「謝」…謝罪・陳謝・謝絶・辞謝・感謝・謝礼…。
先人の“教え”“偉業”を学び、徳をもたらし、利を得、発展をする。
古来、大陸の文化、慣習(この場合、中国)が流れ着き、それらを吸収をして発展を繰り返し、自国の文化を育んできた日本。
そのような一種の恩恵をいただいているので、教育の現場では当然「大陸文化の渡来」をかかさずに教えられる。
いろいろな文化が伝わる中で、道徳・儒教からの教えが相手に対して、その相手からもお互いの立場に立った想い、恩恵を「感謝する」というココロで培われ、
ヒトのココロの奥底にも自然と持ち続けることになった。日本人の持つ1つの道徳観である。
最近のニュースから…
南シナ海での領有権争いの中、ベトナム漁船?に中国漁船?が衝突を繰り返し、ベトナム漁船がついには沈没した。
多くの偉人・恩人を輩出し近隣諸国の模倣ともなるであろう国が、国家権力の横暴・国内闘争覇権争い・ゆがんだメンツ主義で強権主張をくりかえし、
「言ったもん勝ち」の様相をみせている。
歴史の大きな流れから、国の存亡として見ると“こうやって”衰退してゆくんだな…と思わざるを得ない。
本来なら近隣諸国から“尊敬”され“模範”となるであろう国でありながら、この騒動の中1つ欠けているものがある
「謝」である。
今回の事件のいきさつはどうであれ、人間が乗った船舶が沈没させられている。
国家間の問題であろうと、人間の生死にかかわる事件・事故に対して、まずは人道的に謝意を述べることが先決であろう。
正当性ばかりを主張しいる姿は、この国で受け継がれた道徳観の微塵もかけらもない。
この横暴な覇権主義・横暴主張をなりふり構わずくりかえす振る舞いからは、古来からのこの国に対する「感謝のココロ」を抹殺してしまうに至る行為だ。
皮肉にも権力・メンツというものが独り歩きし、この国のカタチを盲目のものにしてしまう。
一国の存亡として、存亡の形として学び取るべき事柄になってしまった。
「謝の心」
いろんな意味で「謝」という精神を持ち続けそれを育み、どのような状況でもその「大きな心」を相手に対しても、また自分にも抱かせることが
国家・権力・あらゆる争い・わだかまりにも負けない「人の道」であるような気がする。
※今回の事件に関して、マスコミの偏重で正確にこちらに報道が伝わっていないのかもしれない。どちらかに偏ったもの・編集したものなど
最終には各個人の責任の上で吟味・精査する必要が生じる
よって「謝の心」はあくまでも私見である。
先人の“教え”“偉業”を学び、徳をもたらし、利を得、発展をする。
古来、大陸の文化、慣習(この場合、中国)が流れ着き、それらを吸収をして発展を繰り返し、自国の文化を育んできた日本。
そのような一種の恩恵をいただいているので、教育の現場では当然「大陸文化の渡来」をかかさずに教えられる。
いろいろな文化が伝わる中で、道徳・儒教からの教えが相手に対して、その相手からもお互いの立場に立った想い、恩恵を「感謝する」というココロで培われ、
ヒトのココロの奥底にも自然と持ち続けることになった。日本人の持つ1つの道徳観である。
最近のニュースから…
南シナ海での領有権争いの中、ベトナム漁船?に中国漁船?が衝突を繰り返し、ベトナム漁船がついには沈没した。
多くの偉人・恩人を輩出し近隣諸国の模倣ともなるであろう国が、国家権力の横暴・国内闘争覇権争い・ゆがんだメンツ主義で強権主張をくりかえし、
「言ったもん勝ち」の様相をみせている。
歴史の大きな流れから、国の存亡として見ると“こうやって”衰退してゆくんだな…と思わざるを得ない。
本来なら近隣諸国から“尊敬”され“模範”となるであろう国でありながら、この騒動の中1つ欠けているものがある
「謝」である。
今回の事件のいきさつはどうであれ、人間が乗った船舶が沈没させられている。
国家間の問題であろうと、人間の生死にかかわる事件・事故に対して、まずは人道的に謝意を述べることが先決であろう。
正当性ばかりを主張しいる姿は、この国で受け継がれた道徳観の微塵もかけらもない。
この横暴な覇権主義・横暴主張をなりふり構わずくりかえす振る舞いからは、古来からのこの国に対する「感謝のココロ」を抹殺してしまうに至る行為だ。
皮肉にも権力・メンツというものが独り歩きし、この国のカタチを盲目のものにしてしまう。
一国の存亡として、存亡の形として学び取るべき事柄になってしまった。
「謝の心」
いろんな意味で「謝」という精神を持ち続けそれを育み、どのような状況でもその「大きな心」を相手に対しても、また自分にも抱かせることが
国家・権力・あらゆる争い・わだかまりにも負けない「人の道」であるような気がする。
※今回の事件に関して、マスコミの偏重で正確にこちらに報道が伝わっていないのかもしれない。どちらかに偏ったもの・編集したものなど
最終には各個人の責任の上で吟味・精査する必要が生じる
よって「謝の心」はあくまでも私見である。