牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

格差が広がり、戦争志向の国へと向かいそう。平和憲法を堅く守ろう。

2015-12-20 19:03:55 | Weblog
イザヤの活動は60年で、国内では繁栄と内乱、隣国の滅亡を目にし、自国が滅亡しないように、軍事同盟を止めて真の神に信頼し、将来のことについても滅亡と救世主出現を預言しました。今日の聖書の一言は厳しい叱責のことばです。
日本も今、イザヤの時代よりも厳しい状況になり、お金、お金、経済がすべてであるかのような時代。戦争志向に傾いているように思い、ゲームで育った世代が、殺人を遊びのように思っているのでは?今年は、戦争が終わって70年を迎えました。殺し合いのなかった素晴らしい日本を、これからも愛と自由の国として継続するように祈ります。
イザヤ書5:7-24 まことに、主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。私の耳に、万軍の主は告げられた。「必ず、多くの家は荒れすたれ、大きな美しい家々も住む人がなくなる。
ああ。うそを綱として咎を引き寄せ、車の手綱でするように、 罪を引き寄せている者たち。
ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。ああ。おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りがある者と見せかける者たち。ああ。酒を飲むことでの勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去っている。
5:24 それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、聖なる方のみことばを侮ったからだ。
イザヤ書の前半には、どうしようもないほど厳しい宣言が続きます。しかし、聴く耳もたずでした。2700年後の現代社会も同じです。平和憲法を堅く保つのみです。
祖母、孫、曾孫とツーショットの礼拝です。
クリスマスのこの時期。本当の平和と愛に満ちた日本になるよう、祝福を祈り期待し,ます。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

一粒の麦が死ねば多くの豊かさへとなる

2015-12-20 08:02:30 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
死ねば豊かな実を結ぶ。麦の種を棚の上に飾っていても、決して芽を出し、豊かな実を結ぶことは無いように、人生も同じことです。
イエス・キリストは、マタイの福音書16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。と教えました。
いのちを失う=一つは文字通り死ぬことです。アーメンと信じる時、永遠のいのちが与えられるので、死んでも天国です。そして、その死を通しても多くの人が救われます。1年7ヶ月前に召された妻は、余命一年を宣言され、病の身体で実家の出水市まで行き、ホテル結婚式チャペルで、姉弟家族30名がアーメンと信じ、病床で5名が洗礼。看護師3名と葬儀社員5名も受け入れる祈り。召天式の朝、78姉、70歳弟夫婦、65歳次弟、長男義母5人が洗礼を受け、クリスチャンとして召天式参列。
昨年は9名の方を、今年は2名の召天式でしたが、式場で信じますアーメンと、また個人的に葬儀社員たちもアーメン信じますとの祈りです。
もう一つは自我に死ぬことです。自我とは、肉の欲と情の塊です。本質的に自分の事だけの我です。その事をガラテヤ人への手紙は本質的解決を教えています。
自我の死=ガラテヤ書2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

情と欲の死=5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉に従う生き方を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
どうにも抑制できない感情に死に、自制できる喜びと楽しみ人生です。

この世=目の欲、肉の欲、所有物の誇り=6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

昆布やカツオがいっぱいいても、海に昆布だしやかつおダシが出ないのは、昆布やカツオが生だからです。切られて干され、カラカラになると初めて味が出るようになります。昨日、大分から届いたシイタケもそうです。
人生で干されるのはいやです。でもそういう経験で生きた人も大勢います。辛いママで人生を終わらせる必要はありません。干されカラカラんあると味が出てきます。後期になれば、高貴、光輝、香気、幸喜、好機。良い味わいの人生を体験するだけでなく、そこにいるだけで味が出る、幸せを提供できるようになります。
不平不満や、怒りや憤慨を蒔き散らさず。平安と感謝、信仰。希望、愛の香気が香る、クリスマスの年末を年齢、性別に関係なく過ごし、すばらしい光輝に輝く年末を、多くの実を結び無堅いものです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝しmす。