before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

私が娯楽。

2007-01-19 18:48:51 | トンガ 青年海外協力隊活動記
あやしいタイトルですけど。

エウア島での娯楽。

トランプ。ネットボール。ラグビー。
港で泳ぐ。
木に登る。 なんとなく歩く。
食べる。
kavaパーティーにserverとして参加する。

その他に
タオルンガを踊る。

生徒のうちに泊まりに行った時 気がついたら 生徒の家族に服を脱がされ
タオルンガ衣装を着せられ
村人の前で踊らされていた。

私が 村人にとって 娯楽。
そして
私自身にとっても 娯楽。

娯楽が無いなら 無いなりに なんとかなるんですねー(なってるのか?)

ちにみに肌がテカテカしてんのは 太ってるからじゃなく
ココナッツオイルを塗ってるんですのよ。

お金を貼ってもらうためなんですのよ。

エウアの娯楽

2007-01-19 18:07:54 | トンガ 青年海外協力隊活動記
夕方は 老若男女 港で 海水浴!

うちの島には 娯楽が皆無なので 夕方みんな 港で泳いでいます。
ばあちゃんも かあちゃんも ガキんちょも 年頃の乙女や 思春期ボーイズも。

みんなで 大騒ぎです!

私は 学校が終わった後 あまりに暇なので
毎日泳いでいたら

「キョウコは オリンピックに出る」
と島中に噂され 
島で会うトンガ人に
「いつ 北京にいくんだ?」と よく言われる今日この頃。

エウアライフ

2007-01-19 17:48:21 | トンガ 青年海外協力隊活動記
去年の12月頭から1月21日まで 私の配属先のエウア高校は休みです。
この長い休みを 私は全て国内旅行に費やしました!
というか 離島全制覇にのりきりました!
いやあー おかげですっかり松崎シゲルですよ。真っ黒。
まあ 26歳のローング夏休みを アップする前に
我が島 エウア島での生活を振り返ろうと思います。

なあーんもない 離島での生活も 1年経ちました。
最初は 360度見渡す限りトンガ人、ノープライバシーの生活に慣れるまで本当に大変でしたが、
今ではすっかり離島ライフに どっぷりつかってます。
レストランやカフェがなくたって
お土産やさんが なくたって
バーがなくたって
小さな売店しかなくたって

やっていけるんですよ!

大事なのは 「人」。

人間 物資がなくても生きていけますけど

人との交流がなくては 生きていけません。

1年前は みんな知らない人だったのに
今は みんな知っている。

「島民は 老若男女 みんな 私に 片思い。」心の一句。

とにかく 今の状況を改めて見つめてみると
「ああ 一年間頑張って なんとか自分なりの方法を見つけて トンガ人と接していこうと努力してきて よかった!」と思う。

おかげで 英語をすっかり忘れ始めているけれど・・・。
トンガ語のほうが 話しやすい今日この頃。

写真は 隣人たち。
隣人つっても同じ棟なので 一緒に住んでいるようなもの。
くしゃみの声も 独り言も筒抜けっす。
写真は
仕入れた魚が でかすぎる。というネタで 30分も盛り上がった一夜の様子。

暴動の後に残ったもの。(つづき)

2007-01-18 08:51:52 | トンガ 青年海外協力隊活動記
今回の暴動で
私が一番ショックだったのは 「トンガ人がこのことをどう捉えているか」ということだった。
それを通して、日頃 (許せん)とか(嫌だなあ)と感じてていたトンガ人の考え方で私が納得できない部分が 伝わってきたからだ。

暴動後、私の学校で初の全校集会が行われたとき 教頭先生が全校生徒の前で
「トンガは 何てかわいそうな国だ。一部の人達のせいで こんな被害を被って。
 私達には 他の国と比べて資源もない。どうやって復興していけばいいのだ。
 日本はラッキーだった。原爆を受けて街が廃墟と化しても アメリカが助けてく れた。でもトンガはどこの国も助けてくれない。なんてかわいそうな国だ。
 今 私達はどうしようもない悲しみの状況下にあるけれど 神が必ず導いてくれ ます。みんなで一生懸命祈ろう。」

と堂々と言い放った。
もう その直後 「カッチーン!」ときちゃいましたよ!

まず、「戦争」と「暴動」を一緒にするな!「放火、略奪」と「原爆」をいっしょにするな!
アメリカが助けただと?!だって 原爆を落としたのは もちろん日本にも責任があるけど アメリカにだって責任があるんだよ!

