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善悪の精神

2017-12-07 08:11:59 | 日本・日本人
ぜんあく、ぜんまく、連声の読みに、善人、悪人となるも、善悪を行いに見る宗教宗派がある。日本の仏教には、当然ながら、わたしたちに絶対神はない。神は絶対存在である。善神、悪神はいない。全知全能神はいない。善悪の観念を持つのは人間である。善悪は人の行いである。善悪を神にも仏にも見ることはない。よきこと、良きこと、好きこと、善きことである。あしきこと、悪しきこと、悪しきはよこしまである。正邪におけるよこしまは正しきことに対する。よい、わるい、この並びに、行いがある。善悪不二、善悪無記においては、もとひとつのものととらえ、無記とする、答えられない、それはどちらでも書くことができないとする考え方である。したがって、わたしたちにある、善と悪の精神は、もとより宿るものではない。人の行為に見るもので、善の報い、悪の報い、善行、悪行の、善果、悪果による。 . . . 本文を読む
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日本人の心、精神

2017-12-06 23:59:54 | 日本・日本人
日本人の心は何処にあるか、心は心臓になるに違いない、こころと言って、心は音読みをすれば、シンの蔵、そのころは胸の内ととらえている。こりかたまる、凝るところであるから、キュッとする感じだと、誰しも思うか、どうかである。そこに精神があるとすれば、それは精神という語の難しさである。精神について、グーグル検索はトップに意味解説を載せる。それには、1.人間の心。非物質的・知的な働きをすると見た場合の心。「―現象」 2.生命や宇宙の根源と考えられる、形而上(けいじじょう)の存在、と見えて、非物質的・知的な働き、生命や宇宙の根源として、なにやら、わかったような、わからないような、意味内容となる。精神は、心、意識、気構え、気力、理念といった意味を持つ言葉、というふうに、ウイキペディアの語の置き換えになると、意識、気の漢語に概念を広げる。あるいは、曖昧さ回避が示す意味のように、脳の働きを指す場合もある。 . . . 本文を読む
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儒仏の平衡

2017-12-05 08:41:58 | 日本・日本人
日本思想には儒教思想がある。日本の本来思想は道祖神に現れるような、素朴な思いにある。その起源は古いが、盛んになるのは中世ごろか、近世になってである。しかし、儒教の渡来前に道教の考え方をもつような自然神に対する考え方を持っていたと推測されて、中国伝来の思想がそのままにうけいれられた。祖先信仰にもなる民族の精神はすぐにも仏教を入れて外来思想が日本思想となる。儒教思想は政治に現わされ、そこに鎮護国家を目指す宗教は祖先崇拝と結びついて仏教として迎えられて、ながく、神と仏の考えを習合させる。日常の人々の生活には律令によれば、規則にも表れて、五常の基盤ができる。五倫は思想と考えてよい。5つの徳目、仁、義、礼、智、信を指す。三綱の君臣、父子、夫婦間の道徳とあわせて、三綱五常となる。一方で外来思想の仏教には言葉による論理議論するものがあって、経論釈の内容は、日本思想に典型となる禅の思惟、他力による本願、そうして、日本の発明になる倫理と救済思想があらわれて、儒仏の平衡が現れる。 . . . 本文を読む
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2017-10-21 16:16:26 | 日本・日本人
自分と他人と、個と個とが対立する。個人とは他人である。その個と他とはお上の前のコとコとである。おかみ、御上と言った場合、その意味には、デジタル大辞泉より、まず天皇の敬称であるし、次に朝廷、幕府や政府など、時の政治を執り行う機関となる。古代の天皇によるか、また、為政者をさすのは、律令制度の長官をそう呼んだことにある。 . . . 本文を読む
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国際

2017-10-09 23:13:09 | 日本・日本人
国際理解教育、いまは、国際教育という用語になっているそうだが、Education for International Understanding は、欧米では、ワールド・スタディーズ World Studies、グローバル・スタディーズ Global Studies、地球市民教育 Global Citizenship education 、持続可能な開発のための教育 Education for Sustainable Development 、 ESD などと呼ばれているようである。ユネスコが提唱している、1953年より、ユネスコ協同学校運動が行われ、いま、日本でもユネスコ・スクールとして、文部科学省では、参加校の世界最大を示しているという。>ユネスコスクールは、ユネスコ憲章に示されたユネスコの理念を実現するため、平和や国>際的な連携を実践する学校である。ASPnet UNESCO Associated Schools Project Network に加盟が承認された学校を指す。 . . . 本文を読む
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言語

