いうなればタイルのユニットバスです。
こんな風に銭湯にある展示物や、ご丁寧に富士山の絵までセットされていて
涙ものです。このまま自宅に欲しい逸品。
売出せば、売れるんじゃないかな。
たばこ屋さんの台です。
緑のタイルが美しいです。
壊される銭湯から外してきたタイル絵も、ちゃんとそのままの形で残しています。
タイルの調理台(昭和38年製作)です。
こちらは小流し(昭和38年製作)
バラの花弁を三角のタイルで表現しています。
こちらはお風呂の洗い場です。
洗い場まで、タイルってあったんですね。
各務寛治さんが安藤隆望さんたち地元の人たちと集めたタイルは、
町の授産施設跡に保存されていました。
その数は1万点以上!!
建物の中に入ると、小学校のような雰囲気。
見本台帳もところ狭しと、保管されています。
カタログや資料も本棚に詰まっています。
これは何だと思いますか?
タイルをデザインに沿って並べる木枠だそうで、デザインの数だけ木枠の数
もある、ということで、外に野ざらしにされているものもたくさんありました。
東京の文京ふるさと歴史館から、送られてきたタイルも保管されていました。
各務さんたちは、自分たちがタイル産業に携わりながら、昔のモザイクタイル
が消えていくのをそのままにできない。今では作れないタイルも多いという。
そのタイルを集めるパワーと情熱に圧倒されました。
これだけの資料と情熱を、このままにしておくのは勿体ない。
何か手伝えないだろうか、というのがその時の実感でした。
見ていて、本当に楽しいし、美しいし、きっとたくさんの人を惹き付けるに
違いありません。
続いて、秘蔵のタイルコレクションのほんの一部ですがお見せします。
8/23(土)
18切符での行き先を漠然と京都と考えていました。
まあ、京都はいくらでも歩き応えのある町ですから、浮かんでこない
時はその札を切って間違いないんですが、
2日前に前に見た日経の記事を思い出して、多治見市の笠原町へ
行こうかと考えました。
多治見市は未踏の地でしたから、それだけでもOKだったのですが、
その記事に載っていた「モザイクタイルを懸命に集めていた方」に、
コンタクトがとれて22日(金)の昼に電話をして見せて戴けることになり、
次の日に出かけるという大暴走。
お昼に決まったあと、ぷにょさんに笠原へ行くとメールすると、
事情が飲み込めているかどうか不明だったが、随行するということで
ふたりで多治見駅で待ち合わせ。
相手の方と約束したバスまでの時間、市内を少しだけ歩く。
ぷにょさんのBLOGでも紹介されていますが、こんなタイルがあったりして、
流石、多治見市はタイルの町です。と期待は徐々に膨らんできます。
ふたりで何気なく曲がった先に、なんだなんだ。
なんと なんと これはもしや!!
よくよく見ると素晴らしい!!
ふたりとも唸ってしまいました。
これだけでも、今回来た甲斐が・・・(大爆)
(日本一暑い岐阜県多治見市)