東京都中央区の日本橋交差点の
「COREDO日本橋」の正面は、八重洲・京橋・
日本橋エリア再開発プロジェクトに寄って、
一部を除いて現在は広大な更地になっていま
す。
その更地と高島屋の間にあ小さな建物そして
路地は、この再開発のために、無くなってしま
うでしょう。
路地という路地が無くなってしまったら、この
町はどんな町になってしまうでしょうか。
こちらは昭和20年築という「酪農学園大学旧精
農寮」。
不思議な形の建物で、当初はわら葺きであった
と言います。
ままおさんからの情報では、耐震性に問題が
あるとのことです。夢のある建物ですので、
活用できるといいなぁと思いますが。
見る方向によって、表情の違う建物です。
「道南・道央の建築探訪」(北海道新聞社)を
開いて確認すると、同じアングルの写真を選ん
でました。
北海道江別市へ行ってきました。
「大麻駅」で下車して酪農学園大学の旧精農寮を
見に行って、こんな煉瓦の建物に出会いました。
一体なんの建物なのか。どきどき。
うっそうとした茂みの中にありました。
入口の両側に「ねじねじの煉瓦の柱」がすばらしい。
それから2階の「窓枠」もおしゃれだぁ。
お鼻もあるし、笑ったかわいい顔に見える。
横から見た感じはこんな風。
敷地の入り口には煉瓦の門柱があり、何か公(おおやけ)建物なの
ような雰囲気。
東京メトロの日本橋駅をあがったところにあるビル
のガラスブロックが美しい。
多分、八重洲・京橋・日本橋エリアの再開発プロジェクト
のひとつとして、このビルの開発も時間の問題だろう。
建築のお知らせに書かれていた内容を、ご紹介しておきます。(一部)
「江戸橋倉庫ビル」は関東大震災(大正12(1923)年)により
飛び火で焼け落ちた煉瓦倉庫の跡地に建設しました。
時代の強い要請に応える耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート
造の日本を代表とする近代的都市倉庫です。
昭和5(1930)年の建設以来、80有余年が経過、環境も変化
したため建替えることとしました。
なお、現在の「江戸橋倉庫ビル」は、東京都により都市の
歴史的景観保存の建物に選定されておりますので、外壁や
塔屋の大部分を利用することとします。
下は三菱倉庫ビルの昨日の姿。
外観とのお別れはまだできます。
動員を必要としています。
11月9日午後2時に福島市の旧ノートルダム修道院(福島市花園町桜の聖母
学院)の正面前に集合してください。
保存への要望を修道院長にお伝えする手はずです。
皆様応援、よろしくお願いします。
チェコ系建築家ヤン・ヨセフ・スワガーの設計で、昭和10年に建てられました。
第二次世界大戦中には外国人民間人の抑留所となり、戦後は戦災孤児の養育を
はじめ、それが「桜の聖母学院」の母体になる。
日本建築学会では、震災後の雨漏りによる傷みこそ認められるものの、総じて
損傷はわずかであるとしています。震災を乗り越えた被災遺産として、
復興のシンボルとして残したいと、保存を訴えています。
写真は東日本大震災後の旧ノートルダム修道院。
松本の写真展のときに、信濃大町を探訪しました。
事前リサーチによると、あんまりなさそう雰囲気だったのに、こんなこんな「末廣軒」と
いう建物に出会ってしまいました。
これ、多分、床屋さんでしょ。でしょ。
入り口の飾りがいい感じでしょ。
予想通り、近所には銭湯もありました。
こういう出会いは、るんるんるん。