夜になってて、一日の境目なんてわかんない。
人間らしい生活って なんなんだろう。

今の私の生活は 「ゲンダイジン っぽい生活」であって「本来の人間らしい生活」じゃないってことだよね。

現代に生きてるんだから 現代人っぽく生きるべきなんだけど、
時々 太陽のリズムをきちんと感じられていたトンガ時代を思い出します。


さて 忙しい生活の息抜きは 三線!!

今通っている三線教室では いろんなイベントがあって銭湯での発表会や 三線を担いで山登り、これからもイベント目白押し。

楽しみながら いろんな唄を弾いたり唄ったりできるようになってきて楽しいデス。

この前も 仕事帰り(勿論この日も休日出勤、、、)に三線教室の人達と高円寺の沖縄料理屋さんで行われたライブを観にいった。

そこで歌われた曲の中で、いくつか私が気に入った曲があったので、先生にお願いして お稽古でも教えてもらうことになった。

その曲の1つが 「芭蕉布」

これを初めて聴いたとき、
「夏の夜、縁側に座って 星空の下で のーんびり唄いたいなー」って思いました。

で、三線弾きながら実際に唄ってみると

、「おー この唄、この雰囲気、エウア(私が2年間住んだトンガの離島)の砂浜で歌ったらぴったりじゃん?」 

って思ったのだ。
で、ネットで調べてみたら

なんとっ!!
この曲はもともと ハワイ三世の歌い手さんのために英語で作られた歌なんだと?!

おー 英語の歌詞 欲しい!
というか、

ハワイ!

やっぱりねー!

ポ・リ・ネ・シ・ア!!

きましたねー

どーりで トンガっぽいと思った!
こんなところで 三線とポリネシアが繋がってました!
私の大好きなもの同士じゃないかあ~

この唄 好きだわ。

「常夏の国 我した島 エウア~」 って歌いたいね(笑)

この唄もトンガ語に訳してみようかしら??


府中でトンガ人に遭遇!!

2009-11-18 19:16:05 | トンガ 青年海外協力隊活動記

マイケルジャクソンの映画 「This is it」を観にいった母が、

「あの映画は きょうこも絶対観たほうがいい!
お母さんも もう一回観たい!」

と言うので、母と一緒に、夜に府中のTOHO シネマズへ映画を観に行った。

チケットカウンターで、

 おやっ?!ややややっ?!

この体格。この顔つき。そしてサンダルを履いている。秋なのに。

もしや South Pacific?!ポリネシアン?!


と思わされる男女2名を発見。


サモア人?ハワイアン?まさかトンガ人じゃないよなあーーー、、、
なんて思ってたら 話しかけるタイミングを逃してしまい、
South pacific疑惑の2名を見失った。

上映時間になったので、

This is itを鑑賞。

上映が終わって、地下の駐車場に向かうためにエレベーターに乗ったとき、
さっきの South Pacific系の2名も乗ってきた。

(絶対 サモアとかハワイっぽいなあー)なんて見つめていたら!!

女性が さっき見たときは来てなかった赤いパーカーを着ているではないか

赤・・・。

赤?!

赤っつったら、あなた、トンガ人の大好きな色じゃん!

Tシャツやトレーナーを買うときはたいてい赤を買ってしまうトンガ人!

その赤いパーカーに目が釘付けになってしまった。

そして もしや、、、?と思い、彼女の背中を見てみたら、

 !!
Kingdom of Tonga

と書いてあるじゃないか!しかも あのトンガのマークも一緒に!

そう、トンガ人が大好きなタイプのデザインですよ!
(Look sharp のやつ :トンガ関係者しかわからないネタだけど)


思わず、「え?!トンガ?」と言ってしまった。
すると、その女性がびっくりした顔で振り向いた!

「You are from TONGA?」

とっさにトンガ語が出てこなかった=すっかり日本人化した私。

「Yes!」と 驚きの顔で私を見つめるトンガ人二人!

エレベーターが一階に着くまで、マシンガンのように会話しました(笑)

私が協力隊でトンガにいたこと、エウア高校にいたこと、等などを
ババーーーーっと話した。

二人とも ビックスマイルでいろんな質問をしてくれて
「So , you can speak Tongan」
と言われて、初めて 
そうか!トンガ語話せばいいんじゃん!?ってことに気づいた。

でエレベーターが一階に着くまでトンガ語で話した。

私達は地下の駐車場に行くからそのままエレベーターに乗ってたんだけど、
トンガ人のお二方は一階で降りちゃったので、

テンパった私は
「‘Alu a~!(さよなら)」しか言えなかった!
かつての離島戦士はどこへやら、、、

トンガ人お二方は めっちゃ笑顔で手を振っていた。

エレベーターのドアが閉まってから、
「今、降りればよかったじゃん?!」と母に言われ、

そうだよねえーーーーー!?
降りて 話して 電話番号聞けばよかったあーーっ
こんな偶然なかなかないよ!

こんな近くにトンガ人が住んでるなんてっ!!
(後で、知人が教えてくれたのですが、府中には東芝があって、
東芝のラグビーチームも府中にあるそうなので
きっとラグビー選手とその奥さんだったんだねー。やっぱり。)


とっさの判断が鈍ってきている、、、アラサーってやつです。


そんでも ほぉーーーーんっと ほんわかした幸せな気持ちで
いぃーーーーーっぱいだった

だって第二の故郷だもん トンガは!

いやー それにしても ほんっと びっくりしたーーー


けど もっと びっくりしたのは、
帰りの車中で母とマイケルジャクソンの映画について話しているときの
母の発言だった。、

「お母さんね、一回目にあの映画見たときさ、感動したのよー
マイケルの踊りって すごいんだよ?!
 簡単に踊ってるように見えるじゃん?
だから、家で踊ってみたんだけど、
ぜんっぜん 踊れなかった!」

当たり前だ!!

つーか 家の中で いつ?! どこで?! 踊ってた?!


しかも、家に着いたら、早速 踊りだした。
「やっぱりー 駄目だー」とか言いながら。

しかも翌日も、私が台所で料理してるときに
わざわざ台所まで来て 踊りだした。
「やっぱ 駄目だねー」と言っていた。

団塊の世代 強し。


★映画の感想★
私は別にマイケルファンじゃないけど、かなりよかった。
ジャクソン5の歌を歌ってるシーンとか、
家族内でのいろんなスキャンダルがあったから なんだか目頭が熱くなった。
あと、私は踊りのことは詳しくわからないけど、
マイケルという人は 本当にスターだと思った。
オーラがある。
バックダンサーの方が体格もいいし、体力もあるだろうに、
やっぱりマイケルが踊っている姿のほうが輝いている。
「スター」「プロフェッショナル」とは こういう人のことを言うんだなあ と思った。
マイケルの輝きに圧倒されぱなしでした。

あと、私は個人的に ジャクソン5のときの歌が好きだな~
Ben とかいいよねー


トンガの二人もこの映画を観に来たらしいので、
「トンガ人と会わせてくれた マイケルに感謝だね!」と母に言ったら

「あたしに 感謝してよ」と言われた。

団塊の世代、 強し。


サモア沖地震義援金 

2009-10-02 14:38:16 | トンガ 青年海外協力隊活動記

9月30日サモア沖地震が起きました。

日本でも報道されているので、みなさんご存知だと思いますが
サモア、米領サモア、トンガで、津波が起き犠牲者が出ています。

サモアは、トンガでの活動が終わり日本に帰る途中に1週間ほど滞在しました。
短い滞在でしたが、トンガと同じポリネシアの文化であり、フレンドリーな国民性を持つサモアの人々に親しみを感じ、是非また訪れたいなと思うような素敵な国でした。
滞在中は、協力隊サモア隊員の方々や、そのお友達のサモア人の人達にお世話になりました。





あのフレンドリーで のんびりとした おだやかな国が、
場所によっては7mもの高さの波に襲われたのかと思うと、、、非常にショックでした。言葉がありません、、、

自分にできることはないか、、、とサモアやトンガの知人に問い合わせまくっていたところ、現役トンガ隊員SAEさんから、情報が入りました。


協和海運株式会社、パシフィックインターナショナル株式会社、青年海外協力隊OV会の三団体が発起人となり、サモア地震義援金を行っています。

以下 パシフィックインターナショナル株式会社 様のWeb site から転用。


     当社および日頃サモアにお世話になっている有志が発起人となり、
     サモア独立国とご縁がある企業、及び個人の方々よりの義援金の
     受け付けを始めました。
     美しいサモアの村が一日も早く復興できるよう、皆様の御協力を
     お願い申し上げます。

      ■義援金振込先: 三菱東京UFJ 銀行 新富町支店
      普通 0019685 サモア地震義援金口座


同社に問い合わせたところ、トンガへの義援金の予定は今はまだないとのこと。
(サモアの被害規模が大きすぎるので。)
あと、明日のグローバルフェスタにサモアのブースが出店し、サモア人(おそらく大使館関係?)の方がいらっしゃるとのことでした。

それにしても、この対応の素早さ。すごいな、、、と思いました。






そして トンガでの被害。

このブログには書きませんでしたが、実はトンガでは今年8月初めにも非常に悲しい事故が起きています。
島嶼国であるトンガにて、本島と離島を繋ぐプリンセスアシカ号という船の転覆事故でした。149名の犠牲者の中には、知人も含まれており、衝撃でした。
しかし日本で自分は何もすることができず、先日、高野山にいって冥福を祈ること、船が引き上げられることを祈るしかありませんでした。

そして 今回の津波被害。
トンガでは、ニウアトプタプというサモアに近い島で津波があり、6名が亡くなり、4名が行方不明です。

Matangi Tonga (トンガの新聞のWeb site)より
トンガ政政府のオフィシャルサイトより


私はニウアトプタプにも行ったことがあります。
1週間ほどの滞在でしたが、エウアを小さくしたような島で、人と人との繋がりが深く、
すぐ私も村の仲間になれるようなあたたかい島でした。
毎日のように、島の子供と海や池で泳いだり、山に登ったり、夜はカバでトウアをしたり、トンガの楽しさを凝縮したような島でした。

ニウアトプタプ記        




あの優しくて、あたたかくて、のんびりとして、おだやかな島に、大きな波が押し寄せたかと思うと胸がつまります。
どれほど恐かったことか、、、、
今 いろいろなところに問い合わせていますが ニウアトプタプへの義援金に関しての詳細はまだわかりません。
協力隊トンガOV会は ないので、、、、 やっぱりあったほうがいいよなぁ、、、

まだ被害状況の詳細もわかっていませんから これからいろんな対応が決まってくることと思います。(現在は ようやく軍の船が到着した段階)


トンガの船の転覆事故、 今回の津波被害。

今年は自分と深い関わりのある国での悲しい事故が相次ぐ、、、

本当に 恐い。本当に 悲しい。

津波被害の救助、救援活動が スムーズに行われることを祈っています。
今回もまた、義援金以外は祈ることしかできないけれど、、、

サモア沖地震と同じ日に、スマトラ島沖地震も起こり、なんだか動揺することばかりですね、、、

被害に遭われた方、負傷された方、悲しみの中にいる方、
すべての方たちに まずは落ち着ける場所が確保されますことを願っています。


トンガの学生との感動の再会 (涙の最終日)

2009-10-01 03:16:34 | トンガ 青年海外協力隊活動記

再会二日目その1 その2、彼女たちを交流基金まで送り届け、帰路に着いた私。一時間電車に乗って最寄り駅で降り、99円ショップとコンビニに立ち寄りお菓子を大人買い!!で、歩いて自宅に帰り 急いで始めました。

そう、荷造りを。

教え子ピネと再会して、本当に嬉しかった。
自分が教えた子の笑顔を日本で見られるなんて、、、。こんな幸せ、他にない。

でもね、

私はピネの笑顔の後ろに、今回は日本に来られなかったエウア高校のピネ以外の学生達の顔も浮かぶんです

私の教え子はピネだけじゃないの。 かわいくって仕方ないのはピネだけじゃないの。

自分の教え子 みぃーーーーーーんな どうしようもなく 可愛いんだよ。

だからね、少しでも日本の風を届けたくて、煎餅や飴を大人買いして ピネに持っていってもらおうと思ったんです。

もちろんピネには「他の学生達へのお土産を明日渡すから、ちゃんと持って行ってね。」と了解済み。
ピネ自身の荷物もあるので、そんなにたくさんの量は渡せなかったけど、重量オーバーにならない程度ギリギリ詰める。

で、お菓子だけじゃなくて、やっぱり手紙も書きたい。
特にピネといっしょに Form6(6年生)で勉強しているタリア
スポーツ万能だけど、勉強はイマイチなタリア。でもいっつも一生懸命勉強してたタリア。今年のForm6の学生は ピネとタリアだけ。 ピネは日本に来たけど、タリアは来れなかった。でも タリアもタリアなりに頑張ってるの知ってるし、Form6まで進級できたこと自体快挙なので、ちょっとしたプレゼントと手紙を書いて同梱する。

んで、もちろん、このピネ来日の幸せを作ってくれた私の後任、MちゃんへのMea`ofa!!
これは外せない!

