牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

食べて楽しもう

2015-12-01 21:00:23 | Weblog
伝道者の書2:24-25 人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。
伝道者の書は、ソロモンによると言われています。この地上でもっとも多くの権力と勢力を得た王の人生訓です。
真の神を知るまでは、何をしても空の空の人生。一度12章の短い書です。
知恵知識、笑いとは狂気であり、快楽が何の足しになるのか。酒、大事業、金銀財宝、大宮殿にハーレム、人が求めるあらゆるものを手に入れ、味わい尽くした。自分の生活も含めて一切の自然現象も、価値のない退屈な繰り返しにすぎず、その空しさをいちいち言ってもきりがない。空の空・・・。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
生かされているのは、神の栄光のためです。真の神を信じ、救われt人生は、生きることのすべてが感謝となり、食べて身体も守られ、心の糧を聖書からうけて、霊魂体、三拍子そろった平安で幸せを体験することです。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。

光はやみをおいだす

2015-12-01 05:58:29 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書3:17-21 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
やみから抜け出る秘訣は、光のあるところへ出ることです。光がいっぱいの昼間でも、光のない所に幾と真っ暗です。
暗い暗い、この世はやみだ。何で自分の人生はこんなに暗いのか、と不平不満、文句たらたら言いながら生きる。暗い人生を人のせいにしたり、環境や出来事にしているなら、今から光が一杯の平安と幸せな人生へ。アーメン信じますと踏み出してください。
光はことばです。
ヨハネの福音書1:4 この方=ことばにいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
この方イエスキリスト=ことば=光=光はやみの中に輝いている。時代がどうであれ、何事が起ころうとも、やみはこれ=光に打ち勝てなかった。
創世記1:13 初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
その日以来、真の愛の光は輝き続けています。光はことばがあったとき輝いたように、イエス・キリストをアーメンと信じる時、どんな暗闇の人生を生きていても、輝く光に照らされ輝き始めます。
ヨハネの福音書8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
神の愛は裁く愛ではなく、光に導く愛です。光に照らされて歩む楽しい日々を祈ります。
テサロニケ人への第一の手紙5:89 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。