枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月・八せん終り、三隣亡・小潮

2019年05月26日 | Weblog

 朝起きる時、身体のだるさを感じる。散し寿しを作る予定なので、何とか起きるが、身体が動かなく思える。それでも、何とか作り上げてほっとする。本日の具は、茗荷と隠元、生姜を摺り下ろして混ぜ、後は何時ものパターンで。洗濯は、昨夜の内に済ませていた。どうにか間に合って一安心。

 ネットの接続が、またもや切れだす。セキュリティ対策がなんたらと表示されるが、操作に支障があるのか、途中で止まるばかりだ。若向きの、加えて慣れた人向きになっており、考えながらしている。従って、さっぱり前に進まない。高齢者向けに、簡単で解り易い方法はないものなのか・・・

 新暦の5月も既に月末である。田植えの済んだ田と、これからの田が見える。その向こうに民家が並び、山裾に栴檀の木が立つ。薄紫の一片の雲のようで、これが白檀や伽羅の仲間かと佇み見入る。我が家の庭では芍薬が満開に、クリスマスローズが名残を咲いている。釣鐘草もそろそろかな?

 枇杷葉の袋も膨らみを見せ、果実が育っているのを伺わせる。来月の中旬過ぎには熟れてくる。今年は、生り年なのに、リエさんのが少ない。サンタさんのは、例年通り見える。暁子さんのとりささんのは何とかあるか。毎年、長崎茂木は鈴生りとなる。白枇杷が枝も折れそうに生っている。豊作。

 勤務に出掛け、清掃当番であったので、手早く済ませる。日曜日には献立を作るので、施設の方と一緒に行うが、自分がこういう時には、何もしたくない気持ちに。何が悲しくて、食事の支度など出来よう。今まで散々してきたことを、此処に来て迄したくない。加えて、写真を写そうなど厭である。

 深川丼。大成功であった。ちょっと味見をしてもらったが、太鼓判を押してもらい安堵。然し、内心ではあれでよかったの?という想いも覗いてくるが、美味しいと言うのだからいいことにする。年齢を重ねてくれば解かることも多く、咄嗟の判断にも因ろう。若い時には、失敗ばかりで作るのが悩み。

 スプレーバラの緑。枯れたかと思えば、新芽が出てきて咲く。小さなバラだけに愉しみ。

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