それからぁ~ 私が敬愛する校長先生オケティへ、日本でのピネの様子を書き綴った手紙も渡さなくちゃいけないしぃ~
その手紙に私の写真と 私の前任者の写真も入れたいしぃ~
8月にトンガ沖で起きた船転覆事故で家族を失った同僚にも手紙を書きたい。

              そんなことをやっていたら、

                 気がついたらっ
              時刻3時!!!
                   !!

ピネ達はその日、交流基金のロビーに7時15分に集合、8時前に大阪へと出発という予定だったので、私は 朝5時に家を出て国際交流基金へ行かなくてはいけない!
ギャーッ もう眠れない! 
電気つけたまま 1時間 ウトウトして 出発!

交流基金には7時過ぎに着いた。

ピネ 「オハヨゴザイマス!!キョコー!」
私  「おはようございます!眠いですね(笑)」 

ピネとダリーンさんと私で、昨日の楽しかった思い出で盛り上がる。 あれが楽しかった。おいしかった。かっこよかった(笑)などなど。

すると、ダリーンさんが、もぞもぞ何かを取り出した。

ダリーン 「This is for you! 」 

差し出されたのは、↓これ。

髪飾りと 貝のネックレス。

ダリーン 「These are from my country! 
       I really thank you . I enjoyed very much yesterday.」
そういって ネックレスを付けてくれた。髪飾りも。

すると ピネも鞄から何かを取り出す。


 トンガンバックと ネックレスとピアス。

ピネ 「キョコ! Mea`ofa!! Malo `aupito!」 と言って 渡してくれた。

そうか、、、、、

そうだったよね、、、、、、

なんか すっかり頭から抜けてた。 Mea`ofa 文化
そう、トンガでは、去りゆく人にプレゼント(Mea`ofa)を必ず渡す文化。
私がトンガから帰国するときも、相当な量のMea`ofaをもらったっけ。

きっと このMea`ofa文化は トンガだけじゃなくてマーシャルにもあるんだろうね。
大洋州、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアでは 共通の文化なのかも。

すっかりMea`ofa文化を忘れていたので、まさか二人が私にプレゼントを用意してるなんて思ってもいなかった。

油断してただけに、一気に涙腺が、、、、

ピネとダリーンさんは、何度も昨日のお礼を言ってくれた。

「お礼なんていわなくていいのよ。
 私達 日本人がやりたくてやったことなんだよ。
 それに 私たちは “友達”でしょ? 当たり前のことだよ。
 こちらこそ こんなに楽しい時間を二人からもらえて 
 さらに こんなに綺麗なプレゼントをもらって本当に感謝してるよ。」

涙こらえて そういった。


それにしても、、、、
7時15分ロビー集合の割には、ピネさんとダリーンさんしかロビーにいないね、、、

ピネ 「Oh! キョコ!Sorry!!It is not 7:15!!It's 7:45!! We were wrong!」

おぉおおおおおおっぉおおおい!!!
お前らぁぁぁーーーー(笑)!!

South Pacific--------!!! なんだよ、じゃあ、もっと寝れたじゃねえかあー!

三人で大爆笑。 でも おかげで長い時間 話せたからよかったよね。

それにしても 話がつきない。

でも時間は過ぎてゆく。

「では、みなさん バスに移動してください!」 
交流基金のスタッフの人が言う。

私 「ピネさん、これ、Mea`ofa to the students and teacher of EHS ね。」

と 昨晩 夜な夜な作った荷物を手渡すと、 ピネ びっくり!!

ピネ 「Oh!!!! キョコー、、、、、 アリガトゴザイマス、、、、、」
私  「Please send my love to all of them ね。」
ピネ 「はい、、、 キョコ?アリガトゴザイマス。」

 
二日目は カメラが壊れて写真をほとんど撮っていないピネの為に、ピネと日本の風景ばっかり写真にとって 私とピネがいっしょに写ってる写真がほとんどなかったので 最終日2ショットをパチリ!!

バスに荷物を載せて、ここでも もう一枚!
 
この日ダリーンさんは マーシャルのドレスを着ていた。とっても綺麗!
私の右隣はバヌアツの子。この子もピネの友達。 みーんな South pacfic

バスに荷物を載せた後、出発まで時間があったので、
最後はピネと ALLトンガ語で 話しまくった。

別れの時間が近づけば近づくほど ピネは何度も
「Haue-  Fiekai ヤキニク!」
(ああー ヤキニク食べたい!)

「Teu nofo heni fakataha mo koe!! 」
 (私、恭子といっしょにここに残る!)

「Haue---------! Kioko, teu tangi au,,,,  teu tangi lahi.」
 (あららー 恭子、私 泣いちゃうよ。すっごい泣いちゃうよ。)

って 言っていた。

その返しは お決まりのトンガンジョークで、

「Haue-- Tangi loi eeeeee???(笑)」(あらら、嘘泣きでしょ?)と返したけど、

ごめんっ!!そう言ってる私が泣いちゃいそう!

私 「Sai pe,,, te ta toe fetaulaki i tonga pe siapani! 
    Te ke toe hau ki Siapani e?」

    (でも大丈夫。また日本かトンガで会うしね!ピネはまた日本に来るでしょ?)

ピネ「Io!!!! ワタシ ニホンセンセイ ナリマス。 teu hau ki Siapani!」
    (うん!!私は日本語の先生になるんだ!そして また日本に来るの!)

そう言って、七夕の短冊に「日本語の先生になりたいです。」って書いたことを教えてくれた。

バスがもうすぐ出発するというので、
固く固く ハグして ウマ(キス)して ピネはバスに乗り込んだ、、、、、、
かと思ったら、
「Haue-----!」とか言って また戻ってきた(笑)
で、また手を繋いで おしゃべりして ハグして ウマして、バスに乗り込、、、まないで また 「Haue----」って言って戻ってきた。(笑)

それを何度か繰り返して ピネはバスに乗った。

バスに乗ってからも、読唇術を使って(トンガ人は読唇術ができる) 会話を楽しむ私たち。 口パク会話で 大笑いの私たち。

最後の最後まで 全身で感情を表すピネ。

そんな私たちを 不思議そうに眺めるバスの運転手さん(笑)

で、バスが出る直前、バスの窓が開くことが判明!ピネが 窓を開けた。

私 「ピネさん、I am really really proud of you!!
    You are doing gread job!Be proud of yourself!
    And , Once my students, forever my students ね!
    忘れないで下さいね!!」

大声で叫んだ。

ピネ 「はいーーーーー!!! キョコーーーーー!!! アリガトオーーー!」

バスが出発。バスは、交流基金の敷地を出るまで徐行運転だったので、私はバスの後をついていった。

ピネは 窓から顔をだして すっごい笑顔で バスが敷地を出て 見えなくなるまで  ずーっと ずーーーっと 手を振っていた。 

小さな窓から身を乗り出して 笑顔で一生懸命手を振っているピネを見て
私は泣いた。もう我慢できません。

                    

「`Ofa atu eeeeeeeeeee!!  KIOKO eeeeeeeeeeeee----!!!」
 (大好きだよーーー!きょうこーーー!!)

「`Ofa atu eeeeeeeeeee!!  Pine eeeeeeeeeeeee----!!!」
  (大好きだよーーー! ピネーーー!!)

バスが見えなくなるまで トンガ流の 「バイバイ」を叫びながら。

こうして ピネは東京を去り、大阪の研修所へ戻り、そこで1週間滞在し、
途中で私の前任者Hさんと トンガ高校の元教師Rちゃんとも再会したりして、
これ以上ないくらいエンジョイして、日本を去っていきました。

ピネとの再会は、
私の人生の中で、こんなに幸せなことが起きるなんて予想もしていなかった。
こんなに嬉しくて こんなに幸せなことを経験できるなんて。
やっぱり トンガの教え子のことは、一生忘れられないなぁ。
なんて思った出来事だった。


一生懸命勉強して、自分で手に入れた日本への切符。
南の島トンガの これまた小さな田舎島エウア島から 初めて海外へ飛び出した。
いろーーーーーんなことを 18歳のピネは経験した。
楽しいことも 面白いことも たあーーーーくさん経験したけど、戸惑うこともきっと たくさんあった。

エウア島とは 全く違った大都会を体験し、驚くこともあった。
街ゆく人々を見て「なんで あの人笑ってないの?」と私に聞いたりもした。
日本に着いた初日なんかは ホームシックで泣いちゃった。
プログラム参加者の日本語レベルが高くて びっくりした。

それでも むちゃくちゃ大笑いして そういう戸惑いなんかも 笑いのネタになんかしたりして 自分なりに飲みこんでいったピネ。
そして 「絶対 また 日本に来たい!」って言ったピネ。
その顔を見れば、その気持ちに嘘がないこと よくわかる。

この滞在で、日本語学習のモチベーションが数十倍高まったのも よくよくよーーーくわかった。極端なくらい モチベーション上がってるなあって思ったよ。

でもね、大切なのは日本語レベルの向上じゃない。
トンガからやってきた学生であるピネにとって 大切なのは 
異文化に触れて 人として大きく成長すること
異国の地で、異国の人と ともに笑い合うこと。

ピネは たくさん笑ったね。 たくさんの日本人と笑ったね。プログラムに参加している世界各国の人と笑ったね。ピネは みんなに笑顔をプレゼントしてたね。笑わせてたね。

彼女は 日本に来ていろんなことを学んだのでしょう。
そして 同時に、私たち日本人も 彼女からいろんなことを学びました。

トンガ人であることに誇りを持ち、トンガの服や習慣を全面に出していたピネ。
日本の子供を 抱きしめてキスしたピネ。
障害者の人に 「私は障害者の人達のこと大切にしたいんだ」と 自己紹介をしにいったピネ。

私はピネから たくさんのことを 学びました。
ピネ、 本当に ありがとう。そして よく がんばったね。  

あなたは 私の誇りです。 
トンガの学生は みんな私の誇りです。
そして 一生 私の学生です。

そして このたびのピネ来日に携わった全ての方々、本当に有難うございました。
何より後任のMちゃんのあたたかい指導が ピネの来日へと繋がったのは言うまでもありません。Malo `aupitp `aupito!!


トンガの教え子との感動の再会(二日目) その2

2009-09-30 02:06:15 | トンガ 青年海外協力隊活動記

次は 百円ショップへ!!

ダリーンさん、25歳。既婚者、子持ちでとてもしっかりしている。お金の計算も問題なく、スムーズに欲しいものをどんどん購入!!
対してピネ 18歳
100とか10とか書いてあるのにも関わらず、どれが100円玉か、10円玉かわからないコイン以上に、お札はもっとわからない ここに売っているものは 全部100円だよ!って教えても 
「100円?100円ってどれ?」という感じ(笑)

なので、ピネは慎重に選び、10点ほど購入。
レジでお会計をするときに、「100円のものが10個だから 1000円でしょ?それにtaxだから 1000円札と50円玉でいいんだよ。」と英語で説明すると 納得。
支払いを済ませた後、そこでやっと「100円は安い!100円ショップでは いっぱい物が買える!!」とわかったようで、

「キョコ! I need to buy some more ! Can I go again!!? と 焦っている(笑)
一度レジを出たら、もう入れないのかもって思ったみたい。
大丈夫だよ~、荷物持ってあげるから、好きなものを買いなさい。というと、ダッシュで売り場へ向かったピネ。

白いネクタイ7本 → 教会での出し物で男子が使うから。
リップ  → 女の子だもんねえ、、、
アクセサリー → 姉妹にあげるため 等
を購入。

100円ショップで ピネもダリーンさんも大満足!!予定より時間を費やしてしまったので、東京タワーをカットして新宿へ向かう。

新宿にて、トンガ協力隊OB どすこい隊員カネゴンと合流。
アヤ同様、カネゴンもピネとの面識がある。
ピネも、アヤといいカネゴンといい、トンガで以前会った人との再会だっただけに、
テンションも上がり、この日1日、リラックスして楽しめたみたい。

さ!次は いよいよぉ~ プリクラですよ!!
何故 プリクラか。
着付け、お茶、華道といった日本古来の文化は交流基金のプログラムでしっかり堪能しているので、それじゃあ 「今の若者文化」を一つ体験させてみようと思ったのです。
ゲームセンターに向かう道中、ピネとダリーンさんがいきなり慌てだした!!
「今、通り過ぎた人、私たちと一緒に訪日プログラムに参加している人だよ!!」
「彼女、今、1人で歩いてた! もしかしたら 道に迷ったのかも!!」

とのこと。じゃあ、追いかけて話しかけてみよう。 と言うと、ピネ猛ダッシュ!!

