枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月、小満・大潮

2019年05月21日 | Weblog

 二十四節気 小満 光熱共に旺盛となり、陽気天地に満ちる、と言う意味で、小満という。毎年、五月二十一日頃である。睦月や如月の季節には、光も弱く、生命の宿りも静かであったのが、今は光り輝く新しさに満ち、何と言う清々さに溢れていることだろう。今朝は、雨も嵐も治まって晴天。

 夕方からの突風に、干していても余り意味のない洗濯物を仕舞うが、朝には棹に。枇杷葉も、ある程度袋が飛んだが、全部ではなかったので一安心。何しろ700近いのが、外れてしまっては、これから再度掛ける意欲も、気力もない。そうなったら、諦めてそのままにした。努力が足らぬのかな。

 勤務に出掛け、業務をこなしていくが、段取りの悪さはどうだろう。介護の基本は見守りで、その都度状況も考えていかなければ、何も出来ない。それを言葉や態度を交えてのことでするのは、決して容易くはない。でも、しなければ業務が滞る。自分は、どう動けばいいか、判断するのも仕事。

 手際も然ることながら、相手の動きに合わせることも大切で、生きている限りは、自分の思うようにしたい。こちらの想いは相手には届かず、相手のしようとすることに添わねばならない。トイレ誘導にも、時間で行ける日もあれば、天気に左右されることもある。それが人間であり自然の摂理。

 長年業務を遣っていても、その都度人間は変わっていくし、同じ方とは限らない。要は、その人の特徴を知りながら、合わせることも重要で、まさに阿・吽の呼吸が求められる。精神的にも肉体的にも疲労を伴うが、コツが掴めれば、可能な事もある。日々が悩みであり、迷うことの多い仕事だ。

 次第に綻びる苞。最初は、産毛の塊なのが、薄茶色に転じて、小豆大になると、白い花弁が。

 

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強風に袋が・・・

2019年05月20日 | Weblog

 洗濯物は風で巻き上げられ、ちょっと置いている物も、吹っ飛んでいく。枇杷葉の袋も、撓いで大きく揺れ、挙句に袋を落とす。親指大やら小指位の、青い実が袋中に入っている。お茶にすればいいので、拾って集める。掛けている袋にしたら、少しではあるが、自然の驚異にびっくり。

 今朝は、天気が怪しいので、蒲団は干さないでおいたが、洗濯物が棹に絡むので、粗乾きになったところで室内に入れた。葉書を投函しに行く序でに、Aさんちに水を分けて貰いに寄り、帰宅してからすばるのトイレを換える。本日の予定はないので、ゆっくり、のんびりと過している。

 昨日、午後から手当てに来る、と言うので握り鮨の用意をして待つ。何時ものパターンで、足湯からかかり、腕と足とを、枇杷葉ローションで手当てし擦る。腕の血液の巡りが悪く冷たいのを、徐々に回復させて、足の脹脛辺りを触る。角質がボロボロ剥がれていく。艶やかに手当てを。

 ちょっとばかり元気がなかったのが、少し気力を回復して帰って行った。枇杷葉茶は血液の巡りを好くし、体内の清浄もするのですが、根気と持続がなければ保てない。かと言って、病気ではないのを、気落ちされても困るので、エネルギー充電の試みをしている。笑顔になって一安心。

 可能な限りを施行しておいた。DVDを観るというので、指輪物語Ⅱをかけておいた。然し、所要時間の長いことに驚く。観ている方はいいが、手当てをする方は根気に負けそう。尤も、本人は余りの気持ちの好さに、半眼で眠っているのだ。そういう方には、心底から治療出来るのです。

 勤続10年が経ったので、勤務先から寸志が出ると言うのにびっくり。いやいや、有り難いことである。思ってもみなかったことに、思わずにんまりとなる。喜寿も近くなり、体力的にもきつい仕事ではあるが、就労年数が延びたことでもあり、残りの日数を努めよう。ぼちぼちですけれど。

