before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

行動して学ぶこと(届けるモノについて)

2011-03-27 21:22:57 | 日本での暮らし・考える事・思う事

やっぱり

こういうときは、

元青年海外協力隊としては、

現地に行って何か手伝いたい。
自分の身を捧げてでも 何か力になりたい。

と思ってしまいます。


しかし、今行ったところで素人の私にできることなどなく、逆に現地の人達の貴重な食料や石油などを消費するだけで邪魔になるだけでしかない。

ということで、自分に出来ることを一つずつやっていくことにしている。

まずは 赤十字に募金した。

先週の土曜日は、知人の会社が有志で千葉県の液状化の影響で積もり固まった泥を かき出す作業をするというので、その会社の人達に混じって 6時間 泥をかき出した。

で、都庁が救援物資を受け付けていたので 仕事のお昼休みを使って 都庁にダッシュし 同僚と一緒に 大人用オムツと 生理用品、体もふけるウェットティッシュと ホッカイロを届けた。

そして 今日は、とある団体が 救援物資を受付ているので、これまた職場の同僚と一緒にお手伝いに行った。
業務は 物資の受付と仕分け。

東北の人が、苦しんでいるのに、福島の原発では命をかけて作業をしている人がいるのに、自分は毎日普通に暮らしていていいのか、、、という思いは日に日に募るばかりだけど、
こうやって 何か行動をしていると、ちょっと気持ちが落ち着く。

結局のところ自己満足なんだけど でも一つ一つの行動が 少しでも東北の人に役に立てば、、、と思い 心を込めて作業をしている。


それにしても、それぞれのボランティア受け入れ先で、関東の人達が こうやって結束して何かをしようとしている姿を見るのは ちょっと感動だ。

泥かき作業は、ある会社の有志の方たちが発起人となって活動をしていたのだけど、本当にみなさん思いやりのある人で、
一緒に泥をかきながら、「東北の人たちはもっと辛いのよねー」なんて言いながら みなさん ほっとんど休まず6時間泥と格闘した。

都庁には 山のような物資が届いていて、仕分けボランティアは 毎朝 わずか20分でボランティア受付が締め切られたらしい。

そして 今日は某団体のお手伝いだったけど、朝9時から夕方5時まで、途切れることなく物資が届いた。
そしてボランティアのみなさんは これまたほとんど休まずに仕分けをした。

関東も捨てたもんじゃない、、、

自分は東京に生まれたので、よく地方の人から「東京の人は冷たい」と言われてきたし、自分も そう思っていたけど、
東京の人も やっぱりあったかいじゃん!と 思う今日この頃。


さてさて、本題。

今日、実際に仕分けして思ったこと。

都庁の物資受付の際に、都庁のホームページに掲載されていた「受付物資」について、なんか 制限が厳しいなあー と思っていた私。

---都庁の受付品目(未使用のもの)-------------

  1. 赤ちゃん用品
    熱さまシート、紙おむつ(新生児S、M、L、ビッグサイズ)、おしり拭き、ベビーローション、ベビーオイル等
  2. 高齢者用品
    大人用紙おむつ、介護用ウェットシート、介護食用とろみ剤等
  3. 生活用品
    コンタクトのケア用品(洗浄液、コンタクトケース)、使い捨てカイロ、生理用品、紙コップ、サランラップ等
  4. 飲料水

-------------------------------------------

「こんな事態なんだから、洋服とか毛布とか、食料も受け付けてくれればいいのに」

とか

「なんで、未使用の物だけしか受け付けてくれないんだろう。湯たんぽとか、ランプとかだったら 使用後のものでもいいじゃん」

って思ってたんだけど、、、、、


今日、痛感しました。

やはり、「洋服は新品もしくはそれに準ずるレベルのものがよい」「洋服以外も 出来る限り新品及び新品に準ずるもの、未使用、食品は必ず 新品、未開封のものがいい!」
ということを、、、

というのも
今日の団体は、今日の団体は 洋服も受け付けていました。 洋服は 新品 OR 選択済み のもの という制限でした。
その他の生活雑貨も 食料も 幅広く受け付けていました。
その結果、
やはり 仕分けていく段階で、、、、
「これは、、、、さすがに、、、、送れないよね、、、、、」 と 仕分けした人ほとんどが そう判断せざるを得ないレベルのものがたくさん出てきてしまうのです。
いくら 非常事態だからといって、、、、、
「これは、、、、 単にいらないもの、捨てる予定だったものを 持ってきていないか?」と 思ってしまうような残念なものも、、、