そして 「Are you alone? Are you OK?」とその人に 話しかけた。

その人はヴィカさんというロシア人の女の子で、道に迷ったのではなく、ただ1人で新宿を観光していただけだったのですが(笑)

“1人で東京を観光”  大冒険以上。危なすぎる。絶対迷う

という方程式のピネとダリーンさん(特にピネ)は、1人で歩いていたヴィカさんを非常に心配してしまったようだ。
そうね、トンガは女の子1人で どこかふらつくことってありえないもんね。

で、ヴィカさんに

「プリクラを知っていますか?」というと、「はい!!知っています!」
「撮ったことはありますか?」 というと 「いいえ、あの、まだです。」
「一緒に行きませんか?」 というと 「はい!是非!」と喜んでのってくれたので
ヴィカさんもいっしょにプリクラを撮ることになった。

いやぁ~っ プリクラはね~ ほんっとーーーーーーーに盛り上がったね!!
やっぱり 若いね!ピネも ダリーンさんも ヴィカちゃんも。こういうの やっぱり好きなのねーと微笑ましかった。

↓せっかくだから プリクラに落書きするのも体験。 外国人に混じりカネゴンもプリクラ操作に苦戦。 みんな キャハハ言いながら大はしゃぎ。 よかったねえ
 

で、撮ったのが これ。


ピネはプリクラの自分の顔を見て、「私 お人形さんみたい!!とトンガ語で言っていた。自分で言うな(笑)!!

ピネは他の誰よりテンションが上がっていた。楽しんでもらえてよかったわん

んで、その後は、、、、、、

牛角 へ!! そう 焼肉ですっ!

何故 焼肉か。それは これまた C~ぼ~が以前「トンガ人に焼肉食べさせたらきっと喜ぶと思うんだよね」と言っていたから。
いやあー 今回は C~ぼ~のアイデアをたくさん使わせていただきましたMalo!

牛角には ヴィカちゃんもいっしょに行きました。

↓ みんなで 「かんぱ~い!!」(注 : ピネは ジュースです)


↓ じゃ~ん
 
ピネも ダリーンさんも ヴィカちゃんも 焼肉は初めて!

トンガってね、魚より肉をたべるんですよ。
けど新鮮な肉って カイポーラ(祝宴)の時に出されるプアカ トゥヌ(豚の丸焼き)くらいかな。後は、鶏肉、牛肉もあるけど、牛なんかはなかなか食べられない。

新鮮な肉に代わって、家庭の食卓に並ぶのは 海外からの冷凍のお肉。
鶏肉(骨付きモモ肉)と安いラム肉。

とにかく、薄くスライスされた美味しいお肉って トンガにはないんです

豚も牛も、薄く切って食べてもおいしいんだよって知って欲しいなあ~ なんてトンガにいる時思ってた。つーか トンガにいるとき 自分がそれを食べたかった(笑)

さあ、焼肉を食べたピネのご感想は、、、、???


「おいしいです~っ!!おいしいです~っ!! 」
ご飯も一膳ペロリ(笑)  

よかったねぇ あたしも 嬉しいよぉ

みんなでワイワイ 楽しい時間は あっという間。
おいしいお肉も あっという間。


ヴィカちゃんは 日本語の先生を目指しているので、日本語のレベルはかなり高い。
「Her Japanese is great!」と ピネもヴィカちゃんのことを絶賛していたが、
同時に、ちょっとジェラシーだったみたい(笑)

「I will become Japanese teacher , too!!」と言って、食事中も 「やきにく」「ぎゅうかく」などをメモッていた(笑) かわいいなあ。

とはいえ、18歳のトンガ人。

プリクラを撮ったあたりから、テンションが上りっぱなしのピネ。
牛角に入った瞬間、店員さん(男)達に、
「Haue-----!!foilole eeeeeeeee!! (あらまあ! イケメン!)」 とか
「Ei!Tamasi`i!!‘Ofa atu!!(ヘイ、そこの人!好きよ)」とか 

そういうジョークが 止まらない。

きたね~ きたきた。 これぞ ト ン ガ!! 
トンガといったら やっぱり こういうトークなんだよねえ~
カペカペ(下ネタを含むスラング)とか 恋人トーク(妄想)。これが日常会話なのだ。

トンガ語で話せば 誰もわかんないも~ん と ピネが言うので、
「あなたは かっこいですね。すみません。冗談です。」という日本語を教えた。いつもは覚えの悪いトンガ人の生徒。しかし こういう時の記憶能力はすごい。
あっという間に覚えた。 ノートもかばんから出して書き取っていた。
そんなに 大事か? このセンテンス、、、

で、相当気に入ってたので、店員さんに事情を説明し2ショット写真を撮ってもらった。
  
↑ みよ!!このピネの笑顔!!この日一番の笑顔ではないかっ!!おお 若者よ、、、、

半分ふざけながらも、先生としては、日本で出会った日本人との写真を 一枚でも多く持っていて欲しいのです。

いつかこの写真を見て、
「ああ、そういえば あなたかっこいいですね。って言ったりして盛り上がったなあ。なんて 思い出してくれればいいな。なんて思うんだ。

こうして 焼肉を楽しんだ後、新宿駅でアヤとカネゴンと別れ、研修所及び宿泊所の国際交流基金へと向かいました。

しっかりもので 日本語レベルもかなり高いヴィカちゃんがいるとはいえ、やっぱり心配な私は、3人を交流基金まで送りました。
電車内で、地図と路線図を広げて、今自分がどこにいるのかちゃんとチェックしているヴィカちゃんを見て、
ピネに 「ピネさん、地図は?」と聞いてみた。
答えはもちろん、
「持ってない。」

そこで 聞いてみた。
「どうして?」
ピネの答え
「地図が 読めない。」

ぅっ

そうきたかっ
いやっ、そうだった!!エウアの人、地図読めなかった
だって 地図が必要の無いシンプルな島に住んでるもん。

いやあー でもさ 今日一日、ピネとダリーンさん(特にピネ)が 私たちからはぐれたら一巻の終わりだと思い、常に気を張っていたけれど、
その通りだったぁー 

地図持ってないし 路線図も。つーか 持ってても読めないし(笑)

よかったわ 迷子にならなくて。Thanks God. トンガ流に 神にお礼を言いました。

こうして3人を無事交流基金に送り届け、私も帰路に着きました。

本当に楽しい1日だった。
本当に楽しいくて、嬉しい1日だったんだよ。

ピネのおかげでね、私はこんなにも嬉しい気持ちになったんだよ。
ピネに伝わったかなあ。

そして この日 駆けつけてくれたアヤカネゴン
ピネは二人のこと覚えていたし、二人のお陰でどれだけリラックスできたことか。
本当に 本当に ありがとう!!Malo `aupito `aupito!!

そして この「トンガの教え子との感動の再会」ネタ、あともう一回続きます!
この翌日、私は 大阪の研修所に戻る彼女たちを見送りに行ったのです。

つづく


トンガの教え子との感動の再会(二日目) その1

2009-09-30 01:19:15 | トンガ 青年海外協力隊活動記

感動の再会1日目をアップした後、しばらく放置してしまった、、、
というのもさ、やっぱり、「すっごく感動したこと」って、その感動が強すぎて、文章なんかじゃ表せないって思っちゃうから、ついね、、、
そういやあ 自分がトンガにいた時も、一番頑張った活動(日本週間)とかはアップしなかったもんなあ。 いつかアップしようとは思ってるけども。

このブログは日記代わりだから アップしよう! 
いつものごとく、長文ゆえ、二日目は その1 その2 に分けて書きましたのでよろしく。

教え子と、感動の再会を果たした翌日
この日は、ピネ達、訪日プログラム参加者は終日フリー
私の家から彼らの研修所及び宿泊施設である場所へは、電車で一時間
前日、ピネとの再会を楽しみすぎて帰宅が遅くなったし、
帰宅してもピネに渡すお土産の準備とかで、ほとんど眠れず、、、

でもね、先生っつーのは、教え子のためなら なんだってできるのだ!
早朝、ローカル線を乗り継いで、ピネ達を迎えに行く。

研修所に着き、登場したピネを見て、あたしゃ また 驚いた。

 ↓ ど~ん!!!  


前日に引き続き、「The Tonga ~!!!」な服を着てきたピネ。
(チャイナ風のトンガンドレスです。トンガ人って、中国人のことあんま好きじゃないのに、こういうとこミーハーなんです、、、笑)

私はすかさずこう思った。
あっぱれ!! 我が子よ!!エウアっ子よ!!

  「Haue -----!! Ta'ahine Tonga eeeeeeeee!!  Ma`alahi  ho vala!!」
    (あらまあ!トンガンレイディー!!綺麗な服ねえ)
ピネ 「あー、、、ロイシさん、買いました。」
  「え? ロイシさんが、この服を買いましたか?エウアで?」
ピネ 「はい。
     Because I was going to Japan, so she asked a tailor and make
     this tongan clothes and gave it  to me!!」

  「あららぁ!よかったですねぇ!! 」

ピネ 「Tongan teacher and ロイシ said to me , 
    “Be proud of being Tongan . Wear Tongan clothes in overseas.
     because this is our culture.” This is very important.

                      

             トンガ、、、トンガ、、、、いい国だよ。
             改めて それがわかったよ。
             ピネ、そうだよ。それでいいんだよ。
             その気持ち ずっと大切にしてね。

(ちなみにロイシとは、エウア高校近くのファレコロア(商店)で働いてる人。私も知ってる人なのだ)

 前日、「もし、明日なにも予定の無いお友達(プログラム参加者)がいたら、その人も誘っていいよ。」って言っておいたので、
ピネは マーシャルアイランドのダリーンさんというお友達を誘っていた。

ダリーンさんも、青年海外協力隊の先生から日本語を習っているそうで、なんだか非常に 親近感を抱く。(^^)
というか、「日本語学習者」というだけで、やっぱり「先生」モードになって 初対面のダリーンさんにもあたたかい思いを抱いてしまう。
あと、「うちのピネと仲良くしてくれてありがとうねえ、、、という思いもある(笑)
完全に親の気持ち。

国際交流基金のこのプログラムは、非常に素晴しい。
観光、日本文化体験は、完璧に盛り込まれている。
東京観光も、築地、浅草、朝日新聞社、国会議事堂などなど、名所を網羅しているので、、、、

うーん、、、どこに 連れて行こう、、、、??ピネに希望を聞いても、「... わかりません You choose!」というので、数日間考えた結果

1しながわ水族館
2百円均一ショップ
3東京タワー
4プリクラ体験
5焼肉体験
6都庁で夜景体験


というプランにしました 

ということで、電車に乗ってしながわ水族館へ向かう。
これまで交流基金のプログラムでしか行動してこなかったビビリのピネとダリーンさん。(アジア圏やヨーロッパ圏の参加者はどんどん自力で出かけている)

電車に乗るのも初めて!!
切符を買わせるところから トライしてみた。
ダリーンさんは スムーズに購入!
ピネは、日本語うんぬんよりも、どれが100円玉で どれが10円玉かということがわからず 有り金全部 手のひらに並べて 私に見せた(笑)
どうやらお手上げのようだ。
って、待て待て待てぃ!もう少し頑張れ(笑)! 

「これは 100円ですよ。これは10円。」と説明して、なんとか購入!二人とも嬉しそう!!

んで、次は 自動改札機!!!
むっちゃ ナーバスな表情の二人。
ドキドキしながら 切符を入れて、立ち尽くす二人。 
「こっちに来てくださぁ~い!」と 先に改札の中に入った私が呼ぶと、ドキドキしたまま改札を通り抜け 「そこで、切符、とってくださぁ~い!」と、ジェスチャー付きで言うと、スムーズにできた!!

切符を買って、自動改札機を通る。 これも異文化体験の一つだよね。
すっごい楽しそうな二人(^^)

でも
ピネ 「キョコ、If I lose this ticket, what will happen??」
私  「うーん、 you have to buy another ticket, so keep it safely and don't lose it」
というと、すっげー深刻そうな顔をして、バックの中に仕舞い込んでいた。
カワユス でもバックの中、汚すぎだぜ、ピネ。切符、どこにあるかわからなくなるな、こりゃ、、、。

初電車も楽しみ、1時間かけて、しながわ水族館 到着!!

