夏の探訪時には、前回と同じく「盛」駅から「大船渡」駅まで歩いて
途中を探索しました。
「盛」駅に近いところにこの旧気仙銀行が健在で、ほっとしました。
近くには古い商店や個人病院の建物も残っていました。
この二階建の銀行は大正7年に建てられました。
当時はこの辺りで一番高い建物であったといいます。
それで避雷針が取り付けられているとのこと。
一番、ハイカラな目立った建物だったことでしょう。
宮古の漁港近くにも昭和8年築の建物がありました。
もう目の前が海という場所にあります。
海産物などを扱った店舗兼事務所だった建物で、現在は「金勘漁業」の事務所
になっています。この建物も昭和8年の築だそうで、この地域の歴史を感じます。
この旧種市村公民館、
完成が昭和8年4月というから、昭和8年3月3日の昭和三陸大地震を
乗り越えての完成です。
正式には国の助成金を受けた関係で「種市村漁業組合連合会共同販売所」
戦後は公民館と呼ばれて、講演会、演芸会、そして体育館の役目も果たして
きたといいます。
八戸線の「種市」で下車
坂道を登っていくと、この校舎がありました。
現在き陸前高田高等職業訓練所になっています。
昭和25年築の旧高田中学の建物。
昭和30年代に入ると、木造校舎は作られなくなるということですから、
最後の木造校舎のひとつなんでしょう。
旧高田中学からの帰り道、川原川の光照寺橋の近くで、こんな美容室を
見つけました。
予想外にこんな建物を見つけた時、本当に探訪していて良かったと
幸せ気分になります。
陸前高田は壊滅的な被害を受けていて、この建物も流されてしまったと
思うけれど、こんな建物が、その以前には建っていたのだよと
何か残したい気持ちになります。
盛岡での写真展は、残念ながら中止となりました。
ヴォーリズの設計で設計依頼を受けた最初の建築で、1909年に建てられた
日本基督教団福島教会が、地震で煙突が崩れて倒壊の可能性もあり、
周辺の安全確保のため、急遽解体となりました。
気になる建物はたくさんありますが、ニュースを見ても、久慈の状況がわかりません。
久慈には東北文化学園大学久慈キャンパスにヴォーリズ設計の久慈幼稚園・宣教師館
がありますが、その安否が心配です。
こちらが宣教師館です。