 長崎茂木は、早くから生り始め、毎年たくさんの収穫をもたらせる。感謝に堪えません。

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虫の好みに、卯月、望・大潮

2019年05月19日 | Weblog

 先日、友人が来訪して毛虫の話をしたが、我が家には幸いに野鳥が飛来するので、驚くほどではない。まあ、見つければ捕獲するし、気づかなければそのままになる。今朝は早朝からの団地清掃を終え、序での事と枝を切ったり、傷んだ葉を採っていたが、つわ蕗の葉が殆どなかった。えっ、苦くないの。

 先日、水遣りでしゃっきっとしたのはいいが、よく見ると葉が齧られている。枇杷葉もあれば海棠も、薔薇もあるという場所で、これまでには無事であったのが、今年は新種の毛虫か?雨が降るのと、天気の状態にも因って異なってくるのか。これが自然界の原則なのだろう、と妙に納得しながら眺めた。

 枇杷葉も、フェンスの向こうに出れば困るので、折ったり切ったりした。たくさんの木が育っているので、これ以上は大変になる。樹の高さもだが、実が生っての袋掛けがしんどいのである。手伝ってもらえば、日当を払わねばならないし、めんどくさい気持ちも加わる。文句のない程度には自分でしか。

 スズランも咲き終わり、これからは紫陽花の季節に向かう。一昨年までは、薔薇が繁っていたのがなく、今年はちらほらの状態だ。何もかもは無理という結果でもあり、枇杷葉とブルーベリーが勢力を広げている。種の起源であるが、絶滅していけば、繁栄する種類もあるんでしょう。人間の勝手には。

 団地の清掃、と言っても草刈りが主で、刈った草を手押し車に乗せて運び、後は役場に依頼するのだ。枯れた状態で引き取ってくれる。然し、時間が早朝なのがきつく感じられるが、会長の意向もある。要は、個々にきちんと片付け、綺麗にしておけば問題はないように思える。家内は掃除しても外は塵に。

 ツワブキ。薬草でもある。出物・腫物に、少し火で炙って患部に乗せる。膿が自然に出る。

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月日の・・・

2019年05月18日 | Weblog

 新暦で過していれば、月日は瞬きの感じがする。旧暦では、約ひと月は遅れて廻り、その年に因っては、閏月も入ったりするので、季節感も伴ってゆっくりになる。給料を払う側としては、12ヶ月分よりも、13ヶ月分と言うのは、日数に関らずなので痛い。福沢諭吉にとっての心境は?

 激務に喘ぐ日々が、本日は少し負担が消え、何とか務め終えた。要するにメンバーにも依るのだ。お互いの勤務内容を把握して、協力しなくては不可能なのだ。店は狭くても、確実に売れる工夫が好い。個々の対応にすれば、分担も減る。職員が少ないのだから広げない。丁寧な方法で行。

 勤務を減らせば、保険が付かなくなるそうで、これには困った。時間数での勤務は、6時間以上なければ駄目だそうで、息子のに加入するかの選択になるらしい。個人的には、医者も行かないし、嫌いであるから問題はないが、緊急時にはとんでもないことになる。仕事を辞めてしまえば。

 更新のやり直しになるが、それも致し方のないこと。介護の激務からは逃れようがないこと。老体に鞭打っての勤務は、介護の仕事では倒れてしまうが、諸条件では有難い場所でもある。上を見れば限がないし、下を視てもしれている。贅沢はしていないが、暮らしの元を築いておくのも。

 明日は、団地の草刈りであるが、何やら天気が怪しくなってきている。今年は、早くも梅雨のような雲行き。それにしても雨は少ないが、集中豪雨に被害が出るような気もする。用心に越した事はないとは言え、その用心の手立てがはっきりしない。便利で快適なれば尚更な生活でもある。

