枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月・朔・大潮

2023年12月13日 | Weblog

 旧暦の霜月とは思えない気温と天気に、恒例の塩替えを行う。家屋や外側の邪気を祓うのと、気持ちの入れ換えでもある。昨年に比べれば随分と暖かく、過ごし易いのも確かだが気温差は激しく変わるから注意も必要だ。些細なことだがちょっとした気の弛みや、自然を侮るべからず。

 枇杷葉を用いるようになり、身体への負担軽減に努めて十数年の歳月が経つ。その間に自然から訓えられた数々のことは、経験という貴重な宝となる。知識の豊富さ然り、ネット依存にはならず決して鵜呑みにしない自制がある。多々なる記事や更新の内容にも、自分為りの工夫を。

 図書館から借りている雑誌も、役立つ情報が多くあるものの其の儘には適用せず自分に合う方法を見つける。知恵と工夫とは、如何せん自然からの恩恵と心得ても。小豆懐炉も、環境の観点から繰り返し使えることと無駄を省くのが有難い。命はあらゆる物に存在する、祈り・感謝と。

 人間の姿をしていなくとも、共存して命を終えて往くのを本望とし恨まずだ。天からの与えて貰えることには、必要であるから。形にすれば僅かな物も、感じれば増えていくし援けて貰えると気づけば有難い。他人から謂れ、諭されるからではなく命を全うしたい。森羅万象、逝き方通ず。

 昨夜、何気にyuu-tyu-buを検索していて、とある映像に遇えた。オリンピックの前年の事件で被害者は四歳の誘拐、記憶を呼び覚まされた。数年前に買った文庫が手元に有り、犯人のしたたかさに憤慨した小学生の多感な年頃。あの頃は、お金のないのは辛く悔しい思いが強くて。

 年齢を経て来てこそ、自らの物はないと至り清貧の暮らしをしている。他人を羨みや妬みであれば、必然的に己に還る。言葉も云うのも書くにも魂が宿る為、心してでないと忘れた頃に戻る。生き方は死に方に通じ、為せることが還せることに達せるよう努めたいものと自己反省継続中。

コメント (2)
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