これは自省も含めててですが
自分が使った物、着ていた物って 愛着もあるし やはり贔屓目で見てしまうけど、他人から見たら、やはり古着なのです。

いくら非常事態でも、着ることに躊躇してしまうような状態の服を送るのは、、、、
髪の毛がたくさんついたピンや ゴムとか、、、
かなり汚れたぬいぐるみとか、、、 
食料も同じで、使いかけの調味料とか、、、正体不明の海外の食品とか、、、 

ちょっと 「うーーーん。どうなの?」 と迷ってしまいます。 


これまでの災害支援では、物資を送る側のみでの協力だったので、
今回 仕分ける側、実際に取りまとめる側になってみて、初めて学ぶことがたくさんありました。

これまでは 自分も、「現地の人は きっと 物資がなくて困っているから 使い古した毛布や洋服でも きっと無いよりはましだろう。一枚でも、一つでも多く送ってしまおう」と思っていたけど、
自分の持ち物に対する基準は やはりちょっと緩かった(贔屓していた?)と思う、、、(^^;)

こういう線引きって 難しい。

そして 今日 作業していて得た情報ですが、

こういう時

自衛隊が かなりの量の毛布を持って行っているので、毛布などは十分足りているということだし、

洋服も、他のどんな物資よりも集まりが良く、これ以上受け付けても配布しきれないほど届いているということだったし、、、、

そうなると、、、、

量をたくさん送るのではなく、 必要なものを必要な分だけ そして求められているレベル(状態)のものを 送ることの大切さを学びました。

だから、、、やはり 可能であれば 新品、もしくは ほぼ新品に近い状態のものがいいと思う。
特に 洋服などは提供者が非常に多いので、ちょっと状態の悪いものならば送らず、いいものだけを送っても 十分足りるのだということが わかった。
実際 今日の団体でも、 もう洋服は新品しか受け付けない(可能であれば 洋服以外の提供をお願いしたい)という方向に変わりましたし、、、

何がいいたいかというと、

都庁とかその他の自治体が 受付物品の間口を狭くしていることは、ある意味正しいと感じたということです。
そして、都庁が 約1週間ほどで物資の受付を閉めきった(必要な量が集まったから しばらく見合わせる)判断も 正しいと思いました。

人々は、各団体が規定した物資に合ったものを持ってくること。
そして、各団体は、個々人によって基準がまちまちになってしまう物品指定の仕方はしないこと。

これ、大事です。

実際に活動してみて 初めて学ぶことがたくさんあった。

加えて、
繰り返しになるが、
こんなに みんなが物資を持ち寄り、そしてボランティアでたくさんの人が仕分けを手伝っている様子はとても素敵だった。
中には小さな子供を背負ってボランティアをしているママもいた。
あ、
あとね、どこのボランティアでも 「子供」が がんばっているんだよ! しかも小学生くらいのコ達がさ!
泥かきの日も、汗をかきながら、水を含んだ重い泥を 小学生が文句も言わず 泥を運んでいるんだよ。泣けるよね、、、
東京にいる小学生の多くは、四六時中DSやってる子ばかりだと思ってのに、、、
あと、腰痛持ちのおばさまも 泥かき がんばっていた。 なんか すごい。

日本はひとつ。

本当にそう思う今日この頃。

あ、あと 積み上げられた物資の山を見て思った。

一人ひとりが 一つずつ協力すると でっかいでっっかい山ができる ということ。

人の力って すごい。(;△;) かんどー


届けるタイミング

2011-03-22 23:36:50 | 日本での暮らし・考える事・思う事

この度の東北太平洋地震で被災された方、ご家族、ご友人が被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

地震が起きてからもう10日以上経つというのに、テレビのニュースを見て涙を流さない日はありません。

こんなことが現実に起こるなんて、、、
一瞬にして全てが失くなってしまうなんて、、、
人の命が こんなにも儚いなんて、、、
そして 一度失ってしまった命は、どんなに願っても お金を積み上げても戻ってこないなんて、、、

1年半前、九死に一生を得た自分は、そんなこと身を持って知っていた筈なのに、それでもやはり受け入れられません。家族や友人達を失った方達の苦しみを思うと、心がズキズキ苦しいです。