 10月になると、葉の中心がぐっと膨らんできて、こんもり盛り上る。薄茶色の苞が破れて、白い花弁が。

 

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気分転換に

2019年05月17日 | Weblog

 天気が回復して、すっきりした青空である。職場の同僚と、食事をしに行く約束だったので、昼までの用事を済ませておく。その後、ちょっと早いかとも思ったが、出掛ける。相手は、自転車なのできっと急いで来るだろう。店での待ち合わせで、予約を入れてある。まあ、何事も慌てず騒がずで。

 ユアン・マクレガー出演のを探していたら、ムーランルージュがあり購入した。相手役は、ライラの冒険で、母親役をやっている女優。ミュージカル仕立てで、見応えのある作品だった。スターウォーズでの印象が強過ぎて、他の作品は観ていなかったが、何でも熟す俳優さんである。お買い得だ。

 食事から帰って、蒲団を仕舞い、庭の水遣りを終える。しなければならないことが多過ぎるのだが、枯れてしまう物は放っておけない。芍薬が開花して、その重さに折れそうだ。今夏にクラシックバレエがあり、チャイコフスキーの三大バレエのハイライトを演じるのに出かける。予備知識も必要。

 白鳥の湖は、マイヤ・プリセッカヤのと、熊川哲也主宰のと持っているが、両方とも素晴らしい。くるみ割り人形は、ワガノワを買った。眠りの森の美女を、振り付けで決めるか迷っている。森下洋子さんの舞台も観たし、テレビでも観ているが、価格の問題と、プリマドンナにも迷うばかりで…

 風邪の後遺症なのか、何となく調子が出ない。体調としては、元に戻っている筈が思うに任せない。年齢だけの問題ではなさそうだが、しんどさが解消されないのは、自分の心根なのだろうか?今更、ガタのきた身体を新しくは出来ないし、何かに依存しても、元には還らないことも確かであるよ。

 枇杷葉の葉の中心が、何となく膨らんでいる?と思えて来たら、苞が付いた証拠である。

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卯の花匂う

2019年05月16日 | Weblog

 天気ははっきりしないものの、雨は期待できそうにもない。蒲団を干しておいて、燃料補給に行く。図書館で返却と貸出しをして帰宅。友人が来るので待っていたが、中々来ないので連絡したら、着いたとの事。毛虫が多くて困ると言う。我が家にも多少は存在しているが、野鳥類が餌にしているようだ。

 友人が帰ったので、蒲団を仕舞い水遣りをする。フェンスの方をしていなかったので枯れそう。梅の実が数個見える。北側の枇杷葉は軟らかくて旨いのか、毛虫がさばっている。枇杷葉の枯れたのや、傷んだ葉を落とす。菖蒲が、やっと出始める。風呂にいれるのは、旧暦の皐月五日なので未だ間に合う。

 季節の移ろいには、その時々の命の芽生えがあり、だからこそ伝統行事の意味があるのだし、新暦では計り知れないこともある。月の満ち欠けに、潮の満干潮に左右されるとはいえ、気持ちをゆったりとできるのもうれしい。人生には誰しもが、様々なことが組み込まれており、気づくか素通りするかでも。

 クリスマスローズが、昨年の冬からだが意外と長く咲いている。種が付いて膨らんでいるのが、零れて発芽するのも楽しみである。気儘に優雅に暮らしたいのは、望むところであるものの、時間を有効に使うのは、と頭を悩ませる。DVDも何度も観ては、ストーリーは覚えてしまった。作品の中の俳優も。

 ドイツスズランや木香バラも咲き終わり、桑の実が色づく。ブルーベリーも実を付けだした。林檎は今年も駄目の様だ。無農薬の林檎を、口に出来るのは何時だろう?それでも根気よく待つしかない。まさに狂気の沙汰である。これ程に執念をかけてまで、する必要もないのを、無農薬の林檎が食べたいだけ。