2017-10-08 22:55:10 | 日本・日本人
言語を言と語に分けてとらえる。言語は語言とはならなかった。ことば、ことをば、言の葉とする、口の端にも、言語との隔たりをみる。言には、言う、語には、語るとする、この、ことばのとらえ方には、根本的なことがらがあるにもかかわらず、日本語、日本言語のちがいを説明するものはない。日本語は抽象された、漢語、英語、そして米語との対照において一つの単位をなす語である。日本言語はありのまま、そのままのわたしたちのことばである。言語に、詞を認めるのは詞章をみる。辞をもってするのは、ひとつひとつのあらわれをみる、詞辞の対をも学ぶことで、言語の分析をした。辞書があって、辞典とは言うが、詞典、詞書とはならなかった。日本言語は物事の表現に思想と意思をあらわす上に感情をも表すと説明する。嘆きからする感情移入はどの言語でも同じであるが、それをもって、感情表現が言語すべてによるというのではないから、日本語が感情を表わすというとらえ方は、きわめて特徴的なことである。 . . . 本文を読む
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創造

2017-10-07 12:23:44 | 日本・日本人
創造は造形にある。想像は文学にある。創造はまた、技術にある。想像はまた、思想にある。想像としての現実は、技術の創造によって、バーチャルリアリティ―の実現を見る。創造はものであり、想像はことである。創造の精神は作る喜びであるとしたら、想像の精神は知る楽しみである。創造はロボットという名の人口頭脳の制御を可能にしつつある、自動車が自動制御をもつ、それを自動運転というが、上記エネルギーから、石油エネルギーにあったものが、ついには電気エネルギとシフトして、2000年代の半ばにはEVが走る時代となる。創造は人間の判断力をロボットにうつして新たな創造世界を生み出していく。想像は言葉のあやによって作り出してきた言語文化に、さらには技術革新による話を聞く、話しをするコミュニケーション文化をあみ出そうとしている。人類の創造によって、新人類が人口となる日がやってくる。創造と想像と、機械と人間の融合である。 . . . 本文を読む
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積極

2017-10-05 21:22:30 | 日本・日本人
積極と消極が対になる。自分から進んで行動したり、意見を述べたりすることを、それをしないこととなるので、物事を進んでする、自分から働きかけてすることである、と、一応は考えてみるが、字義から見て、その対極にある、何ものをも意欲的に行動することが評価されるので、積極はその様子をとらえてのことである。すると、なにもしないのがふつうであるから、その普通に対しての積極とはどういうことになるか。それは働きかけることをするのであるから、その一方では実は、働きかけを受ける側として位置することになる。そうなると、普通に対して、消極には異なった内容を見ることになるから、それに対応する積極である。英語でいうなら、その意味内容を言う。物理では陽極、陰極の捉えかたがある。さて、普通に対する、イメージがどうなるだろう。 . . . 本文を読む
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実直

2017-10-02 19:49:44 | 日本・日本人
実直は、まめ、まめ男に代表された。まめであることは、真心をもってつとめることとされる。よく働き、丈夫であることを意味する。まめ男の時代には、風流を解した。それは、ときには、実用的であったのであるから、男に代表するのは日用のことで、それを要求されていたのである。まめに働くというふうに、そのイメージには、まめである結果、その成果には、ミスがすくないことや細かなことにもよく気を遣う、その姿が好漢と対照的にもなる。まめは、この語の発音から、忠義でなく、豆そのものの比喩による印象であったり、連想による隠語をも派生している。まめだよ、というのが称賛お言葉であることが当然であるにかかわらず、それを転義して、さまざまに言いわけるだけでなく、批判的にもなるのは、まめすぎるからであろう。 . . . 本文を読む
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特殊

2017-10-01 22:54:51 | 日本・日本人
特殊は専門であり、先端である。その特殊をもって際立ったものを見出すには、不変、普通ではないもの、殊に、ことなるものである、取り分けて、という言葉が合う。家族国家、家族一族を民族とすることは普通のことである。国家体制が家族であるとすることに、とりわけて、そのことに異をはさむとなれば、それはなぜか。神を奉じ、天を祀る、天の王がいて、その信仰のもとに国家があることは、特殊であるのか、普通であるのか、特殊であるとするゆえんは、その大義によって考える基準また標準が欧米の王室にあるかどうかである。王族国家は現在の地球上で、まれに見るものではない。その思考をめぐらせ天皇の語をもって天の王とする道教の解釈は特殊にふさわしいものと考えるにようになった。 . . . 本文を読む
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感性