何故、水族館を選んだか。それは、トンガ協力隊OB C~ぼ~が、以前来日したトンガ人を水族館に連れて行ったら好評だったという話を聞いたので、行ってみました

ここ、しながわ水族館で、 私の大学時代の友人、アヤと合流。
アヤは 私がトンガにいる時に一度トンガまで来てくれて、私の授業まで参加してくれたのです。ありがとうねえ~ 


水族館に入ると、もう、大はしゃぎのピネとダリーンさん!!
入った瞬間 「うわあぁーーーーーーーーーー、、、、、、という驚きのため息が二人から漏れた。

トンガもマーシャルも、どちらも大洋州の島国。
いわゆる「南の島」からやってきた二人。
ちょっと泳げば綺麗なさんご礁と綺麗な熱帯の魚がいて、イルカもクジラも見れる。
でも、そういうのを楽しむのって 観光客のためのもの。
その地に住むピネやダリーンさんは、シュノーケルもやらないし、どんな魚が生息しているのかなんて 知らない。トンガなんて、Fakapikopiko(めんどくさがり)という国民性から、漁に出るのが面倒だという理由で漁師自体が少ない。
水族館なんて 当然無いし。 

日本よりも数百倍綺麗な海とともに生きているのに、海の生物のことをほとんどしらない。なんだか、不思議です。

でも そういうことも踏まえて、C~ぼ~の助言どおり、ここ水族館に連れてきてよかったなあと思いました。
 

↑熱帯魚コーナーの前でパチリ。 
 (これはトンガやマーシャルの海にいる魚だよ。って行っても 「え?!こんな綺麗な魚がいるの?」という反応だった。)


↑手を入れると小さな魚が 手の老廃物を食べてくれる。
 「キャーーーーッ(笑)」 と叫ぶ。 
 そう 箸が転げてもおかしい年頃。というか国民性。


↑ でっかいカニ!! ‘Ohovale!!


↑トンネル水槽。綺麗だねえー 大きいFonuもいたよ!
 これは日本人でも楽しい!!


↑アヤとダリーンさんとピネ。トンネル水槽にて。

 
↑ サメも 初めて見たよ~!! ダリーンさん、終始 カメラ小僧と化していた。
  ピネは水槽に自分が写っているのをみて 「Two ピネ!」とはしゃいでいた。
  子供かっ!?


ピネは、水族館で子供を見るたびに、「かわいいですぅ~と連発していた。
「日本kids  かわいいですぅ~  とぉてぇも、かわいい!!」と ずっと言っていたので、
「ピネさん、あの男の子、かわいいね。日本語で 話してください。」 と 言ってピネを男の子供のほうに連れて行った。

ピネは、ニッコニコしながら、
「こんにちは~!あー とても かわいいです!」と その男の子とお母さんに話しかけた! Good Job!!

すかさず、そのお母さんに、ピネがトンガからきた子で、日本の子供がかわいくって大好きなので ちょっと話したり写真を撮ってもいいですか?と 聞いてみると、そのお母さんは快く承諾してくれた。

ピネは、「アリガトゴザイマス!!! はじめまして。ピネです。トンガから来ました。」
と自己紹介をして、
お母さんの許可を得てから、子供を抱っこして 「かわいいです~と何度も言い、
Uma(キス)までしていた(笑)


いいなあ。って思った。 トンガは、子供が多い国だ。一家族、七人、八人の子供がいたりする。そして、子供を地域で育てている。
自分の子供じゃなくても抱きしめてキスをするし、自分の子供じゃなくても叱るし 躾ける。道端で、誰かの子供を、例え初対面であっても抱きしめてキスするのが当たり前の光景のトンガ。
そういう トンガン Way を、ピネの行動で思い出され、
日本で見るトンガンWayは こんなにもあたたかいのだなあと 感動しました。

水族館を 一通り観終わった後は館内のレストランでランチタイム!!
「お水をください」 「おねがいします」などの表現を覚えて 店員さんに使ってみたりとかなり日本語学習のモチベーションが上がっているよう(^^)うれしいなあ。

ピネは スパゲッティを頼んだんだけど、私が頼んだハヤシライスと アヤが頼んだドリアを食べて 「こ、これ、おいしいです~!!!!」と 感動していた。 あー かわいい

↓マンゴーパフェも 食べちゃった 

トンガの Vahevahe(なんでもみんなで分け合う)精神で、パフェすら半分残してダリーンさんにあげようとしていたのが、かわいかった。

ランチの後は、イルカショーーーー!!!
   
これも 楽しかったね~!! ピネとダリーンさんにとっては、イルカがこういう風に芸を見せるなんて初めて知ること。最初は相当驚いてました。


トンガの教え子との感動の再会 (1日目)

2009-09-13 00:16:56 | トンガ 青年海外協力隊活動記

はいっ!!
ということで、教え子と再会してきました!!!

では、例のごとく長い文章になるので、一日、一日を区切って書いてみます。

ピネ達、国際交流基金の学習者訪日プログラム(各国成績優秀者)に参加している学生は、大阪の交流基金を拠点として日本で二週間過ごします。
国際交流基金という財団法人は日本語教育の中枢で、毎年たくさんの訪日プログラムを実施しているので、スケジュールは本当にすばらしい。

特にピネが参加しているこのプログラムは 日本語の能力を高めることだけでなく 日本文化を学ぶことにも重点を置かれているので、日本文化体験は完璧に行われる。 最初の一週間は大阪で日本語を勉強したりして(大阪弁も勉強したりする)、それから旅行に出発し 京都 広島 東京を訪れ、また大阪にもどり、日本文化体験、ホームステイプログラムなど 充実した内容。

旅行で東京(滞在先は埼玉)に滞在するのは3日間のみ。うち1日は終日フリーデイ!

運命の神様のお陰か、インドから帰国し日本で未だ療養中の私は時間だけならあるので、勿論、ピネに会える日は全て会いに行った!

まず一日目の9月8日

この日、ピネ達 プログラム参加者は交流基金のスタッフの方同伴で、東京観光。
でっかい貸切バスに乗り、築地、浅草、朝日新聞社 を訪問し、夕方 滞在先の埼玉の国際交流基金に戻ってくるというので 私は夕方 交流基金に会いに行った。
とりあえずお土産にミスタードナッツを買って。

受付で 交流基金の担当者の人に挨拶をし、

「私は、以前、トンガでレアアエピネを受け持っていたものです。 ピネがお世話になっています。 彼女、どうでしょうか。元気でやってますでしょうか。 ご迷惑おかけしてませんか。」

と ドキドキしながら聞いてみる


「ああ、ファタイさん(ピネの苗字)ね!元気ですよ~! 
 でも トンガ、、、でしたっけ? 
 トンガという国では みんな全然歩かないから、こっちに来てプログラムで
 いろんなところに行くたびに 疲れた~ 足が痛い~ って言ってますよ(笑)
 彼女の話によると、トンガ人はいつも 寝るか食べるか横になるかしかして  
いないみたいですね(笑) のんびりしたいい国ですねえ」

ば、ばれた、、、、、!!!!

そうなんですよ~ トンガ人、ぜんっぜん歩かないから ちょっと歩いただけで弱音 吐くんですよ~、、、、 でも楽しんでプログラムに参加しているようなのでほっとする。

担当者の方にお礼を言って、受付の人に内線でピネを呼んでもらった。

待つ。

待つ。

待つ。

ドキドキ。


来た!!!

私 「ピネ~ッ!!!」

ピネ 「キオコ~ッ!!!」

ここが国際交流基金という格式高い(日本語教師にとって)場所ということも忘れ、
私は大声でピネの名前を呼び、ピネに駆け寄った!

そしてTongan way で きッつ~い きッつ~い ハグ!そして ウマ(キス)!!

嗚呼、こんな瞬間が私の人生でおきるなんて、、、、

嬉しくって、嬉しくって、ピネを ぎゅーーーーっと 抱きしめた。(>u<)

こんなにきつくトンガ人をハグしたのは、きっとエウアを去ったとき以来だろうな。
別れの時のハグ。再会の時のハグ。同じように相手を愛おしむから
同じくらいきつく抱きしめる。

偉いね。たくさん勉強したね。いろいろ不安だったでしょう?でもがんばってるね。
すごいね。

いろんな気持ちで一杯になった。

そして落ち着いてピネを良く見てみると、

トンガで流行の Tシャツ裏返し着用!!!
ズボンの上にツペヌ(トンガでは女性は足を見せてはいけない。長い巻スカート(ツペヌ)を着用するのが良しとされる)を巻きつけ、

上下 真っ赤というコーディネートで (トンガのラグビーチームの色は赤!国旗も赤なので、赤はトンガ人の好きな色である。)

しかもTシャツには(裏返しだが) でっかくTONGAのマークがっ、、、、、!!!


ずぇん ずぇん 垢抜けてない!!!!

見事な THE TONGA っぷり!!!

さすが 離島エウア の子!! 
さすがわが子!!!


見事なまでのトンガンスタイルに、私は 冗談抜きで感動した。

これって すっごいすばらしいことだと思った。

18歳といったら外国の(欧米の)文化に影響されて トンガの伝統的な服を嫌ったりする年頃。特に 日本という海外に出るときは、トンガの服ではなく、洋服を着たがる子が多いでしょう。
現に 同プログラム参加者のほかの国の子は 洋服で参加している子ばかり。

でも それは私の浅はかな考えでした。
トンガの子、特に ど田舎 エウア島の子は そんな あまっちょろくない。
トンガ人であること トンガの文化に 誇りを抱いてる。

ピネ、あんた、すごいよ。 先生、また あなたから学ばされたよ。

ピネの顔は ほんっとうに 向日葵のような 明るい笑顔でいっぱいだった。

その笑顔をみれば、彼女が この滞在を本当に楽しんでいることがよくよくわかった。

感動の再会を果たしたら、すぐに おしゃべりに突入!!!


っまあーーーーー ピネったら 喋る 喋る!!

最初は日本語で話していたが、

気が緩んだのか、気がついたら べらべらとすごい勢いで トンガ語が飛んでくる(笑)

ここは何処?? トンガ???

まあ、10代の子が1週間日本語の中で頑張ったんだから、今日くらいはいいか

と 私も ちょっとトンガ語で話し始めると、

キオコ!!トンガ語忘れすぎ!! と早速 怒られました

あのね、、、私も一応先生ですから、簡単な文章くらいは日本語で話させたいのよっ!!まあ、トンガ語忘れてるってのは事実ですがね、、、(笑)だってもう二年経ってるのよ~ トンガから帰ってきて でも 久々のトンガ語、やっぱり いいなあ。

しかも、このエウアのノリ!めっちゃ懐かしい!おバカネタトーク 爆発(笑)!
気がついたら2時間くらいおしゃべりをしていた。

ピネは機関銃のように、「あのね、こういうことがあってね、、、、!!!」
「こういうのを食べてね、、、、!!!」 「友達ができてね、、、、!!!」という日本での体験談を どわーーーーっと喋っていた。

それだけ たっくさんの刺激を受けているんだろうね。
だれかに話したくって 仕方ないんだね

そんなピネの話が聞けるなんて、幸せで 嬉しくて、教師冥利につきますよぅ。ポロリですよぅ

で、散々喋って 気がついたらすっかり夜になっていたので、

「ピネさん ばんごはんを食べに行きませんか。」というと、
「ちょっと待ってください!I will get my bag」と言うので、
お土産に持ってきたミスタードーナッツを渡して、
「これをへやに おいてきてくださいね。
 あとで、ともだちといっしょに食べてください。」とミスドの袋を持たせた。
「ありがとございます!!!!!」と大喜びしたピネは かばんを取りに、自分の部屋まで走っていった。ミスドの袋を抱えて。
で、部屋でバックをとって ミスドを部屋に置いて、ロビーに戻ってきたピネの顔をみると、
口の横にクリームがついてた、、、!!!
口もモゴモゴしていた、、、!!!

おぬし、さては、この数分の間に、急いでミスタードーナッツ食ってきたなっ?!
さすがだ トンガ人!

