before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

PEACE DAY 8 目的達成!

2007-12-09 13:35:55 | トンガ 青年海外協力隊活動記
とにかく 任期の最後の最後に 生徒はもちろん 同僚ともすごすことができ
本当に いい思い出となった。
いい意味で 期待を裏切られる結果となった。
振り返って思うことは、やはり、2年経って 同僚との関係も深くなったからこそ
今回のように成功したのだと思う。
トンガに限らず、どんな国だって、よその国から来た小娘が あれこれ新しいことや、目立つことをしたら、バッシングしたくなるのは当然だ。
トンガには トンガのやり方があるし、よその国の小娘が一体何ができるんだ?と鼻で笑われて当然だ。
だから 2年という期間だってとても短いものなのに、それなのにエウアの人たちは私を理解してくれ 受け入れてくれた。 それは 本当に 感謝すべきことだ。

そして 今回 PEACE DAYをやって 本当に良かったと思うことがある。
私がこのPEACE DAYをやろうと思ったきっかけは
昨年11月の暴動後、トンガタプの街が廃墟と化した。その後始めてのエウア高校全校集会で
「トンガはかわいそうだ。こんなことになってしまって、トンガだけでは立ち直れない。でもどこの国もたすけてくれない。日本はラッキーだった。原爆が落ちても アメリカが助けてくれたから今のように発展した。でもトンガは違う。かわいそうだ。この状況が少しでもよくなるように 皆で祈ろう。」

と校長先生が全生徒に向かって言った事が きっかけだった。

暴動後、常に私が疑問だったことは トンガ人みんなが他人事のような意識でいることだった。今こそ トンガ人が力を合わせて頑張るときじゃないの?!と勝手に熱くなっていた。そんな中、校長先生の発言を聞いて、
「おいおい!違うだろ!確かに日本は戦後いろんな国に助けられたけど、大事なのは日本人が自分達の力で国を立て直そうとしたことだよ!自分達の力で立ち直ろうとしない国に援助したい国は世界中どこにもないよ。第一、暴動と戦争、原爆を一緒にするのはどうなのさ?!」
と 思った。でも トンガ人は 「知らない」んです。
既に書いたように、歴史は選択科目の一つだし、教師でも歴史を学んだことがない人だっている。特にエウアは 情報源が乏しいから 今世界で何が起きているのかを 知ることができないし、知ったとしてもそれをリアルに感じることができない。

そういった経緯で開催を企画した。
「過去に起きたことをしる大切さ」「人間は間違いを起こす生き物だから、大事なのは二度と同じ間違いを起さないよう努力すること」ということを 伝えたかった。

PEACE DAY 初日、私がポコ教師の一件で大泣きする前、
校長先生が 展示を見に来てくれていた。長い時間かけて展示を見た後、
校長先生は 私のほうに来て
「キオコ、本当にすばらしいね。今日エウア高校は ミュージアムになったよ。
 生徒達をみてごらん。すごく真剣だね。生徒達だけじゃなく 教師陣もだよ。
 キオコに感謝してもしきれない。
 キオコ、私はね、歴史をきちんと学んだことがないんだ。だから、日本は原爆が
 落ちてラッキーだったという見方をしていたの。というのも、原爆が落ちて戦争
 が終わって 原爆を起爆剤に日本は今のような発展を成し遂げたと思っていた  の。でもね、今日、私が どれだけ間違った見方をしていたかわかったんだよ。
 焼け焦げた人の写真、水を求める人々の様子を見てね、ああ これは実際に起き たことなんだ。これが原爆、戦争なんだ。そして実際被害にあっているのは私達 と同じ人間、家族なんだ。と思って すごく胸が痛くなった。
 原爆のことだけじゃなく、今までラジオで聞いていたイラクの戦争とか今世界で
 おきている紛争が、今日 初めてリアリティを持って感じられたの。
 これまでは どんなにひどい戦争の話を聞いても 自分とは関係のない世界のお 話という捉え方しかできなかった。でも これからは違う。
 本当に ありがとう。
 今日、キオコは エウア高校を世界のレベルに持って行ってくれたよ。エウア高 校史に残るね。
 私はこのことを一生忘れないし、生徒も一生忘れないよ。
 本当に 本当に ありがとう。」

と 涙を流して言ってくれた。
私の方は、私にこの機会を与えてくれた学校に本当に感謝していたので、
逆にそんなことを言われて また泣いた。

このPEACE DAYの開催のきっかけは 校長先生の一言だったので、
校長先生一人でも このPEACE DAYを通して 見方を変えてくれたことが
本当に 嬉しかった。