2017-09-30 22:53:15 | 日本・日本人
感性と感受性と表現すれば異なるところがある。辞書義などは意味内容同じとする。感性は積極、感受性は受身であるという、受字に表される。感性を英語に sensitivityとするが、感性 emotion、知性と対照される感情的な あるいは、 feeling gut、本能的な反応となる。さきの sensitivity、sensibility に感受性のニュアンスがあるので、この感受性は、感性とは同じか。なかには、感性に最も近い単語は、heartstrings 心の琴線 と、とらえる方もいる。また、感性を、kansei とすることが行われているようである。知性と感性であれば、哲学の議論であり、感性と感受性となれば、感覚を扱うことにもなるので、その解釈には心理学がある。美に対する感性と、自然に対する感性と、それは日本的なものを研ぎ澄ました写生、花鳥風月の風景、写実という感性が現れて、日本における価値観となる。 . . . 本文を読む
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諧謔

2017-09-29 18:08:15 | 日本・日本人
面白い気のきいた冗談、しゃれ、ユーモア とあって、joke  jest、これは笑いものになる。おどけておかしみのある言葉、こっけいみのある気のきいた言葉、機知や滑稽、と、どの辞書義を見ても、そのほどが、よくわからない語である。漢語表現の諧謔を、諧謔精神と知るのは文学上のことであった。漢字好みの夏目漱石の作品に、作者が意図して諧謔を見せる。また短詩型の文学、俳諧にその文学理念があることも学んだ。それを英語表現による、ユーモアと解釈するのは、 humour、Humor、フモーアという概念が翻訳されてからのことであろう。滑稽本というジャンルがあるわけだから、日本文学の本質には、笑い、笑われ、笑われる者の気取りがあるのかもしれないと考える。諧謔は、人を和ませるものだからである、となる。そう言ってみて、おかしみのこと、有情滑稽と捉えられることもある、というふうに、日本語では、小咄、駄洒落、言葉遊びと、そのこと盛んなこと、日常のうちにある。 . . . 本文を読む
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人間

2017-09-27 01:15:47 | 日本・日本人
せけん  じんかん  むげん 世間  人間  無間  である。世間は世の中となった。さらには社会、世界である。人間は人類となった。さらに人々である。無間は地獄であった。さらさら、日本で描かれた地獄には悪人が落ちる。これは日本思想である。すべてに現実である、地獄に落ちるものも悪人正機となった。>悪人正機は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である」という意味である。 阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。 ウィキペディアより ここに仏教が作り出した差別に、日本仏教が現世においての救済を行った。神の前に、仏の前に、人間はひとしく人間であるという発想は、日本人のものとなった。神から人になり、人から仏になる、この人が人である所以をわたしたちは持つのである。 . . . 本文を読む
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柔軟

2017-09-26 03:16:42 | 日本・日本人
柔軟なのは、よいことであるとの、価値を持つことが、日本人の庶民感覚にはある。適応力に、flexible であること、曲げやすい、しなやかな、すなおな、御しやすい、言いなりになって、融通のきく、適応性のある、弾力的な という、もろもろの意味内容を見て、柔軟には、 pliable であるのは、しなやかな、柔順な、言いなりになる、融通のきく、すぐ影響される、順応性に富む となると、ときに、言いなりになるようであるから、柔軟にある、それを能力と見る捉え方である。 一つの立場や考え方にこだわらず、その場に応じた処置、判断のできるさま、などの解釈には、本来の柔らかさにあるものではなくて、広く受け入れる心である。一方で、柔軟に頑固を対比する、あるいは強靭性を意思の表れと見るなら、身のこなしのありようは、簡単なことにはならない。技術で見れば、柔軟剤があり、仏教で見れば、柔軟すなわち、にゅうなん があって、日本人の本性にある、柔和である。柔軟の庶民感覚とは、ええじゃないか、ええじゃないか、と踊り叫ぶものである . . . 本文を読む
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中立

2017-09-25 19:06:47 | 日本・日本人
永世中立国 permanently neutral state/country というと、わたしたちのなかでは、ひとつの国家の在り方として追求されてきた。紛争、戦争の当事者にならない思いからである。しかし現実には、社会科教科書の理想物語となってしまった。その背景には日本が受けた国際の状況にあって、中立保証を受ける困難さである。中立の議論がすっかりと議論を潜めたかに見えるのは、戦後70年の体制であろう。しかし、もともと日本における中立の定義はこのような国際法上に見られるものではない。そこには中道、中庸の語が影響する。例えば政治における右派左派の中立とは、一つの議論をわかりにくくする。あるいはそれは保守革新であれ、労使における資本家と労働者のことであれ、そのよって立つ流派の主義主張が明確でないところがあって、中立の線引きができないところで中道、中庸の道となるように、左右のバランスがない。中庸公正な道という、その理想は中道政治と言われるものとは議論の根本において違うものである。 . . . 本文を読む
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