米軍が撮影した「白旗の少女」=沖縄県公文書館所蔵
米軍に撮影された一枚のモノクロ写真がある。破れたモンペに素足の少女が、木の根に結ばれた白い布を掲げ、懸命に手を振っている。
後に「白旗の少女」と呼ばれるようになった比嘉富子さん(87)(沖縄県沖縄市)は当時7歳。戦野をさまよい、生き延びた遠い記憶をたどった。
1945年6月25日、暗いガマ(洞窟)に片言の日本語が響いた。
降伏を呼びかける米兵の声だ。その中には、ガマで出会った両手足がないおじいさんと目が不自由なおばあさん、そして富子さんの3人が潜んでいた。
いつもは優しいおじいさんが「これを結びつけるものを持ってきなさい」と硬い声で言った。おばあさんがおじいさんの白い 褌 を手にしている。
富子さんは木の根を竿のようにし、しっかりと結んだ。
「それは世界で約束された安全の印。持って外に出なさい」。おじいさんがそう促した。でも富子さんは米軍に捕まれば殺されると思っていた。
「嫌だ。一緒に死にたい」とだだをこねると大声で叱られた。おばあさんも「早くこれを持ってお逃げ」とせかした。
「外に出たら、白旗を掲げるんだ。高く、まっすぐにだよ」。その言葉を背に出口に向かった。まず白布を結びつけた枝をそっと出す。
続いて顔を出して周りの様子をうかがう。 そして一歩、また一歩とガマの外に踏み出した――。
以上は讀賣新聞報道より転載させて頂きました
以下は日テレ報道より頂きました
「白旗の少女」がカラー化されたお写真
撮影をされました元米兵 ジョン・ヘンドリクソンさんと43年ぶりに再会されました時の思い出の写真ですと。
助けていただいた「おじいちゃん・おばあちゃん」のことはとてもありがたく一生忘れることができませんと語っておられました。
撮影をされました元米兵 ジョン・ヘンドリクソンさんと43年ぶりに再会され、感謝を申し上げられましたお喜びを語っておられました。
お写真をカラー化するために広島テレビの 庭田 杏珠さんと「空の色は?」・「洋服の色は?」など何回も打合せを行いましたそうです。
カラー化されたお写真をご覧になられてビックリされながらもお喜びの 比嘉 富子さん、どうぞお元気にお過ごしくださいとお祈り申し上げました。