また、「キオコ、こんな原爆がトンガに落ちたら、絶対トンガは全部の島が壊滅だね。ひどいね。なのに大国はまだ原爆を持っているんだよ!信じられない!」と言ってくる生徒、教師が何人もいた。

なんでも まず「知ること」から始まる。
彼らが、次にラジオで 戦争の話を聞くとき、少しでもそれがリアリティを持って伝わったのなら、少なくともトンガでそういう悲しい事件が起きる可能性は減るのではないだろうかと思う。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
忙しかったけど でも ほんっとーーーーーにやってよかった!
そして、やっぱりいい思い出になった。
結局 また幸せをもらった。いつも エウア高校の為になにかしたくて 頑張るけれど 結局最後には またエウア高校の生徒と教師から
幸せをもらったことに気がつくのだった。

PEACE DAY 7

2007-12-09 13:03:04 | トンガ 青年海外協力隊活動記
今回 同僚がみな 本当に協力的だった。
というか、皆本当に興味を示していた。
自分の仕事をほったらかしにして、ずーっとDVDに見入っている教師、データーをちょうだいといってくる教師、など等。
私の姉のような存在の同僚のアヒも なんと鶴の作り方を覚えて それを生徒に教え、千羽鶴作成を手助けしてくれた。
外国人に鶴の作り方を教えたことがある人ならわかると思いますが、外国人が鶴を覚えるのって本当大変なんですよ!しかし 同僚達はみんな鶴の作り方を覚え 一人10羽は作っていた・・・すごい。
鶴の羽に 平和へのメッセージを自主的に書く同僚や 「KYOKO I LOVE YOU」と書く小学生知能レベルな同僚やら さまざまですが、鶴を作ってくれたことに本当に感謝している。

しかし やはり いいことだけではありません。人生というものは。はい。

私が 生徒の対応でむちゃくちゃ忙しい時に
「キオコー こいつがキオコに一言言いたいってさー」
と 教頭がニヤニヤして言ってきた。教頭は本当考え方や行動がガキ(同僚のほとんどが認める)なので、嫌な予感がして 無視していたら
その教頭に促されて 別の教師が「キオコ じゃあ パールハーバーはどうなんだ?」と言ってきた。しかも ニヤニヤして。

あーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう 絶対からかってるだけだよ こいつら。
と思い 完璧無視した。
そしたら 教頭が 私が怒っていることに気づき 私の機嫌をとろうと(注 こんなことしてるけど教頭は 私のファン だから私が怒るとオロオロする)わざわざ展示の方までやってきて いかにも関心があるようなふりをしてる。
んで しまいには「Don't touch」と書いてある展示物に 触り、「おー ソーリー」なぞと 言っている。
この ガキ!!
と思い 沸点に達し
「さっき なんであんなこと言わせたの!?ただ 私をからかいたいだけなんでしょ?! 言いたいことがあるなら どうしてはっきり言わないの?!」
というと 「へ? だって 僕はあいつが何言うかしらなかったんだもん。あいつがキオコに何か言いたいっていうから促しただけだもん」
というので
「二度と あたしに話しかけないで。二度とここにもこないで。今 私が展示して生徒に伝えようとしていることは、ジョークのネタにできるようなものじゃないの!」と言い、 他の資料をとりにPCルームに行った。
PCルームに入ったら

怒りと 疲れと なんかすべてが ごっちゃごちゃになって
泣けてきた。泣き始めたらとまらなくなった。
まだ スタッフルームでは PEACE DAYが続いているから 早くもどらなきゃいけないのに こんな泣き顔では戻れないよー と思い ドアをそっと開けてスタッフルームの様子を伺うと

同僚数名が こっちを見ている!しかも 心配している!