指摘すると、「はい~(^^)おいしいですぅ~♪ありがとございます!!」と上機嫌だった(笑)

で、ご飯を食べに外に出て、「何が食べたいですか?」と聞くと、 「ええっとー」と言い出したピネ。どうやら “ええっとー”を覚えたらしい(笑)

そうして ハンバーガーショップに入った。
(やっぱ比較的食べなれてるのが好きなのね

ハンバーガーショップでは ピネにオーダーさせてみる。

ピネ 「チーズバーガーのセット、、、、を、、、、ください」

店員 「お飲み物は?」

ピネ 「ミルク、、、を、、、ください」

ちょっと 手助けしたものの、なんとかオーダーできた。

すごいよおおおーーーーーーーっ 

「ピネさんっ!!!すごいですねえ!!!!」と言うと

めっちゃ 嬉しそうに照れ笑いしてた。

ハンバーガーを食べ始めた頃、ピネがいきなり、

「OH!! My shirts!!!」と言って 大笑いしだした。
そう、トンガンスタイルで 裏返しにTシャツを着たままハンバーガーショップまでやってきてしまったことに今気がついたのだった。

「Sai pe ~ (It's OK!) This is Tongan style!!と大笑いしていた。
そう、Tシャツを裏返しにすることも、何事も大笑いして恥も悲しみも笑い飛ばすのも、全部トンガスタイル。 
そうそう、いいんだよ、ピネ。トンガンスタイルでさ!!

ハンバーガーショップでも たくさんおしゃべりを楽んだ後、

ピネを交流基金まで送り届けた。

その道中、 「キオコ、After you send me to the institution, how will you go back to your home??」

というので、 「でんしゃで かえります」というと、

「alone??」というので、 「はい、そうです。」と返すと、



It's not good!!!」と 焦りだした。 
そうね、トンガでは 夜が更けてから 女性が1人で出歩くのはありえないことだもんね。

「It’s OK, I know Karate. I'm strong!!」と説明し、納得させた。

このことだけでなく、ピネはたくさんのカルチャーショックを受けているようだ。
でも それを 面白おかしく話しているので、こちらとしてはちょっと安心
トンガ人の持ち前の陽気さと、10代という若さだから、きっと「?」「!」と思うカルチャーショックも面白おかしく自分の中で受け止めているみたい。

たくましいな、ピネ 18歳。

そして

「おやすみなさい!また 明日!」と笑顔で別れ


こうして 幸せ1日目が終わったのでした。

Teu fakamatala ki he 2nd day apongipongi----   


トンガの教え子が日本にやってきた!!!

2009-09-04 22:32:22 | トンガ 青年海外協力隊活動記

「ひゃーくねーん さーきもー 愛をちーかーうよー
きみはー ぼーくのー すーべーてさあー」

はい、まだ 嵐を聞いている私です。
っかぁーっ 司ーーーっ
やっぱ 映画の主題歌が一番ええね。


      

今日は すっごい すっごい 嬉しいことがあった。
本当に 嬉しいことだった。



私は 以前、青年海外協力隊の日本語教師と隊員として
トンガという国で二年間活動していました。

赴任先は トンガの離島、エウア
人口5000人の島にある 唯一の公立中等機関エウア高校で
日本語を教えていました。

その時の教え子の1人
レアアエピネがっ

(左から二番目の子)


なんとっ

国際交流基金の 日本語学習者研修(各国成績優秀者)プログラム

今っ!

日本にっ!

来ていますっ!





すごいっ すごいっ!! 本当に すごいっ!!

このプログラムに参加するには、
トンガ国内で一番の成績を取らないといけないのです。

私の派遣されていたエウア高校という学校は

「どうせ エウア高校の生徒でしょー」
と よく言われてしまうほど、
どんなテストでも いつも他の高校に負けてしまうような
まあ
のんびりとした学校でした。

他教科の先生も いつも
「エウア人はみんな アンガアンガノアだからね~」と言って
のーんびり 授業をしていました。

アンガアンガノア = EASYGOING = 何事も気にしない

まあ そこがエウアの人達の良さでもあるんだけど

でも 私は テストを受ける前から
「まあ きっとエウア島の学生だから あんまいい結果はでないでしょう」
「離島の学校には 大したチャンスなんてないのよ」

(確かに だいたいが本島の学校が優先になってしまう)

と先生達及び学生自身も決め付けていることがなんだか嫌で、

“努力したら 絶対結果はついてくる! エウアの子だってやればできる!”
ということを 学生達に知ってもらいたくて
学生達に 努力することの大切さ 教えることを 活動の目標にしたものです。

そして 活動の最後に、
自分の学生達が試験で高得点をとってくれ
中にはトンガ国内で一位になった子もいて
その時の彼女の顔は忘れられません。
(あ、このことは 前にブログで書いたね。→ サクラサク at トンガ


ということで

今回 教え子がトンガ国内で一番いい成績をとって 
訪日プログラムに参加できたということは

快挙 

です。


それもこれも
私の後任の方の熱心な指導の賜物であり、
また
レアアエピネ本人の努力の成果そのものである。


よかったね。本当に 本当に よかったね。
偉いよ。よく がんばったね。

後任の方のすばらしい指導と、ピネの頑張りに 感動しました。

ピネのしたことは、努力すればエウアの子だって一位になれる チャンスはあると
エウア高校の日本語履修生徒及び他教科の生徒に 希望を与えたことになるんです。

あと、彼女の頑張りをみて、「努力することの大切さ」を学んだ学生もいたと思います。自分の願いや希望は 自分が努力して叶えるんだということ。
トンガの学生に 伝わったと思う。


そして 今 ピネは 大阪の研修センターにいるので 早速電話してみました!


レアアエピネ 「もしもしっ」

 「もしもしっ?! ピネ?!」

レアアエピネ 「はぁい~!!!

 「こんにちはああああ!!! ピネさん、お元気ですか?私が誰だかわかりますか?」

レアアエピネ 「はい~!!!キョウコ~!!

私 「そうですぅー! ピネさん!すごいですね!私はとっても 嬉しいです!」

レアアエピネ「わーたーしー、、、、も 嬉しいです!!

 「日本はどうですか?」

レアアエピネ 「あー とても 楽しいですーーー!!!

 「ピネさん!日本語じょうずになりましたね!!」

レアアエピネ 「はいー わたしはあー 日本ー、、、が 好きですー!

 「そうですか! ピネさん、たくさん勉強しましたね?!すごいですね!
    私は とっても とっても 嬉しいです!」

レアアエピネ 「はいー!私 とても 嬉しい!


実は 内心 
「トンガという小さな国の これまた小さな離島エウアから出てきて 初めての海外旅行で、初めて家族から離れて、ホームシックになってないだろうか、、、、 泣いてないだろうか、、、、」と むちゃくちゃ 心配していたのですが


第一声 「もしもしー」 の声が 元気なこと!! 心配が徒労に終わってよかったあ

トンガの日本語事情を知らない人にはわかりずらいかもしれませんが、

トンガの子が しかもまだ高校生が こんなに一生懸命日本語だけで話そうとするって本当にすごいことなんです。

私は レアアエピネと話しながら 涙がでてきました。


偉いよ。

ピネ。

よく がんばったね。

たくさん 勉強したんだよね。

本当はきっと すっごくドキドキしながら日本に来たんだよね。

でも ちゃんと楽しめてるね。

本当に 本当に よかったね。


教え子のこととなると やっぱり ダメですなあ、、、


その後も 「友達はできた?」 「東京にはいつ来るの?」という私の質問に
一生懸命 日本語で答えてきたピネ。

彼女の頑張りは 私の想像以上だった。しかも ちゃんと理解していた。

 「ピネさんは いつ東京に来ますか?」
レアアエピネ 「あーー はち はち日。」
 「ようか ですね。 じゃ 私は ようかに レアアエピネさんに会いに行きますね。」
レアアエピネ 「はぁぁああああいーーー!!! あー きょうこ、私 きゅうにち、、、、」
 「ここのか?」
レアアエピネ 「はい、ここのか、 私 フリーです。」
 「そうですか! じゃあ 一緒に遊びに行きましょう!いいですか?」
レアアエピネ 「はぁぁああああいーーー!!! わたし とても うれしいですぅううう!」





かわいいっ


うんうん

先生のほうが ピネよりも もっともっと 嬉しいよ。


で、

「もし何か困ったことがあったら すぐに私の携帯電話に連絡しなさい」(ここは英語で)言うと、

レアアエピネ 「はい! キョコ、わたし、今、 今 とても うれしいです!!!」

と言っていた。

そうだよね、楽しんでいるけど やっぱり心細かったよね。
よかった 今日電話繋がって!(昨日は電話繋がらなかった、、、、)


電話している時、

ピネの声から ピネが笑顔で話していることが よくよくわかった。

決して多くない語彙を使った簡単な文章だけど

彼女の言う 「嬉しいです!!」から 彼女の感情はダイレクトに伝わってきた。

本当に 嬉しいんだな って わかったよ。ピネ。

そう、大事なのは、言葉より気持ち。なんだよね。


あのね、 

たぶんね、

ピネも嬉しかっただろうけど、先生の方が 嬉しかったよ。

近年稀に見る「嬉しさ」具合だったよ(笑)

「嬉しい」って言う言葉は こういう状況、こういう感情のときに誕生したんだろうなって思うほど、最高に嬉しかった。


やっぱり 学生のことが関わると 私は本当に幸せだったり 嬉しかったりするんだなあー と思った。
自分らしくいられるなあーって思った。

最近 転職活動をしてたんだけど、、、、 ゆ 揺らぐぜ、、、気持ちが。



私にとって エウアでの二年間は 本当にキラキラと輝いた時間でした。
人生で きっと一番自分がキラキラしていた時じゃないかなと思います。

自分の学生が 本当に大好きでした。
やんちゃで わんぱくで 勉強なんて全然しないし 怠けてばかりの学生だったけど
でも
いっつも 学生達の笑顔に救われていました。

彼らの何気ない一言、 何気ない動作から 優しさと愛をたくさん感じました。


そして トンガを去って 日本に帰ってきても尚、トンガの生徒からたくさんの喜びと幸せと 笑顔をもらっている。

いまでも。

ありがとう。 

本当に ありがとうね


8日 大きく成長したレアアエピネに会えるのが 本当に楽しみです!


トンガ人来日!!

2009-09-02 17:30:01 | トンガ 青年海外協力隊活動記
インドから帰国して3ヶ月が過ぎた。
要療養ということもあり 気持ちが凹んでいたこともあり
3ヶ月の間 柄にもなく日々引きこもり生活でしたが、

8月末になって 急にイベントが続いた!!しかも 嬉しいイベント!!

その一つが 「トンガ人来日」

協力隊としてトンガで一緒に活動していたお友達、ちーぼーからある日 
電話があって

「トンガ人が来日して、群馬の某プログラムの研修に参加中なんだけど、
 週末は東京で過ごすんだって!
 でも週末を一緒に過ごす人がいなくて、何の予定もないから、
 きょんちゃん、もし暇だったら トンガ人に会いに行かない??」 とのこと。

きゃーーっ もちろん 行きます!!!

当たり前じゃないですか!!! 行きます!!! 会いたい!!!

と 二つ返事でトンガ人に会いに行くことにした。

とはいえ、来日したのは、私の知り合いのトンガ人ではないのですが。
とあるプログラム(日本語プログラムじゃないよ)の研修に参加するためにやってきたトンガ人親子。

知らない人であっても、トンガ人というだけで 他人とは思えないのです。
トンガ人というだけでなんだかもう知り合いのような感覚なのです。
トンガは人口10万人の小さな国。フレンドリーアイランドと呼ばれている国。
国民全員が家族のような 友達のような距離感を保っている国。

私の大好きな国。たくさんの愛を貰った国。

トンガ人と会える!!
久しぶりのトンガ人との会話!! テンションが上がります。


8月も終わりに近づいたある日曜日の朝、
トンガ人親子が滞在しているホテルに迎えに行って、
初めてその親子と会った時、初対面なのに、トンガ人というだけで親近感を抱き、
とっても嬉しい気持ちになりました。

お母さんは シアさん、娘さんはサアネちゃんというお名前でした。

そんで、ちーぼーとシアさん、サアネちゃん、私の4人で 東京を観光しました。



まずは、、、 上野動物公園 !!



パンダと一緒に パチリ。



象にまたがって パチリ。


ゴリラと一緒にパチリ。

 



猿になってみたりしてパチリ。

って、全部 偽者の動物やん?! 

いやいや、勿論 本物の動物もたあーーーくさん見ました(^^)!!
でも 本物の動物と一緒に写真を撮るって案外難しくって 
サアネちゃんが いい顔している写真をブログ用に選んだら、気がついたら偽者の動物ばかりになってしまいました。

↓あ、でも これはいい感じに撮れてるっ



写真の笑顔を見ていただければわかるように、サアネちゃんは動物園を大満喫してくれました。

そうだよね。トンガには動物園は勿論ないし、
そもそも 動物の種類も 馬 牛 豚 犬 猫 ネズミ トカゲ ネズミ 鳥 と 海の生き物くらいだもんね。

感性が豊かな幼少期に、このような経験ができてサアネちゃん、よかったねえ
今回の東京観光のプランは全部ちーぼーが立ててくれたのですが、
さすが ちーぼー!! 子供の気持ちをしっかり理解したプランでした!

