極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

わたしの魔方陣

2016年10月12日 | 時事書評

 

 

        

         悪を悪とすれども、去ること能はず。亡びし所以なり。



                            

                                                     管子 Guan-zi   720–645 BC

     ※ 先秦思想の「割れ窓論」「蟻の一穴論」と解すことも可。気の弛みが命取りに。

 

  

【我が家の焚書顛末記 Ⅷ:中国思想 管子】  

   大  匡    ――管仲の前半生――

    だれのために死ぬか

  管仲の意見を煎じつめれば「紅が失敗すれぱ次は松柏。いま飽叔が小白の教育係になっておけ
 ば
きっとそのとき役に立つ」というものである。これを聞いて、召忽はびっくり仰天、はげしい
 調子
で反論する。かりに紅さまが地位を形われるのを黙って見ているようなことがあれば、それ
 は君命に背くことにな
る。そのときには、わたしは生きていないつもりだ。たとえ斉の国を、い
 や天下をおまえにやるといわれても主君は裏切れない。君命を奉じからには、その責任を・身命
 を賭して遂行すろ。これが臣下たるものの義だ」 

  管仲はいった。
 「いや、わたしはそうは思わない。臣下というものは、君命を溺じた以上、国の安泰をはかり宗
 廟を守ることをまず第一に心がけるべきだ。紅さまおひとりのために死ぬ必要はない。もし死ぬ
 とすれば、それは国が敗れるか、宗廟が鍼びるか、先祖の祭りが絶えるかしたときだ。この三つ
 の場合でなければ、命をすてようとは思わない。この管仲がいてこそ斉の国は安泰なのだ。わた
 しが死ねば国も危うい」

  鮑叔は、二人のやりとりを間いていたが、ここで管仲に向かってたずねた。
 「それでは、わたしはどうすればよい」
 「出仕してむ命を受けることだね」
  と、管仲はこたえた。
  結局、鮑叔は管仲の意見に従い、君命を受けて小臼の教育係となった。
  就任にあたって鮑叔は、どのように仕えたらよいかを管仲にたずねた。管仲は、
 「まず主君のために全力をつくすことだ。さもないと信頼されない。信頼されなければ、なにを
 建議しても採用されない。そうなれば国を安泰にすることはできない。なによりもまず二心を抱
 かないこと、これが臣下の道だと思う」
  飽叔は、大きくうなずいた。

    忠誠のあり方

  自分が直按つかえる主人に殉じようという鮑叙。自分も主人もふくめた全体的
組織こそ忠誠の
 対象であるとする管仲。ふたりの考え方は、忠・誠のあり方の二つの対照的方向を
示している。

  召忽曰く、「百歳の後、わが犯して、
わが立つところを廃し、わが糾を奪うや、天下を得ると
 いれどもわ
れ生きざるなり。いわんやわれに斉国の政を与うるをや。君命をうけて改めず、立つ
 ところを奉じて済さざるは、これわが義なり」。
  管仲曰く、「夷吾の君が臣たるや、君命を承け、社稷を泰じ、もって宗廟を持せんとす。あに
 一礼に死せんや。夷吾の死するところ
は、社稷破れ、一糾に死せんや。夷吾の死すところは、社
 稷破れ、宗廟滅し、祭起絶ゆれば、夷吾これに死せん。この
三者にあらざれば、夷吾生きん。夷
 吾生くれば、斉国利なり。夷吾
死せば、斉国利あらず」。
  
鮑叔曰く、「然らばいかん」。管子曰く、「子出でて令を令ぜぱ可なり」。鮑叔許諾す。すな
 わち出でて令を奉ず、ついに小白に傅り。

  鮑叔、管仲に謂いて曰く、「伺をか行なわん」。管仲曰く、「人臣たる者は、君に力を尽くさ
 ずば、親信せられず。親信せられずば、言聴かれず。言聴かれずば、社稷定まらず。それ君に事
 (つか)うる者は二心なし」。飽叔許諾す。

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 召忽曰:「百歲之後,吾君卜世,犯吾君命,而廢吾所立,奪吾糾也,雖得天下吾不生也。兄與我
 齊國之政也。受君令而不改,奉所立而不濟,是吾義也。」管仲曰:「夷吾之為君臣也,將承君命,
 奉社稷,以持宗廟,豈死一糾哉?夷吾之所死者,社稷破,宗廟滅,祭祀絕,則夷吾死之,非此三
 者,則夷吾生。夷吾生,則齊國利,夷吾死,則齊國不利。」鮑叔曰:「然則奈何?」管子曰:「
 子出奉令則可。」鮑叔許諾,乃出奉令,遂傅小白。鮑叔謂管仲曰:「何行?」管仲曰:「為人臣
 者,不盡力於君,則不親信,不親信,則言不聽,言不聽,則社稷不定,夫事君者無二心。」鮑叔
 許諾。

  --------------------------------------------------------------------------------------

「匡」は正す、教化する、との意味。斉の桓公は、春秋の五覇の一に数えられ、名宰相管仲の補佐で
天下に覇を称えることができた。生産力が小さい中国の先住民は、生命体の「類」として、生産力向
上(富国強兵論)として君主制国家を選択・集中させ、諸子百家を生み出す。法治主義に片足を置き、
覇権君主制政策集団の「管子思想」が登場する。さて、次回から本格的に編集諸説の読み解きに入る。

                                                                                                               この項つづく



【RE100倶楽部:世界潮流 再エネ導入促進!】

世界の全電源に占める太陽光と風力の割合は、現在の約4%から、60年までに最低でも25%、多
ければ39%まで高まると、このような予測を国際団体の世界エネルギー会議(World Energy Council
今月10日に公表。 それによると、同報告書では、エネルギー分野における60年までの見通しに、
次の3つのシナリオと7つの予測を提示。

(1)世界の一次エネルギー需要の成長が鈍化し、一人当たりのエネルギー需要が300年より前にピ
  ークを迎え、このの変化は、新技術やより規制的なエネルギー政策により省エネの進展による。
(2)
エネルギー消費の最終的な段階では、60年までに電力需要が倍増。また、電源構成に占める
  太陽光と風力の比率が、現在の約4%から25~39%の幅で増加する。
(3)最も低炭素電源の割合が多くなったケースで、化石燃料の使用が一次エネルギーの60%にま
  で減少。
(4)3のシナリオでも、今後30~40年で二酸化炭素の増加を抑えられず、気温の2℃以上の上
  昇は避けられない。



それを受けるかのように、11日、「再生可能エネルギーの導入目標を、30年に30%を超えるよ
うな意欲的な水準に引き上げるべき」――。「パリ協定」の年内発効が決まったことを受け、自然エ
ネルギー協議会の飯泉嘉門会長(徳島県知事)が環境省の関芳弘副大臣に提言書を渡している。パリ
協定は、20年以降の地球温暖化対策の国際枠組みで、「今世紀後半に人為起源の温室効果ガスの排
出をゼロにする」などの目標を掲げ。、欧米では30年に40%を超える高い再エネ導入目標を掲げ
ている国や地域がある。これに対し、日本政府は、温室効果ガスを30年までに13年比で26%削
減する約束草案――ベストミックス(30年の望ましい電源構成)では再エネ比率22~24%と設
定―――を国連に提出。提言書の中、「地球温暖化対策を強力に進めていくためには、その切り札と
なる再エネの導入拡大が不可欠。再エネ導入は、温暖化対策やエネルギー自給率の向上はもとより、
地域経済の活性化や雇用の創出、防災力の強化を実現する」と強調し、パリ協定の早期批准と、再エ
ネ比率30
超える目標を設定。


● 孤軍奮闘のソーラーフロンティア

同11日、海外の太陽光パネルメーカが急成長するなか、10年以降、なりを潜めるかのような国内
メーカの惨劇状態の中、太陽光パネルメーカーのソーラーフロンティアは化合物半導体(CIS)系
奮戦。パネル約60カ国に出荷している。累計出荷量が4ギガワットに達したと発表。直近の約1年
間で、約1ギガワットパネルを出荷―――ノルウェー、ソマリア、モンゴルといった、初めて出荷し
た11カ国を含む―――出荷先が広がってきていることを強調。同社によると、累計出荷量の増加、
出荷国の広がりは、(1)CIS 化合物型太陽光パネルの特徴である薄くて軽い、高温や影に強い、
(2)実際の設置環境下における発電能力の高さ、(3)日本製の製品・サービス(保守・管理)の
高品質性、(4)長期保証の好評価によるという。
同社製パネル製造の国富工場(宮崎県)は11年
に商用生産開始後、現在では当初の設計を上回る生産を実現。公称年産能力は900メガワット。

た、パネルの変換効率も徐々に向上、1枚あたりの出力を増し、10月には、出力175ワットの量
産を開始。
また、16年6月には、同社として4番目の宮城県大衡村の東北工場で量産開始。同新工
場では、フル生産時の出力で180ワット/枚以上目指す(下写真ダブクリ)。

 Oct. 11, 2016

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』9
 
 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

   第3章 口から食べたい

    回復へ連携ピタリ

  2012年3月、吉武歯科医院の歯科衛生士、斉藤理子さんを中心に、サクさんヘの口から食
 べるリハビリが始まった。
  最初は、プリンやヨーグルト。スムーズに食べられるようになると、約1年間つけていなかっ
 た上下の義歯を調整した。違和感が強いので、最初は短い時間からつけ始め、徐々に長くしてい
 った,斉藤さんは「特に下の義歯は、口の中を刺激してつばでむせることがあるので、時々外し
 てもいいですよ」と助言した。
  普通の食事に近づけていく時は、鶴見犬歯学部助教の飯田さんが、長女・喜美子さんが調理し
 た試験食を使い、のみ込みの評価をした。飯田さんは「私が専門的な評価をして、それを元に斉
 藤さんたちが実践する。大学と現場が一体となることでリハビリの効果が上がる」と強調する。

  リハビリを始めて約4ヵ月。在宅主治医の了解も得て、サクさんは毎日昼食は、ロから食べる
 ようにした。朝と夕は、無理せず胃ろうからとった。
  のみ込みが難しかったのは、おかゆやおでんの大根など、水分と固形物が混じった食事だ。固
 形物を咀咽している問に、水分が染み出して先にのどに流れる。「通常は、咀嘔とのみ込みを同
 時にできるが、それが難しくなるんです」と飯田さんは説明する。
  リハビリでは、食べる訓練だけでなく、全身運動をしたり、童謡を歌ったりする。
  きちんと食べるには、良い姿勢を保つなど、全身の力が必要だからだ。 
  サクさんがお気に入りだったのは、笛のおもちや「吹き戻し」を吹く訓練だ。回数も徐々に増
 え、約1年たつと「2個付き」を15回吹けるようになった。

  こうした訓練は、訪問看護師や家族も協力してくれた,斉藤さんは随時、訪問看護師にサクさ
 んの状態を伝えた。斉藤さんは血圧を測るなど全身状態にも目を向け、訪問看護師は口腔ケアも
 するなどして、お互いの職種をカバーし合った。
 「90代でここまで回復するケースはあまり経験したことがない。在宅医と歯科医、歯科衛生上
 と訪問看護師、そして家族を含め、すべての連携がうまくいったからでしょう。全員が『サクさ
 んに食べさせたい』という思いを共有していた]と飯田さんは振り返る。
  2013年9月の敬老の口には、家族や親戚が集合し、大好物のおすしを食べた。
 「せいぜいみかんゼリーぐらいかなあ、と思っていたので、本当にうれしい」。喜美子さんは、
 しみじみ語った。

   
のみ込み、音で確認

  ロから食べる支援に積極的に取り組む神奈川県藤沢市の療養型病院「クローバーホスピタル」
 (120床)。中でも重要な役割を果たすのが、口のリハビリの専門家二百語聴覚士(ST)だ。
 20114年8月末、入院患者のリハビリをする場面に立ち会わせてもらった。
  のみ込みが難しくなり、胃ろうをつけている鳥居実さん(80)の病室を、STの掛田貴大さん
 (28)が訪れた,小さなスプーンでりんごゼリーをすくい、鳥居さんの口に運ぶ。その後、聴診
 器をのどにあてた。のみ込みきれずゼリーが残っていたため、雑音が聞こえる。このままだと、
 食べ物が過って気管に入る「誤嘸」が起きる可能性がある。掛田さんは、すかさず「もう一回ゴ
 ックンしましょう]と声をかけた。
  胃ろうをしていた患者が、リハビリで目から食べられるようになり、胃ろうを外したケースも
 ある,言語聴覚主任の杉山理恵さん(28)が開わった男性(69)=藤沢市=だ。
  脳幹梗塞の後遺症でのみ込みが難しくなり、2013年12月、クローバーホスピタルに入院し
 た。翌年1月から食べる訓練を始め、2月に胃ろうをつくった。
  男性の場合、食道の入り口の開きが悪いのが特徴だった。ものをのみ込むときは、のど仏が上
 下するが、上に上げたまま止める訓練を続け、食道が開く時間を延ばすようにした。「普通「ゴ
 ックン』とやるのを、『ゴッッックン』とやるイメージですね」と杉山さん。

  最初の3ヵ月は、ほぼ毎日訓練をした。食事は、ゼリーから始まり、とろみをつけたおかゆや
 おかず………胃ろうも併用しながら、口からとる回数を除々に増やしていった,
  杉山さんが繰り返し言ったのが、「のみ込むことに集中して」だ,例えばテレビを見ながら食
 べると、むせやすい,「男性は忠実に実行していた」と杉山さんは振り返る。
  5月にはほぼ通常の食事がとれるようになり、胃ろうを外し退院。男性は今、妻(64)らと自
 宅で元気に暮らす,むせやすいものは避けるなど、まだ注意は必要だが、大好きなまぐろのおす
 しも食べられるようになった。 
  一度はあきらめかけた口からの食事-。今、男性はいう。「食べる幸せを実感しています,病
 院の人たちが一生懸命やってくれたおかげです」

  垣根なくチームで

 「クローバーホスピタル」には、のみ込みが難しくなった患者らを支援する「NST(栄養サポ
 ートチーム)」がある。消化器科の望月弘彦医師のほか、看護師や管理栄養士、薬剤師や言語聴
 覚士らで構成する。
  NSTは、2000年前後から各病院に広まった。この病院では月2回、NSTの定例会議と
 回診がある。2014年10月H日の会議に同席させてもらった。メンバー7入が、ナースステー
 ションに集まり、3入の入院患者について話し合った,
  85歳男性のケースー。介護施設で誤嘸性肺炎を起こし、同月1日に入院した。まず看護師の
 五十嵐千恵予さん(34)が「出した食事の3~6割しか召し上がっていません」と現状を説明。
 管理栄養士の小林マリさん(45)が「ST(言語聴覚士)が介助すると食べますが、そうしない
 と食べません。とろみつきのミキサー食よりも、ゼリーの方が好きみたいですと続けた。 

  手首の静脈から栄養を入れて、何とか必要栄養量を確保している状態,身長160センチで、
 休航が約37キロしかない。
  望月医師は「(体重が)37キロは少ないなあ。3食の量を減らし、高カロリーのゼリーをつ
 けたら?」と提案。栄養課主任の高橋範子さん(56)は「じやあ、10時と15時にゼリーを食
 べてもらいましょう」と引き取り、全員が同意した。
  この男性は、退院して、施設に戻ってもらうことが目標,栄養が不足するため、望月医師は「
 胃ろうをつけ、1~2食は胃ろうでとってもらうことを考えてもいいのでは、と投げかけた。

  NSTのメリットについて、望月医師は、栄養、看護、薬、リハビリなどそれぞれの視点から
 意見を出し合えることを挙げる。例えば、薬剤師から「この薬はおなかが張ってしまう」という
 助言があれば、食が進むように薬を変える。また、理学療法士から「リハビリの負荷を増やした」
 という情報提供があれば、3食以外に捕食(おやつ)をメニューに加えるj――より良い栄養プ
 ランを決める際の参考にできる。
  望月医師は「管理栄養士が調理室から病昧に出るようになったことが大きい」と話している。

                                     この項つづく

   Magic square

昨日は、食あたり状態で午後から仕事にならなくなり、おかげで慢性?の眼精疲労からくる偏頭痛は
なくなる。目の疲れが出ない範囲で、数式の魔方陣に熱中する。魔方陣Magic square)とは、正方形
の方陣に数字を配置し、縦・横・斜めのいずれの列についても、その列の数字の合計が同じになるも
ののことである。特に1から方陣のマスの総数までの数字を1つずつ過不足なく使ったものさす。こ
れを数式に表すと次のようになる。



※ 完全魔方陣

ところえが、途中で、こだわれば、こだわれるだけ対象が増え深みにはまると切り上げる。齢は歳々
にたかく、世界は深く遠くなりにけり、か。と、自嘲する。思えば、色素増感形太陽電池の調査研究
を中間総括し、予知したことは現在ことごとく現実のもとなっている。逆に言えば、これは他人には
理解し得ない、わたしだけの「魔方陣」であり、こうして、わたしが構築してきた「魔方陣」(例え
ば、東北部流域下水道計画の改変を迫る運動の戦略に通じる)だったのではと過ぎった。これは、自
惚れかもしれないが、米国仕立ての「RE100倶楽部」もわたしの最後の魔方陣であるのだと思っ
ている。

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秋宵の読書

2016年10月09日 | 時事書評

 

 

 

       世界にはたった二つの家しかいない――「持てる家」と「持たざる家」。

      There are only two families in the world, the Haves and Have-Nots.

                           ミゲル・デ・セルヴァンテス

                            
                                                       Miguel de Cervantes Saavedra
                                                                                                               Sep. 29, 1547 - Apr. 22, 1616

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』8
 

 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

   第3章 口から食べたい

   栄養指導、生活変わった

  食卓に背筋を伸ばして座り、熊倉良造さん(73)=神奈川県綾瀬市=は「パピプペポ……。タ
 タタ・・・・・・」と口を動かす。食事前の「準備運動」を隣で管理栄養士の宮脇貴美子さん(44)が
 見守る。台所からは妻・妙子さん(70)がゆでたモロヘイヤを包丁で桐かくたたく音が響く。
  昼食に全がゆ、ウナギのかば焼き、モロヘイヤのおひたし、とろみをつけたみそ汗などが並ん
 だ,ウナギは軟らかい真空パックで、皮を取って盛りつけられていた,良造さんは脳出血の後遺
 症でのみ込みに障害があり、歯ごたえのあるものをかむことや、うまく水分を飲むことができな
 い。大好物の脂がのったウナギを箸で小分けにし、目に運んだ,

  宮脇さんは、自宅で暮らす患者を訪問して栄養指導をする「地域栄養ケアPEACH厚木」(
 神奈川県厚木市)の一員,良造さんに1年前から栄養指導をしている。
  宮脇さんはみそ汁をスプーンですくって飲む良造さんを見ながら、妙子さんに「スプーンを変
 えた?」と聞いた。今までより厚みがあり、飲み方が普段と追っていた。
 以前のスプーンに戻すよう助言した。
  近くに住む長女の樋口優江さん(42)は「話しかけると『誤嘸』しそうで怖い」
 と、良造さんが食べ物を過って気管内にのみ込んでしまうことを恐れて、食事中は見つめるだけ
 だった,宮脇さんは「ペースがゆっくりになるから話しかけた方がいいんですよ」と会話を促し
 た。
  宮脇さんの訪問時間は約一時間だが、食べる機能を回復させるため、指導は調理方法や食べ物
 の形態だけではなく、姿勢や食器、口の中のケアまで幅広い。脚の太さも計測する。
  食事を終えた良造さんは宮脇さんと次の目標を話し合った。良造さんは「レタスやキュウリが
 食べたい」。シャキシャキした食感を味わいたいのだという。
  新しいメニューの際は、必ず宮脇さんが見ている前で食べる。妙子さんは「ちやんとのみ込ん
 でいるのか素人には分からない。栄養指導してもらうだけでこうも追うなんて」と話す。
  次回はサンドイッチに挑戦することになった。

  2011年3月、脳出血で救急搬送後に入院した良造さんは、ロからの食事ができなくなり、
 胃からチューブで栄養を取る「胃ろう」の生活が続いた。
  退院後、妙子さんたちは「好きな物を食べさせたい」と情報を集め、言語聴覚士からPEAC
 Hを紹介された,「すがる思い」(妙子さん)で連絡を取り、2012年5月から栄養指導が始
 まった。最初は一ロ大のカップゼリーから始まり、ゼリーの量が増え、おかゆに移行していった。
 副菜も増えた。今は朝、昼は食事をしているが、夜間には誤嘸の不安があるため、夕食は胃ろう
 で栄養をとっている。

  翌年の正月、優江さん一家は良造さんの前で食事をすることに気兼ねし、お茶だけ飲んで帰っ
 た。でも、2014年は硬さは違えど、一緒にまぐろやおせちを味わった。優江さんは言う。「
 こんな日が来るとは思わなかった」

   
退院後の食支える

 「地域栄養ケアPEACH厚木」の代表・江頭文江さん(43)は、元々は病院の管理栄養士だっ
 た。聖隷三方原病院(浜松市)で同期から誘いを受け、のみ込みに障害がある人の食事の研究に
 携わるようになった。
  同院には入院のほか外来を担当する栄養士もいて、食べられるようになった人を継続して支援
 できる仕組みがあった。一方、せっかく食べられるようになったのに、自宅に戻ったり施設に移
 ったりした人が、環境が整わずに誤嘸性肺炎で再入院してしまうケースもあった。「患者さんが
 地域で安心して暮らすには、食の支援が大事だ」と訪問の栄養指導に興味を持った。

  結婚を機に神奈川県内に転居。2000年に前身の「ビーチ・サポート」を設立。
  当時は「管理栄養士が自宅に来て、何をするかは全く知られていなかった]という。
  患者の家族からは「あれもこれも食べてはだめ]と食事制限する人と思われ、玄関で腕を組ん
 で待ち構えられたこともあった。
  医師ら他職腫にも江頭さんの役割は浸透していなかった。「料理を作るだけではなく、食事時
 の患者の姿勢や身体機能にも着目して改善していく」という仕事を理解してもらうと、医師やケ
 アマネジャーから患者の訪問依頼が相次いだ,
  2003年に名称を変え、現在は3人の管理栄養士がいる。60~70人の患者を受け持ち、
 神奈 川県内の厚木、伊勢原、秦野、平塚市を中心に横浜市にも訪問する。
  2014年10月9日、厚木市内の会議室に在宅や施設などで食に関わる栄養士や看護師、介
 護職ら25人が渠まった。江頭さんたちが手がける「あつぎ食支援ネットワーク」の研修会だ。

  講師を務めた東名厚木病院摂食嚥下療法科の芳村直美課長(45)が、認知症で食べられなくな
 った高齢者に、おせんべいを食べさせた経験を話した。「しょっぱいものが好きで、たくあんも
 しやぶった。現在の患者さんの状態を見極めることと、その人の食生活の歴史を知ることが大事
  研修会の開催は、前身の研究会を含め120回を数える。地域で暮らす人の食を継続して支え
 るためには、在宅や施設、病院の連携が不可欠だという,江頭さんは「同じ栄養士でも、在宅か
 施設で立場が違うと、仕事をイメージしにくい。毎月集まることで、互いの環境を見えるように
 している。地域で質の高い食支援ができるよう技術の底トげが目的だ」と話す。

   水ゴクン、訓練いける

 「ここまで食べられると、昔食べられなかったのがうそみたい。3桁(100歳)までいきます
 ね」
  2014年10月16日夕方、川崎市中原区の宮川サクさん(93)の自宅。鶴見犬歯学部助教
 の飯田良平さんは、一口大の栗のお菓子をしっかり食べるのを見て、長女・喜美子さん(68)に
 話しかけた。
  この日は、高齢者歯科が専門の飯田さんのほか、吉武歯科医院の吉武学院長(57)や歯科衛生
 士の斉藤理子さん(42)が訪問した。以前は、胃からチューブを入れる「胃ろう」で栄養をとっ
 ていたが、ほぼ普通の食事をとれるようになっていた。
  斉藤さんが買ってきたお菓子を食べてもらい、のみ込みの様子や音を確認。「お茶も(むせず
 に)ちゃんと飲めていますね」。飯田さんらは、太鼓判を押した。
  2011年2月、サクさんは自宅でくも膜下出血で倒れ、川崎市内の病院に入院した。口から
 必要な栄養がとれなくなり、4月に胃ろうをつくって退院した。

  サクさんは、ほぼ寝たきりの要介護5。在宅で喜美子さんが介護した。食事は3食とも胃ろう
 でとった。
  サクさんは、喜美予さんが食事をしているのを、うらやましそうに見ていた。「少しでも、口
 から食べさせてあげたい」。喜美子さんは、そう思うようになった。
  2012年春のことだった,訪問看護師が、ロをきれいにしようと、うがいをさせていた。す
 ると、うがいをした水を間違ってゴクンとのみ込んでしまった。「え? もしかしたら、口から
 何か食べられるかもしれませんよ」。驚いた看護師は、喜美子さんに言った。

  早速在宅医に相談、そこから吉武院長に、のみ込み評価の依頼があった。約1年間、ロからは
 食事をとっていなかった。3月に口や后の動き具合を見るテストを行い、「専門家に評価しても
 らった方がいい」と判断、飯田さんに詳しい検査を依頼した.、
  9日後に飯田さんが訪問,内院鏡検査などでプリンののみ込み状態を確認した,のどに少し残
 っていたが、唾液を誤嘸してしまうほど重症ではなかった。
 「これは、(食事訓練が)いける」。飯田さんの助言で、斉藤さんはサクさんに、プリンやヨー
 グルトから食べさせ始めた。毎週訪問するうちに、サクさんの表情が、少しずつ変わり始めた。

                                      この項つづく

 

 

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅵ:中国思想 管子】  

    解題 3 『管子』の思想

  管仲の経済政策 『管子』には、生産と流通に関する多くの見解が述べられている。二千数百年
 前という
 ことを考えるならば、これはおどろくべき卓見であった。管仲の経済k改革を列挙すれば
 つ
ぎのようになろう。

  1.農業の保護奨励
  1.塩、鉄、金、その他重要物資の生産管理
  1.均衡財改の維持
  1.流通、物価の調整
  1.税制および兵賦の整備

  当時、鉄製農具の普及と役牛の使用によって農衆生産が進むとともに、所有制度は貴族・領主の
 土地占有から封建地主の土地所有刺へと移行しつつあった。一方、商工業がさかんになり、大商人
 が勃興してきた。市-商業都市が形成されつつあった。
  斉の地は、『史記』貨殖列伝によると「潟鹵」(せきろ:塩分の多い湿地)だったという。紀元
 前11世紀
(?)この地に封ぜられた太公望呂尚は機織り、漁業、製塩をおこした、という記録が
 同書にあ
る。また、桑の原産地は、この山東地方であるといわれている。



  こうした基盤にたって、管仲は、製塩業、金、鉄の探知、地方の特産物(青茅、赤弓の材料、玉)
 などを生産管理したものと思われる。これらのものは、従来、自給自足程度の細々としたものであ
 った。その産業化か斉の国力を充実させたことはいうまでもない。漢代に至って、「斉は山と海を
 ひかえ肥沃な土地は千里にわたり、桑・麻が育ち、人民は多く、いろとりどりの布畠や魚塩がある」
 (『史記』貨殖列伝)といわれるようになったのも、管仲の事績が実を結んだためであろう。

  管仲はまた、流通の調整にも着目した。中国の歴史で、物価(とくに穀物の価格)の調整を考え
 だし、それを実際政策に実現させた政治家は、管仲をもって嚆矢とする。「軽重斂散法」といわれ
 るこの方法は、農民の保護と表裏一体を成すものである。『管子』の価格調整法は、一口にいえば
 需給のバランスをとりながら人為的に市場を操作することである。これは近代経済学でいう「管理
 価格Administered Priceと一脈通ずるものがある。

  流通手段としての貨幣について論及したのも、『管子』が最初である。発生の起源は明らかでな
 いが、斉で作られた刀銭(刀の形をした貨幣)が、今日各地で発掘されていることも、これと無関
 係ではあるまい。『管子』は貨幣の役割を重視し、「貨幣発行権は統治者にのみあるべきである
 と説いている。
  封建社会では、国家収入の大宗は地租である。このばあい、税額の査定が当を得ているか否かに
 よって、その田家の政治的安定が左右される。管仲は、ここでもきわめて合理的な考え方をしてい
 る。

  それは、税額の査定に当たっては、所有地の面積の大小だけにとらわれずに、その土地の生産性
 を考慮にいれることである。反当り十石の土地と、反当り一石の荒地に同率の税金をかけられたの
 では農民はたまらない。
 『管子』は、土地を普通の土地と開墾困難地の二極に大別している。そして役者をさらに、沼地、
 藪準河川地、準山地、山地、河川、森林、……といくつかの段階にわける。各段階によって税率に
 違いがある。また、査定の公平を期するために、三年に一度の調整、五年に一度の土地調査を主張
 している。

 君権の確立 管仲は主君の桓公にむかって、周王室に忠誠をつくすことを説いている。かれが本心
 から斜陽にひんした周王室の権威回復を望んだとは考えられない。かれは、その大義名分を利用し
 て斉の富強をはかろうとしたのである。
  経済政策で、きわめて進歩的な見解を示した管仲は、政治の面では保守的な姿勢をとっているか
 のようにみえる。が、血縁的な氏族の紐帯をたちきり、君権支配を確立することは、当時において
 は前むきの姿勢であった。これを郡県割によって確立し、ついに天下を統一したのが後の秦である
 ことを考えればこのことは判然とする。

 人民のコントロール 当世風の表現をかりるなら、『管子』は、「人民は為政者に飼育されている
 と考えていた。牧民笥にある有名なことば、「およそ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り。
 守り宮座に在り」はこれを端的に示している。これは『管子』だけでなく、中国の古代社会ではき
 わめてポピュラーな考えであったわけで、「牧民」とか「畜民」とかいう表現がよくでてくる。郭
 沫若はこれを奴隷社会制度の意識として非難しているが、当時の支配眉からみれば、飼育されてい
 る長沢は、放牧されている家畜と、大差なかったのかもしれない。

  管仲は、人民をうまく飼育することを統治者の義務と考えた。そのためには、かれらの生活を保
 証してやることであり、さらに、法律による規制と、制度による抑圧があると考えた。後世の法家
 思想の源泉がここにある。
 
 階層分業の思想 『管子』は階級的な差別を積極的に肯定する。乗馬箱にこういう説明がある。

 「国中の人開かみな高位高官ばかりなら、勤労者はいなくなる。したがって、生産は停止し、国家
 は危機に顔する。反対に、高位の者がいなかったらどうなるか。人民ばかりで統治する者がいない
 から、国家はいたずらに混乱するばかりだ。適正な序列や格差をつけることによって、長幼の序、
 貴賤の別を明らかにすることが肝要である」
 『管子』の階縁談は政治的特権の有無によって差別される、いわゆる「身分」とも違う。それは
 「身分」より一歩進んだものである。『管子』の階級観は、「身分」に一定の生産意識と社会的任
 務を加えたものである。
 

 『管子』は社会を君主・卿大夫・士・農・工・商のいくつかの階層にわけている。この中で、士・
  農・工・高の四階層は、各分担すべき業務があり、互いに違う所に住まわせるべきであり、兼業
 する
ことは望ましくないと主張している。中国の学者はこれを「四民分業定居論」といっている。
 これは
管仲の発想ではなく、周王朝の社会制度の一特長だが、『管子』はとくにこれを強く打ち出
 している。

  四民分業には序列があるか。『管子』は、農業を最も重んじ、工業を一番軽く見る。この考え方
 は
その後、中国よりも日本に強い影響をあたえたようだ。「士・農・工・商」は漢代以降になると
 中国
ではあまり口にされなくなったが、日本では、江戸時代に至って社会的身分をこのことばで概
 括して
いたのである。

