国語という語は、国語科目として、その名称が一般的になる経緯がある。1900年の小学校令をみる。それまでは、>教科目ハ修身読書作文習字算術 とあったが、それを次いで、10年を経て、>尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、体操トス となる。そして、大学講座には、>明治十九年には博言学科(明治三十三年言語学科と改む)が,同二十六年には国語学の講座が,それぞれ東京大学に創設せられた とあるところから、1893年から設置している。また解説するのでは、国語問題の解決を図ることに、この時代の動きがあり、国語問題は国語の表記をめぐって議論となる事柄に淵源があり、国語国字問題とすると、国語調査機関の設置に、国語調査委員会として、>加藤弘之委員長ほか委員一二人で「国語ニ関スル事項ヲ調査ス」る機関として発足、ということである。さて国語学を講座として担当した上田万年の功績について、ウイキペディアの解説によれば、次のようである。>上田万年が行った言語研究の中での最大の功績は、1901年にドイツで行われた正書法を日本の言語政策に応用しようとした点である。 旧仮名遣いの混乱を質すために、すでに明治維新以来「言文一致」への移行が必要なことは誰の目にも明らかだった。1901年上田万年は、言語学会などを立ち上げながら、明治期にできる最新の方法で「言文一致」の表記を勘案した。長音記号の「−」の採用、また1903年発行『仮名遣教科書』に見える新仮名遣い(これを「発音式」と呼ぶ)などがこれである。 この仮名遣いは、文部省内においても、初等教育での教科書にほとんど採用の予定であったが、岡田良平、森鷗外など旧仮名遣いに固執する人々による運動の末、1907年に貴族院が発音式から歴史的仮名遣いに改正すべき建義案を文部大臣に提出、また1908年臨時仮名遣調査委員会第四回委員会での森鷗外による「仮名遣意見」によって完全に消滅する。 上田万年が日本の言語学及び国語学において果たした役割は大きい。それは多くの研究者を幅広い分野において育てたこと、また明治以降の実践的日本語教育を行う際の発音式仮名遣いへの争点を明らかにしたことである。、 . . . 本文を読む
中国の文化大革命のころ、その時代に、中国に在住した外国人たちの子たちを呼ぶようだ、レッドチルドレンは学校時代を過ごすことになるが、その子たちは紅衛兵運動にかかわる運命であった。ドキュメンタリーは、赤いネッカチーフを身に着ける人たちの再会シーンで始まる。北京友誼賓館で、集まった同窓会の集合をまず映し出す。http://temjin-tv.com/wp/wp-content/uploads/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3%E9%9B%86%E5%90%88%E5%86%99%E7%9C%9F1.jpg 1950年代に中国に渡った西欧社会からの専門家、近隣諸国からの共産主義者たちの中国滞在に、親とともに、中国で過ごすことになった子たちである。子のうちで中国の学校に通ったもの、本国に教育を受けに戻ったり、また中国入りをしたもの、1960年代後半から1970年代半ばまでを、文化大革命を経験する . . . 本文を読む
日本はもと、ニッポンではなく、二ホンと発音したという仮説を立てる。すると、二ツについて、ジツとなる長安音になる漢字音の、そ前の発音を推定しなければならない。さらに、ニッという促音になるから、その発音はニーッからジーッという音変化を起こしたかと類推をする。日輪、大日という語を、ニチの発音でとりいれているから、呉音とすれば、日本は、ニチホンとなるが、ホの音がそれを両唇摩擦にして、フォの発音でするなら、ニチフォンとなり、ニーッフォンまたニ―フォンと発音をとらえたようで、それを表記にして、二ホンとすることになる。ここに仮説は証明されるかどうかであるが、漢字音はすでに、本の発音が、ホンではなくて漢音のボンまたベンに変化していくのであるから、ニチベン、ニーッベンではない、さらに、りーッベンのような発音を日本のこととして聞くようになる。これはニチフォンと聞いていたのとは違いすぎただろう。すると、日本となったのは、フォの両唇摩擦を破裂音に変えてニッポンとして意識するようになるが、ニーッポン、ニッポンと破裂を強くとらえることになる。 . . . 本文を読む