だーーーー 絶対あたしが泣いているって気づいてるよー あーバレたくなかったのにー

と思っているうちに 今度は 校長先生とレルがPCルームにやってきた。
校長が 「今日一日 本当に大成功だったね。」
というので「はい!はやくスタッフルームに戻らないと・・・」と PCルームを出ようとしたら「キオコ、Is everything allright?」というので、「うん」というと「本当に?」といわれ、また泣いてしまった。

校長いわく、私と教頭のやりとりを聞いていた同僚が、そのいきさつを他の同僚に話し、「教頭は なんて失礼なことをしたんだ!きょうこがかわいそうだ!」と同僚のみんなが大騒ぎしているのだという。それで、キオコがいなくなったので 絶対どっかで泣いているに違いないと 校長の方まで話がきたので 私を探しに来たのだと言う。
「キオコ、エウア高校の一教師として 本当に誤りたい。あんなポコ(ハゲ野郎)どもの一言で このエウア高校史に残る一日を台無しにされてたまるもんですか!
キオコが知ってるように、ここトンガでは 少しでも変わったことや 目だったことをすると、それをバッシングしたがる人が多いのよ。でも ポコ以外の同僚みんな 今回のPEACE DAYをすごく楽しんでいるし、教頭達の行為に 怒りを覚えているんだよ。」

と言ってくれた。校長でもある人が、ポコ(ハゲ野郎)という汚い言葉を使ったことに驚いた。
「私は 彼らの発言に怒っているんじゃなくて、彼らが戦争をジョークのネタに使ったこと、深く考えずにただからかったことに腹が立ってしかたがなかった。
彼らがジョークじゃなくて、真剣に質問してくれたら 全然問題なかったのに。
私だって、今回 本当はもっともっと第二次世界大戦のことも深く説明したかったし 原爆のことだけを取り上げて、生徒が(アメリカはひどい国だ)とか(日本はかわいそうな国だ)と言う捉え方をしてほしくなかった。でも本当に時間がなくて、レルと相談した結果 原爆だけ取り扱うことにした。
それでも日本が始めた戦争だし、日本だって他の国にとてもひどいことをした。歴史、とくに戦争にはいろんな側面があって 原爆は第二次世界大戦の一側面にしかすぎないことを 伝えたかった。だから一生懸命 生徒に (これは日本が始めた戦争なんだよ)とか アメリカはひどい という生徒には(それは違うよ。日本も悪いことをしたんだよ)と言っていた。朝の朝礼の時だって そういうことを言ったのに、教頭達は遅刻して朝礼に参加してなかった。協力もしなければ 聞く耳も持たないくせに そういう人達に ただからかわれて 本当に悔しかった。そして 何より 戦争を実際に経験した国である 私たち日本人にとって 戦争をジョークのネタにすることは あり得ない」

と言って 愚痴を聞いてもらった。 
校長先生は 「キオコ、私がさっきスタッフルームで言ったこと覚えてる?(後に記述)今日 私は 本当にあなたのしたことを誇りに思っている。そしてわたしだけじゃなく、もちろん生徒だけじゃなく、ポコ以外の全同僚がそう思っている。あんだけ 自主性もやる気もない教師が 自分の仕事をほっぽらかして あんだけ真剣に展示物を見ている姿を わたしは始めて見た。ポコの発言に 同僚みんなすごく怒りを覚えていることからも それがわかるよ」

といろいろ優しい言葉をかけられ また涙が出た。
で、そろそろ片付けの時間だ。とおもい スタッフルームに戻ると・・・・
なんと・・・・・

同僚10名くらいが皆スタッフルームにたまって 片づけを手伝っていてくれた。

こんなこと トンガではあり得ないことなんですよ。

それを見た瞬間 また泣けてきた。
私を みた同僚達は 「あんなポコの言うこと 気にするな!」「あいつらは カセレ(便所野郎)だ!」と口々にいい、「本当に キオコにすまないと思う」と真剣に言ってくれる人もいた。
みんなで わいわい言いながら 片付けた。私は また涙 涙 だった。こんどの涙はうれし涙だった。私の泣き顔を見て、男性教師陣はテンションが上がり、「キオコ、キオコ、アイシテイマス」と言ってきて 大笑いだった。
片付けた後も、同僚達が 楽しそうに一緒に鶴を折ってくれた。

生徒だけじゃなく 教師といっしょに なにかできたことが 任期の最後の最後に本当にいい思い出になった。

写真は 同僚と。

PEACE DAY6

2007-12-09 12:57:39 | トンガ 青年海外協力隊活動記
これも 生徒と同僚みんなで作った「平和の木」

平和な世界になるためのアイデアやメッセージを書いてください。

というコンセプトで、緑色の葉型の紙を用意した。

さすがに2年もトンガで働くと たいていのトンガ人の行動はよめる。
なんで、開催前は「どーせ みんな I LOVE PEACE! とかそういう簡単なことしか書かないだろうな。また、趣旨を理解せず 自分の名前だけ でっかく書いたりするんだろうな。」と思っていた。
木が 葉っぱで埋まるかどうか心配だった。

ところが! ところが! ところがーーーー!
予想を 180度裏切る結果に!