 『管子』は後世、じつにさまざまな批判を受けた。孔子・孟子を合む儒家はもちろんのこと、先秦
 時
代では、崇子、列子、荘子、菊子、韓非、漢代では劉向、司馬選、楊雄、近世では程伊川、蘇洵、
 蘇似、呂祖謙、梅士卒、朱長谷、郭正域、兪椙、王念孫、日本では伊藤仁斎、荻生組徐、細井徳民、
 猪飼敬所、安井息軒……と、批判者の数は枚挙にいとまない。現代でも郭沫若、詩仙潜などから批
 判
されている。

  まず管仲という人物にたいする批判がある。これは主として、かれが二君に仕えたことに由来
 る。
が、管仲にとって肉体的な "君主その人" は問題でなかったのだ。かれはいう。「紅さまお
 ひとりのために
 死ぬ必要はない。もし死ぬとすれば、それは、国が敗れるか、宗廟が滅びるか、
 先祖の祭りが
絶えるかしたときだ」(大匡篇)。一種の"君主機関説"とみることができよう。また、
 ともに公子総
に仕えた召忽が自害したのに、管仲だけが桓公の招きに応じたという点にも攻撃が集
 中した。そこに
は、「判富びいき」を哀がえした、アンチ勝利者の心理も作用しているようだ。

  儒家はほとんど例外なく『管子』に反感をもつ。孟子は、管仲と比較されるのは不愉快だといわ
 ん
ばかりだし(公孫丑篇)、孔子は『論語』の中で、「管仲の器量は小さい」「管仲は礼儀をわき
 まえない
やつだ」などといっている。これは、『管子』の説く覇道が、儒家の唱える「仁」や「王
 道」とは対蹠
的なものであることからして当然であろう。『管子』の覇道の根底を成すのは富国強
 兵策であり、
物質優先の考え方であり、儒家にとっては、許し得ぬ "不仁の書" なのである。
  また、『管子』の経済政策も後世の論議をよんでいる。たとえば、明代万暦年間の学者朱長春は
 こういう。
 

 「管子の軽重箱を見てみると、あまりにも米や塩のことに力をいれすぎていることがわかる。政策
 的にも下層階級の救済にばかり気をとられ、ちゃんとした商人や地方の素封家の生活を省みようと
 しない
  こうした批判にたいして、同じ万暦の進士で、経済に精通したといわれる郭正城はいう。 
 「わたくしも『管子』を読んだ。この書は商品の流通をはかり、富国強兵を策してい元その政策は                                                                 

 当時の人民の希望にかなったものである。管子を非難する者はこういう。『管子は小利にこだわり
 大
節を失している』『管子の政策は大商人や金貨業者にきびしすぎ、人情をわきまえていない』。
 だが、
これらはみな木を見て森を見ない論である。管子は人民大衆の気持をよく察しており、すこ
 しも苛酷
ではない。一言一句に千古の道理を秘めているから、その辺り実行すれば、必ず国を富ま
 し、兵を強
くし、民を安んじることができよう」

        解題 4、『管子』の構成

 『管子』は管仲とその弟子たちの著書といわれている。おそらく一世の大政治家の言行録として戦
 国
時代には『管子』は一種のベストセラーになっていたと思われる。
  漢の劉向か訓べたところ、管仲の著作といわれていたのは実に五百六十四指もあった。そこで、
 劉
向は記述の回復した部分を除き、『管子』八十六指を紺染した。これが『漢書』芸文志でいう
 『管子』
である。(後略)


古代中国(先秦時代)の唯物主義のマルクス・レーニン主義的官僚の風貌が浮かんでくるように、こ
れが現代の中国共産党の革新官僚像とダブルようで、なかなか面白い。

                                       この項つづく

 ● 秋宵の2つの新聞

もの憂う秋の夜も悪くはないが、そればかりではねと、前向きに室内運動に精をだす。7日、ワイヤド・
ジャパンは、「魚の言葉にも"
方言"がある」ことを伝えている。エクセター大学の海洋生物学者スティ
ーヴ・シンプソン教授によれば、魚にはそれぞれの生息地固有の「方言」があるという。そして彼は
、地球温暖化に伴う海水温度の上昇により、一部の魚が北上を余儀なくされているなかで、異なる「
方言」をもつ魚が出会ったときに何が起こるのかを突き止めたいと考えているとか。
アメリカのタラが
発する音は、『ドシンドシン』という感じの低い短音です。一方ヨーロッパのタラの音は周波数が高く、
そのうなり声は長く続く。このことから、地域方言は存在すると考えられ、こうした地域方言とは、
鳥類や哺乳類でも見られる現象と同じで、人間も含まれるという。魚の生態がわかりすぎて、そのうち
食べにくくなるぞと、これは犬、猫だけでなく牛、豚、山羊、鶏も同じで、菜食主義に転向するんじゃ
ないかとメランコリーに包まれる?てなっことはないか!(上写真ダブクリ)。

これは旧聞になるが9月27日、ベルギーの独立系研究機関imecらの共同研究グループは、ペロブスカ
イトと銅インジウムガリウムセレン(CIGS)をタンデムに積層し、変換効率17.8%となる薄膜太陽電
池モジュール(上写真/右下)――同積層モジュール(3.76cm2)(図参照)はぺロブスカイトをトップ・
モジュール、CIGSをボトムモジュールとして用い、それぞれ7枚および4枚のモジュールを用いてい
る――試作したことを伝えている。これは、imecが持つぺロブスカイトモジュールの15.3%という
世界記録を超え、ZSWCIGSモジュールの持つ15.7%をも超す値。今回の成果は研究のほんの入口
で、17年には変換効率25%を超す多重接合ぺロブスカイト/CIGS太陽電池モジュールの開発を目指
す。開発段階であるが、ここでも頑張っている。さぁ、実用レベルの30%超開発競争もわたし(た
ち)日本人が終焉(=ゴール)させようではないか、諸君!


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先ずは、自己凝縮

2016年10月04日 | 時事書評

 

 

 

        たくさんの人がやっている領域は『俺が1番』と早さを競うしかない。
        でもそこに興味がない。誰も見たことがない現象を見るのが楽しいんです。


                                                    
                                              Ōsumi Yoshinori?, born Feb.9, 1945

 

                                                                   

 

【受賞理由:オートファジーの働きの解明】

ノーベル医学・生理学賞の賞者に、細胞が不要になった、たんぱく質などを分解する、「オートファジ
ー」と呼ばれる仕組みを解明した東京工業大学栄誉教授の大隅良典が選ばれた。日本人のノーベル賞受
賞は3年連続、米国国籍を取得した人を含め25人目で、医学・生理学賞の受賞は去年の大村智に続き
4人目。パーキンソン病などの神経の病気の一部ではオートファジーの遺伝子が、正常に機能していな
いことが分かっていて、予防法や治療法の開発につながるとして世界的に激しい競争が続いている。



● 3Dプリンターでボディー外装を製造

4日、ホンダは「CEATEC JAPAN 2016」(幕張メッセ、16年10月4~7日)小型電気自動車(EV)
「MC-β
」のボディー外装を3Dプリンタで製造し公開。設計から製造まで2カ月と短い期間で開発でき
る。カブクが意匠設計を手掛ける。
開発品は2人乗りのMC-βの座席を一つなくして荷室とし、1人乗り
にした。カブクが、「鳩サブレー」などの菓子で有名な豊島屋の要望に応える形で設計。外装部品の大
半を3DDプリンタで製造する。日本で開発された3Dプリンタでオーダーメイドな自動車が作られる時
代に突入する。

● ヘルスケア・ウェアラブル機器のワイヤレス充電ソリュー ション

先月26日、ルネサス エレクトロニクス株式会社はウェアラブル機器や補聴器など防水、防塵等のニー
ズが多い小電力アプリケーション向けに、電力を非接触で送受電するワイヤレス充電システムソリュー
ションを開発し、11月よりサンプル出荷開始すると発表。ワイヤレス充電技術は、小電力アプリケー
ションの電池交換や充電の煩わしさをなくし、充電する機器本体にコネクタ不要で、スマートフォンを
はじめ様々なアプリケーションへの適用や産業用途への応用が期待されている。機器の小型化、高い防
水・防塵性、接触不良低減等のニーズが高い小電力アプリケーションに有用であるが、既存のワイヤレ
ス充電技術は規格ごとにアンテナサイズ規定され小型化が困難。小電力アプリケーション充電は充電流
大きく、放熱が難しいといった理由から小型リチウムイオン2次電池充電システムに適さず課題があっ
た。


 VIDEO

 

【RE100倶楽部:出力変動1%のメガソーラー着工】 

北海道では発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを新設する場合には蓄電池を併設しなくてはな
らない。天候により太陽光発電の出力が変動する影響を緩和するためで、変動幅を1分あたり1%以下
に抑えることが条件だ。国内最大級の蓄電池を併設するメガソーラーの建設工事が苫小牧市で始まると
いう(スマートジャパン 2016.10.03)。大型の蓄電池を備えたメガソーラーを建設する場所は、北海
道の空の玄関口である「新千歳空港」に近い苫小牧市内の林地(上図)。空港の敷地から南に1キロメ
ートルほどの至近距離で、平坦な林地を造成してメガソーラーを建設する。用地の面積は78万平方メ
ートルにのぼる。

建設・運営は日本グリーン電力開発で、10月5日に着工、18年8月に運転を開始する予定。発電能
力は38メガワット。年間に37000キロワット時の電力供給、一般家庭の使用量に換算して1万世
帯分を超える。この事業の特徴は、容量1万キロワットアワーの大型蓄電池――韓国LG化学製リチウ
ムイオン蓄電池――を導入する。

● 蓄電池併設で建設費15%増

北海道では固定価格買取制度が始まった12年度から大規模なメガソーラーの建設計画が相次ぎ、13
年4月、北海道電力が全国に先がけて規制に乗り出す。発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを
建設する場蓄電池などを併設して出力変動を緩和しないと、送配電ネットワークに接続できなくし、出
力の変動量を1分あたり1%以下に抑えることを条件とする。

メガソーラーから送電する電力は最大で25メガワット設計のため、出力変動を1分あたり250キロ
ワット(25メガワットの1%)以下に抑える条件に合せ蓄電池容量を試算すると、1万キロワットア
ワーが最適となる。蓄電池併設で建設費が15%増え、建設費の総額が百億円超の見積もになるが、

定価格買取制度の認定を12年度に取得した案件であることから採算がとれるめどが立った。買取価格
が1キロワットアワーあたり40円(税抜き)になり、年間の売電収入は15億円弱となる。ここでの
出力変動抑制は1分間である。わたし(たち)が考えているのは、年間あたり2%以下であるから、い
かに、スケールの大きい水素貯蔵型蓄電システムであることを改めて確認する。

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』5
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  

  
第2章 難しい「平穏な在宅死」

                         穏やかな死を迎えられない?

  自宅で穏やかな最期を迎えたい-。そんな思いを抱く高齢者や家族は多いだろう。だが、自宅や
 介護施設での「在宅死」の半数ほどが、実は「異状死」として扱われていることが、在宅医らの調
 査で明らかになった。その中には、本来在宅で自然な看取りをできるはずだったのに、救急搬送さ
 れ望まない治療をされたり、警察が検視に入ったりするケースがあった。今後「多死社会」を迎え、
 在宅死を増やしていく中で、こうした「不本意な最期」をどう減らしていくかが課題である。

  2015年夏、横浜市鶴見区の済生会横浜市東部病院の救命救急センター。重症肺炎の80代女
 性が搬送されてきた。気管切開し人工呼吸器を装着、人工透析など濃厚な治療が行われた。1カ月
 弱入院したが、亡くなった。
  この女性は、在t医の定期的な訪問診療を受けていて、心臓マッサージや気管内挿管はせず、自
 宅で穏やかな最期を迎える、と決めていた。ところが在宅医の紹介で、
この救命救急センターに運
 ばれてきた。同センター部長の山崎元靖医師は「ご本人が果たしてこうした治療を望んでいたのか、
 かえって苦しみを与えているのではないか、という葛藤があった。本来、救命救急センターではな
 い病院へ運ぶべき患者だった一と複雑な心境を吐露する。

  山崎医師は、そのときの患者家族の状況をこう説明する。「全力を尽くして治療をするという選
 択肢」を改めて、救急医から提示される。しかも、それを極めて短時間で返答しなければいけない。
 以上の2条件が満たされると、家族は、どうしても「全力を尽くしてください」と答えがちになる。
 時間をかけて在宅医と議論した上で作成した、有形無形のリピングウィル(延命治療の拒否などを
 事前に意思表明しておく文書)が、「患者急変時の短時間の救急医の説明]に負けてしまうのだと
 いう。
  山崎医師によると、こうした「不本意な最期」ともいえるケースは、よくあるという。「在宅医
 が海外旅行中だったため、救急搬送され、病院で最期を迎えた」「リビングウィルがあったのに、
 知らずに挿管された」などだ。
  在宅医は通常、家族に対し「急変したら、まず在宅医か訪問看護師に連絡を」と伝えている。だ
 が家族が突然のことに驚き、救急車を呼んでしまうことは少なくない。
  また在宅医から「夜中なら、救急車を呼んで」と指示を受けることもあるという。救命救急セン
 ターに運ばれれば、救急医はそれまでの病気の経過などを知らないので、「異状死」として警察に
 届け出ざるを得なくなる。

  医師法では、遺体に賢状があった場合、医師に24時間以内の警察への届け出を義務づけている。
 事故や他殺、心疾患や脳疾患などによる急性死のほか、死因を特定できない場ハ目も、異状死扱い
 になる。すると警察は事件性があるかどうかを調べ、遺体の検視をする。ある救急医は「病死の可
 能性が高くても、万が一のリスクを考えると、警察に届け出ざるを得ない」と打ち明ける。
  東京都立川市にある立川在宅ケアクリニックの荘司暉昭医師(50)が、訪問診療をする多摩地域
 で2012年に自宅で亡くなった1106人を分析したところ、56%にあたる615人が、異状
 死扱いだった,また異状死扱いの30%が、「老衰」「がん」「肺疾患」などの慢性疾患で、医師が
 定期的に診ていれば、「病死」として死亡診断書がもらえ、警察を呼ぶ必要はないケースだったと
 いう。横浜市や大阪府岸和田市の出水明医師(63)らの調査でも、異状死は自宅死亡者の約半数を
 占めた。

  一方、行政や医療・介護職にも、「自宅で死ぬと、警察を呼ばないといけない」「24時間以内
 に診察をしていないと、自宅で死亡診断書を発行できない]といった誤解が、いまだにあるという。
  2014年春、ある50代の在宅医は、それを実感する経験をした。がんを患う首都圏の60代の
 独居男性が、自宅で亡くなった。同僚の在宅医が往診し、死亡診断書を書いた。ケアマネジャーが、
 自治体のケースワーカーに電話すると、「自宅で最期を迎えたのであれば、事件性があるかもしれ
 ないので、警察を呼んで]と指示された。ケアマネジャーは指示に従った,最終的には、在宅医が
 診ていて事件性がない、とのことで警察官は引き揚げたが、落ち着くまでに数時間かかったという。

  こうした「不本意な最期」にならないように、地域の複数の在宅医が看取りをカバ-し合ったり、
 リビングウィルを市民に配布したりする取り組みも進んでいる。横浜市鶴見区医師会の訪問看護を
 受ける松本孝彦さん(80)は、リピングウィルに「終末期の心肺蘇生はしてほしくない」「最期は
 自宅か施設で迎えたい」などと記している。
 「こうして書くことで、妻や娘とじっくり話し合うことができ、望んだ最期を迎えられるようにな
 る」と話す。

  全国在宅療養支援診療所連絡会事務局長の太田秀樹医師(62)は「患者や家族、医師や看護師介
 護職員らが何度も話し合い、意思の統一をしておくことが大事だ,特に、普段疎遠な家族が突然車
 て、『何で救急車を呼ばないんだ』と言うケースも少なくないので、なるべく多くの家族を巻き込
 んで話し合う必要がある」と話している。

                        救急病院が高齢者であふれる?

  高齢者の救急搬送の増加は、これから大きな問題になる,前述のように、回復の可能性がほとん
 どないのに、心臓マッサージなどの延命措置がなされ、「不本意な最期」を迎えることにつながる
 からだ。また、入院日数が長引くとベッドが足りなくなり、救急治療を受ければ回復する可能性の
 高い患者を受け入れられなくなる。
  年間約1万人の患者を受け入れる聖マリアンナ医科大病院(川崎市宮前区)の救命救急センター。
 2013年9月中旬の3連休中の午後6時前。特別養護老人ホームから、心肺停止状態の93歳の女
 性が救急搬送されてきた。
  救急外来処置室のベッドの周りには、この日のセンター責任者の下渾信彦医長(48)ら救急医3
 人と看護師が降っていた。女性の目から気管挿管チューブを入れ、人工呼吸器をつける。医師と救
 急隊員が、交代で心臓マッサージを続ける。

 「アドレナリン(強心剤)!」。救急医が足に針を刺し、骨髄からアドレナリンを投与。4分ごと
 に投与を続けた。
 「(アドレナリンを)6度目打ったってことですよね」。看護師のリーダー、平良弥生さん(30)
 が確認する。処置を始めて30分がたった。「もうこれ以上は、やめよう大下渾医長が指示する。結
 局、女性の心拍は再開しなかった。

  しばらくして、女性の長女(73)と四女(61)が病院に到着した。ベッドの横に座ると、医師か
 ら臨終の説明を受け、人工呼吸器を外した。2人は「できる治療を全部やってもらい、ありがたか
 った」と□をそろえた,だが、そういう人ばかりではない。下渾医長は「同様のケースでも、家族
 から「なぜ蘇生処置をしたんだ」と言われることもある。意向がわからないこともあり、悩ましい」
 と明かした。下洋医長が担当した24時間に37人が来院。うちH人が65歳以上だった。この女性のよ
 うに自宅や施設から救急搬送され、「看取り」をするケースは増えているという。継続的な入院治
 療が必要と判断されると、隣接する集中治療室(ICU)と高度治療室(HCU)に運ばれる,両
 室に入院する24入のうち、6割を超える15人が65歳以上だった。65歳以上の割合は、2008年
 度 は51・8%だったのが、12年度は56・1%に上昇したという。
              
  救急で入院する原因は、誤嘸性肺炎や脳卒中などという。案内してくれた平泰彦・同医科大救急
 医学教授(60)は「複数の疾患を持っていたり、人工呼吸器などをつけた患者を受け入れる施設が
 見つからなかったりして、在院日数が長くなるんです」と説明してくれた,入院が長引くと、空き
 ベッドは当然少なくなる。この日の空きは、ICUが1床、HCUは2床,同センターは近隣の3
 0病院以上と連携しているが、患者の転院先がなかなか見つからないこともあるという。
  65歳以上の入院患者15人のうち5人は、これ以上の積極的な治療を希望しない意思表示「D
 NR」を本人か家族が示している。だが、一度装着した人工呼吸器を抜いたり、点滴を外したりす
 ることはできないことになっている。

  超高齢社会に向けて、平教授は「救命救急センターにとって、高齢の救急患者が増えて入院が長
 くなり、重症患者を受け入れる空きベッドがなくなるのは最近の大きな課題だ。『出口』を確保し、
 近隣の病院だけでなく、在宅医や介護施設とのつながりも深め、高齢者の受け入れ先を確保してい
 く必要があるだろう」と話している。
  「平穏な在宅死を迎えたい」と考える患者・家族が、救急車を呼ぶと、その逆の結果になってし
 まうことが多い。救急医は、たとえ助かるのが0・01%の確率でも、積極的な治療をし命を救う
 ことが使命だからである。

                         在宅医療アンケートで実態浮き彫り

  在宅死の難しさについては、朝日新聞横浜総局が横浜内科学会と共同で、2013年H月に実施
 した「在宅での医療と看取り]アンケート(55診療所・病院が回答)からもわかる。
  回答では、在宅で看取りをした医療機関の数が、2003年度の11ヵ所から、12年度は23
 ヵ所に倍増。総数も、この10年間で64人から144人と2倍以上に増えていた。診療報酬など
 で国が「施設から自宅ヘーと医療のシフトを進めてきたことが影響しているとみられる。2012
 年度に看取った患者は「がん」が最も多く61人、認知症47人、脳血管障害18人、循環器疾患
 14人などと続いた。在宅で緩和ケア(痛みのコントロール)のできる医師が徐々に増え、末明が
 んの患者も自宅で過ごせるようになってきたことが大きいようだ。



  在宅での看取りを経験した34カ所の医療機関に、看取りを増やすために必要なことを複数回答
 で尋ねてみた。「かかりつけ医が在宅医療にかかわる仕組み作り」としたのが、17ヵ所で最も多
 かった。「一般向けの啓発」「看取りに関して診療報酬を手厚くする」が、それぞれ16ヵ所。「
 (24時間対応などが義務づけられた)在宅療養支援診療所の要件緩和」(9ヵ所)、「在宅専門
 医の増加」(9ヵ所)と続いた(次のグラフ)。介護する家族への気遣いも、在宅死が広がってい
 かない要因の1つと言えそうだ。

今回は、瀕死と死の決定の狭間についての思いを認めようとしたができなかった。

                                                                            この項つづく


 

【我が家の焚書顛末記 Ⅳ:中国思想 管子】 

『管子』は、西暦紀元前7世紀、現在の山東省に強盛を誇った斉の宰相・管仲の言行録。管仲は、孔子
が生まれる約90年前に死んでおり、いわば諸子百家の大先輩にあたる。彼を
注目するのは、諸子百家
の多くとちがい、自ら権力の座にすわり、現実に政権を担当した思想
家であるという点にある。とくに、
かれは今日でいう経済政策に独自の手腕を発揮。彼がが仕え
た斉の桓公は、当時、群雄割拠のなかでは
じめて覇者、つまり諸侯の盟主の座につく。
その大部分は管仲の補佐のたまものであった。「倉廩(そ
うりん=穀物蔵) 実つ
れば、則ち禮節(=礼節)を知り、衣食足れば、則ち榮辱(=栄辱)を知る」(
『管子』牧民篇)。このことばが端的に示
題 すとおり、人倫関係(社会関係)の基礎として物質的条
件を重くみる――というのがヽ管仲の一貫した
考え方である。書物としての『管子』は、これは管仲の
当時に完成されたものでなく、当時の書だとすれば、『論語』よりも古くなるが、『管子』はきわめて
雑然とし、管仲自身の著と目される九篇を除き、はるか後世の漢代初期に至る数百年の間に、次第に集
大成されたものされ、このことは必ずしも『管子』の価値を減ずるものではなく、管仲という存在が、
ことほどさように後代の人たちの関心を惹く証左である。

管仲の著書であるとされているものの、実際は戦国期の斉の稷下の学士たちの手によって著された部分
が多いと考えられ、内容的には、各篇によって異なった学派、思想的立場に立つ人たちの著作がまとめ
られ、その面から言えば、「雑家」の著作と呼ぶべきものと言える。また、各々の篇の成立年代に関し
て諸説があり、「経言」は思想史上の史料として、「管子軽重」は社会経済史上の史料として重視され
農業史、農業技術史上の史料も各篇に散見され、「地員篇」は当時の土壌に関する認識をうかがう上で
の貴重な史料である。さらに、『漢書』「芸文志」は、「道家」に分類しているが、『隋書』「経籍志」
以降清代の『四庫全書総目提要』にいたるまで「法家」に分類されるが、宋代の陳振孫がこの書物を法
家に分類することに疑義を呈している。

このように、中国哲学は、中国思想の文脈で書かれた哲学。中国の伝統哲学の多くは「諸子百家」の時
代として知られる春秋戦国時代にまで起源を遡る。諸子百家は顕著な知的・文化的発展によって特徴づ
けられ、中国哲学の多くは戦国時代に始まったが、その構成要素は数千年にわたり存在でありが、その
特徴は、その文化の担当者がいかなる身分職業に属していたかにより決定的な刻印を受ける場合が多く、
インドの思想に宗教色が強いのは,文化の担当者がバラモンという祭司階級であったためとされ、これ
に対し中国思想に政治色が濃いのは,その担当者が士大夫とよばれる政治家・官吏であったことによると
言われ、管子すなわち管仲はその代表的な存在に考えられる。

そこで、
中国哲学の近代化で西洋哲学の概念を吸収し始め、1911年の辛亥革命の頃までに、中国の
古い皇帝制度や実践を廃しようと五四運動などを経て。民主制、共和主義、そして産業主義を中国哲学
と統合しようという試みが、20世紀初めの孫文らによりなされ、さらに毛沢東がマルクス主義、スタ
ーリン主義、そしてその他の共産主義思想を加える。そして、
中国共産党が権力を握ると、既存の学派
とりわけ法家を除けば後進的だとされ後の文化大革命には粛清された、中国思想に与えた影響は今も残
り、現代の中華人民共和国政府は独自の社会主義市場経済を標榜している。このため、文
化大革命の過
激な運動以降、中国政府は精神的・哲学的な慣例は中国共産党に脅威とみなされない限り構築・再構築
が許され、その影響は中国文化に未だ深く染み込んでいおり、
新儒家は、儒教の知的運動で20世紀初
期宋代・明代の新儒学から強い影響を受けているが同一ではないが、に中華民国で始まり、ポスト毛沢
東時代の中華人民共和国で復興している。

このように考えていくと、
ポスト毛沢東時代の中華人民共和国のナショナリズムや政治行動の変容を読
み解く上で管子を踏まえておく(お温習いしておく)ことは重要になるのではかと思える。

                                       この項つづく。



  ● 今夜の一冊

一般家庭でも、電気を作り・ため・消費することができます。しかも身近な素材や簡単に入手できる材
料から手作りの発電機を製作することも夢でない。日常的に照明や家電品の電源を自作の発電機でまか
なっている著者が、家庭でも実践できる発電・蓄電の知識とテクニック、機材の製作方法をわかりやす
く解説する。

中村昌広
1959年、栃木県那須郡那須町に生まれる。08年、手作り風力発電1号機を完成。09年、風力発
電2号機・3号機を設置。2010年、風力発電4号機(デュアルコア発電)完成(本データはこの書
籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

目次

第1章 停電にならない家
第2章 ぼくの家は発電所
第3章 自分発電所の作り方
第4章 電気をためる
第5章 作った電気を賢く使う
第6章 LED照明を手作りしよう
第7章 手作りの電気を楽しく使うための注意点
第8章 この週末、あなたもプチ発電工作を!

 

現在の日本では、情熱と時間さえあれば何でも作れる時代だと考えている。この一冊はそれをわかり
すく実体験から解説されている。ものづくりだけでなく、大げさに言えば社会変革も可能だろう。
「先
ず隗より始めよ!」というではないか、時間をかけ、確りと思いを凝縮させ、自分を追い込み、
それを
発条に行動にでる、「先ずは、自己凝縮!」と。

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東京五輪運営費1.6兆円

2016年09月30日 | 時事書評

 

 

           あまりうらやましがってもしょうがない。
           たまにうらやましがっているくらいで
           いいんじゃないかと思います。


                 008 人生/吉本隆明「ほんとうの考え」


                                                       
                        Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,2012 

 Sep. 29, 2016


【RE100倶楽部:省エネパワー半導体技術】

● 次世代パワー半導体「酸化ガリウム」

26日のブログで、産総研の単結晶酸化ガリウムの「世界最高性能の半導体系トンネル磁
気抵抗素子」を掲載た翌日、今度は、宝石のサファイアでおなじみのコランダム構造酸化
ガリウム
α-Ga2O3)のパワー半導体の作製に、FLOSFIA社、藤田静雄教授・金子健太郎
京都大学助教のグループが成功したとの記事が目に止まる。商用化では後者が先行する。
周知の通り、酸化ガリウムは、次世代のパワー半導体材料として開発が進むSiC(シリコ
ンカーバイド)やGaN(窒化ガリウム)よりも、(1)高耐圧で(2)低損失なパワーデ
バイスを(2)安価に作製できる可能性があるとして注目を浴びる材料。同グループが手
掛けるのは、「コランダム」と呼ばれる結晶構造を備えた「α型」。今回、α型酸化ガリ
ウムと同じコランダム構造を備えた酸化イリジウム(Ir2O3)で、p型層を実現。これによ
り酸化ガリウムを適用したパワーMOSFETの作製が可能になる。

 

詳細は上図を「ダブクリ」して参照願うとして、材料の製造方法の「ミスト化学気相成(
Chemical Vapor Deposition)方式」に注目。この技術は高知工科大学の研究開発に由来する
もので、下図のように、ミスト CVD 法 霧(ミスト)状にした原材料溶液と加熱部を用
いて、簡便、安価、安全に酸化物半導体薄膜が作製――原材料溶液は、有機金属やハロゲ
ン化物など、反応の源になる「溶質」と、溶質を溶解させて液体状にするために用いられ
る水や有機 溶媒(メタノール、エタノールなど)などの「溶媒」と構成。従来の成膜法
と違い、真空装置が不要で装置コストが大幅に低くなり、また真空引きが不要で段取り時
間を短縮できるため1回の成膜プロセス時間が短縮され、生産性を大きく向上させるこ
が可能――できるように改良される。



このように単結晶であれ、コランダム構造であれ酸化ガリウムを用いたパワートランジス
タが、さまざまな電力変換器への応用、例えば、ACアダプタなどの商用電源、ロボット
の駆動回路、ハイブリッド車や電気自動車などの自動車、エアコ ンや冷蔵庫などの
白物
家電、太陽電池のパワーコンディショナなど、さまざまな電力変換器(回路)への
応用が
きる。特に、コランダム構造のミスCVD方式では、これらの電力変換器を小型化し、コ
ストを低減ができ、(1)電力変換器の小型化は、機器の種類に依存するものの、数10
分の1に及び、コスト低減の効果は電力変換器全体の50%に及ぶ(FLOSFIA社 試算)
という。このよう、に酸化ガリウムを用いたパワーデバイスは、オン損失およびスイッチ
ング損失の両面で低損失に加え、小型・低コストもを実現できる特徴をもつ。

※ 参考特許:特開2016-157879 結晶性酸化物半導体膜、半導体装置 


【符号の説明】

1 成膜装置  2a キャリアガス源  2b キャリアガス(希釈)源  3a 流量調節弁  3b 流量調節
弁  4 ミスト発生源  4a 原料溶液  4b 原料微粒子  4c 排気ガス  5 容器 5a 水  6 超音
波振動子  6a 電極  6b 圧電体素子  6c 電極  6d 弾性体  6e 支持体  7 成膜室  8 ホ
ットプレート 9 供給管 10 基板 11 排気ファン 16 発振器 17 排気管

半導体物性評価装置

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】   

   Jun. 26, 2016

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』1
      


高齢者問題とは、障害者問題でもある――吉本隆明の言葉を借りとこのようになる。つま
り、超高
齢化社会は、超障害化社会となる。「長生不死」という欲望は、地球環境を破壊
しても宇宙に飛び
出そうするような果てしない欲望でもあり、現代では、"
強欲"と言わな
いまでも"平均的な日本人の欲望"になっているのかもしれない。その反面、自分一人のた
めに他者(家族を含め)に迷惑を掛けたくないという欲望と、どのように折り合いをつけ
て行けばいいのか?そんなことが、この本のタイトルをみて頭に浮んできた。



日本の成長を支えた大都市近郊の神奈川、埼玉、千葉などのベッドタウンで急激な高齢化
が進んでいる。高齢化率4割はもはや地方のことではない。団塊の世代が75歳以上にな
る2025年に向けて、医療や介護のかたちも大きく変わろうとしている。そういう地域
で今、何が起きているのか。医療や介護を上手に使うためにはどうしたらいいのか。3年
間にわたり、神奈川県を舞台に医療・介護の現場を取材してきたドキメントを参考に考え
てみたい。  





   [目次]
  
   はじめに
 

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復
  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  