かんなめ祭り にいなめ祭り いずれも宮廷で行われた。宮廷という呼称はしなくなったので、宮中で、天皇が行う神事である。なめ 嘗 は、なめること。あいなめ というのが、ある。共食である。新嘗祭は卯の日にする。それがたまたま、と説明にあるのだけれど、11月23日になって、そのまま伝えられている。勤労感謝は労働者の日である。日本の伝統にある宮中の祭祀が一般に知られることはほとんどない。それでいて、庶民はそれを知っているのか、五穀豊穣の収穫祭のことであればまさに、自然のことにかかわる発想である。 . . . 本文を読む
>国旗及び国歌に関する法律(こっきおよびこっかにかんするほうりつ、平成11年8月13日法律第127号)は、日本の国旗・国歌を定める日本の法律。1999年(平成11年)8月13日に公布・即日施行された。国旗国歌法(こっきこっかほう)と略される。 . . . 本文を読む
日本国名の変遷は国号であるだけに占領を経てから、とリざたされなくなっていたようである。占領時代があったと話してみても、それはわからないことになってしまったから、若い世代には全面降伏の意味するところが理解できないのは、壮年世代がまた、それを語らないからである。かろうじて米軍の宣伝らしきものを記憶する1950年前後の世代が、風化させつつあるのは、日本のアイデンティティーである。生まれたところが日本であり、ヤマトの流れをもとらえないならば、どこから来たのかを絶たれてしまえば、いまあるところから、どこへ行くのか、何をしているのかを問うようなことだけである。日本国になって64年と言ってみても、それは独立して日本であることを意識し始めた時代のことである。ヤマト王族の子孫だとして、それを語るものがない、いない、知る由もない。 . . . 本文を読む
画面に赤地に白字で、つなみ! にげて!のテロップを表示、アナウンサーが、ただちに安全な場所に避難してください、東日本大震災を思いだしてください、などと報じたことが、話題になっている。これを新語、社会現象の例にするのは、今現在の進行中であるだけに、控えるが、無事に逃げてください!東海では、このテロップが地震避難と入れ替わりで出ていた。 . . . 本文を読む
http://www.colordic.org/w/
和色大辞典
日本の伝統色465色の色名と16進数
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あ (109色)
あいいろ [藍色] あかさびいろ [赤錆色]
あいいろはとば [藍色鳩羽] あかしら(ろ)つるばみ [赤白橡]
あいおいねず [相生鼠、藍生鼠] あかすみ [赤墨]
あいおなんど [藍御納戸] あかすおう [赤蘇芳] . . . 本文を読む
皇帝が支配、統治する国家に対し、複数の地域や民族を含む広大な地域を支配する国家という解説がある。英語のエンパイア、Empire などの語源は、ラテン語のインペリウム imperium である。この意味で、複数の地域や民族を含む広大な地域を支配する国家となるが、大日本帝国をそのようにとらえる。帝国と呼ぶには、語源、分野、立場、日本語訳など用例により見解が異なるようである。帝王、皇帝を擁するか、歴史のなかで、日本の天皇はそれに相当したかどうかにもよるが、明治新政府が君主制を布いて、天王の権力を推戴している。帝国はまた、日本語では、帝国と、政体を意味する、帝国が混在している、と言う。政体を意味する場合には、分類すべきかどうかの議論が存在するようである。歴史の推移に従って見るなら、大日本帝国は戦争により、日本国に変わる。その国政は民主主義を標榜して日本国憲法を制定する。ここに日本国が実質的にヤマト王権の継続ではなくなるが、表記の日本をヤマトと訓じることもなくなる。 . . . 本文を読む
なばな 菜花 は、菜の花や花菜 はなな とも呼ばれる。アブラナ科の野菜、若くてやわらかい花茎や葉、つぼみを食用にする。三重県が全国の3割近くを生産している。菜の花には春先の黄色い花をつける風景がよく知られている。菜花には伝来種ではあるが、和洋の種類がある。そのなばなを名にする、なばなの里に出かけて、イルミネーション、紅葉を楽しんだ。鏡池の水面に映る紅葉は幻想的な趣だった。演出していた見世物は、遠めにスクリーンを映すかのような、大陸の景色になる電飾のアニメーションだった。観光客に外国客が多くて、驚いた。インバウンドという効果を思い合わせた。5時から2時間ほどを散策した。 . . . 本文を読む