動物園のあとは、シアさんが買い物がしたいというので、新宿のビックカメラやドンキなどを見て回る。

そして夕飯。

サアネちゃんが ピザを食べたいというので、イタリアンを食べました。
日本食は 前々日からちーぼーがいろんな日本食を紹介していたようだし、
トンガには トンガ人が食べられるような気軽なイタリアンレストランってないし、
シアさん、サアネちゃん、二人ともピザやパスタを楽しんでくれたみたい。



で、もう夜も遅かったので、二人をホテルまで送り届けてこの日は終了。

翌日は、シアさんとサアネちゃんは 日本を出国する予定だったのでホテルまで見送りに行った。

ホテルを出発するまでまだ時間があったので、

サアネちゃん念願の、、、、、


マックで昼食を食べました

そう、トンガにはマクドナルドはありません。 
私は トンガで活動している時、
マクドナルドがある国に派遣された隊員が心底羨ましかったです。レストランのある島に住んでいる隊員が 心底妬ましかったです(笑)。
夢に 「黄金のMマーク」を見るほどでした。(嘘)

任国外旅行でフィジーにいった時に マクドナルドでハンバーガーを食べた時、

そう、私も、



こんな笑顔になっていたことでしょう

それが日本文化であっても そうでなくても
トンガでは決して味わうことのできない体験をすることって 本当に貴重で、
とっても大切なことだと私は思います。

自分の国にはないもの、文化、価値観、人、景色を見て、そこからいろんなことを考え、そしてそれらを自分の国のものと比較する。
その過程で、自分の国の良さを再確認してもらえたら いいなと思います。

私も海外に出てみて、他の国の文化のすばらしさを通して、初めて日本の文化のすばらしさを感じることができたから。


そして、お別れの時間となり、
シアさんとサアネちゃんは トンガへと帰っていきました。

最後に、シアさんは目に涙をためながら 「ありがとう」と言ってくれました。


「ありがとう」といわなくてはいけないのは 私の方。

私に声をかけてくれた ちーぼー。
私にトンガの暖かさを感じさせてくれた シアさんとサアネちゃん。

三人のお陰で、私はまたパワーをもらいました。
しかも 私の大好きな トンガからのパワーを


シアさんが 「こんなに いろいろ助けてもらって本当にありがとう」とよく言ってくれたのですが、

私達は ただ、トンガでトンガ人にたくさん助けててもらったから それと同じことを日本でお返ししたかっただけなんだよね。

感謝するのは 私の方。
こういう機会をくれたシアさん サアネちゃんに感謝。

私達は 任期中、ずーーーーっと トンガ人に助けられっぱなしだった。
彼らから どんなにたくさんの優しさと愛情をもらったことか、、、

だから これからも こういう機会があったらいいなと思う。
知り合いであっても そうでなくても
トンガ人が 日本に来るならば、 何かお手伝いがしたいなと思う。

どんな形であれ トンガとは繋がっていたいし、

少しでもトンガ人からもらったやさしさに 恩返しが出来たらいいなと思うから。



それにしても、、、、


私のトンガ語、、、、  衰えすぎじゃーっ

無難な会話はなんとか思い出せたけどさっ 、 パッと頭に浮かんでこない!
浮かんでくる言葉といえば
「kasele(便所野郎)!」とか 「Laupisi(アホ)」とか よく同僚とジョークの言い合いをしていた時の言葉ばかり、、、、

つ、使えない、、、、

そんな私ですが、

Oku ou `ofa lahi ki he kakai Tonga です!!!


月刊「クロスロード」に私の丸顔記事が載ります。

2009-02-21 19:59:27 | トンガ 青年海外協力隊活動記
JICA関係者なら知っているでしょう。
JICA関係者以外の 一般の人は知らないでしょう。

JICAの機関紙。月刊「クロスロード」。

国際援助の現場や 協力隊の活動を紹介している雑誌です。

その雑誌に、任期終了後1年以上経った あたくしの記事が載ることになりました。

というか、今月15日からもう発売されております。3月号だそうです。

もう2年くらい前のことなのに、何故今更?という感じかもしれませんが、編集部の方が綺麗にまとめてくださり、感謝であります!!にゃは

内容は 私が任期中に開催したJAPANESE WEEKの様子です。
写真もいくつか載っとります。

編集部の人は、メールを通して取材をしてくださり、記事にまとめてくださいました。

どんな感じになっとるのかねえ?

インドにいるため まだ見れませーん。

しかし このJAPANESE WEEK。
自分で言ってもなんですが、かなーーーーーーり頑張った!!
大成功でした。

が、 当時はインターネットの接続が悪く、(学校内でしか使えないし、速度がとても遅かった)かつ、あまりに頑張りすぎて燃え尽きてしまいブログにアップすることを避けていました。

なんかさ~ とてつもない感動を得ると、なかなかすぐには文章にできないんですよねー

だからブログには 全然JAPANESE WEEKについてアップしてません。

でも 編集部の人の取材を通して、改めて当時のことを思い出して 懐かしくなったので、ちょこっとずつアップしてこーと思います。
自分の記録の為に。

クロスロードに載ってる私のまんじゅう顔を拝みたいというレアな方。
新宿紀伊国屋なら お求め可能だと思われます。

↓ Japanese week で 学生に 「抹茶」体験させた時の一枚
  私の右にいる緑のパーカーを着ている生徒。テフナ。
  テフナがかっこよく持っている筒状のものは 抹茶の箱です。




協力隊員経験者ならわかるでしょ?「ホットシャワー」論

2009-02-16 00:28:06 | トンガ 青年海外協力隊活動記

たぶん今回の内容は、協力隊経験者なら共感してもらえると思います。

みなさん、落ち着いて聞いてください。

発表します。

なんと、

 「ホットシャワー」という言葉は、普通の日本人は使わないらしいのです。

なんでも、普通の日本人は、「ホットシャワーを浴びます。」ではなく 「シャワーを浴びます。」と言うんだとか。

 インドの日本人の同僚の人が教えてくれた。
「きょうこ先生はいつも、“ホットシャワー”と言いますけど、シャワーというものは、そもそも“ホット”なわけですから、いちいち“ホットシャワー”と言わなくていいんですよ。」 と。

 

それはまさに、目から鱗だった。

そう、この世には、日本のように、シャワーからあったかいお湯がでることが大前提の国があるのだ。
シャワーを 「ホットシャワー」と「水シャワー」という 2タイプに分けて表現しなくてもいい環境がこの世にはあるのだ。

そして 日本ではその環境は「普通」なのです。

トンガで協力隊として暮らした二年間。シャワーから出てくるのは “”でした。
時には、水すら出てこないときもありました。
そういう時は 雨水を汲んできて浴びました。
トンガは南の島ですが、冬はむちゃくちゃ寒い。
日本の秋、時には初冬くらい寒いときがある。
それでも“水”でした。 行水してました。
だから、シャワーにかかる時間は 5分以下でした。 
チャッチャッチャっと水をかけるだけでした。
寒さのあまり、服を脱いだ後、水シャワーを浴びるまでの覚悟ができず、10分くらい考えることがよくありました。
その結果「3日間くらいは 体を洗わなくてもいい。」という結論が導き出されました。
当然のごとく、垢まみれでした。 
足のかかとは 土がこびりつき、年中真っ黒でした。

トンガでの生活が長くなるにつれ、すっかりトンガンライフに馴染み、「日本に帰りたくない病」にかかっていましたが、

ただひとつ。
私の心をひきつけるもの。

それは ホットシャワーと 湯船でした。
非常に恋しかったです。

神様に「納豆とホットシャワー。どちらか一つを与えてあげよう。」といわれたら、散々迷った挙句、ホットシャワーを選んだだろうと思います。


2年間の隊員生活を終え、日本に帰り、実家に着いて、 ホットシャワーと湯船との再会を果たした時、 感動に打ちひしがれた。 そして湯上りの私を見て、

母はこういった。
「すごい!! お風呂に入る前より、白くなってるよ!?」

 

・・・。

垢? 垢なの? 垢がたまってたっていいたいの?

とにかくそんなトンガ時代の「水シャワー」経験があるので、
無意識のうちに、 あたたかいお湯がでる高性能なシャワーは 「ホットシャワー」。
水がでる一般的なシャワーは「水シャワー」というように使い分けていた。

そして インド。 会社が提供してくれる住まいは、「水」ではなく「ホット」なシャワーだと聞いていたので、わくわくして赴任。

が、 3人でシェアしているアパートで、

何故か私の部屋だけ 「水シャワー」。

他の2人(男性)の部屋はどちらもホットシャワー。
わたし、おんなのこ なんですけどーーー?
インドも冬は結構寒いぜ。
仕方ない。と諦めて 水シャワーに耐えていた。

んで、昨年末、大学が休校になったので、しばらく会社の日本語クラスを担当していた。当然住まいも 大学近くのアパートから、会社の近くの教員住宅へと移った。会社の近くの教員アパートは 「ホットシャワー」と聞いていた。
懲りずに わくわくしながら 蛇口をひねると でてきたのは馴染み深い「」。
待てども待てども お湯はでてこない。
水を触りすぎて、手が麻痺して、なんとなく「あったかい?」と思い始めたけど、やっぱり水だった。

そう、何故か私の滞在中だけ ホットシャワー故障。

会社のスタッフに エンジニアがいるので、治してもらっても、翌日には故障。
もういちど治してもらって、今度こそもう大丈夫だと思ったのに、とある女性(私じゃないよ)の不注意により、また故障。

神よ。なんで 私の人生はこんなにホットシャワーに恵まれないのか。

会社のインド人スタッフにも 「Wherever you go , you never get a hot shower.」と笑われた。

で、この世に「ホットシャワー」なんてものは存在しないんだと暗示をかけ始めていた頃、
なんと、
ついに、
私のアパート(大学近くのアパート)の 私の部屋にっ

ほぉっとしゃわーーーーー 
が ついたのです!!!

↓ これ。スイッチをつけて、10分くらい放置すると、この白い容器に入った水が
   暖められ、熱湯になるという画期的な発明!!(インドではこの装置をギーと呼ぶ)



夢ならさめないで。
お湯なら冷めないで。

それからというもの、毎日 ホットシャワーを浴びている。 ふっふーん。

ホットシャワーは ほんっとうにすごい。
こんなに気持ちいいものが この世には存在するのだ。

ホットシャワーを発明した人は、ノーベル平和賞を受賞するべきだと思う。

 インドで ホットシャワーを手に入れた今。
そろそろ、「ホットシャワー」という言葉を使うことを卒業する時がきたのかもしれない。
そう、それは旅立ち。巣立ちの時。

ただ、 問題が一つ浮上した。

おそらく、この家を建てたときに配電なんかを適当にやったんだと思う。
その結果、
時々、スイッチを消そうと思っても消せない。。。。
スイッチは日本と同じ、パチっと切り替えるタイプのやつなんだが、
どんだけ押しても、「on」に自動的に切り替わるのだ。

つまり、どうやら、すごい量の電流がこのホットシャワーに流れてしまっているらしいのです。

しかし、このギーは電気をつけっぱなしにしていると、壊れてしまうのだ。

だから 一人であたふたしてしまう。

だって、ようやく手に入れたホットシャワーを 失うわけにはいかんっ!!
どげんかせんといかん!!!

しかし トンガ時代 無線用のバッテリーを大爆発させたり、コンセントから火がでたりと、何度も電気関係のトラブルを経験した私は、

この世で 今、 電気が一番こわい。 この前部屋にいたネズミの死骸よりも怖い。

で、前回 スイッチが切れなくなったときは、散々迷ったあげく、ブレーカーを落としてみた。そして おそるおそる スイッチに触れ (触れる手には布を巻いた。後で 同僚の人に 「それ、意味ないですよ。」と言われたが。)
OFFの方に 押してみた。

すると バチッっと火花が散りつつも、スイッチを切ることに成功!!!

すげー 脇汗かいた。

もーやだ もーやだ ほんと やだ。

こわい こわい こわいよ 電気。

それからしばらくはスイッチは正常であった。
しかし 昨日。また スイッチが切れなくなった。

もうブレーカーを落とすのも怖いので、 「どうせ明日 昼ごろ停電になるだろうから、それまで待ってみよう」と 放置したものの、
翌日、なぜかそういうときにかぎって 一回も停電にならない!!!