  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

   第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る


  第3部 老いは地域社会で見守れるか

  第11章 地域で暮らす
  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに



   はじめに

  みなさん、「2025年問題一という言葉をご存じでしょうか。約650万人いる
 「団塊の回代」(1947~49年生まれ)がすべて75歳以上になり、特に都市部で医
 療・介護の提供体制が迫いつかなくなる問題のことです。2020年の東京五輪・パ
 ラリンピックが終わると、もう5年後に遣る喫緊の課題なのです。
  厚生労働省が出した推計で、衝撃的な数字があります。今後死亡者数が急増し、2
 030年には約47万人が、いわば「死に場所難民」になる可能性がある、というの
 で
す。現在は死亡場所の75%が病院ですが、そのベッドが圧倒的に足りなくなるため
 で
す。

  あるベテラン在宅医は、そのときの状況をこう表現します。「高齢者の看取りのた
 め
に救急病院に長い列ができて、救急医療も破綻する」。自宅や介護施設での看取り
 を大
きく増やさなければ、その状況はあながち絵空事とは言えません。
  厚生労働省によると、全国の75歳以上の高齢者は、2025年までに2010年比
 で760万人増え、2179万人になります,75歳以Lの人口割今は11%から18
 %
に増えます。65歳以上の認知症高齢者は、全国で2010年の280万人から47
 0
万人に、独り暮らしの高齢世帯も、498万獣帯から701万世帯に一気に増えま
 
す。これまで高齢化の問題といえば、その「進展の速さ」の問題でしたが、これから
 
は「人数の多さ」の問題となります。
 

  その高齢者の増加分の約半数は、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、愛知といった
 大都市部の6部府県に集中しています。
  例えば、人口912万人の神奈川県の場合でみてみると-。75歳以上の人口は、2
 010年に79万4000人だったのが、2025年までに69万人余も増えて148万
 5000人になるとみられています。2025年の神奈川では、実に6人に1人が7
 5歳以上になる計算です。介護してくれる家族のいない高齢者も増えていきます。神
 奈川では、65歳以上の独り暮らしの世帯は2010年には31万6000世帯だったの
 が、2025年には49万1000獣帯に増えます。65歳以上全体の約35%にあたりま
 す。夫婦のみの「老老世帯」をあわせると、68%にもなります。認知症の高齢者も2
 010年の17万3000人から、2025年には29万6000大に増える見込みです。
 65歳以上の8人にI人が認知症ということになります。

  こうした状況に対応するには、自宅を定期的に訪問し患者を診る「在宅医」や訪問
 看護師らを増やすと同時に、グループホームなど地域に密着した介護サービスを充実
 させていかないと立ちゆきません。厚生労働省も、これまでの「病院完結型一から「
 地域完結型]への転換を目指しています。病院で最期を迎えるのではなく、住み慣れ
 た地域で在宅医療や介護、生活支援などを一体的に提供し、いずれ最期を迎える仕組
 みを整えようとしています,ただ、その取り組みは地域によって、大きな差がありま
 す。行政や医師会などの「やる気」によって、大きく異なります。

  以上述べてきた「超高齢化」の問題に危機感をもった朝日新聞横浜総局では特別取
 材班を立ち上げ、2013年11月から神奈川版で「迫る2025ショック」という
 長明連載を始めました。終了までの2年半に書いた記事は、160本近くになりまし
 た。主に高齢者医療・介護の実態や、在宅医や訪問看護師、介護職員らが解決に取り
 組む姿などを、現場に密着して取材し、記事にしてきました。取材にご協カ罰いた方
 々は、100人を超えました。特に看取りの現場に密着させて頂いたり、その時の状
 況を詳しくお話し頂いたりした患者・家族の方々に、深く感謝いたします。連載記事
 には、読者の方からも多くの反響があり、関心の高さがうかがえました,

  本書は、この連載などを加筆・修正し、再構成したものです。第1部「日本で老い
 て死ぬということ」では、長くなる老後に伴い増えるうつや、生きがいの大切さ、「
 平穏な在宅死」を迎えることの難しさなどについて述べています。また、口から食べ
 られなくなったとき、「胃ろう」をつけるかどうか悩む家族たちの話も出てきます。

  第2部「介護の現実I在宅・施設それぞれのリアル」では、妻と両親を同時期に介
 護する男性の体験や、子育てと親の介護が重なる「ダブルケア」の現実などを、詳し
 く描写しています。同時に、在宅医や訪問看護師らが果たす様々な役割、特別養護老
 人ホームでの看取りの取り組みなどについても取り上げます。

  そして第3部「老いは地域社会で見守れるか」では、こうした厳しい現実を支える
 クリニックや自治体、地域のキーパーソンたちの動きをまとめました,

  全休として、日本社会で起きている老後の現実問題、2025年以降に起きてくる
 問題、それらに対する先進的な取り組みを、神奈川県での取材事例をケーススタディ
 -として、わかりやすく伝えるのが本河の目的です。
   2025年はすぐそこに追っています。コ死」は、だれにでも平等に訪れます。
 今から「備え」
を考えておく必要があります。本書が、少しでもそのヒントになれば
 幸いです。

  なお、原則として本文に出てくる方の年齢や肩書などは新聞掲載当時のものです。

           朝日新聞「迫る2025ショック取材班」キャップ 佐藤 陽 

                                                                この項つづく

 朝日新聞 朝刊 2016.09.30 

● 謎の東京五輪運営費1.6兆円

 2020年東京五輪・パラリンピックの開催費用などを検証する東京都の調査チームによ
る報告書が29日、小池百合子都知事に渡された。報告書は大会経費が3兆円を超す可能
性を指摘し、ボート・カヌー会場など恒久3施設の建設見直しに言及した。小池知事が調
査チームの提言を受け入れ、会場計画の変更を決断し
た場合は、大会組織委員会を通じて
各国際競技団体との再調整が必要となる(朝日新聞 2016.09.30)。


それによると、都政改革本部(本部長)小池知事)の調査チームを統括する上山信一・慶
応大教授によると、総費用の見積もりは12年ロンドン五輪の実績を参考にした。施設整
備費7640億円に加え、輸送やセキュリティーなどソフト面に最大で1兆6千億円かか
ると推計。「関係団体の予算管理の甘さや組織統治の欠如から推計される経費」を上乗せ
すると、「3兆円を超す可能性がある」と踏み込んだ。都がすでに整備を始めている海の
森水上競技湯(ボート・カヌー)、アクアティクスセンター(水泳)、有明アリーナ(バ
レーボール)の3施設については、大会後の活用方法などが十分に議論されていないこと
から、見直しを求めた。

この提言に対し、国内の各競技団体は「計画通りに完成するよう要望する」などの声明を
発表し、反発。組織委の森喜朗会長はIOC(国際オリンピック委員会)の理事会、総会
で決まったものをひっくり返すのは極めて難しい」と苦言を呈した。小池知事は早ければ
カ月をめどに方向性を定める方針だ。10月後半にトーマス・バッハIOC会長が来
する予定で、知事が事情を説明する可能性もある。小池知事はこの日、米ボストンやロー
マなどの大都市が24年夏季五輪の招致活動から撤退した事例をあげ、「五輪そのものの
持続可能性が危ぶまれている。その意味でも、我々の判断は重要
になる」と経費圧縮に意
欲を示した。調査チームの「3兆円超」の積算根拠にはあいまいな点も残るが、組織委が
チケット販売やスポンサーの協賛金などで見込む収入は5千億円程度にとどまる。それを
超えてかかる経費は、都や国が負担することになるという。 

● テロ対策、ソフト経費膨張?


さらに、立候補時点で7千億円強と見込まれていた総費用がなぜ、「3兆円超」に膨らむ
のか。組織委の中村英正・企画財務局長は29日の記者会見で、さまざまな制約について
説明。まず、会場の建築工事については、本体工事部分だけを概算し、周辺の整備、設計
などは計上していない。現在、491億円にまで膨らんだボート・カヌー会場が当初69
億円と見積もられたのはその一例だ。また、招致レースを戦う上でライバル都市より突出
した予算を見込むと市民から「無駄遣い」などの批判を浴びて支持率に影響しかねない。
だから低めに設定されるのが招致の際の「常識」だという。

最も膨らむ要素は、施設整備費以外のテロ対策公共交通輸送などの経費について、招致
時には細部まで検討していないためだ。都の調査チームは、施設整備などのハード費用を
約7700億円とし、輸送や警備などの「ソフト経費」をロンドン五輪から推計して、最
大1兆6千億円と見積もった。東京は過去最高の競技種目数となり参加者も増える。さら
にロンドン以上に人口が過密で競技会場のエリアが広く、輸送や警備が難しい。地震対策
や暑さ対策にも費用がかかるとみる。都の担当者は「ロンドンより経費が減る要素は見当
たらない」。

一方、大会組織委の森喜朗会長は「テロ対策などは国の権威の問題」と話し、五輪の経費
として算入すること自体に否定的な見解を示した。国や都、大会組織委は現在、実務者レ
ベルでソフト面の協議を進めているが、三者の役割分担や経費はまだ決まっていないとい
う。

この記事で驚くのは「テロ対策」「公共交通輸送」の勘定科目の金額の大きさ。人件費換
算として、1.6兆円÷2万円/人/日(8時間労働/日)
×1.5(管理費などの諸経費)
5,300万人(1年あたりの投入人員数換算で約15万人/年→五輪終了の4年間
約4万人が専任
で張り付く格好となる)、つまり、
日本の全人口の約半分の延べ5千3百
万人が投入される。勿論、ハードな勘定科目は含まれていないので、オーバーカウントさ
れることは考慮しなければならないが。さらにわからないのが「公共交通輸送」の勘定科
目対象がわからない(ゲストの送迎費?外国人用カイド関連費?交通遮断補償費?まで含
まれる?)。前回の東京五輪の警護費の何倍程度のテロ対策費なのか?わからないことば
かりだ。それにしても、物騒な世界を放置して五輪を行う意味が日本人に問われるような
膨大な金額のようである。それからもうひとつ、当初見積産額との乖離は、IOCからの
「財政圧迫回避要請」対策によ
る、過少見積提出しなけばならない背景圧力があったとも
聞く。それにしても想像を遙かに超える金額になる謎に興味が尽きず、これは面白い。

 

 

 

【ルームランニング記 Ⅴ】

こうみえても、朝は結構忙しく、洗面、神棚に拝礼、般若心経を唱え、朝食、ホームペー
ジ更新、腕立て伏せ、ストレッチ、ルームウォーキング(録画ビデオのチェック――英会
話、中国語、登山、トレッキングなど)、そして、調査研究などの作業に入るのがルーチ
ン。ところが、毎日はすべてこなせない。忘れる。それでも、腕立て伏せは欠かさないよ
うにしている。もともと、頸腕の持病をもちハードな回数はこなせないので寝起きに10
回程度繰り返すだけ。それでも、不思議なもので、気力がわいてくることに気がつく。肉
体改造などやるような柄でないが、最近までやっていた水泳が総合計時間で一番長い。今
度は本気だ?!

  ● 今夜の一枚

Earth Just Permanently Passed Climate Threshold

 

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烏賊のリサージェンス

2016年09月24日 | 時事書評

 

 


             
       失敗を恐れる必要はありません。厳しい環境でしか学べないことはあまりに多い。

                                                孫 正義
 

                                               
                                                               Aug. 11, 1957 - 

 

手作りジャムつくりに熱心な彼女が、イチジクジャムの濃や香りつけにブランデーを使うと
良いということがわかったという。それはグランパなどの蒸留酒と同じだね応える。そうい
えば、数日前も、美味しそうなチーズ――モッツァレラチーズに2種のハーブを練り込みぬ
か床に漬け込んだチーズ―――が竜王のお店でつくられているからネットで調べてくれない
かと、鉛筆書きのメモを手渡しすので、ものの数分で「古株牧場  直営スイーツショップ
湖華舞」
「米糠床モッツァレラ」を表示、彼女が住所と電話番号をメモし、時間とお金の都
合をみてお出かけしようと提案する
ので快諾した。それにしてもチーズ発酵と米糠発酵のコ
ラボレートとはどんなものだろう。はずれもあるか、美味かったら我が家の名物にしよう。
そういえば、マスカットや梅など色とりどり大福なども25年前では考えられなかったが、
食品加工技術や商品開発の進展の勢いはとどまるところを知らぬようである。



話は烏賊にかわる。朝方、「イカの養殖は可能か?」と考えた。結論からいうと「飼育」レ
ベルで、アオリイカの短期養殖は存在するが、カリフォルニアヤリイカの累代飼育の成功事
例があるが一尾200ドルと目を剝く値段とか。そもそもこれを思いついたのは、中国・韓
国・台湾などの乱獲と温暖化による生息領域変化による漁獲量の逓減が原因。これも結論か
らいうとこれも心配はない――
世界の魚類もエビ・カニ、貝類なども含めた全漁獲量は1億
トン、イカ類は300万トン?68年日本はスルメイカ単一種で70万トン。アカイカを日
本・韓国・台湾などで合計35万トン(90年)も獲っている。世界各地のスルメイカ類(
アカイカ科)8種類の合計で平均30万トン、これに各地の沿岸域から獲れるケンサキイカ・
ヤリイカ類やコウイカ科を加えて250万トン。
外洋のイカ資源はおよそ2千万トン~3億
トンと幅広い試算がある。
外洋表層性イカ(おもにスルメイカ類)の潜在資源量は5000
万トン、ただし、沿岸にすむイカ類が入っていない。

 

小型のホタルイカ、深海にすむソデイカ、寒海のドスイカなど日本人は他の国の人が利用し
ない変わったイカも漁獲利用しているが、それらは世界的な統計に影響するほど大きな漁業
ではない。
それらの推定値を見るとまだイカの資源はあるが、人間が漁獲して食用に供する
には、身がおいしいことと、成体が漁業として成り立つ海の浅いところに大集群を作る性質
が条件。スルメイカ類(アカイカ科)は大規模な利用に適したイカ。沿岸のコウイカ類やケ
ンサキイカ類などは発展途上国の沿岸などでも零細な漁業でも獲れるが、その量はバカにな
らない。東南アジアや、イカをあまり食べないオーストラリア、アフリカ沿岸にはそういう
沿岸性のイカの未利用資源はまだ眠っているとされるが、ここで終われば話も終わるが、イ
カの研究は「漁業の未来」の視座だけではなく「脳化学の未来」からも行われてきた。


アオリイカの短期養殖 2011.09.20 福井県水産試験場

神経細胞の研究、脳型コンピュータの開発を手掛けた日本の脳科学者の松本元(故人)は、
イカにはぶっとい神経があり、人間の脳神経系の研究に有益なため研究対象として活のいい
烏賊育成の必要とし研究着手され、神経細胞が巨大で観察しやすいヤリイカの人工飼育法が
開発さ、さらに、イカを使った脳神経の興奮と興奮が伝達する様子を捉えるために、理化学
研究所(現・ブレインビジョン株式会社代表取締役)市川道教が超高速のリアルタイムイメ
ージング装置(超高速特殊カメラ+画像処理システム)を開発へ展開している。

軟体動物の仲間には二枚貝や巻き貝、さらに貝殻のないナメクジやウミウシが該当する。
の中にあってタコとイカの「知性」はひときわ目立ち、人類と酷似したカメラ眼で環境情報
をさぐり、大きな中枢神経系(脳)で処理している。ヤリイカでは10本の腕のつけ根にあ
る脳から、頭部の外套(がいとう)の裏に隠れた噴水孔まで信号を急送する神経細胞の枝が、
ものすごく太い(直経0.5ミリほどの巨大軸索)。これで神経興奮の伝導の仕組みを提唱
したホジキンとハクスレーは63年にノーベル賞を受賞している。生物物理学の創設期に故・
松本元はイカの水槽内飼育に取り組み成功したことは前出済み。



エソロジー(動物行動学)の開祖ローレンツは、わざわざ飼育槽の現場を見学に訪れ。他方、
巨大軸索の発見者でもあるイギリスのJ・Z・ヤングは、タコの条件づけ実験も行う。池田
譲  著『イカの心を探る-知の世界に生きる海の霊長類』はこうした代表的な業績をふまえ
ながら、タコの隠者ふうの賢さに比べて、イカは社会(泳ぎまわる仲間、とらえにくる敵、
さらに自分が育ち・行動する周囲環境)をより多く反映した「心の世界に生き」ている合同
性に開眼する。「陸の高等動物」をエソロジー(動物行動学)から「海の霊長類」のイカに
もこの理解を拡張する。サル学、小鳥の歌、社会生物学、さらにはマキャベリの『君主論』
や「赤ちゃん学」などの引用し議論の本筋と咬み合わせる。鏡を見せられたアオリイカの「
自己認識」の考察なども説得力を与えるから面白い。そういえば映画『インディペンデンス・
デイ』のエイリアンもイカ様態生物だったことを思い出す。もっとも今回の『リサージェン
ス』(Independence Day: Resurgence
)は宇宙防衛軍の結成とその活躍の話だが。

脳科学の進歩もめざましいものがあるが、それにしても、生命を説明する《遺伝子》のもつ
支配(力)の説明の不確定性、あるいは、これに関わる本質と変容について、改めて深く考
えさせられる。このため、この件は一旦残件扱いとし、前述したブレインビジョン株式会社
が保有する特許事例を掲載し切り上げる。

特開2013-089873

【符号の説明】 

10、100、200、300 受光素子  11 半導体基板  12 エピタキシャ
ル層  
13  表面ドープ層   14、15 N型領域  16、17 高濃度N型拡散領域  18     

パルス発振器  19 リセットトランジスタ  20  増幅器  21 パルス発振器  101、
103、
105、107 変調電位印加ダイオード  102、104、106、108 光電
子回収ダイオード 
400、400’、400’’、400’’’ 回路要素領域  402、
404、410、412、414、416、418、
420、422   金属配線  406、
408  配線

【要約】

少なくとも4個以上のPN接合ダイオードのなかで少なくとも2個以上のPN接合ダイオー
ドに電圧を印加して、エピタキシャル層内の静電ポテンシャルを変調する変調電位印加ダイ
オードとし、少なくとも4個以上のPN接合ダイオードのなかで変調電位印加ダイオードと
重複しない少なくとも2個以上のPN接合ダイオードは、エピタキシャル層で生成された光
電子を回収する光電子回収ダイオードとし、少なくとも2個以上の変調電位印加ダイオード
へそれぞれ印加する電圧の位相を変化させて静電ポテンシャルの勾配を制御し、光電子の少
なくとも2個以上の光電子回収ダイオードへの移動を制御することで、複数位相の同時復調
を行うことができ、かつ、素子構造が単純であって、比較的小さな撮像素子を構成する際に
も高解像度を得ることができるほどの密度に実装することが可能であり、しかも安価に製造
できる汎用の半導体製造プロセスでの製造する。

 

    

 ● 又吉直樹 著 『火花』18 

 「なっ、仲良いって言うたやろ?」と神谷さんが得意気に言った。

  机の上には、小さな鍋やコンロや大きな皿に盛られた野菜が置かれ、水炊きの準備が
 出来ていた。何故か菜箸とおたまを立てる器だけ料理店にあるような本格的なもので、
 それを見ていると、長時間持たせていたことを改めて申し訳なく思った。由貴さんは嫌
 な顔一つせず、手際よくキッチンを行き来して準備をした。

  由貴さんはとても太っていた。ふっくらという言葉では到底追いつかない、大きな体
 格だった。だが、蛍光灯の光に晒されても透き通るように肌が綺麗で、とても清潔な印
 象を与えた。そして、この人も誰かのようによく笑った。自い壁に響く女性の笑い声が
 自然と、いつかの真樹さんの笑い声と重なった。

  いつの問にか、僕達は随分と遠くまでやってきた。
  まったく先が見えない状況のなか、得体の知れない後ろめたさや恐怖に苦しみながら
 も、なんとか必死でやってきた。深夜バイトは、突然入ったオールナイトライブに出演
 するため、急に体んでクビになった。次のバイト先では年下に変なあだ名も付けられた。
 でも最近、ようやく漫才だけで食べていけるようになった。もう少ししたら、実家に仕
 送りが出来るようになるかもしれない。

  一度家族を劇場に招待するのもいいかもしれない。その後、なにか美味しいものでも
 食べにいこう。
  テレビから聴き慣れた音楽が流れてきた。僕が出演している漫才番組だった。由貴さ
 んが、「スパークス出てるよ!」と声を上げた。
  一瞬、神谷さんの顔色が変わった。由貴さんは、誰のネタでも平等に笑った。神谷さ
 んは黙って、じっと画面を見つめている。次はスパークスの番だった。出囃子が鳴り、
 画面の中で僕と相方がスタンドマイクの正面に立つ。由貴さんは、今までよりも声を出
 して笑っている。神谷さんは微動だにせず、真っ直ぐに画面を見つめている。

  笑えや。やっぱり、笑わない。胸の辺りで渦巻いていた焦燥のような感覚が、すこん
 と腹の底に落ちた途端、僕の耳元で僕の声が聴こえてきた,「こいつ、殴ったろか。
  段々、腹立ってきた。なんで、俺と同じ格好してんねん」徐々に耳元で聴こえる声が
 大きくなる。僕達のネタが終わった。
  由貴さんは、面白かったと言って、僕達のネタが終ってからも思いだしてまで笑っ
 いた。一方の神谷さんは、一言もも発さずに一点を見つめている。

 「駄目ですかね」神谷さんに問いかけた僕の声は震えていた。
         
  神谷さんは鍋の灰汁を取りながら、「せやな、もっと徳永の好きなように面白いこと
 やったったらいいねん」と、無邪気な言葉をつぷやいた。
  神谷さんが誤って灰汗取りの柄の部分を下にして器に突っ込んでしまったので、僕
 神谷さんの問にスタンドマイクが立ったようなあんばい按排になった。

 「出来ないんですよ」

  頭に血液がのぼっていく感覚があった。
  出来ないのだ,神谷さんが、この漫才を面白くないと言うのなら、もう僕には出来
 い。

  僕は神谷さんとは違うのだ。僕は徹底的な賢端にはなりきれない。その反対に器用
 もなち回れない,その不器用さを誇ることも出来ない。嘘を吐くことは男児として
みっ
 ともないからだ。知っている。そんな陳腐な自尊心こそみっともないなどという
平凡な
 言葉は何度も間いてきた。でも、無理なのだ。最近は独りよがりではなく、お
客さんを
 楽しませることが出来るようになったと思っていた。妥協せずに、編さず
に、自分にも
 嘘を吐かずに、これで神谷さんに褒められたら最高だと一人でにやつい
ていた。昔より
 も笑い声を沢山聞けるようになったから、神谷さんの笑い声も聞ける
んじやないかと思
 っていた。でも、全然駄目だった。日常の不甲斐ない僕はあんなに
も神谷さんを笑わす
 ことが出来るのに、舞台に立った僕で神谷さんは笑わない。

  神谷さんが、何を見て、何を面白いと思っているのか、どうすれば神谷さんが笑っ
 くれるのか、そんなことばかり考えていた。美しい風景を台なしにすることこそ
が、笑
 いだと言うのなら、僕はそうするべきだと思った,それが芸人としての正しい
道だと信
 じていた,

  僕は本当に自分に嘘を吐かなかっただろうか。

  神谷さんは真正のあほんだらである,日々、意味のわからない阿呆陀羅経を、なぜ
 人を惹き付ける美声で唱えて、毎日少しのばら銭をいただき、その日暮らしで生き
てい
 る。無駄なものを背負わない、そんな生き様に心底憧れて、憧れて、憧れ倒して
生きて
 きた。

  僕は面白い芸人になりたかった。僕が思う面白い芸人とは、どんな状況でも、どん
 瞬間でも面白い芸人のことだ。神谷さんは僕と一緒にいる時はいつも面白かった
し、一
 緒に舞台に立った時は、少なくとも、常に面白くあろうとした。神谷さんは、僕の面白
 いを体現してくれる人だった。神谷さんに憧れ、神谷さんの教えを守り、僕は神谷さん
 のように若い女性から支持されずとも、男が見て面白いと熱狂するような、そんな芸人
 になりたかったピ晋い訳をせず真正面から面白いことを追求する芸人になりたかった。
 不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった。

  神谷さんが面白いと思うことは、神谷さんが未だ発していない言葉だ。未だ表現して
 いない想像だ。つまりは神谷さんの才能を凌駕したもののみだ,この人は、毎秒おのれ
 の範鴫を越えようとして挑み続けている。それを楽しみながらやっているのだから手に
 負えない。自分の作り上げたものを、平気な顔して屁でも垂れながら、破壊する。その
 光景は清々しい。敵わない。

  いつか誰かが言っていた。神谷は逃げているだけじやないかと。違う。何もわかって
 いないと思う。神谷さんは、自分が面白いと思うことに背いたことはない。神谷さんは「
 いないいないばあ」を知らないのだ。神谷さんは、赤児相手でも全力で自分の笑わせ方
 を行使するのだ。誤解されることも多いだろうけど、決して逃げている訳ではない。

  神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれな
 い何かだ。その世界は孤独かもしれないけれど、その寂寥(せきりょう)は自分を鼓舞
 もしてくれるだろう,僕、結局、世間というものを剥がせなかった,本当の地獄という
 のは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕
 の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間
 の観念とも闘う。

 「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない。そ
 れすらも問答無用で否定する神谷さんは尊い。でも、悔しくて悔しくて、憎くて憎くて
 仕方がない。
  神谷さんは、道なんて踏み外すためにあるのだと言った。僕の前を歩く神谷さんの進
 む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった。

 「そんなつもりじゃないねんで」

  僕は神谷さんの優しい声に弱い。漫才番組が終わり、テレビ画面には情報番組が流れ
 ている,由貴さんは気を使って寝室に引っ込んだようだ,

 「いや、面白くないんでしょ」

  僕は自分の人生のために、神谷さんを全力で否定しなければならない。

 「おもろないってことではないねん。俺、徳永が面白いん知ってるから。徳永やったら、
 もっと出来ると思ってまうねん」
  神谷さんは言いにくそうに小さな声で言った。

 「ほな、自分がテレビ出てやったらよろしいやん」

  神谷さんが、口を強く結ぶ音が聴こえたような気がした。

 「ごちゃごちゃ文句言うんやったら、自分が、オーディション受かってテレビで面白い
 漫才やったら、よろしいやん」

  僕が.一日いたかったのは、こんなしょうもないことだっただろうか。

 「せやな」

  神谷さんは顔を上げずに言った。

 「神谷さんと同じように、僕だって、僕だけじゃなくて、全ての芸人には自分の面白い
 と思うことがあるんですよ,でも、それを伝えなあかんから。そこの努力を怠ったら、
 自分の面白いと思うことがなかったことにされるから」

 「考え過ぎちゃうか、もっと気楽に好きなことやったらいいんちゃうか」
 「趣味やったらね、趣味やったらそれでいいと思うんですよ。でも、漫才好きで続けた
 いなら、そこを怠ったらあかんでしょ」

  神谷さんは、深く考え込む表情を浮かべたまま何も言わなかった。

 「捨てたらあかんもん、絶対に捨てたくないから、ざるの網目細かくしてるんですよ。
 ほんなら、ざるに無駄なもんも沢山人って来るかもしらんけど、こんなもん僕だって、
 いつでも捨てられるんですよ。捨てられることだけを誇らんといて下さいよ」
 「徳永、すまんな」と神谷さんは小さな声で言った。

 どうせなら、殴ってほしかった,

 「あと、その髪型って僕の真似ですよね?服装も僕の真似ですよね?神谷さん人の真似
 するのは死んでも嫌やって言うてましたよね? 自分自身の摸倣もしたくないとか偉そ
 うに言うてましたよね?それ模倣じやないんですか?」

  こんなことが言いたかった訳ではない。神谷さんの説明など開かなくても、この時に
 はもう神谷さんの気持ちがほとんどわかっていた。

 「いや、お前の髪型見てな格好良いと思って」

  それだけのことなのである。神谷さんにとっては、笑いにおける独自の発想や表現方
 法だけが肝心なのだ。髪型や服装の個性になど全く関心がないのである。定食屋で友人
 が美味しそうな飯を食っていたから、同じ物を注文したことと何ら変わりないことなの
 だ。友人と同じ定食を食べながら、誰も思いつかないようなネタを考えるのが神谷さん
 の生き方なのだ,僕達は財問から逃れられないから、服を着なければならない。何を着
 るかということが絵画の額縁を選ぶだけのことであるなら、絵描きの神谷さんの知った
 ことではない。だが、僕達は自分で描いた絵を自分で展示して誰かに買って貰わなけれ
 ばいけないのだ。額縁を何にするかで絵の印象は大きく変わるだろう。商業的なことを
 一切放棄するという行為は自分の作品の本来の意味を変えることにもなりかねない。そ
 れは作品を守らないことにも等しいのだ。

 「模倣ですやん」と言った僕の声は震えていた。

  どうしようもなく重たい空気が僕達を囲み、いつまでも、僕は動けずにいた。神谷さ
 んは、憂鬱な雰囲気のまま立ち上がると、箪笥の引き出しを開けて何かを探している。
 ガサガサと引き出しの中で音がしている。そして、何かを取り出すと勢いよく風呂場に
 入った.、
  由貴さんは寝室から出てこない。それを、有り難く思った。僕は自分の才能のなさを
 神谷さんの責任にしようとしているのだろうか。いや、違う,僕は本心を話し、みっと
 もない恥部も全て曝け出して、それを神谷さんに引っ繰り返して貰いたかったのだ。
  風呂場から出てきた神谷さんの髪型はガタガタになっていた。ハサミで坊主にしよう
 と思ったのだろうけど、耳の後ろに長い毛が残っていたりして、見ていられなかった。

 「ベッカム目指したら、水前寺清子みたいになってもうた」と言った。
 「チータにも、全くなってないですよ」と僕が言ったら、神谷さんは声を出して笑った。

  神谷さんは改めて僕に謝ると、冷蔵庫に酒を取りに行った。僕の顔を見ないようにし
 てくれていたのだろうけど、角度的に難しかったのか、腰を変に観じらせて、「あ、ち
 ゃうわ」と一人でつぶやいていた。
  そこから、どうやって家まで帰ったのか思い出せない。翌日、電話を掛けたが神谷さ
 んは出てくれなかった。メールで謝罪の文章を送ると、すぐに返信があったが、「酔う
 てて、全然覚えてないから大丈夫やで!」という文面の似合わない感嘆符が妙に哀しか
 った、

携帯電話のメールのやりとりシーンが多く出てくるのは時代の所為なのだが、うまく編集す
れば、漫才の台本のネタ本になることに気づかせてくれる。さて、次節はどのように展開し
ていくか楽しみだ。

                                  この項つづく
 

 

 

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宇多田復活!ヱヴァQ

2016年09月19日 | 時事書評

 

                 5割の確率でやるのは愚か。9割の成功率が見込めるようなものは

          もう手遅れだ。7割の成功率が予見できれば投資すべきだ。

          大事なことは、誰がなんと言おうと、一直線に志に向かっていくこと。

          事を起こすのが起業家、事を成すのが事業家、事を治めるのが経営者。


                                                         孫 正義 

                                                                  
                                                                    Aug. 11, 1957 -  

 

 

【量子ドット工学講座 22:量子ドット電子デバイス事例】

● 量子光デバイスの製造方法

量子光学アプリケーションは、量子暗号、量子コンピューティングや他のフォトニック系技
術を含む。量子光デバイスは、(1)光子生成が起こる第1セクションと、(2)光子操作
が起こる第2セクションと、(3)光子検出が起こる第3セクションを含むものと考えられ
ている。集積光学回路は、セクション間で光子を輸送(transport)手段をもつ単一の光学チッ
プでの複数のセクションを具備し、より低いコストで、簡略化された集積光学回路を生産す
ることが要求されている。