みんな紙を受け取ると、一生懸命考えて書いていた。
トンガの生徒って 本当に自主性がないのだけれど
この平和の木は 私が「書きなさいよー!」と言うまでもなく、勝手に生徒達が書いて 木に貼っていった。
生徒達が書いた内容を読んでみると、意外にもしっかりしたことを書いていて
感動した。
本当にやってよかったと思った。

PEACE DAY5

2007-12-09 12:48:09 | トンガ 青年海外協力隊活動記
みんなで折った 千羽鶴。

二日間で320羽もおりました!

中にはずーーーっと折り続けている生徒(私の日本語クラスの生徒)もいました。
出来上がる度に
「できたよーー!見て見て!」と持ってくるのでした。

「これを 広島にもっていって “トンガからです”って渡すんだよ。」
というと、皆  「本当?!」とすごく嬉しそうにしていた。

PEACE DAY3

2007-12-09 11:54:24 | トンガ 青年海外協力隊活動記
何が びっくりしたかって、
同僚レルのやる気だった。準備段階は「やっぱ トンガ人だよー」と思わされるやる気のなさっぷりだった。
しかし 当日 生徒を10人ずつ連れてきて 展示内容を一つ一つ細かく説明しだした。私も原爆について知識はあるけど、それを英語で説明するのは大変だったから、歴史教師のレルが生徒にわかりやすく説明してくれて本当に助かった。
かくして 原爆展ツアーは とぎれもなく続いたのだった。

開催前、トンガの暴動のことに触れるのは 外国人がすべきことではないから
PEACE DAYでは扱わないけど、でもやっぱり暴動のことも思い出してほしいし
そのためには PEACE DAYにトンガ人を巻き込むことだ。と思っていたけど
この2年の活動を通し、トンガ人を巻き込むことの大変さは十分わかっていたし

また 彼らは村社会の人間なので こういった変わったことをすると
ひやかしたり、バカにしたりすることが 多いのです。

なので、一緒にやろうね!と言い 確かに準備も多少手伝ってもらったけど
正直 あんま期待してなかった。

だが、任期の最後の最後に トンガ人教師が 本当に一緒になって PEACE DAYを開催してくれた。

写真は 原爆展ツアーを開催中のレルと生徒

PEACE DAY 2

2007-12-09 11:41:13 | トンガ 青年海外協力隊活動記
まず 朝礼で「PEACE DAY」の趣旨を全校生徒に伝えた。
「歴史をとっている生徒は手を上げてー」といったら なんと
約10名以下!!
そう、トンガでは 歴史は選択授業の一つで、マイナー科目の一つなのです!
だから残りの490人は歴史を学ぶことなく 学校を卒業するのです。。。

簡単に 第二次世界大戦のこと、原爆のことを説明し
「トンガでは このような戦争がおきたことはない。でも平和を考える時、過去の悲劇を考えず 平和を捉えることはできません。だから知ることは平和への道です。興味のある生徒は是非見に来てください。」
と言った。

その直後、同僚のレルがやってきて「キオコ、これはすごくいい内容だから、まず歴史の生徒全員を強制的に連れてこさせよう。5人1グループにして。」
というので、
トンガ人の意外なやる気にびっくりさせられた。

で、蓋を開けてみると・・・・・

大 大 大 盛況!!

写真は展示に群がる生徒


PEACE DAY 1

2007-12-03 12:54:50 | トンガ 青年海外協力隊活動記
ちょうど一年前のブログで「PEACE DAY」を開催するのだ!と意気込んでいたのをおぼえていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

有言実行、やりたいと思ったことは四の五の言わず行動に移すが モットーなわたくし。はい、この帰国準備でくそ忙しい中 2日間 エウア高校でPEACE DAYを開催しました!!

いやあああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これがねえー
大 大 大 成功だったのだ!!
正直忙しすぎて、Peace dayの準備が全然できてなくて、資料は広島の原爆資料館に依頼済みで、すでに受け取っていたんだけど どう展示するかとか、配布資料等々の準備は全然できてなかった。

でもねー まあねー これはねー 自画自賛?になっちゃうなー なっちゃうんだけど、でも言っちゃう。
この2年、エウア高校で去年と今年開催したJapanese weekで500人の生徒と20人の教師をたった一人で一週間動かした経験がね!活きましたよ!
もー あのJapanese weekに比べたら!!パパパっと準備できちゃいましたよ!
しかも かなりすばらしいものが!