たいてい一日に最低1回は停電になるのに!!!

だから 今も まだスイッチが ONのまま。 

こわい。

もー やだ。 ホットシャワー こわい。


トンガ再訪 その3

2008-10-10 13:38:35 | トンガ 青年海外協力隊活動記
エウアに住んでいた頃、よく豚の鼾を子守唄に眠りました。

そして 今回、レルと雑魚寝をし、耳元であの懐かしいブーブーちゃんの
鼾に似たレルの鼾を聞きながら 私が住んでいた部屋と同じ作りのこの部屋の
天井を眺めて いろいろなことを思い出し、なんだか 眠れな・・・

ごー ごー ごー

爆睡。

トンガ4日目。

朝6時くらいに ふと目が覚める。
すると 隣に寝てるはずのレルがいない。
でも 布団とレルのまくら(犬のぬいぐるみ)は 置きっ放し。

トイレかな?
と思い わたしは 二度寝。

再び目が覚めると レルが部屋のドアに立っていた。

「よかったよー いつまで寝てるのかと思ったわよ。
 今日 朝6時くらいに目が覚めてさ、自分の家(歩いて10秒)に行って
 聖書を持ってきて読んでたんだ。」

あー だから 朝いなかったんだ。

「でさ 恭子の寝顔を見ながらさ このままずっと一緒にこうやって
 お互いの寝顔を見てさ 前みたいに暮らせたらいいのにって思ったよ。」

恋人同士か?!

でも そうだね。 
去年まで すごく近い距離で 互いの咳が聞こえる距離で 暮らしていたようなもので
去年は 朝起きてから 夜寝るまで 互いの存在が 互いの生活の中にあった。

「じゃ、今からあたしは自分の家いって、服をきて学校に行くよ。
 んで、手紙書いてそこに貼ったから、読んでよ!じゃ、後で 学校でね!」

と 部屋を出て行った。

手紙は 椅子にセロテープで貼ってあった。
ほんと、恋人同士かよ(笑)

手紙には、「昨日の夜に終わりが無ければよかったのにって思うよ。だって私はまたきょうこが
いなくなって 寂しくなるからね。 きょうこがエウアを去ったとき、私はすごく後悔した。
だから 今回は絶対エウアを出発する時は知らせてね。そうじゃなきゃ 大泣きするよ!」
と書いてあった。

そうなんです。 去年私がエウアを去る2日前から エウア高校で 各島の学校で選ばれた学生達が集まって合宿みたいのを
してたんだけど レルはその行事の代表で 毎日徹夜で作業をしてて 私がエウアを出る寸前まで起きてて
「絶対港まで行くからね!」と私の家の外で大声で叫んでいたが、その数秒後 深い深い眠りに落ち 起きることがなかったのです(笑)

でも 疲れているのを知っていたから起さずに エウアを出ました。
日本について 数日後 レルからメールがきていて
「なんで なんで起してくれなかったの!? 私は目が覚めたとき 悔しくて涙がでてきたよ。自分が嫌いになったよ。」と書いてあった。

ちゃんと お別れをしなかったけどさ でもね わかってたんですよ。
「じゃあ またね」 っていう一言が大事なんじゃなくて 一緒に過ごした時間が大事なんだから
その大切な時間さえ心の中にあれば 「じゃあ またね」っていう言葉を直接交わしてお別れしなくても別にいいんです。

でも 今回レルがまだエウアにいるうちに再訪できたから、今度はちゃんとお別れだ。


午前中は エウアの知り合いにあいさつ回りをして



写真:エウアの郵便局にて 局員と。
 (任期1年目はインターネットも使えなかったので、毎日のように郵便局に行っ  ては 私宛の手紙がないか確認していたので、局員とも仲良し。ちなみに左の女性は胸毛がハート型で有名です。)

大好きなエウアの坂道などを 始めたばかりの一眼レフ(フィルム)で撮ったり


↑ これはデジカメで撮ったもの。この坂道 大好きだったんだよね。



午後は学校にもどって 先生、生徒と話をし
あっと言う間に エウアを出発する時間になった。 夕方の飛行機で本島に飛びます。

レルの運転する車で 校長と私の後任と私で空港に向かう。

学校の入り口に止めてある車の前まで、同僚の先生達が送ってくれた。

(右が校長のオケティ。後ろの4人がSingle comitteeのメンバー。ちなみにうち1名は独身ではないが、本人の希望で独身ということになっている・・・)

Single comittee のメンバーとは 最後まで互いに「絶対 あたしの方が先に結婚するからね!」と互いに言い争っていた。
やっぱ この独身の先生たちと 一番楽しく騒いだなあ。

「エウア高校の20周年に、絶対 絶対 来なきゃだめだよ! 必ず連絡するから 絶対来てよ! その時までに きょうこJrを作っておきなさいよ!」

と散々いわれた(笑)

車に乗り込んで 車の窓越しに 仲のいい同僚達と くだらないジョークで 大爆笑していると
笑えば笑うほど みんなの笑ってる顔を見れば見るほど 涙がこみあげてきた。 我慢 我慢。

そしたら 「きょーこーーー!」と呼ぶ声がして、声の方を見ると、生徒達がいました。校舎の2階から 手を振っていました。
「テスト、がんばってくださいね!!!」
って言ったら じわじわ じわじわ こみあげてきた。

やっぱり サヨナラは 悲しい。悲しいです。

実は 今回は 今の先生は後任の方なわけだから 私は生徒とはちょっと距離を置いて接していました。
でも 最後の最後で ぶわーーーーっと 先生モードになってしまいました。

2年間 あたしの生徒でいてくれて 本当にありがとう。

エンジンがかかって 車が出発して 生徒が見えなくなるまで「さようならー さようならー」 と 手を振りました。

去年まで やんちゃだった生徒が 大人びた顔で手を振っている様は 頼もしくもあり、嬉しくもあり、
その分 泣けてしまう。

どうか 素敵な大人になって 今のようにたくさん笑って 幸せに暮らしてくださいね。




んで、空港に着いたら・・・・

誰もいねーーーーーーー

でたよ。さすが エウア。

結局 飛行機は2時間後くらいに 飛んだ。

校長とレルと Hugをして別れた。 でも思ったより 悲しい別れじゃなく、「じゃあ またね!」という感じで別れた。
というか 飛行機を2時間も待ったおかげで 別れのセンチメンタルな感じが消えうせていた(笑) 何事もリズムが肝心。
だから 結構あっさり別れた。

が、、、、、

小さな6人乗りの飛行機に乗った後、飛行機が向きを変えると、みんながまだ空港のとこにいて、
レルと校長のオケティが飛行機にむかってずっと手を振っているのが見えた。

飛行機が滑走路を走り始めても まだ振っていた。レルも校長も。

離陸して みんながどんどん小さくなっていくのに まだまだ飛行機の方に手を振っているのが見えた。

やめてよー・・・・そういうの。。。 泣けちゃうじゃん。。。

周りの乗客に泣いているのがバレないように 頑張りました。
すると 大海原に クジラがジャンプしているのが見えました。
トンガといえば クジラ。

クジラもトンガ人も みんな やってくれるねえー 


飛行時間8分。 本島の空港に着きました。

預け荷物が運ばれるのを待っていると 誰かが私の肩をたたく。

はい? どちらさん?

おおおおおおお!! アカ!マアタ! そう、エウアで仲良くしていた家族が そこにいたのです。
エウア再訪第一日目は 彼らの家に泊まる予定(日本出発前に本人に確認済み)が、
行ったら誰もいなかったという なんともトンガ的なパンチをくらわされた あの家族です!
「教会の用事で本島に上がってきているから、きょうこが本島に戻ってきたときは絶対空港に迎えに行く」
との連絡を昨日もらっていたが、トンガ的パンチをまたくらわされる可能性大なので 信じていなかった

本当に迎えに着ていた。 人生 何事も期待してはいけない。 期待していない人が 約束どおりのことをすると
その人は偉人に思えるものだ・・・・。 そうなのだろうか。

で、この日は彼らの親戚の家(彼らが本島に上がるといつも泊まる家)に泊まることになった。

まあ トンガ的パンチをくらったとはいえ、当時かなりお世話になったこの家族にも会うことができてよかった。
とくに お母さんは去年私がエウアを去るときに、糖尿病で生死の境をさまよっていたので 今回元気な姿を見ることができてよかった。

みんなで 夕食を食べ ガキどもと わいわい遊んでいると


↑ イシレリ(2歳) でかい。。。


 ドアを叩く音が。
ドアを開けると、そこには ホストファミリーのお母さんが!?

ええ?! なぜ?

私 「どうして 私がここに泊まってるってわかったの?」
お母さん 「だって 私の家 隣だもの。」

?!

2年間 離島で暮らしていたため 本島の地理がまったくわかっていなかったが
つまり エウアの家族に連れてこられた家は、本島のホストファミリーの家(私が今回1泊目に泊まった家)の隣だった!

しかも エウアでお世話になっていた家族と  本島でホームステイをした家族は 親戚だった!!!

なななななんということだ。。。
ぜんっぜん 知らなかった。 親戚といっても 遠い親戚だけど。
しかし こんな偶然あるのだろうか。 いや トンガならありえます。


↑この日の夕食。 芋数種類と ソーセージと シピ(油ぎとぎとの羊肉)の油スープ。 一般的なトンガの夕食。そりゃ 太るぜ。 そりゃ 糖尿病になるよ。
「きょうこのために スープにキャベツを入れたよ!」 ありがとう。
でも もしキャベツがなかったら 炭水化物とたんぱく質と油しか摂取していないということに気づいてくれ。だいじょうぶか。



で トンガ最終日。

まずエウア家族と 
朝食 (6枚切りのパンにバターたっぷり×2 コンデンスミルクをお湯で薄めたドリンク)

その後 隣のホストファミリーの家に行ったら 
「朝からきょうこのために作っていたんだよ!」と この日2度目の朝食を出され
(さっきの朝食から10分後)

目玉焼き、チキンナゲット3個、ソーセージ2本 パン4枚 を出されたので
ここは 女の見せ所。全部食べる。

で 再びエウアの家族の方に戻ると、

どーーーーーん!!!


「飛行機乗ってる間に 絶対お腹すくから」と言われ 朝食とランチの間の 軽食を出される。 軽食ではない 重食だよ こりゃ。
彼らは 機内では 機内食が出ることを知らないのかもしれません。。。

とりあえず果敢に挑む。でも 朝から食べ続けているので、本気で 吐きそうになるが、がんばった。

ゲストに 十分な食事を与えること。そういうのが トンガのホスピタリティ。
かなり苦しかったが、嬉しいことです。

↑台所にて 朝食を楽しむエウアンファミリー。


さ、お腹も一杯になったので、いざ空港へ!!



↑ バンの荷台にのって空港へ。 離島者は 本島にてテンション上がってます!
  一張羅を着て、最大限かっこつけてます!!
  この後の悲劇を誰も知る芳はない・・・

空港に着くと、

誰もいない!!!!! 

遠くから 空港関係者らしきおばちゃんが ドスドス ノロノロやってくる。

で 一言。

「キャンセル。」

がああああああああああああああああ!!!

朝、リコンファームしたときは 予定通りだって言ってたのに!

てか 4日後には インドに行くんですけど!!
準備とか 友達と会う約束とか どーすんのよおおおおおお!! ばかーー!
エアパシフィック ばかーーーー!

とりあえず 街中のエアパシフィックオフィスへ行けと言われ
オフィスへ向かうと、期待の故障でこの日のフライトが急にキャンセルになったという。
で、明日の夕方フィジーに飛んで、明後日 1日フィジーに滞在して、しあさってに日本につくと言われた。

ということは インド出発まで たった1日しか日本に滞在できないですやん。

友達と会う約束もキャンセルですやん。
というか 荷造り終わってないです

相当 凹んでいる私を 必死に励ますエウアファミリー・・・・

仕方ないので 家に帰る。 そして 洗濯を手伝って気持ちを紛らわせる。



トンガ流の選択方法  棒でつつく


↑ ナイス気分転換!!


かなりの量の洗濯を終え、飛行機の遅延に関しては 悟りを開く。

で 翌日 ようやくトンガを出発しました。

今回トンガに行くまでは トンガの2年間が重過ぎて 振り返ることすら避けていました。

でも 今回トンガに行って トンガでの日々が 本当の意味で思い出として
消化できるようになったと思う。

だって 会いたければ こうして会えるんだし

そして 私には次の未来が待っている。

エアパシフィックのおかげで、日本に帰ってすぐインドへ出発となったけど
それはそれでよかったと思う。

トンガからインドへ。

I'm ready to 一歩を踏み出す。










 

トンガ再訪「あの人は今!?」 その2

2008-10-01 06:07:36 | トンガ 青年海外協力隊活動記
トンガ3日目

朝からエウア高校へ!!