   JP 2016-164971 A 2016.9.8

上図の株式会社東芝の「特開2016-164971  光デバイスおよび光デバイス製造方法」では、
クション間で光子を輸送の手段をもつ単一の光学チップでの複数のセクションを、より低い
コストでの製造方法を提供する。それによると、
第1材料と第2材料と第3材料で構成され
た光デバイスで、第1材料の層として非ドープのGaAs層109とnドープされたGaAs
層107はフォトニック結晶スラブを構成する。非ドープのGaAs109層は、中間に低
密度InAs量子ドット(QD)の層をもち、第2材料は硬化した流動可能酸化物で、第2
材料は、第1材料と異なる屈折率を有する。第3材料はITO層117であり、フォトニッ
ク結晶スラブ(床構造)の欠陥部分にのみ電気的に接続される。

このデバイスの製造方法は、下図の流れ図に示されている。この方法では、層構造は、基板1
01上に形成され、その後光デバイスを形成のために処理。非プロセス構造は、適切な基板1
01上のエピタキシャル方法で成長する。層は、分子線エピタキシーを用いて成長する。図
に記述される製造方法は、多くの量子ドットを備える層を有するデバイスを製造するもので
ある。

ここで、ステップS203は、「QD層を有する非ドープのGaAs層をnドープされたG
aAs層上に形成する」である。非ドープのGaAs305の層は、非ドープのGaAs層
305の中間で成長した、低密度InAs量子ドット(QD)の層とともにnドープされた
GaAs層303上で成長する。   一実施形態では、ストランスキー・クラスタノフ成長モ
ード技術がQDを形成するために用いられる。nドープされたGaAs層303が成長した
後、非ドープのGaAs305の成長が開始する。非ドープのGaAs層305の成長の中
点では、成長が止まり、InAsの薄層が堆積する。言いかえれば、一旦非ドープのGaAs
層305が所望の厚さの半分まで成長したならば、非ドープのGaAsの成長が止まり、
InAsの薄層が堆積する。その後、残っている非ドープのGaAsが堆積する。InAs
層におけるQDのひずみ誘起による形成がある。QDを形成する他の方法が用いられる。


また、ステップS204は、「メサを形成する」である。このステップで、nドープされた
GaAs薄層303までのリソグラフィおよびウェットエッチングは、フォトニック結晶デ
バイスを含むであろう1つ以上のメサを定義するために用いられる。一実施形態では、例え
ば50x50μmの面積を有する数マイクロメーターの面積を備える1つ以上のメサが、標
準フォトリソグラフィおよびエッチング技術を用いて定義される。メサは、垂直p-i-n
ダイオードが作成され、フォトニック結晶構造をホストする領域を定義する。メサを形成す
るステップは、いくつかの段階を包含する。第1にポジ型フォトレジスト、例えばMicroposit
(登録商標)S1813(登録商標)は、ウェーハの上部でスピンされ、
一実施形態では、
レジストの厚さは約数百ナノメータである。次のステップは、例えばS1813レジストに
関するMF319(登録商標)デベロッパーを用いる、紫外線照射および現像である。現像
中に、レジストの露光された領域、すなわち、メサ領域の周囲は除去される。これらの領域
はその後、ウェットまたはドライエッジングを用いてエッチングされる。GaAs系メサの
ウェットエッチングに関しては、HSO-H-HO(硫酸-過酸化水素-水)の混
合物が用いられる。ドライエッジングに関しては、四塩化ケイ素または塩素ガスに基づく
プラズマが用いられうる。エッチングデプスは、スラブの厚み、すなわち非ドープのGaA
s層305の上部からnドープされたGaAs層303の上部までの距離によって定義され
る。nドープされたGaAs層303に到達するとき、エッチングが停止される(以下略)。



● 量子ドット太陽電池の製造方法

光電変換層をp型の量子ドット層とn型の量子ドッ層との積層構造とするものが開示され
ている。
例えば、株式会社ブイ・テクノロジーの「特開2012-004251 太陽電池」では、次の
ように開示されている。

量子ドットは、約10nm以下の領域に電子を閉じ込め、電子の量子力学的な波の性質を利
用。量子ドットは、サイズに応じ吸収波長が変化(し量子サイズ効果)、小さい量子ドット
は短波長の光(青色光)を吸収し、大きな量子ドットは長波長の光(赤色光)を吸収する。
量子ドットを並べるとその相互作用により新しい光吸収帯形成し光吸収する波長のを広げる。
このように、極めて高い変換効率の太陽電池を得るために、均一な大きさの量子ドットを3
次元的に規則正しく高密度で並べることで可能となる。下図は、量子ドット太陽電池の構造
を示す。

  特開2012-004251 太陽電池

上図では、半導体基板100の裏面に裏面電極101が形成され、半導体基板100上にn
(n型半導体)層102が形成されている。このn層102の上に、i(真性半導体)層
103が形成され、このi層の上に、p(p型半導体)層104が形成されている。このp
層の上に格子状のグリッド電極106が形成され、このグリッド電極の開口部に透明な反射
防止膜105が形成される。太陽光は、このグリッド電極の開口部の反射防止膜を透過し、
p層、i層及びn層に入射する。尚、下図はそのエネルギバンド図を示す。



また、i層は、量子ドット層107と中間層108とを交互に積層したもの、この量子ドッ
ト層の間に挿入される中間層の厚さが厚いと、エネルギバンド構造は、下図(a)に示すよ
うになる。太陽光の吸収により励起された電子は、光励起又は熱励起により量子ドットの井
戸から抜け出し、電流として取り出される。このとき、電子の非発光再結合及び発光再結合
が生じ、エネルギの損失が生じる。一方、中間層の厚さを数nm程度まで薄くすると、上図
(b)に示すように、量子ドット間にミニバンドが形成され、太陽光の吸収により励起した
電子及び正孔は少ないエネルギ損失で移動することができ、このi層で生成する電流は多い。

このように、量子ドット層によりi層を構成することで、ミニバンドが形成されるので、太
陽光で電子及び正孔を励起するエネルギは小さくてすみ、少ない吸収エネルギで電子及び正
孔を励起、効率よく電流が生成し、変換効率が高い。また励起した電子は、ミニバンドを伝
導して、n層に至るが、励起した電子は、n層に移る際に、ミニバンドから伝導帯まで障壁
を乗り越える必要があり、従来の量子ドット太陽電池では、取り出せる電流に限界がある。
i層にて太陽光で励起された電子や正孔の流れを、n層やp層に移行する際の障壁を小さ
くして、電流をミニバンドから取り出しやすくした太陽電池を提供するために下図のように
改良する。


上図のn層12と、このn層の上に形成されたi層13と、このi層の上に形成されたp層
14に対し、太陽光が入射する。i層は真性半導体層であり、n層及びp層は夫々n型とp
型の半導体層であるが、いずれも、量子ドット層である。従って、i層で励起された電子は
、n層も含めて、量子ドット層のミニバンドを伝導して、電極に流れる構成、構造にするこ
とで、i層にて太陽光により励起された電子の流れを、p層またはn層に移行する際の障壁
を小さくし、電流をミニバンドから取り出しやすくした太陽電池を提供させている。この事
例の量子ドット層の粒子構造は下図(a)のような模式図が提示され、i層は粒子径が5~
1000nmの多数のシリコン(Si)粒子と、粒子径が5~1000nmのAg(銀)粒
子からなるベース構造をもち、Si粒子とAg粒子とが規則的に配置。また、p層は、同様
に、粒子径が5~至1000nmの多数のシリコン(Si)粒子と、粒子径が5~1000
nmのAg(銀)粒子とが規則的に配置、p層においては、Si粒子にB(ボロン)等のp
型不純物がドープされている。更に、n層12は、同様に、粒子径が5乃至1000nmの
多数のシリコン(Si)粒子と、粒子径が5~1000nmのAg(銀)粒子とが規則的に
配置、n層においては、Si粒子にAs(砒素)等のn型不純物がドープされている。なお、
これらのドープ元素は、上記各元素に限らず、公知のp型ドープ元素とn型ドープ元素を使
用でき、各ドープ元素の量を調整することでp層とn層のフェルミ準位をコントロールする。

尚、ベース構造のAg粒子は、その間隔が一定に規則的に配列され、このベース構造の量子
ドット層の形成方法の一例図示の粒子構造は、ナノ粒子のSi粒子が面心立方格子の格子点
の位置に存在し、面心立方格子の一面において、その3軸が直交する位置にあり、4個のSi
粒子が面心の位置にあるAg粒子に接触する(例えば、インジウム(In)、タンタル(Ta
)、タングステン(W)等のレア・メタルのナノ粒子、金(Au)等の貴金属のナノ粒子も
使用できる)。

この下図a)に示す粒子構造のベース構造は、下図b)ように、Ag粒子とSi粒子(真性
半導体、p型半導体とn型半導体のSi粒子)とを均一分散させた溶液6を、容器5内に貯
留。この溶液6の溶媒は水を使用。基板7は支持部材8に吊り下げ、この支持部材は昇降装
置9により上下動可能になる。昇降装置により支持部材を介し基板を下降させ、基板を溶液
内に浸漬する。これにより、この基板の表面に溶液の層が付着、昇降装置で、基板を引き上
げると基板表面に付着した溶液層は、乾燥過程で、表面張力で縮み、溶液内の粒子のうち、
大径の粒子が最密充填の位置に位置し固化。これにより、最密充填の結晶構造が面心立方格
子の場合には、図示すように、大径のSi粒子が面心立方格子の格子点に位置し、面心位置
にAg粒子が位置し、これらのSi粒子とAg粒子とが配置される面心立方格子の結晶構造
(粒子の配置構造)が3次元的に形成される。尚、基板の引き上げ速度は、数百nm/s~
数十μm/病。基板材質は、ガラス、鉄板やアルミニウムホイル等が使用する。


 

しかし、これに対し、下図の京セラ株式会社の「特開2016-162886  光電変換装置」では、
前出の事例では、光電変換層を上述のようにp型およびn型の量子ドット層によって形成し
ても、キャリア
の移動度が低く、未だ、光電変換効率が低いという問題があると指摘し次の
ような改良提案――n型の成分をドープ成分として含む第1の量子ドット層と、p型の成分
をドープ成分として含む第2の量子ドット層とが積層されている量子ドット集積部を備える
}光電変換装置であって、第1の量子ドット層におけるn型の成分の単位体積当たりの原子
数が、第2の量子ドット層におけるp型の成分の単位体積当たりの原子数よりも多いもの―
に改良する

    JP 2016-162886 A 2016.9.5
【符号の説明】

1、11      量子ドット集積部
1a、11a    n型の成分を含む第1の量子ドット層
1b、11b    p型の成分を含む第2の量子ドット層
3、5、13、15 導体層

ここで、上図(a)に示した本実施形態の光電変換装置を構成している量子ドット集積部1
は、量子ドット集積部1を構成すn型の成分をドープ成分として含む第1の量子ドット層1a
とp型の成分をドープ成分として含む第2の量子ドット層1bとの間で、第1の量子ドット
層1aにおけるn型の成分の単位体積当たりの原子数が、第2の量子ドット層1bにおける
p型の成分の単位体積当たりの原子数よりも多くなっている点が、上図(b)に示した従来
の光電変換装置を構成している量子ドット集積部1と相違する。


こうすることで、キャリアの移動度が高く、これにより光電変換効率を高めることのできる
光電変換装置を提供する。つまり、上図のように、
n型の成分をドープ成分として含む第
1の量子ドット層1aと、p型の成分をドープ成分として含む第2の量子ドット層1bとが
積層される量子ドット集積部1を備え、第1の量子ドット層1aにおけるn型の成分の単位
体積当たりの原子数が、第2の量子ドット層1bにおけるp型の成分の単位体積当たりの原
子数よりも多いもので、このとき、第1の子ドット層1aにおけるn型の成分の単位体積
当たりの原子数が、第2の量子ドット層1bにおけるp型の成分の単位体積当たりのp型の
成分の原子数の10倍以上である構造・成分を提案する

くどいようだが、n型の成分を含む第1の量子ドット層1aとp型の成分を含む第2の量子
ドット層1bとの間で、n型の成分の単位体積当たりの原子数をp型の成分の単位体積当た
りの原子数よりも多くしたことにより、第1の量子ドット層1aにおける伝導帯のエネルギ
ー準位(E)と第2の量子ドット層1bにおける伝導帯のエネルギー準位(E)とのエネ
ルギー差を従来の光電変換装置よりも大きくできる。これは、ドープした成分の単位体積当
たりの原子数が少ない方(この場合、p型の成分を含む第2の量子ドット層1b)にp/n
接合界面に形成される空乏層Ldの領域がドープした成分の単位体積当たりの原子数が多い
方(この場合、n型の成分を含む第1の量子ドット層1a)側よりも広がる。従って図(a)
では、p型の成分を含む第2の量子ドット層1b側の空乏層Ldの幅Wdpがn型の成分を
含む第1の量子ドット層1a側の空乏層Ldの幅Wdnよりも大きくなる。

これにより量子ドット集積部1における拡散電位(V)を従来の光電変換装置に比べて大き
くすることができ、また、光電変換装置としての開放電圧VOCを大きくできる。その結果、
第1の量子ドット層1aと第2の量子ドット層1bとの間に、キャリア(電子eおよびホ
ールh)の移動度が向上し光電変換効率を向上する。
この場合、第1の量子ドット層1a
のn型の成分の単位体積当たりの原子数が、第2の量子ドット層1bのp型の成分の単位体
積当たりの原子数の10倍以上が望ましく、第1の量子ドット層1aのn型の成分の単位体
積当たりの原子数と第2の量子ドット層1bのp型の成分の単位体積当たりの原子数との差
を10倍以上に大きくすると、量子ドット集積部1における拡散電位(V)と開放電圧VOC
をさらに向上する


さらには、第1の量子ドット層1aのn型の成分の単位体積当たりの原子数を1×1019 
atom/cm以上とすると、第2の量子ドット層1bにおけるp型の成分の単位体積当
たりの原子数を1×1017  atom/cm未満とするのが良い。また、n型の成分の単
位体積当たりの原子数の好適な範囲は、2×1019~9×1019  atom/cm3、第2
の量子ドット層1bのp型の成分の単位体積当たりの原子数の好適な範囲としては、1×
1016~8×1016  atom/cmが好ましい。

また、これらの材料を適用した場合、量子ドットQDのサイズ(平均粒径)は1~10nm
特に2~7nmが良い。n型の成分の単位体積当たりの原子数の範囲を2×1019~9×
1019  atom/cmに、一方、第2の量子ドット層1bにおけるp型の成分の単位体
積当たりの原子数を1×1016~8×1016  atom/cmにすることが容易となる。


さらに、上記の量子ドットQDにおいては、電子の閉じ込め効果を高められるという理由か
ら量子ドットQDの表面に障壁層(バリア層)を有していてもよい。障壁層は量子ドットQ
Dとなる半導体材料に比較して2~15倍のエネルギーギャップをもつ材料が好ましく、エ
ネルギーギャップ(Eg)が1.0~10.0evが好ましい。障壁層の材料としてはSi、
C、Ti、Cu、Ga、S、InやSeから選ばれる少なくとも1種の元素を含む化合物(
半導体、炭化物、酸化物、窒化物)が好ましい。

量子ドットも、ひとつ、ひとつ課題がクリアされ払暁にある。これは面白い。

  ● 今夜の一曲

Utada Hikaru - Sakura Nagashi (Evangelion 3.33 Soundtrack)

10年の活動停止から宇多田が復活!Mスタに登場。「桜流し」を熱唱。エンデイングに感動する。



Beautiful World (Planitb Acoustica Mix) - Credits song of Evangelion 2.22

今日は、11時より宗安寺で母の三回忌を行う。これで精神的に安定するだろうか?そんな
ことを考える。息子たちとわかれ、敬老の日で客でごった返す、中薮の和食麺処「サガミ」
で彼女と二人で、昼食をとり帰宅。



※ サガミ「鴨汁ざるそば」をはじめて注文するが、これはおすすめ。ただ、冷たいざるそ
  ばは鴨汁の温度を下げるので、1皿だけ、もう1皿は普通のざるそば汁と分けた方が
  良い(残念)。
 

    

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富収奪の経路依存

2016年09月08日 | 時事書評

 


  太宰治という人は本気になって、じぶんを愛するように、隣人を愛せるかをかんがえていた人です。

                   「あかるい太宰、くらい太宰(3)」ちくま No.276 1994

                                  
                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,
2012 

 

【白蟻と片道切符:富収奪の経路依存】 

昨日のその1で、この問題に関わる場合の基本的な視点を整頓。今回はまず「新国立競技場に始まり、
建設費の膨張が目立つ東京オリンピック。膨らむ予算の原資が、都民の税金となれば、厳しい精査が必
要なのは言うまでもない。五輪を仕切る大会組織委員会の森喜朗会長と受注業者はどのような関係なの
か}(「週刊文春」16.09.15号)との設問を以下のように俯瞰してみる。

9月2日、都庁で開かれた東京五輪・パラリンピックの重要事項を協議する調整会議。この日で12回
目を迎える調整会議がそれまでの森喜朗会長(79)から小池百合子都知事(64)に座長が交代し、会議
初めて報道陣に公開され、同会合で森五輪組織委員会々長は「築地市場を通る環状二号線の工事は、
五輪に間に合うようにきちんと着手できるのか」と釘を刺している。

「以前(所属していた派閥の)清和会の会合で、環境大臣を勝手に受けたと面罵されました。総裁選に
も勝手に出馬した。私は旧来の派閥のお作法に関心がないので、(森氏の)お叱りの対象になるのでし
ょう」と言う関係にあるという小池新知事の関心は、①五輪予算の透明化、②五輪事業を巡る都議会の
古参内田茂都議(77)と五輪組織委員会の森会長の影力の排除、③受注の公平性・透明性の確保にあ
り、新知事の言葉を借りれば「クリーン」「都民ファースト」を都政運営の原則とする。

--------------------------------------------------------------------------------------------

※99年の都知事選頃から内田―森結びつく。森会長が明石康元国連事務次長を擁立するが内田都議は
 これを支援、石原慎太郎元都知事当選。森会長は五輪招致を悲願とし 五輪のメインスタジアムの霞
 
ケ丘と競技場の建て替え、神宮外苑の再開発を主張、石原元都知事は、メインスタジアムを臨海部建
 設を主
張し臨海案で挑んだ16年招致はリオに敗退。再挑戦の20年招致で、森の国立建て替え案が
 浮上。


 だが、国立建て替えには、①神宮外苑が、風致地区指定に該当、建築物には15メートルという高さ
 制限が
あり、13年6月、都は容積率を緩和し、高さ制限を75メートルに改訂。新国立建設を中心
 とした神宮外苑が再開発可能となるが、この計画に内田都議が協力し、新国立案で挑んだ20年招致
 が成功。組織委は政府や都、財界ほか関係団体と共にオールジャパン体制の中心となる組織。その会長
 に治まるが安倍晋三首相にはスポンサーを集められる財界人が念頭にあったとされる。森会長は武藤
 敏
郎元財務事務次官、河野一郎元国家議員、高島直樹前都議議長、川井重勇現議長という人事で固め
  る。

-------------------------------------------------------------------------------------------



同誌が、東京五輪の施設整備の疑義はないか受注企業と森会長との関係調査を開始。①まず、メインス

タジアムの新国立競技場の建設工事――総工費約1490億円で受注した大手ゼネコンの大成建設を中
心としたジョイントベンチヤー(JV)。親和力順に大成>清水建設>石川県真柄建設。特に森会長の
元金庫番と大成幹部はズブズブ関係。
森の後後会機関誌「春風」(年1,2回発行、150頁超)。中
身は、視察などの。写真集など、1頁あたり百万円の広告料を徴収し関連企業が資金集めを担当


大成は「
旧国立」の事業でもあり「新国立」に力を入れるが、ザハ・ハディド氏(故人)の当初案でも
スタンドの施工を受注。総工費の膨張や巨大なキールアーチに批判が殺到、ザハ案は白紙撤回。大成は
すでに下請けの一部手配を済ませていた。15年7月、ザハ案の白紙撤回決まった際、同会長は安倍首
相に業者のことも考えてしい泣きつき記者団には国がたった2500億の建築費も出せなと不満をあら
わにしている。

結局、発注元のJSC(日本スポーツ振興センタ)は再設計し、大成が2ヶ月短縮工期安の竹中工務店
に競り勝ち受注するも
約1490億円の総工費が、さらに膨らむ可能がある(JSCと大成の契約で
は、急激に人件費や資材価格が高騰した場合、請負金額も変動すると定められている)。また、大成建
設が受注は新国立だけでなく 都予算負担恒久施設のカヌー・ボート会場の「海の森水上競技場」も約
249億円――入札価格それより僅か31万円ほど安い、落札率換算で99・9%、20年以上公共工
事の調査で、官製談合を疑われても仕方がない事例。技術点も60点中36点と低く。大規模工事にも
かかわらず技術審査委員会が2回しか行われていない。他の恒久施設審査では外部有識者がいるのに、
今回は審査委員6人中5人が都港湾局職員で公平性・透明性に欠ける(五十嵐敬喜法政大名誉教授)。

この事案は、立候補段階の予算は約69億、周辺工事などが含まれずその後の試算で約1038億円と
膨れ――コース内の小さな橋があり、ゲタのため橋を架け替えが必要となり300億円弱を都はこの
橋の撤去費を環境局の予算に付け替え調整し、491億円に調整するも当初の7
倍となる。 つまり、
海の森の実質的な建設費は800億円近くになるが、それでも横風が強い、騒音が大きいなどが残件す
る欠陥コースだ。

このほか、石川県の空調設備会社の菱機工業は、バドミントン会場の「武蔵野の森総合スポーツ施設」
(「五輪の施設整備の第一弾となる注目プロジェクト」(建設通信新聞)として、14年5月、入札が
実施され、空調工事を約33億5千万円で菱機の合同企業が受注。一方で、菱機は08年からて1年に
かけ、同氏の清和会のパーティ券を400万円分購入。13年7月と12月に各50万円分、14年に
は100万円分の個人パーティ券を購入。



競技会場以外にも、五輪案件に深く関わる親密企として、組織委がオフィスを構える虎ノ門ヒルズ。
14年6月に開業した超高層ビルを手がけたのが大手デベロッパーの森ビル。組織委は、その森ビル
に高額な賃料を払っている。財務諸表によれば、組織委が虎ノ門ヒルズに払う賃料は月額4300万円
にのぼる。年間で約50億円。組織委も半ば公的な組織。正当な理由もないまま多額の家賃を払ってい
れば、責任者は背任罪に問われる可能性がある(元東京地検特捜部副部長の若狭勝衆院議員)。これに
対し、組織委はJOC(日本オリンピック委員会)と都が1億5千万円ずつ出資して設立された組織。
その
後、都が57億円を追加出資。本来なら、都の管理下に置かれ、情報公開義務もある『監理団体』
扱いだが、J
OCによる関与が強いという理由で、運営状況を報告するだけの『報告団体』と位置づけ
られ、結
果、監視の目が行き届かず、関連予算はどんどん膨らんでいく。小池知事はそこにメスを入れ
ようとして
いる(小池氏側近)。

立候補段階では7300億円程度と想定されていた五輪予算だが、同氏自身が「2兆円を超える」と認
めるほどに膨張している。「組織委の収入はせいぜい5、6000億円程度。増額分の大半は税金の投
入で賄われる見込みだが、当人は国や組織委におんぶに抱っこはおかしい。都の事業なんだからとなど
と開き直っているという。

ざっと、このような内容。これまでも見てきたことが破廉恥にもここでも演じられ、ズブズブの関係に
溺れる白蟻たちの行く末初心とのギャップを測ると哀れでもあり寂しい。また、政治屋による口利き
や公共事業の私的プロデュース化?という権力を笠に着た、オールドな「富収奪経路依存タイプ」は何
も日本だけでなく、グローバールなもので、米国大統領選挙でチキンレースを繰り広げるヒラリー・ク
リント民主党候補は、さながら「金まみれイメージ」もこの範疇に入るのかもしれないと考える。逆に
言えば「私は政治資金に頼らない選挙を行う!」と宣言すれば、小池知事のように対立候補に大差をつ
けることができるのにそれができないのは、核廃絶を率先できない米国の権力伝統なのだが。とまれ、
「都民ファースト」「クリーンファースト」対「守旧派」の政治構図はそんなことを考えさえてくれる。

                                       この項つづく

   Sept. 7, 2016

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】 

 

  ● 又吉直樹 著 『火花』12 

  ああ、と思わず声が出てしまうほど後悔した。すぐに、「お疲れ様です。今日はありがとうござ
 いました。今日、楽屋に入られてすぐに、お客様。と、おっしやってまし
たよね。せっかく、師匠
 が独特の入り方をして下さったのに、現実的な返答をしてし
まい申し訳ございませんでした。カノ
 ン進行のお経」という文面を作成しメールを
送信すると、直後に返信が来た。開くと、「ほんまに、
 すみません。と思ってるんな
ら、そのまま忘れといてくれるのが優しさやで。聞こえてなかったと
 信じて明日から
生きて行こうと思ってたのに。三畳一間に詰め込まれた救世主」という文面が返っ
 てきた。難しい所である。神谷さんが、その後にどのような流れを計算していたのか知りたい所だ
 が、確かに臨場感を失くした今の段階になって、真意を聞くのは野暮だ
ろう。

  僕には、神谷さんの考えそうなことはわかっても、神谷さんの考えることはわからなかった。自
 分の才能を越えるものは、そう簡単に想像出来るものではない。神谷さ
んの発言を聞いた後で、手
 のうちを知っていると錯覚を起こしているだけに過ぎな
い,自分の肉が扶られた傷跡を見て、誰の
 太刀筋か判別出来ることを得意気に誇って
も意味はない。僕は誰かに対して、それと同じ傷跡をつ
 けることは不可能なのだ,な
んと間抜けなことだろうか。

  それに僕と神谷さんでは表現の幅に大きな差があった。神谷さんは面白いことのためなら暴力的
 な発言も性的な発言も辞さない覚悟を持っていた。一方、僕は自分の発
言が誤解を招き誰かを傷つ
 けてしまうことを恐れていた。

  神谷さんに、そんな制限はない。周囲を憚らずに下ネタを言ってやったというアウトローとして
 の行為を面白いと思っているのではない。あくまでも、面白いことを選
択する途中に裴襄な現象が
 あっただけなのだから、それを排除する必要を微塵も感じ
ていないのだ。そんな神谷さんとは対照
 的に、僕は主題が他にあり、下ネタがただの
一要素に過ぎない局面でも、それを排除する傾向にあ
 った。つまり、自分が描きたい世界
があったとしても露骨な性表現が途中にある場合、そこに辿り
 着くことを断念してきた。神谷さんは、そんな僕の傾向を見抜き、不真面目だと言った。不良だと
 も言った。面白いかどうか以外の尺度に捉われるなというのは神谷さんの一貫した考え方であった。

  面白い下ネタを避ける時、僕は面白い人間でいようとする意識よりも、せこくない人間であろう
 とする意識の方が勝っているのだ。神谷さんは、その部分を不良だと言った。だからこそ、神谷さ
 んの前でだけは僕も淫頚な表現を用いることに抵抗が少なかった。
  また、携帯電話が振動する。神谷さんからだ。恐る恐るメールを開いた。

 「正直、お前等がおったから砥められたくなくて、急濾ネタ変えてん。でも、変えたネタで勝たれ
 へんかったら意味ないよな。次、勝つわ。バックドロッブbyマザーテレサ

  読みながら、僕は今夜のライブを忘れようと思っていたことに今更ながら気づかされた。あほん
 だらは四位で、スパークスは六位だった。お客さん投票なので、人気がある芸人や、お客さんを沢
 山呼んだ芸人が有利だとは思うが、神谷さんはいつも、肉親以外の投票は全て有効だと言っていた。
 人気のコンビもファン達と元々は他人だったのだ。それをファンにさせたのは本人なのだから、他
 人がとやかく言うことではない。その日のネタの出来が悪いからと言って、他のコンビに投票して、
 万が一好きなコンビが淘汰されてしまっては、応援しているコンビがいかに将来性があったとして
 も永遠に見ることが出来なくなってしまう。恋愛において、経済力がない男と付き合っている女性
 も、いつまでも男を養っていこうとは思っていないはずだ。いつか、真っ当に働き嫁いでくれると
 将来性を買っているのだ。つまり、そう思わせるのも実力であるというのが神谷さんの考え方だっ
 た。そう言われても、僕はその日の完成度で評価されるべきだと思う。それに、神谷さんは勝ちに
 執着している人間のような発言をしていながら、本人は勝ち方にも美学があり、それに拘泥してい
 るように見えた。

  今日のライブで一位だったのは鹿谷という一年目のピン芸人だった。彼は端正な顔立ちをしてい
 るのだが、鼻の下だけが異様に長く、そのアンバランス加減から真顔になるだけで爆発的な笑いを
 巻き起こした。ネタはフリッブに貼られた様々な言葉の最も格好良い使い方をレクチャーするとい
 う内容だった。しかし、フリップをめくろうとすると糊をつけ過ぎたのか上手くめくれず、その度
 に彼は「まじ、ふざけんなよ!徹夜で作ったんだぞ!」とフリップに怒りをぶつけた。その事故と
 彼の人間性が相まって大きな笑いが生まれた。絃は自分でも現状が掴めておらず、「お客さん金払
 って見てくれてんだからさ、まじ、ふざけんなよ!」と半泣きでフリッブに激昂し、不貞腐れたま
 ま挨拶をして抽に引っ込んだ。

  彼は不思議な男だった。初めて会った時から、名乗りもせずに「俺、徳永さん好きっす。よろし
 くっす」と握手を求めて来たし、別の日には「徳永さん、鹿谷軍団に軍師として入ってください。
 天下取りましょう」と平気で言うような男だった。それは僕が本来なら最も苦手なタイプのはずだ
 った。ライブのエンディングで一位が鹿谷と発表された時、彼は一切喜ばず、「まじ、ふざけんな
 よ! あんなのネタじやねえよ!楽屋で他の芸人に嫌われんだろ!」と客席に罵声を浴びせた。彼
 の立ち居振る舞いに客席も舞台上の芸人も一斉に笑い崩れた。

  ライブのことを振り返ると切りがない。

 「あほんだらさん、面自かったです。彼女と瓜二つの排水溝」とメールを送って眠ることにした。
 先輩のネタを面自かったなどと評価出来る分際ではないのだけれど本心だった。だが、自分達はど
 うだったか。あほんだらにはスタイルがある。自分達にはあるだろうか。考え出すと、不安の波が
 押し寄せてくる。

  布団に入った時、再び、神谷さんからメールが来た。

 「遅くにすまんな。偉人になる人も、こんなとこで四位になるんかなと思って。十位のお前に聞く
 ことちやうんやろうけど。エジソンが発明したのは闇」 

  それは、もっとも考えてはいけないことだった。舞台で上手くいかなかった時に落ち込むのは生
 理的なことだから仕方がない。この憂齢を晴らす方法は次のライブで笑いを取る他にないのだ。こ
 んな夜だけは、僕と神谷さんさえも相容れない。東京には、全員他人の夜がある。

 「六位、六位。エジソンを発明したのは暗い地下室」という文面のメールを送信して無理やり眼を
 閉じた。胸の辺りに鉛のような感覚が朝方までずっとあった。
  毎日のように神谷さんと遊んでいる時期もあれば、しばらく会う機会がない時期もあった。そん
 な時に、以前同じバイト先で働いていた女の子から、髪を染める練習台になって欲しいと頼まれた
 ので、軽い気持ちで引き受けた。もしかすると少し自分を変えてみたかったのかもしれない。長く
 伸びたままにしていた髪を切り、銀髪に染めた。髪の毛に合わせて衣装も全身黒に変えるようにし
 た。私服も衣装もなかったので、日頃からそんな格好で過ごすことが多くなった。

