終戦80年及び事業実施35周年記念洋上慰霊に参加 12-11
令和7年6月10日(火)
6月10日(火)の朝食のメニューを記念の保存しました
6月10日 9:13 種子島を通過 6月10日 9:16 に恵まれ素晴らしい海の青さと屋久島を臨みました
映画視聴 「阿彦哲郎物語」
平和の語り部研修に於いては石川県・千葉県の参加者で最後のまとめを話し合いました。
6月10日(火)最後の昼食メニューを記念に保存しました
水落 敏栄団長の総括と洋上慰霊解団式を行いました
6月10日(火)最後の夕食のメニューを記念に保存しました
11日間、毎日美味しいお食事に舌鼓を打ちながら日々を過ごして参りましたが、まだ洋上慰霊が行われておりませんでした
25年前、陸軍の遺児の皆様とご一緒に多くの島々を慰霊巡拝にジャングルを渡り歩き、度々のスコールに全身ずぶぬれに
なりましたり、お食事も日本から輸送されましたお弁当をガタガタバスの中で頂きましたことを思いだし洋上慰霊の毎日の
お食事に感謝の他、言葉がございません。
又、スーツケースも毎日移動しました25年前に比べましたら、この度の船の旅に「疲れました」は禁句に存じました。
当時、私はレイテ島にわたりレイテ湾の海岸に祭壇を祀って頂き、はじめて父に「追悼文」を読み、献花を捧げました。
。 この時、日本は12月の初冬でしたがレイテ湾に手を浸しましたときの温かさにここなら父も寒くないと慰められました。
レイテ島のホテルとは名ばかりに浴槽にお湯をひねれば赤錆で入浴は出来ず、洗面器にお湯をはって上澄みを使用しました。
以上の経験から三度、洋上慰霊に参加をさせて頂きましたことに日本遺族会をはじめ、関係各位の皆様に心から感謝と御礼を
申し上げております。
夕食後のひと時20:00~21:00まで特別に「交流会」が開催されました。
参加者全員で郷土の歌と踊りを披露 ご夫妻で詩吟を披露されました 手品を披露されました
素晴らしい民謡を披露されました 素晴らしい民謡を披露されました 長崎県の九段短歌の友人に出会いましたので九段短歌の購読に感謝を申し上げたく
二人で壇上に上がり御礼と最近掲載の1首ずつ披露させて頂きました。
逢えぬとはわかりし今も足が向く遥かなるサイパン父を想いて 長崎県友人
遺族会の語り部講義に児童らの真剣な眼に魂ゆさぶらる 私
お声がひびいてくるようです。
なきお父様たちも皆さんも胸にひびいたことでしょうね。
お骨が無くとも土に還ってしまっても慰霊に出かけたいものです。
千葉県代表として何かお話下さいとすすめられましたので、九段短歌への御礼を思いつきました。
長崎県の安原さまのお歌が掲載されておりました遺族通信は持参しておりましたので喜んで頂ました。
交流会後には多くの皆様から「いつも拝見しておりますよ。」とお言葉を頂き
とても幸せなひと時でございました。
しかし、遺族通信の購読者も少ないように伺っております。
この度、千葉県の男性のために4・5月号を持参いたしましたが
6名とも初めて拝見しましたでしたので購読をお願いしました。
現在2名の方から申し込みましたとラインに頂き、有り難く思っております。