 初秋になって、陽が暮れるのが早くなりだす。庭に立つと、何某か物悲しい気持ちに陥る。

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卯月・八せん始め

2019年05月15日 | Weblog

 京都は葵祭り、東京は神田祭り。そうして、忘れてはならない沖縄本土復帰の日だ。然しながら、名目だけで本質からは遠く離れた日にも感じる。所詮、建前だけの格好つけに過ぎない。今尚、沖縄に対する無慈悲は変わらず、無理やごり押しの連続で、どんなにか心を痛めているか、知ろうともせずで。

 不穏な気温と天気に、施設で初の百足を発見する。厭々、誰も刺されなくてよかったです。ぼんやりとしていると、蒲団の中に居たりするから危険です。まあ、田舎な事ですから、条件は充分揃っています。冬には、何某かのプロ―チを窓枠に見つけます。ヤモリや蛙等、悲鳴が聞こえてくるのも楽しい。

 激務を終えて帰宅すると、すばるがヘロヘロになっている。おおっ、そうだ。換気扇を回していなかった。台所の窓を網戸にしていなかった。こりゃ暑いわと直ぐに開けたが、中々機嫌が戻らない。枇杷葉茶も空だし、餌も空っぽになっている。遊んでくれ、とせがむが、ブログの更新をするので待ってな。

 庭の状態も、水遣りをしているのにカラカラで、バケツの汲み置きを撒く。枇杷葉も葉が黄色になったりしている。これからは毎日、適度な水遣りをしなくてはならない。一日中出しっ放しには出来ないので、日常に組み込んでおこう。然し、暑さに疲れてしまいそう。本格的な夏はこれからだと言うに…

 NHKの少年ドラマシリーズ。七瀬ふたたびを観ているが、あの頃の面白さや楽しさには、現代に欠けているワクワク感があった。原作も、家族八景・七瀬ふたたび・エディプスの恋人と三部作である。筒井康隆作品には、時をかける少女も。あの時間の独特の雰囲気は、今では決して手に入らないもの。

 毛繕いをしているすばる。シャッターチャンスが拙いと、どうしても怒った顔に写る。

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地震多発・・・

2019年05月14日 | Weblog

 この間、正月であった気がするが、早5月中旬。旧暦では卯月になり、田ごしらえが本格化する昨今である。農業も、試行錯誤を繰り返して、便利で機能的になってきたとはいえ、稲の成長を収穫だけに生産しても、割は合わないようだ。また、化学肥料を使うよりは、自然に任せる傾向も。

 農薬の散布よりも、自然界の掟に甘んじる方が、その恩恵があるのかもしれない。無農薬の米の味は格別だが、元は当たり前の農法だろう。然し、却って価格は10倍以上になる。便利で簡単に出来る方法よりも、手間暇をかけるからなのか?何だか矛盾した話でもある。我が家の枇杷葉も同。

 今年は、生り年なのでもあるが、初生りの木が3本あって、その1本が鈴生り状態。この枇杷葉は、3年位で枯れてしまい、気づいたら新芽が出てきて成長した。この傍には、挿し芽の薔薇が勢いをましていたが枯れ、芍薬の濃い桃色も消えて、その途端花芽が付いた。植え合わせが悪い?

 今朝は、気温の低い風の強い日なのか?肌寒さが堪える。こうも気温の隔たりが大きいと、何を着ようか迷うばかりで、体調を崩すことにもなっていく。かと言って、暑さに冷房を点けるので、調整が難しいのもある。歳を重ねると、日々の暮らしが不安定になってしまう。働き難い時代だ。

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爽やかな季節には

2019年05月13日 | Weblog

 家の中に居れば、過ごし易いのだが、一歩外に出ると、陽射しは強く暑い。ちょっと動くだけで、汗が出て来る始末。庭の花も萎れていてぐったりの案配に、水遣りをするが間に合わぬ。天気も良し悪しである、と蒲団を干しながら呟く。すばるは気持ちよさそうに眠っている。未だ甘えん坊。