トンガ人が起こした事件を よその国がよろこんで後始末するとでも思っていたのか?
ここの国の人たちは 「自分達の力で何とかしよう」という気持ちが大きく欠けている。

日頃信頼していた教頭先生の発言だったので、その後彼女といろいろ話したがつたわらなかった。

任期も残り11ヶ月。
日本語教師として赴任したけれど もっと大切なものを伝えたいと思った一件だった。
そこでいろいろ考えて、私の学校で 生徒対象に「PEACE DAY」というのを開催使用と思う。
これまで 「平和」=自分の国 と思い込んでいたトンガ人。
今回のことで 「平和」「暴動」「争い」「戦争」そして 「復興」ということに
程度はあれど 皆なにか感じるところはあったと思う。

しかし 日本のように情報が楽に手に入るわけではないトンガ。
今世界のどこで どういう戦争が起きているか 知っている人はあまり多くないだろう。そして 戦争、内戦があった国の人々が、どれだけ必死になって 復興しているか。知っている人はほとんどいない。確かに 彼らを援助する国はある。でも大事なのは「母国を復興させたい」と思う 彼らの気持ちだ。
トンガ人には それがないから。

「PEACE DAY」を通して 「自分の国を 自分で復興させようという気持ち」を生徒に知ってほしい。 残りの11ヶ月やそこらの任期でそういった気持ちを植えつけるのは難しい。だから 生徒には 「知る」こと。それだけを要求して やっていこうと思う。がんばりまっしょい!

暴動の後に残ったもの。

2007-01-18 08:30:35 | トンガ 青年海外協力隊活動記
一夜にして見慣れた街が廃墟と化した。(首都の八割が廃墟となった。)
日頃トンガ人に嫌われている中国人(中国人の多くはトンガでファレコロアという売店を経営している)は 店に押し入って略奪をし放火をし続けるトンガ人に恐怖を感じ、中国大使館に非難。そして多くの中国人が中国に帰国した。

私は日頃 離島にいるので3ヶ月に一回しか首都にはあがらないけど
それでも 見慣れた街が まるで内戦の跡地のように変わってしまった状況は
受け入れがたかった。
いつも買いものをしていたファレコロアや店が 放火され廃墟と化した映像をみて、「あの店のおじさんは どうしたんだろうか・・・」「無事だったろうか・・・」と胸を痛めた。
何よりショックだったのが、「フレンドリー アイランド」と形容されるほど穏やかで陽気な国民性をもつトンガ人が こういうことをしたということ。

トンガ人のごく一部が起こした事件だということは よくわかる。
でも
人間不信にならずにはいられない。

暴徒の中には、集団心理で「みんなやってるから」とかお祭り感覚で「楽しそう」といって参加した人が大多数で、私の生徒と同年代の学生もたくさんいたと聞く。

ショックだった。あのトンガ人が こんなことをするなんて。

そしてもっとショックだったのが、
ほとんどのトンガ人が 他人事のようにこの事件を述べていること。
確かに皆 「同じトンガ人がこんなことをするなんて」「私の国で こんなことが起きるなんて」と 大きなショックを受けていた。

でも 皆どこか「他人事」だ。
私が今回のことをトンガ人と話すと 「でもね これは一部のバカなトンガ人がやったことだから 私達は関係ないのよ!」とか 「なんてかわいそうな国だ・・・」などと言う人がほとんどだ。

私は 今回の暴動が起きたとき 大きな衝撃を受けたけど
それと同時に 今までずっと他国の援助にぶらさがって 「あれが欲しい これが欲しい。でも自分達は働きたくない」といった我儘を言っているだけだったトンガ人が ついに自分達の意思で 何かを変えようとしてる!
と ちょっと感動もした。
でも 暴動が起きて 街が廃墟になると はい 終わり。
みんな お手上げ。
復興は すべて 他国の援助を期待しているだけ。
私は、「この国が変わるのは 今だ。今がチャンスだ!」と思っていたのに。
今 がんばらないと この国は変わらない。

もともと トンガは 物質経済には向いていない。
でも、一度 物質主義のほうに流れ始めてしまっては もう昔のように
「ちょっと畑を耕して ゆっくり寝て ココナッツを採って食べて 日が沈んだら寝る」という生活をしていた当時と 同じ気持ちで暮らしていてはダメだ。
「これまでのような生活を続けたいけど、でもテレビがほしい。洗濯機も欲しい。」と不平を言い続けて、努力もしない。
でも そんな彼らを 援助好きの国々が過剰に手を差し伸べる。
そういう風に楽をし続けているツケは 援助国 被援助国 両方にやってくる。
今回のように。

2006年の出来事2

2007-01-18 08:03:43 | トンガ 青年海外協力隊活動記
それは 暴動・・・。

そうです!あまりに平和すぎて ついつい鍵をかけ忘れて寝てしまうほど(特に私の島)平和で、平和だけが取り柄のトンガで 暴動が起きたのです!