写真見て!もうこれ ミュージアム並みでしょー 
まあ 原爆資料館が送ってくれた資料の内容がかなり素晴らしいものだったので、
貼るだけで ミュージアムになるんだけどね(笑)

内容は
1 原爆資料を展示
2 DVDを上映
3 千羽鶴作成
4 平和な世界を作るためのアイデアを生徒に書かせて それを大きな模造紙に
  貼って PEACE OF TREEを作る

というもの。

本当は 日本の原爆のことだけじゃなく、第二次世界大戦の背景や カンボジアの地雷のことや、今起きている戦争についても 紹介したかったんだけど
なにせ 時間がなかったー(T3T)
それと 協力者の同僚レル(歴史科の先生)が
「キオコ これで十分だよ!欲張りすぎないことも大事だよ!」というので
今回は 原爆の脅威を通して 平和を考えてもらうということと
こういうことが 世界のどこかで 現実に起こっているのだということ
それから 日本は戦争を経験した国だということを

生徒に知ってもらうことを目標に 開催した。

24時間の涙

2007-12-01 18:18:29 | トンガ 青年海外協力隊活動記
結局 文集が仕上がったのは夜中の3時。
その後 学生達を 自宅まで送って、校長先生と同僚のレルと私の3人でコーヒーを飲みながら オフィスで深夜のくだらないハイテンショントークをしていたところ
ここ1週間あまりに忙しくて すっかり忘れていたことを思い出した。

なんと 同じ教員住宅にすんでいて いっつもジョークばっか言い合っていたシオネという新卒教師が
Diplomaを受け取りにトンガタプに今日行ってしまうということを!!!

この1週間 忙しすぎて朝から翌朝まで 学校に入り浸っていて 自宅に帰るのはシャワーを浴びる時だけ(2日一回)だったので シオネとゆっくり話す時間がなくて すっかり忘れていた!

しかもシオネの乗るボートは あと2時間後の5時に出航する!
運よく この日は カラプ
(お金を集めるために行われるかなり規模の大きいカバパーティー ※カバ・・・南太平洋ではとてもポピュラーなアルコールに代わる嗜好品。トンガは男性だけが飲むことを許され、毎週末、または何かイベントがあるたびにカバパーティーが開かれる。飲むと感覚が麻痺する)
がエウア高校のホールで開催されており カラプはたいてい夜明けまで続くので シオネもまだホールにいる筈!と急いで電話をする。
(オフィスからホールまでは徒歩20秒だが カバを飲んでいる人たちはちょっとおかしくなっているので 女性一人で行くのは危険のため。)

私 「シオネ!なんで行ってくれなかったの!?今日 トンガタプ(本当)にいっちゃうんでしょ?!
   そしたらもうエウアにもどってこないんでしょ?」
シオネ「あー うー キオコー??(注:酔っている)今どこにいる?」
私 「オフィスにいるから 来て! 港まで学校の車で送るから!」

と言って電話を切った後 ここ5日間の睡眠不足がたたり ふかーーい眠りに落ちた私・・・。ひどい・・・。
で、結局30分後に シオネがオフィスにやってきた。
私 「ひどい ひどい!なんで 教えてくれなかったのーー! もう会えないじゃんかあー!」
シオネ「だって キオコ めっちゃ忙しそうだったんだもん。 心の中で伝えたんだけど 届かなかった?」
私 「カセレ(便所野郎!)そんなん伝わるかよ! つーかまだお別れのプレゼントももらってないよ!」
シオネ「だからエウアにもどってこないで 本島に残って キオコを見送りに 空港にいくんだよ」

だあーーーーーーーー
そうだったの?!知らなかったー 知らなかったよー
でも そういやあ 最近やけに シオネが優しいなあとは思ってたんだよ。
眠いし びっくりしたし 船の時間も近づいてるし とりあえず そこらへんになっているバナナを一個もぎ取って 「ありがとう」といってシオネに渡し、 同僚のレルと私でシオネを港まで送った。

港まで車で3分。車の中で、いつものように 3人(3人とも教員住宅にすんでいてかなり仲良し)で下ネタとかswearを言い合った。

でも 港に着くと 急に涙がとめどなく でてきた。
何度も見てきた 早朝の船。
それに1週間後に乗る私。
シオネともうエウアの教員住宅で 笑い合うことはもうない事実。
毎日 毎日 シオネを初めとする同僚みんなで ふざけあった時間。
シオネがこの船に乗ったら 
何かが一個終わる。
そして 次にわたしがこの早朝の港に来る時は
全部が終わる。

