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W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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成田山不動尊 「やっとこさ水府の句碑を探しあて」

2005年12月13日 | TOWN
 WAKIの家からそう遠くないところに成田山不動尊がある、新車を購入した人たちが御祓いを受けて御札をいただく厄除けで有名なお寺、おかげで新年や年越しにはかなり交通が渋滞する。このお寺に川柳の大家岸本水府さんの句碑があると聞いたのでウオーキングを兼ねて行ってきた、寺務所で水府さんの句碑があると聞いたのですがと若い僧に尋ねたがわからず、奥から少し年配の人が出てきた、そう、外へ出てぐるっと廻ればあると思いますと言った。そのとおり行ったがそれはなくまた半周して裏門からはいり直したが、なんと本殿前鐘楼横の大きな笑魂塚に沿うように立っていた。それはまぎれもなく水府さんの句碑で「ハリキリの大阪弁が立てた旗」と刻まれてあった。水府さんは戦時中も川柳の灯を守り続けた人でグリコ宣伝部にもつとめ今風に言えばコピーライターであった、本格川柳をかかげ大正8年番傘川柳社を創設した。WAKIの伯父は現在90歳になるが水府はん知ってるよと言っていた。笑魂塚は関西の物故の演芸人や関係者の業績を称え合祀してある塚である。したがって、節分の豆まきには関西の芸能人が大勢来て賑わう。この川柳が作られた背景などはまたしらべてみよう。
  
コメント (2)
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