ツポウ4世は国民に人気があったので、トンガ国民も不満を爆発させることはなかったのですが、ツポウ4世死後、その息子5世は 国民に人気がない。というか嫌われている。
トンガは主要なビジネスをロイヤルファミリーが経営者となっている場合が多く、
「民営化してくれ」という国民の要求にも耳を貸さず
とくに新国王は ビジネスをいくつか握っている。

4世死後初の国会で、ストライキが起きたのですが、政府側はそれを受け入れず
今となっては 国民の感情を押さえる4世も他界し、残っているのは嫌われている5世。そして 事が起こった。

国会閉会日、ストライキをしていた一部が暴徒と化し、車をひっくりかえし、火をつけ、暴徒と化した。
彼らはどんどんエスカレートし 官営企業だけでなく 中国人、インド人の経営している店にも放火をはじめ、略奪をし 街はとんでもない状況に陥った。

フレンドリーアイランド の名が聞いてあきれる。
普段 これといって大きな犯罪もない国なので、警察もなす術がなく暴徒たちをただ呆然と眺めるのみだったらしい。。。。

わたしは このとき配属先の離島で海で泳いでいたのですが、JICAから連絡を受けてびっくり。でも2,3日 ラジオでしか情報がはいらず ようやくテレビや新聞で映像を見たときは ショックで涙がでてきました。

写真は燃える街。

あたいもお葬式ルック

2007-01-18 07:47:41 | トンガ 青年海外協力隊活動記
で あたいも お葬式ルック。
黒服に タオバラ(でっかいゴザみたいなのを体に巻く)を巻いて 国葬参加。

前述したように 国葬は 古来のものより幾分か簡略されていたのでしょうが
それでも 
約3時間くらいかかって 棺を手作業で土葬。
さすがに 全て終わる頃には 王墓につづく道をうめつくしていた見物のトンガ人も とっくに帰路についていました。

ってか あたし やっぱ太ったなー
あ、写真 右は 美術隊員の Kねごん さん。

2006年の出来事1

2007-01-18 06:40:06 | トンガ 青年海外協力隊活動記
あたしの住む島ではネットが使えないので 4ヶ月更新してませんでしたねー
本島にいる今 ちょっと去年のこともアップしてみようかな。

2006年の出来事

1 国王死去 (9月)
ギネスに公認 世界で一番大きい王様が ついに亡くなりました。
数年前から 「今年は もたないだろう」といわれ続けていましたが
ついに Tu'i Tupou Ⅳ が亡くなりました。
3世がなくなったときは 1年間 国家を挙げて喪に服したそうで、
1年間 国民は黒服 タオバラ着用で ラジオから流れる曲も賛美歌のみ、
催し物も 一年間開催不可だったそうで、、、。
しかし 21世紀。トンガといえど さすがにそこまでできないのが現実。
一応 公務員は 半年 喪に服すよう言われています。
つまり 半年間 2007年2月までは 黒い服着用です。トホホ。

さて、国王死去にともない 「国葬」が行われました。
日本の皇太子も来たよ。
トンガ人ですら 人生で見られるか見られないかの ビッグイベント(不謹慎・・・)で わくわくしているのだから 私も離島から本島に上がって
国葬を見に行きました!
すると びっくり!本島トンガタプ島は 黒一色!

国葬も 21世紀の合理主義を 完璧無視した 伝統にのっとるもので
改めて トンガを見直しました。

写真は 国王の棺を 王宮から王墓まで 担いで運んでいるところ。
担いでいるのは 国王の母校 ツポウカレッジのOBと教師陣。

Malo e lelei ki he ta'u ni(あけましておめでとう)

2007-01-18 06:07:07 | トンガ 青年海外協力隊活動記
あけめとう!
2007!
2006年はいろんなことがありました!特に年末は トンガ的にも 私個人的にも いろんな ショッキングなことがありました。
トンガのことでは 国王崩御 国家全体で喪に服し国が黒一色になる 現政府に不満を持つ一部のトンガ人が暴徒と化し 首都の八割が廃墟と化す。(放火、略奪・・・)特に 暴動は 本当にショックでした。
自宅待機をJICAから命ぜられていたので、2,3日後に 離島で流されたテレビの映像をみて イラクの映像かと思ったくらいでした。
フレンドリー アイランドと言われているこの国で こんなことが起きようとは。
涙がでてきました。

個人的にもいろんなことがあり 一時 もやしのように生きていましたが、
友人達のおかげで なんとか 復活?
いやあー 友だちは サイコーですよ!

ま、とにかく 任期ものこすところあと10ヶ月!
後悔のないように やりたいこと やって 大暴れして帰りましょう!

離島に帰るまであと5日間しかない!それまでにブログがんばってアップせねば・・・。
では
世界のみなさん、今年も よろしく おねがいいたします。