地震、とってもとっても怖かったです。
地震発生時、私は上司と一緒に、今度のプログラムでお世話になる中小企業の町工場で打ち合わせの最中でした。
相当な揺れで、机の下に隠れましたが、上から額縁が落ちてきて割れたり、花瓶が割れたり
「これは、、、マジでやばいかも、、、こ、恐いかも、、、」と思ったけど 
打ち合わせ先で 取り乱すわけにもいかず
「きゃー」などと一言も発せず、黙って揺れが収まるのを 机の脚をしっかり握って待ちました。

大きな揺れと余震が収まった時点で、上司と「とりあえず オフィスに戻ろう」とタクシーに乗り込んだ。
(地震直後だったので まだタクシーをつかまえられた) 
タクシーの中で上司のワンセグで 津波の映像を見たとき、息が止まりました。
タクシーのラジオからは、

「津波到達時間は◯時◯分です。急いで高台に逃げてください!あ、すでに津波到達時刻です!映像でも大きな津波が次から次へと陸に近付いているのが分かります。今すぐ高台に逃げてください!あ、今、津波が到達しています!」

と 繰り返す声。。。

怖くて 怖くて、、、

自分の家族、友人達は無事か、、、
ドキドキしました。

結局 家族とは公衆電話から連絡がついて、一安心。
帰宅難民になったものの 夜中3時にはなんとか自宅到着。

本当に怖かった。


でも東北の方達が感じた恐怖、そして今も持ち続けている恐怖と苦しみに比べたら
関東の私たちの恐怖心や苦しみなんて ノミよりも小さいです。

一瞬にして 愛しい人たちの命がこの世から消えてしまう。

そんなこと 絶対に耐えられるわけがない。
私だったら 泣いて 発狂して 心が壊れてしまうかもしれません。

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人が本当に苦しい時、人生でおそらく一番キツい状況、強い悲しみに襲われているとき。
周りの人は 何をすべきか。

芸能人やスポーツ選手が
「俺達はお笑い芸人だから、こういうときは笑いを届けるのが俺達の役目だ!」
とか
「私は歌手だから、この歌声を被災地に届けるつもりで歌をうたう!」
とか
「私たち選手が 精一杯プレーしている姿で被災地が元気になれば、、、」
とか
言う人がいるけど 私は そういうの「うーん どうかなあ。」って思っちゃう。


人って、本当に辛くって 苦しくって、悲しくって、不安なときは、 
どんなに 面白い話を聞いても、元気の出る歌を聞いても 一生懸命プレーしている姿を見ても、
一切 受け付けられないと思う。
そういうことを受け付けられるようになるのは、一つ段階が落ち着いてから。
そうなる前に、無理やり面白い話を聞かされたり、ジョークを言われたり、元気の出る歌を聞かされても
「私の気持ちなんて わからないくせに!」と 感情を逆撫でるだけなんです。

人が一番辛い時、人生で一番苦しい時は、 「だいじょうぶ、一緒にいるから。ずっと 一緒にいるから。 私たちがあなたと一緒にがんばっていくから。」って 側で言ってもらうことだと思う。

これは 自分の実体験から感じたこと。
1年半前 事故に遭って意識不明の重体になり、死んでいてもおかしくなかった状態から、私は奇跡的に生還しました。でも 生還したからといって 全てがすぐに元通りになったわけではありませんでした。

頭から顔、口、腕、全てがもう傷だらけのぐちゃぐちゃで、「もう誰にも会えないのかも。」「外にも出れないのかも。」「もう働けないよ。」という恐怖と不安、悲しみは日に日に強くなっていったんです。
だから毎日泣いていました。

最初は 「やだねー フランケンシュタインみたいー(笑)」なんて冗談をいって強がっていたけど、そのうち強がることもできなくなって、人の優しささえも 時には受け入れられないこともありました。

そういう苦しい時期を助けてくれたのは、
地元仲間が「ずっと側にいるから。一緒によくなっていこう。」って言ってくれたこと。
トンガの同期が 「大丈夫だよ。」と言い聞かせてくれたこと。
家族が諦めずに側にいてくれたこと。

この時 「言葉の力」って本当にあるんだと知りました。

本当に 傷がよくなる保証もなかったし、後遺症だって どうなるかお医者さんだってわからなかったけど、
大事な友人が心を込めて言ってくれた 「大丈夫」「一緒に」というキーワードが
どれだけ私を救ってくれたか、、、 
言霊?言葉って ただ文字が並んでいるだけじゃなくって 本当の思いを込めることができる。
友の言葉は 「うん、そうだね。」って思って 信じることができた。

そうやって たくさんの人たちが 諦めずに ずっと私と一緒に歩いてくれて
少しずつ元気になってきて、
その時点で、初めて お笑い番組、歌、スポーツの力を受け入れるようになった。