懐かしい坂道を登って エウア高校が見えたとき 甘酸っぱ~い気持ちになった。

まずは 「校長先生は今?!」
校長先生(オケティ 40歳)を見た瞬間 涙が出た。
嬉しかったんだよね・・・ 一番私の仕事を理解し評価してくれた人。
元気でよかった。前とちっとも変わってない。 よかった。

「レルは今!?」
私の隣人だったレル。でかいのは体だけではなく 声とくに笑い声がむちゃくちゃでかい。当たり前だけど ぜんっぜん変わってない! 彼女とは悪仲間だったし 夜 恋話や 人生観、仕事への情熱を 夜な夜な語ったこともあった。親友だ。


「アヒは今!?」
なんと 風邪をひいて寝込んでいた! 家にお見舞いにいったら アヒの顔を見た瞬間 涙が出た。 だってさー 懐かしいんだもん。
ずっとずっと こうやって みんなと会いたかったんだもの。



「生徒は今!?」
相変わらず 元気で やんちゃで 猿で おしゃまで ませてて 純で 生意気で かわいくてかわいくて 

かわいかった。
でも 子供の成長ってやはり早いなあと感じた。
特に男子生徒は 背が一気に伸びて声変わりしている子もいたし。
でも 中身はそのまんま(笑) 体がでかいのに やってることはガキだから笑える。かわいいねえ。



去年よりもひとつ学年が上がった子たちは 少し大人びた雰囲気を出していて
日本語も前よりも話せるようになっていて すごく嬉しかった。

後任の方が 愛をもって 一生懸命教壇に立って 教えていてくれるからなんだなあと感じた。後任の方はとても優しくて素敵な人で 彼女のような人が後任で本当に嬉しいなあと思った。

エウア高校で すれ違う生徒、同僚みんな私を見て驚いて その都度抱き合って 大騒ぎして 大笑いして。。。。

楽しいなあ。 なんだか 本当に 楽しい。 なんで こんなに笑いに満ち溢れているんでしょうか。ここは。

学校が終わって、 夕方までエウアのあちこちの知り合いをたずね
夜は エウア高校で 仲のよい先生、生徒達が私のためにバーベキューをしてくれました!!

期末テスト前で 先生も生徒も大忙しって時期なのに、、、、
手際が悪いからすげー時間かかってるし(笑)、、、

みんな忙しくて疲れてるのに 楽しくバーベキューを作って 騒いで
そういう優しさ 思いやり 本当に嬉しかった。











バーベキューがひと段落したあと、トンガでは定番のFakamalo(お礼の言葉:演説)を述べました。

忙しいのに本当にありがとう。みんなのことは一生涯わすれません!
ありがとう! ありがとう!

と言った後、

レルが 「I he taimi- kotoa pe eku manatu---」と 涙そうそう のトンガ語バージョンを歌いだした。

するとその場にいたみんなが歌いだした。

そう この歌は Japanese weekで披露した時 エウア高校で大ヒットしたのでした。だから 日本語履修生じゃなくても トンガ語バージョンなら歌えるのだ。

トンガを去って 4ヶ月ほど経ったある日 なんとなく「涙そうそう」を歌っていると 「会いたくて 会いたくて 君への思いなだそうそう」という歌詞のとこで はっとした。

これ あたしの今の気持ちじゃん。
トンガのみんなに 会いたくって 会いたくって 時には夢にまで見て でも 会えなくて 泣けてくる。 
そう 今回トンガに来るまで そういう切ない思いが付きまとってた。

でも 今は こうしてみんなと一緒にいる。

来てみたら トンガは遠い場所じゃなかったし

教え子や 同僚がいるうちは エウア高校に 私の居場所があって
いつまでも 私の「母校」なんだなあ。

そう思ったら ある意味で くぎりがついた。

今回トンガに行ったことで もう一度 教え子や同僚、友人と会ったことで
みんなと大騒ぎして ばか笑いしたことで

あの2年間が 本当の意味で 「思い出」として消化されたように思う。

もし 今回トンガに来なかったら いつまでも心のどこかにひっかかっていたけど

でも もう 大丈夫。

大丈夫だわ!あたしゃ!大丈夫どころか 充電満タン!

次の世界へ踏み込む準備が できました。

トンガでの2年間は私にとって宝物で、いつも思い出すとキラキラしてて とても大切な時間だけど でもその過去を大切にしていくためには 今が過去よりも輝いていないとダメなんだよね。
そうしないと 過去にすがってるだけだし、過去がかわいそうだ。

おっしゃー インドで もまれて 悩んで 泣いて がんばってくっかーーー!

きょーこ 先生は  次の夢にむかって 走り出しまっせー

ありがとう エウア。

大好き 大好き エウア。

君は 最高だ!

でも これからも きっと同じくらい最高の場所に出会えるでしょう。

がんばりさえすれば! ほっほーい



ちなみに この日の夜は レルと一緒に 教員住宅の空き家で 肩を並べて寝ました。
最初は 昔のように恋話、人生観、仕事、夢などについて熱く語り
そのあと、去年が懐かしいねえーという話になり、
横にごろんとなりながら 話していたら
「それでさー」と話しかけたら すでに 「ぐおおおおおおおおお」とレルはいびきをかいていた。さっきまで 話してただろ?!5秒で寝る。それがトンガ。



トンガ再訪「あの人は今!?」 その1

2008-10-01 05:36:04 | トンガ 青年海外協力隊活動記
はい、ということで行ってきました。
9ヶ月ぶりにトンガに。

インドに行ってしまったら いつトンガに行けるかわからないし
教え子や同僚がまだエウア高校にいるうちに どうしても一度トンガに行きたくて
急遽チケットを買いました。

ちなみに トンガまでの航空券代が20万以上だと思っている人が意外と多いので
今回のチケット代を発表しますが、

ジャン!

17万ちょっと也!! チケットが12万ちょい + 燃油サーチャージ

もっと早く予約していれば もう少し安かったでしょう。

さてさて、フィジー経由で トンガへ向かいました。

なんか今年は カンボジア、フィジー、ツバル、バヌアツと よく海外に行ったりしてるから 国際線に乗る感覚が 新幹線に乗る感覚に近くなってきている・・・

しかも行き先はトンガ・・・
ガイドブックも要りません。地図も要りません。
なんだか ふるさとに帰るような感じです。 ドキドキ。



トンガに赴任してから3週間のトンガ語語学研修中にホームステイしていた家族に 事前に連絡して ホストファミリーの長女メリアメが空港まで迎えに来てくれることになった。

メリアメを 空港で発見!

全力で手を振って駆け寄る私。

メリアメが こっちを見た!

見た!

見てる!

まだ 見てる!

私の後ろを見てる!

私 ココ! そっちじゃない!

むちゃくちゃ自己主張しながら近づいて行くと ついに気がついてくれた!

「ええええ?! まさか きょうこがそんな髪型してるなんて夢にも思わなかったらから気がつかなかった!そんな髪型してたら 気がつかないでしょーーー!」と メリアメ大爆笑。

見たか マッチ棒ヘア の威力を。 笑いのツボは万国共通。

メリアメの車に乗って 空港から街へ。

なんだか 本当に夢を見ているような気持ちだった。
目に入る景色が 懐かしいというより 夢なのか現実なのかわからないような感じ。

街について、まずJICA事務所へご挨拶。
その後、隊員さんへのお土産を置きに、JICAドミトリーへ。

ほどなく隊員の方達が ちらほら。

みな 懐かしい顔ぶれ。 元気そうで何より!
中には トンガ人化というよりも 野生化 野猿化 プロゴルファー猿化している隊員もいますが 気にしません。


夕方になって、ホストファミリーのおうちへ。
夕食をがっつり食べ わいわいみんなで騒いで トランプして 就寝。


トンガ2日目!!!

ついに 船でエウアへ向かいます。

朝ごはんも ばっちりです!!


ばっちりすぎです!!

どっしりです!!

さすが トンガ。 こんなに食べたら 船で吐くよ。 でも 食べたけど。
港までホストファミリーが送ってくれた。

港に着くと、「キオコ!?」とエウア人数名に声をかけられる。
まだ 覚えていてくれたのね。あたしの髪の毛が 綿棒の先っぽみたいになっても 認識してくれるのね。 ありがとう。

トンガ人「どうしたの?!」
私   「帰ってきたの」
トンガ人「旅行で?」
私   「ううん。 明日結婚するの」
トンガ人「誰と?!」
私   「○○(エウアの人の名前)と。 もう子供も生まれるの」
トンガ人 → 大爆笑

ああ これこれ。この小学生みたいな話のレベル。懐かしいなあ。楽しいなあ。
そこで気がつく。

あれ?あたし 意外と トンガ語まだ 話せるじゃん?!

やるぅっ! きょんちゃん やるぅ!

テンション上がってきたけど 船が出航する前には精神を落ち着かせ 眠りに落ちないと 絶対酔う。
と 精神滅却して 眠りの世界へ・・・

「キオコーーーー! モヘ ア キオコーー(きょうこ 寝てるぜー)」

うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!
眠れん、ぜんっぜん 眠れん!

すると 遠くにいた欧米人の女の子が 私に話しかけてきた。
女「あなた もしかして キョウコ?」
私「はい。なぜ 私の名を?」
女「私は今 エウア高校で働いてるけど みんな あなたの話をよくするから あったことなかったけど すぐわかった」
私「えー そうなんだー」
女「何度もあなたの話を聞いたわよ。」

と 彼女が聞いた「きょうこ話」を語りだした。
エウア高校でどんな活動をしただけでなく、非常にプライベートなことまで知っていたので まじで びびった 
三輪明弘に プライベートな部分をのぞかれた気分だ。会ったことないけど。

海は大荒れで 海水はザバザバ入ってくるし、改めて 何故この船が沈まないのか不思議に思った。

3時間半かけて ようやくエウアが見えてきた!
船が港に着くと 懐かしい顔がちらほら・・・ 

船を下りると 即効エウア高校の先生につかまる!

お互い ギャーーーッと悲鳴をあげながら 大爆笑しながら 抱き合う。
私 窒息寸前。 お肉とお肉に 埋もれる。
そしたら エウア高校の仲の良かった先生6人くらが港に来ていて

もう 大騒ぎですよ!! ギャーギャー叫んで、 笑って。

こんな風に 本気で 心の底から 再会を喜んでくれる人達がいるって 幸せだなあ。。。

「Finaly the queen of eua has come back! 」と みんな大声で叫んでた。
しかも このマッチ棒ヘアが 非常に好評だった。
「似合う」といわれた。 女心としては複雑だ。

ひとしきり騒いだ後、本日の宿、エウアの友人宅へ向かう。

しかし そこで私はやられた。油断していた。

出発前日に電話で確認したのに、その家にいったら

誰もいなかった・・・・

でた!でたでた! トンガじーーーーーん! 約束守らねーーーー 

やれやれですわ。

途方にくれる私に その家の隣人(親戚)が 
「じゃあ うちに泊まればいいジャン!!」と私を引っ張っていき
この日は そのうちに泊まることになった。

どうやら 私が約束していた家族(エウアで非常に仲良くしていた家族)は 教会の用事で前日トンガタプに行ってしまったということ。もしきょうこが来たら 世話してやってくれといわれていたらしい。

にしても、だったら出発前日に言ってくれれば 今日からエウア高校に泊まったのにぃ! むむーーー

でも その夜は 久々のトンガンフード! ウム料理!
やったーーーーー!!

でも 私に渡された皿に入っているウムは 他の人のそれより1,5倍の大きさ。
しかも さらにもう一個渡される。

私   「こんなに食べられないよ!?」
トンガ人「去年は ペロっと食べてたよ? 日本に帰ると 胃袋が小さくなるのか?」といわれた。

どうやら私の胃袋は 日本人女性の平均の大きさまでにもどったらしい。
というか トンガにいた時 あたし 相当 相当 相当 食べてたわ。。。

夕食が終わり 教会に行って 賛美歌や説教を聴く。
賛美歌を聴くだけで 目頭が熱くなった。


教会から帰って 歯ブラシして さあ寝ようという時に

「できたよ~!!」という声。

何が?

これです。


ファイカカイという 芋をつぶしてもちっぽくしたものに 砂糖とココナッツシュガーを混ぜたお菓子が。

できたそうな。

おーい おーい

今 夜中の10時ですよ?



ま 食べたけどね!!

ちなみに これ翌朝の朝食。


ヘビー級 チャンピオーーーン!!