枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

古典落語・芝浜

2023年12月25日 | Weblog

 以前に買った古典落語カレンダーは、日捲り形式になっていて繰り返し使える。それに依ると、本日は幾代餅であるが江戸時代には芝浜。古今亭志ん朝・立川談志師匠を聴いて、噺にしんみりした。成程ねぇ…、こういう手合いが通じるのも、現代には無情を思う心境にもなる。

 今朝は暖かいと玄関にお飾りを付けに出れば、アスファルトが濡れている。ここ数日天気が続いていたから、雨神の来訪に安堵。年末の用事も一つづつ済ませているので、夜間は眠くなる。昨夜は、世界三大テノールを聴きながら瞼が握手してしまう。何分年齢のせいかと。

 予定通りに物事も行え、気持ちにゆとりを感じれるのは旧暦の暮らしと想える。月の満ち欠けや潮の満干潮には、体内への影響が大きく拘る。自然からの恩恵に祈り・感謝の日々であれば、自ずと判ることも増える。ああ・これはこうなんだと、心の中に入り落ち着くものなのです。

 そういった事象を疑えば、佳き物が反転して心を曝け出すのだが気づかない。個人的には、物事を素直に捉え未来への啓告と感謝する。何も求めず願わずの精神で過ごしていけることの、何と有難い想いだろう。神の存在を心中に宿せることは、これ以上の歓びはなくにも。

 断っておきますが、クリスチャンではありませんです。神は森羅万象・宇宙と、お釈迦さまの訓えに通じるもの。白龍も鳳凰や火の鳥等、奢れる者には視えず清らかであれと諭される。自らの心根を保ち、命への讃歌に祈れる有難さを感謝と背筋を伸ばして歩みたく精進継続。

コメント (2)
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