だから、
今は まだ余震も続くし、生存者の懸命な捜索が続いているし、原発もどうなるかわからないし、
家族を失って絶望の中にいる人がたくさんいる。また、遺体が見つかっていないから気持ちの整理すらつけられない人がいる。

そういう中で
お笑いや歌、スポーツで 被災者を元気づけよう!って考えは、、、、、

うーん、、、

そういうのって まだ早いよなあー って個人的には思っていたんだけど、

ビートたけしが

「こういう時にさ『芸人は被災地に笑いを届けることしかできない』なんて意見も あるけどさ、そういうのは戯言でしかないんだよね。飯がちゃんと食えてさ、
ゆっくり眠れる場所があって、初めて人間は心から笑えるんじゃないかな」。
「所とも話したんだけどさ、こういう事態の時にさ、着ぐるみなんか着てやってられないよ、って。こういう時には芸人は何にもできないよ。粛々とする
しかないんだよ。この震災が何とか落ち着いてから『これから頑張って立ち上がっていこう』って時に、芸人が役に立つんだ」

と言っていたとニュースで知り、 
こういう本当の意味で 被災者を思いやることのできる心を持っている人が著名人の中にいるんだなと
ちょっと嬉しかった。

あとACのサッカー選手のCM、海外にいる選手が応援メッセージを言っているやつ。あれもいいと思う。

今必要なのは、スポーツ選手がスポーツをすることなのではなく、
「私たちが応援しています。側にいます。日本全体が見方です。」という言葉をシンプルに送ること。


私は今回 被災したわけじゃないし、大切な人を失ったわけじゃないけど、 事故のあと 立ち直れなかったときの状態を振り返るとビートたけしの言っていることは正しいと思うし、ACのサッカー選手のCMは素直に受け入れられると思う。


「救援」が「復興」にシフトしてきたら、そのタイミングで初めて スポーツやお笑いや歌の力が必要なんだよね。

私自身も、当時はウルフルズに助けられたし。でもそれは 体も心もある程度元気になってからの話。一番のどん底にいたときは歌なんて聞く気力さえもなかった。

今 自分たちができること、届けるべきことは

お笑いでも歌でもスポーツでもなく、そういった派手なパフォーマンスではなく

義援金を送ること、物資を自治体を通して送ること、節電すること、現時点で許される範囲のボランティアをすることだと思う。そして、そういうアクションを通して 被災者たちに 「ひとりじゃないよ。みんながいるよ。」と 伝えることかなと思う今日この頃。

ビートたけしと江頭、すごいと思う。


半襟

2011-03-06 23:50:14 | 日本での暮らし・考える事・思う事

年末は 忙しく 1月はやや体調を崩し 2月は こりゃまた忙しく

ということで しばらくお茶のお稽古に行けませんでした。

なんかねー 体力がないんですよね 最近。 土曜か日曜 どっちかは休みたい。でも休めないのです。

で、運良くどちらか休めたら 一日寝こむ。

うーん。

体力がないなあ。

部屋の中に溜まっていく洗濯物。見て見ぬふりでまた一週間が過ぎていくー

夏が終わったら 夏が終わったら お稽古事、ちょっと休まねば体がもたん、、、

そんなこんなで 今日 やっとお茶のお稽古に行けることになったのですが、

疲れが溜まっているのでぎりぎりまで爆睡。

で、パッと目が覚めて 桐の箪笥から 長襦袢を出したら 

ありゃ~

半襟 付け替えてないから 汚いー

けど 付け替える時間がない。。。

うー 恥ずかしいけど 仕方ない。

半襟も付け替える余裕ない生活、ダメだよねー 乙女として、、、


お茶の先生のおうちについて、3ヶ月ぶりのお茶のお点前。

意外にも 思ったよりお点前を覚えてた。

あー やっぱりお茶は いいねえ~

心が浄化されるなあ。

いつもドタバタしている生活の中で 唯一の「静」だわー

いつもの自分とは違う もう一人の自分でいられるのです。

今日は、お稽古するお部屋に、7段のお雛様が飾ってあった。
代々 受け継がれてきたお雛様。

お軸は、先生のお父様が詠まれた お雛様の詩が書かれたものだった。

お庭の椿は 美しく咲いていた。

主菓子は きれいな鶯色。その上に桜の花。

先生の帯には 桃の花と菜の花。

いいな。

美しいなあ。

日本って。