いつもは考えられないほどの長いお休みの年末年始。
18切符で中国地方を歩く計画を寸暇をおしんで計画して
いました。
それでも時間が足りません。
とにかく、冷蔵庫を空っぽにして、体調を整えて、体力を
残して・・・と思いながら。
どれもこれも足りませんが、29日から出かけてきます。
途中、お声を掛けて頂ければ幸いです。
主な旅程 西尾--名古屋--三ノ宮--加古川--岡山
--倉敷--井原--広島--柳井--新山口--萩
--江津--大田市--出雲市--松江--安来--米子
--鳥取--倉吉--豊岡--大津--草津
では。本日はこれからまだ、お仕事が残っております。
天気の良い一日。久し振りに北区を散歩。
以前に見かけた個人病院が見つからない。
ついでに十条台まで足を延ばす。
陸軍の東京第一造兵廠本館だった建物が、今は区民の憩の場
になっている。質素ながら階段室も素敵だ。
特に青い空が綺麗な日には、白い姿がくっきりと映えて美しいな。
(東京都北区)
というので行ってみた。
総ヒノキ造りで花巻瓦を使用している。
材木町公園へ行ってみると、花巻電鉄の古い電車も保存されていた。
ほそー。なんと、馬づらの由来はここに。
こんなに細い電車で、一体、どんな風に乗るんだろ。
両側に座ると膝が触れ合うというけど、そりゃ、そうだろう。
メタボ同士だと、お腹が触れ合っちゃうよ。
風が吹いても危なくないのかが心配。
(岩手県花巻市)
ゑゐさん 情報をありがとうございます。
公会堂→映画館→ 現在のような自動車整備工場になってからも
歴史が長くなってますね。
廃線になったくりはら高原鉄道、「石越駅」は残っていた。
宮城県の近代化遺産によると昭和17年築となっている。
ホームへ出てみると、1本の線路が延びている。
まるで廃線跡を行くの様相だ。
大正10年に細倉鉱山から鉱石を運ぶために開業した
栗原軌道が前身。
窓口はあっさりしてるように見えるが、窓枠に細かい飾りがあり
デザインされている。
まだ、今にも高校生たちが、列車から降りてきてJRのの駅へと
向かって行きそうな雰囲気が、駅舎の中にも残っている。
(宮城県登米市)
ここまでくると、サスガに道には雪が積もっている。
川沿いにある旅館。洋風の建物が面白いと思った。
お隣の旅館平利は大正期の堂々とした建物だったが、
平成16年に火事で焼けてしまった。
今は建て直して営業している。
(秋田県横手市)
廃線になってしまった。
バスもあるけれど40分ほど、歩いていくと大きな通りから向こう側にちらっと
この建物が見えた。おお。。
どうやら公会堂だった建物らしいが、私は「映」という文字が残っているので
映画館ではないのかなと思った。
それにしても、ぽつんと建っている姿は、ちょっと異様なぐらい。
周辺は新しい町になっていて、不思議な風景を作り出している。
(宮城県栗原郡)
斜面に洋館らしき建物が見えた。
よく見ようと路地を入っていくと見えなくなった。
斜面に沿った道をもっとあがっていくと、この建物があった。
石の門の上には狛犬が乗っかっている。
表札も住所版もないので、どういうお宅が解らないのですが、
多分、Kさんの住宅だろう。
(秋田県湯沢市)
昭和初期の雪国の暮らしは今では考えられないほど貧しいもの
だったという。
昭和9年、農林省積雪地方農村経済調査所が作られ、雪国の暮らし
の実態を調査して、どのようにしたら雪国の人々の暮らしが豊かに
なるかを研究した。
所から委嘱された早稲田大学教授の今和次郎は、住宅改善の方法を
研究し、急勾配の屋根を持った雪下ろしの必要のない建物を採用。
農家の実験棟を敷地内に建てて、実際に農民を住まわせて、
この地域の住宅改良に努めた。
唯一残る今和次郎の設計の建物。
(山形県新庄市)
福島から山形に入っていくと、新幹線のスピードが落ちて
うんうん唸りながら峠を登っていく感じ。
新庄までやってきた。
大正時代の旧楯岡銀行の建物が現在は質店になって
いるという。商店街を進んでいくと目の先にこの建物が
あった。見た瞬間、ドキッとするインパクト。
(山形県新庄市)
能登の七尾の一本杉通りには登録文化財がずらり。
下の高澤ろうそく店さんもそのひとつだ。
明治26年に和蝋燭店を創業するが、明治38年の大火
により焼失。そのあと、明治43年に現建物が完成した。
登録文化財のほかの建物の中には、その大火を免れた
建物たちも含まれている。
探訪旅の楽しみは、いろんな方とお話しできること。
高澤さんの女将さんと、お茶を頂きながら少しお話しをする。
女将さんたちは、明治時代の芝居小屋「でか小屋」を
観光資源として、市民のための文化施設として活かそうと
がんばっているという。
鏝絵で何か描かれている。
よく見ると、左から鶴・梅(波も描かれてる)・亀である。
目出度い、目出度い図柄である。
蔵だと書いたけど、窓のところだけ見ると、洋館のようにも
見えるなあ。
(石川県金沢市)
施設により、現在地に移築された。
再々移築された旧高峰家と合わせて、黒門前緑地
として整備され一般公開されている。
全く違う場所で建てられた2つの建物が、運命の糸に
より、今は仲良く佇んでいる。
これは旧検事正官舎。明治43年築。
(石川県金沢市)
再開発ビルの一部として保存活用されることが決まり
20m東に曳家された。
遅ればせその姿を確認。おおっ、本当だ。
しかしどんな風に一体化するのかなぁ。
(石川県金沢市)
松本の宮坂薬局さんからメールを頂いた。
私のHP「都市風景への旅」の中に、郷里松本の家を見つけて
メールをくださったのだ。
宮坂薬局さんはこの建物を「古い家ですが、これからも大事に保存
していきたい」と書いていらっしゃる。嬉しい言葉だ。
現在の姿と比べてみて、2階の窓の飾りなど良く残っているなと思う。
残念ながら、バルコニー部分は昭和40年頃の道路拡張工事で
取り壊されたそうだ。
私は松本とは縁があり、何度も訪ねて細かく歩いている。
そして宮坂薬局さんの前も何度も歩いて、元気な姿を見ては喜んでい
たのだった。