  久しぶりに会った神谷さんは、銀髪の僕を見て、「ヘ~」と頼りない声を出した。

  その日は午後十時くらいに神谷さんから「飯食ったか?」という連絡が入った。この時間だと、
 どう答えていいのかが難しかった。一緒に食事がしたくて連絡をくれたのか、それとも話したいこ
 とがあるだけなのか、判断がつきかねた。正直に答えればいいのだろうけど、神谷さんが既に食事
 を済ませてしまっている可能性もあった。

  神谷さんは、どんなにお金がなくても僕に御飯を奢ってくれた。それが芸人の世界の決まりなの
 かもしれないが、芸人としての稼ぎもあまりなく、たまに日雇いのバイトに入る程度の神谷さんか
 らすると簡単な制度ではないはずだった。豪華な店ではないにしろ、いつも僕には好きなものを食
 べるように言ってくれた。それだけに、真樹さんの部屋の台所に山積みにされた大量のカップラー
 メンの空き容器を見ると言葉に詰まった。お金がないと、消費者金融でお金を借りて呑みに連れて
 行ってくれた。神谷さんはクレジットカードのことを魔法と呼んだ。もちろん、真樹さんが持たせ
 てくれたお金で呑むことも多々あった。校辨さから無縁の神谷さんは、必ず「真樹の金や」と懺悔
 のように打ち明けるのだった。真樹さんのことを思うと心苦しくもあったが、そんな神谷さんを見
 るのも辛かった。何のためにここまでして呑む必要があるのだろうと自分でもわからなくなること
 もあった。たまに、神谷さんから連絡が途絶える時、お金が決して無関係ではなかったと思う。そ
 のせいで神谷さんと会える機会が減っているのではないかと思うと、極力、神谷さんにお金を使わ
 せたくなかった。

 「すみません。もう食べたのですが、御一緒していいですか? 聖なる万引き」という文章を作っ
 た。携帯電話の小さな液晶画面に浮かぶ文字を見ていると、実際に腹が減っていないような気がし
 てきたので、そのまま送信ポタンを押した。

 「お前、気使ってるんちやうやろな? おもち」という文面の返信がすぐに返ってきた。


ここまでくると、著者のテーマ(隣人愛?)をイメージできる段階にくる。また、メールのやりとり
の「ハンドルネーム=落ち」が興味を惹く。「薄黄色」の背面色を配置している。



                                      この項つづく

 

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白蟻と片道切符

2016年09月07日 | 時事書評

 



      
       ぼくらは街いちばんの盗人だったのさ。盗作の天才だな。
               
                          ポール・マッカートニー 1984.12 

           日本の歌曲の特徴は、それは演歌の特徴といってもいいが、言葉をメロディーに
           してしまい、同時にメロディーを言葉として聴くことができるという点にある。

               「吉本隆明が読む現代日本の詩歌(18)」毎日新聞 2002.8.4

                                  
                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,
2012 

  

   ● 今夜の一曲



ルームウォーキングで汗を流し、休憩している時、再放送ドラマ「ウーマンー・ウォーズ」(原作:有
吉佐和子『不信のとき』)の最終回をたまたま見る。ストーリーではなく、アン・ルイスの主題歌「あゝ
無情」が興味を惹かれ気になり、ユーチューブを聴く。不動産バブルに火をつけた「敵対的貿易関係」
(ドラッカー)空前の好況期の作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY(ノーバディ)/編曲:佐藤準の手
になるこの曲は86年4月21日にリリースされている。この年の1月27日には、作詞:湯川れい子
/作曲:NOBODY/編曲:伊藤銀次の手になるアン・ルイスの「六本木心中」――彼女の25作目のシ
ングル。84年唯一のシングルで、有線・カラオケで根強く支持され、ロングヒット――も先行リリー
スされている。2曲とも好況感に乗りご機嫌な曲?として記憶される。ところが話はここで終わらず広
がりはじめる。この曲の作曲を担当した日本のロックバンドNOBODY(ノーバディ)――
相沢行夫(あ
いざわ ゆきお 49年10月19日~)
北海道芦別市出身と木原敏雄(きはら としお 49年11月2
5日~ )神奈川県川崎市出身、明治大学卒業とのグループ。、69年、矢沢永吉・木原敏雄と出会い、
73年にフォーク・ロックバンド「ノラ」でプロデビュー、75年、キャロル解散の決まった矢沢に誘
われ、バックメンバーとなる。
相沢は75年より、木原は77年から、「アイ・ラヴ・ユー、OK」「ウ
イスキー・コーク」「世話がやけるぜ」他、矢沢の曲に歌詞提供、76年より「矢沢ファミリー」と呼
ばれ固定メンバーとして活動。81年、矢沢が渡米し拠点を米国においた事により矢沢ファミリーは解
散、同年10月にNOBODYを結成。同
年12月、HOUND DOGの「浮気な、パレット・キャット」で初
の楽曲提供。82
年6月に1stアルバム『NOBODY』をリリース。83年公開の映画『里見八犬伝』で
は音楽を担当。
矢沢との盟友関係はその後も続いている。 

 

NOBODY(ノーバディ)の楽曲でがわたしが結婚し、中国から帰国した82年の11月21日にリリー
スされたシングル「 リバプールより愛をこめて」――ビートルズの「Soldier Of Love」を元にして作っ
た曲とされる。因みに、タイトルも80年に発売されたビートルズのベストアルバムを引用?――が印
象的で好きな一曲。


   The Beatles

     Lay down your arms of love
   And surrender to me
   Lay down your arms of love
   And love me peacefully, yeah

   Use your arms for loving me
   Baby that's the way it's got to be

   There ain't no reason for you to be bad
   For you're the woman and I love you so

   So forget the other boys, cause my love is real
   Come off your battlefield

   Lay down your arms of love
   And love me peacefully
   Lay down your arms of love
   And love me tenderly, yeah

   Use your arms for hold me tight
   Baby I don't want to fight no more

   The weapons you're using
   Are hurting me bad
   And someday you're going to see
   Cause my love for you baby
   Is the truest you've ever had
   A soldier…

                                               Titol :  Soldier of Love ( Lay Down Your Arms 
                                                                            
                                                                                              
Music & Word: Buzz Cason, Tony Moon


武器を捨て降伏して 武器を捨て心から愛して その両腕で愛してくれ

理由なんてないんだ そんな僕に対し宣戦布告するなんて 他の男のことなんか忘れてくれ 
僕は本当に 愛しているんだ 愛の戦場から退散し 武器を捨て 心から愛してくれ 
武器を捨て優しく愛して 
きみのその両腕で 僕を抱きしめてくれ これ以上争いたくはないんだ 
きみがふりまわす武器は 僕の心を傷つける でもいつの日にかわかり合える 僕の愛はきみのもの 
いままでやってきたことを 信じて欲しい 愛の戦士ではとても辛いから・・・
                                    
                                       

  Arthur Alexander

この曲「愛の兵士」の原曲は、62年にカントリー・ウエスタン歌手のバズ・カーソンとトニー・ムー
ンにより作詞作曲され、ソール歌手のアーサー・アレキサンダー(上写真:93年死亡)が非主流のラ
テンリズムにアレンジしコーディング、後に63年にビートルズがセッション中にカバーし、翌年アル
バムに挿入する。また、同じく82年にマーシャル・クレンショー(下ジャケット)が、99年には
ール・ジャム
がカバーしている。いわば三世代に歌い演奏され続けられている曲となりつつある。「六
本木心中」から「愛の戦士」まで広がる「私的宇宙」を確認するには時間が足らないという仕儀に。
いまにはじまったことではないないが。^^;

※ Music: Soldiering On (Nashville Scene . 08-02-99)

  Marshall Crenshaw  

  Pearl Jam

  Eddie Vedder

【白蟻と片道切符:その1】 

小池新知事劇場が話題だ。 東京オリンピックの建設費や築地市場の移転問題、知事の歳費(都議会議員・
公務員)のカットと矢継ぎ早である "猛烈女傑知事"というタフな改革者像が印象的であるが、他府県に
住む彼女も好意的で、敵対者たち(都議会の保守系既得権益代弁者やオリンピックに関わる森喜祥朗元
相や文科省族議員に対し批判しいろいろと質問するので辟易している。こんな時は自分にどのような
構想
があってのこと、保留はそれがないことを意味する、そんな風に思っている。

公共事業的側面でいえば、事業勘定科目である不動産売買や移転や補償費用の占める割合がどの程度か
が問題になる。国家予算でいうところの真水部分つまり生産的勘定科目に対する非生産的勘定科目がど
れほど占めるのかという点が問題である。例えばその事業が1000億円として平均的な比率が20%
とすれば200億円だが、50%なら500億円、80%なら800億円となり、事業効率=総事業費
÷非生産科目費とすれば5、2、1.25となり、平均的な比率に合わせると、総事業費は1000億円、
2500億円、4000億円となり、ケインズ主義の有効需要的評価は、右肩上がりにインフレション
する。つまり、地価の高い空間では事業効率は低くなる(逆に言えば、それを砂糖する白蟻集団にとっ
ては甘い事業――例えば3%が転がり込むとして、6億円、15億円、24億円となり、これを何人で
分け合うかで懐具合が決まる)。当初予算の1000億円が、大都市では2500億円、4000億円
に膨張するのは必定。対策としてどうするのか(1)予算・執行過程勘定の公開(透明化)、(2)事
業計画の見直し、(3)利便性や安全性、環境性が担保できる地価の安い地方への分散化である。

つぎに、築地市場移転問題。これもオリンピックと同様、非生産的勘定科目が大きいなることだが、だ
からといって、安全(環境)性や作業性などをクリアする合目性はおろそかにできない。民間では当初
見積もりより「早く・安く
」の号令はつきものだが、やり過ぎないように要注意。さらに、行政官や公
務員の歳費削減は(1)原則住民が決める、(2)民間の平均賃金を上回らないこと(労働時間あ
たり
で、24時間拘束される知事は、住民の平均所得が500万円なら3倍の1500万円/年)が一つの
準になる。そんなことが思いつくところだが、住民の民主主義的側面から、選挙で当選しているから
って、胡座を
かき「なし崩し」を当然とするなら、住民による直接的罷免(リコール)は健全に機能し
小池
知事を選択した都民は賢明だった。これは国民レベルの問題だが、原子力発電再開や、改憲問題も
同様で、国民投票という直接性を否定する民主主義の片道切符状態から、早く抜け出さなければならな
いと同様である。

さらに、今回の小池新知事劇場の舞台背景の抜本的に解決には、エセグローバリズム・新自由主義の弊
害を取り除き、東京一極集中、格差拡大、デフレ、社会保障費逓増があり、その対策とし、わたし(た
ち)の税制改正案――①所得税・法人税③のなどの応能税の社会保障・安全保障への特化、②応益税の
消費税の地方自治体への完全移譲化、③法人税の逆進税制化を再提唱しておきたい。そんなことを考え
てみた。

                                       この項つづく


 

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世界同時地震 ??

2016年08月25日 | 時事書評

 



          なぜ憲法を改悪して自衛隊を合憲化することで、米・ロのような軍事大国が
          大きな発言力をもつ旧い国際国家にまで後退しなければならいのか。戦後憲
          法第九条は現在の世界の国際国家が、未来への通路を開くための唯一の突破
          口なのだ。わたしは読売試案は村山内閣の反動性と現野党の欠陥を寄せあつ
          めた最低で最悪の改憲案だというほかないとおもう。

                                              「読売憲法試案の批判:情況との対話 第二十二回」

                                                サンサーラ VOL.6 NO.1 1995年

                                                                                                                                                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

     
※ 夢は良いとして、重火器を保持した自衛隊の解体スケジュールは?あるいは
       城内平和主義だけで(世界の)武器生産・輸出・保持の禁止が実現できるの
       か?が厳しく問われた1991年の湾岸戦争をわたし(たち)は決して忘れ
       ない。

 
         
 

【世界同時地震 ?? イタリア中部 M6.2 ミヤンマー M6.8】

 Italy

 Myanma

1999年のグランドクロスによる月の引力の1万分の1の変動は無視し得るのかというのが、そ
の当時、わたし(たち)が考えた「反措定」で、まず、ヒステリシスを考慮せず前後10年範
囲内で大地震(非連続的共振性性大地震)が起きると仮定し、素人(たち)がはじめた「時空
探索」(これは専門性をなく、素人からはじめ問題解決に挑んできたマイ・スタイル)。現在
は、日本地震探査機構(JESEA)の地震予測の有効性を確認中(最新の情報2016.08.24;vol.16,
No.34」
によれば、南関東方面は震度5以上の発生可能性がきわめて高いレベル5にある)。話
はオタク的なってしまった。余震による被害拡大が心配される2つのじしんであるが、地震大
国日本の具体的な支援は勿論のこと、これまでの技術や知財の長期的支援を政府に期待したい。
これこそが具体的で積極的な平和活動であると確信し、ぼちぼちと、この時空探索を継続する
GO!(上の2つの写真ダブクリ参照)。

     

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅷ 

 

    君が元気でやっていてくれると嬉しい     ゲイリー・フィスケットジョン

                                                   村上春樹  訳

 Gary Fisketjon

 「君が元 気でやってレてくれると嬉しい」レイモンド・カーヴァーは友人に宛てた手紙の多
 くを、その上うな書ぎ出しで始めていた。そして「こっちは万事順調」だとか「我々の方は
 うまくいっている」とか書いてレだ。彼の人生の最後の十年間くらいは、僕らはだいだいう
 まくやってレたし、彼と詩人のテス・ギャラガー(二人に生活を共にし、やがて夫婦になっ
 
た)の方も同様だった。これはちょっとした奇跡のようなものだったし、僕らはみんな、そ
 れがもう終わってしまったのだということを、今でも認める気になれないでいる。「その一
 方で」とある女が言う。レイの初期の短篇の中の一節だ。「まわりの人々はあたかもあなた
 が昨日の、昨夜の、あるいは五分前のあなたと同じ入物であるかのように話しかけたり振る
 舞ったりする。しかしあなたは現実に危機をくぐり技けたのだし、心は痛手を負っているの
 だ……」

  この九月で、私は彼の声を初めて耳にしてから十二年経っことになる。その最初の手紙に
 彼はこう書いてレだ。「正直に言って、私はまだ本調子を出してはいないと思います。そし
 てこれから先の二年間は私にとっては目ざましいものになるだろうという気がします。これ
 は本気で言っているのです」レイは間違っていだ。予言は八年ぶん短かった。でも先見の明
 に矢けるという点においては、私だってご同様だった。というのも、三年前に私はこんな手
 紙を書いたのだ。「あなたの生涯は、既に過去に向かって伸びているのと同じくらいの距離
 を、未来に向かって伸びるべきなのです」と。そうであるべきだったのだ。そしてそれが今
 は果たせぬものとなった哀しみは、言うまでもないことだが、言葉では尽くせない。しかし
 それとはべつに、生前のレイを知っていた人々の目にも、レイの作品を読んでいる人々の目
 にも等しく明白なように、レイ・力ーヴァーの存在はあらゆる歳月を越えてここに残ること
 だろう。

  彼の送った二つの人生については既に多くのことが語られた。一つは飲酒と苦いいフラス
 トレーションによって形成された人生であり、次に来たものは幸多き禁酒と高まる文名に輝
 いた時代だった。そして現実に、レイはしばしば自らそのことに言及している。変貌が開始
 されたその日付さえ(1978年6月2日)はっきり書きつけている。しかしそのような記
 念的日付というのは、ただの目安のようなものにすぎない。ただのしるしのようなものに過
 ぎない。彼のそれら二つの人生は互いに交じりあってレたのだろうと私は思っている。ちょ
 うど川が浜に流れ込か揚所で淡水と海水とが入り交じってレるように。高揚や失望や達或と
 いったものは、あっちに引っ張られかつこっちに引っ張られていたのだろう。一つの人生は、
 他のもう一つの人生を抜きにしては存在しえなかったのだ。勇気ある行動や意志の力を抜き
 にしては、そのどちらの人生も継続でぎなかったのだ。そしてそのような勇気ある行動や意
 志の力が、最終的にけ彼に様々な物事を可能にさせたのだ。私かレイと知り合ったのぽ、彼
 が見事な個人的勝利を勝ち取ったあとのことだった。でも私は、彼のことをよくぱ知らない
 けれど彼の本だけは読んでいたという一般の人々と同様、彼の初期の人生のさまを、まるで
 幻覚でも見るみたいに、悪夢でも見るみだいにありありと熟知していだ。

 「こいつは前代未聞だ。この人生たるや」と彼は言った。80年代初めのことだ。それけ物
 事が良い方向に流れるようになったあとのことだった。もっと紺かく限定すれば、それは雨
 の降る、タクシーなんかとてもつかまりそうにないマンハッタンの夜を過ごしたあとのこと
 だった。真夜中過ぎに家に向かっているとぎに、我々はようやくぼろぼろのリムジンをつか
 まえることができた。その運転手のあけっびろげな性格と飾りのない親切性格は、我々を、
 世の中なんだって可能なのだという気にさせてくれた。そして我々二人は、『オズの魔法使
 い』のドロシーがカンザスから遥かに離れたのに負けず劣らず、オレゴンから(僕らに二人
 ともオレゴン出身だった)遥かに雛れているのだという気にさせてくれた。そのあとずっと、
 我々はそのときの運転手ウォーカー氏について、奇跡が手の届くところにあるということを
 無心のうちに我々に身をもって示してくれた人物について、何度も語り合ったものだった。
 我々の身に起こっている信じられないようなお話の中の、いわば一人の登場人物として。

  そして彼自身に、彼の友人たちに、彼が敬愛する人々に奇跡的な物事がもたらされたとき
 ――それがたとえどのようなものであったにせよ――彼はそれを進んで、喜んで受け取った。
 我々が一般的に「ありがた迷惑」と呼ぶいくつかのものさえをもだ。彼はなにごとにつけ感
 激しやすいい人であった。彼は一度作家のモナ・シンプソンに向かって言ったように、彼は
 子供のころ、最初に書レだ短篇小説を間違ってあるアウトドア・マガジンの営業部に送った。

  小説は結局戻されてきた。でもそれにそれでいいんだよ。その原稿はとにかく外の世界に
 出ていったんだ。それは他人の手を渡ったんだ」そしてもっとあとになって、彼の作品が初
 めて雑誌に採用されたとき(同じ日にひとつの誌とひとつの短篇が採用されたのだ)、「そ
 れは本当に素晴らしいロだった。僕の生涯でいちばん素晴らしい日のひとつだったな」その
 ような喜ばしい日々もあることはあった。それがたとえ彼が当然受け取ってしかるべき数だ
 け与えられなかったにせよ。

 彼の人生の最初の四十年を通して、暗い日々の数の方、がずっと多かった。もう何もかも投
 げ出してしまいたくなるような誘惑に押しつぶされそうになることもあったにちがいない。
 彼の父親もやはりそうだった。父親はその人生の終わり近い時期にはすっかりだめになって
 しまって、しばらくの期間深い沈黙と空っぽの部屋の中に閉じ龍ってしまうことになった。
 一度そういうところに足を踏み入れたことのある人間は、永遠にモの影を引きずることにな
 る。それはレイの小説の中の多くの人物たちが自らを見出す部屋である。そしてまた疑いの
 余地なく、そこは彼自身が頭の中で、思い出したくないくらい何度も何度も自らの身を置い
 てみたはずの場所である。実際に、リチャード・ブロ土アィガソが銃で自殺を遂げたことを
 聞かされたとき、レイは私に手紙を書いてきた。「たとえ彼が自分の手でそれをなしたにせ
 君が元気でやっていてくれると嬉しいよ、それは間違いなく酒がやったことです。私だって、
  あの暗黒の日々には、同じような出口を何度も頭の中で弄んだものです」

  しかし彼は自らを救済した。彼は未来を見つめる目を失うのがどういうことかを、決して
 忘れなかったのだ。それをいえば、彼の小説の中では、いちばん大事な瞬間にその身を屈し
 てしまう登場人物がどれだけいるだろう? 物事を投げ出し、屈伏するか、あるいは少なく
 とも損傷を押しとどめるか、傷口をふさぐかをはっぎりと決断しなくてはならないその瀬戸
 際でだ。それこそが真実の瞬間である。それこそが、彼の作品が我々を運んでいく場所であ
 る。彼は最後には尻込みしたりぱしなかった。そして彼の登場人物たちぱ瞬ぎもせずにじっ
 と凝視したものである。口には出されることのない戦い、それは、物事の可能性がしぼんで
 しまったことや、耐えがたい出来事をどのように扱うかということではないか? 我々は、
 我々のひとりひとりは、それにどのように立ち向かっていけばいいのか?

  レイは文章を言くことでそれに立ち向かった。彼は言くことを生きる核に置いた。「あり
 がたきかな、労働の場にあること」という文句が彼の手紙の中で何度も繰り返し歌われた。
 彼は自分の職業について幻想を抱いたりぱしなかった。「作家になってくださいって誰かに
 頼まれたわけじゃないからね」と彼は言っていた。そして自分の書いた作品が世に受け入れ
 られることよりは、自分のなしている仕事そのものにより大きな誇りを待っていた。彼は自
 分の書いた小説や詩にぱっぎりと自信を待っていたけれど、それは自己満足的な自信ではな
 かった。彼のヴィジョソや散文は常に変化した。書き直しと将来への期待だけはいつもいつ
 も不変だった

  レイはまた、彼の巨体にふさわしいだけの精神でもってその部屋を満たした。誰かを支援
 したり、あるいは温かい言葉をかけたりすること――祝いの言葉、慰めの言葉、忠実さ、友
 誼――その手のことについてはレイは本当に律儀だった。彼は手紙やら電話やらで、そうい
 う心情を出し惜しみすることなく披露した。あるいは郵送されたスモーク・サーモンとか。
 彼がこのような恩恵を与える相手の名簿は驚くほど厚かった。そもそも相手が誰であるかな
 んてどうでもよかったのだ。彼はこのような行いに対して恩きせがましいようなことぱ一言
 もロにしなかったし、そういうことを求めもしなかった。そして助けられた方も彼の人柄の
 ことはわかっていたから、あえて口にしたりすることもなかった。そしてまた、彼ほど復讐
 心や狭量さや妬みや、あるいはよくある普通の意地悪さから程遠い人もいなかった。そうい
 う気持ちを抱いても不思議でない機会は世間にはいやというほどあるし、とりわけレイくら
 いそういう機会を数多く与えられた人間はいなかったにもかかわらずだ。

  The Unbearable Lightness Of Being - Trailer

  とはいっても、彼が常にかわらず陽気で快活であったというわけではない。自分の身の上
 や、自分の友人の身の上や、自分が敬愛する人たちの身の上に、何か悪いことが起こるので
 はないかという思いにとらわれたり、あるいはそれについて深く気に病んでいなかったとい
 うわけではない。「こんなに何もかもうまくいくわけないよ」と彼は言ったかもしれない。
 五年ばかり前に彼はこう書いてきた。「やらなくてぱならないことがあまりにも多く、あま
 りにも多くの歳月が無駄に費やされてぎました」そのころから死というものが、彼の小説や
 詩の主題に(あるいは取り扱う謎に)なることが多くなった。そしてあらためて言うまでも
 ないことだが、彼の遺作である『使い走り』という短篇の主題になった。彼がどうしても死
 というものの真相をのぞぎこまなくてはならなかったのと同様、我々もまたそれをのぞぎこ
 まないわけにはいかないのだ。それがその小説の結末である。




 「心というものは真っ暗になってしまうこともある」というのは彼のいちばん親しい友人の
 手で書かれた小説の一節だが、事実それは真っ暗になってしまったのだ。しかしレイモンド・
 カーヴァーはあまりに多くの人の心を掴んでいたのだから、それは決して不思議でもなんで
 もないのかもしれない。最後の本のエピグラフとして、彼はミラン・クンデラの『存在の耐
 えられない軽さ』の中から次のような一節を引いている。「何を求めるべきかを、我々は決
 して知ることがない。何故なら我々はたった一度の人生を生きるだけなのだから、それを前
 回の自分の人生と引き比べるわけにいかないし、また次回の人生において将来それを完璧の
 誠に至らしめるというわけにもいかないのだ」実をいうと、彼は人間として可能な限り、
 ンデラの誤謬を証明するところに近づいていたのだと私は思っている。彼はそれを過去の人
 生と引き比べることがでぎたのだ。それを再構築することができたのだ。そしてほとんど完
 璧の誠に近く持っていくことがでぎたのだ。結局のところ、彼が最近の特の中でこんな風に
 書いているように。
        
                            ……何はともあれ、    
    私のことをあまり悼んだりしないでほしいな。私はあなたに知ってほしいのだ。
    ここにいたときには、私は幸福だったんだということを。

またいつの日にか彼の作品を、勿論、村上春樹の翻訳で、手にすることあるだろう。さらば!レイ。
 

   

【帝國のロングマーチ 30】    
 

            

● 折々の読書  『China 2049』48         

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
   

【目次】     

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
   

 

     

    第10章 威嚇射撃

                               百聞不如一見――百聞は一見にしかず
                       
                                      『漢書』趙充国伝                                   
                                                                                         

※  百聞不如一見、兵難遙度、臣願馳至金城、図上方略(百聞は一見に如かず。軍事情勢は離れた
      ところから推測しがたいので、わたしは金城に駆けつけ、上策を図りたい) 

  車はどうにか間に合い、わたしは演説する内容を英語と中国語で書いた書類を配った それ
 らには「国防部により一般公開を許可する」という印が押されたばかりだっ
た。わたしの演説
 は、2日間にわたって喧々鍔々の議論を引き起こすだろう。以前に参加した3回の中国軍事会
 議で身につけた戦術、「抛磚引玉(ほうせいいんぎょく:レンガを投げて翡翠を手に入れる)」
 に則っての作戦だ。この会議は、今後35年間にマラソン戦略がどのように進められるかにつ
 いて、中国当局の見解を知る希少な機会になるはずだ。かつてわたしは、中国からの亡命者か
 ら、100年計画に関するたとえ話を聞いたことがあった。戦国時代に勝利を収めるのは長期
 的に複数の相手と囲碁をするようなものだ、とその人物は言った。最終的に覇権を握るまでに
 7世代の王が必要とされた(注60)。一般的な囲碁の対局には約300の手があり、序盤、中
 盤、終盤に分けられる。その亡命者は、2014年の北京の指導者は、自分たちはまだ中盤に
 いる、つまり、中国はGDPでアメリカをリードしようとしているが、総合的な国力はまだア
 メリカに並んでいないと考えている、と語った。



  今回のわたしの北京訪問は、アメリカ政府の命によるものだった。アメリカを超えようとす
 る中国の戦略に反撃するにはどうすればいいかを調べるためだ。中国の軍や研究機関の専門家
 は、どんな計画を実行しようとしているのか。その2日問、多くの人とIば菓を交わし、この
 疑問の答えを探った。

  それまでわたしは、中国は2049年まで「目立つ行動を控え、好機を待つ」という戦略を
 維持する、と誤った見通しを立てていた,2049年になってようやく、中国は世界のリーダ
 ーシップを握り、最終的な打撃を浴びせ、世界支配の計画を始めるだろうと考えていたのだ。
 アメリカが衰退し、力の均衡が傾くにつれて攻撃を強める段階的方法が採られるとは、予想も
 していなかった。次第に新たなシナリオが見えてきた。アメリカとの力のバランスが自分に有
 利に傾くにつれて、中国はますます独断的になっていくはずだ。

  動きが加速していることに気づかなかったもう一つの理由は、中国の壮大な戦略は変わらず、
 他の国々にも満足をもたらすものだという、中国の主張を信用したからだ。中国の学者や役人
 は、少なくとも今後20年間は戦略的な忍耐を続けるつもりだと強く主張しているようにわたし
 には思えた。また、北京から戻ったアメリカの学者の多くは、中国政府は今後何十年もパワー
 バランス上の優勢が続くとは考えていない、とわたしに告げた,中国はこうした認識をせっせ
 と焚きつけた。2009年の半ばから、中国共産党中央党校と中国国際関係学院のシンクタン
 クは内部会議を開き、アメリカの衰退が中国にとってどういう意味を持つかを議諭してきた。
 ハーバード大学のアラステア・イアン・ジョンストンが書いているように、これらの会議にお
 いて、「より穏やかな意見、つまりパワーバランスに大きな変化は起きなかったとする人たち
 が、目立って守勢に立たされていたわけではなかった。言い換えれば、アメリカが相対的に衰
 退したかどうか、どのくらい衰退したかについて、(その当時)答えはまだ出ていなかった」。

  ジョンストンは続ける。
 「加えて、当時、外交政策の主な決定を行っていたグループが(中略)力の配分に大きな変化
 が起きて、中国にとって利益を追求する好機が到来した、という主張を受け入れたという証拠
 はない(注61)」

  だが、中国の指導者のなかには、100年計画は予定より早く進んでいると結論づけた者も
 いる。学者や諜報機関の職員は、少なくとも10年、もしかすると20年も計画より先に進んでい
 ると言いはじめた(注62)。こうして中国の指導者たちは、マラソン戦略に戦術的変更を加え
 るかどうか、つまり、ラストスパートをかけるかどうかを討議するようになった。

  それでもなお中国の行動は、想像のつく範囲にとどめられていた。覇権国に中国のより大き
 な戦略目標を気づかせないためだ。こうした出来事の一つひとつが中国の外交政策の「成功」
 を組み立ててきた。それぞれの例で、中国の図太い行動は、政治上の心要な利益を中国にもた
 らした。そして、アメリカや近隣の国々が不平を訴えても、中国はいかなる代価も支払おうと
 はしなかった。
  これらの出来事はいずれも、弟2章で概要を述べた以fの100年計画の九つの要素の.つ
 かそれ以上を中国が行った結旧ぺである。

  ●敵の自己満足を引き出して、警戒態勢をとらせない
  ●敵の助言者をうまく利用する
  ●勝利を手にするまで、数十年、あるいはそれ以上、忍耐する
  ●戦略的目的のために敵の考えや技術を盗む
  ●長期的な競争に勝つうえで、軍事カは決定的要因ではない
  ●覇権国はその支配的な地位を維持するためなら、極端で無謀な行動さえとりかねない
  ●勢を見失わない
  ●自国とライバルの相対的な力を測る尺度を確立し、利用する
  ●常に警戒し、他国に包囲されたり、・されたりしないようにする

  アメリカに先見の明があれば、中国が自己主張を強める時期の到来を予測できたはずだ。中
 国政府は、実行不可能と思える、あるいは想定外の、外交上の要求を突きつけてくるだろう,
 そして、他の国々は中国の圧力に屈するだろう。経済力を増した中国は、軍事征服によってで
 はなく、経済制裁によって近隣諸国を締めつけ、思い通りに動かすかもしれない。例えば、ダ
 ルムサーラにあるダライ・ラマの亡命政府を閉じるようインドに要求したり、チベット難民へ
 の経済支援(1959年から行われている)をやめるよう、インドや欧州連合やアメリカに圧
 力をかけるか、強要するかもしれない。あるいは、台湾への武器売却(中国が長年いらだち、
 カを増した今、もはや我慢するつもりはない問題)を停止するよう、アメリカ政府に強く求め
 るかもしれない。長年にわたって中国をいらだたせてきたもう一つの問題は、天然資源の豊か
 な周辺地域の領有権を巡る争いである。

  アメリカに対して、中国の近隣諸国との安全保障という軍事的つながりを断つよう迫ること
 もあり得る。1990年以来、中国政府はこれらの協定とそれに基づくアメリカの武器売却を
 強く非難し、「冷戦の名残」と呼んできた(注63)。覇権を目指す中国は、これらの協定を単
 に非難するだけでは終わらないだろう。中国が力と敵意を増すにつれ、安倍晋三やベニグノ・
 アキノのように、それを懸念し抑制しようとする声は大きくなり、より緊迫していくだろう。
 残念ながら、アメリカがその異議申し立てに気づいている様子はほとんどなく、いずれにせよ、
 それに対峙しようという気持ちはさらにないようだ。

