あの阪神大震災から早いものでもう10年の歳月がながれた、WAKIはいまも当時のことが鮮明に想い出すことができる。
WAKIはいつもの朝シャワーを浴びて出勤すべくワイシャツの袖に手を通した、そのとき強烈な地震がやってきた、必死で箪笥を押さえた、兎に角会社へ向かうと言い残して車で家を出た、思えばWAKIは余程の会社人間だった訳だ、家族の不安も省みずだ、一時間強の道のりが3時間半も掛かった。カーTVとアマチュア無線で刻々と入ってくる情報は悲惨そのものであった。8階建ての8階の執務室(大部屋)や更衣室はがたがた、交通機関が寸断されて数えるほどしか人は来ていなかった。会社人間のWAKIはポランティアにもいかず、いまもこころ残りだ。きょうは一日中いろいろな追憶の催しが行われる、「天災は忘れた頃にやってくる」は昔の話で、いまは「天災は忘れもせずにやってくる」がWAKIの思うところだ。
いま、神戸の旧メリケン波止場には、そのときの悲惨な状況がご覧のようにそのままモニュメントとして保存されて、地震のすさまじさをわれわれに伝えてくれている。
WAKIはいつもの朝シャワーを浴びて出勤すべくワイシャツの袖に手を通した、そのとき強烈な地震がやってきた、必死で箪笥を押さえた、兎に角会社へ向かうと言い残して車で家を出た、思えばWAKIは余程の会社人間だった訳だ、家族の不安も省みずだ、一時間強の道のりが3時間半も掛かった。カーTVとアマチュア無線で刻々と入ってくる情報は悲惨そのものであった。8階建ての8階の執務室(大部屋)や更衣室はがたがた、交通機関が寸断されて数えるほどしか人は来ていなかった。会社人間のWAKIはポランティアにもいかず、いまもこころ残りだ。きょうは一日中いろいろな追憶の催しが行われる、「天災は忘れた頃にやってくる」は昔の話で、いまは「天災は忘れもせずにやってくる」がWAKIの思うところだ。
いま、神戸の旧メリケン波止場には、そのときの悲惨な状況がご覧のようにそのままモニュメントとして保存されて、地震のすさまじさをわれわれに伝えてくれている。
あの日は、T.Nも電車と徒歩で4時間余り掛けて会社に
出社しました。若い頃の新潟地震の経験で、車は無理だろうと思ったからでした。
会社では、出社していない社員の安全確認に追われましたが、夕方になって、所属社員の無事が確認できて、ほっとしました。
これからも、まだまだ地震などの災害が起こるのでしょうが、自助努力をして、及ばずながらも、少しでも備えをせねばと改めて思います。
お互いに自分勝手な事を言い合って争っている人間どもに対し、自然が強烈ねパンチで警告しているのではないかとすら思えて来ます。
いまの地球の暴れかたを見るともう世紀末も近いのではと思われるような凄まじさです。そんな時人間は、何をしているのかといいたいですね。