10数年前の友の会で訪問した「鈴木貫太郎記念館」が再建されるとの記事が日経新聞に掲載されていましたのでお送り致します。
鈴木貫太郎記念館再建に向けた基金を創設(野田市のHPより)
鈴木貫太郎記念館は、昭和37年に「財団法人鈴木貫太郎記念会」によって建設されました。
同財団を構成するメンバーは、地域の方のほかに、千葉県知事、野田市長、関宿町長などが名を連ねていました。
記念館は、昭和41年の正式な開館とともに、旧関宿町に移管され貫太郎翁の功績を伝えてきました。
2年前の台風が原因の雨漏りにより臨時休館(一部見学と解説は可)となったため、改修により早急な開館を目指しましたが、建設から59年が経過していることから、事前に耐震診断を行った
ところ、コンクリートの強度が著しく低下し補強することは困難であるという結果になりました。
市では、日本を終戦に導いた鈴木貫太郎翁を郷土の偉人として、その功績をこれからも後世に伝えると共に全国に広めていく拠点の整備として記念館を再建する予定です。
再建にあたって建設費用は当初の建設のように、貫太郎翁ゆかりの財界人や政治家などを含めてできるだけ多くの方々に再建の意義に賛同いただき、寄附を募って再建していく予定です。
いつも素晴らしいブログを拝見させて頂けます幸せに感謝を申し上げております。
おっしゃいますように「あまり名前の知られていない人ですが・・・」 ↑
私も恥ずかしいことに、記念館見学などをする前は詳しく知りませんでした。
総理大臣としての任期が短いこともありますが戦争の終結に尽力した
大切なお方で千葉県の偉人でもありますがです。
歴史倶楽部入会に多くを学ぶ機会を頂き、半藤一利氏ファンにもなりました。
勿論「日本のいちばん長い日」も読み、映画、NHKのドキュメントに涙も流しました。
「聖断」昭和天皇と鈴木貫太郎 半藤一利著も読みました。
又、NHKの戦争に関するドキュメントは録画してみております。
歴史ヒストリア「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎」は「首相として御前会議の議長を務め・・・」↑
の当時の様子、2・26事件の様子を語った奥様の肉声などが収められております。
又、「一生懸命漕いできた~半藤一利さんの思い出」も録画してみております。
最近の悲しいドキュメントは”玉砕”の島「テニアン島 日本人移民の記録」です。
今まで父の戦死で不幸な人を演じて?きましたがテニアン島の悲劇を見て
甘えていた自身を恥じております。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
有り難うございました。
あまり名前の知られていない人ですが、今日、日本があるのは鈴木貫太郎の尽力であると思います。
鈴木貫太郎氏は素晴らしいお方と語り継がれ千葉県の誇りです。
10年間の歴史倶楽部の散策は本当に大切な思い出になっております。
ブログに綴ってありますと時々旅の思い出を振り返ることができます。
郷土にこのような偉人がおられましたとは、
誇り高いですね。
旅行の地としても最高の選択だと思いました。
私こそいつもお訪ね頂きまして御礼を申し上げておりました。
「戦後生まれ・・・」と拝見いたしました。
これから若さを吸収させてくださいませ。
私は、傘寿を過ぎた戦争遺児です。
ガーベラさまの「向陽寮」を拝見、私もTVを見て涙があふれました。
同じ遺児でも祖父母、親戚縁者に何不自由なく育ててもらった私は
申し訳ない気持ちでもありました。
戦争関係のドキュメントは録画していつも涙を流しております。
現在は千葉市遺族会役員として微力ながらお世話役を担っております。
この度は有り難うございました。
拙ブログにご訪問頂きまして有難うございました。
半世紀も前福島県白河市に住んでおりまして千葉の方も懐かしく思い出しております。
追々読ませて頂きたくフォローさせて頂きます。
宜しくお願い致します。