                                    この項つづく
 

この節もコメントなし。さて次回は第11章「戦国としてのアメリカ」に移る。

 

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木曽駒ヶ岳の天気

2016年08月24日 | 時事書評

 




      動物一般の社会はほとんど意図的な生産をやらないで消費行動だけをやって、
      あとに残余として昨日とおなじ身体状態をのこす。

      意図的な高度な生産をあたかも生産がほとんど行われていないかのように考察
      の
彼方へ押しやり、消費行動だけが目に立つ重要な行為であるかのようにあつ
      かおう
としている。

      これはラセン状に循環して次元のちがったところで動物一般の社会に復
帰して
      いるような画像にみえてくる。


      相違はわたしたちのなかにメタフィジックが存在するということだけだ。この
      メタフィジ
ックによれば消費は遅延された生産そのものであり、生産と消費と
      は区別されえな
いということになる。

               「《ハイ・イメージ論》消費論(2)」海燕 1990.6.1
 

                 ※ キーワード:消費社会/第三次産業化/価値の高次化/企業系列の網状化

                                                                                                                                                                                                   
                                                    Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 

● 百名山踏破:木曽駒ヶ岳を追加計画

 昨日に続いて、複数選択肢を準備する(理由:うかうかすると1座も踏破できない可能性があり、
チャンスがあればすぐに実行するため)。今回は中央アルプス木曽駒ヶ岳。



長野県の南部に位置する山。木曽山脈の主峰である木曽駒ヶ岳は、標高 2,612メートルの千畳
敷までバスとロープウェイを利用して登ることができ、登山者とともに多くの行楽客が訪れる。従
って、ロープウェイを利用すれば4~5時間のピストン行程で踏破できるのでややこしいなら日帰
りコースも有力な選択肢だ。

さて、木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)は長野県上松町・木曽町・宮田村の境界に聳える。木曽山脈
(中央アルプス)の最高峰。日本百名山、新日本百名山、花の百名山に選定。木曽駒と呼ばれるこ
ともある。駒ヶ岳の名を冠する山は日本の全国に多数あり、その最高峰である南アルプスの甲斐駒
ヶ岳とこの木曽駒ヶ岳に挟まれる伊那谷では、この山を西駒ヶ岳または西駒、甲斐駒ヶ岳を東駒ヶ
岳または東駒と呼ぶ。木曽前岳 (2,826m)、中岳 (2,925m)、伊那前岳 (2,883m)、宝剣岳 (2,931m)
を含めて木曽駒ヶ岳と総称することもある。
山体の大部分が約6500万年前の花崗閃緑岩で形成
されている。

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅶ 

     あとがき

  この本のまえがかを書いてみないかと言われたときに、私は書ぎたレとは思わないと答え
 た。でもそのあといろいろと考えてみて、やはり何か少し書いておいた方がいいかもしれな
 いと思うようになった。でもまえがきではない方がいい、と私は言った。まえ、がきという
 のはレささか偉そうに思えるのだ。小説にせよ、詩にせよ、自分の本にまえがきやら序文と
 いったようなものを付けるのは、もっと偉い作家に(まあ五十を過ぎたくらいの人に)まか
 せておくべきであろう。でもあとがきくらいなら書いてもいい、と私は言った。というよう
 な経緯で、善し悪しはともかく、このような文章を書くことにあいなった。

  ここに選んだ詩は、1966年から1982年にかけて書かれたものである。そのうちの
 いくつかのものは『クラマス川近くで』と『冬の不眠症』と『夜になると鮭は・・・・』といっ
 た詩集に収録されていたものである。それとは別に、『夜になると鮭はは・・・・』が1967
 年に出版されたあとで私が書いたいくつかの詩を収録した。これらは雑誌や文芸誌に掲載さ
 れたが、これまでのところ本には収録されていない。詩は発表年代順に並んではいない。そ
 れら 作はだいたいにおいて、そこに含まれている思いや感覚のあり方によって、いくつか
 のおおまかなグループに分けられている。感覚と感情の傾向による分類と言っていい。この
 本のために詩を選び始めたときに、そのような流れが働いていることに私は気づいたのだ。

 いくつかの詩は、ごく自然にしかるべきエリアか、あるいはしかるべきオブセッショソの中
 に収まっていった。たとえば何らかのかたちでアルコールを扱っているものがいくつかあり、
 外国旅行や歴史上の人物を扱っているものがいくつかあり、また家庭内のこと、身近な物事
 だけに関係しているものがいくつかあった。そんなわけで、この本のアレンジに着手したと
 きに基本的にはそういう配列でいこうと思った。例をあげると、私は1972年に『乾杯』
 という詩を書いた。その十年後の1982年に、からっと違った生活のなかで、たくさんの
 違った種類の詩を書いてきたあとで、私は『アルコール』という詩を書いていたわけだ。だ
 からこの本のために詩を選別するときになって、その詩がどこに落ちつくべきかを教えてく
 れたのは、たいていの場合には、その内容であり、オブセッション(私はテーマという言葉
 を好まない)であった。そのプロセスについては特筆すべきことも、あらためて語るほどの
 こともない。

  もう一言だけ。かつて出版されたことのある時に関しては、ほとんどの場合わずかながら
 (目には映らないくらいわずかなこともある)、改変が加えられている。しかしたとえわず
 かとはいえ、改変は改変である。私は今年の夏に手を入れたのだが、それによって詩の出来
 はよくなっていると思う。でも改変についてはまたあとであらためて述べる。
 
  二つのエッセイは1981年に発表された。依頼を受けて書いたのだ。「ニューヨーク・
 タイムズ・ブック・レヴュー」の担当者が私に「書くということについてなんでもいいから」
 書いてくれと言ってきて、その結果『書くことについて』という短文、がでぎたのだ。もう
 一つの方は『存続しつづけるものを讃えて』という「影響力」を主題とする本のために(こ
 れは「アメリカソ・ポエトリー・レヴュー」のスティーヴ・バーグと、ハーバー・アンド・
 ロウのテッド・ソロタロフによってまとめられた)何か書かないかという要請を受けて、「
 影響力について」書かれたものである。私が寄稿したのは『ファイアズ(炎)』というもの
 だった。そしてそれをこの本の題にしようと持ち出したのはノエル・ヤングである。

  いちばん初期に書かれたのぱ『キャビン』で、これは1966年の作品である。もともと
 は『怒りの季節』に収められていたのだが、本書に収録するためにこの夏に書き直した。
 「インディアナ・レヴュー」がこの作品を1982年秋号に掲載することになっている。『
 雉子』はもっとずっと最近の作品で、今月メタコム・プレスから限定出版シリーズの1つと
 し押て出るこ
とになっている。またこの秋にはニューイングランド・レヴュー」にも掲載さ
 れ
ることになっている。

  私は自分の短篇をいじりまわすのが好きだ。私は書きおえた作品によく手入れをする。そ
 してそのあとでもまたこつこつといじりまわす。あっちを変え、こっちを変える。何もない
 ところから新しいものを書かなくてはいけないより、既に書き上げたものに細かく手入れす
 るほうが好きなのだ。私にとって新しい小説を書くという作業は、なんとかそれをこなして、
 そのあと小説を楽しめるように、ひとまず通過しなくてはならない難所にすぎないのではな
 いかと思えるのだ。書き直しは私にとってはぜんぜん苦痛ではない。好きでやっていること
 なのだ。私はぽっぽといろんなことを思いつくタイプではない。むしろじっくりと考えて注
 意深く行動する性格であると思う。そのせいで書き直しが好きなのかもしれない。あるいは
 そんなことぱないのかもしれない。それはただのこじつけにすぎないのかもしれない。でも
 私は知っている。コ匿書き上げられた作品を書き直すことは私にとっては自然なことであり、
 また私は楽しんでそれをやっているのだということを。おそらく私が書き直しを好むのは、
 書き直すことによって私は自分が何を書こうとしていたのかという核心にちょっとずつ近づ 
 いていけるからだろう。私は自分がそれを見出せるかどうかを、ずっと心して見張っていな
 くてはならないのだ。それは固定された立場というよりはむしろプロセスなのだ。

  自分がこんな風にしつこく作品をいじりまわさなくてぱならないのは、性格的な欠陥によ
 るものではないかという風に考えた時期も過去にはあった。でももうそんなことは思わない。
 フランク・オコナしがこんなことを言っていた。自分はいつもいつも小説を書き直している
 し(それも最初の段階で二十目も三十回も書き直したあとでである)、いつか書き直した作
 品を収めた書き直された本を出したいものだ、と。私はここでは、ある程度それに近いこと
 をする機会を与えられた。ここの中の二篇の短篇小説、『隔たり』と『足もとに流れる深い
 川』(もともとは『怒りの季節』に収められたハ篇の短篇の中の二つであった)は最初に
 『怒りの季節』に発表され、それから『愛について語るときに我々の語ること』に収録され
 た。絶版になっていた二冊の私の本(『怒りの季節』と『夜になると鮭は・・・・』)を一つに
 して再出版しないかという話がキャプラ社から来たとき、このような本を作ろうというアイ
 デアが私の頭にだんだんまとまってきた。もっとも私は、キャプラ社がここに収めたいと望
 んでいた前述の二篇の短篇については、いささか困ってしまった。というのは、これらはす
 でに大幅に書き直されてクノップフ社の本に収められてしまっていたからである。しかし、
 しばらくじっくりと考えたあとで、私はこれらの作品をキャプラ社の本に収められていたヴ
 ァージョンにかなり近いかたちで収めようと決心した。でも今回は書き直しは極力控えよう
 と。それらはもう一度書き直された。しかし書き直しは前回ほど大幅なものでぱなかった。

  しかしいったい、いつまでこうやって書き直し続けることができるのだろうか? つまり、
 これにもいつかは収穫逓減の法則が働くことになるはずではないか。でもこの二つの作品に
 関しては、新しいヴァージョンの方が気に入っているといえる。新しいものの方が最近の私
 の作風にもよりぴったりと調和しているのだ。

  そんなわけで短篇小説についていえば、多少の差こそあれ、みんな手を入れられている。
 そしてそれらは最初に雑誌掲載されたり、『怒りの季節』に収められたオリジナル・ヴァー
 ジョンとはかたちを異にしている。私はこれを、旧作をより良いかたちに書き直すことがで
 きるという幸福な状況に自分かいるという事実のあかしであると考えている。少なくとも、
 何はともあれ、私はそれがより良いかたちであると思いたい。自分でぱとにかくそう思って
 いるのだ。でも正直に言って、それが私の書いたものであれ他人の書いたものであれ、散文
 であれ韻文であれ、しかるべき時間の経過のあとで手を入れたらきっともっと良くなるだろ
 うなと思わないような作品にはほとんどお目にかかったことがない。このように旧作をもう
 一度じっくりと見直し、手を加える機会を与えてくれた、そしてまた私の好きなようにさせ
 てくれた、ノエル・ヤングに謝意を表したい。

                              レイモンド・カーヴァー
                          ニューヨーク州シラキュースにて
                                1982年9月7日

さて、次回のゲイリー・フィスケットジョン「君が元気でやってしてくれると嬉し」で最後となる。
 

【精密電流検出工学の此岸:クランプ型精密携帯電流計】

先月28日、産総研と寺田電機製作所は共同で、60アンペアまでの直流電流をクランプ型の電流
センサで精密に測定できるポータブル電流計を開発。

この記事が気になっていたのだが今日その概要を理解することに。電気機器の研究開発や電気設備
の運用では電流計測は大変重要でこの成果は大きい。例えば、電気配線への取付け・取外しが容易
なクランプ型の電流センサーが広く使用されているが、クランプ型の電流センサーは、取扱いが簡
便である反面、使用環境影響を受け誤差が生じ測定精度限界がある。特に近年、直流による給電(
直流給電)が進み、直流の電流測定の課題である。今回、新たな構造の直流電流用クランプ型セン
サーと直流電流計を開発し、測定値の誤差を自動検知・補正する機能を付加して測定精度を大幅に
向上。さらに、小型化・省電力化を図り、電池駆動のポータブルな精密電流計を実現。

今回の開発の特徴は、電流が流れると、その周囲には磁界が生じる。この磁界の大きさに応じた電
気信号
を出力するホール素子を利用すれば、非接触で直流電流を測定できるが、この原理を利用し
た従来型のク
ランプ型直流電流センサーは、ホール素子のオフセットとその変動やセンサー部の磁
化(着磁)による誤差
が生じるため、高精度測定は困難であったが、そこで、電流計のクランプ型
センサー部分に、(1)着磁を検知し消磁を自動で行う機能や(2)ホール素子出力のオフセット
とその変動を検知し補正する機能を開発付加。(3)そのために、機能部分の小型化を進め、アタ
ッシェケース(縦 406mm、 横 499 mm、 高さ 192 mm)内にコンパクトな精密電流計を実装――セ
ンサを含めた電流計全体重量は約8.2 kg――することで容易に持ち運びでき、商用コンセントが利
用できない車内や工事現場のような環境でも使えるよう内部バッテリーで最大4時間の駆動を可能と
した(上図参照)。


このポータブル精密電流計と従来型の電流計を用い、測定誤差評価を行った実験結果、上記グラフ
のような評価実験を積み上げ、最終的に開発したポータブル精密電流計の測定精度を 0.1%程度
と評価した。これは従来型と比べて約10倍の精度向上し、つまり計測電流値が低くなるほど、従
来器の誤差は大きくなるという特徴があることがわかる。
 



開発経緯は詳細はわからないが、寺田電機製作所の「特開2015-232489  電流測定装置」(上図)
見る限り基本的な考え方は同社にあり、技術改良(開発)に当たり、その評価方法(評価装置)は
産総研の「特開2011-226819  電流比較器」(下図)の例のように超精密な評価技術を応用したの
では――産総研の微小な磁場測定技術、例えば、超伝導量子干渉素子(Superconducting Quantum
Interference Device:SQUID)――を利用し開発したのではと考える。

※ 超伝導量子干渉素子とは、ジョセフソン接合を用いた素子(磁気センサ)であり、微小な磁場
  を測定するのに使用される。「dcSQUID」「rfSQUID」の二種類があるが、 最も高い感度を備
  える磁気センサとして、超伝導の状態にあるリングに外部から磁界を加えると、リングにはそ
  の磁界を打ち消すように電流(遮蔽電流)が流れ、リングの一部に細い部分(ジョゼフソン接
  合)を作っておくと、そこにわずかな遮蔽電流が流れただけで超伝導の状態が崩れ、常伝導の
  状態となって、細い部分に電圧が生じる原理を利用したもので、わずかな磁場の変化に対応し
  て電圧を取り出すことができる。 
 

   

【帝國のロングマーチ 29】    

           

 

● 折々の読書  『China 2049』47         

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」    

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
  

常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。  

【目次】    

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
   

    

    第10章 威嚇射撃


                       百聞不如一見――百聞は一見にしかず
                       
                            『漢書』趙充国伝                                        
                                                                                         


※ 百聞不如一見、兵難遙度、臣願馳至金城、図上方略(百聞は一見に如かず。軍事
   情勢は離れたところから推測しがたいので、わたしは金城に駆けつけ、上策
   を図
りたい) 

   Dec 03, 2012

   2009年になっても、同僚とわたしは、中国人はアメリカ人と同じような考え方をすると
  思い込んでいた。中国はアメリカや近隣諸国に対して攻撃的な態度をとりは
じめたが、わたし
 たちからすればそれは思いがけないことであったし、中国が主張を
強める背景に、より大きな
 計画があるとは思ってもみなかった。疑わしきは罰せず
と、数々の疑惑を好意的に解釈したの
 はわたしだけではなかった。結局、マラソン戦
略に対するわたしの理解は、ゴールを急がなけ
 ればならない理由はない――少なくと
も今しばらくは、というものだった。偶然続いたかのよ
 うな、中国が主張を強めた――
連の出来事は、アメジカで論争の鮪となったが、中国のメッセ
 ージには、それらの出
来事をつなぐ連続的パターン、つまり戦略は存在しない、とされた,こ
 れは、中国に
大規模な戦略はないという従来のメッセージと一致していた。実際、アメリカに
 詳し
い中国きっての国際政治学者、王脚思は、フオーリン・アフェアーズ誌にこの問題に関す
 る小論を絨せた(注55)。

  同僚とわたしは、中国が覇権国アメリカを挑発しようとするはずはないし、中国の経済力と
 軍事力がアメリカを威圧するには少なくとも20年かかる、と見ていた。これ
らすべてが意味す
 るのは、中国は決して、近隣諸国やアメリカに攻撃的な態度をとっ
て自滅したりはしない、と
 いうことだ。だが、2014年までに、アメリカ政府当局
者は連邦議会に、まさにそのような
 攻撃的な主張が見られるようになった、と伝えていた。それに気づくのに、なぜこれほど長い
 年月を要したのだろうか。

  アメリカ情報コミュニティとわたしが、中国のより大きな意図に気づかなかった理由の一つ
 は、台湾に対する中国の姿勢が和らいだことを完全に読み違えたところにある。2000年代
 の胡錦濤政権以降、中国は台湾を力で脅すのをやめ、代わりに、より寛大で間接的なアプロー
 チ、主に、経済的に台湾政府に影響を及ぼすという方法をとるようになった(注56)。そうす
 ることで中国は、台湾の与野党、企業のリーダーマスメディア、一般大衆の問に深く入り込ん
 だ。伝えられるところによれば、胡は、台湾を征服するより「買収」するほうが楽で、金がか
 からない、と側近に打ち明けたそうだ(注57),中国と台湾は2009年に「両岸経済協力枠
 組協定]に調印し、経済関係を正常化した。その結果、現在、中国・台湾問を週に約700便
 の定期便が行き来し、2013年には280万人の中国人が台湾を訪れている。さらに、中国
 政府は台湾の財界エリートを味方に引き入れ、その多くは中国・台湾間の友好回復を強く支持
 するようになった。中国びいきの台湾商人が台湾の主要な新聞社とテレピ局を買収し、中国政
 府はこれらのメディアや、財政援助した他のメディアに影響を及ぼしている(注58)。

  2013年の秋に北京を訪れて初めて、わたしは自分たちが間違っていたこと、そして、ア
 メリカの衰退に乗じて、中国が早々とのしあがりつつあることに気づいた。北京は快晴で涼し
 かったが、朝の渋滞は普段よりひどかった。1週間、雨が続いた後の好天だったので、100
 万人を超す住民が町から出ようとしていた。アメリカ大使館から7マイル西にあるブレジデン
 シャルホテルで2日間にわたって会議が開かれ、わたしは5人の将官と60人の国防の専門家と
 会う予定になっていた。遅れたくなかったので、予定より1時間早く車で出発し、天安門広場
 の脇を抜け、政治局の秘密会合センターの前を通る道を選んだ。それが大きな間違いだった。

   天安門前の通りには、動かない車の列が1マイル以上先まで続いていたのだ。ため息をつく
 運転手に、右折して紫禁城の赤い壁沿いに進み、その後左折して近道を北に向かうよう頼んだ。
 車内で、中国語での議論のための覚え書きに目を通した。議題となるのは、現代の軍事カバラ
 ンスで、論客は軍部のタカ派として知られる朱成虎少将である。2005年に、アメリカが攻
 撃すれば、中国には核で反撃する用意があることを明らかにして、世界的なニュースを巻き起
 こした人物だ(注59)。いかにもふさわしいことに、議題の一つは将来の核でフンスと軍縮の
 見通しだった。もうひとりのタカ派、彭光謙少将は、『戦略学』という古典的教科書の著者で、
 力の均衡を評価する方法について述べることになっていた。また、数名の法律学教授が、南シ
 ナ海に関する中国政府の主張の概要を述べるという。

                                    この項つづく

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登山の必要水分量

2016年08月22日 | 時事書評

 

   



               たいていの場合、60代は真っ盛りです。
で、70代が終わって、
               この続きでいくだろう、と思ってると、ちがっちゃうんです。
               急に、年寄りになるんですよ。

            いまの年寄りは、体のほうだけ成長というか、
               老いていって、寿命は延びていって、精神のほうは成長しないです。

 

                                                                 
                                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 



● 登山の必要水分量

台風9号は暴風域を伴い関東北部から東北を北上し、あす23日朝までには北海道に上陸する見込
みだが、台風9号周辺の発達した雨雲により、関東では24時間雨量が8月の1か月分に相当する
大雨となっている。22日午後2時50分ごろ、東京都渋谷区のJR山手線原宿駅で、首都圏に上
陸した台風の強風のため線路脇の樹木が倒れて外回りの架線に当たり、外回りの運転を見合わせた。
その後、内回りも運転を見合わせ、全線でストップ、同6時半、内回りのみ運転を再開したという。
JR東日本によると、全面復旧は午後7時半ごろの見通し。また、午前11時20分ごろ、東京都
東村山市廻田町3の西武多摩湖線の武蔵大和駅付近で土砂崩れがあり、電車が脱線。警視庁などに
よると、乗客6人が乗車していたが、けが人はいないという。同線は全線で運転を見合わせている。
台風9号による雨や風の影響とみられ、西武鉄道が復旧作業をしている。

 

ところで、甲武信岳の日程を午前中に計画するが、8月今週の木・金曜日は晴天なのだが、都合が
悪く、いまのところ9月中旬の焦点を合わせ天候次第ということで宿泊所を調べ、電話し予約状況
やキャンセル料金など問い合わすが、空いているので当日の予約でかまわないとの返事をもらい、
家庭都合の調整に入る。こちらの方が難航?
 で 今夜のところ未定。



今日は「越後駒ヶ岳」のテレビ録画を見ながらのルーム・ウォーキング。登山家でインストラクタ
(番組のナビゲータ:男性)が頂上につくと、山頂で二人連れの年配の女性の登山者がこの越後駒
ヶ岳で百名山を踏破ですと言ってナビゲータ(を交え三人で缶ビールで乾杯していたが、この日を
迎えるまで45年かかたと語っていたが、一年平均2・2座のペースで踏破していることになる。
そう、この「45年」というのが、わたしには、何とも素晴らしい響きをもって耳に届く。また、
越後駒ヶ岳の麓は、1000戸ほどが立ち並ぶ銀山の街があったことも初めて知る。また、熱中症
予防に必要な水分量の計算方法(必要水分量=体重×移動時間×5グラム)も教えてくれためにな
った(カッコつけ程度に、英会話の録画も流す)。

   

【帝國のロングマーチ 27】    

           

● 折々の読書  『China 2049』45         

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」    

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
  

【目次】    

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
   

   

 

    第10章 威嚇射撃

                        百聞不如一見――百聞は一見にしかず

                                                 『漢書』趙充国伝


※ 百聞不如一見、兵難遙度、臣願馳至金城、図上方略(百聞は一見に如かず。軍事情勢は離れた
  ところから推測しがたいので、わたしは金城に駆けつけ、上策を図りたい)
 

 A program to improve analytic methods related to strategic forces

  米中間で、力のバランスの解釈が異なるのも無理はない。何といっても両国は、異なる戦略
 環境で作戦を練り、異なる脅威に直面しているのだから。国力を評価する際に重視する要素も、
 当然ながら異なる(注15),1982年に、アメリカ国防総省総合評価局の局長、アンドリュ
 ー・マーシャルは、ソビエトとアメリカで戦略的バランスの評価が異なることについて、次の
 ように述べている。

   戦略的バランスを評価する土台となる要素は、ソビエト流の評価に最も近 いものである
  べきだ。もっとも、土台となる要素を変えても、アメリカ流に評価したのでは意 味がない
  (中略)むしろ、可能な限り、ソビエトが最も可能性が高いと考えるシナリオに沿って、ソ
  ピエト式の基準や方法で結果を評価し、ソピエトが構築するように構築した評価であるべき
  だ(中略)。一方、ソビエトが行う予測は、シナリオも目的もアメリカのそれらとは異なり、
  アメリカと異なる変数に注目し(中略)異なる計算をし、異なる測定手段を用い、ことによ
  ると評価の過程や方法も異なるだろう。その結果、ソビエトの評価は、アメリカの評価とは
  大きく異なるものになる(注16)。

  さらに、勢力バランスにおける各国の相対的位置づけは、主観的解釈によるところが大きい
 という以上に、後の時代に振り返ってようやく見えてくるものだ。かの偉大なる英国の政治家
 ボリングブルック卿は、次のように述べた。

   力の大きさが変わる時点は、普通に見ていてはわからない。力を増しつつある者は、己の
  力を実感しておらず、それを確信することもない。そうした確信は、後に成功体験からもた
  らされるものだ。この力のバランスの変化に強い関心を寄せる者は、同じ先入観から、同じ
  ように 判断を誤ることが多い。もはや脅威ではなくなった力を恐れつづけるか、日ごとに
  侮れなくなっていく力を恐れないかのどちらかだ(注17)。



  勢力バランスの評価が本質的に主観的でることから、アメリカの学者の中にはバランスが中
 国に傾いた、あるいは将来傾きそうだ、という考えを否定する人もいる。タフツ大学のマイケ
 ル・ベックリーは2011年に「アメリカは衰退してはおらず、それどころか、1991年に
 比べて、中国より裕福で、より革新的で、軍事的に強力になっている(注18)」と述べ、「中
 国は力をつけてきてはいるが、追いついてはいない」と断言した(注18
)。言うまでもなく、
 アンドリュー・マーシャルとボリングブルック卿の考察はどちらも、中国とアメリカによる自
 国と相手国の力の評価について言えることだ(注20)。

  さらに言えば、国が違えば、勢力バランスの評価は違ってくるので、中国政府は、アメリカ
 が認めるよりずっと早い時期に、自国がリードしていると考えはじめるかもしれない。マラソ
 ンの最後の数十年間に、このずれは相互への誤解を生じさせ、それが戦争につながる恐れが
 (注21)。

  マラソンでの勝利が見えてきたので、現在の中国は、より大きな野望を抑えつつ、いっそう
 好戦的になる余地があるかどうかを検討している。差し迫った優先事項は自国の近辺にある。
 周辺の海では、南はベトナム、フィリピン諸島、マレーシア、ブルネイ、東は日本との問で緊
 張が高まっている。
  2010年以降、中国は数百年前の地図をひっぱり出してきて、束シナ海と南シナ海の島々
 との歴史的つながりを主張し、領海の拡大を正当化しようとしている。2010年5月にアメ
 リカとの酋脳会談で、南シナ海に浮かぶスプラトリー諸島の権利を主張し、豊富なエネルギー
 源と漁業資源を有する何万平方マイルにもわたる海を自らの排他的経済水城に加え、領海をベ
 トナムやフィリピンの海岸近くまで広げようとした(注22)。



  ヒラリー・クリントン国務長官が、中国とその南の国々との諍いを仲裁しようとするアメリ
 カの意向を伝えると、中国は怒り、数カ月にわたってベトナムとフィリピンの船舶に嫌がらせ
 をした(注23)。フィリピンの大統領ベニグノ・S・アキノ三世はこの状況を1938年にチ
 ェコスロバキアが直面した状況にたとえ、「人はどの時点で『もう十分』と言うのか? 世界
 はそれを言わなければならない。第二次世界大戦を回避するためにヒトラーに引き渡されたズ
 デーデン地方(チェコスロバキア北西部にあり、ドイツ人が多くいたため、ヒトラーが割譲を
 求めた)のことを思い出していただきたい」と述べた(注24)。中国はアキノ大統領の発言を
 「きわめて侮辱的だ」と評した(注25)。

  Bloomberg News June 10, 2011

  しかし、最も緊張が高まっているのは、日本との関係だ。中国の著述家の中には、日本人は
 「雑鮪」で、日本はアジアにおけるアメリカの代理国だと考える人もいる。その上、第二次世
 界大戦中に中国を占領した日本軍の残酷な行為に対する怒りも、根強く残っている。束シナ海
 では、日本列島から西へ延びる一連の島々で衝突が頻発しており、全面的な海戦へと発展しか
 ねない。

  2010年9月7日、中国では釣魚島、日本では尖閣諸島と呼ばれる諸島の近くで、中国漁
 船と日本の巡視船が衝突した。中国政府が強く反対したにもかかわらず、日本の海上保安庁は、
 中国漁船の船長と船員を拘束し、連行した(注26)。これに対して中国は、日本へのレアアー
  ス輸出を大幅に削減するとともに、軍が管理する立ち入り禁止区域に侵入したとして4入の日
 本人を逮捕した(注27)。

  NOV. 2, 2012


  驚いたことに、2年後、6隻の中国の海洋監視船が2グループに分かれて尖閣諸島地域に侵
 入し、うち4隻が日本の巡視船の警告を無視して航行を続けた(注28)。中国は、領海をそれ
 らの島々の周囲にまで拡大するという声明を出し、その海域での巡回を始めた(注29)。この
 事件を皮切りに、中国は諸島の周囲を継続的に巡回するようになり、数週間にわたって巡回す
 ることもあった。諸島から14マイル以内への侵入もたびたび起きた(注30)。尖閣諸島に含
 まれる個人所有の島々を日本政府が購入すると、中国全土で反日の抗議行動が勃発した(注31),
 北京の日本体使館を数千人が取り囲み、他の多くの都市でも抗議行動が起きた(注32)。中国
  政府は「日本は中国の権利を侵害したのだから、中国の市民が意見を表明するのは極めて当然
  のことである」との声明を出し、抗議を後押しした(注33)。



  2013年11月23
日に中国の国防部が東シナ海に防空識別圏(ADIZ)を設定すると
 発表するにいたって、ついにアメリカは何らかの手を打たなければならなくなった。過去にお
 いて、日本やアメリカを含む他の国も、それぞれADIZを公表してきたが、中国の場合は非
 常に厳しい要求を掲げ、その圏内を飛ぶ航空機に、身分を明かし、飛行計画を提供することだ
 けでなく、飛行中に中国のADIZ管理機構と無線連絡を取り続けることまで要求した(注34)。
 中国政府の発表の直後、喜ばしいことに、アメリカの国防長官チャック・ヘーゲルは、2機の
 
52超大型戦略爆撃機が中国のADIZ上空を飛ぶことを許可し、中国政府の要求をアメリ
 カが認めないことを明らかにした。中国は抵抗しないはずだとヘーゲルに言うしたのはわたし
 だった。

 SEPT. 16, 2012

  日本の抗議に対して、中国の外交部は「日本には、無責任な意見や悪意のこもった言いがか
 りを中国にぷつける権利はない」「中国の領土統治権を傷つける行為をすべてやめるよう日本
 に要求する]と述べた(注35)。日本の安倍音三総理大臣は、2014年1月にスイスのダボ
 スで聞かれた世界経済フォーラム年次総会で、東シナ海諸島を巡って緊張が高まる日中の関係
 を、第一次世界大戦前のイギリスとドイツの緊張にたとえて、論争を引き起こした,イギリス
 とドイツが、現在の日本と中国のように経済的に強く結びついていたにもかかわらず、191
 4年に戦争に突入したのは誰もが知るところだ(注36)。

  中国のマラソン戦略が実行可能かどうかを測る試金石となるのは、日本が西の領海でますま
 す攻撃的になる中国にどう対処するかということだろう,少なくともこれまでの20年間、中
 国政府は、ライバル国(この場合は日本)のタカ派を卑劣な手段で攻撃するという戦国時代の
 戦略を推し進めてきた。日本を悪者にする作戦をアジア全域で開始し、日本国内の聴衆にもそ
 のメッセージを浴びせた。その内容は今も変わっていない。「日本のタカ派は密かに1930
 年代の軍国主義を復活させようとしている。それを看破し、タカ派を政治的に無力にしなけれ
 ばならない」というものだ。