 昨夜は、何を思ったのか、抱っこをせがみ、腕に吸い付いて来る。爪で押さえるものだから痛いのだが、喉を鳴らせて甘える。今朝捕まえて爪切りを済ませる。網戸にしたいところだが、野良猫が遣ってくるので開けられない。昨年の傷痕は殆ど消えているのだが、三本の爪痕はくっきり残る。

 然し、枇杷葉ローションでの塗布は、とてもよく効く。ケロイドのようになっていたのも、何時しか薄くなり、今では目立たない。これから暑くなると、汗もかけば、腋臭も心配だが、枇杷葉茶やローションで気づかない。汗の臭いなど消えてしまう。根気よく続けていれば、変身可能になる。

 蒲団を仕舞いながら、ふわふわのふかふかなことに感謝し、庭の水遣りをする。こちらはカラカラであるから、たっぷりと遣っておく。枇杷葉の橙色が、風に揺れながらしな垂れてきている。実が大きくなれば、もっと折れそうにもなる。600以上はある今年の収穫に感謝しよう。ありがたい。

 ご機嫌なすばる。飼い主に似て、寒がりでもある。膝掛にも縺れてきて、ぐっすりと眠る。

 

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灌仏会、上弦・小潮

2019年05月12日 | Weblog

 本来の母の日は、自分を産んでもらったことへの、年月の感謝であり、せめてもの償いにも因ろう。どんな親にも、全ての子どもにも、想いは様々に違うのが当たり前だと考える。既に親が亡くなっていようとも、偲ぶことはできるもの。それがいつの間にか商業化されてしまい、マンネリ化している。

 加えて、日本の伝統的な行事でもないのを、いつの間にか当然のようにしている。この時期、農作業の準備で、てんてこ舞いの慌ただしさで、母の日どころの騒ぎでなかった。親への感謝をするなら、もう少し違ったやり方もあって好い。七五三こそ間違っているのだ。前撮りだのが、何の厄払いか?

 そういった伝統行事を踏み躙ることは平気で、外国の商業化されたことには、大騒ぎであるのは、如何なものであろう。遠くに居れば、顔を見せに来ることが、親孝行でもある。家族で訪なうことには、親の歓びも隠せない筈。それを、自分達の生活が忙しいからと言う。育ててもらったことは忘れた。

 薔薇が咲き出す。ドイツスズランは、香りも一段と強く可憐な姿を広めている。都忘れも見え、菖蒲がすっくりと立っている。初夏の風の爽やかさに、心が清々しくなる。すばるは出窓に陣取り、外の景色を眺めている。飼い主に風邪を移されて、ちょっと元気がなかったが、走り回り出して安堵する。

 宮部みゆきさんの、新聞連載小説は毎日愉しみにしているが、本日の書き方に疑問を持った。小説なのでそうかな?とも思うが、冬には井戸水は温む。つまり、くみ上げた時点では、温かいのである。反対に夏には冷たい。だからこそ、西瓜やまくわ瓜を、笊に容れて吊るした。異世界だからこの表記なの。

 日本語が廃れていく中で、どうしても気になってしまう。今時のことだからと片付けられない。世間一般的には通じる事かも知れぬが、何とも違和感があって困る。4コマ漫画も同じで、自分の母親を、相手の男性に話すのに、おかあさまが、と言うのか?黒井先生なめられています。言葉の表記は大事よ。

 久々にクラシックを聴いている。モーツァルトのホルン協奏曲。奏者が素敵で買った。デイヴィッド・バイアットである。音色が何とも言えず、情緒があるし、深く静かに心に響いて来る。生演奏には行ったことはないが、波の上を緩やかに漂うような感じが好ましい。随分前に本屋で買った。本屋は潰れた。

 葉月ともなれば、早秋である。この頃に、枇杷葉も葉の中央が、白い膨らみを見せ始める。

 

 

 

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