これもひとつのカイシャクです。
戦争・紛争でお互いの国には強弱はあるのだろうだけど、善悪はおたがいの当事国どうしでもわかれるところだ。
でもそのどちらかの国にどのようなかたちであれ支援したとすれば、相手国からはみれば敵対行為とみなされ、戦争・紛争にいわば参加したと見られてもおかしくないと思う。
「国民をまもるため」…なんかキレイすぎないか。まああの人なりに酔ってるんでしょね。
これもひとつのカイシャクです。
ある人ある集団が見方をかえて、それをごり押しで、それがなんでもまかり通るのであれば、
世の中の何もかもが無秩序になる、無秩序であるとみなされてもおかしくない言動・行動だと思う。(数のチカラの怖さを国民は教訓とすることが出来たのが幸いではあるが)
これもひとつのカイシャクです。
国の基盤であり、国の骨幹をなす、国民が生活する上での指針たる憲法が、ある人ある集団だけで勝手にゆがめられることがあってよい事なのか。
国のコンセンサス、国民のコンセンサスをまったく無視する形で「解釈」なんていうオブラートに包みこみ、なにかをたくらんでいるとしかみえない。
これもひとつのカイシャクです。
「平和の党という看板」と「政権にしがみつく」を天秤にかけて「政権にしがみつく」を選択したみっともない「平和の党、看板倒れ」の集団が存在する。
目の前に「政権」というにんじんをチラチラぶら下げられれば…あっ、じつは最初から出来レースでしただってさ。(まあ、ちょっと抵抗すれば…うまい筋書だったこと)
これもひとつのカイシャクです。
「ひみつほごほう」「しゅうだんてきじえいけん」「しゅうだんあんぽ」…なんかジワジワとしかもシズシズと、振り返ったらいつの間にか…この国は変貌していた。
これもひとつのカイシャクです。
「カイシャク」をして、それをまた「カイシャク」すると…そこにあるものは。
今回の「集団的自衛権」という考え方は、ほんとは必要なのかもしれない。おおいに議論する価値があるとは思う。
でもその是非に対しては一方的な説明しかなく、まったく議論の余地も作らず、歴史の積み重ねをいとも簡単に方向を変えてしまうなんてことは。
せめて是非の判断くらいは国民ひとりひとりがすることでしょ。一握りの集団が勝手に変えるという事件が将来に禍根を残さないか。
ある人が「十分審議を重ねた」と堂々と言っているが、これもその人のただのカイシャクであって、周りの人がそれをどう判断するかまでは左右されないし、“堂々とよく言うよね”
政権内部・政権与党に「NO」を言う人がいないのかね。たぶんいるはずだから「NO」と言えないんだろうね(報復が恐いから。信念をかざすよりも自分を守るため)
「執行部に一任」した傀儡与党にも内部から「NO」というコトバが出ているらしいが、すでに「一任」しちゃってるんだから、いまさらながらパフォーマンスにすぎないし。
いよいよ「ファシスト政権」の影がチラチラ見え隠れしてきましたよ。ホント「数のチカラ」で世の中を蹂躙することほど怖いものはない。
国民が総意で決めるべきことなのに、その国民をないがしろにして憲法を蹂躙することがはたして後世の人たちにとって幸いをもたらすことなのか、災いをもたらすことになるのか。
ただ、その時代には「このカイシャクが好きな政治屋」どもがいずれもこの世からいなくなるのは確かなカイシャクではあるが。
今回はすべて「ひとつのカイシャク」ですから…。
戦争・紛争でお互いの国には強弱はあるのだろうだけど、善悪はおたがいの当事国どうしでもわかれるところだ。
でもそのどちらかの国にどのようなかたちであれ支援したとすれば、相手国からはみれば敵対行為とみなされ、戦争・紛争にいわば参加したと見られてもおかしくないと思う。
「国民をまもるため」…なんかキレイすぎないか。まああの人なりに酔ってるんでしょね。
これもひとつのカイシャクです。
ある人ある集団が見方をかえて、それをごり押しで、それがなんでもまかり通るのであれば、
世の中の何もかもが無秩序になる、無秩序であるとみなされてもおかしくない言動・行動だと思う。(数のチカラの怖さを国民は教訓とすることが出来たのが幸いではあるが)
これもひとつのカイシャクです。
国の基盤であり、国の骨幹をなす、国民が生活する上での指針たる憲法が、ある人ある集団だけで勝手にゆがめられることがあってよい事なのか。
国のコンセンサス、国民のコンセンサスをまったく無視する形で「解釈」なんていうオブラートに包みこみ、なにかをたくらんでいるとしかみえない。
これもひとつのカイシャクです。
「平和の党という看板」と「政権にしがみつく」を天秤にかけて「政権にしがみつく」を選択したみっともない「平和の党、看板倒れ」の集団が存在する。
目の前に「政権」というにんじんをチラチラぶら下げられれば…あっ、じつは最初から出来レースでしただってさ。(まあ、ちょっと抵抗すれば…うまい筋書だったこと)
これもひとつのカイシャクです。
「ひみつほごほう」「しゅうだんてきじえいけん」「しゅうだんあんぽ」…なんかジワジワとしかもシズシズと、振り返ったらいつの間にか…この国は変貌していた。
これもひとつのカイシャクです。
「カイシャク」をして、それをまた「カイシャク」すると…そこにあるものは。
今回の「集団的自衛権」という考え方は、ほんとは必要なのかもしれない。おおいに議論する価値があるとは思う。
でもその是非に対しては一方的な説明しかなく、まったく議論の余地も作らず、歴史の積み重ねをいとも簡単に方向を変えてしまうなんてことは。
せめて是非の判断くらいは国民ひとりひとりがすることでしょ。一握りの集団が勝手に変えるという事件が将来に禍根を残さないか。
ある人が「十分審議を重ねた」と堂々と言っているが、これもその人のただのカイシャクであって、周りの人がそれをどう判断するかまでは左右されないし、“堂々とよく言うよね”
政権内部・政権与党に「NO」を言う人がいないのかね。たぶんいるはずだから「NO」と言えないんだろうね(報復が恐いから。信念をかざすよりも自分を守るため)
「執行部に一任」した傀儡与党にも内部から「NO」というコトバが出ているらしいが、すでに「一任」しちゃってるんだから、いまさらながらパフォーマンスにすぎないし。
いよいよ「ファシスト政権」の影がチラチラ見え隠れしてきましたよ。ホント「数のチカラ」で世の中を蹂躙することほど怖いものはない。
国民が総意で決めるべきことなのに、その国民をないがしろにして憲法を蹂躙することがはたして後世の人たちにとって幸いをもたらすことなのか、災いをもたらすことになるのか。
ただ、その時代には「このカイシャクが好きな政治屋」どもがいずれもこの世からいなくなるのは確かなカイシャクではあるが。
今回はすべて「ひとつのカイシャク」ですから…。