この当時、このブログで(「CRAKの尾っぽ」2012.09.15)、次のように書いている。

  日本政府が尖閣諸島の国有化を決めて初めての週末となるが、中国全土のおよそ40カ所で
 反日デ モが行われている。デモ隊は一部で暴徒化し、警察当局を攻撃するなど、当局の制御
 が利かない事態
 も起き始めているという(中略)尖閣列島事件はどうだろうか。今回の事変で邦人の
 生命が失われたとした誰に引責があるのだろ? そんなことを考えていたら“CRAK”(ク
 ラック)という言葉が浮かんだ。勿論、Cとは
中国、Rとはロシア、Aとは米国、Kとは韓国あるい
 は北朝鮮だ。日本を含めたこの周辺関係国の特徴の1つは、まず、米ソ冷戦構造の後遺症が色
 濃く残ることだ、つぎに太平洋戦争での敵対国であり、濃淡の差はあるが抗日ナショナリズム
 の後遺症、続いて、それ以前の欧米列
強の植民主義あるいは帝国主義の後遺症で、これらの残滓
 が堆積し宗教的色合いを残していると言いたいのだが、こんなことも考えた。これも吉本隆明
 だったが「猫の額ほどの植民地を巡っての帝国主義戦争は終焉した」というのだが、残念なが
 
気がつけば宇宙と海洋(海底)においてはその余地が残ってたというわけで、新しい形態の
 それが リバイバルするかのように、わたしたちの前に立ちはだかったというわけだ。斯くし
 て、司馬遼太郎の
『坂の上の雲』はいま中国と韓国にあるというわけなのだろう。少なくとも
 そのよう に考えると見えないものが見えてくるようだ。

軍事力を持って領土を奪い合う帝国主義的な外交破壊の「素地」が残っていたのだと、初めて書い
ている。勿論、本著書は念頭になかった上である。従って、本書の表題の「中国のマラソン」は、
ここでは「帝國のロングマーチ」と書き換えられることになる。先を急ごう。

                                                      この項つづく 

 

 

 

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百聞不如一見 兵難遙度

2016年08月14日 | 時事書評

 

     

        時代はひとつひとつ自分で考えて解いていく構想力を持たないと、
        ちょっと生きた心地もしない感じになってきました。

               「どう生きる?これからの10年」2005.11.12

                                            
                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 

  Jun 3, 2016

【再生医療の此岸:脳損傷回復薬/幹細胞注入し成果】

東京大病院は、頭のけがなどで脳の神経細胞が死んだり傷ついたりし、体のまひや言語障害などが
出た「外傷性脳損傷」の患者を対象に、加工した骨髄由来の幹細胞(細胞医薬品)を脳に直接注入
して機能回復を試みる治験をが近く始める。米国で先行して進められている脳梗塞患者での治験で
は運動機能や言語機能の向上が報告されており、回復が難しい脳損傷の新たな治療法になると期待
されている(毎日新聞 2016.08.14)。

 June 27, 2016

この細胞医薬品は、健康な人の骨髄から採取した間葉系幹細胞を加工・培養したもので、再生医療
ベンチャー「サンバイオ」が開発。免疫反応を抑える働きもあり、他人の細胞を移植するにもかか
わらず、免疫抑制剤を使う必要がなく、移植した細胞は、約1カ月で脳内から消えるという。

6月、米スタンフォード大などの研究チームは、この医薬品の安全性確認のために脳梗塞患者18
人に実施。
験結果を米医学誌に発表。これによると、ほぼ全員の運動機能が回復し、目立った副作
用はなかった。サンバイオによると、治験前は動かなかった腕が頭まで上げられるようになったり、
車いすが必要だった患者が少し歩けるようになったりしている。

機能が回復する詳しいメカニズムは不明だが、東大病院での治験を担当する今井英明特任講師(脳
外科)によると、傷ついた脳の神経細胞の修復を促す栄養分が移植した幹細胞から分泌されると考
えている。東大病院の治験の対象は、脳に損傷を受けてから1〜5年が経過し、現在の医療では回
復が見込まれない患者。移植する細胞の数を変えて四つのグループに分け、運動機能の回復状態を
1年間、追跡調査する。

※ 関連特許 1.特開2012-219100  細胞と生体適合性高分子を含む組成物
       2.特表2008-538103  中枢神経系病変の治療のための物質の使用

   

【帝國のロングマーチ 26】        

        

● 折々の読書  『China 2049』44       

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。

 【目次】   

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
 

  

    第9章 2049年の中国の世界秩序 
 

                          反客為主――反って客が主に為る

 

 【危機❿】中国は営利目的で兵器を量産する

  長年にわたって中国は、無法国家にミサイル技術を売ってきた。それらの国々にはイラン、
 リビア、シリアなどが含まれ、大屋破壊兵器を開発し、近隣諸国に対して攻撃的にふるまい、
 テロリストを武装させ、自国民を弾圧している。ミサイル技術管理レジーム(MTCR)は、
 これらの国々によるミサイル関連品や技術の輸出を規制しようとする体制である。

  1988年、アメリカは、中国に秘密の取引を提案した。それは成立するものと、わたし

 考えていた(当時のわたしは、同僚たちと同じくらい認識が甘かった)。その取引とは、
中国
 がミサイルの輸出を規制するのであれば、アメリカは、「中国との商業的および科学的
 宇宙
 協カを拡大し、今後すべての商業衛星の打ち上げに関して、天安門事件に対する制裁措
 置の
 適用を見送ること」を表明し(注91)、中国のブースターで打ち上げるアメリカの人工
衛星の
 数を増やす、というものだった(注92)。
 

  アメリカの提案には、腎明にもさらに多くの飴と鞭が含まれていた。ゲイリー・サモアが
 いたNSCの覚え書き(漏洩したもの)によると、まず飴のほうは、MTCRに加入する
こと
 によって、中国は「政治的信頼と、MTCRの今後を決める話し合いに加わる資格が得
られ、
 アメリカによるミサイル制裁措置を実質的に免除される。また、(MTCRへの加入
は)MT
 CRの管理下にあるアメリカから中国への輸出をいくらか促進させる」というもの
だった。鞭
 のほうもやはり同じ覚え書きに書かれていた。「実際問題として、ミサイル問題
が一向に進展
 しないことが、われわれが打ち上げ割当を増やさない理由であり、すでに決ま
 っている(人
 工衛星の打ち上げの)割当さえ危うくなるということを中国にはっきり伝える
注93)」。 

  それに対する中国の回答には、同国が何を優先し、何を目指しているかがはっきり表れてい
 た,提
案をきっぱり拒否したのだ。中国にとっては、技術協力や政治的名声よりも無法国家へ
 の兵器の輸出のほうが重要だったのだ。
 

   この回答は、中国が率いる財界がどんな世界になるかについても多くを語る。中国が力をつけるに
 つれて、大量破壊兵器の拡散は、スローダウンするどころか、ますます加速していくだろう,無法国家は
 孤立せず、中国の支援を受ける。一方、アメリカとその同盟国に対して、中国は協カしようとせず、機会
 あるごとに攻撃し、弱体化を図る,とりわけ自国の安全保障が絡んでくると、中国はいっそう強硬な態度
 に出るだろう。

   Jesse Alexander Helms, Jr

  たとえMTCRに加入しても、中国がそのルールに従うかどうかは疑わしい。ジェシー・ヘ
 ルムズ上院議員は、武器に関する中国の二枚舌を暴く衝撃的な報告をし、そ
の中で、「過去2
 0年間に中華人民共和国は、15件の正式な拡散防止協定-核技術拡散
に関して7件、ミサイ
 ル技術の譲渡に関して6件、1997年に生物兵器禁止条約を批准・加盟した時に2件――
 わしたが、そのいずれも遵守していない」と述べている。ヘルムズのスタッフは、中国の約
 束違反や、アメリカの安全を損なう行為を時
系列で表にまとめた。これらの違反行為には、弾
 道ミサイルをパキスタン、イラク、
シリア、イラン、リビア、北朝鮮に移送したことや、核兵
 器の部品をパキスタンやイ
ランに売ったことが含まれる(注94)。

  2003年11月、中国がかなり広範な拡散ネットワークとつながっていることを示す、おそ
 らく最も有力な証拠が出てきた。リビア政府が欧米当局に提出した多くの書
順の中に、中国語
 で書かれた取扱説明書があり、そこには、核分裂性物質を従来の
薬で包んで核爆発を起こす
 1000ポンドの爆弾を作る手順が記されていた。報道に
よると、中国の核兵器専門家が、パ
 キスタンとリビアに設計情報を提供した後も、何
年もパキスタンの核兵器科学者たちと陥力し
 ていることが、これらの書類で明らかに
なった(注95)。

  北京はなぜ無法国家への兵器やミサイルの輸出をやめないのだろうか。国務次官補のポーラ・
 ドサッターは2006年に、中国がそれをやめないのは、核拡散と戦う
「能力のなさ」か、「
 その気のなさ」の反映だと示唆した(注96)。正解は間違いなく後
者だ。中国の狙いは、核兵
 器を独裁的でたいていは反欧米の政府に拡散することで、
アメリカをはじめとする列強の影響
 力を低下させるところにある。

  これまでところ、マニフェストとして中国を頂点とする世界秩序が語られたことはないが、
 過去10年の問に、ふたりの国家主席が、中国の意図をほのめかした。200
5年9月、胡錦
 濤主席は国連の首脳会議で、「平和でともに繁栄する和諧世界に向け
て」と題したスピーチを
 行い(注97)、その中で、「和諧世界]の概念について論じた
注98)。スピーチの中で胡
 は「ともに協力し、平和と繁栄が続く和諧世界を築きまし
ょう」と曖昧に述べている(注99)。
 その8年後、胡錦濤の後任である習近平は、就任
後初の演説の中で、端的な言葉で未来を示唆
 した。「発展が何よりも重要」である、
と。そして「中国の夢を実現するため、常に物質的お
 よび文化的基盤を突き固めなけ
ればならない」とつけ加えた(注100)。世界を和諧させると
 いう習が掲げた目標は、中
国人の価値観に合わせて和諧させる、という意味だ,

  胡と習の言葉は、前後の文脈を知らなければ、特に害はなさそうに思えるが、第1章で述べ
 たように、中国の言う「和諧」の地政学的意味は「一極支配」であり、第2
章で説明したよう
 に、「中国の夢」とは、世界で唯一の超大国、つまり経済的、軍事
的、文化的に無敵になるこ
 とだ。

  もし中国の夢が2049年に現実になれば、中国中心の世界は独裁政治を助長するだろう。
 多くのウェプサイトが、欧米を中傷し中国を称賛する偽りの歴史で埋まる。
発展途上国が「
 成長が先、環境対策は後」という中国のモデルを採用するにつれて、
食の安全や環境保護はま
 すますないがしろにされ、より多くの国で大気汚染が進む。
環境破壊が進むと、腫が失われ、
 海面が上昇し、がんが蔓延する。国際機関の中には、周辺的な存在となり、現在のような介入
 ができなくなるところもある。中国国有の独占企業や、中国が支配する経済同盟が世界市場を
 コントロールし、世界最強の軍雅同盟も、北京が統括するようになるだろう。何しろその頃、
 北京は、軍事研究部隊の人員、兵器システムに、アメリカより多くの資金を役人できるように
 なっているのだ。

  これは断じて、わたしたちが心待ちにする未来などではない,しかし、これまで中国の戦略
 の長期的結申`を考えようとしなかった人々は、事実上、そのような未来を待っているに等し
 い。中国に方向転換をさせるのは、ますます難しくなっていく。残念ながら、少数の人が目を
 覚ましつつあるものの、わたしたちの影響力は小さくなる一方だ。今世紀半ばまでに今のまま
 の中国が朝権を握ると、これらの「悪夢]は現実になるだろうし、将来の軍事力のバランスが
 どうなるかは言うまでもない。戦国時代の物語では、新興勢力が軍事カを増強して、古い覇権
 国を脅かすのは、物語の最終章だ。中国が古代のモデルに従うのであれば、殺手嗣計画にとど
 まらず、アメリカの軍事力に本格的な挑戦を仕掛けるのは、まだしばらく先のことだろう。

  外洋海軍を持つ、海外法地を築く、強い空軍を配備する――これらのいずれかを急ぎすぎる
 と、中国政府は鼎の軽重を問うことになる。それは旧ソ連が犯した致命的な間違いだった
 の話は北京のタクシーの運転手でさえ知っている


   第10章 威嚇射撃

                        百聞不如一見――百聞は一見にしかず

                                                 『漢書』趙充国伝


※ 百聞不如一見、兵難遙度、臣願馳至金城、図上方略(百聞は一見に如かず。軍事情勢は離れた
  ところから推測しがたいので、わたしは金城に駆けつけ、上策を図りたい)



  2013年に公開された映画『ゼロ・グラビティ』の冒頭で、サンドラ・ブロックとジョー
 ジ・クルーニーが演じる宇宙飛行士は、ヒューストンの飛行管制センターか
ら厄介なメッセー
 ジを受け取る,ロシアが用済みになった衛星をミサイルで爆破した
ところ、他の衛星も連鎖的
 に爆発し、生じた大量の宇宙ゴミが、彼らが乗っているス
ペースシャトルに致命的なスピード
 で接近しているというのだ。ハップル宇宙望遠鏡
を修理するためにシャトルに乗り込んだふた
 りだったが、急速その任務は、生きて帰
ることになった。最終的には、ブロックが演じた人物
 は、中国の無人宇宙ステーショ
ンに保管されていた補助燃料タンクの助けを借りて地球に帰還
 する。

  この映画は絶賛されたが、中には、現実的でないという批判もあった。ブロックは涙をこぼ
 したが、宇宙では、涙は表面張力によって顔にまとわりつくはずだ。また、ブロックは、ハッ
 ブル宇宙望遠鏡から中国の宇宙ステーションヘの移動する途中で国際宇宙ステーションに立ち
 寄ったが、それら三つの施設は異なる軌道上にあるので、そのような移動は不可能だ。そして
 一番多かったのは、プロックはぴったりした下着ではなく、おむつをはいていたはずだという
 批判である。

  だが、この映画に関しては、熟考に値する問題点が他にもいくつかある。それらは、ドラマ
 としての矛盾というより、中国の100年計画と関わりがあるものだ。
  第一に、サンドラ・プロックが演じる人物は、中国の宇宙ステーションに立ち入ることを許
 されなかっただろう,ましてや操作するなど到底、無理だ,宇宙ステーションを設計したとき、
 中国の技術者は故意に アメリカのものとは互換性がないように設計したと思われる(注1)。
 彼らは宇宙でアメリカと連携することを望んでいなかったのだ。

  第二に、ロシアが自国の衛星にミサイルを撃ち込んだことは一度もない。しかし中国は、2
 007年にまさにそれを実行した。地上配備型衛星攻撃兵器(その気になれば、アメリカの衛
 星に対しても使える兵器)を使って、機能しなくなった気象衛星を破壊し、軌道から外した。
 アメリカ国防総省の報告によれば、中国の実験は「多くの国に懸念を引き起こし、結果として
 生じた残骸は宇宙開発を進めるすべての国の資産を危険にさらし、人類の宇宙飛行にも危険を
 もたらした(注2)」。アメリカの情報機関は、中国からミサイル発射に関する警告を受けて
 おらず、それどころか、中国政府に衛星を攻撃する計画はないと繰り返し聞かされていた。中
 国は無謀にも、歴史上最大で最も危険な宇宙ゴミが散在する一帯を作ってしまったが、映画の
 中でその責を負わされたのはロシアだった。

  この歪曲により、中国人は英雄視され、ロシア人は悪役になった。『ゼロ・グラビテイ』の
 脚本家たちは、宇宙で起きたことと宇宙で起こりえることをあえて歪めた,だがそれは驚くほ
 どのことではない。莫大な人口を擁する中国では、とてつもなく多くの人がアメリカ映画を観
 て、ハリウ″ドの映画製作会社に利益をもたらす。ただし、それは中国が良く描かれた場合に
 限る。そうでない映画は、中国では上映禁止になるだろう(注3)。

  またしても、近複眼的な考えや利己主義のせいで、西洋のエリート層や世論形成に影響力の
 ある人たちは、世間の人々に中国に対する楽観的な見方を提供してしまった。だが、言うまで
 もなく、これも中国が計画したことなのだ。
                                    この項つづく
 

                                                    
                                             サンコーから無重力ポジション対応椅子『ゼログラビティチェア』

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今日は山の日

2016年08月11日 | 時事書評

 

     

           農業への執着心が農家から奪えないのは、土地所有への執着心にちがいない。
           しかし
無意識や本能的な性向までを含めていえば、土地所有への執着心は、
           本質的にはじぶ
んの私有する土地から得られた生産物を、じぶんの自由な裁
           量によって、誰からも制肘
されずに生産し、処分できる自由への執着心に帰せ
           られることは疑いない。それが貧困
に耐えてもなお成就されるべき農業革命の
           最終目的だといえる。

                              「情況との対話:コメの話もう一度」/サンサーラー

                                            
                                                      Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 



ポスト・オスプレイの此岸:垂直離着陸できる小型機 TriFan 600】

『縄すてまじ!』で提案したメガフロート式空港のシャトル垂直離着陸飛行機の構想が、米国はデ
ンバーのXTIエアクラフト社のVTOL機「TriFan 600」――6人乗り(パイロット含む)の
型機で、約1300~1900キロメートル圏内を移動する機体エンジンは Honeywell Aerospace 
社が供給。特徴は機体に3つのダクテッドファンを搭載、これにより垂直離着陸が可能。また、空
中へと浮上すると、翼に備え付けられた2つのダクテッドファンの向きを変えることにより、高度
9千1メートル、時速約600キロメートルで飛行――が開発中だという。反応が早い!と感心し
しつつ、これが電動飛行機ならなおのこと結構。
 
発表によれば、XTI社はTriFan 600のプロトタイプ機のエンジンとしてHoneywellの「HTS900
を利用。プロトタイプ機は実際の機体の2/3サイズにダウンサイジング、2年以内の飛行を目標。
さらに、有人機を飛行させる前に1/10サイズの無人機も製作――6ヶ月以内に試験飛行
させる
予定

【新興第4次産業の此岸:拡張現実の1つの事例】

● 世界初の「VR人工衛星」来年夏に打ち上げへ 360度映像を世界に配信

8日、SpaceVR社は来年夏の早い時期にVR人口衛星「Overview 1」を国際宇宙ステーション(ISS
に打ち上げると発表。Overview 1は2つのカメラを搭載した立方形型人工衛星。スペースXX社はI
SS
への補給ミッション「CRS-12」を来年夏に予定、その打ち上げロケットのファルコン9ロケット
により打ち上げられ、ISSに到達すると
は同施設に設置されたNanoRacksの小型衛星放出機構(NRC
SD
)で、地球低軌道(LEO)へと放出される。Overview 1の撮影映像は
ライブストリーミング配
信したり、他社へと販売される。

もともとSpaceVRVR人工衛星の計画は2015年に、クラウドファンディングサイトのKickstarter
から始まる。当初12個のカメラを搭載する予定であったが資金集めに失敗。その後目標金額を下げ125
万ドル(約1億3千万円)の投資を受けて、2個のカメラを搭載した「世界初のVR人工衛星」の打ち上げにこ
ぎつけている。

 【今日は山の日:サハマ山にGO!】

 

 Wikipedia/Mt. Sajama

今日は山の日だという。それで何だ?!ということなんだけれど、これで一儲けしようという事業
主体が色めき立っているが、ファミリーマートは、昨年12月よりコピーを使い、登山地図を1枚
300円で販売したところ、売り上げが10%増という(NHKニュース 2016.08.11)。ところ
で百名山踏破は計画より遅れている(もっとも、それ以外にも遅れているものばかりだが)。そこ
で、ルームウォーキング中、登山番組の録画再生しながら仮想登山しているのだが、今日は、ボリ
ビアにあるサハマ山(Mt. Sajama)――南アメリカ大陸の山。ボリビア西部のオルロ県にあり、ボ
リビアの最高峰。サハマ山を含む一帯は、サハマ国立公園に指定され、チリの国境から20キロメ
ートル程度にある。活火山とされているもの最後の噴火がいつなのか不詳――の映像を見ながらト
レーニングする。いつの日か登ってみたいと夢が広がる。
 

  ● 今夜の一曲

Leo Rojas - El Condor Pasa  

   

【帝國のロングマーチ 23】         

        

● 折々の読書  『China 2049』41       

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。

 【目次】   

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
  

 

    第9章 2049年の中国の世界秩序 

                          反客為主――反って客が主に為る

                             『兵法三十六計』第三十計

 【危機●】中国はインターネット上の反対意見を「和諧」する

  言論の自由との戦いにおける中国の武器の一つは、インターネットの検閲である。
 現在、百万人以Lの中国人が、オンライン検閲ピジネスに従事している(注15)。世界のイン
 ターネット利用者の大部分は中国人だが、中国政府当局が人権機関、外
国の新聞、その他、数
 えきれないほどの政治団体、文化団体のウェブサイトヘのアク
セスを監戻およびブロックして
 いるので、中国国民は自由世界の人々と同じ情報にア
クセスすることができない。「和諧」と
 はインターネットを検閲されることを指すネッ
トスラングだ(注16)。



  中国は、天安門広場虐殺事件の記憶を消すために多大な努力をしている。事件から23年目
 を迎えた2012年6月、検関宮はそれに言及するネット上の記事をすべてブロックした。3
 人の活動家が追悼行進を行う許可を申請したところ、投獄された(注17)。インターネット利
 用者が事件の象徴となっている、戦車の列の前に学生が立つ写真を合成し、戦車の代わりに大
 きな黄色いアヒルを並ばせて検閲を出し抜こうとすると、中国政府は「巨大な黄色いアヒル」
 というワードを検索禁止にした(注18)。検閲は非常に広範囲に及ぶので、6月4日(天安門
 広場抗議行動の記念日)は皮肉たっぷりに「インターネット・メンテナンスの日一と呼ばれて
 いる(注19)。



  情報の抑圧に加えて、中国政府は当局の考え方を売り込むために、ブロガーを多数採用し、
 反対派勢力の信用を傷つける偽情報を広めている(注20)。その虚報のせいで、インターネッ
 ト利用者は、事実に基づいたニュースと政府側の偽りのニュースを見分けるのが難しくなって
 いる(注21)。



  数千年前から、抑圧的な政権はいずれも情報管理を悪用してきた。だが昔の検閲と、205
 0年までに中国が行う可能性のある世界的検閲との重要な違いは、中国の国民が見るものだけ
 でなく、ほかの多くの国の国民が見るものについても検閲できるようになることだ。中国によ
 るインターネットの乗っ取りは、以前は国内に限られていたが、今後これらの戦術はますます
 国際的に展開されるようになるだろう。中国の革新的なインターネット管理技術は、すでに少
 なくとも11カ国で採用されている(注22)。

  もちろん中国は、ニューヨーク・タイムズやウオールーストリートージャーナルが中国に関
 する真実のニュースを伝えるのを止めることはできないだろう。しかし中国が力をつけ、影響
 力を増すにつれ、中国と協力する国では、国民がそのようなウェブサイトを見られなくなるこ
 とが増えていくだろう。たとえば、中国の二つの大企業、ファーウェイとZTEは、ニケーシ
 ョン・ハードウェアを、中央アジア、東南アジア、東ヨーロッパ、アフリカに供給する主要業
 者だ(注23)。これらの国や顧客(カザフスタン、ベトナム、ベラルーシ、エチオピア、ザン
 ビアを含む)は、インターネットを政治的および技術的に厳しく管理する手法を中国に学び、
 その技術も中国から買っているかもしれない(注24)。


 【危機●】中国は民主化に反対しつづける

  中国当局は、独裁主義国が多く民主主義国が少ない世界を好む。1955年以降、北京は、
 各国の国内問題への干渉を禁止する五原則を宣言してきたが、中国の力が増大していくにつれ、
 中国寄りの独裁的政府を保護し、民主主義政府を弱体化させる力も劇的に増大していくだろう。
 マラソン戦略の他の取り組みと同じく、それはニュースや情報の操作から始まった。65億8
 000万ドルをかけての「外宣工作]の一部は、独裁的政府のあからさまな支持に向けられて
 いる(注25)。中国政府はジンバブエのロバート・ムガベ大統領やスーダンのオマル・アル=
 バシール大統領を公然と支持している。アル=バシールは、戦争犯罪人としてハーグの国際裁
 判所に引き渡される可能性があるため、海外渡航を恐れているような人物だ。


  独裁政権を強化するための中国のもう一つの戦略は、戦略的融資と投資である(注26)。2
 009年と2010年に、中国が企業や途上国の政府に融資した金額は、世界銀行のそれを上
 回った(注27)。中国はこの経済力を武器として、その政治アジェンダを世界に広めている。
 これまでのところ2兆ドルをアフリカ諸国に無条件に融資し、反欧米アジェンダの浸透を図っ
 てきた(注28)。NGOのフリーダム・ハウスによると、「人権にまつわる付加条項や経済的
 見返りを必要としないこの無条件の支援は、発展途L世界の広範囲に、信頼できない腐敗した
 政権を増やそうとしている(注29)」。


  ケンブリッジ大学のステファン・ハルパーによると、ジンバブエは、中国の影響が「最も顕
 著で、最も知られているアフリカの国の一つ]である(注30)。中国は、ムガベが荒廃した自
 国を掌握しつづけるのを助けている。初めは兵器を提供し、それに続いて、インターネット監
 視ハードウェアなど、国民を支配するのに欠かせない技術を提供してきた。ムガベに対する国
 連制裁も中国は拒否した(注31)。

※だとすると、中国は冷戦時代の「第三世界」の革命輸出の外交手法踏襲(=経路依存性)を意味
 しているように思えるが、それでは米国はその当時の手法とどこが違うかを公開しなければ「公
 正」でないというのが原則である。

  中国の戦略の一つは、不干渉の原則に基づいて、アフリカの政府と「相互に有益な提携一を
 結ぶことだ。中国政府は、アフリカのピジネスパートナーが「政治の約束事を伴わない、ただ
 のビジネス」(胡錦濤前国家主席の言葉)という方針のもと現地の人々を虐待していることを
 無視している(注32)。中国は、国際基準を無視することにより(注33)、アフリカの民主主
 義をさらに弱体化し、独裁政権をさらに強化するだろ。



  中国は、このジンバブエのモデルを、アジア、アフリカ、南米に適用した。また、シリア、
 ウズベキスタン、アンゴラ、中央アフリカ共和国、カンボジア、スーダン、ミャンマー、ベネ
 ズエラ、イランの独裁政権も支援した(注34)。中国経済がアメリカの3倍の大きさになれ
 ば、発展途上の国々を、紛争解決と健全な統治とは逆の方向ヘ進ませようとする中国の行動は、
 さらに影響力を強めるだろう(注35)。

  もちろん今から2049年までの間に、中国が専制政治から方向転換し、国内外で民主主義
 を受け入れる可能性もある。しかしそのような楽観論を支持する根拠はほとんどない,何十年
 にもわたって、欧米の多くの学者が、中国は自由民主主義に向かう長い道を進んでいくと予想
 していた。民主主義が中国にも訪れるという希望(根拠はないにしても)を抱きつづける学者
 もわずかにいるが、彼らの多くは今、その楽観的な予測を恥じている,結局、希望的観測とい
 うものは希望的であるがゆえに、もともと反論が難しいものなのだ。


 【危機●】中国はアメリカの敵と同盟を結ぶ

   確かな真実は、中国の指導者がアメリカを、世界を舞台にした競争(中国が勝つ予定である)
 の‘フイバルと見なしていることだ。この見方は、特にアメリカの対テロ戦争において、中国
 がアメリカの敵を繰り返し支援してきた理由を説明する。2001年にアメリカの諜報機関は、
 ウサマ・ビンラディン配下のテロリストをかくまっていたタリバンを、中国が支援しているこ
 とを知った。具体的には、中国の二大電気通信会社が、タジバンがカブールに大規模な電話シ
 ステムを構築するのを手伝っていた。この支援は、9・11のテロ攻撃後も続けられていた(
 注36)。

  この件について説明を求められた中国は、独裁政権の扇動者が同様の問題に直面したときに
 するであろうことをした。つまり、民間企業がやっていることなので、政府は関知していない、
 と装ったのだ。しかしそれらは民間企業ではなく、北京が知らないはずはなかった。そのうち
 の一社は少なくとも人民解放軍の関係者が設立し、中国軍のための通信ネットワークを作る手
 助けをしている(注37)。

  中国のタリバンとの関係は、電話システムの構築だけにとどまらなかった。1998年にタ
 リバンは、中国政府からさらに支援を受けた。おそらく、クリントン政権がアフガニスタンの
 アルカイダ訓練キャンプに打ち込み、不発に終わったトマホーク巡航ミサイルを、アルカイダ
 が密かに北京に提供したことへの返礼だろう。中国はそのミサイルをリバース・エンジニアリ
 ングした。3年後、まさに9・11の攻撃の日に、カブールの中国当局者グループとタリバン
 は、経済的・技術的支援を約束するもう1つの協定を結んだ。もっとも、それらは中国がタリ
 バン と結んだ数多くの協定のごく一部にすぎない。

  アルカイダと中国との協力は、必ずしも間接的になされたわけではなかった。2001年1
 21月にアメリカ国防総省が入手した情報により、9.11のテロ攻撃後に中国がアルカイダ
 に武器を供給したことが明らかになった。9・11のわずか1週間後に、タリバンとアルカイ
 ダの兵士が、中国製の地対空ミサイルを受け取ったのだ。2002年5月、アメリカの特殊部
 隊がそれらのうちの30発を発見した。タリバンの司令官がパキスタンのウルドゥー語の新聞
 に「中国はタリバン政府への援助と協力を拡大している」と話し、中国の支援を公然と賞賛し
 たのも無理はない(注38)。

  中国はイラクのサダム・フセイン政権への支援も拡大した。タリバンに協力した中国の電気
 通信会社の1つが、イラクに対する国連制裁の妨害に間わっていた。1999年5月、同社は、
 国連の石油・食糧交換計画に取り組みながら、光ファイバー通信システムをイラクに売る許可
 を国連に求めた。国連がその要求を二度にわたって拒むと、この会社は国連の意向を無視し、
 そのシステムをイラクに送った(注39)。

  二度目のイラク戦争中の、わたしが国防総省で働いていた時期に、同省の高官が次のように
 認めた。中国人は「イラクの防空システムをより良くするために、光ファイバー接続ネットワ
 ークの構築を手伝っている。その光ファイバーケーブルは、大半が地中に埋設されており、天
 候(あるいは連合軍の空襲)など、さまざまなことから守られている(注40)」。この報告が
 公になると、ジョージ・W・ブッシュ大統領は懸念を表した。「われわれはイラクにおける中
 国人の存在に不安を感じており、わが政権は中国人に相応の返礼をするつもりだ」とブッシュ
 はレポーターに話した。「米軍パイロットを危険にさらすシステムの構築を中国人が助けてい
 るというのは、厄介きわ まりないことだ(注41)。

  中国は、その申し立てを否定した,「それは噂にすぎず、アメジカとイギリスのイラク爆撃
 に対する言い訳だ」と国連の中国代表代理である沈国放は言った。
 「中国の軍人も民間人も、イラクで働いてはいない(注42)」 実際は、中国の企業はイラク
 にオフィスを持っており、イラク当局者は、中国南部にある同社のオフィスを訪問していた,
 イラクは2000年から2001年にかけて注文しており、2002年に中国企業との違法な
 関係が確認された。1万2000ページに及ぶ関係書類をイラクが国連に提出したのだ。それ
 によると、中国の三つの企業が、光ファイバーや通信交換Sをイラクの防空ネットワークに提
 供していた。

  2003年3月、米軍主体の「有志連合」軍がイラクに侵攻し、イラク戦争が勃発した。開
 戦にいたるまでの数カ月間、中国の電気通信専門家だけでなく、軍当局者も、イラク軍を支援
 する重要な役割を果たしたことを、イラク軍の元防空部隊長が同年の後半に認めた。「200
 2年の存、彼らはやってきた」と彼は言う。
 「彼らはサダム・フセイン直々の歓迎を受けた。そのうちふたりは、わたしたちに似せて、ロ
 ひげをはやし、頭にカフィエ(アラブ式スカーフ)を巻いていた」
 