シオネ「キオコ だいじょぶだよ また本島で会えるじゃん」
レル 「カセレ(便所野郎!) キオコは いっつもすぐ泣くんだからー!」

全て わかっていたことだけど こうやって ひとつ ひとつ と 終わりがくる。
今まで 頭ではわかっていても 現実味がなく いまいち実感がわかなかったけど
この夜 すべてが現実となった。

ああ 私は あと一週間後の 同じ時間に この島を 去るんだ。
それが どんなに辛いことか ようやく現実を帯びて 一気におそってきた。

アホのシオネも なんか涙ぐんでるし、いつもはジョークを機関銃のようにいい続けるレルも無言。
で ボート出航の時間が近づいて とりあえず シオネとは またトンガタプで会えるから といって別れ
車を出した。
でも レルが「なんか 今 学校にもどりたくないね。」というので、レルが煙草一本吸い終わるまで もうすこし港にいることにした。 車の中から 二人でシオネの乗ったボートを 眺めながら 
私とレルが作った エウア高校の歌を歌ったりした。
でも 私は 涙が 本当に とまらなくて困った。
「シオネと一緒に今年の卒業式を迎えたかったね」とレルがボソッと言って また涙が溢れてきた。
が、その瞬間 シオネの乗ったボートに むっちゃでかい馬が乗り込んで行く様が見えた。
定員50人くらいのボートに ばかでかい馬といっしょに乗って 2時間の船旅をしなければいけないシオネを思うと 笑いがとまらなかった。 ぜったい 臭いだろー  

「そろそろ行こうか」と レルが車を出したら 船の屋根の上に乗っかって 何かを叫びながら大きく手を振っているトンガ人が見えた。
「どうして深夜って ああいうアホな人がいるんだろうね・・・・・! え!? あれ シオネだよ!」
そう それは まさしく シオネだった!
「馬鹿だねー あいつ ずっと船の屋根に乗って なんか言ってたんだよ。気がつかなかったねー」
と 二人で笑いながら 泣いた。二人で 大声で「‘Ofa lahi atu!(Love you!)」とシオネに叫んだ。

泣いた。泣いた。大いに泣いた。 
で 学校に帰ったら 私の泣きっぷりが ひどかったので 校長先生が「きょうこ、今日はもう寝た方がいいよ」というので うちに帰った。 うちに帰って シオネに「あんた 馬鹿だねえ」と言いたくて 電話をしたら 言葉を発する前に 泣けてきた。
んで シオネが 「キオコには たくさん たくさん 助けられたよ。 本当にありがとう」というので
いっつもは くだんないジョークしか言わないくせに!と また 泣けてきた。
電話を切った後も あと1週間しかここにいられないということを考えると 嗚咽がでるほど涙が出てきて
わんわん泣いて 泣きつかれて いつの間にか寝ていた。
翌朝10時くらいに 目が覚めて
自分の部屋のカーテンの色が 青くて 「ああっ。よかった。あたし まだエウアにいるんだ。」と思った。
日本の私の部屋のカーテンの色は 白だから。

そんで 起きて パパイヤを食べたんだけど パパイヤを切りながら泣いた。食べながら泣いた。
ゴミを燃やしながら泣いた。洗濯をしながら泣いた。買い物に行く道で泣いた。誰かに「キオコ エー」と呼ばれるだけで泣いた。いつも見ている海を見て泣いた。1日中泣いた。たいてい土曜日は トンガ人とわいわい騒いで過ごしてきたけど 今日は一人でいたかった。

数日前、このブログで これは終わりじゃなくてスタートなんだ って書いた。
それは正しい。 今まで27年生きてきて いろんな終わりを経験して、その度にまた新しいスタートを切ってきたから、どんな別れでも 「新しい何かが始まる!」と思えた。
でも
今回は どんなに頑張っても そう思えない。
次のスタートに繋がるには、「終わり」が重過ぎる。
だから 「新しいスタートだ」なんて考えずに この苦しい終わりをありのままに受け止めて
泣くだけ泣くしかないのだろう。 それだけ 私はこの島を愛していて、島の人たちからたくさんの愛をもらったのだから。 苦しい終わりを迎えるのは その証拠だ。