牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

自然界、動物界、そして人類も平和に

2015-12-27 19:53:04 | Weblog

イザヤ書11:5-9 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。
11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
クリスマスはその瞬間を垣間見せる平和のとき。いと高きところに栄光が、地の上に平和があるように。天使たちの歌声が聞こえるような年末の日々です。
イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと新いるだけで、人間世界だけでなく、動植物や全宇宙空間にまで、平和があふれる約束です。
主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすから、そう願い祈りながら福音を伝えている生涯です。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。




愛は愛のことばに応える。アーメン信じます。

2015-12-27 06:25:29 | Weblog

聖書の一言;14:21-24 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」
神は愛です。
神が愛なら、その愛を見せてくれと言われることもあります。
神の愛はいつもあります。大自然は神の愛のしるしです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自然の不思議さは、神の愛の恵みです。闇を破って昇る太陽に、元旦は多くの人が新しい年に幸多かれと手を合わせます。その太陽の創造者を礼拝するように、2016年の元旦から生き方を変えてください。
神の愛は、イエス・キリストの十字架に現されています。 3:15 それは、信じる者がみな、永遠のいのちを持ち、天国へ行くためです。神は、実に、そのひとり子イエス・キリストを十字架に身代わりにするほどに、この世を愛されました。それは、その救いをアーメンと信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。
神の愛は、聖書のことばに告白されています。聖書は、神の人類への愛の手紙。
25年間、洗礼を受けないで、自分の信仰こそ第一級だと思い込んでいた学者がいました。論議を挑まれましたが、イエス様を信じることにかけては人後に落ちないと胸を張ります。イエス様を愛しますか?というと、さらに胸を張ります。
そこで静かに聖書を開き、 。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」を示しました。
イエス・キリストの最後のことば、信じてバプテスマを受ける者は、救われます。と宣言されました。
理由は様々るでしょうが、屁理屈を言わずに素直に、聖書のことばにアーメンと信じる時、愛が豊かに注がれます。愛の言葉にアーメン信じます。愛しますと
告白し、今日は今年最後の日曜日、愛するイエス様の復活を喜び祝う礼拝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

元旦礼拝=午前11時より生駒聖書学院チャペル。一年の祝福を牧師が祈ります。
1月3日(日)2016年最初の日曜日。聖餐式礼拝です。