  元イラク当局者によると、中国人は有志連合軍の軍用機が投下する誘導爆弾をそらすハイテ
 クのおとり装置を間発した。そのせいで誘導爆弾はたびたび的を外した。「中国製装置の費用
 はわずか25ドルだったが、すばらしい成果をあげた」と彼は言った(注43)。
  無法国家中の、もう一つの悪名高い仲間は、中国北方工業公司、またはノリンコと呼ばれ
 る国営の兵器メーカーだ。2002年に同社は、ミサイル計画のために特殊化した鋼鉄をイラ
 ンに売って捕まり、翌年、経済制裁を受けた。アメリカ国務次官捕(軍備管理協定の検証・遵
 守・履行担当)のポーラ・ドサッターは、中国合同安全保障検討委員会において、「中国政府
 はノリンコの行動の拡大を野放しにしていました」と証言した。「それでも中国政府は、ミサ
 イル拡散には反対だ、中国の企業や事業体がアメリカとの約束に反する輸出を行うのを禁止し
 ている、と主張したのです]と彼女は続ける。「しかし、現実はずいぶん異なります]。彼女
 は、ミサイルや危険物をパキスタンなどの国に輸出しないという中国の約束をリストアップし、
 それぞれについて中国の嘘をアメリカ政府がどのように立証したかを述べた(注44)。

 ドサッターは、中国が大量破壊兵器を作る技術を無責任に売ったことについても証言した。中
 国は多くの核兵器拡散防庄の合意書に署名しているが、「中国がパキスタンとイラン両国の核
 開発計画に関与しているのは明らかです」と彼女は言った。さらに中国は、イランを含む多く
 の無法国家の毒ガスや化学兵器の開発計画にも関わっている。またドサッターによると「生物
 兵器禁止条約の締約国であるにもかかわらず、中国はそれらの協定に違反する(生物兵器)計
 画を持続しています」。中国が政府の計画として世界に話すことの大半と同様、生物兵器は研
 究も製造も保有もしたことがないという主張は「真実ではありません(注45)」。

                                    この項つづく

 

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帝國のロングマーチ 22

2016年08月10日 | 時事書評

 

     

      現在までの日本国のように、片道の民主主義(言い換えれば非民
      主主義)の国では、日本が滅びるか、滅びないかを決定するのは、
      ほと
んど全面的に政治家とくに政治的な国家(政府)の首脳で決
      まるもので、国
民が関与するべき場所も責もない。

              「吉本隆明TVを読む」朝日新聞 2000.11.19

 

                                         
                                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 



● 腹部大動脈瘤解明に光 近畿大学の財満信宏准教授ら

8日、近畿大学の財満信宏准教授らのグループは、司馬遼太郎やアインシュタインの死因となった
腹部大動脈瘤――日本人の死因の10位前後に位置する疾患。大動脈瘤の8割以上は腹部にできる。
大動脈瘤は、腹部大動脈が進行的に拡張することを主病変とする疾患。拡張
した大動脈は瘤状とな
るが、自覚症状がほとんど無いため、病院などで偶然発見されることが多く、
破裂すると致命的と
なるため、一定の大きさに達した大動脈瘤は手術が必要――が破裂する原因を
解明。それによると
(1)血管壁に脂肪細胞が異常出現することで腹部大動脈瘤破裂のリスクが増
加、(2)EPA(エ
イコサペンタエン酸)高含有魚油の投与で、血管壁の脂肪細胞の数と肥大化が抑
制され、腹部大動
脈瘤破裂のリスクが低下することを発見(3)未だに開発されていない瘤の破裂
を予防する薬や機
能性食品などの開発につながるとみられている。

大動脈瘤破裂及び解離は、なぜ破裂に至るかというメカニズムの詳細は不明であった。腹部大動脈
瘤治療の大きな問題点は、破裂を予防する薬剤や、拡大を抑制する薬剤が一つも開発されていない
点にあり、腹部大動脈瘤が見つかった場合、現段階ではステントグラフト内挿術や人工血管置換術
などの外科手術により破裂を未然に予防するしか手がない。外科手術にはリスクが伴い、腹部大動
脈瘤の破裂を予防する薬物等の開発が望まれている。

腹部大動脈瘤。恐ろしい疾病である。早期の予防方法の開発が望まれる。

  
論文名:Adipocyte in vascular wall can induce the rupture of abdominal aortic aneurysm(血管壁の脂肪細胞
が腹部大動脈瘤の破裂を誘導する):doi:10.1038/srep31268

 

   

【帝國のロングマーチ 22】         

        

● 折々の読書  『China 2049』41       

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。

 【目次】   

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)   
  

 

   第8章 資本主義者の欺瞞     

                          順手牽羊――手に順いて羊を牽く

                             『兵法三十六計』第十二計
  

  ルールを無視すれば、儲けは多くなる。ある研究は、中国が四つの基幹産業(鉄鋼、自動車
 部品、ガラス製造、製紙)で世界市場のシェアを迅速に拡大できたのは、補助余を増やし、税
 を控除し、土地を安く提供し、技術援助した結果だとしている。本来、これらの四つの産業に
 おいて、労働力も含め、中国に優位性はなかった(注62)。また、伝統的な自由市場経済理論
 では、そのような国の支援は、歪曲的で、非能率的で、費用がかかると見なされていた。しか
 し結果は正反対だった。中国の製紙生産は、10年でアメリカを抜いて世界最大になり、ガラ
 ス製造では、世界の生産量の30パーセント以上を占め、輸出量が国内需要を上回った。鉄鋼
 について言えば、2000年の時点では純輸入国だったが、現在、世界市場の40パーセント
 を占める世界一の製造国・輸出国になった,自動車部品でも、2001年以降、世界トップク
 ラスの製造国・輸出国の仲間入りをした。これらの快挙は、すべての部門で経費の10パーセ
 ント未満という安い労働力のせいでもなければ、安く卸えている通貨のせいでもない。言うま
 でもなく中国は、このような目覚ましい市場占有率を宣伝することもなければ、公に説明する
 こともなかった。



  また中国は、外国製品のまがい物作りにも大々的に取り組んでいる。具体的には、認可され
 ていない製造や流通、製品やデザインや主要技術の無断使用などである。2002年にABC
 ニュースは、中国の模造による外国企業の損失は、年間200億ドルにのぼると報じた(注63)。
 それよりはるかに多いと見る人もいる(注64)。北京のアメリカ大使館の元公使、トマス・ボ
 ームは、全米製造業者協会に向けての最近のスビーチで、中国のGDPの10~30パーセン
 トが 海賊版や模造品の生産によるものと断言した(注65)。他の概算では、欧米製品の海賊
 版や摸 造品は、現在、中国国内の小売販売額の15~20パーセントを占めているとされる。
 一部の市場(音楽CD市場やビデ
オレンタルなど)では、そのシェアは90パーセントに近づい
 ている。
最近のアメリカの国家対情報局の報告は、中国を「世界で最もアクティブで図太い経
 済
スパイ」と評している(注66)。中国はデリケートな経済情報(企業秘密、特許取得済みの
 プロセス、事業計画、最先端技術、輸出規制商品等々)を集めて国内産業を
支援し、情報収集
 には、従来の方法とサイバーベースの両方を用いている。後者に関
して、中国のやり方は世界
 一、荒っぽいようだ。

注64.
例えばエコノミストのジェームズ・キングは、中国の模造によるアメリカ、ヨーロッバ、
   日参の金貨の損気は、2004年だけで6000億ドルにのぼると推定。



  2000年以降、ネット利用の高まりに応じて、サイバーベースの諜報活動は、収集量も巧
 妙さも急激に増している。中国人はサイバーテクノロジーを巧みに活用し、
企業、政府、学術
 機関、研究機関などから機密情報を盗みとり、国内産業を支援して
いる。発覚を逃れるために、
 悪質なソフトウェア、サイバーツール・シェアリング、
プロキシサーバーを使ってのハッキン
 グ、第三国を経由したサイバーオペレーション
のルーティングといった、急速に進化した手段
 を用いる。

  アメリカの企業とサイバーセキュリティーの専門家は、中国国内からのネットワーク侵入の
 猛攻を報告した。残念ながら、その大半について、アメリカの情報機関は
責任のある人物を特
 定できなかった(注67)。これらの攻撃による損害の概算額はあまりあてにならないが、損害
 の規模は、いくらか把握することができる。爆撃機やスペースシャトルなどを扱うアメリカの
 企業で働いていたエンジニアの鍾東蕃は、2010年に、中国の航空産業に機密情報を漏洩し
 ていたとして有罪判決を受けた。逮捕されたとき、自宅には25万ページに及ぶ機密書類があ
 った。1979年から2006年までの問に鍾が中国当局に伝えた情報量は計り知れない。し
 かし、その25万ページ分のデータは、IドルもしないCD1枚に保存できた(注68),

  2005年、ふたりの亡命者が中国のマラソン戦略の経済的側面の起源を教えてくれた。ミ
 スター・ホワイトとミズ・グリーンとは追って、彼らの説明は完全に一致した。中国の戦略の
 多くは自由市場や資本主義の戦略ではなく、財界銀行の北京のスタッフのアイデアと、アメリ
 カ経済の歴史の歪んだ解釈とのハイブリッドだった。発案者たちがfを組んだのは、市場本位
 の経済改革を提唱する人々を追い出し、反自由市場を貫こうとする中国の指導者たちだった。
 彼らはハイグリッドの重商主義戦略を立て、それを30年にわたって隠してきた。ここでも再
 びタカ派が勝った。当時のわたしたちがこの議論に影響を及ぼす見込みはなかった。重ねて言
 うが、誰がタカ派で誰がハト派なのか、わたしたちにはわからなかったからだ。


  

反客為主とは乗っ取りの計略。最初は弱くてもいずれ強者を併呑する、そんな下克上の計略でもあ
る。この計略でイニシアティブを取るためには段階をおって進めなければならない。つまり、まず
客の座を得て、信用を勝ち取り、主の弱点を探し、権力を奪取し、乗っ取り、権力基盤を固めると
いうステップが必要となる。根気のいる計略で隠忍自重し、軽挙妄動を控えなければ成功しない。

   原文

  為人驅使者為奴,為人尊處者為客,不能立足者為暫客,能立足者為久客,客久而不能主
  事者為賤客,能主事則可漸握機要,而為主矣。故反客為主之局:第一步須爭客位;第二
  步須乘隙;第三步須插足;第四足須握機;第五步乃成功。為主,則並人之軍矣;此漸進之
  陰謀也。如李淵書尊李密,密卒以敗;漢高視勢未敵項羽之先,卑事項羽,使其見信,而漸
  以侵其勢,至垓下一役,一舉亡之。
 


    第9章 2049年の中国の世界秩序

 

 

                          反客為主――反って客が主に為る

                             『兵法三十六計』第三十計


  20年以上にわたって、アメリカは世界で唯一の超大国だった。アメリカの軍隊に並ぶもの
 はなく、経済も今のところはそうである。世界はアメリカ映画を鑑賞し、アメリカのポップス
 を歌い、アメリカの炭酸飲料を飲み、アメリカのチェーン・レストランで食事をし、アメリカ
 の大学で学び、アメリカの大統領選を見守る。世界の70億以上の人々の大半にとって、ア

 リカの文化、軍、経済が影響しない生活は想像できない。同様に、ほとんどのアメリカ人に

 って、自国が覇権国でない世界などまったく想像できない。



  だが、そんな世界を想像しはじめる時が来た。2050年までに、中国経済はアメリカ経済
 よりはるかに大きくなり(いくつかの予測によれば、およそ3倍になる(注1)。世界は中国
 をリーダーとする単極世界になるかもしれない。別のシナリオは、中国とアメリカを超大国と
 する二極
世界予測し(注2)、さらに別のシナリオは、中国、インド、アメリカの三極世界を
 予測する(注3)。

  これらのシナリオに共通するのは、経済では中国が世界を支配するということだ。米ドルは
 もはや有要通貨ではなく、ドル、ユーロ、人民元からなる複数通貨制度に取って代わられるだ
 ろ
う(注4)。中国は軍事費も、アメリカより多く費やせるようになる。これまで何十年にも
 わたってアメリカ
がしてきたように、中国は近隣諸国や同盟国に強い影響を及ぼすようになる。
 そして少なくともある程度、自らのイメージ通り
の財界を作ることができるだろう, 

   https://youtu.be/7zlXqQ7yZKs

  それはどんな世界だろう。抑ぼされた人々が独裁政治から逃れるのは簡単なのか、難しいの
 か。わたしたちが呼吸する空気はきれいなのか、有毒なのか。取引を保護
し、自由を促進する
 機関は強いのか、弱いのか。

  もちろん、このような疑問のいくつかは答えようがない。だが一つ確かなことがある。それ
 は、もし中国政府が現在の優先事項を堅持し、同じ戦略を続け、毛沢東が政
権をとって以来、
 大切にしてきた価値観に固執するのであれば、中国が形成する世界は、わたしたちが今知って
 いる世界とは大いに異なるものになるということだ

  2049年に中国が率いる世界は、タカ派が中国の政策を決定するのであれば、より悪く
 るだろう。もしハト派と真の改革派が、欧米の支援を得てタカ派を凌駕すれば、優勢となった
 中国は、脅威にはならないだろう。中国がタカ派を選ぶか、ハト派
を選ぶかに、わたしたちが
 どの程度、関与できるかについては最終章で述べよう。改
革派を支えられなかった場合、世界
 は次のような危機にさらされる。

 【危機●】中国の価値観がアメリカの価値観に取って代わる

  アメリカ社会はきわめて個人主義だ。この国の土台は、トマス・ジェファーソンやベンジャ
 ミン・フランクリンのような個人主義者と、大英帝国の一部になることを拒んだ反逆者たちが
 築いた。わたしたちは彼らを賞賛する。権利章典は、すべてのアメリカ人が好きなように話し、
 好きなように祈り、不合理な捜索や押収を受ける恐れのない家に住む権利を保護している。す
 べてのアメリカ人は、自らの人生の道筋を決める権利を不可侵のものとして保証されている。

  だが中国に、アメリカ人が考えるような個人の権利は存在しない,文学者のリディア・リウ
 (劉禾)によると、1860年代にマーティンという名のアメリカ人宣教師が、国際法の教科
 書を初めて中国語に翻訳しているときに、中国語には「right(権利)」に相当する言葉がない
 ことに気づいたそうだ。そこでマーティンは「権(強制力の意)」と「利(利益の意)]を合
 わせて、「権利]という新語を作った。この言葉は今も便われている(注5)。中国共産党が
 築いたのは、集産主義の社会で、1949年以前の文化を引きずっている。中国を広範にわた
 って研究しているふたりの国際ピジネス戦略家が言う。

  「中国では、人間であることは、より大きな人間社会の一部であることなのです(注6)」

  中国の憲法には、言論の自由、結社の自由、宗教の自由について多くのことが書かれている
 が、実際のところ、これらの権利はほとんど保護されていない(注7)。 何十年もの間、中
 国政府は国民の個人的権利を認めていなかった。そして国が強くなるにつれ、国外にいる中国
 人の権利にも干渉しはじめた。ニューヨーク在住の人権活動家、温云超が国連でスピーチを行
 ったあと、彼の携帯電話やEメールやツイッター・アカウントが、中国政府による組織的攻撃
 と思われるハッキングを受けた(注8)。アメリカ議会の公聴会で、シェロッド・ブラウン上
 院議員が温に、中国の他の抗議者のように刑務所に入っていないのはなぜかと尋ねると、彼は
 「中国にいないからです」と答えたそうだ(注9),さらに2009年に中国は、65億80
 00万ドルの予算で「外宣工作」と呼ばれるプロジェクトを開始した(注10)。「海外でのプ
 ロパガンダ」という意味で、外国や外国人に中国を好意的に伝えるネットワークを作るのが目
 的だった。今もそれは続いている。

  外国の人権擁護団体に対する攻撃はよくあることだ(注11)。全米民主主義基金の副総裁、
 ルイザ・
グリープが証言したように、中国は日常的に人権擁護団体やNGOのコンピューター
 システムに侵入している(注12
)。その狙いは「反対者の間の信頼を揺るがし……コストを
 引き上げ、恐怖を誘発する」ことだ(注13)。それらは「独裁国家が国境を越えて自国民を弾
 圧する注目すべき手法]だとグリーブは結諭づけた(注14)。 

  気になるのは、これらの弾圧戦術が今後も散発的に行使されるだけなのか、それとも、中国
 が力をつけるにつれて、当たり前に使われるようになるのか、ということだ。いったん中国が、
 アメリカとその同盟国に反抗できるほど経済的にも軍事的にも強くなれば、中国当局は気に食
  わないスピーチをした人に、誰彼かまわずサイバー攻撃を仕掛けられるようになる。そうなれ
  ば、中国の外でも、アジアから北米まで、多くの人が攻撃を恐れて発言に注意するようになる
 だろう。

今夜から第9章に移る。中国だけでなく、程度の差はあるが、日本もアジア専制遺制的政治風土に
引きずられていることを再確認。

                                     この項つづく

 

● 競泳男子800mリレー 日本が銅メダル 52年ぶり

日本は7分3秒50の記録で、半世紀ぶりのメダル獲得。意外に思えたが、特にアンカーの松田丈
志選手は天晴れだ。

話は変わる。昨夜、関テレの『ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子』(第5話)――内藤了による
ステリー小説『猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』
シリーズ――を「流し」ではなく通して鑑賞する。
結構面白いし、メインキャストの熱演に感心する。メインテーマは、殺人犯の動機ではなく、その
人物が殺人を行う「契機」(=スイッチ)の解明(あるいは殺人の予防法の開発)にあるというら
しい?犯罪心理学興味があり、以前から余裕があれば少し踏み込んで考えていたので、面白い。



ところで、きょうは親父の月命日。2年前に植えた高野槙(朝鮮槇)が大きくなり、それを切り仏
花としたが、煩悩は消えず。琵琶湖マイナス30センチ、快晴。昼は、家で素麺をいただく。

                                         
                                    
 

 

 

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イチローの日

2016年08月08日 | 時事書評

 

     

           達成するなら多分シングルヒットだろうなという風に確率
           としては思っ
て(三千本安打が三塁打)いたので、チーム
           メートに労力をかけなくてよかったなと思います。

                             イチロー 2016.08.08

            年寄りが病気を治すには、自分が主体的になり、積極的に
           病気を治そうという意志がないとダメなような気がします。

                         「克服記」 2001.11.01   
                                        
                                 

                                               
                                                      Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 

● イチロー三千安打達成 日本選手で二度目の記録

ホームラン性の三塁打を放ち記録を達成したイチローがナインに祝福されベンチに座ると涙がサン
グラス越しに涙が頬を伝う姿を左側面からテレビカメラが撮す。チャンネルをメジャーリーグ放送
にチェンジすると、朝早くからライブ放送されていたスタメン出場で彼が本塁打性の三塁打で出塁
すると球場は祝福のスタンディングオベーイションに包まれる。感動で鳥肌がたち、記録達成を彼
女に伝える声は心なしか震えている。しばらく二人でその実況中継を見続けていた。

マーリンズ・イチロー外野手の3千安打達成を受け、公式サイトが3千安打達成者のコメントを伝
えた。その中で、イチローが日米通算安打で4257安打を記録した際に少なからずを苛立ちを見
せていたピート・ローズがその偉業を素直に称えている。イチローが今年の6月に日米通算で42
57安打に到達したことで、ローズの持つメジャー最多4256安打を上回ったことで、米国内で
日米合算の記録を認めるかどうかで――この時、当のローズはインタビューで、イチローの功績に
ケチをつけようというわけじゃないが、これじゃいつかは高校時代の記録まで含むようになってし
まうだろう語る――論争となっている。しかし、イチローがロッキーズ戦で達成した史上30人目
の3千安打について――三千安打を放った者は誰もが偉大な打者。イチローはとてつもない打者。
この記録で自動的に殿堂入りにさせるもの。少なくともそうすべきで、スピードと強肩を兼ね備え
た偉大な打者。「3000安打クラブ」にホームランヒッターではない打者が入って良かったとコ
メントしている。

尚、ニューヨークタイムスの記事によると、外人選手での三千安打記録としては、ロベルト・クレ
メンテ(プエルトリコ)、ロッド・カルー(パナマ)、ラファエル・パルメイロ(キューバ)に次
ぐ四人目(日本人)となり、三塁打で同記録を達成したのはポール・モリター(当時ツインズ)に
つづく二人だけである。また、42歳9か月での記録達成は、45歳で達成した19世紀の名選手、
キャップ・アンソンにつづく史上2番目の年長となる。オリックスでプレーした当時に打撃コーチ
を務め、この試合の解説を務めた新井宏昌や元プロ野球選手で監督の大島康徳は、日米通算安打数
記録などイチローの記録を破ることはできないのではと賞賛感動していたが、鬼才イチローの伝説
で語られる記録が今後も塗り替えられていくことだけは確かだ。

 

 

【帝國のロングマーチ 20】       

       

● 折々の読書  『China 2049』39      

                                         秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。 
     

 【目次】 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか

            森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

 

   第8章 資本主義者の欺瞞    

                           順手牽羊――手に順いて羊を牽く

                              『兵法三十六計』第十二計
 

  わたしがミズ・リーと呼ぶ中国からの亡命者は、機密会議とのつながりを生かして集めた、
 1995年から2000年までの間に中国がついた嘘の詳しい実例を教えて
くれた。中国はそ
 れらの嘘で連邦議会を説得し、恒久通常貿易関係(PNTR)を中
国に供与させ、WTO加盟
 への道を聞かせた。ミズ・リーはまた、中国の指導者が、WTO
加盟を問う投票で賛成してく
 れた人々をぬかりなく支援し、自国の重商主義的
経済戦略を暴く情報をひた隠しにしたことも、
 明らかにした。中国に自由市場を実現
する気がない(永遠にではないとしても)ことを連邦議
 会が知れば、投票は認められ
ないということを、彼らは理解していた。そこで、アメリカの情
 報コミュニティの誰
にも気づかれないほど巧妙に、宣伝とスパイ活動を始めた,ミズ・リーに
 よると、中
国は、1930年代に毛沢東が書いた、政治的相違の分析の仕方を手引きとして、
 外
交政策を巡るアメリカ政府内の対立を調べ、それを利用したそうだ(注27)。そのときに中
 国が送った主要なメッセージは、今後、中国では国有企業が次第に減り、自由市
場の政策が公
 表され、国は通貨を操作せず、多額の貿易黒字を蓄積せず、アメリカの
革新と知的財産はもち
 ろん尊重されるだろう、というものだった。すべて、WTOヘ
の加盟に必要とされることだ。
 またWTOへの中国の加盟が議論されているさなか、
中国の発議で2000人から3000人
 の中国政治犯の運命を左右する条件を取引協
定に加えようとしてクリントン大統領に働きかけ
 たが、失敗に終わった。

   2000年5月24日、下院は、賛成237票、反対197票で、対中通商関係正常化法案
 を可決した(注28)。9月19日に上院も、賛成83票、反対15票で、法案を可決した(注
 29)。他人のエネルギーと勢いを自分の強みに変える「無為」と「勢」の教えに基づき、中国
 は欧米から最高の技術を借りて、株式市場、借入資本市場、投資信託産業、年金基金、政府系
 投資ファンド、通貨市場、外国の参加、国際主義中央銀行、住宅ローンとクレジットカード、
 自動車産業を開発・育成した,いずれも、世界銀行のような公共機関や、ゴールドマン・サッ
 クスのような民同企業の積極的な指導に助けられた。

USA: ALAN GREENSPAN ON TRADE TIES WITH CHINA  18/05/2000 04:00 AM,  AP ARCHIVE

  その一方で、共産主義政府は、欧米の技術や知的財産を盗む秘密の計画を許可し、奨励した,
 結果、偽造や模造による収益がGDPの8パーセントを占めるまでになった(注30)。
  ジャスティン・リン(林毅夫)は中国の首席経済顧問で、2008年に世界銀行のチーフ・
 エコノミストになった。彼の著述やスピーチの大半は英語で行われており、中国の経済戦略を
 西側のわたしたちに教えてくれる、最善の情報筋のひとりである(注31)。リンはきわめて信
 頼できる人物だ。わたしは国立台湾大学に留学していた1971年からその名前を知っていた。
 当時、彼はその大学の学生会長だった。10年後、彼は中国本土に亡命し、北京大学で政治経
 済学の修士号を取得後、シカゴ大学で経済学博士号を取得した。その後、ソビエト式の国有企
 業を立て直す方法をアドバイスするために中国に戻った(注32)。

  リンによる中国の経済発展についての説明は、驚くべきものだった。鄧小平は公の場で、中
 国に戦略はないと言いつづけたが、実のところ、市場経済を育て、国際的競争力を高めていく
 ための入念な戦略が存在していた。リンは、中国の経済戦略をきわめて率直に諭じた本を3冊
 出している。それらの主な情報源は、中国古代史と世界銀行だ(注33)。それについては、少
 なくとももうひとりの亡命者も同じことを述べている。その人物は、世界銀行と皮肉にもアメ
 リカの自由市場支持者が中国に勉強の機会を提供したおかげで、中国は重商主義的姿勢を固め
 ることができた、といういきさつを詳しく語った。(中国が大規模な戦略を立てているという)
 リンの見解は、中国の最も権威あるアメリカの専門家、王揖思(オックスフオード大学で学ん
 だ、北京の名誉ある研究所の所長)の見解とは逆だった,王は鄧小平と同じく、中国に大規模
 な戦略などなく、過去30年間をなんとか乗り切っただけだとたびたび主張している。王は20
  11年にフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたエッセイ China's Search for a Grand Strategy
 
(大規模戦略のための中国の調査)のなかで、中国に戦略があるという主張は間違っており、
 おそらくその陰には、反中国の動機があるのだろう、と書いた(注34)。同様に男小平は19
 97年に 亡くなるまで、中国は包括的な経済戦略を持っていない、と訪問者に語っていた
 (注35)。

  By Wang Jisi

 1983年、世界銀行総統のA・W・クラウセンは中国を訪れ、鄧小平に会った。
 その際、クラウセンは、「世県銀行のエコノミスト・チームが、20年先を見据えて中国の経済
 について研究し、どうすれば中国がアメリカに追いつけるかを助言しましょう」と密かに約束
 した。当時、世界銀行は公には、中国が自由市場経済へ向かう必要性について、曖昧な報告を
 発表しただけだったが(注36)、そのエコノミスト・チームは、内々では違うことを語ってい
 た。すなわち中国に対して、どうすればアメリカに追いつけるかを説明していたのだ。もっと
 も世界銀行は、アメリカに追いつくという野望を隠し、資本主義国を目指しているふりをした
 ほうがいいと示唆したわけではなかったようだ。むしろそれは、覇権国に優越感を持たせてお
 くという戦国時代の戦略に基づく、中国の計略だった。

  1985年、財界銀行のチームは、中国が2050年までに先進国に追いつけることに気づ
 いていた。だが、そうなるには、5・5パーセント以上という極めて高い年間成長率を維持す
 ることが必要とされた。それまで、当時の中国に並ぶ低い経済水準から、アメリカやその他の
 先進国に追いつくことができたのは日本だけだった。世界銀行は、ある腫の戦略を駆使すれば、
 中国にもそれが可能かもしれない、と助言した。試みた国はなかったが、部分的に経験した国
 はあった(注37)。

  世界銀行のチームは、中国の貯蓄率は非常に高いので、もし中国が、科学や技術を導入して
 生産性を向上させつつ、人口増加を抑えることができれば、その野望も達成できる、と指摘し
 た。財界銀行は、非公式に六つの提言をした。それを公にしなかったのは、中国の社会主義的
 アプローチを承認するという政治的に微妙な決定をしたうえに、中国を真の市場経済へ向かわ
 せるための努力は何もしなかったからだ。最初の提言は、1985年からの20年間に輸出の
 構成を変え、特にハイテク製品に力を入れるということ。二番目の提言は、外国から過剰な借
 金をしないこと。三番目は、外国直接投資は、先進技術と近代的経営手法だけに限ること。四
 番目は、海外からの投資や合弁企業の設立を経済特区に限らず広域に広げること。五番目は、
 貿易会社を段階的に減らし、国有企業が独自に外国と貿易するようにすること。そして六番目
 は、国家経済の長期的枠組みを構築すること(注38)。

  1990年には、世界銀行の最大の代表団が北京にいた。中国の指導者たちは陰で糸を引く
 世界銀行の存在を隠しつつ、そのアドバイスのほぼすべてに従った。ピーター・ハロルド
 世界銀行の主席エコノミストになり、E・C・ファが協力した,ファは1984年の調査に深
 く関わっている。ファは、中国の経済界以外ではほとんど知られていないが、中国経済の基礎
 を築いたひとりだと、後に中国の事務次官がわたしに語った。わたしの知る人で、ファのこと
 を知っている人はいなかった。
 
  ソ連崩壊後の数年間、中国のエコノミストたちは、ロシアや東欧の例に倣うかどうかをめぐ
 って議論しつづけた。ロシアや東欧では国有企業がすぐに民営化され、価格の自由化も図られ
 た。当時、アメリカの当局者は知らなかったが、中国の改革志向の政治家の中には、ロシアの
 民営化のモデルに倣おうとする人々がいた。中国は再び岐路に立たされた。アメリカの中国専
 門家は、大安門事件の数年前に起きたこの議論のことを知らなかった。また、ふたりの共産党
 指導者が真の改革派だったためにその地位を追われたのに、何もしなかった。そしてアメリカ
 はパリに亡命した彼らを支援しようとしなかった。どうやらクリントン大統領は、中国で起き
 たこの議論について何も知らなかったようだ。それは、自由市場と私有財産に向かって進むべ
 か、あるいは政府がコントロールできる企業をたくさん作って、技術の盗用、偽造、情報収
 集を進めてアメリカの打倒を図るべきかという、中国のその後を決める重要な議論だったのだ
 が。もし知っていれば、真の自由化を求める人々をアメリカ政府は支援したはずだ。しかし、
 結局は、周小川などの強硬派が特利を収めた,周は後に中国中央銀行の頭取になる人物で、中
 国のマラソン戦略を支援する世界銀行と早くから手を結んだ。ソビエト崩壊後、影響力ある中
 国の政治家の中にロシアの改革モデルを真似ようとした人々がいたことを、わたしたちは後に
 なって知った。彼らを後押しすれば、周のような強硬派に対抗できたはずだが、そもそもそう
 した議論が起きたことさえわたしたちは知らなかった。

中国人民銀行総裁が行方不明に 原因は人民元に重大な危機か個人的事情か 新唐人 2016.06.14

  周は民営化や政治改革を拒んだ。その代わりに、協力的な世界銀行のエコノミストとともに、
 党による支配のもと、国有企業の収益性を向上させる戦略を進めていくことを奨励した。周が
 世界銀行のためにまとめた機密文書には、欧米の市場志向の経済も、ロシアと東欧でうまくい
 った改革も受け入れようとしない、彼の計画の詳細が書かれていた。代わりに周と世界銀行中
 国支部長のビーター・ハロルドは、中国の非効率的で、構造も経営状態もおそまつな国有企業
 を変える独自の戦略を計画した。これらの国有企業は赤字経営で、政府の銀行からの融資でそ
 れを埋めていた(注39)。彼らの計画は、その恐竜、すなわち時代遅れの国有企業を救い、国
 家的な勝者にしようとするものだ。それはかつて誰もしたことのない挑戦だった。

※ 融資の急膨張は地方に深刻な債務問題を引き起こした Rapid Loan Growth Has Led to Serious
   Debt Problems at Local Governments, The Wall Street Journal.   Aug. 15, 2013 6:02 a.m


ここは経緯を考察するだけで特にコメントはしない。

                                    この項つづく

 

  

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