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彝のアトリエ

2006-02-04 | 建築

明治20年に水戸で生れた中村彝は胸の病気で千葉で転地療養中の18歳のとき、水彩画を描きはじめて、菊坂にあった白馬会菊坂研究所に入所。20歳のときには太平洋画会に移り、中村不折や満谷国四郎の指導を受けました。

その頃、中村屋新宿店が開店。次の年、新宿角筈にあった中村屋の裏のアトリエに中原悌一郎と荻原守衛を訪ねて感化を受けたと云われいます。転居を繰り返し、丸善でレンブランドの画集を手に入れたのもこの頃です。

24歳のときに、中村屋裏の旧荻原守衛のアトリエに移転した彝は、代表作といえる相馬家の子供たちや俊子の像を多数描きました。俊子との結婚に反対された彝は、大正5年29歳になったときに、府下落合村下落合464番地にアトリエを新築しました。

そのアトリエです。


茨城県立美術館にアトリエは新築復元されていますが、実は下落合に彝さんのアトリエが残っているのです。彝さんファンの私は、多分、梶山公平著「夭折の画家 中村彝」の中で知ったのでしょう。アトリエがその後、画家の方がお住まいになっていると知って、その場所を訪れたことがありました。


気になりつつ、その後どうなったのか、心配をしていましたが、今、そのアトリエに少し動きがあるようです。どうか、いろんな画家の思いが残っているこの場所に、このアトリエがいつまでも残ってくれることを望みます。

 彝はここで約9年間を過ごし、結核のためにこの地で大正13年、37歳で亡くなりました。このアトリエで描かれた作品は多く、アトリエの様子がうかがえます。


佐伯公園に残る佐伯祐三のアトリエ。佐伯は彝を慕って、この地にアトリエを建てたとも言われています。